傷だらけの守護者 〜全てをキミに〜   作:きつね雨

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千春⑷ 〜体温〜

 

 もう夜だ。

 

 最初は簡易な壁だったが、戦争が長引くにつれて城砦へと変わっていった。マーザリグが現在侵略している相手は小国だが、思いの外に抵抗は強く既に二年以上経過している。

 

 (なぎさ)は当初からこの戦場に駆り出されていた。一年足らずで、生半可な狙撃手を上回る戦果を挙げていたのだ。

 

 森と平原だけの土地にしか見えないが、此処を抑えれば勝敗に大きな影響を与える……そう聞かされていた。しかしどうでも良かったから相手の名前も土地の場所も、その意味すら頭に入っていない。

 

 ただ日々が続き、人を殺す。

 

 変わらない日常は変わらない地獄だ。

 

 もう現実なのか悪夢なのか、渚には区別がつかない。

 

 石と木で組まれた宿舎は、黴の匂いがする。石床からは冷たい温度が伝わり、固くて痛い。

 

 蝋燭は一本だけで、着ける気にもならない。そもそも明るくないし、明かりなんていらない。この部屋に帰っている事を他の奴等に知らせる意味など欠片も存在しないのだから。

 

 その何時もの場所に最近よく聞く様になった音があった。それは綺麗で、強くて、優しい、人の声音。

 

 千春の優しい声が響く。

 

 柔らかな双丘に顔を埋め、渚は耐えられずに涙を流している。千春は理由など聞かない。ただ灯りも無く暗闇に沈んで泣いていた姿を見つけると、側に腰を下ろして肩を寄せただけ。以前触らないでと言葉にした事を覚えていたのか、最初触れたりしなかった。

 

 彼女への気持ちは日に日に積み上がり、捨て去っていた筈の心に優しい雨が降る。渇いた大地に沁み渡る様に本来の姿に還って行く……ふと気付けば千春の笑顔が浮かび、世界に彩りが戻った。

 

 

 

 

 

 

 だから……耐えられる訳がない。

 

 千春が前線に行くタイミングを見計らう様に、マーザリグの奴等がやって来た。逆らう事も出来ずに連れ去られ、長い時間連中の玩具にされた。何時もと違い、泣き叫び、逃げようとするのが楽しいのか奴等は笑う。どれだけ否定しても、懇願しても地獄は消えたりしなかった。

 

 痛みも希望も捨て去って、他人事の様に心を殺していたのに……千春は名前の通りに暖かい。

 

 重い足腰を引きずりベッド以外何も無い自室に帰ると、呆然と床に座り込む。水浴びをして身体は清めたが、何の慰めにもならない。以前なら此処まで辛くなかった……現実を見なければ、心を殺す方法を知っていた筈なのに。

 

 両膝を抱えて顔を埋めた。時を待たずに涙が溢れて来る。

 

「どうして……こんなの……」

 

 涙に濡れ、呻き声が聞こえた。いや、これは自分の泣き声か……いっそ気が狂ってくれたなら、誰でもいいからこの地獄から連れ出して……

 

 どうか、お願いだから……殺して……

 

「誰か……」

 

「渚?」

 

 ビクリと肩が揺れたが、泣き顔を見せたく無くてそのままだった。隠しても泣いていたのは分かったのだろう、千春は真っ暗な部屋に入って来た。この部屋に扉など無い。

 

 渚の側に腰を下ろした千春は、暫く無言だった。

 

「お願い、だから……帰って」

 

 今は寄り添わないで欲しかった。

 

「用事を済ませたらね」

 

「何で……どうして構うの? 放っておいて」

 

 顔を上げず、くぐもった渚の声は小さい。千春はそれが聞こえたが、立ち去ったりしなかった。あの日の陽咲(ひさ)と同じ、態度とは裏腹に叫んでいると分かっているから……助けて、助けて、と。

 

「渚」

 

「……」

 

「お願いがあるのだけど」

 

「……」

 

「触っていい? 嫌って聞いたけど渚に触れたいの。最近人肌が恋しくてさ。前にも話したけど私には妹がいてね、また可愛くて……何時も私の後をついて来て、雷が鳴った日なんてベッドに潜り込んで来るし。長い間嫌いだったのよ? ベタベタして、どうでもいい事を話してばっかり。歳も離れてたし」

 

 無反応な渚を置いたまま千春は話しを続けていく。聞いてくれていると確信しているから。

 

「でもね、ちょっと色々あって今は大好き。誰よりも大切で最高の妹なんだ。それに気付いた頃、マーザリグに連れて来られちゃった。必ず戻ると誓っているけど偶に恋しくなる」

 

 渚はやはり答えない。しかし逃げ出す事も千春に文句を言ったりもしなかった。変わらず顔を膝の間に埋め、少しだけ小さな肩が震えている。

 

「だから、私の我儘に付き合ってくれないかな? 妹……陽咲(ひさ)の代わりに人の温かさに触れたい。ね? お姉ちゃんを助けると思って」

 

 勿論渚は分かっていた。千春は自分の我儘だと言い、慰める口実を作っているのだと。彼女は出会った時から変わらず優しい……でも……

 

「……触られるのイヤ」

 

「なら渚が私に触れて? 駄目かな?」

 

「私は……汚い」

 

