傷だらけの守護者 〜全てをキミに〜   作:きつね雨

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渚の苦悩

 

 

 

 

 

 訓練施設へと陽咲(ひさ)が入るのを見届けると、(なぎさ)は部屋に戻って着替えを始める。如何にも少女然とした服装にする為だ。

 

 渚が住う部屋は酷く殺風景だった。台所に使われた様子は無く、狭いダイニングにテーブルや椅子すら置かれていない。段ボール箱には常食にしているゼリー飲料と栄養補給用の数種類の錠剤。小さな冷蔵庫にはミネラルウォーターだけが冷えている。持ち運び出来るように全てが500mlのタイプだ。

 

 もう一部屋はリビング兼寝室だが、やはり物は少ない。

 

 折り畳み式の簡易ベッド。カーペットも無い床に投げ出されたノートPCと、幾らかの筆記用具。やはり段ボールに突っ込まれている衣服達。大半が簡易包装された状態で、購入時のままだろう。しかも安価な量販店で買ったであろう事がありありと分かる。

 

 一つだけ置かれた姿鏡には布が掛けてあり、その機能を果たしていない。

 

 無地パーカーと、やはり地味な灰色のボトム。顔以外の肌に露出はない。其れ等を淡々と脱ぎ、横のベッドに放り投げて行く。中はシンプルなティーンズ向けの下着。やはり適当に買ったものだ。上下の種類も色も合わせていない。

 

歪め(ディストー)

 

 手にしたカエリースタトスに命じる。シュルシュルと渚の細くて白い首に巻き付くと、更に左腕をクルクルと黒く染めて行く。先端は左手首辺りで止まり、変形は終わった。首から肩、左腕にカエリーがロープのように巻き付いた格好だ。

 

 渚は酷く珍しく表情を歪める。ほんの僅かだが苦悩の色を滲ませた。鏡に掛かった布を除けると一層顔色は曇る。

 

「……ぅ」

 

 直ぐに襲って来た吐き気を無理矢理抑え込み、カエリーの状態を確認する。首元だけ調整すれば、衣服で完全に隠れるだろう。薄い板状だから服の上から触られたとしても分からない。

 

 もはや耐えられないと視線を鏡から外す。

 

 渚にとって世界に存在する何よりも穢れているのが自身の肉体だった。ずっと昔なら女性の裸体を見れば喜びを内心に抱いただろう。だが、自分の()()はもう拷問に等しい肉の塊だ。しかも只の肉体では無く、千春(ちはる)と共に生きた"あの世界"での悪夢の痕跡がそのまま残っている。

 

 置いてある段ボールからオーバーサイズの赤いニット、そして濃紺色したスキニーデニムを取り出す。どちらも店先でマネキンが着ていたモノをサイズだけ指定して購入したものだ。

 

 店員が試着をやら、お客様は細いのでお似合いだとか、綺麗だからモテるでしょうとか煩かった。しかし渚は全てを黙殺し、そのまま買ったので店員は怪訝な顔をしていたものだ。

 

 袖を通し、嫌々ながらも再び鏡を眺める。予想通りにカエリーは全く確認出来ない。オーバーサイズだから僅かなラインすら表に出ていなかった。続いてスキニーデニムを履けば、可愛らしい小さめのお尻や細い腰が際立ったが、渚は既に見ていない。

 

『マスター、やはりやめましょう。危険過ぎます』

 

 渚の苦しむ表情や嘔吐感すら知っているのに、カエリーは全く頓着せずに警告を繰り返していた。戦闘に影響が出ない範囲なら、人の心の波など関係がないのだろう。しかし渚にとっては寧ろありがたかった。

 

 返事もせず、渚はスニーカーに足を入れる。

 

 そして錆が目立つ玄関扉を開いて汚い廊下に出た。鼻につく嫌な臭いはアンモニアだろう。あちこちにゴミが落ち、電灯の半分は切れたり点滅している。外を見れば雨が降り、ザーザーと音を立てていた。

 

