ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~   作:PlusⅨ

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3・月下のギター弾き

 空に星が瞬き、その頂点に月が冴え冴えと輝いて、その月光下、世界は銀世界と化していた。

 

 漆黒のシルエットでしかなかった魔界城はいまや白銀に輝く氷の城のようであり、その自らの居城を背景として、いま、魔界城の主が棺から立ち上がった。

 

 吸血王はしばし焦点の合わぬような虚ろな目をしながら周囲の景色を眺め渡し、次に夜空を見上げ、そこに月があるのを認めて、その秀麗な相貌に満足げな微笑を浮かべた。

 

 太陽が昼の支配者ならば、月は闇の伴侶だ。

 

 吸血王は両手を拡げ夜空を眺めながら、降り注ぐ月の光を存分に浴びているようだった。

 

 その姿はまるで夜の闇から月光によって浮かび上がった幻のような儚さを伴って、それを眺めている俺たちが、まるで自分たちが夢でも見ているんじゃないかと思わせるぐらい、どこか浮世離れした景色だった。

 

「あぁ」

 

 吸血王が吐息とも取れる声を発した。

 

「ここは、私の時間だ」

 

 そう呟いた瞬間、吸血王の姿は確固たる現実味を帯び始め、その急激に増していく存在感が周りを次々と圧倒していった。

 

 この雪山の気候とはまったく違う冷気が全身を駆け抜けていき、俺は思わず身震いした。

 

 吸血王の視線が、頭上の月から、ゆっくりと、俺たち三人に降りてくる。ルビーの輝きを伴った魔眼が、はっきりと俺たちを見据えた。

 

「ようこそ。と言うべきかな、ハンター諸君。いままで遥かな時間、幾多の場所で、数多のハンター達と、幾度もの戦いを繰り拡げてきたものだが、さすがに我が領土のここまで奥に踏み込んで来た者はこれまでいなかった。私の可愛いレンフィールドたち以外に我が城を見た生者は貴公らが初めてなのだよ。長い道のりをはるばるとご苦労だっただろうに、良くぞ参られたものだ。さぞかし長い道のりだっただろうに、まったく!」

 

 その赤い目がギラギラと輝きを強め、その口元から鋭利な犬歯が姿を覗かせていた。そして吸血王は叫ぶように、生々しい感情を込めて俺たちに言葉を投げつけた。

 

「まったく、見事だ。薄汚いハンターども。貴公らのために、私は実に百年ぶりの帰還を果たさざるを得なかったとは!」

 

 その憎悪と侮蔑を隠さぬ声は、俺たちの肉体に本能的な恐怖をかきたてるのに充分な威力を秘めていた。だが、吸血王の発したその言葉は、逆に俺たちに奇妙な効果を与えたようだった。

 

「そうだ、吸血王。百年ぶりの帰還だ」

 

 グレイヴの低く重々しい声が響いた。

 

「我々がここまで来るのに、百年かかったのだ。我々は貴様を、百年かけてここまで押し戻したのだ」

 

 俺たちは思い出す。自分たちがここに居る意味を。ここまで達するために払った代償の数々を。

 

 ここに来るまでに背負い続けてきた幾つもの想いを。

 

 吸血王を前にして、その存在感を目の当たりにして萎えかけそうになっていた闘志を、再び燃やしたてていく。

 

 俺は一つ深呼吸を行い、手にしていた黒鷹の回転弾倉を取り替えた。

 

 六発の爆裂水銀弾のぶんだけ重みを増した愛銃を握り締め、俺は吸血王の赤い視線に真っ向から立ち向かった。

 

「あんたと俺たち、お互い、長い長い因縁だ。ここらでそろそろ終いにしようぜ」

 

 俺は右手に黒鷹、ギターケースを背に負い、左手でもう一丁の拳銃を抜き放った。

 

 黒鷹の対となる存在・赤鷹。

 

「あんたはもう、充分に生きた。充分に人生を楽しんだ。だから、後は充分に死ぬだけだ」

 

「マリアッチの若造が、よくぞ吼えた!」

 

 殺気が、あまりにも激しすぎる殺気が、吸血王から発せられた。

 

 俺たちの背後で、乗り捨てた二頭の馬が恐怖に怯えたように高く嘶いたかと思うと、重たい音を立てて倒れた。

 

