ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~ 作:PlusⅨ
いまにも降ってきそうな満天の星空の下、銀世界の山々を冷たい風が吹き抜けていき、積もった薄雪が風に乗ってチラチラと舞い飛んでいく。
かつて吸血王だった大量の灰もまた、その虚空へと消えていった。
冷たい石畳の上に身を横たえたまま、イザベラは黙ってその風の行く先を見つめていた。
俺は、彼女のその横顔をただ見つめていた。
静寂が世界を支配していた。
誰も、一言も発しようとしなかった。それはまるで時が止まったようであり、そのとき俺は、心の底から、本当に時が止まってしまえばいいと願っていた。
俺の願いを打ち破るように、静寂は破られた。
破ったのは、グレイヴだった。
グレイヴは手にしたウィンチェスターのレバーを引き起こし、その薬室に銃弾を送り込み、撃鉄を下ろし、そして、ゆっくりと、横たわるイザベラのそばへと歩み寄っていく。
俺はグレイヴの前に立ちはだかった。
「待ってくれ」
「マリアッチ、これ以上は待てない」
「だが…だが、しかし……」
俺は必死に懇願していた。
唇は震え、声がかつえた。
俺は、惨めだった。
「お願いだ。まだ、まだ他に方法があるはずなんだ……」
俺は頭を抱えて蹲った。
そして必死に、必死になって考えていた。
だが、すでに夜通し考え続けて答えが出なかったのに、いまさら考え続けたところで何になるのだろう。答えが出るはずも無いのに、それでも俺は考え続けた。その無意味な思考を繰り返し続けた。
なぜなら、認めたくなかったからだ。出来るはずもなかったからだ。
彼女を、イザベラを、この手で殺さなければならないなんて。
イザベラは、ゆっくりと変貌しつつあった。
彼女は吸血王に大量の血を奪われたことで貧血を起こしていたが、吸血王の牙にさらされた首の傷はすでに塞がり、その青ざめていた表情にももう血色が戻りつつあった。
だが同時に、この凍て付くような寒さにも関わらず、彼女の口元から漏れ出るはずの白い吐息が、目に見えて少なくなっていた。
ふと、イザベラが呟くように言った。
「もうじき夜が明けるわ」
その言葉に、俺は肩を震わせた。
今までずっと風の行く先を眺めていたイザベラが、俺に振り向いた。
俺を見つめる彼女のブルーの瞳が、今はルビーのように輝いていた。
「恐らく、夜明けを迎える前に私は転生を果たしてしまうわ。だから、せめて……」
彼女はそう言って、俺に微笑みかけた。
そのときの笑みをどう表現したらいいか。とにかく、俺は胸を引き裂かれそうだった。
「無理だ」
子供が駄々をこねるように、俺は言った。
どうして? と、彼女がすがるような目つきで俺を見た。
「お願いよ、マリアッチ。あなたの銃にはまだ銀の弾丸が残っているはずよ。だって、ハンターは常に最後の一発は自分用に残しておくはずだから。自分が吸血鬼になったとき、自らその命を絶つために残しておくはずだから。……ごめんね。もしあの時、私がすぐに自分の剣で咽喉を掻き切っていれば、あなたたちにこんな思いをさせなくて済んだのに、あの時、本当なら、それぐらいの力は残されていたはずなのに、私は―――」
「やめてくれ!」
俺は叫んだ。
「俺は、俺は生きて欲しかったんだ。だって、お前を助けると言ったじゃないか。お前と一緒に生きて行きたいって言ったじゃないか。お前が何者であろうとも、俺はそばにいると言ったじゃないか!」
「でもね」
イザベラの瞳から涙が零れ落ちた。
赤い、血の涙が。
「でもね、あなたはこうも言ってくれた。いつか私が吸血鬼に成り果てるときが来たら、そのときは、あなたの手で終わらせてくれる。と」
「まだ、お前はまだ、人間なんだ」
「そうよ、だから……だから、まだ、人間である間に。……お願いよ、マリアッチ」
「俺は……俺は……畜生。畜…生」
俺は俯いた。
歯を食いしばった。
俺の右手には、黒鷹が握り締められていた。
グレイヴが、じっと俺を見つめていた。彼は本来、静かな男だった。沈黙を美徳とする男だった。
その彼が、俺に声をかけた。
「………出来ぬなら、俺が撃つ」
グレイヴの声が、震えているのがわかった。
「グレイヴ……」
鍔広の帽子の下、その彫刻のように静かな無表情のなか、彼の瞳に感情の色が宿っていた。
その色から読み取ったのは、迷いと、そして激しい後悔。
あぁ、そうなのだ。グレイヴもまた、俺と同じように一晩中、考え抜いていたのだ。同じ思いでいたのだ。
「……いや、俺にやらせてくれ」
グレイヴは無言で頷き、ウィンチェスターをおろした。
俺は黒鷹を手に、イザベラのそばに跪いた。
「許してくれ……」
「……謝らないで」
微笑む彼女を、俺は胸に抱きしめた。
イザベラは瞳を閉じ、俺に体重を預ける。俺は黒鷹の銃口を、彼女の左胸の下に押し当てた。
「……ありがとう、マリアッチ」
