梅雨は夏の始まりを告げる湿度をしとしとと降らせていた。日菜はそんな曇天に向かって唇を尖らせて、つまんなーいと文句を言った。
夏休みに入ったはいいものの、これが最後とばかりに降り続く数日間連続の雨に日菜は刺激を欲していた。
「海行きたーい」
「海って……まだ気が早いでしょ」
「うーみー!」
なんでそう海に行きたいのかと言うと彼女が夏休み前に昂輝に向かって、やりたいことリストなるものを見せたのだった。その中にはお祭りに行く、海、などなど夏にしかできないようなイベントが盛りだくさんで、思わず昂輝はアイドル活動は? と言いそうになり、なんとかその言葉を呑み込んだのだった。
「だって折角の夏だよ!? 遊ばないと損じゃん!」
「別に今年に全部盛り込まなくても」
「ダメ! ぜーんぶ今年にやるの!」
恋人の鬼気迫る表情に押され、許可してしまったことを昂輝は後悔していたが、日菜にとってはこれが最初で最後の夏休みにすると決めていたからこその言葉だった。今は自分が昂輝の恋人として幸せを満喫して、そして満足すれば振る。そんな計画が日菜の頭にはあった。
「うーん、こころちゃんに相談したらなんとかならないかな~?」
「ハロハピのボーカルさんを便利なネコ型ロボかなんかと勘違いしてない日菜?」
「してないけど、なんかこう、パパーっと晴れさせたりしてくれないかなーって」
やっぱりネコ型ロボット扱いじゃないか、と昂輝は瞳を輝かせて期待に染まった色を出しているのを見て溜息をついた。
だがそんな彼を後目に、日菜は早速弦巻こころに連絡をした翌日のことだった。
「海だー!」
「海よー!」
さんさんと照り付ける金色の太陽に照らされた海が眩しく反射する。夏真っ盛り……ではないはずなのだが、昂輝は日菜に連れられるままに
「……なんでこんなことに」
「雲を吹き飛ばすことはできなかったけれど、雲も来ないところまで連れていくことはカンタンだもの!」
「カンタンじゃいけないと思うんだよね……」
だがそこは天下の弦巻家。自家用ジェットを使って島まるまる一つが私有地である常夏の孤島に連れていくことくらいなら簡単と言える範囲だった。まるで驚くことなくはしゃぐ恋人に溜息をついていると、ごめん、と後ろから二人の男女に謝罪をされてしまった。
「えっと、奥沢さんと、雪城さん」
「年下だしさん付けじゃなくていいですよ」
「僕は今日は付き添いみたいなものなので」
「しょーごー! 置いてくわよー!」
社交辞令的な挨拶を交わしていた雪城彰吾だったが、こころに呼ばれて仕方がなさそうに去っていく。その様子を奥沢美咲は苦笑いと、どこか羨まし気に見つめながら、騒がしくてすみませんねと昂輝に言葉を向けた。
「二人とも、日菜さんからの連絡でえらく楽しそうでしたから」
「そうだったんだ」
「笑顔にしたいんですよ、世界中を」
あはは、と美咲は苦笑いのまま様々な感情を彼に見せていった。楽しい気持ち、寂しい気持ち、羨ましい気持ち、心配、そんな複雑に混ざり合った色を見た昂輝は、大丈夫だよと一言だけ呟いた。
「俺が幸せにするよ、日菜のこと」
「うっわ、恥ずかしいこと言いますね」
「恥ずかしくないよ。だって俺は日菜を愛してるから」
それが恥ずかしいんですけどね、と美咲が今度こそ混じりのない苦笑いを受けて昂輝は流石に今のは恥ずかしかったと頬を掻き、話題を逸らすように音楽の話に没頭していく。そんな彼の様子を日菜は少し遠くで見守っていた。
「行かなくていいのかしら?」
「ううん、後でいっぱい構ってもらうから」
「そうなのね!」
「今はああやって色んな人と話してほしいかな」