「マリアッチ。グレイヴキーパー。貴様らハンターはまったく救いようが無い存在だ。脆弱な肉体しか持たぬくせに、その限りある短い寿命をさらに縮めることを覚悟で私に挑みかかってきた。私がこれまで、いったいどれだけのハンターを返り討ちにしてきたと思う。数などもはや忘れた。しかし、お前たちは執念深く私の前に立ちはだかり続ける。一人を退治したところで、その仲間が現れる。そいつらを潰したところで、今度はその息子たちときたものだ。何年も何十年も何百年も、貴様らは忘れるということを知らない。殺しても潰しても退治しても、貴様らは必ず現れる。まさに貴様らこそ不死だ。我が宿敵にふさわしい。今となってはもはや、敬意すら抱く」

 

 敬意を抱く。そういった割に、吸血王の瞳は憎悪によって激しく輝いていた。

 

「だが敬意を抱くに値したのも、貴様らの前の世代までだ。貴様らは宿敵だった。私の永遠の人生の、永遠の退屈しのぎの相手であったのだ。私が狩人で、貴様らはその獲物であらねばならなかったのだ。私と貴様らの間には種族の違いという、超えがたき一線が引かれ、それは決して超えてはならないものなのだ。だが、しかしだ、貴様らは、お前たちは、その一線を越えようとしている。身の程もわきまえずに、上位種である私に、本気で牙を向いたのだ。お前たちにそうさせた者、その力を与えた者、そう、イザベラ、お前だ」

 

 吸血王がイザベラに向かって、その白く細い指の、赤く鋭い爪を突きつけた。

 

「イザベラ。私の可愛いレンフィールド。愛しい下僕よ。何故だ。何故、お前は私を裏切った!?」

 

 俺たち三人のうち、イザベラはもっとも吸血王に近い場所に立っていた。

 

 俺の視界に彼女の背中が見えるが、しかし彼女は、吸血王に指を突きつけられ言葉を投げかけられて尚、その肩を震わせもせずに堂々と言い返した。

 

「私はもう、あなたの人形ではないわ」

 

 イザベラがはっきりと吸血王に対し決別の言葉を伝えたとき、吸血王は表情を変えた。

 

 憎悪と侮蔑の色をたたえながらそれでもどこか現実離れした美しさを持っていたその化け物が、初めて人間らしい表情を見せたのだ。

 

 それは困惑と哀願。

 

「イザベラっ、私は……私は、お前を――」

 

「マリアッチ!」

 

 吸血王の言葉を遮るように、彼女は俺を呼んだ。

 

「マリアッチ。いつまでこの男に好き放題、語らせておくつもりなの。あなたは私を、この男から解放すると約束してくれたのではなかったの!?」

 

「あぁ、そうだ。その通りだ」

 

 俺は答えた。

 

「お前との約束は、必ず果たして見せるさっ」

 

 俺は駆け出し、イザベラと吸血王との間に割り込み、黒鷹と赤鷹の銃口を吸血王に向けた。

 

 吸血王が吼えた。

 

「マリアッチがッ!。いいや、お前をもはやかつての宿敵と同じ名で呼ぶことも汚らわしい。このギター弾きの若造めが!!」

 

「吼えるな吸血王。いいや、お前こそ王でもなんでも無え。女に振られた腹いせに逆上する、ただの哀れな吸血鬼だ」

 

 俺は吸血王に向かって引き金を引いた。黒鷹と赤鷹が同時に火を吹き、その銃声が戦いの幕開けを告げた。

 

 吸血王は銃弾を避けようとマントを翻して身をよじったが、二発の爆裂水銀弾の一発は、吸血王のその左腕を肩の付け根から木っ端微塵に撃ち砕いてみせた。

 

「そのような玩具に頼る腑抜けが、私を殺せると本気で思っているのか!」

 

 左腕を失いながらも、吸血王の態度は微塵にも揺らぎを見せなかった。

 

 立て続けにグレイヴがウィンチェスターを放つ。その銃弾はまっすぐに吸血王の額を撃ち抜くかと思われたが、奴は“左腕”を振りかざして、その銃弾を受け止めて見せた。

 

 肩から撃ち砕いたはずの左腕は、傷口から滴るどす黒い血流によって宙へと持ち上げられ、銃弾を防ぐための盾となっていた。

 

「言ったはずだ。今は私の時間だ、と」

 

