クーラーの効いた部屋、絡み合う二人。直前までの汗をさっぱりシャワーで流した後だというのにまた氷川日菜は彼に跨り、熱を上げていく。
霞ヶ丘宅のリビングで、発情したように息を上げる恋人の肩を掴みちょっと待ってと押しのけた。
「……帰らなくていいの?」
「え~、まだシたいなぁ」
「じゃなくて、アイドル業は……?」
「ん~? ちゃんとやってるよ~?」
「ホント?」
じっと目を見るとしゃべることなく日菜は誤魔化そうとしてくる。だよね、と昂輝はため息をついてから大丈夫と口にした。
そのタイミングを狙ったように呼び鈴が鳴る。日菜が怪訝な顔で見たところを無視して、昂輝はもう一度だけため息をついた。
「最終手段、使わせてもらったから」
「……え?」
「おじゃまします……さ、帰るわよ日菜」
「お、お、おねーちゃん!?」
日菜が珍しく素っ頓狂な驚きの声を張り上げた。そこにいたのは、霞ヶ丘昂輝の元恋人でもあり、日菜の姉でもある氷川紗夜だった。
昂輝が呼んだという事実が、そしてここまで紗夜がやってきたという事実が、日菜には大きな驚きであった。
「昂輝」
「迎えにきてくれてありがと、紗夜」
アイドルである他のメンバーに挨拶をせねばならなくなったうえにそれでもレッスンやアイドル業をやや疎かにしながら家に帰らず昂輝の部屋に居候状態の日菜を止められる人物はもう昂輝には元恋人である彼女一人しか思い浮かばなかった。
「ずっと俺んちに入り浸ってて……流石にまずいよね」
「ええもちろんよ……さぁ日菜」
「ずるだよ! おねーちゃん連れてくるなんてずるだ!」
「なにがずるなのよ……全く。お母さんも流石に怒っているわよ」
多少は抵抗したものの、姉と恋人に帰った方がいいと言われ、渋々日菜は了承した。
その帰り際に、昂輝は……やや躊躇いながらも紗夜に言葉をかけた。別れてから実に、半年近くになる久しぶりの会話だった。
「ごめんね紗夜……俺じゃ止めらんなくて」
「いいのよ、昂輝が強く言えていたら苦労しないわ……ふふ」
「おっしゃる通り」
和やかな会話。まるで付き合っていたころのような優しい会話を日菜は目の当たりにして、口許を緩ませた。確実に、時間という波が二人の悲しみを優しく修復しているという事実が日菜の目の前にあった。
昂輝に見送られ、姉妹二人で名残惜しさを感じながら楽器店を後にしていると、日菜がニヤリと悪戯を考えたように笑みを浮かべた。
「……ね、おねーちゃん」
「なによ」
「耳貸して!」
「なによ……」
その言葉に紗夜は驚きの声を漏らす。きっとこーくんもついてくるよと姉の心残りを、未練を汲むような言葉は、紗夜にとって驚きでもあり同時に怪訝でもあった。
──今の昂輝の恋人は日菜なのだから。まるで日菜の提案は敵に塩を送ることに近いのに。そんな疑問を日菜は濁しながら返していく。
「あたしはおねーちゃんから奪いたいわけじゃないから」
「……奪ったじゃない」
「うん。そうだけど」
「わけがわからないわ」
上手く言えないけれど、紗夜には幸せでいてほしい。日菜にとってあの未来は何にも代えがたいものだった。
あの日見た未来を叶えるために、叶えるまでのわがままの期間なのだから。
「というわけで、こーくん! 花火しよ花火!」
それから数日後、日菜は昂輝を花火に誘った。だが花火と言っても花火大会は月初めに終わってしまっていたし、日菜は行きたがっていたが流石に人混みの中にアイドルを連れて歩く勇気はなかった。
だからこそ、日菜が持っていた手持ち花火を見て昂輝はそういうことかと納得して、頷いた。
「いいよ。じゃあ今夜……でいいかな?」
「うん!」
だが昂輝は気づけなかった。そこにまさか紗夜までやってくるとは露ほどにも考えていなかった。故に集合場所である河川敷にやってきた彼は驚きを隠すことができなかった。
紗夜は苦笑いをしながら、ごめんなさい、と一言だけ謝罪する。
「日菜に誘われて」
「日菜に……?」
おねーちゃんとも一緒に花火したかったんだもんと笑う日菜に、紗夜と昂輝は顔を見合わせて笑い合った。
幸い風の吹かない日の蒸し暑い夜に、やがて星のようなはしゃぎ声と閃光が走る。
「あははっ、おねーちゃん見てみてー!」
「危ないから人に向けないでちょうだい」
「紗夜」
「ええ……そうね。私も」
やがて閃光は三人の手に渡る。走り回る日菜を紗夜と昂輝は少し離れたところから見守っていた。かつてはお互いをまるで呪いのように求めあっていた二人、そして離れたからこそ、その愚かしさと、大切さを身に染みた二人は、ポツリポツリと会話を進めていく。
「……ギター」
「うん?」
「続けているのかしら?」
「うん。最近はバンドにも誘われた。楽しいよ」
「……そう」
「紗夜の活躍は聴いてるよ……キラキラしてるみたいだね」
「ええ」
もう痛みはなかった。もっと早く気づければ、結末は変わっていたのかもしれない。もっと早く気づけていれば……そんな後悔を抱える昂輝を察知した紗夜は、そっと彼の手にある花火から火をもらい、自分の花火に火をつけた。
「昂輝……私は、私の音を、奏でているかしら?」
「もちろん。まぁ……やっぱり赤色が足らないけど」
「どの赤色よ」
「ええっと……なんだっけ、昔言ったやつ……ううんと」
「──ふふ、やっぱりダメね」
「なにが?」
「語彙がない色はわからないって、いつも言っていたでしょう?」
「だって」
「なんとなくで伝わるのはきっと日菜くらいなものよ」
「う、うるさいな」
やがてそんな小さな言葉のやり取りは二人の関係を元に戻していく。傷つけ合う前に、依存しあう前に、喧嘩ばかりをしていた、最初の頃……ギタリストとしての二人に、だんだんと戻っていた。
「あれだよ、弾いた方が早い」
「またそれなのね? まさかバンドでもそうなの?」
「え、うん」
「はぁ……呆れたわ」
「なんで」
「伝わらなくて苦労しているのでしょう?」
「……そうだけど」
けれど語彙は変えられないから、そう判断した紗夜は胸に秘めていたものを彼に伝えることにした。
──それが例え日菜に唆されたものだったとしても、彼女の見えない意図に乗ったようなものだったとしても。
「仕方ないから、明日、スタジオ使わせてもらうわね」
「……紗夜」
「昔みたいにレッスン、してくれるのでしょう?」
「……まぁね。虹色の音を奏でてみせてよ、紗夜」
「望むところよ」
そんな二人を見ていた日菜はそっと首に下げている指輪に触れた。彼女の眼には薄くぼやけながらも、またもや未来を描いていた。いつかの未来、花火大会に向かう二人。そこに並んでいる自分。紗夜の腕の中には……キラキラの世界に目を奪われる幼子。
その道で間違いないと確信した日菜はしかし、見落としていた。その未来が水面の波紋のようにゆらゆらと揺れ始めていることに。
──CHAPTER:C-6 END