傷だらけの守護者 〜全てをキミに〜   作:きつね雨

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序章
レヴリ


  

 

 

 

 少し長めの黒髪を後頭部で結び、凛とした瞳が遠くを見つめていた。

 

『狙撃しないのですか?』

 

 空間に響いた問い掛けに、その黒髪の持ち主が答える。

 

「まだ」

 

 その返答も矢張り凛としていたが、同時に幼くて綺麗だ。身体の丸いラインも、細い腰や白い首元も、全てが少女の存在を、そして美しさを顕している。

 

『何故?』

 

 反面、姿の見えない声、その問い掛けは機械染みていて、人によっては癇に触るかもしれない。まるで合成された音や変声機を通したかの様だ。

 

「まだ戦う意志を捨ててない。周囲の仲間も守っているし、何か作戦があると思う」

 

 少女は、両手で不似合いな物体を胸に抱えていた。真っ黒なソレは、カタチから銃と分かる。ただハンドガンとしては妙にゴテゴテと部品が付いているし、狙撃銃としては部品が足りない。スコープも長い銃身も無いからだ。

 

『しかし戦力差は明らかです。武装も能力不足ですし、全く効いていません。確かによく訓練された部隊と判断しますが、勝算は5%以下と推測。最悪全滅するでしょう。ターゲットの守護に影響が……』

 

「移動する」

 

『どちらへ?』

 

「作戦が大体分かった。恐らく後退していると見せ掛けて、特定の場所へ誘導してる。多分、アソコ」

 

『確認しました。成る程、視界の確保が難しいかもしれません。新たな狙撃場所へ移動すると?』

 

「そう。あの建物に」

 

 立ち上がった事で身長も低い事が分かる。幼さを残す相貌からも見た目通りの若さだろう。10代半ばと思われる少女は、無表情を崩す事なく歩みを進める。

 

 冷たい、張り詰めた印象を残して階段を降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 水色ではなく青く澄んだ空は何処までも高く感じる。

 

 高層ビルが景色に混じっていなければ、現実であるかも分からなくなるかもしれない。一昔前は大気が汚染され煙っていたが、人々の活動が弱まると変化は劇的だった。排気ガスを撒き散らす車輌も大幅に減少したし、稼働していた各種工場も大半が停止している。一部のエリアでは動いているが、絶対数が違うのは明らかだ。

 

 都市部では見る事もなかった野生動物の姿も散見され、人によっては楽園だと評するかもしれない。

 

 だが、よく目を凝らせば……人間にとっての楽園などではないと思い知るだろう。

 

 アスファルトはヒビ割れ、隙間から雑草が我先にと背を伸ばしている。それは見渡す限りに広がっていて、道路は長らく使用されていないと分かった。高らかに天を突く高層ビル郡に人影はない。ガラスは割れ、鉄骨は曲がり、壁面もあちこちで崩落している。放置された車は草花の住処と化し、錆が浮き出て茶色の雨垂れの跡があった。

 

 背の高いビルやマンション、美味しい料理と飲み物を供する店舗、家族の笑顔があった筈の家々。日本の何処にでもある当たり前の風景がこの街から消え去って久しい。全てが過去の夢で、まるでハリボテか映画のセットを思わせる。

 

 かつて大都市の一つに数えられた此処は今や人が簡単には立ち入る事が出来ない場所に変貌した。

 

 それは地面に散らばる数々の人形(ひとがた)が物語っている。雑草と似た色の服、迷彩服を纏う者達がその地面に倒れ伏していた。

 

 誰もが血を流し、中には四肢の失われた者。男女を問わずほぼ全てが意識はない。いや、もう命の火は消えて、立ち上がる事も瞳に光を宿す事もないだろう。

 

 横たわる者達を見れば傍らに銃やナイフ、アサルトライフルらしき金属と樹脂の塊りと空薬莢が散らばっている。"国家警備軍"と称される国と民を守る隊は、自らを救う事も憎き敵を打ち倒す事も出来なかった。

 