 イザベラが短く息を吐いて、長剣を振るい上げながら吸血王に駆け向かっていく。

 

「イザベラ……」

 

 吸血王は彼女の名を呟き、残った右手を掲げ上げた。

 

「下がれ」

 

 振り下ろした右腕とともに、吸血王の背後にそびえる魔界城の開いた城門の奥から、恐ろしい唸り声とともに黒々とした影が躍り出てきた。

 

 その影は巨大なアゴを開き、真っ赤な口腔内とずらりと並ぶ牙を煌めかせ、まっすぐにイザベラに襲い掛かっていく。

 

「魔狼、ヴァスカヴィル!?」

 

 漆黒の狼の牙に、イザベラは後退を余儀なくされた。魔狼に追い立てられ、彼女は吸血王はおろか、俺たちとすら引き離されてしまう。

 

「おのれ、吸血王!」

 

 グレイヴがウィンチェスターを連射し、盾となっていた吸血王の左腕を粉々に撃ち砕いていく。

 

「グレイヴキーパー。墓守人よ。お前も下がれ」

 

 滴る黒い血流は拡散し、黒い霧に姿を変えた。その血霧のなか、砕かれた肉片の一つ一つが蝙蝠へと姿を変えていく。

 

 現れたのは大量の蝙蝠たち。

 

 蝙蝠の群れは霧とともにグレイヴの周囲を取り巻き、彼の行動の自由を奪い取ってしまった。

 

「残るは、若造。お前だけだ」

 

「さぁ、俺にはどんな手品を見せてくれるつもりだ?」

 

「何も。何も無い」

 

 吸血王の右腕の拳が、硬く握り締められた。

 

「お前は、お前だけは、私が直々に殴り倒そうと思う。そうしなければ気がすまないのだ」

 

「上等ッ!」

 

 吸血王が拳を背後に引き絞りながら、猛然と向かってきた。

 

 俺は躊躇無く引き金を引く。

 

 奴が一歩踏み出すまでに四発の銃弾をその胴体へと叩き込んだが、銃弾が奴の体内で爆発し、その半身を粉々に吹き飛ばしても吸血王の拳は止まらなかった。

 

 奴の拳が襲い掛かってくる寸前、俺はとっさに身をよじり、背中を向けた。

 

 背に負う鉄板を仕込んだギターケースがその硬い拳を受け止める。

 

「うぐっ!?」

 

 俺は吸血王の怪力を背中全体で受け止める羽目になった。

 

 ギターケースを押しやる激しい圧力に、俺はつんのめり、そのまま倒れそうになったが必死で踏ん張る。

 

 次の瞬間、ほとんど本能的なものを感じて、俺は後ろを振り返りもせずに、肩越しに赤鷹を撃った。俺のすぐ背後で、吸血王が追撃に繰り出した二度目の拳が粉々に撃ち砕かれた。

 

 俺はすぐに、地面を転がるようにしてその場から離れ、吸血王に向き直った。

 

 そこに左半身を撃ち砕かれ、さらに右手も失った王の姿があったが、その表情を歪ませているのが苦痛ではないことぐらいは察することはできた。

 

 果たして、吸血王の身体の傷口の周りには、血流が霧となって渦を巻き、その下では再び身体が構築されようとしている。

 

「逃げるな、若造」

 

 吸血王が霧をまといながら俺に歩み寄ってくる。

 

「お前の祖父は、最期まで私に背を向けるなどという真似はしなかったぞ」

 

「莫迦な祖父さんだ。おかげでお前に傷一つ負わせられずに死んじまった」

 

 吸血王が再び右腕を振り上げた。黒鷹が火を吹き、その拳を撃ち砕く。

 

 だが撃ち砕いた拳は霧の塊となって、すぐに再生されてしまう。

 

「何度やっても同じだ。玩具で私を傷つけることは――」

 

 俺は吸血王の脚に三発の銃弾を素早く撃ち込んだ。

 

 両脚は太ももから破壊され、奴は霧を纏い付かせながらその場に崩れ落ちた。だがそれも僅かなこと、すぐに足は元通りになり、吸血王は立ち上がった。

 

「――何を企んでいる?」

 

 王が再び歩み寄ってくる。

 

「何も、何も無い」

 

 俺はそう答えて、二丁拳銃の銃口を吸血王に向けた。

 

