氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:C-?「黄昏と太陽の秘密」

 羽丘女子学園の屋上、彼の特等席は梅雨の終わりを感じさせる黄昏時に沈んでいた。袖をまくりカッターシャツを着崩した男性教師がぽつんと独り、紫煙をくゆらせていると、一つだけあるドアが開いた。

 

「こんにちは、先生」

「……わざわざ他校にまで来てなんの用だ、こころ」

 

 それは弦巻こころだった。本当はオレに会いに来てくれるなんて嬉しいじゃねぇか、と茶化すつもりだった教師もいつもの真夏の南中している太陽のような眩しさや輝きはなく、黄昏時のような静かさを伴った彼女を見て、本題を早速切り出した。

 

「お願いをしに来たの」

「生徒からのお願いはなるべく聞いてやるよ。なんだ」

「……日菜のことを、信じてあげて」

 

 彼は眉を顰めた。わざわざそんなことを言いにここに来たのかと訝しんだ。その反応に、こころは……()()()()()()()()()()()()大人びた微笑みを浮かべてみせた。

 

「すっかり馴染んでいるのね、()()()()()。すごいわ」

「……お前はなんなんだ」

 

 それは紛れもなく彼の秘密だった。こころの反応に半ば確信しながら、教師……清瀬一成は彼女がわざわざ自身の特等席を話し合いの場に指定した意味を考え慎重に言葉を選んでいく。

 

「あたしは弦巻こころよ、世界を笑顔に()()、あなたもよく知る弦巻こころよ」

「なるほど……てめぇは確かにこころだな」

「ええ──確信できてよかったわ、()()

 

 ロマンチックな、時を止めたかのような静寂で自然な口付けだった。貪ることなく、求めることなく、二人だけの世界をただただ共有するような優しい触れ合いだった。

 

「理解した。お前はオレと共にあるこころだな」

「知っているのね、あたしを」

「おう、少しだけそっちを覗いたことがあるもんでな」

 

 彼女、弦巻こころにとって彼は誰よりも愛すべき男性だった。教師として迷ってしまった太陽の道標になってくれた笑顔の魔法使い。そして、唯一無二の友の笑顔のためにまだ子どもだった自分に戻って違う未来を歩んでいくと決めた彼女を笑って送り出してくれたヒトだった。

 そして彼は、彼にとって弦巻こころは恩人と言うべき生徒だった。教師としての意地を見届けて、その上でただ一人の男性としての幸せを見つけるために、この世界を、それだけではなく、様々な世界を渡るための鍵をくれた女性だった。

 

「ふふ、彰吾に悪いわ」

「そう思うなら曇ってくれねぇか? にやけてるんだが?」

「今のあたしは、彰吾がくれた幸せを歩んでいないあたしだもの」

「便利な言い訳だな」

「あなただって、蘭を選んだわよね? 」

「オレはまだ自分探しの旅の最中だ。アイツらの中で蘭が一番放っておけなかったってだけだ」

「……そう、あなたが選んだのはあの子なのね」

 

 こころはとある少女、この世界ではまだ出会っても無い幼い少女の名前を呟いた。一成はほんの一瞬驚いた顔をして、どこの世界でも変わらねぇんだなと呟いた。決めたといってもまだ迷いがあった。だからただ自分が幸せになるだけでない世界も覗いている最中だったのだから。

 

「そうよね、他のあなたの生徒たちはみんな、それぞれで幸せになる道を歩んでいるもの」

「それはそれでやっぱ寂しいもんだ。ヒナと紗夜は……まだ微妙ってとこだけどな」

 

 彼が本来居た場所には美竹蘭の他に氷川日菜、氷川紗夜、そして朝霧亮太という恋人のいる白鷺千聖、雨野大雅の隣にある青葉モカがいた。一成にとっては何よりも大切で、それゆえに自分という存在が耐え切れなかった生徒たちの顔を思い浮かべながら紫煙を吐き出した。

 

「良い顔してるよな、特にモカと千聖のやつ」

「そうね」

 

 二人は幸せそうに、それこそ彼とはほとんどかかわることもなかった。だからこそ、日菜や紗夜にもあの表情をさせてやりたい。その思いで日菜に、紗夜に関わり続けていた。蘭に妬かれながら、口を出し続けてきた。

 

「だから、オレはこの立場を変えるつもりもねぇし、今のヒナを野放しにはしたくねぇんだ」

「でも、あの子の選んだ道は間違いじゃない……それがわからない一成ではないはずだわ」

「どうだろうな。オレの言うオレとお前の知ってるオレは少し違うらしい」

()()()()()

 

 その言葉は強く、そして重たく一成の胸に突き刺さった。咥えた煙草を吸うことも、紫煙を吐くこともなく、ただ咥えたままじっとこころの瞳を見つめた。どこの世界でも変わることのない黄金の瞳に射貫かれ、彼は降参だと両手を挙げた。

 

