紺碧の青空の下、岩場にへばり付くように腹ばう深紅の竜ブレイカー。左手には時代がかったビークルを鷲掴み、右手は己が胸部ハッチを庇うべく覆っている。……忙しいのは両腕だけではない。両足も、尻尾も、背負いし六本の鶏冠も桜花の翼も、きっと数秒か数十秒後には迫るだろう後退の機会に備えて押さえつけたバネのごとく力を貯めているところだ。両足の鋭い三本爪が、滑らかに動いて何度も足場を確かめる。
その間にも、彼方では脳が割れんばかりの轟音が幾度となく鳴り響く。そのたび、深紅の竜は忌々しげに向こうを睨みつける。
彼方で繰り広げられたるは、超弩級の巨竜二匹が今まさに火花散らせつつお互いを叩き合う死闘の光景。……かたや緋色の暴君竜、深紅の竜を一度は窮地に追い込んだキメラゴジュラス「亢龍」。操るは水の軍団暗殺ゾイド部隊の実力者ケンイテン。かたや銀色の巨体、特A級の危険人物「導火線の七騎」を既に三騎、消滅させたケンタウロス・ワイルド。操るは虹色の魔人ビスマ。
二匹の攻防は傍から見れば素人の喧嘩のようにも思える奇妙な光景だった。
まずは両者の長い腕が十分に届く近い間合いで睨み合い。成り行きが作らせたこの異様な近距離から、両者の豪腕が一合又一合、張り手でも放つかのように繰り出される。ケンタウロス・ワイルドの三本爪が、キメラゴジュラスのナタのような爪が、互いの頭部を、首を、胸を捉えるたび火花が飛び散り轟音が潮風を震わす。
両者とも、一度たりとて防御の動作をしていない。……できないのだ。このゾイドとしては相当な近距離は、一歩後ずさる僅かな隙を捉えられ、一方的に攻め込まれるのが目に見えている。
その有り様を深紅の竜はじっと凝視し続けるより他ない。とにかく、己が胸部コクピット内部で今まさに繰り広げられる混乱が収まらないことには動きようがなかった。我が主人よ、お前の女は大丈夫か。深紅の竜は右手で庇う己が胸部ハッチを何度もちらりと見る。
胸部コクピット内部では、今まさにギルガメスとエステルがなだれ込んだところ。男らしく抱きかかえたいところだったが彼女は頭一つ分も背が高い。抱えるどころか自分の小さな身体をクッション代わりにしつつ、どうにか頭をぶつけるのだけは防いだ形。情けない。焦りに自己嫌悪が上乗せされ、彼の心はへし折れそうになるが。
「ギル、ごめん。
あなたはとにかく、席に座って」
そう言いながら彼女は腕立ての要領でどうにか上半身を持ち上げる。追随する少年。
「あの、せ、先生は?」
「座って」
この期に及んでも、彼女の声色は落ち着いていた。
意を決して少年は操縦席に着席する。たちまち上半身を覆うハーネス。両側より伸びるレバー。だがその時、突如の生暖かい感触に少年は不意を突かれた。……少年の両膝に顔をうずめてすがりつくような体勢で彼女がしがみついてきたのだ。ひゃっ、と少年は悲鳴を上げる。
「……ごめんなさい。ペダル、踏める?」
少年は「はい」とどうにか返事する。彼女の紡ぐ僅かな言葉の「間」に、彼女自身が懸命にこらえ、抑え込んだ心の乱れが容易に読み取れる。少年は唇を噛み締めた。
(男だろう? ギルガメス。
愛しているんだろう? 胸を張れ)
その気持はこのコクピットを預かる深紅の竜にも届いた。……少年が気持ちを切り替え、すぐさまレバーを捌きペダルを踏んだところで、竜はふわりと後方に一歩、又一歩、静かに跳躍して足音も抑えつつ後ずさる。
深紅の竜が後退する間も、緋色の暴君竜と銀色の巨体との殴り合いは継続していた。……戦況は気になるところだが、今はそれどころではない。
「……大丈夫ですか?」
少年の履く膝下丈のズボンの布越しに、彼女の荒い息遣いが伝わってくる。だがそれも先程よりは幾分、落ち着いてきた。彼女はゆっくり、顔を持ち上げる。
「ありがとう、少しは落ち着いたかしら……」
頭上で見つめる少年の円らな瞳は目一杯涙を溜めてしまい、今にも決壊しそうだ。苦笑いを浮かべるエステル。
「ごめんね。でも、そんな顔しないで。
それよりギル、あそこのデブに気をつけて」
エステルはここまでの大まかな顛末を話した。そして推測の域を超えないが、恐らくあの男……マノニアは、レアヘルツを照射する武器を持っているに違いないということを。
「レアヘルツ砲!? なんでそんなものをあんな奴が持っているんですか!」
「わからないわ。でもケンタウロスもレアヘルツ砲も用意できるのだから、あのデブは金やら何やら、相当な背景があるのは間違いなさそうね」
二人が話している間にも、彼らを乗せた深紅の竜はあの二匹の攻防から百歩やそこらでは届かない位置にまで後退できた。呼吸を整える深紅の竜。……金属生命体ゾイドに呼吸という概念はあるか? 公式に明言はないが、近い要素はあると筆者は想像する。電気や各種燃料を始め様々なものが体内を循環している筈だからだ。
