ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~   作:PlusⅨ

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4・暁のギター弾き

 いまにも降ってきそうな満天の星空の下、銀世界の山々を冷たい風が吹き抜けていき、積もった薄雪が風に乗ってチラチラと舞い飛んでいく。

 

 かつて吸血王だった大量の灰もまた、その虚空へと消えていった。

 

 冷たい石畳の上に身を横たえたまま、イザベラは黙ってその風の行く先を見つめていた。

 

 俺は、彼女のその横顔をただ見つめていた。

 

 静寂が世界を支配していた。

 

 誰も、一言も発しようとしなかった。それはまるで時が止まったようであり、そのとき俺は、心の底から、本当に時が止まってしまえばいいと願っていた。

 

 俺の願いを打ち破るように、静寂は破られた。

 

 破ったのは、グレイヴだった。

 

 グレイヴは手にしたウィンチェスターのレバーを引き起こし、その薬室に銃弾を送り込み、撃鉄を下ろし、そして、ゆっくりと、横たわるイザベラのそばへと歩み寄っていく。

 

 俺はグレイヴの前に立ちはだかった。

 

「待ってくれ」

 

「マリアッチ、これ以上は待てない」

 

「だが…だが、しかし……」

 

 俺は必死に懇願していた。

 

 唇は震え、声がかつえた。

 

 俺は、惨めだった。

 

「お願いだ。まだ、まだ他に方法があるはずなんだ……」

 

 俺は頭を抱えて蹲った。

 

 そして必死に、必死になって考えていた。

 

 だが、すでに夜通し考え続けて答えが出なかったのに、いまさら考え続けたところで何になるのだろう。答えが出るはずも無いのに、それでも俺は考え続けた。その無意味な思考を繰り返し続けた。

 

 なぜなら、認めたくなかったからだ。出来るはずもなかったからだ。

 

 彼女を、イザベラを、この手で殺さなければならないなんて。

 

 イザベラは、ゆっくりと変貌しつつあった。

 

 彼女は吸血王に大量の血を奪われたことで貧血を起こしていたが、吸血王の牙にさらされた首の傷はすでに塞がり、その青ざめていた表情にももう血色が戻りつつあった。

 

 だが同時に、この凍て付くような寒さにも関わらず、彼女の口元から漏れ出るはずの白い吐息が、目に見えて少なくなっていた。

 

 ふと、イザベラが呟くように言った。

 

「もうじき夜が明けるわ」

 

 その言葉に、俺は肩を震わせた。

 

 今までずっと風の行く先を眺めていたイザベラが、俺に振り向いた。

 

 俺を見つめる彼女のブルーの瞳が、今はルビーのように輝いていた。

 

「恐らく、夜明けを迎える前に私は転生を果たしてしまうわ。だから、せめて……」

 

 彼女はそう言って、俺に微笑みかけた。

 

 そのときの笑みをどう表現したらいいか。とにかく、俺は胸を引き裂かれそうだった。

 

「無理だ」

 

 子供が駄々をこねるように、俺は言った。

 

 どうして? と、彼女がすがるような目つきで俺を見た。

 

「お願いよ、マリアッチ。あなたの銃にはまだ銀の弾丸が残っているはずよ。だって、ハンターは常に最後の一発は自分用に残しておくはずだから。自分が吸血鬼になったとき、自らその命を絶つために残しておくはずだから。……ごめんね。もしあの時、私がすぐに自分の剣で咽喉を掻き切っていれば、あなたたちにこんな思いをさせなくて済んだのに、あの時、本当なら、それぐらいの力は残されていたはずなのに、私は―――」

 

「やめてくれ!」

 

 俺は叫んだ。

 

「俺は、俺は生きて欲しかったんだ。だって、お前を助けると言ったじゃないか。お前と一緒に生きて行きたいって言ったじゃないか。お前が何者であろうとも、俺はそばにいると言ったじゃないか!」

 

「でもね」

 

 イザベラの瞳から涙が零れ落ちた。

 

 赤い、血の涙が。

 

「でもね、あなたはこうも言ってくれた。いつか私が吸血鬼に成り果てるときが来たら、そのときは、あなたの手で終わらせてくれる。と」

 

「まだ、お前はまだ、人間なんだ」

 

「そうよ、だから……だから、まだ、人間である間に。……お願いよ、マリアッチ」

 

「俺は……俺は……畜生。畜…生」

 

 俺は俯いた。

 

 歯を食いしばった。

 

 俺の右手には、黒鷹が握り締められていた。

 

 グレイヴが、じっと俺を見つめていた。彼は本来、静かな男だった。沈黙を美徳とする男だった。

 

 その彼が、俺に声をかけた。

 

「………出来ぬなら、俺が撃つ」

 

 グレイヴの声が、震えているのがわかった。

 

「グレイヴ……」

 

 鍔広の帽子の下、その彫刻のように静かな無表情のなか、彼の瞳に感情の色が宿っていた。

 

 その色から読み取ったのは、迷いと、そして激しい後悔。

 

 あぁ、そうなのだ。グレイヴもまた、俺と同じように一晩中、考え抜いていたのだ。同じ思いでいたのだ。

 

「……いや、俺にやらせてくれ」

 

 グレイヴは無言で頷き、ウィンチェスターをおろした。

 

 俺は黒鷹を手に、イザベラのそばに跪いた。

 

「許してくれ……」

 

「……謝らないで」

 

 微笑む彼女を、俺は胸に抱きしめた。

 

