ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~ 作:PlusⅨ
俺の目の前には荒野が拡がっていた。
ちなみに後ろにも拡がっている。当然ながら右を向いても左を向いても荒野だった。まぁつまり、ここは荒野のど真ん中だ。
わざわざ説明するほどの景色らしい景色も無い、漠然と広がる荒野。その上を覆う空には昼下がりの傾きかけた太陽が、冬特有のやる気の無い陽光を投げかけ、あたりは何だか明るいような暗いような微妙に薄ぼんやりとした、そんな午後の荒野だった。
あぁ、冬だねえ。
湿り気をおびた風が吹きぬけ、俺はその冷たさに着ていた上着の首元をかき集めた。身に纏っている服は黒い上下だが、冬の太陽の光はいくら吸収しようとも微々たる熱ももたらしてはくれなさそうだった。
寒い、寒い。
休憩がてら日向ぼっこしようと思っていたが、身体を動かしていた方がまだ温かそうだ。俺は立ち上がり、腰掛けていた黒いギターケースを持ち上げた。そしてやる気の無い太陽が、まるでベッドに倒れこむように傾いていくその西の方角へ向かって、俺もまた歩き出す。
俺はマリアッチ。しがないギター弾き。商売道具を収めたギターケース引っさげて、今日は西へ、明日は東へ、気の向くままに流離い歌う。
着ている黒の上下は親父のお下がりだ。俺の親父もマリアッチだった。何処にでも居るようなギター弾き。手にしたギターケースは祖父さんがくれたもの。祖父さんもマリアッチだった。先祖代々マリアッチ。由緒正しい、しがないありふれたギター弾き。流れ流れて、旅を終の棲家にしちまった流れ者の一族。
放浪の歌人たち。なんて呼べば聞こえはいいが、所詮はしがないマリアッチ風情。よくぞまぁ途絶えなかったもんだと、俺は時々不思議に思う
マリアッチとしての生き方は親父から教わった。だが、肝心のギター弾きに関しちゃ当てにならなかった。なんせ、親父は歌が下手だった。なぜなら祖父さんも歌が下手だったから。
笑える話じゃないか。俺は笑えないが。
だが、それ以外はよく知っていた。旅を続ける上で大切なこと。地形の読み方、天候の読み方、野宿の仕方、獲物の獲り方。――そして、銃の扱い方。
でも、歌は駄目だった。たった一つの歌を除いて、てんで駄目だった。これじゃ本職で稼げない。
本職では稼げないから、副業に精を出した。銃が使えるから、副業には困らなかった。おまけ流れ者だ。アシがつかないと、よく重宝された。
親父も祖父さんも、良くその副業に励んでいた。多分、先祖代々こうなんだろう。風の噂じゃ、黒いギター弾きを見たら声をかけろ。歌が下手ならそいつは本物だ。なんて言われているとかいないとか。
これから語る話は、そんな副業にまつわる物語だ。先祖代々、歌の苦手なギター弾きが続けてきた副業にまつわる物語。
風が吹きぬけた。
俺の歩く先、西の空に真っ黒な雨雲が迫っていた。太陽は、これは良い布団があるぞとばかりに、さっさと黒雲の陰に潜り込んでしまった。
黒雲は俺に向かって、風を吹きかけてくる。まるで俺をこれ以上進ませたくないかのように、冷たい吐息を吹きかけ、語りかけてくる。やめな、いけばきっと後悔するぜ。
俺は鼻先で笑い飛ばす。はっ、余計なお世話だ。
するとパラパラと雨が降り始めた。冷たい銀糸が俺に突き刺さる。多分、雲はこう言ったんだ。莫迦野郎め、と。
俺は顔をあげ、雲に向かって口笛を吹いた。Sigin`In The Rain。雨に唄えば。何処か調子外れになってしまうのは、親父の教え方が悪いのか、祖父さんから続く遺伝のせいか。きっと両方だ。
俺がまともに唄える歌は一つだけ。先祖代々続く、たった一つの古い挽歌(バラード)それだけ。