 朝なのに薄暗く感じる。

 

 骨が一本折れたビニール傘を握り、渚は歩き出した。

 

 かなりの美しさを持つ渚が歩くには余りに場違いな寂れたマンション。PL(ポリューションランド)が近い為、入居率は半分にも満たない。住う者も訳有りか世捨て人だろう。だが渚は全てを気にもせず階下へ降りて行った。

 

 雨が降ると新しいPLが出現しやすいーー

 

 そんな都市伝説らしき話題がネットに散見される。それを知るからか、渚は暫く雨宿りを続けて煙った空を見上げた。その瞳にはもう感情は宿っていない。もし陽咲が居たら我慢出来ずに声を掛けただろう。

 

 だがそれすらも置き去りにして、雨のシャワーの中へと身を投じて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

「身体検査を致しますので」

 

 二人の女性、と言っても片方は渚より僅かに歳上の若さだ。金属探知機らしい虫眼鏡状の機器を身体中に這わせる。警告音が無いのを確かめると、続いてゴム手袋をした手でペタペタと触った。

 

 来訪者の少女が目を固く瞑り、僅かに震えているのを二人は怪訝に思う。遠藤も気を利かせて戦う力などない同性を残したのだが、まるで何かに耐えている様だ。ついさっきまで平気そうだったから不思議だった。まあ少女がたった一人で遠藤に会いに来たのだから恐怖を覚えてもおかしく無いと納得したのだろう。まさか、渚が他人に触れられる事が恐怖だとは気付かなかった。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 それでも余りに辛そうだった為、思わず声を掛ける。しかし客の少女は首を縦に小さく振って済ませた。受付けていた二人は顔を見合わせたが、それ以上は聞かない。首元に黒い物が見えたが、チョーカーらしい質感に疑う事も無かった。

 

「携帯電話やスマートフォン、タブレット、カメラ類は預けるか封印シールを貼らせて貰っています。其れはどうしますか?」

 

 先程横の台に置いたスマホの事だ。女の子が持つ物とは思えないスマホだが、プリペイド式だからだろう。案の定あっさりと預ける。本人の物なら手放すのを少しは躊躇するのが普通だ。

 

「ではご案内致します、此方へ。申し遅れましたが、わたくしは高尾(たかお)と言います。滞在中のお世話を致しますので、何でもお気軽にお声掛けください」

 

 若い方は残る様だ。20台後半位に見える高尾が促し、渚は直ぐ後に続いた。その女性は紅色した和傘を開いて渚を雨から守る。かなり大きな傘で細身の二人には充分だった。

 

 歩く石畳に雨粒が波紋を作り、雨脚が強い事を教えてくれている。高尾はそれと交互に客の様子をチラリと観察しながら、先程から感じる違和感が何かを考えていた。

 

 背は低いが全体のバランスは良い。かなりの美貌につい目を奪われる。メイクを全くしていないのがおかしなところだが、違和感はそれでは無い。先程の震えは消えていて、冷たいと表現出来る無表情に戻った。染めてない黒髪は矢張り黒いゴム紐で乱暴に纏めているようだ。思わず櫛を通したくなったが流石に我慢するしかない。

 

 そうかーー

 

 高尾は漸く違和感の正体に気付いた。

 

 すぐ側を歩く少女は此の屋敷に、見事な庭園に少しも興味を示していないのだ。何度も見て知っている高尾ですら美しさに溜息が出るのに。若い事は理由にならない。ほんの僅かも視線が動かず、今では珍しい鹿威しや苔生す屋根、咲き乱れる花々にすら眼は輝いたりしなかった。

 

 喋らないし、気持ち悪い娘ーー

 

 妙に白く、隈の目立つ相貌も其れに拍車を掛けた。高尾は何故か得体の知れない幽鬼に見えて、思わず目を逸らすしかない。しかし視界から消えたら今度は存在が薄くなって益々気持ち悪く、足音だけが少女の在る事を教えてくれていた。

 

