地上最強のゾイド   作:◆.X9.4WzziA

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【第十章】狂戦士が影を踏む

 惑星Ziがヘリック共和国によって完全統一されて久しい。この星には今も様々な秘境が残されているが、共和国政府やその直轄機関はそういったところを狙い、極秘裏に様々な施設を建設している。軍事施設、研究所などがその多くを占めており、共和国による今日の平和を維持するための様々な活動が日夜行なわれている。

 彼の地では未だ、満天の星空が天幕を覆っていた。その直下、周囲を山々に囲まれた丘にそびえ立つドーム状の施設。天文台だ。だがその外周は数十メートルはあろうかというコンクリートの塀で囲われている。ここもヘリック共和国の建設した施設である。塀の上からはサーチライトの閃光が幾条も放たれ地上を、闇を照らし途絶えることがない。……肝心の建物の方も、所々見受けられる鉄格子付きの窓からはいずれも灯りが漏れている。さながら不夜城の様相を呈していた。

 さてその一角。眩しい位の電灯が連なる廊下を、ゆっくり進む車椅子。乗っているのは白衣の老人だ。てっぺんが禿げ上がった白髪に親指ほども分厚い眼鏡が狂気を醸し出す。

「わざわざ来てくれて嬉しいよ。しかし、どういう風の吹き回しかね?」

 その少しあとを音もなくついてくる者が一名。恐ろしく背の高い、水色の軍服・軍帽、そしてマントをまとった男。馬面にこけた頬、瞳は落ちくぼんだ上にヤモリのように大きい。何より眼光の鋭いこと。あまりある才気と風格がうかがえる。

「今更だな。『導火線の七騎』が二人、敗れた。立て続けにな。

 ひいては天文の動向が気になる」

 車椅子の老人は頷くと、廊下の途中に設けられた鋼鉄の扉。側面に何やら機械付きのパネルが埋め込まれている。老人が前に乗り出しパネルに顔を近付けると眼鏡を外しつつ、右手を掲げながら囁いた。

「惑星Ziの平和のために」

 パネルからカメラが開いて顔を覗く。光線が放射され、顔や右手をなぞっていく。生体認証。指紋、声紋、虹彩、顔……他にもなにかやっているかも知れない。だがそれも数秒。鋼鉄の扉はゆっくり開放された。

「後ろの方は儂等のボスだ」

 そう、パネルの方に告げる老人。

 異相の男はパネルの方に一瞥したものの、それ以外は自然体で車椅子のあとに続いた。

 十数メートルほどの薄暗い廊下を抜けると、薄暗いドームの天井が広がっている。あの深紅の竜がまるまる一匹収まるほどの規模だ。……その中央には竜の胴体ほどもある望遠鏡が設置され、夜空に睨みを利かしている。この望遠鏡の中央部分には子供の体格に匹敵する鏡が無数に埋め込まれており、性能も注ぎ込まれた予算も計り知れない。現状の惑星Ziにおいて遠い宇宙の果てに思いを馳せる者が果たして何人いるのか疑わしいが、一方ではこのような施設も密かに……そして各地に建造されていたのである。

 老人と男はドームの内壁を伝って彼方の扉に移動した。生体認証の儀式を老人が一通り済ませて二人が入室してみれば、無数の筐体、モニター、コントロールパネルがひしめき合った、見た目以上に窮屈な研究室が広がっている。絶え間なく聞こえる電子音。カタカタと何らかの端末を叩く音も。そんな中、白衣を身にまとった老若男女十数名の動きが何とも慌ただしい。……皆、車椅子の老人以上にその後に続く異相の男を見掛けて震え上がるほど背筋を正す。だが男は一向に意に介さず右手を軽く上げて、暗に「持ち場に戻ってよし」のサインを送るのみ。それで科学者たちも恐縮しつつモニターに向き直した。

 研究室の端から端へ。異相の男が案内されたモニターはちょっとした映画館のスクリーンほども広い。……車椅子の老人は左腕に装着した腕時計型端末を弄ると、モニターに映像が浮かび上がった。少し青みがかった背景に、無数の光点が浮かび上がる。それを我々地球人がじっくり見れば、太陽系によく似ていると気付くだろう。太陽を示す巨大な光点を中心に、数えて二番目。Ae、Se、二つの衛星が傍らに寄り添うこの星こそ惑星Ziである。そしてその外周に様々な惑星が並び、更にそこから離れた位置に無数の白点が散りばめられている。

