超弩級の切り株の如きルシラッド山にも穏やかな日常があった。真っ平らな山頂の中央部は乾き切った岩や砂で覆われているが、縁にはところどころ、ささやかな畑らしき箇所が確認できる。
その一角で走り回る子供達。皆笑顔を浮かべてはいるが、その手には奇妙な棒を抱えていた。……弓矢だ。そして皆、分厚い手袋をはめている。
標的となる巨岩に円を描く。一射、又一射。男女関係なく、年長者ほど確実に的の中央を貫いていく。彼らにとって弓矢は単なる娯楽ではない。外界と半ば隔絶されたこの山の住人にとって、銃砲は簡単には入手できぬもの。そこで弓矢だ。弓弦も矢尻も、蹴散らした外敵たる金属生命体ゾイドの死骸を解体、切り出し削り出すなどして作り上げたものである。……良質の素材で作り出した弓矢を優秀な戦士が射れば、分厚い装甲でも十分に刺さる。物陰からキャノピーや関節部分などの急所を狙えば十分に脅威だ。だから彼らは弓矢を覚えるよう若いうちから仕込まれているのである。
次は僕だ、いや私だと我先に弓矢を構える。そのたび岩が削られる音が何度も辺りに響き渡る。
そのすぐ後ろで待機する子供達が巨岩の的を真剣な眼差しで見つめていたその時、異変が明らかとなった。
「何だろう。キラキラ光ってる……」
突き抜けるような青空の、ずっと彼方。視力の良い者が揃った子供達はすぐに的を射るのをやめた。光る物体をまじまじと見つめ、輪郭を見極めようとしている。
青い天幕からいつしか浮かび上がったそれは紛うことなき異形。ゆらり羽ばたく網目状の翼は光の膜で覆われ、金色の粉が後を引く。翼を背負うは全身銀色の四脚獣かに見えるが、よくよく目を凝らせばその首から上には暴君竜の上半身がそびえ立つ。異形の巨体は切り立った崖を駆け下りるが如き勢いで青い天幕を落下していく。全身を彩る銀色は、既に地上のあらゆるものに対しその禍々しき姿を明らかにしていた。
銀色の巨体は前足を前面に突き出し、大海に飛び込むが如き姿勢で急降下している。そして轟いた爆音。
噴火か、それとも着弾か。白煙が膨れ上がって荒野を覆い尽くす。遅れて駆け巡る地響きは、山頂で固唾を飲んで見守る子供達の足元をさらった。
気が付けば皆、尻餅をつくか転ぶかしていた。先に身を起こした数名が周囲を見渡せば、どうやら全員転んだだけで意識を失うほどの事態には陥ってないとわかった。だが、一息つく余裕はない。
彼方で、雄叫び。ふもとの方だ。先程白煙が膨れ上がったあの辺り。
立ち上がった子供の内一人があっと声を上げた。素っ頓狂なその声に他の子供達もつられて立ち上がる。
飛来したあの銀色の巨体が四本の足を頼りに起き上がった。背中より生えたる網目状の翼が眩しく輝くと、電流の膜を一面に張り巡らす。そして羽ばたき、数度。たったそれだけで、立ち込めていた白煙が散らされ押し流されていく。
再び、雄叫び。遠雷と形容するには余りに鋭く、子供達の耳を、胸を突き抜け震わせる。
「どうしよう、どうしよう」
「早く名無し様にお伝えしないと」
子供達は右往左往するより他ない。
銀色の巨体が握り締める両掌から、飛び立つ橙色の蜂。いや掌だけではない、銀色の巨体の全身至るところから飛び立つ蜂達。ブリッツホーネットだ。
掌から飛び立つ蜂の背部。黒尽くめの機械人形に運転を任せ、その後ろにはトレンチコートの小太り中年マノニアが例によってふんぞり返っていた。しかしその両手に板状端末はなく、コクピット前面にマウントされている。持つべき両手はヘルメット越しに両耳を塞いでいる状態。おまけに凄まじいしかめっ面。
