(もしブレイカーに乗っている貴方の足元に、絶対殺すしかない敵が現れたとして、貴方は躊躇わず踏み潰せる?)
女教師エステルが『実際には口にしたことがない』問い掛けだ。
彼女は太古の時代に歴戦の勇者でもあったから、残酷な局面はいくらでも目の当たりにしたし、心当たりもあった。……だがそれらを愛する弟子に質問としてぶつけたことは、未だない。理由は簡単、彼に迫る追っ手が既に存在していたからだ。彼女と出会って間もない頃から、追っ手はしばしば悪辣な手段で少年に迫った。そればかりか、追っ手は彼の家族を無残に始末した。今後も生きている限り、追っ手が途絶えることはあるまい。現実でもう十分、ひどい目にあっているのに座学でも教えるのは流石に躊躇われた。
だが、と改めて彼女は思う。そう判断するのは結局、自分が嫌われたくないからに過ぎないのではないか? いつも最悪の、吐き気を催すようなどす黒い未来ばかりを突きつける色気の欠片もないつまらない女。そう思われるのは目に見えている。愛弟子が不満を漏らすこともなく今日までついてきているからこそ、今改めて問い掛けるのは怖くて仕方がない。
では今、この場はどうすべきか?
深紅の竜ブレイカーの頭部、額に生えた鶏冠の上に、長髪の若者が仁王立ち。上半身素っ裸でやせ細り、無精髭で顔が覆われたこのケンイテン(※乾為天と書く。六十四卦の第一卦、天が二つ重なり非常に勢いのある状態を意味する。彼は地球移民の多い東方大陸出身である)と名乗る若者は、呪詛を唱えるかの如く深紅の竜を罵りつつ得物の棒で滅多矢鱈に竜の鶏冠を殴りつける。絶叫、そして哄笑。震える紺碧の空。
「痛いか、ゾイドコアに響くか!」
狂気の振る舞いを食らった深紅の竜の胸部コクピット内では、全方位スクリーンに激しいノイズが稲妻のように駆け巡っている。鉄の棒で一撃が振り下ろされるたび、何度も。
そして座席には、一撃を食らうごとに頭部を揺さぶられる少年ギルガメスの悲痛な姿。深紅の竜の頭部に逆立つ鶏冠は感覚器官が集中している。そこに振り下ろされる狂戦士の一撃が、ノイズとなってスクリーンをかき乱し、オーガノイドシステムのシンクロ機能によって少年の頭部に突き刺すような痛みとして再現されているのだ。たかだか鉄の棒の一撃と侮ってはいけない。少年主従は今、目潰しや鼓膜破りに等しい衝撃を喰らい続けている。
衝動に駆られる。両手を離したい。離して、頭を抑えたい。……だがそんなことをする暇があるなら。
ギルガメスは吠えた。レバーを握りしめた両腕を、前面に円の盾を作るが如く大きく回す。
応えて深紅の竜も、吠える。瞬間、首を軸に素早く回転。傍目には螺旋を描いたかにも見える。
ところが長髪の狂戦士は予想通りといった風にふわりと跳躍。空中で宙返りしつつ軽やかに、竜の鶏冠に着地。すぐさま竜は再び首を螺旋に揺さぶるが、狂戦士は完全にタイミングを読み切っているかの如く軽やかに跳躍と着地を繰り返す。そして相変わらずの哄笑、哄笑。
不快極まりない均衡を打ち崩したのは一発の銃声。竜の背後・左手より、旋回しつつ躍り出たビークル。先端より放たれた対ゾイドライフルの銃弾は、しかしながらこの狂気の沙汰を演出した緋色の暴君竜の両腕がゆらりと動いて弾かれた。その隙に、狂戦士は暴君竜の両腕に着地しつつ要所でとんぼ返りを混じえ、軽快かつ怒涛の勢いで駆け上がっていく。
あっという間の出来事だった。軽快怒涛の勢いのまま、狂戦士ケンイテンは緋色の暴君竜キメラゴジュラスの頭部コクピット内にするりと逃げ込んでみせた。まるっきり息を切らした様子もなく、狭苦しいコクピットに勢い良く座り込むと不敵な笑みを浮かべる。
「今のは挨拶代わりだ、魔装竜ジェノブレイカー、そしてギぃぃルガメス!