「この辺で乗り換えるわ」
エステルの提案に、ギルガメスは「えっ」と思わず声を上げた。いちいち表情の変わる愛弟子に彼女は苦笑する。
「もう落ち着いたから、大丈夫よ。
それより、彼奴と戦うつもりなんでしょう?」
切れ長の蒼き瞳を投げかけられて、少年は一瞬躊躇したかに見えた。だがそれも数秒のこと。申し訳無さそうに、だがしっかりと頷く。円らな瞳に淀みはなかった。
「……すみません」
微笑みを返したエステル。両腕を踏ん張り、ゆっくり体を持ち上げる。着席したままの少年の小さな身体を伝うように。……不意を突かれた少年は息を呑んだ。切れ長の瞳が円らな瞳の真正面に辿り着いたところで、彼女はもたれ掛かるように少年の小さな身体を抱きしめる。そして、呆気に取られた少年の左の頬に、己の頬を重ねてきた。汗臭い室内にふわりと香る石鹸の匂い。
「良いわ、見届けてあげる。ヤバくならない限りは……ね」
耳元に囁くように告げて抱擁を解いた彼女の笑顔を目の当たりにして、少年は恥ずかしそうに俯きかけ、だがすぐ気を取り直しコクリと頷いてみせた。
再び開いた竜の胸部コクピットハッチの前には、既にビークルが用意されていた。エステルは軽快な足取りで飛び移る。……その間にも、考えていたことがある。
(あなたは本当、他人に優しいわよね。例え自分の命が危険に晒されていても。
私なら、さっさと逃げるわ。あなたやブレイカーさえ無事ならどうでも良いことだもの)
当の少年は残り香を少し追いかけたところで(スケベ野郎!)と自らの頭を軽く小突いて雑念を振り払うと、気を取り直してレバーを握り締める。
(ごめんなさい、エステル先生。ヤバいときはお願いします。必ず従います。
ビスマとは、できることならもう少しちゃんと話してみたい。僕には彼が踊らされてるようにしか見えないんです)
胸部コクピットハッチが閉じるとすぐに、映像を表示。全方位スクリーンを構成する一角に戻る。すぐさま少年は、真正面の彼方で繰り広げられる別のゾイド達が織りなす非常識な攻防の数々に視線を投げかけた。
蜘蛛の子を散らすように、橙色の蜂の群れが次々に飛び立っていく。この蜂・ブリッツホーネットのパイロットはいずれも例の、黒尽くめの機械人形。地上には二匹の蜂と二体の機械人形、そして一名の中年男性がその場で這いつくばってもがいている。マノニアだ。つい先程、虹色の魔人ビスマが自らの半身ケンタウロス・ワイルドに乗り込む際、その場に打ち捨てられたのだ。
「くそっ、何なんじゃあ彼奴は……」
ぼやくマノニア。あの虹色の魔人は命の恩人に対し、絶対服従どころか自分の思い通りにならないと驚くほど高圧的だ。その一方で、これから殺そうとする相手に対する気味悪いまでの
苛立つマノニアを、機械人形は二体掛かりで蜂の上にマノニアを乗せて押し込み、すぐさま垂直離陸を開始する。
「ええいビスマよ、少し後ろで待っておる!」
残る一匹も飛び立ったところを銀色の巨体はほんの僅かながら一瞥したが、その巨大な顎には早速緋色の暴君竜のナタのような爪が襲いかかっていた。
ハイレベルの「ど突き合い」は既にピークを迎えている。銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドと緋色の暴君竜キメラゴジュラスがお約束かのように交互に繰り出す殴打は、一発命中するたびに火花飛び散らし、両者とも大きく巨体をしならせている。
(コレハ体力ヲ消耗スル……!)
銀色の巨体の頭部コクピット内で唸る魔人ビスマ。……一見、誠に馬鹿げた「ど突き合い」。だが交互に繰り返される殴打の応酬は誠に淀みないが故に、退くことも前に出ることも容易ではない。その上、目前に立ち塞がるこの緋色の暴君竜は表情らしい表情が一切伺えない。ダメージが在るのか無いのか。疲れているのか。等々、ちょっとした表情が隙に直結するのがゾイド同士の戦いだ。それが察知できないのは緋色の暴君竜が人工ゾイド・ブロックスだからなのだが現状それを知る余地はない。
(エエイ、切ッ掛ケヲ作ラナケレバドウニモナラン!)
思案の最中、顎を打ち抜かれた銀色の巨体。左から右へ、巨体が揺さぶられるところまでが想定の範囲内だ。銀色の巨体は右腕の三本爪をぐっと握り締める。ここでほんの数秒でも力を溜め、加撃のタイミングをずらしつつもっと重い一撃を加えてやる。
ところが銀色の巨体が右腕を握り締めてこらえるや、相対する緋色の暴君竜の全身から火花が吹きこぼれた。こちらも繰り出す予定だった次の一撃を急停止したのだ。だから全身のブレーキに激しい摩擦がかかっている。
(読マレテイタ!?)