これは、そんなギター弾きの物語。
黒雲が全天を覆い尽くした頃、俺は荒野をぬけて、雨煙に沈む墓地へと辿り着いた。
降りそぼる雨の中、整然と立ち並ぶ十字架の群れ。
ここは、街中の上品な地区から遥か彼方の、うら寂しい荒野の片隅の、古びた塀に囲まれた共同墓地。
雨と風と、そして時間にさらされ続け風化していく古い墓石たち。その表面に書き綴られた四行詩は、ところどころ掠れはてていた。
――
彼は眠る 奇しき運命だったが
彼は生きた 彼は死んだ 天使を失ったときに
全ては自然にひとりでに起こった
昼が去ると 夜が来るように
――
さぞかし波乱の生涯を送ったんだろうな。歩き行く俺の傍を、次々と墓石が通り過ぎてゆく。
――
辻馬車も 四輪馬車も
運命の世の中で
この彼も息子の命も
生き尽くした 朝の命を
――
目に入った詩が、俺の口からついて出て行く。
――
我らに返せ 銃の父を
我らに返せ 我らの父を
――
おっと。“銃”じゃない。多分、人名だ。発音違いか、読み間違いか。
――
矢車草は青い バラはバラ色
矢車草は青い 愛しいわが愛
――
これは、子守唄の一節だろうかな。書き綴ったのは母親か。
――
テーブルの下で音がした
足がごとごと ひどい音
――
コレは冗談。ほとんど読めないからアドリブさ。
のんびり唄い倒しながら、ブラリ、ブラリと墓地を歩き行く俺の前に、一人の男が現れた。その男の持つカンテラの明かりが、雨の降りそぼる薄闇の中、俺の前でユラユラと揺れていた。
「……久しい男がやってきたものだ。相変わらず、歌の下手なマリアッチだ」
レインコートに、深く被った鍔広の帽子。友人と言うほど親しい付き合いじゃないが、知り合いで済ますほど浅くない関係の男。
グレイヴキーパー。墓守の男。先祖代々の墓守人。
「ようグレイヴ。こんな雨の中、見回りご苦労さん。せいが出るね」
俺がそう言うと、グレイヴはその深く被った鍔広帽の下で、顔を僅かばかりにしかめたようだった。
「見回りだけでも、中々に難儀なものでな。ここ一年で随分と墓石が増えてしまった」
「それはそれは」
「今年はよく疫病が流行った。いずれこの墓地もいっぱいになる」
商売繁盛で喜べない職業も難儀なものだ。
俺たちは並んで歩き出す。
「それで、マリアッチがこんな墓場に何のようだ。ここにお前のギターを聴いて喜ぶ生者は居ないぞ」
「少なくとも、あんたが居る。一曲どうだ」
「遠慮する。……それよりも、死人に挽歌でも聴かせてやればいい」
いつしか俺たちは墓地の外れまでやってきていた。
墓地を区切る古びた塀も崩れかけ、あたり一面も草生した寂しい場所。ただ、ある一画だけは雑草が綺麗に刈り取られていた。
「ああ、聴かせに来た。聴いてもらいたくなった」
俺の視線の先、そこに一つの墓石があった。
自然石を切り出しただけの質素な墓石。いつも掃除されているのか、表面に苔も無く綺麗なものだった。
その表面につづられた四行詩。
――
イザベラ=シュミット ここに眠る
彼女は日没に生まれ 夜闇で育った
夜明けと共に 彼女は光を取り戻した
そして天では 慈光の中に
――
一年前につづった詩は、今でもはっきりと読み取れる。だけど、俺にはこの詩は口ずさめない。挽歌を歌いたくても、歌えない。
なぜなら、この下にはあるべき棺が存在しないから。だれも、埋葬されてなんか居ないから。
「歌いたくても、聴かせる相手がここには居ない。空っぽの墓に歌っても、虚しいだけさ」
「そうだな。……この墓石の下に、彼女は居ない」
グレイヴが墓石の傍によって屈み込んだ。手にしたカンテラが、墓石全体を照らし出す。その明かりが、墓石に彫られた日付を浮かび上がらせた。
そう、それはちょうど一年前の日付だった。