貴様らに殺された同胞の仇、今こそ討ってくれる! 惑星Ziの平和のために!」
呪いの言葉はどうにか胸部コクピット内でも聞き取れた。しかし全方位スクリーンには鬱陶しいノイズが亀裂のように残っている。……敵は、どこだ? ノイズをかき分けるように少年は円らな瞳を凝らしたところ。
眼前に、陽射しを遮る巨大な塔がそびえ立った。いや違う、これは。
突如として鳴り響いた轟音は鋭く、そして高らか。
真正面にかざしたままだった桜花の翼二枚の境い目に、振り下ろされたのは暴君竜の右腕手刀。垂直に叩き込む唐竹割りは、それだけで深紅の竜をひざまずかせ、翼の境い目にわずかながら隙間を作った。……海面に広がる波紋。この凶悪な暴君竜が手応えを感じ取った瞬間。
叩き込まれた右腕手刀がすぐさま引き抜かれる。鞭を振るうように暴君竜の右腕がしなり、唐竹割り二撃目、そして三撃目。掘削用の重機が地面に叩き込まれるように、鋭い轟音が響き渡る。
堪え切れず、ついた膝を持ち上げようとする深紅の竜。だがその頭上より、暴君竜の残る左腕が掌で叩くように振り下ろされた。そのままがっちりと深紅の竜を押さえつけ、右腕手刀でひたすらの唐竹割り、乱れ打ち。余りに強引、しかし余りに正確。立てない深紅の竜。両腕までも波飛沫を上げつつ海面につくしかない。土下座のような、屈辱の瞬間。
それと共に唐竹割りの轟音も、既に五撃目。深紅の竜は、ひれ伏すような姿勢ながらも紅い瞳で頭上の敵を睨みつけたまま好機を伺う。しかしこの怒涛の連撃、どこまで耐え切れるのか?
胸部コクピット内のギルガメスも同じ心境だ。依然衰えることなき闘志も、内心の恐れも。
耐えられるのはあと何秒か? 何撃までか?
その間に援護の一射が間に合うか?
様々な要素を考えながら、全方位スクリーンを食い入るように睨みつける。
見つけた、わずかな隙を。緋色の暴君竜は一撃のたび、徐々に左足が前に出ている。
(ブレイカー? こいつ、前のめりになってる、だから……。タイミングは、僕に任せて)
深紅の竜は己が胸元を一瞥し、ささやくように一声鳴いた。
続く、手刀の乱れ打ち。その間にも少年は手早く汗を拭い、レバーを握り直す。……彼が声をかけてから三度目の手刀が振り下ろされた時。
突如、ひざまずく深紅の竜を水飛沫が覆った。……自ら地面にへばりついたのだ。
緋色の暴君竜が喰らった強烈な肩透かし。今まで四つん這いながらも反発していた宿敵の巨体はぐらりと不意に沈み、その勢いでつんのめった。強烈な右腕手刀は虚しく空を切る。
叫ぶ少年。深紅の竜も応えて吠える。大人しく寝かしていた背負いし鶏冠六本の先端が、蒼い炎を吐き出す。波飛沫と共に竜が繰り出す体当たりは右肩から。ガッチリと暴君竜が踏み出す左足の脛を捉え、そのまま横転させてみせる。
蹴り込む深紅の竜。抉れる海面。……乾坤一擲。そう確信していた。
ところが彼の真正面に広がる全方位スクリーンは、突如として紺碧の空と海ばかりが広がる光景を映し出したのである。標的は、消えた。緋色の暴君竜は、どこに。
「ギル、左!」
凛とした……だが確実に狼狽の色が交じる女声がコクピット内に響き渡る。エステルだ。彼女の駆るビークルは緋色の暴君竜の後方に回り込んだところ。攻撃も回避も容易な位置は限られていた。だがわずか十数秒程度で速やかに、少年の期待通り忍び寄るように回り込んだその時、想像を超える事態の急変を目の当たりにしたのである。
彼女の叫びが轟いてから一秒も経ずして、少年の左の耳元で飛沫の上がる音が聞こえた。凍りつく少年。
瞬間、容赦ない振動がコクピットを垂直に揺さぶる。
何が起こったのか。少年は全身を強張らせて縦揺れの衝撃に逆らいながら、左右を見渡す。
少年の視界内に強敵の姿は見られない。まさか。
すると全方位スクリーンは盛んに後方への矢印を点滅させた。すぐさま振り向いた少年。
強敵は馬乗りになって、竜の背中に覆い被さっていた。
途端に遠間合いから銃声、数発。エステルが駆るビークルが放ったものだ。緋色の暴君竜は余裕綽々で銃弾を払い除ける。暴君竜の頭部コクピット内では長髪の狂戦士が不敵な笑みを浮かべている。
「古代ゾイド人の女、弾を節約している暇はないぞ?
