ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~   作:PlusⅨ

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11・さすらいのギター弾き

 深い深い階段を下りた先、真直ぐ伸びる通路に出た。

 

 その通路の奥、その先に蝋燭の灯りに照らされて、ぼんやりと浮かび上がる棺の姿があった。

 

 壁にもたれかかるように斜めに立掛けられたその棺の蓋の表面に、その持ち主の名が刻まれている。

 

 蓋は何の抵抗も無く開けることが出来て、俺の目の前に、ずっと捜し求めていた彼女の姿が現れた。

 

 流れるようなブロンドの髪と、透き通るような白い肌。

 

 白いドレスに身を包んだ彼女はまるで眠っているようで、吸血鬼に転生した今となっては、その美しさはもはや魔性の域に達していた。

 

 けれども、俺の目の前で眠る吸血鬼はやはり彼女だった。思い出の中で生き続ける、俺の愛した女だった。

 

「イザベラ……」

 

 思わず呟いてしまったその名に、彼女の閉ざされていた瞼が震え、ゆっくりと開かれていく。

 

 そのルビーのように鮮やかな瞳が、蝋燭の灯りを反射して怪しく輝いていた。

 

「…うぅ……うあ…ぁあ……」

 

 その口から漏れ出したのは、もはや言葉ですらなかった。

 

 開かれた唇の端から、鋭く伸びた犬歯がのぞく。

 

 彼女のその瞳は虚ろを宿したまま、ただ、血への渇望に紅く燃えている。

 

「……あ……あ…」

 

 彼女は上体を起こすと、その両手を俺に向けて挿し伸ばした。

 

 たおやかな指が俺の首筋に触れ、その指の下で頚動脈がドクドクと脈打っているのを感じとった彼女は、嬉しそうにその美しい顔を綻ばせた。

 

 そして彼女は、まるで縋り付く様に俺に身を寄せてきた。

 

 温もりの無いその細い身体。

 

 近付いてくる美しい唇に目を奪われ、俺はいっそこのまま自分の首を差し出してしまいたいような衝動に駆られた。

 

 彼女に血を分け与え、そして俺もまた彼女を押し倒し、その白い首筋に齧り付き、彼女の血を貪り飲みたかった。

 

 彼女と共に、この暗闇の中で永遠の刻を――

 

 

 

 銃声。

 

 

 

 俺は、彼女の右胸に押し当てた黒鷹の引き金を引いていた。

 

 爆裂水銀弾に心臓を撃ち抜かれ、彼女は驚愕の表情を浮かべながら棺の中へ倒れこんでいく。

 

 白いドレスを血で紅く染めながらも、その傷口の向こう、吸血王直系の血筋である彼女の心臓はいまだ脈打ち続けていた。

 

 その心臓めがけ、俺は更に撃った。

 

 撃った。

 

 撃った。

 

 心臓を撃ちぬかれるたびに彼女の身体は棺の中で激しく震えた。

 

 その心臓は一発撃たれるたびにすかさず再生してしまうが、そのたびに体力を消耗するのか、彼女は棺の中で力なくもたれかかったまま、もう、何の抵抗も示さなくなっていた。

 

 俺はギターケースを床に落とし、その蓋を開けた。

 

 内側にあるギターを模した内蓋も開け、中に納められていた布にくるまれた棒状のものを、俺は取り出した。

 

 その布を剥ぎ取り、俺はその正体を顕わにした。

 

 蝙蝠のシンボルが刻まれた鞘に納められた長剣。

 

 一年前、吸血王に真の死を与えた、イザベラの長剣だった。

 

「……う……あぅ……」

 

「苦しませて、済まなかった」

 

 長剣の切っ先を彼女に向けた。

 

「助けられなくて、済まなかった」

 

 脈打つ心臓に、その切っ先が触れた。

 

「いくら謝っても、もう許されるはずもないことは判っている。だから――」

 

 腕に力を込め、俺は彼女の心臓を刺し貫いた。

 

「――だから、俺もすぐに、逝く」

 

 心臓が溶けるようにその形を失い、長剣の刃に触れた先から、彼女の身体は灰と化して崩壊を始めた。

 

 その全身から力が抜け、彼女はまるで糸の切れた人形のように手足を垂らしている。

 

 そして、その瞳からは徐々に赤い光が失われていき――

 

「――マリ…アッチ」

 

「っ!?」

 

 彼女が、俺を呼んでいた。

 

 青い目をした彼女が、はっきりと俺を見つめていた。

 

「…マリアッチ……ありがとう…」

 

「イザベラ!?」

 

「……あなたは、生きて…――」

 

 彼女は優しく微笑んでいた。

 

 彼女は最期に微かな声で俺に呟き、そして、

 

「イザベラ……なんでだよ……イザベラぁ…」

 

 そして、灰となり、塵へと帰した。

 

 大量の灰が棺から零れ落ちていき、後には、まるで十字架のように棺に突き立つ、彼女の長剣のみが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下から礼拝堂に上がったのは、もう夜明け近くのことだった。

