傷だらけの守護者 〜全てをキミに〜   作:きつね雨

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千春⑵ 〜狂った世界〜

 

 

 

 

 

 

 立ち去る千春(ちはる)をボンヤリと見ながら(なぎさ)は暫く動かなかった。無理矢理に捻じ込まれたビスケットの袋がカサリと鳴いて思わず下を見る。

 

 彼女には悪意などなく、恐らくは心からの同情で渚を側に置きたかったのだろう。少し突き放す様な態度だが、それは優しい眼差しや温かい声音から十分に察せられた。だからこそ千春の近くに行きたくはない。いや、行く訳にはいかない。

 

 あの醜悪で腐った奴等に千春を晒したくないし、汚れた自分を見られたくもなかった。それは僅かに残った()としての自意識なのだろうか。もはや性差すら曖昧になり、只の女の肉体だけが残っている。

 

「知られたくない……」

 

 それは本心だ。

 

 何処とも知れぬ異世界人ならまだよかったが、同郷の()()()らしき綺麗な女性に穢れた自分を見られる位なら死んだ方がマシだと、渚は本気で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渚は約三年前に帝国に召喚された。自室で()()に出す書類を整理していた時だった。中々のレベルの大学に受かり、その生活にも慣れ、バイトに勤しみ、人生二人目の彼女も出来て幸せを当たり前に享受していたのだ。

 

 ふと書類から視線を外した時には地下らしき広間にいた。日の光もなく、黴臭い。薄暗い中で他にも二、三十人いたと記憶している。何人かは地面に伏せたままで、余りに不可解な現実を理解できずに呆然とする。

 

 そして気付く、周囲にいる者達は普通では無いと。二足歩行の人ではあった。しかし良く見れば肌の色が青かったり、鱗らしき皮膚だったり、耳の位置や目の数が違う。それぞれが何かを話しているが、聞いた事もない言語ばかり。中には渚と似通った姿の人もいたが、やはり違和感を覚える。

 

「何なんだ……」

 

 思わず呟いた渚に更なる非現実感が襲った。聴き慣れた筈の声でなく、甲高い。まるで声変わり前の子供だ。焦りを隠しつつ視線を落とすと一目で分かった。

 

「女……女の子……」

 

 肌着らしき一枚布しか纏って無かった為に理解は簡単だった。認めたくない現実だが……胸は膨らみ、触った股間の感触に覚えがある。付き合っていた彼女と同じ構造なのだから当たり前だろう。そして肌の質感すら違う。ザラザラした男の肌と違い、しっとりとした白い肌。若いからかもしれないが、触った事のない滑らかさだった。

 

 20歳を迎えた男にある筈のない身体だ。

 

「夢、か?」

 

 だが匂いも空気もザワザワする周囲も現実を突きつけてくる。何も考える事が出来なくなった時、正面の壁だと思っていた岩が動いた。薄暗い室内に明かりが入り、同時に入ってきた連中の姿が見える。

 

 部分的に金属らしき防具を身につけ、暗い色合いのマントが背中に掛けてある。数は五人、全員が男だ。意外に思ったのは彼らこそが渚に近い姿形だった事だ。ヨーロッパ 辺りの白人に見える。

 

 映画か何かの撮影? 渚が自身の変化も忘れて呑気に考えた時、五人に中央にいた一人がブツブツと呟いた瞬間だった。

 

「あ……」

 

 足腰から力が抜けて、受け身すら取れずに地面に倒れてしまう。眠いわけでは無い。意識は明確にあるし、倒れた時に打った身体のあちこちから痛みが届く。混乱していると頭の中をグチャグチャと掻き回される酷い違和感が渚を襲った。耐えられなくて悲鳴を上げようと口を開こうとしたが全く動かない。

 

 自由になるのは視線くらいだ。

 

 立っているのは先程の五人だけ。残りは例外なく倒れ伏している。

 