「やかましいのう……せめて合図くらいしろ」
『ソレハ済マナカッタナ、フフフ』
板状端末越しにその姿を表した虹色の魔人ビスマ。のっぺらぼうに近い造形ながら口元に当たる部分は何か動いたようにも見える。
「しかしこれで出てくるものか? この遺跡、想像以上の鉄壁じゃぞ。
ここから放たれるレアヘルツは何万メートル上空をカバーしているか想像もつかぬ。地下のゾイドコア反応など全く確認できん。どれだけ分厚い装甲で覆われているのやら」
『ソコデ[デモンストレーション]ダ。オマエハ高ミノ見物ト洒落込ムガイイ』
言うではないか。苦笑するマノニア。
「よーし、黙って見ていてやる。
地上最強のゾイドが儂のもとに帰ってくるのを期待しているぞ」
橙色の蜂達が、速やかに銀色の巨体の元を離れていく。巨体は振り返る素振りも見せない。
おもむろに、巨体の頭部を覆う橙色のキャノピーが眩しく輝いた。内部のコクピットには虹色の魔人ビスマが着席している。……両腕を振り上げる魔人。両腕を振り上げゆっくり大きく弧を描きつつ、レバーに手を添える。そして、地の底から響く雄叫び。
『[無限、装填]』
銀色の巨体の腹部や下半身側面にこれでもかと埋め込まれた銃身・砲身が一斉に火花を吹いた。
間近で耳にすれば確実に鼓膜と心臓を痛めるだろう、響き渡る発砲の重低音。
彼方で土砂が高波のごとく吹き上がった。標的は切り株のようなルシラッド山のふもと。澄み切った空気が震え、山全体が小刻みに揺れ始める。たちまち空高く舞い上がる砂埃は増殖するカビの映像を何倍にも早送りしたかの如き勢いだ。
弾幕は、途切れる兆しを見せない。
岩盤に埋め込まれた黒鉄の竜は、自身の右目の後ろに熊手のような右掌を押し当てると、押し殺すような声で呟いた。
《来ちゃったか》
竜の足元に居並ぶ師弟は顔を見合わせる。遂にあの銀色の巨体が追いついたというのか。
「どの辺にいるんですか!?」
身を乗り出すギルガメス。見上げる程巨大な黒鉄の竜にも決して負けない勢いで話しかける。と、彼の足元がぐらりと揺れた。少年はハッと息を飲みつつバランスを取る。よもや銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドの銃撃・砲撃の衝撃が地下深くまで到達するとは、一体どれほどの衝撃なのか。
黒鉄の竜は熊手のような右掌を右目の後ろに押し当てたまま何やらブツブツ呟く。……遠くでサイレンと機械音声の避難放送が聞こえてきた。
《今、ここの住人達にも避難させるよう基地内のシステムに指示を出したよ。……ひとまずは『避難』だね。立ち向かって歯が立つとも思えないけれどね》
「私達が行くわ」
そう返事したのはエステルだ。すぐさまギルガメスも彼女の美貌を見上げ頷く。
だが黒鉄の竜は熊手のような右手を掲げて二人を制した。
《待ってくれ、エステル。それにギルガメス君も。
あいつが、戦いたがっている。先にやらせてあげてくれ》
ついさっきまで空を覆い尽くしていた青色は、今や砂煙が渦潮の如くうねり地平線の彼方まで汚されてしまっている。銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが解き放つ「無限装填」の業火はルシラッド山の色彩を確実に奪っていった。雷雲の中に放り込まれたかのごとく、弛まなく続く銃砲の余りに苛烈な発射音がひたすら鳴り響く。