そう事態を把握した時には、銀色の巨体の右腕は力の溜めを既に終え、ピンと伸び切ろうとしていた。すぐさま己の全身に埋め込まれた突起も唸りを上げて回転し、火花が吹きこぼれる。我が爪の一撃を止めないと……。
緋色の暴君竜は全身でブレーキを掛け続け、右腕を自らの顎付近にかざしてみせる。
そこに自らブレーキを掛けて勢いを殺してしまった銀色の巨体の爪が伸びてしまう。受け止めるのは簡単だ。
スッポリと、ボールがグローブやネットに収まるかのごとく、銀色の巨体が中途半端に放った右腕は緋色の暴君竜がかざす右腕にすっぽりと収まってしまった。火花も弾けやしない。
暴君竜の頭部コクピット内で、長髪の狂戦士ケンイテンが気味の悪い笑顔を浮かべている。
「どうした、反撃の切っ掛けを作りたかったか? 読めてるんだよ!」
言うが早いか、緋色の暴君竜は強く踏み込む。足元で土砂が舞い上がる中、暴君竜は目下の敵の右腕を手繰るように急接近。二歩目までは呆気に取られてしまって遅れを取ってしまった銀色の巨体。三歩目にしてようやく首を傾けて暴君竜の動きを追い始めるが、そこに至るまでには背後に回り込んでしまった。タコが這うように銀色の巨体の下半身を構成する雷鳴竜ウルトラザウルスの胴体の上にまたがると、右腕は今掴んでいる銀色の巨体の右腕をひねり、残る左腕は首元に絡みつく。
「亢龍! マグネイズ・デスロック!」
緋色の暴君竜の全身各所に埋め込まれた立方体がまばゆく発光。放出されるエネルギーがこのブロックスゾイドの力と相まって銀色の巨体をグイグイと締め上げる。
常ならば人っ子一人いない筈の、この海辺の岩場の遙か上空。
超高度の雲の上にて、鋼鉄の海亀が浮遊していようとは戦いの当事者も気付くまい。……海亀に形こそ似てはいるものの、常識外の巨大さ故に十やそこらでは利かぬゾイドを腹部に積載している。タートルカイザー「ロブノル」、ヘリック共和国の特殊部隊にしてギルガメスの宿敵・水の軍団の移動拠点である。
その頭部、ドーム状の艦橋中央。円錐状に盛り上がった箇所の頂上に水色の軍服・軍帽を身にまとった男が着席している。馬面にこけた頬、ヤモリのように両目を見開く異相の男。水の総大将その人が天井のスクリーンを睨んでいる。そこに映し出されているのは数匹のゾイドの頭頂部。この移動拠点が今まさに撮影しているものだ。あくまでも空高くからの撮影ではあるが、地形もゾイドも、付近の人物までも驚くほど鮮明に捉えている。
さて水の総大将は表情を崩さない。やがてケンタウロス・ワイルドとキメラゴジュラスが激突するさまを見るに及び、じっと腕を組んだ。
円錐の中腹には高官らしき軍服の者達が十数名も着席して任務を遂行している。するとその内の一人、見たところ初老と言って差し支えない高官が手を上げた。
「総大将、ケンイテンがギルガメスの一味や謎のケンタウロスを倒した場合、処遇は如何なさいますか?」
その方角を見遣る異相の男。
「大殊勲を上げても罪を減じる可能性はない。この者は脱走者だ。
それに他の暗殺ゾイド部隊の勇者が命をかけている中、此奴は悪ふざけで殺戮を続けた。それを軽くするわけにはいかない」
その時、天井のスクリーンが映し出す光景にドーム内の兵士や将官は歓声を上げた。緋色の暴君竜が銀色の巨体の背中に絡みついた。必殺のマグネイズ・デスロックが発動すると、彼らは確信した。
ところが異相の男だけは無言のままスクリーンを見つめるのみだ。
「悪ふざけの代償は、どこまでも高く付くぞ」
虹色の魔人ビスマの頭部に眼球や口腔のディテールは存在しないが、あれば絶叫しただろう。
一方、長髪の狂戦士ケンイテンは気味の悪い笑顔を浮かべながらレバーを絞り込んでいる。
「どうした、声もないか?
つまらねぇな、だったら早く死ね。お前の次はギルガメスとジェノブレイカーだ」
その言葉を耳にして、虹色の魔人はまるで人が鼻を鳴らすような音を立ててみせる。
銀色の巨体は絞め上げられる最中、おもむろに左腕を空にかざす。……たちまちその三本爪の内側に光の粒が集まり出すと、雷蛇が絡みついて槍の形状を作り上げていく。
だがその最中、背後から絡みつく緋色の暴君竜が大顎を開く。鮮烈な噛み付き。銀色の巨体の爪から金色に輝く槍がすっぽ抜けた。真後ろに、己の背中を伝うように落ちていき、虚しく地面に突き刺さる。
まるで墓標のように、荒れ果てた岩場に煌々と輝く金色の投擲武器。
長髪の狂戦士はちらり横目で見てほくそ笑んだ。
「ははっ、足掻け足掻け。
全ての可能性を潰してやる。絶望のまま死んでいけ」
銀色の巨体の背中から、時折火花が飛び散り放電が幾条も伸びているのが確認できる。背負い込まれた網目状の翼を懸命に開こうとしているのだ。しかし翼の上には緋色の暴君竜が密着し、その機会を許さない。逃げながら振りほどくのは最早不可能である。
遠くからその光景を目の当たりにしていたギルガメスは、思わずハーネスで固定された上半身の許す限り目一杯に身を乗り出した。
