傷だらけの守護者 〜全てをキミに〜   作:きつね雨

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現れた少女

 

 

 

 

 視界がレヴリの掌の赤色に染まり掛けた時、ズドと低い音が陽咲(ひさ)の上方辺りから聞こえた。瞬間レヴリはブルリと震えて動きが止まる。すると更にズド、ズドと鳴り響くたびに震え、遂にはグラリとふらついた。

 

 何かが起きたと陽咲がライフルを下ろした時、レヴリは鈍い音を立てながら後ろ向きに倒れ込む。一体の生物が立てる音とは思えない轟音が陽咲を現実へと引き戻し、幼く見える瞳がパチパチと瞬いてピントが合った。

 

「えっ?」

 

 またも土煙りは上がったが、視界を遮る程ではない。だから何が起きたかは見れば分かった。

 

 レヴリの額のど真ん中に小さな穴が開き、赤い血が溢れ出している。その赤色は地面についた後頭部からも大量に広がっていった。そして心臓辺りには弾痕らしき痕があり、定規で計ったかの様に縦に並んでいる。予想通りの穴ならば内部の臓器は破損し、原型を留めていないだろう。つまり、間違いなく即死だ。レヴリと言えども頭部と心臓部を破壊されたら生きてはおれないのだから。

 

「狙撃? でも他の部隊なんて……」

 

 背後を振り返り見回すが、誰一人として見えないし合図らしき物もない。そもそもカテゴリIIIに該当するであろうレヴリの硬い皮膚や骨を遠距離から抜くなど常識では考えられない。高威力の銃で近距離から一点に連発すれば可能性もあるが……念動で高速射出した瓦礫すら致命傷にならないのだから。

 

「死んだ、の? あのレヴリが簡単に」

 

 仲間の仇はあっさりと絶命し、陽咲の目の前に仰向けに倒れている。何度見ても変化などない。

 

 陽咲は中々立ち上がる事が出来なかったが、暫くすると背後からザッザッと小さく規則的な音がしてきて我に返る。

 

 ゆるゆるともう一度振り返った時、人影が近づいて来るのが見えた。規則的な其れは人の歩み来る足音で、まだ少し遠いが小柄な女性だと陽咲は判断する。

 

「違う……子供、女の子?」

 

 ポニーテールの黒髪、僅かな胸の起伏、小さいながらも丸い腰回り、衣服は迷彩柄のパーカーと深緑色のパンツ。靴は不似合いなゴツい革靴だ。距離も縮まって少女ながらも可愛らしい顔すら判別出来た。目鼻立ちも整っているし、少しキツめの視線すら大人びさせて綺麗だ。化粧はしてないが、肌は真っ白な新雪の様に日焼けもしていない。

 

 余りいないレベルの美人さんだなと陽咲はつい独言た(ひとりごちた)。かなり小柄で14,5歳だろうか、相当に若いのは間違いない。

 

 それだけならセンスの外れた綺麗な女の子で済むのだろうが、此処は"カテゴリV"とは言え異界汚染地。荒廃した街中には不釣合いで、小さな両手に銃らしき物体を抱えていれば違和感は高まっていく。日本では18歳以上で試験を突破しなければ銃を所持出来ないのに……呆然と座り込んだままの陽咲を軽く一瞥し、そのまま横を通り過ぎてレヴリの側に立った。

 

 綺麗な横顔だが、纏う空気は何処までも怜悧。無表情を極めたと言わんばかりに感情を悟らせない。何故か透明の氷をイメージさせられた。その日本人だろう漆黒の瞳もやはり冷たく、凍える様な視線がレヴリに向けられている。

 

「キミ……」

 

 陽咲は何とかカラカラの喉を震わせて声を掛けた。だが女の子の次の行動に二言目は紡げなくなる。

 

 何処か玩具染みた見た事もない黒い銃を片手で構え、レヴリに向けたのだ。

 

 緑色した光の線が血管のように這っている。形状は出来損ないの狙撃銃、或いは色々とパーツを組み合わせたハンドガンだろうか。其れ等がより子供向けのオモチャを想起させた。

 

 そして間をおかずに躊躇なくレヴリの顔面に何発も連射し始めたのだ。間違いなく即死だっただろうに次々と撃ち込み、そのうちに脳漿が溢れ出して頭部の原型は失われていく。不思議なことにサイレンサーらしき物は見えないのだが、空気銃の様なくぐもった音しかしない。