 弾倉は、奴が崩れ落ちた一瞬のうちに交換してある。右手の黒鷹に六発、左手の赤鷹にも六発、しめて十二発の爆裂水銀弾。

 

「撃ち砕いても再生するのなら、また撃ち砕けばいい。単純な話だ。それだけだ」

 

「愚か者だな」

 

 吸血王が拳を振り上げるのと、俺が右手の黒鷹を頭上に放り投げたのはほぼ同時だった。

 

「何?」

 

 と、吸血王が疑念を抱くよりも早く、俺の右手は、左手の赤鷹の撃鉄をすばやく叩いていていた。

 

 早撃ちコンマ二秒。

 

 一秒弱で赤鷹は六発すべての銃弾を撃ちつくし、吸血王の腹部に巨大な穴を開け、上半身と下半身を切り放した。

 

 俺は目の前に落ちてきた黒鷹を右手で掴み取り、赤鷹を手放した左手で撃鉄を叩く。下半身を失った上半身が大地に落下するより早く、四発の弾丸がその胸を穿つ。

 

 吸血王は胴体部をただの霧と化して、大地に転がり落ちた。

 

 まともな形を残しているのは頭部のみで、首から下は黒い霧と化し、しかしその霧の中、ドクンドクンと脈打ち続ける心臓があった。

 

 俺はその心臓めがけ、さらに一発を撃ち込んだ。

 

 しかし、弾丸は心臓に穴を開けて潜り込んだものの、爆発はせずにそのまま飲み込まれてしまったかのようだった。

 

 穴はあっという間に塞がり、心臓は変わらず脈打ち続けていた。

 

 首だけとなった吸血王が、呵呵と笑い声を上げた。

 

「これは懐かしい。お前の父と戦ったときそのままだ」

 

「ああ、そうだ。その通りだ。ここまでは親父もやった」

 

 銀の弾丸を持ってその不死の身体を撃ち砕き、心臓すら露出させ、そこに弾丸を撃ち込んだ。

 

「しかし、それでもお前は死なない。死ななかった。いや、きっと昼間であれば、お前の再生能力にも限界があったはずだ。だが、夜のお前はまさしく不死身だ。いったいどうすればお前を殺せる? どうすればその心臓をとめることが出来る? 俺は、考えた」

 

 俺は背負ったギターケースを足元に落とした。その衝撃でギターケースは口を開き、内部に納めていたそれをさらけ出して見せた。

 

 ギターケースにすっぽり収まっていたそれは、木製の十字架。

 

「銀の弾丸だろうと殺せないなら、もっと別のものが必要だ。お前の肉体だけでなく、その精神まで穿ち抜く様な、そんないわくつきの代物が必要だと、俺は考えた」

 

 俺の目の前で、吸血王の身体が再構築されていく。心臓の周囲の霧が再び骨と肉になっていく。

 

 俺はギターケースから十字架を掴み上げた。その先端は杭のように削り尖らせてある。その十字架を前にしたとき、吸血王が焦りの声を上げた。

 

「それは、まさか!?」

 

「聖都中央教会の大礼拝堂に奉られていた聖遺物の一つ。ゴルダゴの丘で救世主を磔にした杭の一部を削って造り上げたとされる十字架だ。わざわざ、お前のために危険を冒して無断拝借してきた代物だ。ありがたくその心臓に突き立てやがれぇっ!!」

 

 俺が十字架を振りかぶったとき、吸血王はその咽喉から野獣のような咆哮を上げた。そのあまりの凄まじさに俺は思わず後ずさってしまう。

 

 吸血王の身体のすべてが、奴の首と心臓を残して、霧となって蝙蝠となって、俺に向かって一挙に襲いかかってきたのだ。

 

「うっ!?」

 

 俺の視界すべてを霧と蝙蝠に塞がれてしまった。これでは吸血王に十字架を突き立てるどころか、奴に再び近づくことすら出来そうにない。

 

 鼻と喉の奥に、鉄錆のような強い刺激を感じ、思わず口元を手で覆い隠したが、すでに遅かった。

 

 奴の血霧を吸ってしまったのだ。

 

 吸血鬼の血には精神に干渉する恐ろしい力がある。一瞬、目眩のようなものを感じ、たたらを踏んでしまった。

 