「わかった、お前の言う通りにする」

「ありがとう」

「カッコ悪いな、ついさっき立場を変えねぇっつったばっかりなのにな」

「あなたはより良い道を選ぶためならそのくらいやってみせるヒトだわ」

 

 サラリと放たれた重たい信頼を受けて、一成は短くなっていたタバコの先端を携帯灰皿に押し付け、そのまま携帯灰皿と一緒に胸ポケットにしまいこんだ。

 その代わりにポケットからアメを取り出して、口に放り込みながらこころに問いかけた。

 

「んで、あれを放っておいていいのか」

「放っておくのはよくないわ」

「じゃあどうすんだよ」

「紗夜と昂輝が一緒になってしまったら、日菜の視た未来が現実になってしまうとどうなってしまうのかしらね?」

「……そりゃ、キツいのはバカヒナだろ。なんもかも宙ぶらりんになって……愛するやつのいない明日ってのに取り残されちまう」

 

 ええそうね、とこころがサラリと肯定していくのを一成は苦々しくそれはダメだなと空を見上げながら自分の過去に焦点を合わせた。

 宙ぶらりんで愛するもののいない明日、というのは酷い虚無感だということを彼は身をもって体感していた。それが最後の最後まで……最期まで変わらぬ愛を分け合っていたのだとするなら尚更だった。

 

「けどどうすんだよ。日菜と霞ヶ丘をくっつけて紗夜を泣かせろってのか」

「そうね、けれどそれでは誰も笑顔にならないわ」

「……超難題じゃねぇか」

 

 こころが求める未来(こたえ)は一つ。三人が笑顔になること。その過程を一成に問いかけていた。

 まるでそれが、一成の中にあるものだと確信しているように。

 

「あのな……オレがやったことは結局、アイツらを泣かせただけだ」

「昂輝はそんなに弱くないわ」

「……てめぇ」

 

 酷い答えだったが、否定できるわけではないので眉を寄せるだけで留まっていた。

 その上でじゃあお前は霞ヶ丘にオレの歩んだ道を見せろってのかよと吐き捨てた。だがこころは黄昏の微笑みを崩すことなくええそうよと肯定した。

 

「ふざけてんのか」

「やっぱり一成は優しいのね、けれど今日の優しくてぬるい関係なんて認めていても……明日の笑顔にはなれないわ」

「明日……」

「ええそうよ、あなたが信じられな()()()明日よ」

 

 こころは明日(みらい)を見据えていた。明日を信じることができないクズ教師と真っ向から対峙する形で、強い光を宿していた。

 そして彼女はじゃあ具体的にはどうするんだという問いかけに一つの違う未来を指で描いた。

 

「……は? お前、本気か?」

「あたしが世界を笑顔にするために本気を出さなかったことがあったかしら?」

「ねぇな……さっすが常識ぶっ飛びお嬢で」

「常識は十八までに集めた偏見のコレクション……って薫が言っていたわ」

「そりゃアインシュタインだ」

 

 だがその言葉が一成の迷いを吹っ切れさせた。いつか()()()()アイツにも聴かせてやろうと。

 ──オレがどんだけお前の幸せのために走り回ったか、頭を捻ったか。きっと犬みてぇに喜んでくれるに違いねぇと一成は笑顔を零した。

 

「乗った。お前のプランに賭けることにする」

「ありがとう、一成」

「おう」

「それで……申し訳ないのだけれど、一つお願いごとをしてもいいかしら?」

 

 言ってみろ、となんの気なしに生徒の願い事はなるべく聞き届けるというスタンスを持つ一成はそこで自分の発言を激しく後悔することになる。少女の姿で、大人の妖艶さを纏った彼女の表情にこれから自分が迫られることを察知してしまったのだから。

 

「蘭には申し訳ないのだけれど……あたしと浮気してほしいの」

「お、おいおい流石に天下のこころサマとは言え、フィアンセいんのに浮気はまずいだろ」

「都合よくこの記憶は元の世界に帰らないと思い出さないようになってるわ。いつもはまだまだ子どものあたしだもの」

「……つっても、オレは今回バッチリ記憶持ってんだけど」

「いいじゃない、浮気は得意でしょう、先生?」

 

 得意技じゃねぇ、かなり流されやすいだけだと一成は一応の言葉で抵抗してみせるが、既にこころの体重と体温を受け止めて、意味を成しているのかどうかは、もはや言わずとも知れたところであった。

 

「あと実はオレ、元の世界じゃ抱いたことねぇんだけど」

「よかったわね?」

「よかねぇ……」

 

 こころとのハッピーエンドを覗いた後でよかった、と一成は頭の中に浮かべた。熱烈に、そして激しく愛するものを求める彼女と結局は生徒とは口にしつつも性欲の対象とはしてこなかった二人の内の一人との行為に、彼が謝罪とともに頭に浮かべた顔は、蘭のものではなかった。

 

 

 

 

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