 

 その凄惨なレヴリを見ても、やはり表情に変化は無かった。

 

歪め(ディストー)

 

 女の子は何かを呟くと、特徴的な銃を背中に回して収めた様だ。此方に歩いて来ていたからもう見えなくなった。

 

陽咲(ひさ)(あかなし)陽咲(ひさ)?」

 

 いつの間にか目の前に来ていた少女は陽咲に声を掛けた。声音もやっぱり雪解け水の様に澄み、陽咲の耳に届く。氷の国のお姫様……そんなイメージが頭に浮かぶ。何故自分を知っているのかと言う疑問も忘れ、あたふたと乾いた喉を震わせた。

 

「え、ええ。そうだけど……キミが助けてくれたの?」

 

 答えは明白だったがつい聞いてしまう。お礼を言わないと、それが当たり前なのに……銃を仕舞った姿は一人の女の子でしかないのだから……

 

「飲んで」

 

 男子学生が持つ様な飾り気の無い水筒をポイと放り投げてくる。乾いた喉を潤せ、そういう事だろう。冷たいのか優しいのかよく分からない態度に陽咲は少し混乱する。

 

 何より質問に答えていない。

 

「あ、ありがとう」

 

 良く冷えた麦茶だった。一口だけと思ったが気付けばゴクゴクと何度も嚥下してしまう。

 

「怪我は?」

 

 その冷めた声音に反する優しい心遣い。視線は身体の各所を調べている。言葉だけでなく実際に確認しているのだろう。

 

「私は大丈夫だけど……仲間は皆やられちゃった……」

 

「貴女は生きてる」

 

「そんな事」

 

「戦闘で」

 

「ん?」

 

「逃げて良かった……いえ、逃げるべきだった。勝てもしない戦力なのは明らか。それは勇敢じゃなく蛮勇。そう判断出来なかった貴女に戦士は不向きと思う」

 

 初対面の相手、ましてや自分より若い小さな女の子にズケズケと言われ、陽咲はムッとしてしまう。これでもかなり厳しい訓練を受けてきたのだ。彼女なりに心配してくれているのかもしれないが、誰にだって戦う理由がある。ましてや陽咲の持つ特異な力、念動(サイコキネシス)は希少で強力な異能なのだ。力を持つ者には応じた責任があるはずだと。

 

「……確かに私は未熟かもしれない。キミが助けてくれなければ死んでいた。でも、退けない理由が、戦う意味が私にはあるの」

 

「理由? 殺し合いに意味?」

 

 まるで分からないと、くだらない理想論だと、視線で陽咲を射抜く。その厳しさに心臓がドキリと鳴った。

 

「そ、そうよ。それはいけない事? キミだって武器を持って此処にいるでしょう?」

 

「教えて」

 

 笑われると陽咲は思ったが、女の子は意外にも質問を返して来る。

 

「理由の事?」

 

 答える義務も無いし、歳下の女の子に話すことでもない。しかし、何故か陽咲の口は話し始める。それは不思議な、何処か懐かしい感覚だった。頭には忘れる事が出来ない、忘れたくない綺麗な女性の笑顔が浮かぶ。

 

「私には一人お姉ちゃんがいるの。綺麗で、優しくて、凄く強い人。どんな困難だって絶対に負けたりしない。遠くて、でも憧れで……大好きだった。もしお姉ちゃんならレヴリなんて簡単に倒しちゃう、きっと世界だって救ってしまうくらい」

 

 冷たい印象なのに、戦争には釣り合わない甘えた話の筈なのに、陽咲の目の前で話にジッと耳を傾けている。

 

「5年前に行方不明になったの。でもお姉ちゃんの事だから何処かで誰かを救ったり、笑わせたり……絶対に生きているわ。私は弱虫じゃない、貴女の妹なんだと胸を張りたい。でも、もしかしたら苦しんでるかもしれないお姉ちゃんを助ける為に私は戦う。そう決めたから」

 

少女は視線を伏せて、振り絞る様に言葉を紡ぐ。

 

「……陽咲の、お姉ちゃんの名前は?」

 

「名前、名前は……千春(ちはる)、千春お姉ちゃん」

 

「千春、(あかなし)千春(ちはる)