 気持ち悪い嫌悪感に耐えるしかなく狂いそうになるが、五分もしないうちにソレは去って行く。しかし未だに身体は動かない。

 

 すると何人かが渚の側に近づいて来たのが見えた。先程の男達だ。

 

「ほう……珍しいな、女じゃないか」

 

「顔も美しいな。若いが身体も……何処かの貴族か何かかもしれん。まあ、この帝国では意味などないが……くくく……」

 

「此れは愉しみが増えたな。おい、異能の反応はあるか?」

 

「……弱いが、あるようだ。頭部……いや、眼だな。聞いた事もない」

 

「ふむ、尚のこと素晴らしい。弱く戦闘力に繋がらない異能ならば万が一の反逆に注意するまでもないな。どうする?」

 

「この程度では前線で一日も保たない。ならば当然に第三遊撃隊だな。我等の側に置くのがいい」

 

 不穏な言葉の応酬に渚は不安が溢れてくる。しかし問い質すことも、逃げ出すことも出来ないのだ。

 

「しかし眼か……初めての異能だが、この数値ではまともな魔法も放てないぞ。障壁すら構成出来ないし、流れ弾一発で死ぬ」

 

「第三ならやりようがある。例の試作品を試そう。カエリーは威力こそつまらんが、汎用性は完璧に近い。視力に影響する異能ならばアレがうってつけだからな」

 

「カエリースタトスか……決まりだな、お前に預けるが分かってるな?」

 

「分かってる。最初は全員で、だろう?」

 

「お愉しみは皆で分かち合うものだ。久しぶりの美しい女だ。じっくりと時間を掛けて躾けてやろう」

 

「遊撃隊に組み込む前でいいな? 仕上がったら連絡する」

 

「ああ」

 

「よし、次は……」

 

 まるで道具のような扱いに、言い様のない絶望が襲って来る。渚は子供ではない。何が起きているのか分からなくても、精神は二十歳の男なのだ。去って行った男達の言葉が理解出来ている異常に気付きもせず、"愉しむ"の持つ意味が分かってしまう。

 

 

 嫌だ……俺は男だ……

 

 例え生まれながらに女だとしても、許されることじゃない……

 

 助けてくれ……

 

 嘘だ……こんなの現実に起きる訳がない……

 

 今もアパートの部屋で眠ってる筈だ……

 

 夢だ、夢に決まってる……

 

 

 何度も心の中で叫ぶが、目の前に広がる床と状況に変化など起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 そして翌日……いつ迄も夢は覚めず、想像していた通りの現実が渚を襲う。

 

 戦闘訓練は苛烈を極めた。筋肉の存在すら感じない身体を鍛え抜き、凡ゆる環境下でカエリースタトスを撃ち続ける。日も経たない内に見ず知らずの人を殺し、生き物を撃つ感触を覚えさせられた。痛みや魔法への対処は拷問以外の何ものでもない。休む暇すらなく、戦う相手を強制的に頭に叩き込まれていく。

 

 マーザリグ帝国は典型的な軍事国家だ。侵略を繰り返し、他国を蹂躙し、資源を奪い、人々を殺す。異人は無理矢理その片棒を担がされているのだ。平和な日本で生まれ育った渚には理解すら出来ない存在だった。

 

 そして、ある日から戦場へと連れて行かれた。第三遊撃隊に組み込まれた渚は命令のままに行動するしかない。

 

 カエリースタトスと呼ばれる銃で、遠くから何人も狙撃した。いつの間にか備わっていた異能は視力を強化……いや、激変させたのだ。

 

 一度見たものは記憶に刻む事が出来た。写真を撮る様に切り出して頭の中に残る。暗号解読や地図の模写などに役に立ち、戦闘には余り意味のない異能だが帝国の連中は便利だと喜んでいた。しかしこの異能は後に渚を苦しませる事になる。忘れたい場面を忘れる事が出来ない事がどれ程に不幸なのか、その時は知らなかったのだ。

