ザ・ヴァンパイアハンター~黒鷹のマリアッチ~ 作:PlusⅨ
酒場に現れたその神父は、年の頃なら四十か、五十か。この町に来て初めて見た年配の男だった。
神父は俺たち二人の姿を見つけると、朗らかな笑みをその顔に浮かべた。
「こんばんは、旅の方。良い夜ですね」
神父は俺たちのテーブルの傍で丁重に頭を下げてみせた。
それにしても、良い夜ときたもんだ。
「さっき、通りで床屋が撃ち殺されたけどな」
皮肉のつもりでそう言ってみたが、
「あれは不幸な事故でした。まったく、痛ましい。喉を裂かれたのは棺桶屋でした」
「Amen。棺桶屋が余分に棺を作って有りゃ良いが」
「その心配はございませんよ。喜ばしいことに二人とも命を取り留めております」
「生きて、居る?」
俺と婆さんはまたもや顔を見合わせた。
「棺桶屋は手当てが早かったおかげで。また、床屋も幸い急所は全て外しまして。しかし何より、全ては聖女様のお蔭といえるでしょう。どんな傷も、病も、たちどころに癒す聖女様の奇跡。あなた方も、その噂を聞きつけ、この町へいらしたのではないのですか」
婆さんの顔が酒と興奮によって見る見ると紅潮していくのがわかった。
「聖女の奇跡とは、それほどのもんか」
「あの方は、主が遣わしたもうた天使です」
「棺桶屋と床屋の様子を見てみたい。その奇跡がどれほどのもんか、この目で確かめてみたいんじゃ」
婆さんのその勢いに、神父は流石に困った様子だった。
「残念ながら、あの二人は重傷ですので、今は安静にしておきたいのです。しかし、あなたが奇跡をこの目で確かめたいというのなら、よろしい、この町が授かった聖女様の奇跡の数々のうちの一つを、お目にかけるとしましょう」
神父はそう言って、自分のマフラーを解いた。露わになったその首を、神父は指で示して見せた。
神父の首には、横に伸びた黒々とした痣が残っていた。それはまるで、荒縄で首を締め付けた痕のようにも見えた。
「これが何かお判りになるでしょうか。そうです。これは縄で首を絞められた痕なのです。……実を申しますと、私はかつて人の道を踏み外したことがあったのです。これは言い訳にしか聞こえないでしょうが、私は非常に貧しかったのです。何日も食事を取れない日がありました。餓死寸前だったその時、たった一度の食事のために、私は見知らぬ人からお金を盗もうとし、そして捕まったのです」
神父は自分の首を手で撫でた。
「私に課せられた刑は、縛り首でした。厳しいと思っていただけますか。しかし、当時の私はそれを辛いとは思いませんでした。捕まってからというもの、私は牢の中でパンと水を頂けましたし、雨に打たれることも無く眠ることが出来たからです。再び釈放されて、またあの辛い浮世に戻るくらいならいっそ。そう思っておりました。そして、私の刑が執行されました。踏み板がはずされた瞬間のことまでは良く憶えております。覚悟はしておりましたし、半分望んでいたことでもありましたのに、どうしようも無く足が震え、泣き出しそうな気持ちでした。最期の最期で、私は叫んでいました。神様、とね。どうか、お助けください。そう願っていました」
神父はそこで一旦、言葉を切った。
カウンターに向き直って、少し手を上げると、バーテンは心得たように一杯の赤ワインを持ってきた。
「ワインは救世主の血と申します。あなた方も一杯いかが?」
俺たちが遠慮したのを見て、神父は少し残念そうに杯を傾けた。唇をワインで湿らせ、神父は再び語りだす。
「刑が執行された瞬間、私の意識は途切れ、暗闇の底へ落ちていきました。そこは何も無い、真っ暗な闇なのです。闇と言う言葉すら消え去ってしまうような、そんな闇。だが、私を吊るした縄は、落下する私の身体の勢いに耐え切れず途中で切れてしまいました」