 

 雪はもう止んでしまい、空は晴れ渡っているようだ。開け放たれたままの礼拝堂の扉から、白み始めた東の空が見える。

 

 そこに何の感慨も抱かなかった。

 

 礼拝堂に倒れる、二人のハンターの死体。太陽が昇る頃には、そこにもう一人加わることになる。

 

 俺は、腰のホルスターから黒鷹を引き抜いた。

 

 ハンターは常に、最後の一発を残しておく。

 

 自分自身の、最期の為に。

 

 俺は祭壇の近くに腰を降ろし、黒鷹を自分のコメカミに押し当て、その撃鉄を起こし、引き金に指をかけた。

 

「Amen」

 

 唱えたところで、神の御許なんて所に行けそうに無いのは自分が一番判っている。それでも呟いてしまったことに、自分自身に対して皮肉を感じていた。

 

 さぁ、いい加減に仕舞いにしよう。この愚かで莫迦げた茶番劇に幕を下ろすんだ。

 

 俺は引き金を引こうと指先に力を込めた。

 

 込めたのに、込めようとしているのに、引き金は頑として動こうとしなかった。

 

――マリアッチ…

 

 俺の耳に、イザベラの最期の言葉が蘇る。

 

――あなたは、生きて…

 

「何でだよ……イザベラぁ」

 

 俺はもう一度、引き金を引くために力を込めようとした。

 

 が、どれだけ念じても、俺の指先はそれを拒否し続ける。

 

 銃把を握る手が震える。

 

 人の命を奪うためには、あれだけ容易く軽く引いていた引き金が、いざ、自分の命を奪うにあたって限りなく重く感じられた。

 

――生きて…

 

 違う。

 

 違う。

 

 違う。

 

 イザベラがそんな事を言うはずが無い。

 

 身勝手に止めを刺しきれず、今更になってまた身勝手に現れて殺すような男を、イザベラが許してくれるはずが無い。

 

――生きて…

 

 あれは幻聴だったんだ。

 

 俺は死ぬのが怖いんだ。

 

 だから、イザベラの言葉を勝手に聞き違えて……

 

――生きて…

 

 俺は死ななくちゃならないんだ。

 

 生きるにはあまりにも罪を犯しすぎたんだ。

 

 だから……

 

 だから……

 

――生きて…

 

 何でだよ。

 

 何でだよ、イザベラぁ……

 

 気付けば、俺は泣き出していた。

 

 震える手で黒鷹をコメカミに押し付けたまま、涙と鼻水で顔をグシャグシャに濡らし、喉から嗚咽を漏らして泣いていた。

 

 イザベラの声はずっと俺の耳の奥で囁き続ける。

 

 涙で滲んだ視界に、イザベラの最期の微笑みが焼き付いていた。

 

 俺は泣き続けた。

 

 辛くて、

 

 苦しくて、

 

 情けなくて、

 

 腹立たしくて、

 

 悲しくて、

 

 哀しくて、

 

 子供のように泣きじゃくっていた。

 

 いつまで、そうしていただろうか。

 

 ふと、横合いから伸びてきた手が、俺の手から黒鷹をそっと掴んで、その銃口を俺の頭から逸らすと、一息に奪い去ってしまった。

 

「…あっ?」

 

 俺の横に、いつの間に戻ってきたものやら、婆さんがズタ袋を担いで立っていた。

 

「やれやれ、物騒な真似しよるわい」

 

 その手に掴まれた黒鷹は、婆さんの小さな手にはあまりにも不釣合いで、婆さん自身も、その大きさと重さを持て余している様だった。

 

「…返してくれ」

 

「いやじゃ」

 

 婆さんは、やっぱりにべも無かった。

 

「…返してくれ。俺は、俺は、死ななくちゃならないんだ」

 

「ふん、泣きべそかいて震えとった奴が何を言う」

 

「うっ……」

 

 その言葉に、俺はもう何も言い返せなかった。

 

 婆さんはそんな俺を見下すと、礼拝堂の中を見渡した。

 

「はぁ、それにしてもずいぶんと派手に殺ったもんじゃな。神父も、保安官も、……そして」

 

 婆さんの視線が、地下へと通じる階段に向けられた。

 

「聖女とやらも……か」

 

 そう言って、婆さんは俺の横に腰を下ろした。

 

「聖女を殺したことを、後悔しとるのか?」

 

「殺さなきゃ行けなくなったことを、後悔しているんだ。こうなってしまったのも全部、俺のせいだったんだ。だから、俺はケリを着けなくちゃならない。俺自身の命で、贖わなくちゃならない」

 

「だけど、死ねんかった訳じゃ」

 

 俺は黒鷹を取り戻そうと手を伸ばしたが、婆さんはそれを予期していたかのように立ち上がって俺から離れてしまった。

 

「頼む、返してくれ。俺はもう生きていたってどうしようもないんだ!」

 

「この莫迦もんが。ワシみたいなのを前にして、よくそんな事が言えたもんじゃ!」

 

 婆さんが吼え立つような声で叫んだ。

 

「ええか、ワシを前にしていい若いもんが人生を無駄に踏みにじるような発言をするのは許さんぞ。まだまだ余りある人生を棒に振ろうというのは、ワシに対する冒涜と一緒じゃ」

 

「そんな、何を言っているんだ。俺は、何人も殺しているんだぞ」

 

「そうじゃ。しかし自分の命は奪えん臆病者じゃ」

 

「違う、俺は――」

 

「――死ぬのが怖いんなら、生きればいいんじゃ」

 

「えっ?」

 

 婆さんのその意外な言葉に、俺の思考が一瞬停止した。

 

 死にたくないから、生きろ?