 カテゴリ(ファイブ)。脅威度では5段階中最下位の異界汚染地は、精鋭たる彼らが全滅するなど有り得ない筈だったのに。現れる奴等は熊や狼より少しだけ強く、時に放たれる特殊な能力にさえ気を付ければ良かった。

 

 だが現実は何処までも非情で、時は淡々と流れ溢れていく。

 

「何で……こんな奴が此処に……どうして……」

 

 たった一人生き残っていた女性は絶望の色を言葉に乗せた。片膝をついて仲間を殺した憎き敵を睨む位しか出来ない。

 

 年の頃は二十歳くらいか。ショートボブは軽めのオリーブベージュに染まり、丸顔を明るく見せている。少し垂れ下がった目尻や柔らかな視線から見る人には優しい印象を与えるだろう。美人と言えるが、どちらかと言えば可愛らしさが先に立つ。身長も決して高くなく、年齢より下に見られる事が多いかもしれない。

 

 彼女は若いながらも幾らかの戦闘経験を積み、発現した"異能"によって将来を嘱望された軍属の人間だ。だが目の前にいるのはそんな異能者が複数必要とされる化け物で、もう勝てる可能性はないと諦観が襲う。

 

 化け物、通称 "レヴリ" は()()()も前からこの日本をはじめとする世界に現れた。

 

 大半が物語に描かれる様な幻獣や怪物と同じ異形で、常識を覆す馬鹿げた膂力や生命力を持つ。中には竜としか思えない恐竜染みた奴等もいるのだ。最新鋭の装備を揃えた軍を一瞬で焼き尽くす火炎を吐き、どんな重火器を用いようとも硬い皮膚を抜く事が出来ない。

 

 彼女から少し離れた場所で仲間だった者達を引き千切り口に運ぶレヴリはたったの一体。骨すらもガリガリと噛み砕いて次々と腹に収めていく。

 

 体長は優に三メートルはあるだろう。日本人なら誰もが思い浮かべる姿は"鬼"だ。ファンタジーに詳しい人ならオーガだと呟くかもしれない。そのレヴリは赤い肌とギザギザの牙、人を超える身長と鋼より強靭な筋肉を太陽に晒していた。

 

(あかなし)……逃げ、る、んだ……」

 

 絶望に支配されていた彼女……(あかなし)陽咲(ひさ)の耳に切れ切れの声が届いた。直ぐ後ろに倒れていた男は、幾ばくも保たないだろう命を燃やして言葉を発したのだ。

 

「白石隊長……生きて……」

 

「杠……逃げ、ろ……」

 

 だが白石の瞳からは意志の光が消えて、最後の力を振り絞ったのだと分かった。

 

 その時、陽咲の心は逃走を決断したのか……いや、彼女の中に燃え盛る炎が宿る。消えかかっていた火は大炎へと変貌していった。

 

 絶望的な戦力差がなんだと言うのだ。私は生きて()()()()()ーー

 

「お姉ちゃんなら、お姉ちゃんなら絶対に逃げたりしない。最後まで抗って、必ず勝利を捥ぎ取るんだ……私だって、お姉ちゃんの、千春(ちはる)お姉ちゃんの妹なんだから!!」

 

 自らに宿る異能に再び力を注ぐ。カタカタと揺れ始めた周囲に散らばる瓦礫は一つ、また一つフワフワと宙を浮き、尖った先がレヴリに向いた。

 

 陽咲は立ち上がる。

 

 特有の異能、念動(サイコキネシス)を使い瓦礫を射出するのだ。散らばっている銃に意味はない。数少ない高位の異能者ならば違うだろうが、弾丸や瓦礫をただ撃ち込んでも無意味なのは先程の戦闘で理解している。見た目に反して素早いレヴリは急所を晒したりしない。何度か当てたが致命傷には程遠かった。

 

「隙を作る。絶対に逃げたりしない」

 

 恐怖を押し殺した強い決意は異能へと注がれ、レヴリが立つ地面に変化を齎していく。

 

「彼処なら地下があったはず。叩き落として動けなくしてやる」

 

 僅かに震える地面とミシミシと鳴くアスファルトに奴は漸く気付いたのか、手に持っていた隊員の身体を放り投げてキョロキョロと見回し始めた。

 

 もう遅い!