 幾つかの白点が、度々明滅している。そして、奇妙なうごめき。

「外縁天体群に動きがあった。エネルギーの移動が多数、観測されている。

 今すぐ何かが起きるということはない。今すぐは、な」

 要望とは裏腹に、老人は巧みに指を動かして腕時計型端末を操作する。

 外縁天体と説明されたうごめく白点の群れをじっと睨みつつ、しきりに頷く異相の男。

「時間の問題……と考えて良いか?」

 車椅子の老人は声も立てず口元だけを緩めた。

「儂等は望遠鏡やら、わざわざ使って空の向こうを睨んでいるのだ。

 当然あちらさんも覗いているだろう。わかり辛ければ印をつける。今、その段階だ」

 異相の男は表情を変えない。只、車椅子の老人を一瞥するのみ。

 そこに不意を突くように割り込むアラーム音。異相の男はすぐさま口元に左手首を寄せる。彼の腕時計型端末から発せられたものだ。

「私だ。……わかった、すぐ戻る」

 異相の男は眉間に皺を寄せる。

「三人目だ。ラナイツのギネビアだ。その上、ケンイテンが脱走した。既に中央大陸に上陸したようだ。……邪魔をしたな」

 水色のマントを翻す異相の男。

 車椅子の老人は分厚い眼鏡の下の瞳を丸くする。

「資料はロブノルに送信を済ませておる。

 この件以外は儂も案外、暇だよ。電波が許す範囲内でならいつでも、この直後でも話せるぞ」

 老人の申し出を耳にした異相の男は無言で、だが誰の目で見てもわかるよう確実に頷く。そして。

「『惑星Ziの、平和のために』」

 敬礼を交わす二人。異相の男は当然として車椅子の老人もこの時は驚くほど背筋がピンと伸びていた。

 

 満天の星空がうねり、歪む。そして突如、幾重にもひび割れ。

 ひびの中から網目状の翼が美しい翼竜の姿をしたゾイド・プテラスが躍り出る。翼竜はすぐ目の前の空のひびに吸い込まれた。すると星空がぼんやり、暗くなっていく。

 暗転の正体は、夜空を包み込み、天文台に被さるほど巨大な鋼鉄の海亀。四本のヒレ、短めの首と尾が確認できる。人呼んでタートルカイザー。『ロブノル」とも呼ばれている。これも金属生命体ゾイドの一種であり、ヘリック共和国が秘匿する特殊部隊「水の軍団」の移動拠点でもある。そして天文台に来訪した異相の男こそ軍団のリーダーであり「水の総大将」と呼ばれる。

 水の総大将と水の軍団こそは、ギルガメスを執拗に付け狙う宿敵である(魔装竜外伝参照)。それが何らかの理由で再び動き始めたのである。

 

 乾き切った荒野をスケートのように滑走する深紅の竜。鋼鉄の鎧が日差しを浴びて眩しく輝く。一歩又一歩と踏み込み蹴り出すたび、砂利が爆ぜ塵が舞う。左右より桜の花弁にも似た翼を広げて舵を取る。背中より逆立つ六本の鶏冠は先端より青い炎を吐き出し、荒野を颯爽と突っ走る姿は彗星の如し。

 深紅の竜は、傍目には実に気分良く滑走しているかに見える。しかしその実、聡いこの竜はチラリちらりと遠方を見渡していた。……左手には稜線が、右手には海岸線が広がる。稜線の至るところから空を焦がすほどの煙が上がり、彼方の空は黒煙で濁っている。数キロやそこらでは利かぬ彼方の煙が何であるか、竜は既に悟っていた。これは強力な兵器をデタラメに使った結果、至るところで火事が起きている。

 さてこの深紅の竜は、両手に時代がかったビークルを抱えていた。左右を無骨な銃器で挟み込んだ鋼鉄の棺桶。おもむろに、その屋根が開いた。中から面長の美女が顔を出す。風になびく黒の短髪。切れ長の蒼き瞳はひと目には眼光鋭いが、今この場では優しく細まっていた。視線を下げ小首を傾げる深紅の竜。