その有り様を把握した深紅の竜は自らの胸部に埋め込まれたコクピットハッチに軽く触れ、たしなめる。……シンクロによってその感覚が伝わったため、少年は深呼吸して落ち着くよう努めた。
(そうだギルガメス、何を動揺しているんだ。
ビスマは気になる。でも、とんでもない敵でもある筈だ)
するとその時、少年は僅かな異変に気がついたのだ。……銀色の巨体の胴体や下半身の側面にある無数の銃身・砲身がジリジリと動いている。
「砲身が……こちらに、向けられている? なんで!?」
二対一で銀色の巨体を殲滅する作戦なら、対抗策として大いに有り得るだろう。……だが今の深紅の竜は只の観戦者に過ぎない。ともかく身を守るのが先だ。深紅の竜は両翼を前方にかざす。
一方、銀色の巨体の背後に回る緋色の暴君竜にはさしたる動揺は見られない。砲身をこちらに向けられるわけがないのは明らかだ。頭部コクピット内でモニターを睨む長髪の狂戦士は嘲笑う。
「何をトチ狂ってるんだよ!」
虹色の魔人は相手にせぬまま一声、叫ぶ。
『[無限、装填]』
腹部の銃身・砲身から一斉に解き放たれた爆音、火花。
銀色の巨体が備える銃身・砲身は、一斉に自らの足元めがけて解き放たれた。間欠泉でも掘り起こされたかのごとく岩盤が弾け、砂塵が真上に噴出する。その衝撃たるや今この場に並び立つ、100トンを超える超重量のゾイド二匹が爆風で吹き飛ばされそうだ。
長髪の狂戦士はコクピット内で踏ん張りながらモニターの向こうを睨む。……銀色の巨体の背後に己の相棒が絡み付いて首を絞めるこの状況、この敵を盾にしたも同然ではある。だからこそあの虹色の魔人の真意がすぐにはわからなかった。
ありったけの銃撃・砲撃は、途切れる兆しも見えない。その最中、銀色の巨体は四本脚の内、両の前足を高々と振り上げた。振り下ろす勢いのまま、強烈な蹴り込みは足元の岩場を鋭く蹴り込んだ。
無限装填による尋常ならざる爆風に、銀色の巨体が自ら繰り出した蹴り込みの力が加わった瞬間、合計200トンを優に超える鉄の塊はふわり、宙に浮いた。数メートルも浮いてはいないが、これで十分だ。そのまま爆風の勢いで真後ろに吹き飛ばされる。
長髪の狂戦士はようやく事態を、そして虹色の魔人が描いた真の狙いを理解した。このまま数十メートルも吹き飛ばされれば、そこには先程銀色の巨体が落とした金色の投擲武器が、地面に突き刺さっているではないか。
爆風の勢いであっという間に吹き飛ばされる二匹の巨竜。
緋色の暴君竜は銀色の巨体にしがみついたまま。……必殺のマグネイズ・デスロックは完璧に決まっていた。だからこそ、簡単には振りほどくことができない。ひとしきりレバーをガチャガチャと乱暴に弄っていた長髪の狂戦士。やがて文字通り狂ったかのごとく高らかに笑い始めた。
二匹の巨竜はそのまま、地面に突き刺さっていた金色の投擲武器ケンタウロス・アローに引き寄せられていく。
緋色の暴君竜が晒す背中に投擲武器が突き刺さるや、瞬く間に電流の蛇が這い回り、地獄の業火が暴君竜のコアブロックを融解させる。爆発、四散に至るまで数秒も持たなかった。……しかし爆発の時間自体は決して短いものではない。どうにか着地した銀色の巨体は、すぐに四本の足と一本の尻尾でこの岩場に踏ん張らざるを得なかった。銀色の巨体に引けを取らない巨大なブロックスゾイドが粉々に砕け散るには相応の時間がかかっていた。
無論この結末は、遙か上空に漂っている鋼鉄の海亀タートルカイザー側でも確認されていた。頭部のドーム状の艦橋内では沢山の兵士や将校が、天井の超巨大スクリーンにてこの光景を目にしていたが、ひと目には大逆転と言えるだろう結末に一同は静まり返っていた。只一人、水の総大将と呼ばれる異相の男を除いて……。
「『ロブノル』は手筈通り、南へ移動を開始する。総員、持ち場につけ」
無表情で指示を送る異相の男。
鋼鉄の海亀は流れ行く雲のごとく、ゆっくりと動き始めた。
紺碧の青空を、黒煙と火の粉が穢していく。その一方、果てからも徐々に流れ雲が漂着しつつある。着々と曇天に塗り替えられていくその有り様。時は確実に刻まれ、事象は変化していた。
目前の一部始終を、深紅の竜は両翼を前方にかざしたままその下からじっと凝視していた。翼のすぐ裏側には銃器に挟まれたビークルがふわりと浮いている。
銀色の巨体が備える銃身・砲身の向けられた先がそのすぐ足元だということに、この賢い竜はすぐ気付いた。もし狙撃の恐れがあるなら咄嗟に跳躍すべきだが、十分な距離を確保できていた以上、この程度の防御で十分と判断し、事実その通りの結果となった。
深紅の竜の胸部コクピット内で、ギルガメスは何度も何度も、深呼吸を繰り返す。次は僕の番だというその事実が、いやが上にも彼の心臓を揺さぶる。
その様子をエステルもビークル据え付けのモニターから覗いていた。軽く眉間に皺を寄せる彼女だったが、やがて視線が少年と重なった。全方位スクリーン側も、彼女の顔はウインドウを通して映し出されている。……軽く頷き合う、二人。難しい言葉で語り合える時間帯ではなかったが、これで十分だ。