受けてみろギぃぃルガメス!
亢龍、マグネイズ・デスロック!」
狂戦士の絶叫。
瞬間、少年は経験したことのない激痛を覚えた。喉元だ。喉元を鋭く締め上げねじ切ろうとする、余りに野蛮な痛み。オーガノイドシステムのシンクロ機能が伝えるこの痛みは首絞めによるもの。
首だけではない。右腕も、捻り上げられるような痛みが高圧電流のごとく駆け巡る。
今まさに、深紅の竜に覆い被さった緋色の暴君竜は、右腕で竜の右腕をひねり、左腕で竜の首をグイグイと絞め上げている。
一方、緋色の暴君竜の全身に埋め込まれた立方体がまばゆく発光。部品と部品の隙間から斬りつけるような閃光がほとばしる。ブロックスゾイドを構成する各ブロックは莫大なエネルギーを貯蔵しており、たった一個でも若干のパーツを加えただけで長時間の飛行すら可能だ。今はその貯蔵されたエネルギーが一気に放出され、この絞め上げに力を加えているのだ。両者の鎧が擦れ合い、火花が至るところから飛び散る。
悶える、ギルガメス。首と、右腕に赤い痕が浮かび上がる。これぞシンクロ機能の負の効果。今や少年を窒息・脱臼寸前まで追い込んでいる。
残虐非道の秘術を放つ長髪の狂戦士ケンイテンは勝利を確信したのか声高らかに嘲笑った。
「痛いか! しかし貴様らに敗れた我が同胞の無念はこんなものではないぞ!
ギぃぃルガメス、貴様の首は、東方大陸平定のために俺が始末した千を超える王族・軍人にもまさる価値がある。例え水の総大将様が休戦を申し入れようが、俺は許さん! このままマグネイズ・デスロックでジェノブレイカーと共にくたばれ!」
少年の視界は薄闇がかかっていく。意識が、遠のきかけているのだ。
防ぐ方法は二つしかない。一つはシンクロを断つ。しかしその代償に相棒は首にすぐには回復不能なダメージを負いかねない(※ゾイドは頭部に脳などの器官を持たないため致命傷にはならないが、相当な重症に変わりはない)。だから、もう一つの方法。……だが少年は、そこに考えが至ったところでこんなに苦しんでいるにも関わらず、悔しさを滲ませた。
(そうやって当てにするしかないのか、僕は!)
