氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:7「造花の蜜の甘さ」

 ──秋時雨の晴れた時、紗夜はより一層ギターに熱を篭めるようになった。自身の長所である正確さ、そしてどんな時も一定のパフォーマンスを維持するという一見してしまえばつまらない音楽を、彼女は熱心に、何度も何度も練習を重ねていく。

 

「……紗夜。吹っ切れたんだね」

「ええ、日菜の言葉が……私を前に進ませてくれた。だから……」

 

 霞ヶ丘昂輝は、その言葉に微笑みを浮かべた。よかった、紗夜はこれからもっと伸びる。そんな確信と、日菜のことをきちんと話せるようになった彼女への安心を乗せて、昂輝もギターを弾く。隣で目を閉じて、嬉しそうに聴いている紗夜が誰より愛おしくて──

 

『だって、おねーちゃんって、自分のギターが好きじゃないから、こーくんの音に縋りついてるだけじゃない?』

 

 ──その愛おしさを感じる度にぬるりと、彼の胸中から、毒のような黒い塊が吐き出される。本当に自分がギターを持たなくなってしまったら、本当に自分が音楽を捨ててしまったら、紗夜は自分を愛してくれるのだろうか、あの時のように微笑んで、指を絡めあって……優しい微笑みで「……いいわよ」と言ってくれるのだろうか。

 昂輝の中に生まれた不信感は広がり続けていた。その不安を拭うために、安心感を得るために昂輝が欲するのは、紗夜では、なかった。

 

「……昂輝?」

「紗夜……紗夜……」

「も、もう……どうしたの?」

 

 彼女を抱き締め、縋る。紗夜は驚いたような顔をしてから、微笑んで昂輝の頭を撫でた。愛の籠った声、光……紗夜のそんな純粋な気持ちすら、もう昂輝には届かなくなり始めていたのだった。

 

『あたしは、こーくんがすき。ギターが上手だからじゃなくて、面白いから。後はね……だいすきなおねーちゃんが、だいすきだって、言う人だから……』

『……紗夜を、壊す気?』

『それもるんってくるかなぁ……? でも、今は、おねーちゃんのことを知りたい。おねーちゃんがやってることが知りたい。だから……こーくんがすき』

『破綻、してるよ……』

『そーかもね♪ でも、こーくんはそんなあたしに魅力を感じたんだよね? だから、こうしてあたしは処女じゃなくなったんだし。やっぱりフツーじゃつまんないもんね』

『……見透かしたように言うね』

『あはは、またシようね、愛してるよ、こーくん♪』

 

 何よりも、紗夜が紗夜自身の音をどう思っているのか、その真実を知らなかった。日菜は知っていた事実を、知らなかったのに対して、日菜のことは彼女自身が全てを話していたことで、彼の独占欲が、紗夜への不信感と、日菜への信頼に歪みを生じさせていた。

 ──紗夜の「愛してる」は依存心。置き換えるならば「貴方がいないとダメ」という言葉。日菜は興味で、「もっと知りたい」という知的好奇心とスリル。昂輝は「全てを知りたい。把握していたい」という独占欲。そんな三者三様の愛は、この関係に嵐を巻き起こしていた。

 

「そうだわ……昂輝」

「……なに?」

「今度の日曜日、暇なら、少し、付き合って……いいえ、で、で……デートを、したいの」

「デート?」

「ええ……だめ、かしら?」

 

 昂輝を抱きしめながら、紗夜は精一杯の勇気を出して彼をデートに誘う。彼女は妹との会話で周りが見えていなかったことに気付いた。妹の心も、ギターのことも、そして……恋人とはどう過ごすのか、ということも。今まで紗夜は依存するだけで、ギターに縋るだけで昂輝自身に真剣に向き合っていなかったことに気付いたのだった。それゆえに、きちんと向き合おう、恋人として、霞ヶ丘昂輝という人間に氷川紗夜という人間として向き合おう、と。

 

「夏祭りも、他のデートも……いつも、昂輝から誘ってくれたわ。だから……というわけではないけれど、私も、あなたと行きたいところがたくさんあるの」

「紗夜……」

「も、もちろん、都合がつかなかったら……また今度、予定を立てるわ」

 

 明るく、透明度の高い、太陽の光のような色を放つ紗夜の言葉に、昂輝は胸が苦しくなった。一瞬でも不信に囚われてしまったことと、そんな彼に気付かず、顔を赤らめて瞳を左右に揺らしている彼女へ、謝罪する意味でゆっくりと抱きしめた。

 ──毒はまだ胸に残っている。けれど、まだ、彼女を失いたくないという想いが、彼をなんとか支えていた。

 

「わかった、紗夜の行きたいところ。一緒に行こう」

「……ええ」

 

 それが例え、造花のような、偽物の幸福(はちみつ色)だとしても……彼と彼女は約束をした。恋人として、一緒に過ごそう……と。そしてその日はあっという間にやってくる。

 ──昂輝は、初デートの時のように緊張していた。お陰で眠れず、予定より三十分も起きる時間が遅くなりバタバタと支度をして家を飛び出た。

 

「紗夜、おはよう」

「おはようございます」

「待たせちゃった?」

「別に、待たされた、とは思ってないわ」

 

 既に集合場所の駅前で一人立っていた紗夜に、昂輝は手を挙げて呼びかける。いつもより遅れた時間になってしまったことを気にしての発言に、紗夜は首を横に振った。本心から待たされた、という意識が彼女にはないため嘘ではないが……それでも昂輝は彼女の手を握って眉を下げてみせた。

