氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:8「雁字搦めの赤い糸」

 昂輝が突き放すメッセージを送った翌日、返事が来ずに伝わったかどうか、分からずにいた彼の元へ、日菜はやってきた。

 ──それも、よりによって紗夜とともに。

 

「聴いてないわよ? 日菜が昂輝の家に来てたなんて」

「それは……」

「ごめんね、おねーちゃん。おねーちゃんのカレシがどーしても気になって……こーくんにはナイショって、言ってたんだ」

「そうなのね……」

 

 紗夜はそんな日菜の言い訳を昂輝の顔を見て嘘ではないと判断した。そう、確かに嘘ではない。日菜が初めてここに来た目的は昂輝に興味があったからであるし、「おねーちゃんには、あたしがこーくんちに来てること、ナイショにしとくね♪」と言っていたのだから。

 ──その目的が、姉から昂輝を奪うことだとは包み隠していたが。

 

「こーくん……そう、随分仲良くなったみたいね、昂輝?」

「……紗夜。顔が怖いよ」

「あなたなら、私が何を思っているのか、わかるでしょう?」

「……そうだけど、それでも怒ってるように見えるのも事実だからね……?」

 

 紗夜は怒っているわけではなく、拗ねて、嫉妬していることを昂輝はわかっていた。依存心の強い紗夜は彼の視線に女性がいるとその感情を向ける。そうして後で二人きりの空間で睦み合う時に、その嫉妬を解き放つように昂輝を求めるのだった。

 その嫉妬の感情を日菜も察知し、ニヤニヤと姉を見ていた。

 

「ふふ、おねーちゃんってば、かわいいなぁ……♪」

「……日菜がそんな隠し事をするからじゃない」

「あはは、ごめんごめん」

「そういえば、どうして今日は二人一緒なの?」

 

 昂輝はなるべく平常を保ちながらそう訊ねた。日菜ならばこのまま隠しきることも出来たはず……そう思うと彼女への不信感が溢れて、どうしても訊かずにはいられなかった。

 

「出掛け先が()()()()重なったのよ」

「あたしもこーくんのお店に行こーとしたら、おねーちゃんもだーって」

「そ、そう……なんだ」

 

 ──その日菜の色は()の色だった。彼女は偶然の一致ではなく狙っていたことを、昂輝はわかってしまった。その表情をなんとか胸の奥へと押しやり、紗夜へ雑談を振る。そんな昂輝と、紗夜の後ろ姿を見ながら、日菜は瞳を輝かせ……明度の低い、闇夜のような黄色(楽しい)を溢れさせた。

 

「こーくんとおねーちゃんは、いつもどーりスタジオで練習、でしょ?」

「そうよ」

「ねぇねぇ! あたしも見学していー?」

「……好きにしたらいいじゃない」

「こーくんは?」

「紗夜がいいなら、俺もいいよ」

「じゃあ、おじゃましまーす!」

 

 スタジオの練習に加わる日菜。それは恋人同士の時間という白い絹に墨を垂らすような、真っ白な紙にペンを走らせるような、そんな背徳的な享楽だと日菜は笑んでいた。

 そして、その墨で、ペンで、汚すだけでは飽きてしまった日菜は、そこに思い思いの絵を描き始める。愛情と、劣情という……人間の欲望を曝け出すような、絵を……

 

「んっ、ちゅ……は、こー、くん……もっと、ちょーらい?」

「さ、紗夜が……っん」

 

 舌を絡め合う水音、発情したように赤くなる頬。紗夜がいない隙を狙って日菜はキスを迫っていた。

 ──断られる、そもそも拒絶されたはずだが、日菜は彼の首に腕を回しながら、悪魔の囁きを耳へのキスとともに送っていた。

 

「おねーちゃんに、バラしちゃう? こーくんが実は、あたしの初めてを奪ったヒトだってさ……♪」

「……どこまで」

「あはは、こーでもしないと、ダメって言われちゃうでしょ? おねーちゃんの幸せそうなあの顔を壊すのは……こーくんでないと、あたしのお願いは聞いてくれないもん」

 