ふと、銀色の巨体の背びれが揺らめいた。
両腕を左右に広げる銀色の巨体。自らの備える銃砲に号令を掛けるように。
ピタリ、鳴り止んだ重低音。
只々砂塵のみがうねり、辺りは静寂を取り戻すかに見えた。
ところが耳を澄ませば澄ますほど、地の底からはっきり聞こえてきた。岩を砕く爆裂のテノール。
銀色の巨体は暴君竜の上半身を空高く反らし、両の前足を高々と振り上げる。溜めの時間は一秒もない。踏みつける轟音は澄み切っていた。銀色の巨体、跳躍。
と、同時に。先程まで銀色の巨体が仁王立ちしていた地面が十字にひび割れた。
跳躍する銀色の巨体を追いかけるように、唸りを上げて回転する二本のドリル。岩が、砂が天を衝く。
U字に近い放物線を描きつつ、数百メートルは後方へ遠ざかった銀色の巨体。着地の間際、頭部コクピット内の魔人ビスマは彼方の地面をじっと凝視。
亀裂が走った地面の中から姿を表したのは泥まみれの角竜だ。二本のドリルらしきものは鎧武者のような錣(しころ)から伸びた長大な角。全身に埋め込まれた突起が、そして腰を覆うベルトが唸りを上げて回転。撒き散らした火花が辺りに溢れる。辺りが砂煙で覆われていても、撒かれる火花と中心に光る灼けた瞳の輝きは苛烈なまでに強敵を射抜く。
銀色の巨体はゆったりと地上に舞い降りた。羽ばたく網目状の翼には光の膜が張られている。
橙色した頭部キャノピー内では虹色の魔人ビスマが全身を妖しく輝かせる。奇妙なうねりは純粋な感情を表していた。
『凄イ、神出鬼没デスネ。[導火線の七騎]第五騎、いやそれとも第六騎……』
旧知の友にでも会ったのかという口調で、朗らかにこれから殺すべき相手に語りかける。
泥まみれの角竜は会話に応じる気配もない。ただひたすら、灼けた瞳を投げかけるのみ。
未知の強敵に心躍らせる虹色の魔人ビスマ。彼が駆る銀色の巨体も軽やかな動作で地面に着地しようとしていたが、ふとその時、奇妙なことに気がついた。
『コレハドウイウコトダ。イツノ間ニ……イツノ間ニ、相手トノ距離ガ100メートルヲ切ッテイル?』
余りにも当たり前のことだが、強敵との間合いは極力離すべきだ。それが人間同士でもゾイド同士の戦いでも関係なく。この未知の強敵相手でも当然のごとく、着地の時点で1キロ以上の間合いが維持できる想定だった。
何が起こったというのか。そう、疑問を抱きながら着地した瞬間。
銀色の巨体の左翼を、閃光が駆け巡った。
立て続けの、爆発。
視線を己が左翼に移した銀色の巨体。
泥をスコップで掘ったかのように、左の前足・後ろ足が綺麗にえぐれている。
だがそれよりも、さっきまで目前にいた筈の泥まみれの角竜は。
角竜は、どこへ。
左右を見渡す銀色の巨体。だが再びの爆発が右翼で起こった。
今度は、軽く視線を下げるだけの銀色の巨体。それで十分過ぎた。
頭部キャノピー内で虹色の魔人が瞬くような明滅を繰り返している。その仕草を一言で表すなら「驚き」だ。「恐怖」と言い換えても良い。
すぐさま視線を真正面に戻した銀色の巨体。
真正面に、泥まみれの角竜が仁王立ちしていた。頭部の二本角には煤と、銀色の破片が付着している。
『攻撃!? 二回モ……! 三十秒モ、経ッテナイ……』
悶絶の言葉は外にも漏れた。だが泥まみれの角竜は一向に無反応。
角竜の足元が、ぶれた。
鋼鉄の天井に映し出された超巨大映像を、ギルガメスは刮目して見守っていた。