果たして、空気を震わす破裂音が一発、もう一発。すぐさま叩きつける轟音が続く。エステルが駆る時代がかったビークルから解き放たれたものだ。対ゾイドライフルでの狙撃に加え、ビークルの両側を挟むように取り付けられた銃器から発射された無数の熱弾が、妖しい曲線を描きながら暴君竜の背中に襲いかかる。
爆炎に次ぐ爆炎。暴君竜の背中一帯に降り注がれる熱弾の嵐。緋色の暴君竜は流石に人工ゾイド、動揺の色など更々見せない。だが爆破の衝撃は確実にこの執念深いゾイドの絞殺力を弱めた。
咳き込むギルガメス。力が弱まり、呼吸ができるようになったようだ。
全方位スクリーン左上にウインドウが開く。エステルだ。ヘルメットのシールドを全開にして浮かべる表情は見るからに青ざめている。
「ギル、大丈夫!?」
少年は必死の作り笑い。後を引く強烈な痛み……だけが理由ではない。彼女は、この場も窮地から救ってくれた。ひ弱な、僕を。
だが笑顔を懸命に返すその最中に、不意打ちのごとく強烈な痛みが再び喉元に突き刺さった。苦悶の表情に逆戻り。
緋色の暴君竜・頭部コクピット内では再び長髪の狂戦士が高笑い。だがその眼光たるや狂気の輝きが失せ、どす黒い闇色に包まれている。
「今更、手放すか。今度こそ絞め落としてやる」
落ち着き払った声とともにレバーを捌けば、暴君竜は今一度両腕を強張らす。再び深紅の竜の喉元が、右腕が絞め上がる。軋む、火花が飛び散る、鋼鉄の鎧が削れていく。
再び襲いかかる強烈な苦悶。だが少年の円らな瞳は苦痛で歪みながらも、消え入りそうな声で天井に向けて何事か囁いた。
果たして女教師エステルが次の一斉掃射を行なわんとボタンに指をかけたその時。
標的の下半身が爆炎で包まれた。
何事か。エステルは切れ長の瞳を刮目。
緋色の暴君竜が全体重と全出力を以て抑え込むその真下で、うごめいたのは深紅の竜の背中に生える六本の鶏冠。一斉に蒼い炎を吐き出しつつ花開くように広がったのだ。
そして、グラグラとうごめく暴君竜の巨体。
ここに来て初めて、狂戦士の笑顔が消えた。
「貴様、まさか!?」
女教師も身を乗り出しモニターの向こうに向かって叫ぶ。
「ギル、待ちなさい! 待って!」
相憎、少年の方には返事する理由も余裕もなかった。体重を乗せるように思い切り強く左右のレバーを引く。
六本の鶏冠より一気に噴出する蒼い炎。強敵が背中からのしかかっている今、地面を蹴り込んで加速する余地もない。だが最早こうなれば、噴射の勢いだけで十分だ。
かくして緋色の暴君竜キメラゴジュラスを背中に積んだまま、深紅の竜ブレイカー、飛行開始。超低空。最初は海面に奇妙な紋様が描かれるが、それも数秒。安定すれば一気の加速。己の倍はある鋼鉄の塊を背中に積んでいるため本来の飛行速度は出せないが、我が相棒の出力はご覧の通り。損傷こそ受けたものの急激なエネルギーの減少には至っていない今がチャンスだ。
「早めに、振り飛ばしますから」
作り笑いを再び浮かべる余裕はない。少年はレバーを強く押し込んだ。
海面を蒼い軌跡が吹き飛ばし、彫り込むように灼いた。
エステルは唖然とした表情で見つめるよりほかなかった。だがすぐに気を取り直し、レバーを握り締める。
(ギル、どうしたの? 何を考えているの?)