「お疲れ様。貴方のペースで良いからね」

 竜は美女の申し出に小気味良く一声鳴いて応えた。たったその一言を聞いただけで、竜はとても嬉しそうだ。

 ビークルの屋根が閉じると美女は尻餅をつくように着席、長い両足を組んだ。彼女の全身は漆黒のパイロットスーツで固められていた。ビークルは複座式で、彼女は右側、左側にはフルフェイスのヘルメットが置かれている。そして正面、コントロールパネルのモニターにはウインドウが開かれており、その向こうには難しい表情を浮かべる少年の姿が映し出されていた。

「すみません」

「ふふっ、気にしないで」

 頭を垂れる少年に対し、美女は映像越しに笑顔で応えた。

 映像の向こうにいた少年は、上半身をハーネスで固定されており、両腕にはそれぞれレバーが握られている。外周は少年が両腕を広げても届かない位には広い、球の内側のような空間。壁面には外部の様子が全方位に渡って映し出されている。そして丁度少年の真正面にはウインドウが開かれており、そこには先程の美女の笑顔が鮮明に表示されていた。

 ここは深紅の竜の胸部に埋め込まれたコクピット内。丁度コクピットを覆うハッチの手前に竜が抱きかかえたビークルがあって塞いでしまっているため、少年が伝えたいことを美女が代わって伝えたのだ。……不思議なもので、少年は相棒の竜に対してコクピット内から音声や映像を介して意思を伝達することができるのだが、要所要所では少年はわざわざハッチを開き、丁度真上にある竜の顔に向かって直接話しかけることがある。それが彼なりの気遣いらしい。

 さて蒼き瞳の美女は座席にもたれかかると腕組みの右手で頬杖をつくいつもの仕草で告げた。

「ギルも、ブレイカーもお察しの通り、左手に見える煙は皆、テロによるものよ。ギネビアという有力者が亡くなったものだから、反対勢力がこぞってテロに加わったみたいね。遠からず軍警察に鎮圧されるとは思うけれど、火の粉に敢えて近付く理由もないわ」

 その名を呼ばれた少年は唇を軽く噛む。溜め息を我慢するかのように。

 深紅の竜はと言えば、分厚いガラスに覆われた紅い瞳を時折カッと見開くかのごとく爛々と眼光をほとばしらせた。彼ら金属生命体ゾイドにとって主人であるパイロットに仇なす奴らは全て敵だ。あとは近くにいるか遠くにいるか……その程度の話しである。

 美女は頬杖をしたままモニターの向こう側に映る少年をまじまじと見つめていたが、ふと。

「このまま北へ突っ走りましょう。目指すは北方大陸。……どうかしら?」

 え、と声を出したのはギルガメスだ。しかしながら予想外という風には見えない。ほんの少しだが表情が華やいだようにさえ見える。

「望むところです。

 もし『導火線の七騎』という話しが本当なら、他にそう呼ばれている人に会ってみたい。できれば話し合って、共闘したい。でも……すぐ近くにはいない気がします」

 美女は切れ長の蒼き瞳を細めた。

「多分ね、『導火線の七騎』というのは優れた者をひとまとめに呼ぶありがちな表現に過ぎないんじゃあないかしらとは思う。『十傑』とかね。

 ただ、ギルやアロンさんみたいにしょっちゅう旅してる者でない限り、近くにいてすぐ協力関係を築けるような者を指名するとは思えないわ。

 だとしたら、中央大陸に残りの『導火線の七騎」がいる可能性、ぐっと下がるでしょうね。そこで、このまま北へ行くなら勢いで大陸を渡ってみるのも悪くないなと思ったの」

 映像を介して二人は頷き合った。

 実のところ「導火線の七騎」なる序列が何を意味するのか、この師弟は把握しきれていない。そもそも見つけるのが大変であり、運良く見つけられたとしても共闘できる保証もないし、下手をすれば敵対の可能性だってある。……それでも師弟はこの地から離れることを選択した。テロを始めとする事件に巻き込まれる可能性もあり、身動きが取れなくなる前により遠方に行きたいという気持ちは共通だった。

 それなら、話しは早い。ビークルを抱えた深紅の竜はひたすら駆ける。……若き主人は昨晩、起きたらひと駆けすると約束してくれた。そこそこ邪魔が入ったが、気丈な我が主人は己の前では優しいままだ。だから、応えて駆ける。必要なら戦う。深紅の竜は甲高くひと鳴きし、踏み込みに勢いを乗せた。

 