彼女は母性を感じさせる瞳で、彼と美咲の会話する姿を眺めていた。
少しの嫉妬はもちろんあれど、それを上回る
「日菜……少し変わったわね」
「そうかな?」
「なんだか、遠くを見過ぎているわ」
こころから放たれたその言葉に、日菜はそうかもと乾いた笑いを零した。遠くを見過ぎている、まさしく的の中心に放たれたこころの矢は、日菜の遠くに押しやっている感情を湧き立たせていた。
「あたし、
「……そうなのね」
そんな会話を傍で聴いていた彰吾は、ほんの一瞬だけなにかを言おうとして再びじっと黙っていた。こころが口を閉ざしたのだから、自分が今そこで余計なことを言うべきではないんだと、そう結論づけて。
「こころちゃんは……何も言わないの?」
「ええ、それが日菜が選んだ道なのだから」
金色の太陽は、いつだってその眩いばかりの輝きを曇らせることはない。笑顔で、背中を押すように言葉を紡いでいく。
けれど、と続いていくのだが。
「先生はきっと、それがどうしたって言うと思うわ」
「カズくん……」
ぽつりと名前を零した。それは彰吾もよく知る人物の名前だった。ひょんなことから弦巻こころと関わり、そして賭けに負けた結果、その教師は短い間だが花咲川で教鞭をとったことで彰吾も知ることになった。
「カズくんはそういう人だもん。
彼は明日を信じたりはしない。だからいつだって日菜やこころ、沢山の生徒たちの明日になってきた教師の後姿を思い浮かべて、日菜は今の考えを、見てしまったものを知ったらなんというだろうかと考えた。答えは出ないまま、彼女は振り払うように昂輝と一緒にはしゃぎ回った。
「あはは~、楽しかったぁ!」
「いや、疲れたよこころさんも、日菜も、遊びに全力すぎるでしょ」
「全力で遊ぶから楽しいのよ!」
「否定はしないけど全力すぎるんだ」
「まぁ、そこは乗っかった方が楽しいしね?」
遊びつくし、太陽が水平線に沈もうという頃、結局島にある宿泊施設に一泊することにした五人は、それぞれの感情を茜色の空に溶かした。
弾けるような星の黄色、いつも変わらない太陽のような眩い光、雪のような降り積もる白、ほんの少しだけ諦めに似た藍色のある白。それぞれが違う想いで茜色を見上げる姿に、昂輝は日菜と繋いだ手を握りしめた。
「今日はありがとう、みんなのこと、知れた気がする」
「いやこちらこそですよ。オレ、じゃなくて僕の方こそ……また一つこころと思い出が作れましたから」
また、縁を繋いだ。それを日菜は大切なタカラモノを見守るように微笑んでいた。
そのタカラモノは、いつか彼女がいなくなった時に、とびきりのプレゼントになる。だから日菜はずっと、昂輝を連れまわすのだから。
「そうだ日菜」
「んー?」
「実はさ、バンドに誘われたんだ……俺」
「そっか! やったねこーくん!」
「い、いいのかな……俺」
「シナスタジアのこと話した上で、誘われたんでしょ?」
「う、うん」
「ほら、やっぱりあたしが予感した通りだった!」
少しずつ、日菜は歯車を組み替えていく。
──それを、弦巻こころは日菜には伝えずに愛するフィアンセには余すことなく言葉にしていることは知ることなく。
「日菜は
「でも」
「だって、未来はわからないから、沢山道があるものだわ」
「確かに?」
「日菜がしているのは、未来を
もしも日菜が自分を幸せにしない道を選ぼうとしているのなら、それをあの首から下げている約束が助けているのなら。
こころはそれをまとめて笑顔に変えようと、彰吾に対してとびきりの笑顔で宣言してみせた。
──CHAPTER:C-4 END