しかし感情をどこかに荒々しくぶつけている暇はない。すぐさまビークルは追尾を開始する。
小高い丘の上に広がる窪みに、橙色の蜂ブリッツホーネットの群れが腹ばって集結している。真上から見ればタンポポの花のようだ。
その中央に居座る一匹には、背中の操縦席にトレンチコートを着た小太りの男が座っている。マノニアだ。右手にはエナジーバー、左手には水筒。ボリボリと咀嚼の音。彼は食事中だ。数日間程度の栄養補給アイテムは機械人形に常に携帯させている。
何本目かのエナジーバーをかじり終えたマノニア。水筒で流し込み終えると早速A3ほどはある板状の端末を引っ張り出した。
「ビスマよ、どうじゃ。彼奴らの足跡、お主でも掴めないじゃろう?」
端末越しに話しかける。
聞き慣れた男声は返ってこない。おやと首を傾げたマノニア。だが数秒もせず端末の画面が明滅。文字が踊った。
〈ゾイドコア反応がない。何故だ?〉
「夜間外出禁止令が出ていたのじゃ。ギルガメスとて人の子じゃ。何もなければルールくらい守る。
南の方角から、じきにすっ飛んでくるのは目に見えている。既に密偵を沢山放っておるからの、網にかかるのは時間の問題じゃ。
……ところでお主、声は?」
〈レーダーや自己修復などを除いて機能を停止している。こちらのゾイドコア反応を察知されてはまずい〉
あくまでも端末を介し、公用ヘリック語による返事を表示していた。
なるほどとマノニアは合点がいった。強大・大型のゾイドはゾイドコア反応も目立ち易いものだ。こちらの反応を先に察知されて逃げられてはつまらない。
すると不意に、端末上にウインドウが開かれた。それも複数だ。マノニアは厳しい表情で凝視。
複数のウインドウは緋色の暴君竜を背負ったまま飛行を続ける深紅の竜を表示。ウインドウを一枚一枚伝っていくように映し出される。
〈ゾイドコア反応あり〉
画像を押しのけるように、再び端末上に文字が踊った。
マノニアは不敵な笑みを浮かべた。ゾイドを名乗る魔人が動き出す合図。あとは勝手にやらせよう。
ところがこのすぐ後。マノニアははっと目を凝らした。ウインドウを伝っていく機体が映し出されている。それは時代がかったビークルの姿。……それにはギルガメスとブレイカーのコンビにとって絶対的に重要な人物が乗っていることを、マノニアも把握していた。
「万全を期すぞ、フフフ……。この辺りの『密偵』は回収じゃ」
すっくと立ち上がったマノニア。それを合図に他の蜂達に搭乗していた黒尽くめの機械人形達もカサカサと動き始める。
機械人形達はいずれも背中に奇妙な箱を背負っていた。……箱の一面は細かな網状になっている。そこに黒い粒が一つ、又一つ、羽音を震わし収まっていく。これらこそマノニアが言うところの「密偵」である。金属生命体の一種だが、ゾイドとは流石に呼べないだろう。その形状は橙色の蜂ブリッツホーネットによく似ていた。いずれも簡単な改造が施されており、視界に捉えたものを映像としてマノニアの端末に送信する。
完全な回収を見届けるまでもなく、マノニアの搭乗した橙色の蜂は浮上を開始した。機械人形達の搭乗するそれらもあとに続き、その更にあとに「密偵」蜂が機械人形の背負う箱を追いかけていく。いずれは勝手にはこの中へ飛び込んでいくだろう。
その容姿故に威厳の類は全くもって期待できない男だが、このときとばかりは邪悪という表現がぴったりな笑みを浮かべた。
海原から砂浜へ。
緋色の暴君竜を背負ったまま、飛行を続ける深紅の竜。この背中の邪魔者は、依然として首絞めの左腕を離さない。だから胸部コクピット内でギルガメスが浮かべる苦悶の表情もそのままだ。
(振りほどくには相応しい場所を見つけるしかない)
唯一の好材料はこの優しい相棒が十分にメンテナンスを施されていることだ。エネルギーも十分。だから鶏冠の炎から吐き出す蒼い炎も全開である。……絡みつく緋色の暴君竜も今や振り落とされまいと必死だ。
そして、微妙な蛇行。暴君竜の主人は先程、ゾイドの腕伝いに生身で襲撃するという暴挙を実行に移しているのだ。直進では飛行が安定してしまい、仕掛けてくる可能性もある。