 

 内心叫び声を上げながら陽咲は限界まで強めた念動で地面を下に押し込んだ。瞬間破裂する様な爆発音が鳴り響き、赤いレヴリの身体が地面に吸い込まれていく。意味不明な叫び声を上げながら尻餅をつく姿の滑稽なことーー

 

「やった!」

 

 仲間達と此処まで追い込んだのだ。瓦礫に埋まるレヴリに対して一斉射撃を行う作戦だった。陽咲は皆の想いを抱き、ポッカリと空いた穴へと駆け寄る。墓穴を掘らぬように慎重に下を見れば、レヴリがアスファルトと土砂に埋まっているのが見えた。この程度で死ぬ様な奴ではないと、陽咲は更なる念動を使い瓦礫の弾丸を集めていく。

 

 ガラ……

 

 予想通りにレヴリは身動ぎして埋もれた体を引っ張り出そうとしている。分かってはいたが凄まじい生命力だ。

 

 まだ撃たない。

 

 頭部が露出したら一気に叩き付けんるんだ。みんな、千春お姉ちゃん、力を貸して…… 陽咲はたった一人レヴリに立ち向かう勇気を振り絞るため、仲間と愛する姉に祈った。信号弾は随分前に打ち上げたが、応援の到着など期待出来ない。この異界汚染地には陽咲達しか侵入していないのだから。

 

 グルルル……

 

 怒りを覚えているのだろう、低い唸り声が響く。

 

 遂には顔面に乗っていた岩の様なコンクリの塊を片手で押し出し、醜悪な奴の顔が見えた。埃に塗れて赤色は真っ白になっている。首を振って原因である陽咲を見つけるとギリギリと牙を鳴らし始めた。威嚇なのか怒りの発露なのか……結膜、つまり白目の部分がない真っ黒な眼球と陽咲の視線が交差した。

 

「私だって! 私だって許さない!!」

 

 恐怖をはじき飛ばす様に陽咲は声を荒げた。

 

 赤いレヴリは上半身を起こし、脚にのしかかっている最後の瓦礫を取り除こうと踠く。あの重量なら簡単には抜け出せない……陽咲は最初の瓦礫を射出すべく、念動に意識を向けた。

 

「みんなの仇よ! 喰らえ!!」

 

 真上に浮いていた瓦礫……約1メートルはあるだろうアスファルトの弾丸は一瞬でレヴリに到達。両腕で顔を庇ったのが見えたが、着弾を確認する前に次を撃ち出す。

 

 人気のない街中でドカンドカンと何度も破砕音が木霊した。

 

 土煙りがもうもうと立ち込め、陽咲は思わず口鼻を手で塞ぐ。しかし視線は外さない。あのレヴリは"カテゴリIII"に居てもおかしく無い化け物だ。異能者が何人も集まり戦略を練って戦うべき相手。油断など出来ない……そう考えながらも、逃げる事も出来なかった奴だって無事では済まない筈だと確信すらあった。

 

 少しだけ土煙りが晴れると空いた穴に瓦礫の山が出来ていた。殆どがバラバラに砕けて威力を物語っている。隙間に右手だろう赤い掌が確認出来たが、ピクリとも動いてない。暫く観察しても先程の様な動きはなかった。

 

「やった……倒した……」

 

 力が抜けて思わず尻餅をつく。二つ程残していた瓦礫も念動から解放されて地面にドカリと落ちた。陽咲の念動は更に鍛えればカテゴリIIIでも通用すると言われていたが、実際は殆ど初めての経験だったのだ。異界汚染地に入ったのは数度しかなく、今までは人の生活圏に侵入してくる雑魚退治ばかり。カテゴリVでレヴリとの実戦経験を積んでいく予定だった。

 

「もう一度信号弾を……このままになんて出来ないよ」

 

