「この
「はい」
車載カメラと、個人持ちの隠しカメラで撮影した動画を遠藤は見ている。其処には一人の少女が映っていた。
高性能なカメラの為かなり鮮明な画像だ。
相当な美貌が目につく。動画内ではすれ違う何人かの男が目で追うのが分かった。陽気な日中だったが肌の露出は無く、分かるのは顔立ちだけ。着ているのはサイズの合ってないオーバーオールに薄手の上着を重ねているようだ。帽子も深々と被り、視線は見え難い。ブカブカの服は身体の線も隠し、小柄でボーイッシュな美しい女の子……見た人の印象には残るだろう。
ロッカーから黒のアタッシュケースを重そうに引っ張り出して、両手でよいしょと抱える。ビジネスマンが持つ様なケースが似合ってないが、本人は気にもしていない。
そして歩いてきた方向へ戻るようだ。装備している隠しカメラの側を通ってゆっくりと離れて行った。見た目通りの筋力しかないのだろう、偶にふらつくのが可愛らしい。
当然後を追う。あのケースを渡すであろう相手を撮影する為に。
万が一を考えかなりの距離を取っているが、あの足取りなら逃げる事が出来ないのは明らかだ。しかし、予想を裏切り、いや遠藤の期待通りに曲がり角の先から少女の姿は消えた。追跡者も慌てたのか、バタバタと走り出すのが画面から伝わって来る。
「此処で見失いました。申し訳ありません」
「寧ろこうでなくてはな。商売相手としては頼もしい位だよ。常識で考えれば何らの方法で少女は合流し、ケースごと消えた……軽いバイト気分で引き受けたか、或いは……」
「旦那様、何か引っかかる事でも?」
「いや、今はいい。この少女の身元は判明したか?」
あれだけ鮮明に顔が映っていたのだから遠藤家の伝手なら簡単に割れる筈だ。それが当たり前であり、それだけの力を持っている。
「それが……未だに不明のままです。どうやら基本データベースには存在しない様だと」
しかし簡単にはいかなかった。
日本で未成年の身元が割れないなど酷く珍しい。成人で他国からの密航者などなら時間も掛かるが、普通には考えにくい。まあそれでも捜す事は出来るが、少し時間が必要だろう。裏には裏のやり方があるものだ。しかし、こうなると軽いバイトの線は薄くなる。
驚くはずの遠藤だったが、そうならずに顎髭を摩った。何処か嬉しそうだ。
「ふむ……次の取り引きの願いは入れたな?」
「勿論です。可能ならと前置きをした上で期限も入れました」
「ならいい。面白くなってきたな……連絡があったら何をさて置いても報せてくれ」
「分かりました」
「
「はい」
遠藤は喜びを隠す事なく、自室の奥に消えていった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
アタッシュケースに入っていた現金を予め用意していたリュックサックに詰め替える。衣装も交換済みで、帽子を取っていつもの様に後頭部で髪を括った。そして入っていた紙切れを読み返している。
其処には再度の取り引きの要望が書かれており、期限は一ヶ月以内だ。
姿はもうバレただろうが気にする程の事ではない。まさかケースを取りに来た少女が取引相手本人だとは思う訳がないし、仮に疑われても個人情報などないのだから……渚はボンヤリとそんな事を思いながら、次の行動を考える。
最近借りた七階建てのマンションの一室に戻ると、リュックサックを放り投げる。中には大金が入っているが、渚に興味はない。
年齢に見合ったお洒落を楽しむつもりも、何か甘いモノを飲み食いする考えも、街に繰り出して遊ぶ気持ちも全く存在しないのだ。もし金の入ったリュックサックが盗まれたとしても、少しだけ面倒臭いと思うくらいだと分かっていた。
誰かを守る為にはこの身体が動く様に保つ必要がある。服も最低限は必要だろうし、
目的を果たす事が出来たら、もう何も残らない。元々どうでもいいし生きて行く事に希望など存在しない。陽咲が独り立ちすればもう動く事も億劫になるだろう。金が余れば陽咲に渡せばいいと思っている。
渚を生かしている原動力は千春だが、もうあの人はいない。
渚は悔いている……そもそも
既に、ナイフ形態だったカエリーは狙撃銃らしき姿に変わっている。再び
小さな身体をゆっくりと屋上に運びながら、いつもの様に千春を想う。
その立ち姿。戦場でも色褪せなかった長い黒髪、知的な瞳と凛とした空気。何時も泣いていた渚に寄り添い、その胸に抱かれて眠る。些細な仕草も、笑顔も、戦う時の引き締まった表情も、全てが鮮明に
失った人を、哀しみを薄れさせる記憶の力は間違いなく救いだったが、渚はその事を考えなかった。全ての記憶は思い出に変化していく……なのに渚の異能は思い出に変える事を許さない。いつ迄も
あの悪夢は眠るか、
現世と常世、覚醒と眠り、渚に区別はついているのだろうか。
『マスター、身体能力の低下は明らかです。やはり睡眠不足からの不調と判断します。狩りは中断して休息を』
時にふらつくのがカエリーにも分かっていたが、その頻度が上がったのを見て警告した。
「煩い」
『私の存在理由は……』
目の隈が目立ち、その美しさに翳りが見える。
「カエリー……私は黙れと言った」
静かになったカエリーを片手に、ひび割れた階段を登って行った。金属の扉は半分外れかけて斜めになっており、渚は潜るように屋上へと出た。土などない筈なのに雑草が所々に生えていて、動物達と同様に野生とは逞しいものと感じる事が出来る。
貯水槽だったであろうタンクの梯子を上がって360°を見渡せば、渚なら遙か彼方まで見通す事が可能だ。感情を見せない瞳を崩壊している街へと這わせた。
渚自身で収集した情報によれば、此処は"カテゴリⅤ"と呼ばれる
「いた」
珍しく独り言を呟くと、カエリーに
陽咲を助けた時の様に、狙撃場所を隠蔽する必要も感じない。通常弾で十分だろう。
狙撃手とは思えない気軽さで、カエリーを構える。そして数秒も経たないうちにトリガーを引いた。まるで縁日の空気銃の様に軽く、緊張もない。
「
カエリーはまるで溶けるように変形を開始する。シュルシュルと狙撃銃の形態は失われていった。
ハンドガンの形状に戻すと、腰にさして移動を開始。命中の有無を確認したとは思えないが、渚は予め垂らしていたロープを伝い下に降りていった。
多少ふらつく足元を無視し、周囲を警戒しながら進む。異能によって先程確認していて安全だとは分かっている。それでも鍛えられた戦士としての経験がそうさせるのだろう。
この身体では歩幅は小さく、想定より時間が掛かってしまう。
暫く歩けば、青い体毛と赤い血に濡れた狼擬きが視界に入った。後頭部から僅か下方に弾は抜けて顎は砕けている。レヴリと言えど生物の一種でしかなく、脳を破壊すれば簡単に死ぬ。
「
再びカエリーに命ずると黒いナイフへと変形した。今から剥ぎ取りをして商品を用意するのだ。顎は砕けたから、牙より爪や体毛などが良いだろう。内臓などは日持ちしないし面倒臭い……そんな事を思いながら巨体に黒いナイフを突き立てる。
其処には、幾らかの部位が欠損した青色の狼だけが残された。