 完全統一された惑星Ziにおいても余り変わらなかったことは結構ある。大陸間の移動もその一つだ。大半のゾイドが空を飛べない以上、海上輸送用の船舶型超大型ゾイド(300m程度)に積載するしかあるまい。問題は一部の空を飛べるゾイドで、民間の場合ヘリック共和国政府による「非常に難度の高い」免許の取得が必要だ。それ以外にも一回の飛行ごと申請が必要になるなど厳しいルールが設けられている。……完全統一とは言っても我らが深紅の竜を例に上げるまでもなく、尋常ならざる能力を持つゾイドはまだまだ各地に潜伏しており、共和国政府の管理外にあると考えられる。それらが行方不明(最悪は悪用)になる可能性を極力減らすため、こうした厳しい制限が課せられているのだ。

 さて師弟と深紅の竜は、超大型ゾイドが寄港できる大きな港を目指すこととなった。深紅の竜と同程度のゾイドが幾つも載せられる船舶型超大型ゾイドは寄港できる港も相当限られてくる。一行は大陸北端を目指した。

 ようやく左方の稜線から黒煙が見えなくなってきた頃、右方の海岸線側では紺色のキャンパスに雲と潮の白色が踊りうねり駆け巡る。海面は時折顔を覗く太陽に照らされ敷き詰められた銀紙のように鮮やかに煌めいた。

 深紅の竜はと言えば、足跡一つない砂浜を砂煙上げながらひたすらの滑走。後方には足跡というよりは轍(わだち)と言うべき跡がくっきり残っている。

 いつしかこの竜は奇妙な高揚を感じていた。彼方には若干の起伏こそあれど天と地を分かつ一本の線を境に、果てしなく広がる世界が竜をひたすら誘って止まない。……その手を伸ばせば、もしや届くのではあるまいか。

 ふと、竜は自分の胸元に埋め込まれたコクピットに視線を落とす。

 コクピット内部のギルガメスも、丁度顔を見上げたところだ。彼も竜と同じように、世界の広がりを目の当たりにして心癒される思いだ。だから相棒の反応を伺うべく全方位スクリーンの天井越しにチラリ見上げた。……その様子は電気信号の形で竜の視界にも伝わってくる。視線が直に触れ合うわけではない。にも関わらず、竜は軽くいななき、少年は笑顔を返した。時間の共有を確認できた嬉しさはこの上ない。

 一方、竜が両腕で抱えるビークル内では長い足を組んだ美女エステルが右手で頬杖したまま溜め息をついていた。少し寂しげな苦笑い。……人とゾイドの主従関係は時に男女の間柄より強固な絆と化すことがある。そうだとわかっていてもこんな表情を浮かべざるを得ず、彼女は唇を軽く噛むしかない。

 さて二人と一匹が様々な思いを抱く間も一本の線は果てしなく彼方に広がり、その先が見える様子はない。……ふと竜が足元に視線を落とせば、先程まで舞い上がっていた砂煙がいつの間にやら波飛沫に取って代わられている。膝下辺り位までは深くなった海面を得意の滑走でかき分けながら直進する中、少しずつ満ちる潮はいつの間にか辺り一帯の砂浜を覆い始めていた。

 深紅の竜はおもむろに、海岸線の向こうをチラリ観る。

 海辺には時折、銀色のシミのような影が浮かび上がる。それらは水飛沫を上げつつ軽快に飛び跳ねるため奇妙な姿形もよく分かる。例えば長い胴体の持ち主。例えば幅の広い羽根の持ち主。いずれも地球の生物で例えるなら硬骨魚類、エイのような軟骨魚類によく似ている。前者はウオディック、後者はシンカーと呼ばれる。古来から主な活動領域を水中に定めたゾイドの一種だ。水辺を行き来するゾイドは地球の水棲動物に似た形状のものが多い。

 とある銀色の魚が海面に浮かび上がると頭部を覆うハッチが開き、中から野暮ったくボロを重ね着した人物が姿を表した。必ずしも無風ではなく海面はやや揺れているが、この人物は何ら動じることなく背伸びすると、ヘルメットを被ったまま辺りを見渡した。ゴーグルには機械の明滅が確認できるから、辺りを哨戒したのだろう。……彼らの所属ははっきりしないが、軍警察が派遣した者か、近隣漁村の自警団のそれか、どちらかであろう。前述の通り大陸間の移動に厳しい制限がかかっている以上、密航者も後を絶たないから彼らが駆り出され、日夜警戒に当たっているのだ。

