夏も終わりが近づいてきたころ、霞ヶ丘昂輝が店番をしていると、一人の少女が入店してきた。彼は慣れた様子で「いらっしゃいませ」と口にし……その髪色に思わず二度見をしてしまった。
「昂輝くん……だっけ? おじゃましまーす」
「日菜……?」
「お、あたしのこと憶えててくれたんだ〜!」
忘れないよ、と昂輝は苦笑いをする。恋人である氷川紗夜とそっくりの外見、強烈なキャラクター、そして……昂輝が「もっと練習しなくちゃ」と思う程の、天才ギタリスト。紗夜はあまり彼女のことを話したがらないけれど、出逢った時のそれは印象に残っていた。
「なにか見るもの?」
「うーん、暇だったからねー、昂輝くんを見に来たって感じかな?」
「ふーん?」
それは自分に興味がある、ということだと昂輝はわかった。単純な好奇心ではない、少しだけ黒色の混じった視線に、少しだけ警戒心を高めて返事をすると、その感情のまま、日菜は昂輝を見た。
「おねーちゃんと付き合ってるの?」
「そうなるね。恋人ってことになってるよ」
「……そっかぁ」
ここでもしも、笑顔で「おめでとう」と祝福をされたのならば昂輝はそれ以上の会話をしようとは思わなかっただろう。そうでなくても、明度が黒に近い感情を伴っているのだが、血の色を出されてしまったら、彼には耐え切れそうにはなかった。
「昂輝くんはさ、ギターすっごく上手いよね? おねーちゃんの演奏の真似も出来るって聞いたよ」
「あーうん、まぁね」
他愛のない日常会話に潜む「ナニカ」に冷や汗を流しながら昂輝は応対をしていた。彼女が偶然ではなくナニカ目的があってここに足を運んでいる……それだけは声を聞かなくても、隠されていても昂輝にはわかっていた。
「でさ、あたし、昂輝くんのギターが聴きたくてここに来たんだ!」
「……俺の、ギター?」
「そ、おねーちゃん、この間電話で話してるのを聞いたんだ、昂輝くんのギターは完璧と言っても、問題はないってさ」
「……なるほどね、いいよ」
目的はわからない。紗夜が絶賛するギターを聴いてどうするのか、なにを感じるのか、なにを思うのか……わからないけれど、今の昂輝には断る、という選択肢は初めからなかった。彼女の真意を、黒に包まれた意味を知りたい……そして、紗夜があれほどまで彼女を避けている意味を知りたい……その一点でギターを構えた。
「曲は?」
「あたしの知ってるやつの方がいい」
「じゃあ折角だからパスパレのでも……」
そうして昂輝は彼女たちのお披露目ライブの時の曲を弾いていく。そのことに日菜は少しだけ表情を動かしたけれど、一音目から広がる音に、目を開いた。
──氷川日菜は天才だ。一度見れば大抵のことは人並み以上にできてしまう……運動も、勉強も、そして音楽も。しかし、それゆえに彼女の音楽にはセオリーが染みついてはいなかった。一見すると経験者を置いてけぼりにしてしまうほどの技量だが、昂輝にはそのセオリーがないことが色で、不安定に変化し、明滅してしまう音を感じていた。しかし、彼にはそれがない。勉強も、運動も、日菜には負けてしまうが、音楽だけはそうではない……彼が音楽に費やした時間は、『天才』で補える技量の差を優に越えていたのだった。
「……どう、かな?」
「すごい……プロの人の音だ。るるるんっときた……っ!」
──その声は黒ではなかった。憧れ、羨望、称賛、驚嘆。そんな混じり混じりの感情が昂輝の視界で光り、そして、日菜自身の瞳も輝きを有していた。
名前に反して夜空に輝く星のような光。陽だまりのような優しい笑顔を浮かべる誰かの時もそれを感じたな……と昂輝はそこで、警戒心を解いていた。
「ねね、もっと聴かせてよ! ってか、あたしも弾く!」
「いいよ。じゃあ次はこっちで」
そうして二人は笑顔でセッションをしていく。純粋に楽しい音楽の時間に、日菜はいつの間にかここに来た目的と、彼に憎悪を抱いていたことも忘れさせた。そして昂輝も、彼女が黒い感情を持っていたことを忘れ、三十分も演奏し続けた。