 さらに野獣の吼え声があたりに響き渡り、なにやら巨大な影が俺に向かって走りこんできた。

 

「マリアッチ、よけて!」

 

「っ!?」

 

 イザベラの声に、俺は反射的に横へ跳んでいた。

 

 地面に転がった俺の脇を、真っ黒な巨躯が真っ赤な口を開きながら駆け抜けていく。

 

 魔狼・ヴァスカヴィル。

 

 数匹の蝙蝠が、その牙に巻き込まれ噛み砕かれた。

 

 魔狼は首をめぐらせて俺をしっかと見据えると、その耳まで裂けた巨大な口をさらに両端まで吊り上げ、そして咽喉の奥からまるで絞り出すかのように、ゲッゲッという不気味な鳴き声を上げた。

 

 それは、笑っていた。狼の嘲笑は、いままでに見たことの無い醜悪な笑顔だった。

 

 ヴァスカヴィルが太い前足を振り上げ襲い掛かってきたのと、イザベラが長剣を振るいながら俺の元に駆け込んできたのは、ほぼ同時だった。

 

「ヴァスカヴィルは私が抑えるわ。マリアッチ、あなたは王を!」

 

 イザベラの長剣と狼の爪と牙とが、激しくぶつかり火花を上げた。

 

 横に振るわれたイザベラの長剣を、ヴァスカヴィルの強力なアゴがガップリと銜え込んでしまう。そのまま彼女から長剣をもぎ取ろうと、首を右に左へと振り回し始めた。

 

「くっ」

 

 長剣を離すまいと力をこめるイザベラ。

 

「その牙と私の剣、どちらの斬れ味が鋭いか、勝負!」

 

 ヴァスカヴィルが力いっぱい首を振り上げたのと同時に、イザベラも力いっぱい長剣を引いた。

 

 その口元の、その居並ぶ牙の間を、咥えられていた長剣の刃が火花を上げながら滑り出し、引き抜かれた。

 

 長剣とともに、何本もの牙がこぼれ出し、ヴァスカヴィルは口元を己自身の血で染め上げながら、苦痛に満ちた絶叫を上げた。

 

 夜空と山々の端々にまで響き渡る大絶叫。

 

 その上下に大きく開かれた血染めのアゴをめがけて、イザベラが長剣を横なぎに払いぬいた。

 

 ヴァスカヴィルの上アゴと頭部が鮮血を吹き上げながら宙を舞い、絶叫はやんだ。

 

 俺はまだ少し目眩のする頭を振って意識をはっきりさせると、十字架を手に、ヴァスカヴィルの脇を通り抜け、吸血王の元へ走る。

 

 しかし、幾百もの蝙蝠の群れが、それをさせじと、俺に群がり襲い掛かってくる。手にした十字架で払っても払っても、キリが無い。

 

 だったら、最後の手段だ。

 

 俺は懐を探り、白い砂をいっぱいに詰め込んだ一本の小瓶を取り出し、声の限りに叫んだ。

 

「グレイヴ、俺の場所が判るか!?」

 

「蝙蝠と霧はすべてお前を取り囲んでいる。その中心に居るのだな」

 

「銀火炎瓶を使う。撃ってくれ!」

 

「任せろ」

 

 グレイヴの声を聞き、俺は小瓶を頭上に投げ上げた。そして近くにまだ居るはずのイザベラに向かって叫ぶ。

 

「伏せろ!」

 

 彼女が地面に伏せる気配がする。

 

 同時にウィンチェスターの銃声。

 

 俺の頭上で真っ赤な炎が拡がり、それは瞬く間にあたりの霧を、蝙蝠を、俺の視界を、埋め尽くした。

 

 火薬と、水銀と、特殊な薬品を混ぜ合わせた対吸血鬼用の特製火炎瓶だ。

 

 肌を焦がす熱波を無視し、燃え落ちていく蝙蝠の残骸を振り払い、俺は炎の壁を走りぬけ、飛び出した。

 

 視界が開け、そこに吸血王が居た。

 

 首と心臓のみを残し、後のすべてを蝙蝠と霧と化していた吸血王。

 

 燃え残った霧と蝙蝠が急いでその身体を再構築しようと集まってくるより早く、俺は奴の心臓に十字架を突き立てた。

 

 鋭く尖った先端の下、心臓はまるで張り詰めた風船のように音を立てて弾け飛び、そこから信じられないくらい大量の血液がどっと溢れ出してきた。

 