不意を突くように、彼方で轟く雄叫び。銀色の巨体だ。背中は炎上し、依然として煙や火花を背負っているが、金色の光の粒が着々と引き寄せられている。強力な自己修復機能がこの異形のゾイドの破壊された箇所を怒涛の勢いで修復しているのだ。
『[ギルガメス]サン、オ待タセシマシタ』
穏やかな口調で虹色の魔人ビスマが告げる。先程までの激闘の余韻も満身創痍も感じさせない。
その声を耳にしたところで、銃器に挟まれたビークルは消えるように深紅の竜から遠ざかっていく。……全方位スクリーン左上に表示されたウインドウでは愛する女性が手を軽く上げている。釣られて笑顔で手を振ろうとした少年は息を呑み唇を噛んだ。彼女は口元こそ緩めてはいるものの、あの切れ長の蒼き瞳は鋭い眼光の中に憂いの濁りが混じっているのが明らかだ。
(何とかします。何ともならない時は……お願いします)
少年はウインドウが閉じられたところで視線を中央に戻すとゾイド胼胝のできた両掌で今一度顔を覆う。再び掌を退けた時、円らな瞳はスクリーンの向こうに厳しい眼光を投げかける。左右から伸びるレバーを引き寄せるように握り締め、軽く息吹く。
自らの胸元を一瞥した深紅の竜。囁くように軽く鳴いて応えると、視線を戻し一歩又一歩、牛歩のごとく進み始めた。
さて目前には先程の無限装填により依然マグマの如く焼けただれた大穴があり、そのすぐ先に銀色の機体が仁王立ち。両肘を腰まで引き付け、両腕は逆手に構える。掌には既に光の粒が引き寄せられ雷蛇がうねっている。そして気になるのは胴体や下半身の側面にある無数の銃身・砲身。どれも先端に光を宿している。……遠間合いからでも迎撃するつもりなのは明らかだ。
決心と共に少年は生唾を飲み込んだ。
「ブレイカー、行くよ!」
応じて吠える、深紅の竜。
吹き飛ぶ岩盤、天を衝く。第一歩は左の前足を、右へ。反時計回り。目指すは左側面に回り込んでの斬撃乱れ打ち。すぐさま背負いし六本の鶏冠を逆立て、先端より蒼い炎を吹き出す。
その軌跡を真横から、銃弾・砲弾が櫛の歯と化して襲いかかる。
ますます前傾となった深紅の竜。十数歩の蹴り込みを経て、地面スレスレで浮き上がった巨体。そのまま腹ばいで滑り込むように旋回。追いすがる弾丸は、竜の軌跡に遅れて続く蒼い炎を切り裂くのが関の山。
この動きをまるで想定していたかのように、銀色の巨体も又左回りにジリジリと旋回を開始。両腕を逆手に構えたままキャノピーの下に妖しく光る二つの目で竜の動きをじっと凝視。その間にも、深紅の竜と銀色の巨体の距離は縮まっていく。
「翼の、刃よ!」
右の桜花の翼を水平に開くやその内側から双剣が展開。切っ先が重なって一本の大剣と化す。その勢いのまま、反時計回りに渾身の斬撃を浴びせる決意。
その有り様を、銀色の巨体の頭部コクピット内でじっと凝視していた虹色の魔人は遂に叫んだ。
『[ケンタウロス・アロー!]』
逆手に構えた両掌を合わせる銀色の巨体。光の粒が瞬く間に凝縮されるや、巨体は両腕を左右に目一杯広げた。
空中に、水平に描かれた一条の閃光。眩しい輝きを伴い実体化したのは金色の投擲武器。神前に捧げるように両手で掴んだその時。
澄み切った金属音が、雷鳴が、同時に轟き辺りを震わす。
少年は円らな瞳で刮目し、深紅の竜は紅い瞳で鋭く睨んだ。
右の「翼の刃」から繰り出された渾身の水平斬り。だがその切っ先を受け止めたのはあの金色の投擲武器だ。矢尻とも槍の穂先ともつかぬその先端は刃こぼれ一つせず、火花のみが吹きこぼれている。
そして投擲武器を握り締める銀色の巨体は文字通り、両手で槍を握る自然な構えで微動だにしない。
尚も吠える少年。左のレバーを強く押し込む。
深紅の竜は姿勢を一切変えず、ただ左の桜花の翼のみ水平に広げる。右の大剣がバネ仕掛けの玩具のように勢いよく離れるや、返す刀で左翼の下からも双剣が展開、大剣と化して銀色の巨体めがけて浴びせ掛ける。
それがまるで予想通りとでも言いたげに首を傾ける銀色の巨体。穂先から右の大剣が離れると、すぐさまバネ仕掛けかと見紛う反応で金色の投擲武器の「石突き(※槍や薙刀などの柄の、地面に突き立てる側をカバーする部品)」側を振り抜く。
辺りに澄み切った金属音が鳴り響く。左の大剣も、投擲武器の「石突き」によりガッチリと受け止められた。
色めき立つ少年。だがすぐに我に返ると、短く息を吐き出しレバーを捌く。深紅の竜もそれに応えて速やかに数歩、真後ろに飛び跳ねて後退。
その間も、少年主従は目下の強敵に対し観察を怠らない。……銀色の巨体は堂々たる構えだ。先程構築した金色の投擲武器は依然、両腕で水平に、胸元辺りで構えている。
(まさか)
嫌な、閃き。
少年の相棒も己が胸元に鼻先を近づけ、囁くように鳴いて訴える。
少年はコクピット内の決して高くはない天井を見上げた。
(君も、そう思う?)
強烈な、既視感?