 

 そんな、身勝手なことが出来る…わけが…

 

「ワシはそうやって生きてきた。そして、これからもそうやって生きていくつもりじゃ。これから先も、とことん生きていくんじゃ」

 

 婆さんは胸を張ってそう言った。

 

 そうだ。

 

 この婆さんは身勝手な婆さんだった。

 

 どこまでも、とことん身勝手に生きていく。

 

 そして、俺も充分に身勝手に生きてきたじゃないか。そして、あの神父も。そして、あの保安官も。

 

 誰もみんな身勝手に生きていた。

 

「マリアッチ。生きるのに理由が必要と誰が決めた。どうせ放っておいても人間はみんな、勝手に老いぼれて、勝手に死んでいくんじゃ。この歳になればおぬしも判るじゃろうて。ほんと、あっという間じゃぞ、人生は。だから、ワシはもう一度青春を取り戻そうとして足掻いておる訳じゃが」

 

 婆さんはふぅっとため息を一つついて、ちょっとだけ笑った。

 

「まぁ、さすがに吸血鬼というのは勘弁じゃのう。あれの末路が生ける屍だと言う噂は聞いたことはあったんじゃが、本物にお目にかかったのは生まれて初めてで、気が付かんかったわい。……助けてくれて、礼を言うぞ。もっとも、おぬしもワシを囮として利用したんじゃし、利用した以上は救うのは当然の責任とも言えるがな」

 

 婆さんは手にしていた黒鷹を、ズタ袋の中に押し込んでしまった。

 

 そして代わりに小袋を取り出すと、その中身を確かめ、そして俺に向けて放り投げた。

 

 じゃらりと音を立てて、小袋が俺の足元に落ちる。

 

「六百ある。この拳銃はワシが買い取った。……では、さらばじゃマリアッチ。生きておれば、また何処かで逢うじゃろう。その時は、おぬしの歌を聞かせてもらおうかのう」

 

 婆さんはそう言ってズタ袋を担ぎ、俺に背を向けて、礼拝堂の外へ向けて歩き出していった。

 

 東の空には朝日が昇り、その日差しが扉から差し込んで、歩き去る婆さんの姿を照らし出している。

 

 俺は呆然とその姿を見送ると、足元の小袋を取り上げた。

 

 中には銀貨が五枚、入っていた。

 

「………」

 

 六百には、一枚足りない。

 

「おお、そうじゃ」

 

 不意に婆さんの声がした。

 

 礼拝堂の扉の脇から、ひょっこりと顔を出し、こちらを覗き込んでいる。

 

「銀のフォークの代金分は、差し引いておいたからの」

 

 そして婆さんは、まぶしい朝日の中へと消え去っていった。

 

「そうか……フォーク代か…」

 

 婆さんにとって黒鷹は、フォーク六本分の価値でしかなかったのか。

 

「………………ははっ」

 

 不意に、笑いがこみ上げてきた。

 

 理由は判らない。ただ、無性に可笑しくなった。

 

 俺は笑った。声を上げて笑い出した。

 

 散々泣きじゃくって涙の痕も乾かない頬に、再び涙が伝った。

 

 笑いながら涙が止まらなかった。

 

 泣きながら笑った。

 

 笑いながら泣いた。

 

 どれぐらい、そうしていただろうか。

 

 時間の感覚もおかしくなっていたみたいだった。

 

 心も、身体も、全部が空っぽになってしまいそうなぐらい、声を上げて笑い続けて、声を上げて泣き続けて。

 

 とことん笑って、とことん泣いて。

 

 やがて、喉が嗄れ、涙も涸れた頃。

 

 俺はようやく立ち上がることができた。

 

「……ありがとうよ、婆さん」

 

 愛すべき奇特な老婆に、感謝を。

 

 そして。

 

「ありがとう、イザベラ」

 

 生きろと言ってくれた、愛する女に感謝を。

 

 右手で銀貨の入った袋を持ち、左手には中身の無いギターケースを持ち、俺は礼拝堂を後にした。

 

 ただ、最後に一度だけ振り向く。

 

「愛しているぜ、いつまでも。………さよならだ」

 

 これで良かったのか、判らない。

 

 この先どうなるかも、判らない。

 

 ただ、とりあえずこれからどうするか。

 

「……ギターでも買うか」

 

 そう、俺はマリアッチ。

 

 俺はまた、荒野に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~完~

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