 それは今まで吸血王が見せてきた、まるで手足のように蠢く血流のそれではなく、器からこぼれおちた水のように、ただただ、あたり一面に広がっていく。

 

 同時に、残された吸血王の首から、徐々にその表情が失われつつあった。

 

「やった…か?」

 

 俺は呟いていた。たぶん、目の前の状況が自分でも信じられなかった。

 

 吸血王の眼が、その、すでに虚ろを宿し始めていたその紅い瞳が、はっきりと俺を見据えた。

 

「まさか……ここまで、とは…な」

 

 吸血王の口から弱弱しく声が漏れ出した。

 

「百年か……百年。………ハ、ハ、ハ、これではとんだ道化芝居だ」

 

「あぁ、そうさ」

 

 ふと、俺の胸になんとも言いようのない感情がこみ上げてきた。

 

「俺たちは道化だ。これは長すぎた茶番劇だよ。そろそろ幕を引くべきだ」

 

「幕引きか。確かに……私は心のどこかで、……それをずっと……」

 

 吸血王の瞳は閉じられ、その口元にうっすらと笑みが浮かんでいるようだった。

 

「……Amen…これで」

 

 終わった。

 

 ついに終わった。

 

 そう思った。

 

 しかし。

 

「フ…フ…フ…フ…フ…」

 

 始め静かに、だがやがてハッキリと、吸血王が笑い声を上げた。

 

「幕引きか。そうだ、それでも良かった。不死を得て幾百年。長すぎる生に厭き、しかし死ぬことも狂うことも出来ずに過ごしてきた私の人生において、お前たちハンターの存在は私の一種の慰みだった。百年前なら、マリアッチに殺されてやっても良かった。お前の祖父になら、お前の父になら、心臓を貫かれたまま死んでやっても良かったのだ。だが、……お前では駄目だ。いや、ほんの十年前までなら、お前たちが、お前が、まだ私の宿敵であったころなら!」

 

 あまりにも信じられないことが起き始めていた。

 

 辺りに拡がった血が、灰となった蝙蝠が、雨散霧消した霧が、恐ろしい勢いで吸血王の身体を再構築し始めた。

 

 それは、まったく、信じがたい、信じたくない光景だった。

 

「そ、そんな、莫迦な。本当に、本当にお前は死なないのか!? どうあっても、お前を殺せないのか!?」

 

「そうだ。どうあっても、私は死なない。死ぬわけにはいかないのだ。お前にだけは殺されるわけにはいかないのだ。私は、生きていたいのだ。……イザベラ!」

 

 吸血王はすでに俺を見ていなかった。

 

 その眼は、ただ真っ直ぐにイザベラの姿を捉えていた。

 

「十年、ほんの十年。ただそれだけの時間なのに、お前と過ごした日々は私にとってかけがえの無いものだった。私に生きる喜びを与えてくれたのだ。……しかし、お前は去った。私を捨てた!」

 

 吸血王が立ち上がった。

 

 その身体はもうすでに完全に再生し、長身が俺の視界を埋め尽くしていた。

 

「若造、マリアッチの息子、私からイザベラを奪った憎き男。お前にだけは決して負けたくは無かった。殺されたくは無かった。しかしもう、さすがに限界のようだ。……だが、ただでは死なぬ」

 

 吸血王の右手が唸りをあげた次の瞬間、その硬く握られた拳が俺の横面を殴り飛ばした。

 

「がっ……!?」

 

 一瞬、視界が真っ暗になった。

 

 意識を失っていたのは一秒にも満たないだろうが、気がついたとき俺はすでに大地に四つん這いに臥していた。ぐらぐらと揺れる視界の中、立ち上がることも出来ない。

 

「……私自身の手で殴り倒す。そう言った筈だ」

 

 だったら、これで気が済んだだろう。なんて軽口を返す余裕はもはや無い。

 

 吸血王の両手が俺の肩を掴み上げた。

 

 俺は動けなかった。

 

 殴られたダメージもさることながら、目の前に聳え立つ怪物の、そのあまりに生々しい人間らしさの迫力に圧倒されていたといっても良かった。

 

「マリアッチ、マリアッチ!?」

 

 俺を呼ぶイザベラの声が聞こえるが、それでも俺の身体は金縛りにあったかのようにビクともしなかった。

 