いやそんな生易しいものではない。
銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが、金色の投擲武器「ケンタウロス・アロー」を水平に構える、その姿。
これは、鏡だ。
そこに浮かび上がっているのは、わが心優しき相棒・深紅の竜ブレイカーが両翼の大剣を水平に構える姿そのものだ。姿形は全く違うのに……!
一方、彼方で微動だにせぬ銀色の巨体。頭部を覆うキャノピーの下では赤い二つ目が明滅。着席する魔人ビスマの金属質の皮膚は、うねって怪しい輝きをまとう。
『[ギルガメス]サン、ソシテ[魔装竜ジェノブレイカー]、コレガ先ノ戦イカラ、私ガ導キ出シタ[答え]デス。
貴方達ハ素晴ラシイ! ダカラ貴方達ノ戦イ方ヲ、私ハ真似マス』
魔人が宣言するが早いか、金色の投擲武器が
臆することなく、深紅の竜も桜花の翼を翻す。
後見の美女、そして中年男性は、それぞれが駆る機体上で展開をじっと凝視するより他ない。
戦闘態勢に転じた深紅の竜。その遙か後方で、地面すれすれを浮かぶビークル。
着席するエステルはパイロットスーツの乱れを既に直し、ヘルメットも被り直したところ。その間にも揺れ動く形勢を、据え付けのモニター上でじっと観察している。……愛する者の前では聞き分けたつもりでも、その裏ではいつでも介入できるよう準備ができていた。
(まあ、まだどうこういう状況じゃあないけれどね。でも、そうなった時はごめんね)
彼女は彼女で、ただひたすらに愛する者とその友達だけを守る決意だ。
マノニアの方は、ひときわ大きな岩山の裏側で橙色の蜂ブリッツホーネットの一隊と共に身を潜めていた。介入などという大それた事は考えていない。あの危険極まりないレアヘルツ砲を用意していても、だ。
(パワーが足りん! 数秒でコロリならまだしも……)
自身も橙色の蜂の座席につくと、例の板状端末を睨む。 端末上に、次々に開くウインドウ。そのどれもが、彼らのいる岩場では撮れる筈がない角度での撮影。例の『密偵』蜂によるものだ(※第11章参照)。
(思い通りにならぬなら、せめてデータじゃ)
傍らでは黒尽くめの機械人形達が相変わらずカサカサと動き回る。ここまで駆ってきた蜂を整備していたが、それも終わろうとしていた。
澄み切った金属音は余りに鋭い。数キロ先で耳にしても頭の天辺から足の爪先に至るまで一気に痺れてしまう。
激しい音を介した戦いが、そこでは繰り広げられていた。
深紅の竜、跳躍。銀色の巨体の真正面に躍り出て、両翼の刃を一振り、もう一振り。
そのたび銀色の巨体も微動だにせず、ただ水平に構えた金色の投擲武器を淡々と合わせていく。
右の刃が迫れば、穂先を。
左の刃が続けば、石突きを。
数合目にして深紅の竜は、火花と共に競り合う刃を引き離すその勢いで、一旦は数歩程も後退。
胸部コクピット内の少年は困惑の色を隠せない。一切の邪念も無駄な動きもなく、奇麗に繰り出した筈の「翼の刃」が、ものの見事に弾き返されている。しかも……と少年はしっかりレバーを握った己の両腕を見つめる。感じるのは「軋み」だ。シンクロによって感じ取る痛みのパターンとしては余り経験がない。
(力負けしているのか)
対する銀色の機体は宿敵の後退を確認するや、再び金色の投擲武器を水平に構え直す。
そして下半身を構成する四本脚がゆらり、一歩を踏み締めた。間合いを詰めて、圧力をかける狙い。
意図は少年にもすぐ理解でき、だからこそハッと短く息を吐いた。
(怯むな、これからだろう、ギルガメス!)
応えて地を蹴る深紅の竜。左に数歩も進んで加速をつけたところで、両足が宙に浮いた。跳躍? いや、滑空だ。ホバリングで素早く大回りするつもりだ。
銀色の巨体は察知したのか、ぐっと腰を落とす。たちまち四本脚のラッパ状した裾の装甲部分から光の粒が溢れ出した。銀色の巨体もホバリングで旋回、開始。あくまで合わせていくつもりなのか。
ヘアピンのような鋭いカーブを決める深紅の竜。ホバリングの勢いのまま強く地面を蹴り込んだ。銀色の巨体はまだ竜が迫る方向に旋回し切れていない。
曇天を背に、躍り出る深紅の竜。翻す、左の翼。
やはり、澄み切った音。この一撃にも、投擲武器の石突き部分が合わせられた。何たる正確無比。……だが、それが狙いだ。
深紅の竜は今まさに動きを止められた左の「翼の刃」の切っ先に力を込める。そのまま、反動の逆回転は反時計回り。その間に右の「翼の刃」は振り抜か……ない。振り抜いたのは、長い尻尾。鞭のように
その動きを銀色の巨体の赤い眼はじっと凝視。一切の表情を変えず、猛りもせずにすっと、得物たる投擲武器の穂先側を己が顎に引き寄せる。
鈍い轟音。深紅の竜が繰り出す尻尾を、見事なまでの平行に受け切った投擲武器。軋む余裕も与えぬまま、銀色の巨体は投擲武器ごと押し返す。
吹っ飛ぶ深紅の竜。だがその間にも両翼を広げて体勢を立て直す。腹這いの、着地。辺りの岩場に亀裂が走り、丘が崩れる中、透かさず竜は立ち上がる。
その足が、止まった。
深紅の竜は紅い瞳で睨みつける。
数十メートルも先で、銀色の巨体が金色の投擲武器を両手で握り、穂先を向けて構えていた。
このまま深紅の竜が突っ走れば、確実に串刺し。
銀色の巨体が一突きした場合、深紅の竜は果たして掻い潜って迫れるだろうか。
それははっきりせぬまま、深紅の竜は左後方に一歩、下がる。追いかけるように投擲武器の穂先が向く。又一歩、さらにもう一歩。
すぐに漂う静けさを、早々に切り裂く者がいた。魔人ビスマは全身虹色の光沢をますます鮮やかに発光させながら。
「凄イ! 凄イ! ヤハリ貴方達ハ凄イ! 受ケ切ルノガ精一杯ダ!