「そんな言葉は聞きたくない。………イザベラ」
俺は撃鉄を起こし、そして、引き金にかけた指に力をこめた。
銃声が暁の空に響き渡った……
……………
…………
………
……
…
いつの間にか、共同墓地はすっかり夜の暗闇に覆われてしまっていた。
グレイヴの手にしたカンテラのオレンジの光の中を、雨が細い糸となって煌めきながら降り注いでいく。
空は雨雲に覆われたまま星も見えず、ただ、俺と、グレイヴと、そして目前の墓石だけが、暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がっているみたいだった。
今から一年前のあの日、吸血王が滅んだ夜。イザベラは、夜明けを迎えても、灰にはならなかった。恐らく、転生が途中で中断されたためだろう。
彼女は、望みどおり人間のまま死を迎えた。
俺たちは三人一緒に帰ってきた。そして、イザベラをこの墓地に埋葬した。
「我々の……」
墓石を見つめたまま、グレイヴが口を開いた。
「我々の、ハンターとしての宿命は、あの時で終わったと思っていたのだがな」
「………」
傍らのグレイヴはいつもの通り、何の感情も浮かべずに、ただ一種の哀愁のみが漂っていた。彼は言った。
「あれから一月後のことだったな。気がついたときにはもう、この墓は空だった。棺は内側から破壊され、後に残されたのは、空っぽの墓穴だけだった」
誰かが墓を暴いた。
などとは、俺たち二人は思わなかった。
内側から暴かれた墓。その意味するところを、俺たちは判りすぎるくらい、判っていた。
「マリアッチ。お前はあの時、たしかに彼女の左胸を撃った。だが、本当は知っていたのではないのか?」
「………」
グレイヴが何を言わんとしているのか、それは判っている、判っているから、俺は沈黙で答えていた。
イザベラの心臓は、右側にあった。
「彼女はいまだ、この世のどこかを彷徨い続けているのだろう」
グレイヴの口調は、何も変わらず、非難しようともせず、ただ、その視線がわずかに動き、俺の腰のホルスターに納まった拳銃を認めた。
「黒鷹、か。とうに捨てたと思っていた」
「………旅の途中で、ひとつ、気になる噂を聞いたのさ。北のはずれの教会に、奇跡を起こす女が現れたそうだ」
俺の言葉に、グレイヴの目がスゥと細められた。
「女、か」
「ああ、その女にかかれば、怪我を負うた者は傷口が塞がり、難病に冒された者も、たちどころに回復するそうだ。人々は女を聖女として崇めていると聞く」
「聖女。……しかし、マリアッチ。医術の心得がある者ならば、それぐらい容易い。その様な者が、まだ祈りと呪術に頼る田舎の地方で聖人と崇められる事は、よくあることだ」
「だが、どれだけ医術に長けたところで、若返らせることは不可能だろう。………その聖女の奇跡は、年老いた者に若さをも与えるそうだ。なにより、その教会を訪れ奇跡を受けた者は、誰一人として昼にその姿を見たものは居ないそうだ」
「………」
今度は、グレイヴが沈黙する番だった。
沈黙したまま、俺の黒鷹と、その反対側のホルスターに納まった赤鷹、そしてギターケースを眺めていた。
「すまん、マリアッチ」
ややあって、グレイヴが口を開いた。
「共に行くことは出来ない。俺には、もう………」
「ああ、判っているさ。これは俺が始末をつけるべき事だ。あの時、トドメを刺しきれなかった、俺の責任だ。ただ、あんたにだけは伝えておきたかった」
「……そうか」
俺たちは互いに目をそらし、その視線は再び墓石に向けられた。
誰も埋葬されていない墓。
墓というものが命の抜け殻を収める場所というのなら、今のこれは死の抜け殻というべきだろう。
だから俺は、その死を取り戻さなくてはならない。
「マリアッチ。持って行くのだろう、あれを」
グレイヴの言葉に、俺は頷く。
グレイヴはしばし墓の前から離れ、何処からか二つのシャベルを持ってきた。
カンテラを墓のそばに置き、俺たちは二人で、しばらくの間、無言で墓石の前の地面の土を掻き続けた。
十分もしないうちに、さして地面の深くも無い場所から、布にくるまれた棒状のものが掘り出された。
俺はギターケースの蓋を開け、その棒状の品を納めて蓋を閉めた。
そして、
「こいつも、持っていくが良い」
グレイヴはそう言って、おそらくシャベルと一緒に持ってきていたのだろう、一本のギターを、俺に手渡した。
「随分と前から預かったままのものだ。いい加減、お前に返そうと思う」
受け取ったギターには、妙な重みがあった。そのギターは肩紐を取り付け背に負う。
「ありがとうよ、……戦友」
友人と言うほど親しい付き合いじゃないが、知り合いで済ますほど浅くない関係の男。
グレイヴキーパー。
彼との関係を言葉で表すなら、そう、戦友だ。
「さらばだ、マリアッチ」
グレイヴの声を背中で聞きながら、俺は共同墓地を後にした。