繋がっていた蔓   作:紫 李鳥

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「おう、木下。奥さんか」

 

 偉そうな態度だった。

 

「……ああ」

 

 木下は眉をひそめると、面倒臭そうに返事をした。

 

「紹介しろよ」

 

 男はふてぶてしい物の言い方だった。

 

「……妻のミキコ。こちら、ミタライさんだ」

 

(!御手洗?)

 

 その名字に聞き覚えがあった。美希子は、御手洗という男の顔を凝視した。――やがて、美希子の手繰り寄せた記憶と、目の前の御手洗の顔がモンタージュ写真のように重なった。

 

 

 

 ――あれは、私が中学二年の時だった。九つ違いの姉、佑利子には恋人がいた。御手洗宏之。姉から聞いた名前だった。「オテアライって書いてミタライって読むの?」そう、姉に尋ねたのをはっきり覚えている。

 

 幸せそうだった姉に変化が表れたのは、それから間もなくだった。明るかった姉から笑顔が消えた。痩せ細り、毎月皆勤賞を貰うのを楽しみにしていた働き者が会社を休みがちになり、部屋に閉じこもるようになった。

 

 それは、心配した両親が病院に連れていこうと話し合っていた矢先だった。――自殺した。姉は真っ赤に染まった浴槽の水の中に手首を入れていた。

 

 姉の部屋を探ったが、遺書らしき物はなかった。だが、見付けた預金通帳には残高は(ほとん)どなかった。

 

 一度見ている御手洗とのツーショットの写真は半分に引き裂かれ、御手洗の顔はなかった。そして、アドレス帳の“ま行”の一ヶ所が黒く塗りつぶされていた。他に御手洗の名前がないことから、その箇所が御手洗の電話番号だと推測できた。

 

 ……どうして、私に相談してくれなかったんだろう……。あんなに何でも話してくれたのに。恋の悩みを打ち明けるには私は子供過ぎたから?でも、姉は言った。「いま付き合ってる人と結婚したい」と。――

 

「おい、行くぞ」

 

 木下に肩を押されて我に返ると、御手洗の姿はなかった。

 

 

 

「何、あの態度?あなたのことを呼び捨てにして」

 

 美希子が嫌悪感を(あらわ)にした。

 

「フン。……引き抜きだ。仕事ができるんだろ。常務のコネだから仕方ないさ……」

 

 気にしてないさ、と言わんばかりに鼻で笑ったが、木下の顔は曇っていた。

 

 最近、木下に覇気がないのは御手洗のせいか……。更なる昇進を目前にして邪魔者が現れた。姉の(かたき)でもある御手洗を何とかしなければ……。

 

 美希子は考える顔で、目の前に置かれた親子丼に目を据えた。

 

 

 

 ――それから間もなくして、到頭、恐れていたことが起こった。そよ風に揺らぐ庭のクレマチスを眺めながら、木下のセーターを編んでいると、電話が鳴った。

 

「はい」

 

「……」

 

「……もしもし?」

 

「……」

 

「……どちら様ですか?」

 

「……やっぱり、美希子だわ。わ・た・し」

 

「……!」

 

 美希子は血の気が引くのを感じた。

 

「久しぶりね、元気だった?」

 

「……」

 

 その声もしゃべり方も、美希子には耳障りだった。

 

「どうしたの?突然ヘレン・ケラーになっちゃって。電話じゃ(らち)が明かないなら、直接お宅に伺いましょうか?」

 

 その嫌味な言い方に、美希子は顔を歪めた。

 

「やめてよ!」

 

「だったら、どこで会うの?近くに居るんだけど」

 

「……駅前に〈ピエロ〉っていう喫茶店があるわ。そこで待ってて」

 

「すぐ来なさいよ。来なかったら、ご主人に挨拶に行くわよ」

 

「分かったわよ!」

 

 美希子は大きな音を立てて受話器を置いた。

 

 ……到頭、見付かってしまった。どうしてここが分かったんだろ?もう駄目だ。住所も電話番号も知られてしまった。……また、地獄が始まるのか?

 

 美希子はもはや諦めの境地だった。

 

 

 

 階段を下りると、店の奥に二度と見たくなかった顔がじーっと美希子に向いていた。

 

 うわぁ、こっちを見ないで。そう思いながら、入り口に立っていたウエイトレスにコーヒーを注文すると、井崎宣子の斜向かいに腰を下ろした。宣子を一瞥すると、小皺が増えたその顔に、当時と同じ艶のあるボブを被っていた。

 

(年相応の白髪まじりを被りなさいよ)

 

「ミキちゃん、会いたかったよ。黙って逃げるなんて、あんたも冷たいね――」

 

 宣子のその卑猥(ひわい)な言い方にうんざりしながら、美希子は魂が抜けたように、目の前にコーヒーカップを置くウエイトレスの手の動きを追っていた。

 

「――病院も変わって、近くに越してきたから」

 

 宣子が身を乗り出して耳打ちした。

 

「えっ?」

 

 美希子は目を丸くすると、宣子を視た。

 

「また、昔みたいに会おうね。あ、これ、勤務表。会うのは昼でも夜でもいいよ。なんなら毎日でも。フフフ……」

 

 宣子は含み笑いをすると、ベージュの古びたジャケットのポケットから四つ折りの紙を出して、美希子の前に置いた。広げて見ると、そこには住所と電話番号があり、日付と共に日勤・夜勤が書かれていた。

 

「……」

 

 美希子は、暗い顔で視線を落とした。

 

「昼の方が、ゆっくりできるんじゃない?」

 

 宣子が自分の都合で勝手に決めた。

 

「昼は駄目よ。近所の奥さんたちとフリーマーケットを兼ねて茶話会(さわかい)があるから」

 

 茶話会は事実だが、月に何度もなかった。

 

「……日勤の時、主人が寝付いてから行くわ」

 

「必ず来なさいよ。約束を破ったら、ご主人の在宅中にチャイムがピンポ~ンだからね。分かった?フフフ……。楽しみにしてるわ」

 

 伝票を美希子の前に置くと、

 

「木下様の奥様、ごちそうさま」

 

 と、ふざけた言い方をして腰を上げた。

 

「あ、そうだ。……例の写真、大切に保管してるからね」

 

 そう耳元で囁くと、美希子のウェーブの髪に指を触れた。美希子はその手を払い除けるかのように、激しく首を振った。

 

「フフフ……」

 

 宣子の含み笑いが背後でしていた。

 

 美希子はため息を()くと、温くなったコーヒーを口に含んだ。

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