秋は暮れ、肌を斬り裂くような冬がやってきた。
そんな冬にあっても、霞ヶ丘昂輝を見つけた氷川日菜は変わることなく満面の笑顔で大きな声では周囲にバレてしまうかもしれないという思いからか、手を大きく振って愛情を表現していく。
「こーくん、お待たせ~」
「ううん。時間ピッタリくらいだよ」
「よかった~、一回外出たんだけど思ったより寒くて、着替えてきちゃったよ」
「それは正解だよ」
俺だってマフラーを出してきたんだから、と自分の首元を示し、日菜があったかそうとオレンジ色の笑みを応える。寒色、暖色という言葉がある通りに色には場合によっては温度を感じることがある。それを常に感じているが故に冬には暖色、夏には寒色を視ている方が幾分か気が紛れると昂輝はオレンジの笑顔にありがとうと返しをした。
「じゃああれだね~、はちみつ色がより恋しくなっちゃう季節だね?」
「確かに。あれはあったかい色してる」
「じゃあじゃあ、はい!」
「……日菜がくっつきたいだけじゃん」
「うん!」
だが腕に飛びついた日菜からは幸せの色が零れていき、昂輝は心の底から温まったような気分になった。十二月になり、それはまるで彼を冷たい風から守ってくれるような優しさと愛情の詰まったはちみつ色だった。
「ん~」
「なに?」
「あたし、冬の方が好きかも」
「日菜は夏派なもんだと思ってた」
夏の方が天体観測に向いているし、まばゆいビーチで水着姿、という姿がなんとなくしっくりきていた。そう思っての感想だったが、日菜は空気が澄んでるから冬の星はすごく見やすいし、なによりと言葉を切って昂輝に抱き着いた。
「こーくんにくっついても暑苦しくない!」
「とか言ってクーラーガンガンで抱き着いてきたの、誰だった?」
「えへへ~」
そんな恋人としてのやりとりもとても暖かいものだった。待ち合わせて行く先は、羽沢珈琲店で、そこでは看板娘である羽沢つぐみがいらっしゃいませ、と出迎えてくれた。すっかり常連となって、この間はバンドメンバーとも足を運んだそこで、昂輝と日菜はコーヒーを頼みながら上着や防寒具を脱いでいく。
「こーくんち、イヴに泊まってってもいい?」
「いいよ」
「やった。でもデートしよーねデート」
「どこ行くの?」
「んー、寒いから映画見たいなぁ」
「日菜らしいね」
寒いから、という理由付けをされると途轍もなく彼女の気分屋な部分が表れている気がして昂輝は薄く微笑んだ。
暖かい館内でのんびり大スクリーンで、彼女の好きなアクション映画を見てショッピングをして……そんなまるでアイドルだということを忘れてしまいそうなくらいに愛おしい時間が待っていることに昂輝は星を浮かべるような声で、楽しみだと笑った。
「えへへ……」
「どうしたの?」
「ううん。あたしは、こーくんにいっぱい愛されてるんだなぁって思って」
「なに、気付いてなかったの?」
そんなことないよ、と日菜は笑う。そんなことがないのは本当だったけれど、自分では昂輝のこんな笑顔を引き出すことができないんだという胸の痛みが、以前は常に付きまとっていた。彼を本当に笑わせるのは紗夜ただ一人だと、彼女は信じて疑わなかった。だからこうしてたくさんの幸せだけを小さな思い出というアルバムに詰め込んで、別れることを決めている。
──だが、彼は幸せを余すことなく見せてくれるようになった。愛を分けてくれるようになった。
「今日も一緒にいたい」
「急に?」
「泊まりたいよ~、いちゃいちゃしたーい!」
だからつい、彼にわがままを言いたくなる。指輪に導かれ……ある種操られている状況では言えなかったわがままが、我慢することなく口を衝いて出てきてしまう。
そしてなにより、そのわがままを彼が笑顔で受け止めてくれるということが、日菜の心を温めていた。
「いちゃいちゃする?」