気が付けば、胸が苦しい。ずっと息を止めていたようだ。己の胸を軽く擦る。と、首にも違和感。ずっと天井の映像を見続けていたから凝ってしまったようだ。もとより少年には視線を外すなどという選択肢はなく、少し首を揺さぶって違和感を抑えるのみだ。
超巨大映像が描くものは少年の常識からかけ離れたものだ。あの銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが少しでも動いた瞬間には、既に泥まみれの角竜がその真横を走り抜けてしまう。しかもその度、角竜の二本角は銀色の巨体の側面を深々と抉っているのだ。そして銀色の巨体が振り向いた頃には角竜も既に振り向き次の一撃を余裕綽々で狙い澄ます。こんな攻防が十数合も続いている。
息を呑むより他ない少年。二度に渡っての交戦でも、かの銀色の巨体がここまで為すすべもなくやられたりはしなかった筈だ。文字通り、次元が違う。……だがこの違いはどうして成り立つのだろう。
《ギルガメス君、良いところに目をつけたね》
そう、頭上から告げられて少年は妙な声が出た。
岩盤に半身が埋め込まれた黒鉄色の竜は熊手のような右手で口元を抑えている。人ならば笑いを堪えるか口を隠すかのような仕草。
「な、何も話してないのにどうしてわかるんですか!?」
《僕も随分長いこと生きたからね。ちょっとした息遣いとか、その程度でも相当わかっちゃうのさ。それがゾイドというものさ。
実際には[名捨て]の運動能力もそこまで大したことはない。ヘリックのデータベースによれば最高時速100キロ程度しか出せないそうだよ。……でも彼奴は、一秒以内でその時速100キロを余裕で叩き出せる。実際にはもっと出せているだろうね。
いくら音速で動けても相当な助走が必要なのと、いきなりそこそこの速度で動けるのとではどっちが有利か。難しいところだけど、今のところはご覧の通りさ》
そういうことだったのか。唸る少年。彼ら主従が角竜相手にまるっきり歯が立たなかった原因が見えた気がした。相手ゾイドのちょっとした動きを冷静に観察し、導き出した僅かな隙を完璧に捉える能力を備えているのだ。もしかしたら、この角竜が忌まわしい戦いに終止符を打ってくれるかもしれない。いやが上にも高まる期待、だったが。
「でも……」
話しに割って入ったのは傍らで腕組みしつつ頷くエステルだ。素直な愛弟子と比べて表情は思いの外、険しい。
「既に十合を超えているわね。
[名捨て]が命を弄ぶようなゾイドには見えないわ」
頭上を覆う黒鉄の竜はゆっくり頷いて返した。
《そうだね、あのケンタウロス・ワイルドとやらはどうにか直撃を交わしている。流石に『地上最強』を名乗ろうとするだけのことはあるね》
その時、この非常識にだだっ広い鋼鉄の間のずっと彼方から噴射音が聞こえてきた。振り向くギルガメス。その音は少年が毎日のように聞き続けて耳慣れた音だ。……彼方の暗闇から、蒼き炎が浮かび上がった。
風圧で少年のTシャツが、女教師の背広がはためく。深紅の竜だ。既に視界に飛び込んできた時には減速しており師弟の目前ではふわりと羽毛が地に落ちるように着地してみせたが、巨体故にそよ風程度ではすまない。
「お疲れ様」
そう、少年に声をかけられると高々数十分程度のお別れだったにも関わらず、何年振りかの再会と見紛うほどはしゃぎながら両手でガッチリ彼を掴み、顔に鼻の先端を何度も押し当ててきた。ある程度の予想はできていても少年は大いに面食らう。
「やめて、やめてブレイカー!