 戦死した仲間達を捨て置く訳にはいかないと、重い身体を動かして放り投げたバックパックを取りに行く。着込んだ服と同じ色合いをした背嚢にはまだ信号弾があった筈だと陽咲はボンヤリと思った。

 

「汚染地では無線も衛星通信も、光学機器も使えないって……ホントに厄介……気付いてくれればいいけど。無理なら場所を覚えてもう一度来ないと」

 

 皆優しかった。

 

 男女混成の部隊は実戦経験者も多く、為になる話も緊張を解きほぐす笑い話だってしてくれたのだ。陽咲は自分が将来を期待される異能者だと自覚している。念動は非常に珍しく、物理的な攻撃力を底上げ出来る有能な能力だ。瓦礫の射出だけでなく、弾丸を強化したり強固な防壁すら構築出来る。鍛えれば凡ゆる物質を使って更なるダメージをレヴリに与える事が可能となるはず。今日の日を忘れずに訓練をしてーー

 

 取り出した信号弾を腹立たしい程の青空に打ち上げると、疲れた体を再び地面に下ろして座り込んだ。喉が乾いてるけど今は動けない。少しだけ休憩しようと目蓋を閉じかけた陽咲の耳に、聞きたくない、考えたくもない、信じたくない音が届いた。

 

「嘘よ」

 

 気の所為なんかじゃない……今も音は響き、その回数も増えていく。

 

「ああ……」

 

 空いた穴から次々と瓦礫が崩れ、そして倒れ込む轟音が響いてくる。分かっているのに動けない陽咲の眼に、穴の縁をドカリと掴んだ赤い手が見えた。ついさっき終わったと思った右手。続いて血だらけの左手。レヴリも血は赤いんだと現実逃避するしかない。

 

 ヌッと現れたレヴリの顔面も無事では無かったのだろう。額は割れ、右眼は潰れている。左腕や現れた腹部もヌラヌラと血で濡れていた。間違いなく効いてはいたのだ。

 

 しかし遂に立ち上がった両脚は無事で、異常な生命力と回復力を持つレヴリなら戦うのに支障など無いと分かった。

 

 目を離す事も出来ず、陽咲は地面に落ちていたアサルトライフルを拾った。震えを抑える事も忘れて構えるしかない。あれ程に頼もしかった念動の異能も、今は遠くに感じて力を注げなかった。

 

 最も重要とされる精神力が大きく減じているんだ……陽咲は恐怖に震えているのは身体ではなく心なのだと理解する。そして直ぐに、死ぬのだと。

 

 ズシンーー

 

 レヴリはゆっくりと陽咲に近づいて来る。表情の機微など分からない筈なのに、怒りと嘲りを感じた。

 

「千春お姉ちゃん……」

 

 陽咲にとって憧れであり、優しく、強く、誰よりも大好きだった姉、千春は側にいない。もう何年も前に行方不明になった。もし此処に居れば目の前のレヴリなんて簡単に倒す筈だ。戦闘など知らない筈の千春だが、陽咲は確信している。弱虫の自分なんかよりずっとずっと強いのだから。

 

 掌を向けながらレヴリは右手を近づけてくる。

 

 生きたままあの鋭い牙で身体を砕き喰らうつもりなんだ……外れる事など有り得ない距離となり、陽咲は引き金を引き絞った。

 

 タタタと軽い音が響き、振動が腕に伝わる。

 

 赤い肌に張り付いていた土埃がフワリと立ち昇るが、レヴリは何も無かったかの様に歩みを進める。いや、煩わしそうに目と口を歪めているのだから、少しは痛いのかもしれない。

 

 見上げなければレヴリの全身を収めきれなくなった。

 

「お姉ちゃん……ごめんね……」

 

 このまま喰われるなんて御免だし、憎いレヴリに悲鳴なんて聞かせたくない。それでも睨み付ける事だけは止めず、最後の瞬間まで目に焼き付けてやると決意した。もし千春に会ったら最後まで泣いたりしなかったと伝えるのだ。

 

 だから……陽咲は銃口を自らに向けた。

 

 

 


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