デモ、コンナモノジャアナイデショウ?
貴方達ノモット凄イ技ヲ、見セテ下サイ、サア!」
胸部コクピット内でギルガメスは円らな瞳をカッと見開いた。唇がワナワナと震えている。……何たる挑発、何たる煽り。実際のところ少年自身はこの手の挑発に弱いことは自覚している。だからこそ、ここは何としてでも自分の気持ちを抑え込みたいところだが、動揺の色は隠せないままだ。
すぐさま全方位スクリーン左上にウインドウが開く。愛する女性が被るヘルメットのシールドを上げつつ訴える。
「ギル、ギル、聞こえて? 駄目よ、乗ったら」
奥歯を噛みしめる少年。レバーを徐々に動かす。細かな動きで我が相棒の間合いを強敵から離そうとする狙いだ。
だがそこに割り込むように右上にウインドウが開いた。虹色の魔人ビスマの姿。目や口はない筈なのに、不敵な笑みを浮かべたかのように見える。
『来ナイナラ、コチラカラ行キマスヨ』
少年の唇から発せられた震えは、既に両腕にまで移っている。
ビークルのモニター上でもそれが感知できたから、エステルは囁いた。
「待って。そのままよ、そのまま」
囁きながらビークルの操縦桿に手をかける。愛する男は素直なようでいてかなり強情だ。逆撫でるような表現を使わぬよう、なだめる言葉にも気を遣う。
さてこの激闘の渦中、ギルガメスは「再び」思い知らされたのだ。……彼ら主従とそびえ立つ銀色の巨体が繰り広げる決闘など、この世界では余りにちっぽけな出来事に過ぎないことを。
突如として響き渡った重低音。少年の心臓を突き、一瞬で頭の天辺まで突き抜けていく。
少年は凍りついた。全身を伝う汗の温度が何十度、下がったのだろう。
同じ異変をエステルも感じ取っていた。ビークル据え付けのモニターに覆いかぶさるように叫ぶ。
「ギル、ギル、聞こえて!?」
だが彼女の声が届くよりも早く、少年は決断していた。
「ブレイカー、跳ねて!」
標的の動きに、魔人ビスマは惑わされた。……自らの分身・銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが構える穂先の向こうにうごめく闘志の塊が、一瞬にして氷点下まで凍りつきながら遠くへと跳ね跳んで退いていく。
『逃ゲルノデスカ!?』
困惑、そして絶望一歩手前の失望。だがここで割り込んだ鋭い一喝が虹色の魔人を現実に引き戻した。
「この馬鹿者がーーっ!」
銀色の巨体の遙か後方では橙色の蜂ブリッツホーネットの一隊が既に浮遊していた。先頭の蜂に乗った小太りの中年男性が勇ましくも怒鳴りつける。
『[マノニア]……!?』
「お前はそこで踏ん張れ!」
辺りの岩場一体が鼓と化した。鈍い響きだが、脳や心臓にゼロ秒で到達する衝撃。人の数倍もある岩が垂直に数メートルも跳ね上がる。
既に跳躍を果たした深紅の竜。透かさず背負いし六本の鶏冠を目一杯広げ、蒼い炎を噴射させて空中浮遊の体勢に移る。大剣は畳んで桜花の翼の裏側に収め、この翼を地面と水平に構えながらバランスを取った。
胸部コクピット内のギルガメスはすっかり青ざめた表情で、全方位スクリーン越しに真下を見つめる。空中に浮遊することで地面の揺れによるダメージから逃れる予定だった筈だ。……だが今、少年の五体は激しく揺さぶられるような感触が抜けない。きっと、外の空気さえ激しく震えている。
消耗する状況の中で、全方位スクリーン下方で火花の明滅が見えた。時代がかったビークルが急接近してくる。スクリーン左上でずっと表示されていたウインドウは深々と腰掛け直したエステルの姿を映し出していた。ヘルメットのシールドを上げた彼女も少し息切れしている。だがそれでも浮かぶ笑顔は眩しくて……少年は胸を撫で下ろした。だが厳しい表情を完全に緩めることなど、到底できなかったのだ。依然、継続する事態の急変を把握すべく少年は全方位スクリーンを隅から隅まで見渡す。その上で、呻き声ともつかぬ吐息が自然と漏れてきた。
こうしてギルガメスは昨日に引き続き二度も、地震を経験した(尚、この辛く苦い経験はこの時点でまだ終わってはいない)。地球で起きれば「大地震」「巨大地震」に分類されるだろう規模のものを、だ。
同様の経験者は未だ地上にいた。……銀色の巨体は雷鳴竜ウルトラザウルスの胴体で構成された部分が地面にへばり付く状態で完全に硬直している。ラナイツの試合場で地震が起きた時と同じだ。
だが銀色の巨体は既に慣れたとでも言いたげに余裕綽々でいる一方、恨めしそうに空高くを睨んでいる。言うまでもない、宿敵・深紅の竜がそこにはぼんやり浮かんでいる。