今、[名捨て]が戦ってる!」
少年のたった一言で、過激なスキンシップをあっさり封印した深紅の竜。鷲掴みの両腕を鼻先から離すと、握り締めた少年の円らな瞳をまじまじと見つめる。
すぐさま少年の傍らに寄り添ったエステル。巨大な深紅の竜にも怯む素振りすら見せず、サングラスを下に傾け斬りつけるような眼光を解き放った。
「ブレイカー、どっちに転んでも良いようにして」
美貌の女教師が醸し出す只ならぬ雰囲気。深紅の竜もすぐさま我に返ると、鷲掴みにした少年の頭上で一声鳴いた。……腹這いになると、胸部コクピットのハッチが開かれる。
地の底から響く竜二匹の足音が、心臓を蜂の巣にするほど響き渡る。
何拍か置いて鋼鉄を削り出す轟音が鳴り響き、その都度束の間の静寂が辺りを包み込もうとするが音の主人達はそのような機会など許す筈がない。再び、三度と蜂の巣の踏み込みが繰り返される。
そして又しても、相まみえる二匹。既に土煙は縦横に立ち籠め視界は劣悪を極めているが、両者の眼光は土煙を貫く熱量を解き放って有り余る。……だが、何合目かを終えて両者を観察すれば、かたや疲労困憊、かたや泰然自若。
『……凄イデスネ』
疲労困憊、銀色の巨体。金属生命体ゾイドではある。しかし全身で深呼吸の如き仕草を何度か繰り返す様は、それ以上の間の取り方を持ち得ないのが明らかだ。巨体を支える四本の足は目前の二本角に何度も削り取られて鈍い鋼鉄の地肌を顕にしている。
このような相手の反応を前にしても、泰然自若の方は無反応。灼けた瞳を一切逸らさぬ泥まみれの角竜。だがふと、思うところがあったのか本当に、ほんの僅か、視線を外した。
反応しない銀色の巨体ではなかった。吸い込まれるように両の前足を振り上げんとするその時、灼けた瞳は既に視線を戻していた。……結局、足を振り上げることもできず虚しく泥が弾けるのみ。
角竜の顎が、微かに曲がった。見る角度を変えれば、笑ったかのように映ったかもしれない。
《今カラオマエノ、右ノ前足ヲ貫ク》
予告攻撃だ。
『何ッ……!?』
まだ今の体を獲得して三日も経たぬ銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドにとって(又その本体ビスマにとって)予告攻撃など当然ながら初めての経験であり、それが極めて侮辱的だという考えに至る筈もない。すぐさま、両腕を振り上げる。右の前足を狙うとまで言われて、防ぎ止める策が浮かばぬ訳がない。
だがその両腕は既に振り下ろすチャンスを逸していた。全身に電気が駆け巡ったかのように、銀色の巨体は硬直を余儀なくされている。
右の前足……腿の付け根辺りに二本角の右一本が深々と突き刺さっていた。ドリルの如き回転音が静寂の中にこだまする。
するりと、二本角が抜けた。淡々と、泥まみれの角竜が下がっていったのだ。その間も、灼けた瞳は銀色の巨体から反らすことはない。巨体の方は金縛りにでもあったかのようだ。
《貫イテシマッタナ。
次ハ左ノ前足ダ。左ノ前足ヲ貫クゾ。シッカリ防ゲヨ》
虹色の魔人ビスマののっぺらぼうのような表情が、両目を見開いたかのようにうねった。
呼応して雄叫びを上げる銀色の巨体。長い両腕が、鞭のようにしなる。とにかく少しでも早く目前の強敵の体に触れて止めるしかない。
肩や手首に埋め込まれた円柱状の突起が唸る。両腕がピンと伸び切り、鉄挺(バール)の如き三本爪が目一杯開かれた。
パン、と鋼が爆ぜる音。
銀色の魔人は両腕を前方に目一杯伸ばしたまま、硬直。
鉄挺の如き三本爪はガッチリと閉じられ拳を形作っている。
いや、これは空振り。両腕が超弩級の圧力を完全に受け止めることも、反対に根本からへし折れることもない。
代わりに響く回転音はここまでの激闘を思えば余りに静か。
銀色の巨体は視線を下げた。
左の前足に突き刺さった二本角。角竜の左の角は、銀色の巨体の左前足・脛を地面と平行に貫いていた。
またしてもするりと、二本角が抜けた。後ずさる、泥まみれの角竜。
銀色の巨体は両腕を振り上げようとする。再び開かれた両腕の三本爪。ところが後ずさる角竜目掛けて振り下ろす前に直立のバランスを大きく崩してしまった。すぐさま四肢に力を入れて踏ん張るが、傷口から油が噴出し、足部に埋め込まれた突起が悲鳴にも似たモーター音を鳴らしている。
泥まみれの角竜は相変わらず尻を見せることもなく粛々と遠ざかっていた。だが数歩か、十数歩か、意を決して蹴り込めばたちまち急迫するに違いない微妙な間合いを確実に維持している。
《マタ貫イテシマッタナ》
一方、転倒をどうにか堪えた銀色の巨体。橙色した頭部キャノピー内部では、虹色の魔人ビスマが揺さぶられたまま握り締める両腕のレバーを頼りに肩を怒らせ踏ん張っている。のっぺらぼうのような魔人の口元が波打つようにうごめき、やがて極めて簡単な言葉を紡いで形とした。
『何故デスカ』
腹の底から絞り出した声に、泥まみれの角竜が微かに首を傾げたかに見えた。
《何ガダ》
『何故、当タッテシマウノデスカ!?