「それが、奇跡だと言うんかの?」
婆さんの問いに、神父は静かに首を横に振った。
「確かに、奇跡の一つであったかもしれません。ですが、その時既に綱は私の首に食い込み、私は意識を失ったままの状態でした。もう一度刑を執行するまでも無く、私は死んでいたでしょう。事実、執行人たちは私が既に死んだものと考え、私の身体を処刑台に残したまま去って行ったのです。罪人は数日間、さらし者にされるのが決まりでしたからね。やがて日が暮れました。――妙ですか? そうですね。私は意識を失い生と死の淵を彷徨っていたというのに、まるで他人事のような話しぶりですから――つまり、私が意識を取り戻したとき、すでに周りは夜であったということです。そして、私の前には聖女様がおられました」
神父は再びマフラーを首に巻きなおし、胸の前で十字を切った。
「それが、聖女様との出会いでした。あの方は私を抱き上げ、その首筋に手を添えられておりました。その指に触れられていますと、不思議なことに苦しくか細かった私の呼吸がだんだんと楽になっていくのです。その時、私は確信いたしました。このお方は神の使いなのだと。聖女様は私にこうおっしゃいました。私の力を、人々を救うために役立てたい。その手伝いをしてもらいたい、と。私は、聖女様に救われたこの命を、聖女様のために捧げることを誓いました」
やがてこの町に辿り着き、彼は教会で働き始めた。
教会は聖女の力を認め、いつしか彼は正式な神父となり、この教会を引き継いだと言う。
「信じて、もらえましたでしょうか?」
「だから、この目で確かめさせいと言うとるじゃろ」
婆さんの言葉はにべも無かった。
「ワシゃ、自分の目で確かめたもの以外は信じない性質じゃ」
「では、まさか主の存在を疑っておられるのですか?」
「言葉尻だけを捕らえるもんじゃないぞい。神の姿は見えずとも、神の御意思は見ることが出来る。この世の森羅万象は神の意思によってあるからの。ただ、世にある奇跡と言うものが本当に神の意思に沿ったものか、それとも小手先のまがい物か。ワシが確かめるのはそれじゃ」
婆さんのその言葉に、神父はその表情に喜色満面の笑みを浮かべて見せた。
「素晴らしい。貴女の信仰心はまさに本物です。判りました。彼らの元へ案内しましょう。その目で、奇跡をお確かめ下さい」
「ふん、つまらん真似しよってからに」
立ち上がった神父に促されるように、婆さんも傍らのズタ袋を引っつかんで立ち上がった。
「待てよ。忘れもんだぜ」
俺は机の上に置きっぱなしの銀のフォークを、布巾で綺麗に拭うとそのズタ袋に押し込んでやった。
「おぉ、すまんのう」
「物事には常に対価があるらしいな」
「ちゃんと対価分の礼は言ったぞ」
やれやれ、この婆さんには敵わん。
神父が、俺に顔を向けた。
「貴方は来られないのですか?」
「遠慮するよ。俺はただ、婆さんをここまで送る為に雇われた用心棒だ。いい加減、本職に戻るよ」
「ギター弾き、ですかな。結構なことです」
「何なら一曲どうだい?」
「ありがたいですが、遠慮しておきます。私は、あの方の歌で充分に満ち足りておりますゆえ」
「そりゃ幸せなことだ」
神父は丁重に頭を下げると、婆さんと共に店を後にした。
去り際に俺は婆さんに、声をかけた。
「ホントの奇跡だと良いな」
「若返ったワシに惚れるんじゃないぞい」
「あんたは、今の方が魅力的だよ」
この町の奇跡の正体が、俺の予想と外れていれば、もう婆さんと共にある必要は無い。
しかし、それを確かめるために、もう少しこの婆さんには動いてもらうとしよう。
「ふぇふぇふぇ、若造が言うてくれるわい。だがの、今の方が、じゃ無く、ワシは今でも魅力的なんじゃ」
何処までも図太い婆さんだ。
婆さんは皺だらけの笑みを残し、神父と共に店を出て行った。