激しい揺れはきっと、揺れ始めてから既に三十秒程度は経過したに違いない。それ以外の目安もないままに、虹色の魔人は告げた。
『[ギルガメス]サン、モウ一合』
深紅の竜はその方角をじっと睨むが吠えるどころか唸りもしない。
『モウ一合』
再び叫ぶ魔人。
竜の主人から返事は、ない。
その最中に揺れが弱まりつつあることを魔人は体感した。この揺れならば立ち上がり飛翔に転じることができる。
『無視ナサイマスカ! モウ一合!』
背中より折り畳まれていた網目状の翼が羽化を果たした蝶の如く広がる。翼の網目部分に宿った電気の膜。四本脚で踏み付け、岩場にクレーター並みの跡を残しつつ、銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは飛翔の開始。
たちまち深紅の竜が浮かぶ高度まで浮かび上がると、銀色の巨体は金色の投擲武器を振りかざしつつ、歓喜の雄叫びを上げた。
『サア、モウ一合!』
彼方で漂う深紅の竜は押し黙ったまま、紅い瞳でじっと睨み返す。
それは先程まで激しい闘志で燃え上がっていたとは思えぬほどに冷ややか。
その温度差に躊躇した銀色の機体は、この深紅の竜の振る舞いによってようやく事態の急変が継続していることを悟ったのだ。岩場の先に広がる海はどす黒く濁り、果てしなく続く白波を巻き上げて迫ってくる。それが二波、三波と発生し、水平線の彼方まで続いている。紺碧の空は灰と砂利の雲で覆われ陽が差し込む兆しは閉ざされたかに見える。
津波が、発生していたのだ。既に両者の五体にはピシャリ、ピシャリとぶつかる音がする。先の地震で吹き飛んだ小石と、近付いてくる波飛沫によるものだ。
深紅の竜は右手で自らの胸元を弄る。……胸部コクピット内で、若き主人は肩を震わせていた。動転。未経験の、この世の終わりかと見紛う災害を目の当たりにしたのだから無理もない。
「ギル、ギル、聞こえて? 大丈夫?」
ウインドウを介して愛する女性がしきりに声をかける。……少年は頷くのがやっとだ。
きっと大丈夫だ、立ち直ってくれると深紅の竜は信じた。それがひどい期待だということは承知の上で。……本当に許せないのはそういった気持ちをまるで理解しない生物が近付いていることだ。だから深紅の竜は相当に腹を立てている。
無論、銀色の機体にはそんなことなどどうでも良かった。
(コノ状態デ戦エバドウナルカ? モット凄イ技ヲ発揮シテクレマスカ?)
心が踊った。
目一杯広がる網目状の翼。金色の投擲武器を両腕で握り直す。
雄叫びを上げる。無慈悲な、鬨の声。
その時のことだ。依然空中で浮遊する彼らの足元で、拍手の如き破裂音が鳴り響いたのは。
信号弾の煙が、足元で漂っている。ゆらりゆらりと、二匹に絡みつくように。
(コノ一帯ニ、Zi人3名、ゾイド二匹、ソレ以外ノ生物ガイルノカ)
足元を見渡す銀色の巨体。
この期に及んで滑稽に振る舞う様子を、再び一喝したのがあの小太りの中年男性だった。A3大の板状端末越しに怒鳴る。
「撤退じゃ! 第三者がおる!」
この両者の激闘を長時間監視できる程の装備と肝っ玉を兼ね備えた者がいるとしたら、それは相当な水準の兵士に違いない。
『シカシ……!』
「援軍もそうじゃが、そもそも足跡を辿られたら野望も終わりじゃぞ!
お主は既に『導火線の七騎』も四騎、倒したのじゃ。胸を張れ!
今後の策も用意してある、今は黙って退け!」
すぐさま銀色の巨体の傍らに橙色の蜂の群れが寄ってくる。
未練がましそうに深紅の竜を一瞥。網目状の翼を羽ばたかせると火花がパラパラとこぼれ始めた。
かくしてその場を飛び立った銀色の巨体ケンタウロス・ワイルド。蜂の群れがあとに続く。
曇天を背負い呆然の深紅の竜。怒りの眼差しは宿敵が彼方に消えるまで決して逸らすことがない。
その意志だけはどうにか受け継いだギルガメスが虚ろげに全方位スクリーンの彼方を見つめる。
「ごめんなさい、ブレイカー、先生」
ウインドウの向こうで、愛する女性はヘルメットを取ると首を横に振った。……十数秒後には次の行動を決めなければいけない。この第三者に対してどう行動すべきなのか。切れ長の蒼き瞳に憂いは消えないが、今は災厄が遠ざかったことだけがとにかく嬉しくて……口元は少し、緩んだ。
竜の胸元にまで近付いてきたビークルを、深紅の竜は両手で抱える。
この世の終わりのような光景を、過去に何度も目にはしていた。忘れかけていた一切の感情は、今の主人が見せた動揺を目の当たりにして、忌まわしきものだと深紅の竜は確信した。
足下では、いよいようねる白波とどす黒く濁った海水が戦場だった岩場を埋め尽くそうとしていた。
(つづく)