 軒先に入り、畳まずに傘を置く。此処なら風も通らない。

 

 渚の住む部屋より明らかに広い玄関まで高尾は促した。二段上がって右手の廊下へ進めば、見事な庭が目に入るがやはり興味は示さない様だ。暫く歩くと高尾は立ち止まった。本邸と繋がっているが、離れ扱いだろう。

 

「旦那様、お客様をお連れしました」

 

「御苦労。お通ししてくれ」

 

「はい」

 

 先は茶室だ。開け放たれた先に茶の世界で露地(ろじ)と呼ばれる庭園。飛び石があって外から入る様になっているのだろう。露地は此処から独立した小庭に見えた。

 

 遠藤は見事な正座を和装に包んだ身体で表していた。黒紅色の着物と少しだけ明るい色合いの羽織りが似合っている。白髪と顎髭、細身の高い身長は座していても分かった。

 

 一方の客、つまり渚は着物どころかカジュアルな女の子の装いで、明らかに場違いだ。もしミニスカートなどを履いて来たら困ったかもしれない。明らかに招いた側の落ち度だが、遠藤も渚も気にしてはいない。

 

「座ってくれ」

 

 渚は何一つ言わずに座った。

 

 正座だ。

 

「キミは茶を嗜んだ事があるか?」

 

「ありません」

 

 遠藤家に来て初めて発した渚の言葉は敬語だった。これは雰囲気や遠藤に気を使ったのではなく、取引相手の代理人として振る舞っているからだ。

 

「そうか。ならば爺いの戯れに付き合ってくれたまえ。礼儀も何も無い俄仕込みの趣味だから安心していい。見てみろ、茶菓子なんてチョコレートだろう?」

 

 杓子でお湯を取り、シャカシャカと茶筅(ちゃせん)で掻き混ぜる。確かに素人らしき乱暴な仕草だった。実は国宝級に近い茶碗を使っているが、両人共が余り興味がない。遠藤すら詳しく無いのだから、まさに茶番だろう。

 

「儂は遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)と言う。訪れてくれた可愛らしい()使()を何と呼べば良いかな」

 

「どの様にでもどうぞ。私は名乗る事を許されておりませんので」

 

()()()()()かな。此れは困ったな、ならば最初の印象通りに"天使(てんし)"と呼ばせてもらうよ。構わないかな?」

 

 警備軍の付けたコードネームだが、渚は気付かない。遠藤は当然に知った上で遊んでいる。

 

「構いません」

 

「では天使よ、先ずは喉を潤してくれ。粗茶ですがと言いたいが、コイツは馬鹿高い茶らしいからな。よくは知らないがね。結構なお手前でしたなどとキミは言わないだろう?」

 

 チラリと遠藤の目を見た後、渚は前に差し出された茶碗を手に取った。一応両手だが、それ以上は何をして良いか、或いは悪いかが分からない様だ。しかし渚は戸惑わず、茶碗を煽った。

 

「どうかね?」

 

「……味に詳しくありません。きっと()()()()()()()()()

 

「ははは、天使は辛辣の様だ。まあ儂もよく分からんから仕方が無い」

 

 渚はペロリと唇に残った茶を舐め取った。其れは遠藤から見ても淫靡な美しさを感じさせて、不思議と下品な印象を覚えない。

 

「では其方の話を。あの手紙の意味、似顔絵、情報を頂けると思って私は此処に来ています」

 

「ふむ、天使は幾つかね? 若さに反して肝の座り方が尋常じゃない。それともキミの雇い主を、そして儂を信頼しているのか」

 

「私は聞き役、或いは伝書鳩。鳩に年齢や名を尋ねますか?」

 

「目の前に居るのは鳩では無く、美しい女性だ。それとも儂は幻を見ているのかな」

 

「……交渉を打ち切る自由も与えられています。まだ続けるのなら」

 

「分かった分かった。全く、最近の若い娘は洒落が通じないな」

 

 遠藤は、好々爺の装いを剥ぎ取って真剣な表情に変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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