ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~ 作:PlusⅨ
暗闇の荒野に光が差したと見えたのは、あれはもう真夜中も過ぎたくらいだったか。
細かい雨は変わらず霧のようにあたりを漂い続けていたが、空を覆う黒雲の一画が途切れ、ちょうどそこに煌々と輝く満月が姿を覗かせていた。
青白い光が霧雨に溶け込み、周囲はぼんやりとした薄明かりに包まれていた。
俺はその景色を、荒野の真ん中にぽつんと生えていた樹の根元から見上げていた。
俺の頭上には、雨をよけるための簡単な天幕、俺の目の前にはパチパチと音を立てて爆ぜる焚き火。
こうしていると、一年前の北方地帯を思い出す。吸血王を追っていたあの三週間の強行軍。雪の積もった山岳地帯での野宿。
俺は木の枝を一本手に取り、揺れる炎の中からこぶし大の石を掻き出した。
熱く焼けたその石を厚手の布で包みこみ、それを懐に収める。そして懐の中の温もりを逃さぬよう、背中を丸め、手足を縮め、まるで赤子のような格好で俺は眠った。
夢を見た。
妙な夢だった。
親父がいて、祖父さんがいた。俺を含めてマリアッチが三人揃って焚き火を囲んで座っていたんだ。
これのどこが妙だと言えば、ひとつは、俺は祖父さんの顔を知らないということだ。
俺が生まれる前に祖父さんはくたばっちまったのに、俺は当たり前のようにそこにいる男に「よう祖父さん、まだお迎えが来ないのか」なんて、とうの昔に彼岸に行っちまった人間に何を言っているんだか。
で、もうひとつは、親父がギターを奏でながら唄っていて、これが上手いんだ。
じゃあ、これはやっぱり夢以外の何ものでもないと、俺もわけの判らない納得の仕方をして、それで親父の歌を聴き始めた。
――
迷った街の片隅の
寂しい路地の暗がりで
思い出すのは幼い日々
埃にまみれた夢のあと
空にうずめた宝箱
水のつるはし振るい上げ
掘り出したのは老いた日々
磨き上げた夢のあと
日々から生まれた夢ならば
夢から生まれた日々もある
思い出すのが夢ならば
見果てぬ日々もまた夢だ
――
すると、祖父さんもまた歌いだした。
――
思い悩むな過ぎた夢
どうせ忘れて消えていく
思い悩むな先の夢
どうせ勝手に去ってゆく
所詮この世は夢の夢
うつつのままに過ごせばいい
所詮この世は夢の夢
忘れてしまえばそれでいい
――
彼岸の夢、か。俺はぼんやりとそう思った。
逝っちまった連中には全てがまさしく夢で、自分自身も、周りの全ても、昔も未来も、夢なんだろう。
勝手な連中め。
親父も祖父さんもこの世の向こう側に逝っちまったから全てが夢だといえるんだ。
因縁と未練は此岸で俺の背中に置いてきたわけだ。
不意に俺も口ずさむ。
――
夢の狭間で目が覚めた
苦みばしった望みを胸に抱き
まだ逢いもせぬ少女の手紙
待ちくたびれて夢のあと
毒を食らって全力疾走
皿も食らって無我夢中
好いても好かれぬ不合理に
我が身滅ぼす自虐の炎
涙流せば水族館
泣いて走れば走馬灯
見知ったはずのあの街で
捜し続けた面影は
消えない悔いに押しつぶされた
夢が覚めるのはいつ?
夢から覚めた夢の中
夢を忘れるのはいつ?
狭間と狭間の狭間の中
哀しい夢の終わりはいつ?
決して終わらぬ夢のあと
男は切ない夢を見て
男は見知らぬあなたを探す
夢の狭間で目が覚めた
されど狭間で夢を探す
――
親父と祖父さんが苦笑しているのは、やっぱり俺が調子を外したせいか。
でも、それで良い。
これが夢の中であれ、俺がまともに唄える歌は一つでいい。
しかし、親父が笑うところを見たのは初めてだ。
重い宿命をシワにして、歳の数だけ額と眉間に刻んできたような男だった。
きっと祖父さんも、そんな生き方をしてきたんだろう。
逝っちまって、解放されて、夢となって、夢の中で自由に笑って歌えるようになったんだろうけど、俺はまだ夢になる気は無いから、不便な夢の狭間で、未練も因縁もついでに後悔も、まだ背中から降ろさずに行こうと思う。
俺は焚火の傍から立ち上がり、そして、夢から覚めた。
目を覚ましたのは、夜明けにはまだ程遠い時分だった。
既に雨は止んでいるようだが、焚火も消えていて、あたりは暁闇のなか腕の先も見通せなかった。
黄昏に太陽がもっとも強く輝くように、暁こそ闇がもっとも濃くなる。
きっと人生もそんなものかも知れないわね、なんてイザベラが言っていたのを、ふと思い出した。
すると胸の内を一抹の寂しさが過ぎり去って、俺は鼻をスンとならした。
鼻腔の奥が、冷たい空気の香りに満ちた。
雨とは違う、独特の雪の香り。恐らく、降り始めるのもそう先のことじゃない。
星も見えない真っ暗な空は、もう厚い雲に覆われてしまっているのだろう。
俺は懐からマッチを取り出そうとしたが、寒さで指がかじかみ、足元に落としてしまった。
手探りでようやく探り当て、今度は慎重な手つきでマッチを擦り、新たな火種で焚火に再び火を燈す。
もう一度燃え上がった炎に手をかざしながら、俺はぼんやりと夜明けを待った。
やがて周囲がうっすらと明るくなりだしたころ、予想通り雪が降り出した。
音も無く静かに降り注ぐ粉雪は、それでも俺の耳にさらさらという音ともつかない音を残し、荒野に白銀の化粧を施していく。
冷たくなっていた両の手にじんわりと血が通ったのを感じ、俺は出立の準備を始めることにした。
天幕を片付け、手袋をはめ、ギターを背負い、ギターケースを左手に持つ。ズボンのポケットには、もう一度暖めておいた石をやはり布に包んで収めてある。空いた右手はポケットに突っ込んで、残った焚火に雪交じりの土を蹴りつけて、炎を消す。
見渡す限り白い平原。そこに足跡をつけながら俺は歩いていく。
粉雪はいつしかゆったりと降り落ちる牡丹雪にかわり、寒いのにどこかぬくもりを感じさせるようなそんな中を、俺は一人歩みを進めた。
それから、どれだけ歩いたころだったか。
三十分か、一時間ぐらい後のことだった。
自分の足音以外に音も無かったこの荒野に、一発の銃声が轟いた。