 ふと、視界の彼方が揺れた。自然に右手を広げて伸ばした方角だ。それは余りに唐突な、水柱。

 ハッと身を乗り出した少年。すぐさま全方位スクリーン左方にウインドウが展開。ワイヤーフレームで描かれた鳥瞰図が戦況を明らかにする。

 美女の方も険しい表情を浮かべながらコントロールパネルを叩けば、モニターには同様のウインドウが展開。彼女も又食い入るように戦況を睨む。

 海面に浮かんでいた銀色の魚はすぐさま頭部ハッチを閉じて潜航の開始。頭部を振り下ろして海中に突っ込むと、その勢いで尻尾が海面と垂直に伸びる。轟き、水立ち上がる水柱。

 波の音と共に揺れる海面。打ち寄せる潮の白濁は、怒涛の勢いで駆ける深紅の竜の足元にも絡みつく。

 深紅の竜は滑走を止めず、ただ紅い瞳をギロリと睨みつけたまま滑走を止めない。……安易な様子見の停止は命取りに繋がるからだ。十分に距離を取りつつ、相手方の動向を紅い瞳で睨みつけながら駆け込む深紅の竜。

 その最中、竜の胸部コクピット内で少年は起伏に乏しい鳥瞰図をひたすら凝視。……彼方に白い点が三つほど。中央の赤い点を取り囲む。

 少年はチラリ、鳥瞰図から視線を外して全方位スクリーンで彼方を睨む。だがそこには海面の紺と潮の白ばかりが広がるのみ。攻防は海中深くで起こっているのか?

 視線を鳥瞰図に戻した時、白い点はあっけなく消失していた。……辺りにふわふわと漂う赤い点。

 すると鳥瞰図に釘付けになった少年の不意を突くように、雲間から覗く光。我に返った少年が視線を戻す。

 銀紙を敷き詰めた海面に、突如として解き放たれた乱反射。

 次の瞬間、海面が深く、沈んだ。潮の濁りが渦潮の螺旋を描き、それは突如として天を衝く大槍と化した。大空の紺色を容易く貫くと海面に打ちつけ、そのまま乱反射する海面を波飛沫を巻き上げながら突き進んでくる。……進行方向は、北北西。その先には前傾姿勢で海面を滑り駆ける深紅の竜が確かにいる。

 猛追する潮の大槍を横目で睨む深紅の竜。

 胸部コクピット内・全方位スクリーンには別のウインドウがすぐさま開かれ、この潮の大槍に包まれた謎の物体の形状をワイヤーフレームで明らかにした。……それは複雑な、余りに複雑な形状。ひと目見て、どれが顔で、腕で、足なのかもわからない。ただ一つ、ひと目で分かるのは異様な形状の尻尾があること。

 だがその映像の上に、ある数値が赤字かつ大きく被さって表示されたことにより、少年も美女も目を剥いた。秒を数えるカウンターだ。この謎の物体が深紅の竜に追いつくまで、最長でも一分以内だという。

 美女エステルはすぐさまフルフェイスのヘルメットを被りながら声をかける。

「ギル、ブレイカー、聞こえて?

 迎え撃つ、良いわね?」

「はい、先生!」

 やはり同意するように小気味良く鳴いた深紅の竜。姿勢をぐっと低く下げる。背中の鶏冠は先端より吹き出る青い炎が弱まり、桜花の翼は目一杯広げて急減速の開始。左足を前方に突き出して滑り込む要領でブレーキを掛ければ、真正面に水の壁が垂直に吹き上がる。

 時計回りに振り向きながらの急停止。自身に浴びせられる水の壁にも何ら動じることなく深紅の竜は姿勢を戻し、桜花の翼を畳んで備える。足元を見れば、足首が半分ほども浸からない浅瀬に止まったのを確認できた。

 勢いが急激に失われるのをビークルのコクピット内で体感したエステル。ヘルメットのシールドをすぐさま下ろす。

「一旦、後ろに回るわね」

 深紅の竜が両手を離すと甲高いエンジン音とともに銃器に挟まれたビークルはふわりと浮き上がり、時計回りに竜の背後へと移動する。ゾイド同士の戦いにおいてビークルや巨大ゾイドの三、四分の一もない小型ゾイドがしばしば勝敗を決する手掛かりになることは、常にあり得る。例えば密着して絡み合う二匹の巨大ゾイドから十数メートルほども離れた位置から放たれる一発の銃弾が死命を決するのは別段、珍しいことではない。この時点では接触まで一分程度の余裕がある。今のうちだ。