(あとは……あとは……)
遂に、手頃な岩山が若干だが見えてきた。海岸線まで辿り着けたのである。
どこでも良かった。かすってしまえばどうにかなる。深紅の竜は巨体を右に傾けた。蒼い炎は手近な断崖に吸い込まれていく。
遂に岩盤が削れる音、数秒。音が止んだかと思ったら、又数秒。全方位スクリーンには右上にウインドウが開かれ、ワイヤーフレームの鳥瞰図で「可能な限り断崖にかすれるルート」が映し出されていた。ゾイドは頭が良い。こういう計算も容易くこなす。
激突、三度目。……遂に、蒼い炎は本来の勢いを取り戻したかに見える。爆音を轟かせ、倍以上の加速を取り戻した。そしてそのはるか後方では地響きが聞こえたようだが、とっくに遠ざかってしまったため状況が把握できない。だが今はそれで、十分だ。再び、咳き込む。
少年はここで初めて、右手をレバーから離し、軽く胸をさすった。懸命に息を整えるとすぐにレバーを握り直す。
辺りは岩山が林立している。曲芸のように避けて通るのは無理だ。相棒の計算に従いできる限り直進できるルートを見定める。蒼い炎が徐々に弱まる。桜花の翼を目一杯広げ、減速の開始。
やがて彼方に開けてきた丘陵では、土煙が舞い上がった。両足揃えて滑り込み、そのまま何百メートル進んだのだろう。完全に停止すると、深紅の竜は大きく一息ついた。その上でゆっくりと腹這いになり、凶悪な攻撃から解放されて楽になった右腕でポンポンと軽く胸部コクピットハッチを叩く。
空気が漏れる音と共にハッチが開いた。中から現れた竜の若き主人はフラフラと、歩くのもままならずその場に倒れ込む。あっと息を呑んだ深紅の竜は両腕の爪で囲いを作ってやり、受け止めてやることに成功した。
竜の爪にもたれかかったギルガメスは疲労困憊。玉の汗をかき、呼吸を整えるのをしばらくやめることが出来なかった。
「ブレイカー、ごめん」
声だけは絞り出したが、顔を上げることさえままならない。……只、相棒の爪は冷たくて気持ち良い。少年はいつしかすがるように胸板を爪に押し当てていた。
まじまじと、その有様を見つめる紅い眼。
不意に、少年の背中にひんやりとした感触。
驚いた少年はそこでようやく、振り向くことが出来た。
深紅の竜が、鼻先を少年の背中に押し当てている。爪に加えて、熱冷ましの追加だ。愛撫は、優しい。
少年の口元はようやくほころび、少しずつだが落ち着いていったのである。
魔装竜ジェノブレイカーはオーガノイドシステム搭載ゾイドだ。ゾイドコアを劇的活性化し神がかり的戦闘能力を発揮するが、その代償に一切の苦痛をパイロットが負わなければいけない(※軽減の役目を果たすユニットは所持していない)。
強敵キメラゴジュラスの秘技「マグネイズ・デスロック」は並みのゾイドでは脱出不可能だ。深紅の竜は受けるべき激痛をシンクロする若き主人が負い続けることで耐え抜き、どうにか危機を脱した。しかしその代償はご覧の通りだ。……それを理解しているから、深紅の竜は主人に忠誠を誓い、又優しく慈しむ。
ささやかな休息はやけに長く感じられた。だがそれも深紅の竜が突然、首をもたげたことで終わりを告げた。
ひんやりとした感触が急に遠ざかり、少年は事態の急変を悟った。
深紅の竜はすぐさま長い顎で、少年を抱える両手の前に更なる囲いを作る。……頭上からかすかに、唸り声が聞こえる。その声色から彼は察した。かなり、焦っている。
本当に、目と鼻の先だ。深紅の竜がもう一歩、腕を伸ばせば届く距離。そこに突然ほとばしった閃光。辺りには落とし穴と見紛うほどの大穴がポッカリと開いた。
白煙を漂わせつつその場に降り立った者を、竜と少年は遠目では知っている。全身七色の金属的光沢を発する、言わば虹色の魔人。風が凪ぐ。しかし虹色の魔人は動じる気配さえも見せず、仁王立ち。
『間近デオ会イスルノハ初メテデスネ、[ギルガメス]サン。ソシテ[魔装竜ジェノブレイカー]」
ありえないことが起きてしまった。人の姿を見つけることがそもそも困難なこの場で、よもや虹色の魔人ビスマが突如として姿を現すなどとは少年主従も思いもよらなかったのである。