 イザベラは瞳を閉じ、俺に体重を預ける。俺は黒鷹の銃口を、彼女の左胸の下に押し当てた。

 

「……ありがとう、マリアッチ」

 

「そんな言葉は聞きたくない。………イザベラ」

 

 俺は撃鉄を起こし、そして、引き金にかけた指に力をこめた。

 

 銃声が暁の空に響き渡った……

 

 ……………

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 

 いつの間にか、共同墓地はすっかり夜の暗闇に覆われてしまっていた。

 

 グレイヴの手にしたカンテラのオレンジの光の中を、雨が細い糸となって煌めきながら降り注いでいく。

 

 空は雨雲に覆われたまま星も見えず、ただ、俺と、グレイヴと、そして目前の墓石だけが、暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がっているみたいだった。

 

 今から一年前のあの日、吸血王が滅んだ夜。イザベラは、夜明けを迎えても、灰にはならなかった。恐らく、転生が途中で中断されたためだろう。

 

 彼女は、望みどおり人間のまま死を迎えた。

 

 俺たちは三人一緒に帰ってきた。そして、イザベラをこの墓地に埋葬した。

 

「我々の……」

 

 墓石を見つめたまま、グレイヴが口を開いた。

 

「我々の、ハンターとしての宿命は、あの時で終わったと思っていたのだがな」

 

「………」

 

 傍らのグレイヴはいつもの通り、何の感情も浮かべずに、ただ一種の哀愁のみが漂っていた。彼は言った。

 

「あれから一月後のことだったな。気がついたときにはもう、この墓は空だった。棺は内側から破壊され、後に残されたのは、空っぽの墓穴だけだった」

 

 誰かが墓を暴いた。

 

 などとは、俺たち二人は思わなかった。

 

 内側から暴かれた墓。その意味するところを、俺たちは判りすぎるくらい、判っていた。

 

「マリアッチ。お前はあの時、たしかに彼女の左胸を撃った。だが、本当は知っていたのではないのか?」

 

「………」

 

 グレイヴが何を言わんとしているのか、それは判っている、判っているから、俺は沈黙で答えていた。

 

 イザベラの心臓は、右側にあった。

 

「彼女はいまだ、この世のどこかを彷徨い続けているのだろう」

 

 グレイヴの口調は、何も変わらず、非難しようともせず、ただ、その視線がわずかに動き、俺の腰のホルスターに納まった拳銃を認めた。

 

「黒鷹、か。とうに捨てたと思っていた」

 

「………旅の途中で、ひとつ、気になる噂を聞いたのさ。北のはずれの教会に、奇跡を起こす女が現れたそうだ」

 

 俺の言葉に、グレイヴの目がスゥと細められた。

 

「女、か」

 

「ああ、その女にかかれば、怪我を負うた者は傷口が塞がり、難病に冒された者も、たちどころに回復するそうだ。人々は女を聖女として崇めていると聞く」

 

「聖女。……しかし、マリアッチ。医術の心得がある者ならば、それぐらい容易い。その様な者が、まだ祈りと呪術に頼る田舎の地方で聖人と崇められる事は、よくあることだ」

 

「だが、どれだけ医術に長けたところで、若返らせることは不可能だろう。………その聖女の奇跡は、年老いた者に若さをも与えるそうだ。なにより、その教会を訪れ奇跡を受けた者は、誰一人として昼にその姿を見たものは居ないそうだ」

 

「………」

 

 今度は、グレイヴが沈黙する番だった。

 

 沈黙したまま、俺の黒鷹と、その反対側のホルスターに納まった赤鷹、そしてギターケースを眺めていた。

 

「すまん、マリアッチ」

 

 ややあって、グレイヴが口を開いた。

 

「共に行くことは出来ない。俺には、もう………」

 

「ああ、判っているさ。これは俺が始末をつけるべき事だ。あの時、トドメを刺しきれなかった、俺の責任だ。ただ、あんたにだけは伝えておきたかった」

 

「……そうか」

 

 俺たちは互いに目をそらし、その視線は再び墓石に向けられた。

 

 誰も埋葬されていない墓。

 

 墓というものが命の抜け殻を収める場所というのなら、今のこれは死の抜け殻というべきだろう。

 

 だから俺は、その死を取り戻さなくてはならない。

 

「マリアッチ。持って行くのだろう、あれを」

 

 グレイヴの言葉に、俺は頷く。

 

 グレイヴはしばし墓の前から離れ、何処からか二つのシャベルを持ってきた。

 

 カンテラを墓のそばに置き、俺たちは二人で、しばらくの間、無言で墓石の前の地面の土を掻き続けた。

 

 十分もしないうちに、さして地面の深くも無い場所から、布にくるまれた棒状のものが掘り出された。

 

 俺はギターケースの蓋を開け、その棒状の品を納めて蓋を閉めた。

 

 そして、

 

「こいつも、持っていくが良い」

 

 グレイヴはそう言って、おそらくシャベルと一緒に持ってきていたのだろう、一本のギターを、俺に手渡した。

 

「随分と前から預かったままのものだ。いい加減、お前に返そうと思う」

 

 受け取ったギターには、妙な重みがあった。そのギターは肩紐を取り付け背に負う。

 

「ありがとうよ、……戦友」

 

 友人と言うほど親しい付き合いじゃないが、知り合いで済ますほど浅くない関係の男。

 

 グレイヴキーパー。

 

 彼との関係を言葉で表すなら、そう、戦友だ。

 

「さらばだ、マリアッチ」

 

 グレイヴの声を背中で聞きながら、俺は共同墓地を後にした。

 

 

 

 

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