 

「ごめん」

「どうして謝るの?」

「俺が紗夜を待ちたかったから、かな?」

「……バカ」

 

 昂輝は、はちみつ色(幸せ)を嘘でなくその言葉で表せる紗夜に少しだけ驚きの表情を浮かべた。罵倒ではないバカという言葉を、彼は初めて目にしたことで、その少しの驚きは微笑みへと変わった。そんな見えている、聴こえている色に対して変わっていく表情が、とても昂輝らしくて、紗夜はついに声を出して笑い始めた。

 

「ふふっ、もう……昂輝はいつも言葉以上に表情が雄弁ね」

「そ、そうかな……?」

「ええ、今もすっごく、色々教えてくれるもの」

 

 そんな紗夜のあどけない笑顔に昂輝は眉根を寄せ、そうしてしまったことにはっとして彼女を見た。

 ──頬に手が当てられ紗夜は昂輝に首を横に振った。まるですべてを知っているかのように。

 

「今日は、忘れましょう? 昂輝の嫌なこと、私が忘れさせてあげる」

「……だから、紗夜は」

「彼氏が辛いのなら、嫌なことがあったのなら、傍にいてあげたい……それでは、彼女として、失格?」

「そんなこと……そんなこと、ないよ」

 

 紗夜は昂輝の様子が変だと知っていて、デートの誘いをした。慣れない言葉で、慣れない様子で……そんな彼女の優しさに、失格なのは自分の方だと昂輝は自傷するような声を出した。紗夜は前へ進もうとしてくれるのに、自分は日菜の甘言に飲み込まれてしまった。

 ──紗夜は自分を愛してくれる。だから……昂輝はその日菜の言葉を振り払うように紗夜の手を握った。

 

「……行こう、紗夜。今日は……たくさん、振り回されたい気分だよ」

「昂輝……ええ。たくさん、振り回すわね」

 

 明るくなった昂輝の表情に、紗夜もほっと安堵したような表情で、手を握り返す。服を見たり、本を見たり、食事をしたり、映画もいいかもしれないと、紗夜はこれからのプランに思いを馳せた。いつもなら遠慮してしまう自分の意見も、今日は昂輝の許しがある故に、わがままを言えてしまえる気がして、彼の耳にそっと唇を寄せて囁く。

 

「……楽しくなりすぎて、帰りたくなったら……どうしたらいいのかしら?」

「──っ! そ、それは……と、泊まって……ってこと?」

「あんまり、大きい声はダメよ……は、恥ずかしい、から」

「わ、わかった……えっと、夜も、ずっと……一緒で、いいなら」

「……ええ、それがいいわ」

 

 まだ彼の心にある恋の花は日菜によって造花(偽物)になってしまっている。曖昧で、本当にそれが恋なのか、それすらわからない、宙ぶらりんな状態で……けれど、そこから来る甘さは、まるで本物のようで……昂輝は彼女のはちみつ色に身を浸すように造花であることを忘れて彼女とのデートを楽しむために……日菜に『もう、こんなことはやめよう? 俺は、本物の恋がしたい』とメッセージを送った。

 ──それで、もう終わりなのだと、幸せになるのだと……そう思って。

 

 ──CHAPTER:7「造花(偽物)()甘さ(幸せ)」 END……? 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「日菜ちゃん、休憩終わりだよ~」

「……こーくん」

「日菜ちゃん?」

「──ん? どーしたの、彩ちゃん?」

「ううん、ぼーっとしてたみたいだけど……大丈夫?」

「うん、へーきだよ」

「じゃあ行こ、休憩終わりだよ!」

「うん!」

 

 休憩室で、日菜は昂輝からのメッセージを見ていた。突き放すような言葉を掛けてしまった、そう思っていた昂輝だったが、その目と表情は彼の予想とは、大きく異なる表情をしていた。

 

「……終わりになんかさせないよ。こーくん」

 

 彼はきっと涙を流してしまうのでは、と。彼女もどこかで愛されることを求めていたが故に、あんな行動をとったのだから、終わってしまったことに泣いていると、そう思っていた。

 

「だって、あたしだって、こーくんがすきだもん。おねーちゃんに負けないくらい、おねーちゃんがすきだって言うのとおんなじくらい、それよりももっともっと、だいすきなんだもん」

 

 彼女を抱いてしまった罪悪感も忘れて、裸身の紗夜を抱き、潤んだ瞳で名を呼んでくれる、彼女の背中にまたキスマークをつけて……生まれたままの彼女の隣で朝を迎えて……それがハッピーエンドに成り得るか、それで悲しい顔ができるか? 

 

「あははは、終わりになんかさせてあげないよ? こーくんは、あたしのものなんだから……ね、こーくん?」

 

 ──過去は消せない。消させやしない。日菜は鏡に映った誰もが()()()()()()()()()()()()()()で微笑む自分を見ながらそう、呟いた。過去も、背中のキスマークも、もう無くなってしまった純潔の証も、全ては日菜の手の内にある。

 昂輝はそれすらも、忘れようとしてしまった。だから、彼女の表情がわからなかった。予想できなかった。

 

「愛してるよ、こーくん♪」

 

 ──CHAPTER:7「造花(昂輝)の蜜の甘さ」 END

 

 

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