「人を殺した事を悔やむのは当たり前よ。寧ろそうじゃ無いなら大変だわ。私だって沢山の人を殺めた。だから私達は同じだよ」

 

 渚の拒絶を千春はそう捉えている。

 

 まさか目の前の少女がマーザリグの男達に弄ばれているとは思っていなかったのだ。千春は自分が目を引く容姿だと自覚していたが、渚よりずっと歳上の自分にすら奴等は触手を伸ばしたりしなかった。

 

 実際には……千春ほどの異能持ちは大切で、何よりも脅威だからだ。呪縛は万能ではなく、何かのきっかけで解き放たれたらマーザリグに牙を向くだろう。

 

 だから、渚の良心は苛まれ、傷付き、泣いていたのだと千春は思っていた。文字通りに身体は汚れ、人に触れると記憶が鮮明になって、異能に依り明晰な悪夢を見せられてしまうとは想像すら出来ない。そして千春に知られたく無い、穢したりしたくないと思っているなど……

 

 ノロノロと渚は顔を上げた。涙は何度も流れ、それでも止まらなかったのだろう。真っ赤に染まった瞳と腫れた目蓋が痛々しい。綺麗な顔はクシャクシャに歪んでいた。

 

「またお菓子をあげるから。お願いを聞いて欲しいな」

 

 それを見ていないかの様に千春は両手を広げた。渚に身体を向け、さあどうぞと時を待った。

 

「私は……」

 

 ゆっくりと身体が傾く。何かを恐れる様に最初は戸惑ったが、結局は力が抜けてポスリと頭が千春の胸に収まった。暫くそのままだったが、横向きだった顔を前に向けて渚の表情は見えなくなる。両手を千春の背中に巻き付け、ギュッと力が入ったのが分かった。

 

「震えてる。もしかして私かも」

 

 態と茶化す様に渚の背中を摩った。思っていた以上に背中は小さくて酷く哀しくなる。その内にすすり泣く声が暗闇に混じり始めた。その声は千春の胸に埋まった少女から溢れ出して、それでも我慢しているのか号泣には変わらない。だから千春は優しく、ずっと背中を摩ってポニーテールで纏めた黒髪に唇と鼻を当てた。

 

「泣いたっていいの……いいのよ」

 

 香った匂いは何故か陽咲に似ている、そう思った。

 

 堪らない愛おしさが溢れ出し、千春の瞳にも滲み出る涙がホロリと溢れていく。この狂った世界と帝国も今は消えて無くなり、互いの体温だけが全てに変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 依存なのだろう。いや、共依存なのかもしれない。

 

 あの日から渚は出来るだけ千春の側から離れなくなった。戦場に行き、無事に帰ればキョロキョロと姿を探す。異能を使い、どんなに距離があっても探し出した。早足で駆け寄ると、少しだけ離れた場所に立ち止まる。許しが無い限りはそれ以上近づいたりしない。それが堪らなく可愛くて千春も最近は渚を探してしまうのだ。

 

 渚は千春を姉として、何よりこの世界で唯一人の愛する人になった。男の自意識なんて最早記憶の中にしか存在しないし、性欲を感じる事すらない。それでも……抱き締められたなら幸せだった。

 

 千春にとっても渚はもう一人の、陽咲と同じ大切な妹になった。何にも変え難い、必ず連れ帰ると誓う女の子だ。陽咲にも会わせて、二人一緒に抱き締めて眠る。きっと幸せで、ずっと続いて欲しい時間になるだろう。

 

 千春は確かに年齢に似合わない落ち着きと知性を持っていた。大学生だからと言って大人になったつもりなどないが、陽咲はいつまでも子供だった。

 

 渚は誰にも明かしたりしていないが、同じく大学に通う学生で、少し斜に構えた捻くれ者だったと自覚していた程だ。

 

 しかしそんな二人でも、ある日突然に異世界に連れ去られ、直ぐに狂った戦場に放り込まれたのだ。心は傷付き、声にしなくても助けを求めていた。

 

 そんな二人が惹かれ合い、依存するのは必然だった。

 

 想いは僅かにすれ違っていても、互いを愛していたのは間違いない真実なのだから。

 

 

 

 

 食事は出来るだけ一緒に。

 

 水浴びだけは渚が頑なに拒否した。何故か衣服に隠れた肌は絶対に見せたりしない。

 

 それでも髪を互いに梳かしたり、結ったりもする。

 

 二人が揃う毎日、抱き締め合って眠る。

 

 朝は千春が渚にキスをした。

 

 最初はおでこ、そのうちに頬へ。

 

 渚が恥ずかしがるのが千春は好きで、何度もしてしまう。

 

 最近はほんの少し、一瞬だけ渚が笑う。

 

 千春だけは、千春に抱き締められた時は、嫌な記憶が浮かんで来ないから……

 

 渚の帰れない絶望と千春の帰還への希望はピタリとパズルの様にはまったのだ。二人は離れる事が出来なくなっていく。いや、想像すらしない。

 

 最初の出会いから半年以上経っても、二人の距離に変化などなかった。

 

 

 

 

 

 

 だから……慣れた筈の絶望は、あっさりと、簡単に襲って来る。

 

 此処はどこまでも、狂った世界だった。

 

 

 

 

 

 

 


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