「このまま殴り殺してやろうかと思ったが、それでは、駄目だ。私の受けた苦しみを返すには死すら生温い。だから、お前には死よりも深い苦しみを味わわせてやる。私の過ごした幾百年という苦しみと同じ苦しみを与えてやる。永劫の時間に囚われるが良い」

 

 言うや否や、吸血王のアゴがまるで蛇が獲物を飲み込むように大きく開かれた。その口の中で鋭い犬歯が、さらに長く伸びていく。

 

 奴が何をしようとしているかぐらい、考えるまでも無く知れた。

 

 奴は俺の血を吸う気だ。

 

 そして、俺はすでに、奴の血を飲んでしまっている。霧となった血を吸い込んでしまっている。

 

 その結果、どうなるか。

 

「イ、イヤだ!?」

 

 恐怖に背筋が凍りつき、身体が震えた。

 

 いやだ、それだけは絶対にいやだ。

 

 吸血鬼になんかなりたく無いっ!

 

 恐怖が俺に底力を出させたようだ。俺は絶叫を上げながら必死に身をよじって吸血王の手から逃れようとした。

 

 それでも吸血王の腕の力は強く、俺をしっかとつかんだまま、その牙がどんどん迫ってくる。

 

 そのとき、吸血王に何かがぶつかり、それでわずかに俺への拘束が緩んだので、俺はその瞬間に奴の身体を突き飛ばした。

 

 そして、再度捕まえようと伸ばしてきた吸血王の手から必死に逃げるべく、転がるように背を向けて駆け出していた。

 

 俺は、後にこの瞬間を悔やむことになる。いや。後悔は、俺が再び吸血王を振り返った瞬間から始まっていた。

 

 吸血王が俺の身代わりにその腕に捕らえた者の首筋に、牙を突き立てていた。

 

 吸血王はその口腔に広がった血の味に酔いしれているようだったが、すぐに己が抱き血を吸った者が誰かを知って、慌ててその牙を引き抜いた。

 

「あ…あぁ…!?」

 

 そのときに漏れ出した悲痛な声は、吸血王のものか、それとも、俺自身の声だったのか。

 

 ただ、そのとき俺と吸血王は同じ後悔に身を震わせていたのは確かだった。

 

「イザベラ!?」

 

 俺を吸血王から救い出し、その牙の元へ身代わりとなったのは、イザベラだった。

 

 彼女は吸血王の腕の中、首筋から多量の血を流し、青ざめた顔色でぐったりと王の胸に身をもたれさせていた。

 

 吸血王はすぐにイザベラの顔を両の手で包み込み、その顔を覗き込んだ。

 

「イザベラっ、馬鹿なっ、あってはならぬっ。お前まで吸血鬼になるなど、あってはならんのだっ!?」

 

 吸血王の血染めの口元がわなないていた。

 

 と、イザベラの片手が差し伸べられ、吸血王の頬を撫でた。

 

「王よ、……吸血王、私の主」

 

「イザベラっ!?」

 

 彼女は、王に微笑みかけていた。

 

 吸血王はその微笑を見て、安堵の表情を見せたが、しかし次の瞬間、それは驚愕に取って代わっていた。

 

「っ!?」

 

 吸血王の背から、長剣の刃が突き出されていた。

 

 イザベラの片手が、その掴んだ長剣の柄をひねり上げ、さらに深々と吸血王の胸元へと押し込んでいく。

 

「イザベラ……」

 

 吸血王の赤い瞳から、血の涙が溢れ出していた。

 

「王よ、……あなたは私の育ての親だった。……あなたは私の全てだった。……さようなら」

 

 イザベラも、泣いていた。

 

 彼女は泣きながら、突き立てた長剣を力の限りに横へ振りぬいた。

 

 吸血王はがっくりと膝を突いた。それはまるでイザベラを前に跪いているようにも見えた。彼はほんのわずかに目前に立つイザベラを見上げたかと思うと、やがて許しを請うかのように頭を垂れた。

 

 そして、吸血王の身体は崩壊を始めた。

 

 これまでのように霧になるのではなく、まるで砂で造られた彫刻が崩れるように、ぼろぼろと灰となって、崩れ落ちていった。

 

 ここに、吸血王は真の死を迎えたのだった。

 

 

 

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