 一方、胸部コクピット内では少年が自らの額に指を当てる。青白い刻印がたちまち浮かび上がり、まばゆく輝く。今一度シンクロを果たした少年と深紅の竜。生死は一緒と誓った証だ。円らな瞳に宿る輝きが全方位スクリーンの彼方の敵を斬りつける。

 カウントが、30を切った。

 潮の大槍、急迫。着々と引き裂かれていく紺色のキャンパス。

 重心を再び下げる深紅の竜。

 師弟はそれぞれのコクピットでレバーを握り直す。

「ゼロになったら貴方達のタイミングで良いから、飛んで!」

 全方位スクリーンのウインドウ越しに、頷く少年。

 カウント、10を切った。少年は呼吸を整える。できれば吐き出すタイミングでレバーを全力で押し込みたい。

 3、2、1、そして0。

 軽く息を止めた少年。

 潮の大槍が、弾けた。

 高々と上がる水柱。

「いくよ!」

 足元を浸す海水が、爆ぜる。深紅の竜は両の爪先で鋭く蹴り込んで紺色のキャンパスに躍り出た。既に己が全長の数倍は跳んでいる。……目指すは弾けた潮の大槍が吐き出すだろう謎の物体。必ずやそれは、我が相棒たる深紅の竜の軌道に真正面からぶつかってくる筈だ。刮目する少年。

 ところがほんの2、3秒ほど前に潮の大槍から弾き出された物体を目の当たりにして、少年は「えっ」と声を上げてしまった。これは銀色のガラクタ、ではない。ひと目見て少年はすぐさま悟った。先程まで金属生命体ゾイド・ウオディックやシンカーであっただろう鋼鉄の塊ではないか。……いや、本当に死んでいるのか? 生きていたら? コクピットは? ゾイドコアは?

「斬れーーっ!」

 迷いを振り払うように、美女が吠えた。全方位スクリーンの向こうで映る彼女の声も、形相も凄まじい。

 はっと我に返った少年。レバーを握る右腕を、すぐさま弓引くように振り絞る。それが合図だ。桜花の翼を翻す深紅の竜。右翼の裏側から二本の長剣が展開、先端で重なって一本の大剣と化す。

 袈裟斬りの、大剣一閃。

 真っ二つになった鋼鉄の塊は道を開けるように、空駆ける深紅の竜の両側に逸れながら失速していく。

 少年は思わず左右を見た。見ずにはおれなかった。……全方位スクリーンに映り込んだ鋼鉄の塊は、いずれも頭部ハッチと胴体に抉れた痕跡がある「水棲ゾイドだったもの」の寄せ集め。

 たちまち少年の心臓に、脳裏に、様々な思いが去来する。覚悟もままならぬまま決断した時はいつもこうだ。

 揺さぶられる少年を叱咤激励するように、深紅の竜は吠え、美女エステルは叫んだ。

「来るわ、次!」

 再び少年は刮目、全方位スクリーンの真正面を食らいつくように睨みつける。

 既に深紅の竜は跳躍の頂点に達し、下降に転じていた。竜が見下ろす海面からは、再び潮が泡立ち、弾け出す。……自由落下のまま、竜は姿勢を整える。桜花の翼を左右に広げ、六本の鶏冠を目一杯逆立てつつも視線は絶対外さない。

 その直下より、遂に竜を目掛けて突き出された潮の大槍。怯むことなく右の大剣を翻し、蒼い炎を背負って急速落下する深紅の竜。……竜の紅い瞳も、少年の円らな瞳も、大槍の中に切っ先が隠れていると確信した。

 天を衝く潮を、横薙ぎに切り裂く大剣。その瞬間、紺色のキャンパスは激しく震えた。

 竜の後方に離れて浮遊するビークルのコクピット内で、美女エステルは凄まじい形相とは裏腹に、心中はハラハラしっ放しだ。愛弟子は……彼女の愛する戦士は優しいのだ。それが相棒たる深紅の竜を奮起させ勝利に導くこともあれば、立ち所に危機に陥ることもある。自分さえ良ければ……などという気持ちには中々なれない。それが時にたまらなく愛おしく、ときにたまらなく不安にさせる。冷静な戦況分析に割り込んでくる、消せない(消してはならない)ノイズを抱えたまま、彼女はビークルのモニターを睨む。

 弾ける潮。飛沫となって霧散する。その中から姿を現したのは、鋭利な爪。それらが何本も立ち並び、一揃いで刃物のような形状と化している。手首には大砲。……大砲!?