──そして、何曲目かのセッションを終えて、息を吐いた頃、日菜は
「あたし、嫉妬してた。あたしがギターを始めて、パスパレのオーディションに合格した時……おねーちゃん、すっごく怒ったんだ」
「それは……」
「うん、おねーちゃん、あたしに真似ばっかりする、って怒った」
姉の影を追いかけてきた妹は姉のしてきたことを真似し、そして姉よりも称賛された。そうして積み重なった怒り、憎しみに近い感情があったのだった。
──昂輝が初めて紗夜に会った時、彼女は、その言葉をもう発していたことに、彼は今更気付いた。
『私はっ! もうギターしかないの! そのギターすらも、貴方
『え、え、なんで? 俺はただ、キミに……』
『──そんな力の差を見せつけておいて、楽しめ!? 冗談じゃないわ! 貴方は……
貴方
「なんであたしは怒られるのに……昂輝くんは認められて……しかも、おねーちゃんに完璧、って言われるんだろう……そう思ったら、全部が許せなくて……嫌いだった」
「そっか。だから……」
彼女は姉と一緒にいたいだけだ。その無邪気さと純粋さが、才能、という言葉で歪められただけに過ぎない。そんな同情が彼の心を緩めていたのだった。
「それでさ、昂輝くん」
「なに?」
「あたしも……暇な時、遊びに来ていい?」
だから、彼女の純粋な言葉と瞳、そしてアイスブルーのパーソナルカラーに、昂輝は微笑みを浮かべて「いいよ」と言った。それが日菜と紗夜の関係に自分を巻き込む選択だと、彼はこの時、知るはずもなかった。
「ここは楽器店だからね、来るものは拒むはずがないよ」
「あはは、そっかそっか! 昂輝くんって面白い!」
「おも……しろい?」
「うん! あたしはね、あたしじゃない人に興味があるんだ!」
「……日菜じゃ、ない人?」
突拍子もなく出された言葉に昂輝は首を傾げた。星を瞳に煌かせた彼女は、昂輝に向けてその輝きをぶつけた。それはまるで……流星のようで、彼女の語る言葉に昂輝は目を細めて、聞いていた。
「前のあたしはそれがわからなかった。簡単なのに、みんなどーしてできないんだろう、って」
「そっか……」
「でも、それを知った時、あたしはあたしじゃない人に興味を持った。その中でも昂輝くんは一番か、二番だよ!」
「それは……光栄だね」
それは純粋に褒められているわけではなさそうだな、と思いながらも、昂輝は笑った。興奮気味に語り続ける日菜の言葉は、彼の中で彼女の印象を少しずつ形成させていた。
──そして、すっかり話し込んだらしく、スタジオの予約時間になってしまったことで、日菜と昂輝は慌てて外に出ていく。
「じゃあ、またね、
「こっ……? ああうん、またね」
手を振り、遠くなっていく彼女の背中を見ながら、昂輝はため息をついた。日菜は紗夜とはまるで正反対で、騒がしくて、元気で、そんな星の輝きのある太陽が、離れていく。それとともに、また会える、またあのびっくり箱のような音楽が間近に聴けると思うと頬が緩むのだった。
「ふふ……こーくん、かぁ……♪」
日菜は回想する。彼の表情、音楽、そして……紗夜の話をした時の反応。全てが彼女の胸の奥に
──それがなぜ、昂輝にわからなかったのか……それは、その感情が彼に向けられたものではなかったからだった。それは、紗夜に……姉に向けられた歪められた感情だったからだった。
「おねーちゃん……あたし、決めたよ……」
嘘はバレてしまう。しかし幸いなことに、彼女は昂輝に対する興味があった。その真実の感情があれば、嘘の感情を覆い隠してしまうことができる。その事実があるからこそ、日菜は昂輝にこれからも会いに行くことを決めた。
「あたしも、おねーちゃんみたいに……恋をするんだ♪」
──姉の、影を追っていこうと。彼女が挫折した数々の習い事のように、ギターのように……恋愛も、姉の後を追っていこうと。
──CHAPTER:5「