 どこまで、紗夜と昂輝の関係を踏み荒らせば、日菜は気が済むのだろう……否、彼女は本気で、昂輝を自分に振り向かせようとしていた。今までは才能という腕に任せてほしいものをつかみ取ってきた。勉強も、スポーツも、音楽……Pastel*Palettesのギター担当という座もオーディションで勝ち取ってきた。彼女は常にトップだった。

 ──そんな氷川日菜(天才)が手を伸ばしても届かなかった「恋の成就」という新しい興味に、彼女はのめりこんでいった。紗夜への当てつけだった感情はいつしか、本当の恋へと成長していたのだった。

 

「はっ……はっ……すき、すきだよこーくん、だいすき……だいすき……あたしを見て……こーくん……っ」

 

 悪魔のような笑みも、頭で完璧に描いた絵も、すべてが彼を前にして純粋で常闇のような愛情へと変わっていく。その根源にある感情は奇しくも姉と同じ……依存心と、昂輝と同じ、独占欲の両方を内包する狂気だった。自分が自分の望みを叶えるためには奪わなければならない……そんな悲しい恋をする日菜は、彼に触れた途端に子ども()のように喘ぎ涙を零す弱々しい少女だった。

 ──その常闇に、泥の中に、霞ヶ丘昂輝は呑まれ、絆されてしまう。剥き出しの欲求とその闇を、愛おしいと感じ始めていた。

 

「……日菜……紗夜の練習が終わった後、時間ある?」

「うん……おねーちゃんは……?」

「紗夜は、今日はライブ前だから……前日はRoseliaで集まって泊まり……」

「こーくん……」

 

 昂輝の言葉に、日菜は目を輝かせた。

 抗えなかった。なにより、天才としての歪んだ生き方をしてきた彼女の言葉を、無碍にできるような意志の強さを、霞ヶ丘昂輝(天才)は有していなかった。それが例え紗夜を裏切るような行為であろうと、紗夜の陽光のような愛情を踏みにじる行為だとしても……彼は陽光に照らされすぎて、本来の居場所である陽のない夜闇を本能的に求めてしまった。

 ──そして自分の気持ちが初めて通じたときに見せた日菜の色は夜闇に浮かぶ月光のように淡い色をしていて……昂輝は、その恋心に、安心感を得ていた。

 

「……日菜が寂しいなら……日陰者(天才)同士、身を寄せるくらいはするんじゃない?」

「あはは、こーくん、悪い顔してる♪」

悪いこと(浮気)しようとしてるからね」

 

 取返しのつかない選択。もうずっとずっと前から間違え続けた紗夜と昂輝の選択が、日菜と昂輝の関係へと繋がってしまった。もしも間違えなければ、もしも日菜が選択しなければ、もしも……そんな言葉は結果論でしかない。後悔は先には来ない。なれば日菜と昂輝が身体を重ねてしまうのは……必然とも言えるのだった。三人の小指に赤い糸が結ばれているように、もつれ、絡み、そして歪んでいく。

 

「……昂輝、日菜……そう……私たちは、間違えているのね……」

 

 そこで道化を演じなければならないのは紗夜だった。知ってしまったとしても、彼を責めることはできない。結局は彼を……彼と彼女(天才)紗夜(凡人)が理解することなど不可能なのだから。

 

「ごめんなさい昂輝、ごめんなさい……日菜……」

 

 怒ることができれば、未来は最悪の方向へと向かう。そんな予感が紗夜には付きまとっていた。悪い夢でも見ているように……まるで正夢でも見ているように、怒ることでどんな結末が待っているか、紗夜には想像できてしまった。

 ──怒りは、昂輝を殺すことになる。それは紗夜の生きる意義を失うも同じで……であれば紗夜にできる選択は一つなのだ。道化である(気づかないふりをする)ということだけ。しかし、その気付かないふり、というものも昂輝のシナスタジアはあっさりと看破し、昂輝に血の色を見せることになる。紗夜にはもうどうすることもできないように思えた。

 

「それでも……昂輝、貴方は私にとって……すべてよ」

 

 運命の赤い糸は、三人の哀れな終点を巻き込み絡み合う。誰にもほどけることはできない雁字搦めの様相のまま、時間は……石は下り坂を降り続けることしかできない。

 ──紗夜は、それほどまでに、彼に執着し、そして、弱っていたのだった。

 

 ──CHAPTER:8「雁字搦めの赤い糸(恋模様)」 BEGINS

 

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