「ギル、離れて!」

 叫ぶエステル。だが彼女の声をかき消すように数発の砲声が鳴り響く。

 巨体をひねって躱す深紅の竜。それでも砲弾は胴や肩にかすり、浮遊のバランスを崩した。大剣の切っ先をこの得体の知れぬ敵から引き戻しつつ再度の浮上を図ろうとするが、そこに先程の、鋭利な爪が何本も立ち並んで刃物状と化した二本の手が続けざまに振り下ろされる。

 辛くも錐揉みしつつ距離を取る深紅の竜。

 後を追うこの二本の手の本体は、鮮やかな緋色の鎧をまとった暴君竜。大きい。深紅の竜の倍ほどはある。両腕は長く鞭のようにしなっている。頭部は深紅の竜を胴体ごとひと呑みにしかねないほど大きい。背中には数本の背びれが生えて絶えずクルクルと回転する忙しなさ。長い尻尾には数本の大砲がマウントされている。

 だがこの暴君竜の最たる異様は全身至るところから漏れる様々な輝きだろう。赤や青、緑色の輝きが息吹のごとく明滅し絶えず深紅の竜を睨んでいる。その輝きの漏れる箇所を幾つか凝視すれば、Zi人ならば気付く筈だ。……至るところに垣間見る黒や銀などの人の大きさ以上はある立方体。その各面に開けられた穴が明滅しているのだ。一方、緑色の輝きを目で追ってみれば、至るところに複数のゾイドの顔によく似た意匠が確認できる。顔がそこにあるなら緑色の輝きは、眼だ。

 エステルは驚愕を鎮めるべく深呼吸に努めた。……彼女は古代ゾイド人だ。冷凍睡眠のたびに植え付けられる最新ゾイドの情報が、過去に同種のものを間近で見ていなくとも余りに鮮明な状態で記憶の淵から引っ張り出されるのだ。

「ギル、ギル、そいつは……」

 愛弟子に話しかけようとしたその隙に、飛沫を上げて駆ける緋色の暴君竜。幽鬼のようにフラフラと、だがひとたび加速すれば無駄がなさすぎて機械仕掛けの玩具と見紛うような足取りで急迫。今一度、浮遊する深紅の竜目掛けてその長い両腕を振り下ろした。

 深紅の竜は左右の桜花の翼を真正面にかざす。鐘を叩き割るような轟音を響かせつつも、緋色の暴君竜が振り下ろす両腕をがっちり受け止める。盾と化した翼で受け止めれば先程のような不意打ちは喰らいにくい。

 拳闘の構えのような姿勢で、少年は左右のレバーを押し込む。カッと見開く円らな瞳。次に打つべき手を探り出そうとしたその時。

 不意に、空気が勢い良く漏れる音。……緋色の、頭部だ。コクピットを覆うハッチが、開いた。

 えっ、と少年も美女も声を漏らす。

 その最中、緋色の頭部から肩、そして腕部を伝い、呆れるほど軽快に駆ける男の影。上半身は素っ裸、異様に手足が長く、頭髪もシルエットでわかるほど伸びている。それが軽快かつ怒涛の勢いで緋色の指先まで辿り着くと跳躍!

 瞬間、全方位スクリーンの画像が乱れた。同時に少年が額に感じた、骨を割られるような強烈な痛み。

 緋色の暴君竜の主人は、深紅の竜の鶏冠の上に飛び乗っていた。右腕には鉄の棒。面構えは若者だろうがやせ細っており、顔は無精髭で覆われている。そして血走った眼差しに宿る狂気。

 この長髪の狂戦士は見られていると承知しているかのように大きく口を開けた。

「聞こえているかぁ? ギぃぃルガメスぅぅー。

 水の軍団・暗殺ゾイド部隊、ケンイテン(乾為天)す、い、さーん。

 これなる相棒・キメラゴジュラス『亢龍』とともに貴様をぶっ殺ーす。惑星Ziの、平和のために!」

 毒気に当てられた表情で、少年は全方位スクリーンの天井を、ズキズキと痛む額を抑えながら凝視せざるを得なかった。

 


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