 

 すると我慢出来ないとばかりに、今まで無表情を貫いていた女の子は……陽咲に隠すでもなくホロリと涙を零したのだ。それは初めて見せた感情であり、同時に強い悲哀を感じさせた。

 

 最初も今も苗字を言い当てられ、陽咲はさっきから浮かんでいた疑問をぶつけるしかない。そして、その涙の意味を。

 

「なんで……どうして知っているの⁉︎ お姉ちゃんを知っているなら教えてよ‼︎ キミは誰⁉︎ お姉ちゃんは生きてる、生きているんだよね!」

 

 数歩の距離を詰め寄り小さな肩を掴もうとする。だがスルリと躱されると、距離を取りながら零れた涙を拭って元の無表情に戻ってしまう。それは明確な拒絶だった。

 

「……3キロ先、部隊が此処を目指している。人数は三十一。装備から見て陽咲、貴女の仲間で間違いない。怪我がないならこのまま待機を。周辺の脅威は取り除いたから安心していい」

 

「急に何を言って……3キロ……」

 

 少女が見つめる先に身体ごと視線を向けてみる。想像した通り全く見えなかった。建物の陰に隠れているのかと暫く見ていたが、変化などなく空も青いままだ。

 

 陽咲は一応軍属だが国家警備軍は警察機構も同時に担う場合があるのだ。そうで無くても未成年の女の子を汚染地に置いてなどいけないし、聞きたい事が沢山だ。例え銃器を違法に所持していても、命の恩人でもあるのだから。それに仲間が来ているならば女の子をどうするか決めなければ……そうだ、名前を……陽咲は外した視線を戻す。

 

「ねぇ、キミ……あれ?」

 

 振り返ると、冷たい氷の様な美しい少女の姿が消えている。音もなく忽然と見えなくなった。

 

「何処?」

 

 身体ごとグルリと回転して周囲を探したが、小さな命の恩人は消えてしまった。

 

「何処なの⁉︎ お礼を……お姉ちゃんは……」

 

 ビル群に木霊して声は反響したが、それに応える少女はいない。

 

 結局、陽咲は絶命した赤いレヴリを茫然と眺める事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「間に合った……陽咲、やっと見つけたよ」

 

 周囲を見渡し、自分を探す陽咲を上方から眺める。

 

 千春とは……大人びた千春とは違う幼い陽咲。彼女は最高に可愛いと表現していた。部分的には姉妹らしく似ているが、ある意味で対極に位置する女性だ。

 

 千春は凛とした強い人。もし此処にいるのが自分ではなく彼女ならば、この世界は簡単に救われただろう。いつの間にか変わってしまった日本や世界だけど、千春には関係ない。あの圧倒的な力の前では"レヴリ"など仔ウサギと一緒だ。

 

 陽咲の言う通り、千春は()()()()とは違う本物の英雄。

 

 陽咲は今の自分よりは歳上だ。だけど、印象は子供で戦闘も甘い。さっきだって()()()()のレヴリにさえ遅れを取っていた。千春が大狼ならば、陽咲はクンクンと鳴く仔犬。

 

「今の私に仔犬呼ばわりされたら、怒るかな」

 

 どう見ても中高生くらいの女の子、それが私だ。

 

 千春とは比べ物にならない弱兵だけど……たった一人くらいなら。

 

「誓うよ。貴女の大切な妹、陽咲は私が代わりに守る。例え何があっても、この穢れた身体と魂くらいしかないけれど……私の命くらい、安いものだから」

 

 哀しそうに笑う千春の顔が浮かぶ。

 

 長くて真っ直ぐで綺麗な黒髪、大人びた美貌、力強い意志を宿す瞳、全てを思い出す事が出来る。忘れる事などあり得ない。

 

 千春は間違いなく陽咲を守る誓いなんて望んでいない。馬鹿な子ねってポカリと頭を叩くだろう、あの日の様に。

 

 それでも……それが私に出来るせめてもの……

 

「だからもう一度だけ、名前を呼んで……たった一度でいい。抱き締めてくれなくても、笑顔じゃなくてもいいよ……私を……(なぎさ)って……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事部隊と合流した陽咲を見守ると、黒い銃を手に少女…… (なぎさ)は涙の滴を残して荒廃した街へ消えて行った。

 

 

 

 

 


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