「うん! こーくんにはちみつ色いーっぱいあげるね」
「……それは、楽しみだよ」
既にたっぷりとはちみつ色をもらっている昂輝が若干苦笑い気味に返事をした。以前は、恋人になるまではほとんど色のわからない黒に近かった彼女の色が、今でははっきりとわかるということ、氷川日菜をわかってあげられるということが途轍もない幸せだった。
「じゃあ今日は俺も説得してあげようかな」
「えー大丈夫?」
「任せといて……自信ないけど」
そう言ったものの万が一相手が彼女の父親もしくは……と考えているところで彼の覚悟も確認もせずに日菜は電話を掛け出してしまった。手渡され慌てたようにスマホを耳に当てると、もしもしと冷ややかなアイスブルーが受話器から出されていた。
「……もしもし」
『昂輝?』
「やっぱ紗夜かぁ……」
「あ、おねーちゃんだった?」
説得に失敗しそうな恋人の家族である氷川家は父と姉の二人だった。特に姉であり元恋人でもある氷川紗夜が相手ではお互い気心が知れているからこその失敗があった。
──今日泊まらせてあげられない? と言葉を紡いだ昂輝が次に視た色は、赤色だった。
『昂輝?』
「だ、だって……日菜がさ、一緒にいたいって」
『だからといってそう突然の外泊をあなたが止めなくてどうするのよ』
静かではあるけれど明らかな怒りの色を電話越しで見せる紗夜に、昂輝はたじたじになる。お互いのプライドや譲れないものがある場合には喧嘩になることの多い二人も、どちらかに罪悪感があれば上下がはっきりしてしまうのはある意味で当然の結果でもあった。
「おねーちゃん、お願い! こーくんから許可も出てるし、ね?」
『ね? じゃないわよまったく』
「こーくんにはちみつ色あげたいんだも~ん」
『……もう』
だが、昂輝が説得できない紗夜も、日菜の純粋な愛情という力の前にはたじろいでしまう。
特に、自分では幸せにできなかったという気持ちが入るため、紗夜は一概にダメとは言えなくなってしまうのだった。
『……泊まる用意は?』
「こーくんちにおいてある~」
『はぁ……今回だけよ。お母さんには言い忘れていた、ということにしてあげるから』
「うん! おねーちゃんありがと!」
──いつかそのお返しはする。そんな気持ちを込めて日菜は紗夜に明るい声で感謝を伝えた。結局役に立たなかったと落ち込む昂輝の頭を撫でた彼女は、それじゃあ帰ろと慰めるように微笑んだ。
「日が暮れたら更に寒くなっちゃうよ」
「そうだね」
「帰ったら暖房付けて~、お風呂入って~、こーくんとあったまる~」
「はいはい」
「たまには一緒にはいろーよ」
「……え?」
二人で入ったらもっとあったまるよーと日菜は悪戯な笑みを浮かべていく。だが彼の頭の中には途轍もなく嫌な予感が渦巻いていた。
そこでおそるおそると言った様子で……何かするつもりなの? と問いかけた。
「この場合沈黙は肯定、ってことになるのかな?」
「そうだね。だって否定が嘘だってわかるからね」
「じゃあ、何かする!」
正直に元気よく頷いた日菜に昂輝はがっくりと肩を落とした。いくら昂輝でもそこまで訊けば彼女が何を企んでいるのかくらいは察しがついていた。
まるでその思考を読んだかのように日菜が肯定の意を示し、昂輝の表情が強張った。
「……え、まじで?」
「まじ♪ いいでしょ? いちゃいちゃしながらあったまれるし」
「非常にのぼせそうなんだけど」
「のぼせたら……介抱してあげる」
介抱……という言葉に血の色を伴わない嘘……建前を感じた昂輝は背中に冷たさが走った。
今日はとても疲れそうだと彼はため息でその心配を処理していった。
もうすっかり冬になったというのに、風呂から出たら汗を掻いてもいい恰好をしようと昂輝はその瞬間に誓ったのだった。
──CHAPTER:C‐11 END