 

 戦闘面では……天候、昼夜、距離、この世界の重力、その全てを把握して照準を定める事が出来る。カエリースタトスの威力は弱く、本物の奴等には到底敵わない。しかし、部隊長レベルなら何とか倒せたし、撹乱などには効果が高かった。相手は気付かれていないと罠を仕掛けたつもりでも、一息後には死んでいるのだから。

 

 だが、一流の軍人達は魔法障壁を全身に張っていて、カエリーの魔弾など簡単に弾く。それどころか隠れている渚をあっさりと発見し爆撃染みた魔法を放つのだ。何度も死に掛けて、経験を積み、倒せない相手からは逃げるだけ。そうして三年もの間生きてきた。

 

 痛みは慣れたりしない。

 

 何度も死にたいと、殺してくれと願った。だが渚には……召喚された異人には命を断つ自由すらない。あの地下室に居ただけで無理矢理に呪縛を掛けられ、帝国の将官には逆らえないのだ。全身を掻き回されるあの気持ち悪さは誰一人として耐えられる訳がない。奴等が一言呪文を呟くだけで、渚は言われるままに裸になり、土下座し、靴を舐めた。何一つ悪い事をしていないのに、何度も謝罪させられたりもした。

 

 その内にアイデンティティは失われ、感情は抜け落ちていく。

 

 まさしく……奴隷だ。

 

 逆らう気力も、意志も、人の尊厳も露と消えた。

 

 だけど何より辛くて、耐えられないのは……

 

 何度殺しても足らない連中に、この変化した女の体を蹂躙される事。残る男の自意識は邪魔でしかなく、絶望という言葉すら生温い地獄……遊撃隊に組み込まれる前の日にあの五人は渚を弄んだ。そして全ての出来事を記憶から消し去る事が不可能で、その内に眠る事も恐怖になった。鮮明な夢が何度も繰り返すのだ。

 

 あれから三年もの間、奴等は気の向くままに何度も渚を呼び出し、口にするのも憚れる行為を強制する。少しでも逆らえば呪文を唱えられ、そのうちに呪文の仕草だけで腰が抜け、小便を漏らす程になった。

 

「汚い……気持ち悪い……」

 

 渚は人に触られるのが嫌だ。他人が肌に触れたら思い出してしまう。何より、千春の様な眩しい存在を穢してしまう事が耐えられない。

 

 この体に比べたら、戦場によくある油と血と糞尿で濁った泥水の方がずっとずっと綺麗だろう。

 

 千春は間違いなく渚の取り巻く状況を知らない。知っていればあの様な反応は有り得ないし、簡単に声など掛けられないだろう。第三遊撃隊から抜け出せない理由も理解してないのだから当たり前だ。

 

 千春程の異能持ちは優遇される。渚にする様に強制すれば、溢れんばかりの魔力で反撃を喰らう可能性すらあるのだ。呪縛は確かにあるが完璧ではない。三年の経験はそれを知っていても、口外は出来ないのだ。渚はそう強制されている。千春なら呪縛をあっさりと破り帝国に牙を向くだろう。それを知る帝国は突出した異能持ちを持ち上げ、讃える。

 

 恐らく千春は帰れると思っているのだ。あの世界へ、日本へと。役割を全うしたら帰還させると帝国は伝えているだろう。それは確信で、同時に巧い手だと思う。

 

 だが、渚は知っている。情報統制されている自分に奴等は嬉々として話すのだ。

 

 帝国は、マーザリグ帝国は召喚した者を還す気などない。最後まで使い潰し、これから先も何度も何度も召喚を繰り返すだろう。所詮異人は道具でしかない。その辺に転がっているナイフと変わりはしないのだから。

 

「だから……駄目なんだ」

 

 もう二度と会う事はないと、渚は望む。

 

 此処は、この世界は……間違いなく"地獄"だった。

 

 

 

 

 

 


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