貴方ハ私ノ半分カ、三分ノ一程度ノ速サモナイ筈ダ。ソレナノニ、私ハ何モデキナイナンテ……』
泥まみれの角竜は溜息のような声を漏らした。それだけで、辺りに立ち籠める砂埃が軽く吹き流される。
《……オマエ、ココニ来ルマデニ[ゾイド]ヲ何匹、[人]ヲ何人、殺シテキタ?》
『エッ』
橙色の頭部キャノピー内では、虹色の魔人が全身を濁流に混ぜた絵の具の如くうねりながら明滅させている。
『エエト、[ゾイド]ハ……』
《馬鹿野郎》
鋭い一喝。肩をすくめて硬直した虹色の魔人。
《救イ難イ馬鹿ダナ。アノ赤イノト主人ノ坊ヤノ方ガ断然マシダ。
イイカ、[ゾイド]ノ[スペック]ナンテモノハナ、百デモ千デモ殺シ続ケレバ、勝手ニ上ガッテイクモノダ。数エ切レナイ後悔ト引キ換エニナ》
『ソ、ソウナノカ……トイウコトハ……』
泥まみれの角竜はこの会話中も、目前の幼稚な強敵を凝視してやめない。だがことここに及んで、再び大きなため息をついた。橙色のキャノピー内にうごめく妖しい輝きが訳のわからない生気に満ち溢れつつあることを把握したからだ。
《無駄ナ時間ヲ費ヤシタヨウダ。
イイカ、今カラオマエノ真正面ヲ貫ク。コレデ終ワリダ、シッカリ防ゲヨ》
灼けた瞳が、土埃を焦がす。
我に返った銀色の巨体。橙色のキャノピーが虹色に彩られ、三度両腕を振り上げるが。
その動きが、ピタリと止まった。
己が足元を見つめ直すまでに何秒か、費やした。恐ろしく気が遠くなる数秒。
銀色の巨体を構成する胴体部……雷鳴竜ウルトラザウルスの胴体部を模した下半身であり且つ、銃砲やミサイルポッドが大量に埋め込まれた急所中の急所。そこに、まるで最初からあったのではないかという佇まいで密着していた角竜の頭部。完璧過ぎる一撃は、錣(しころ)から伸びる二本角も鼻先から伸びる一本角も、銀色の巨体の胴体部を捉え深々と貫いていた。
やや遅れて続く無数の爆発音。銃弾・砲弾を無数に詰め込んでいる箇所故に連鎖爆発し始めたのだ。
遂に天を仰ぎ、絶叫した銀色の巨体。ここまで無敵を誇っていたケンタウロス・ワイルドが今や自己生成し溜め込み続けた膨大なエネルギーによって自らの五体を炎上させた。地獄絵図は何秒も、何十秒も続いている。
角竜の胴体部に巻かれたベルトが、地響きのような音を立てて回転数を急速に速めていく。それに加えて鼻先から伸びる一本角の計三本が突き刺さったそれぞれの傷口から、破裂した水道の如き勢いで電流そして油が噴出を開始。
そして、角竜の右足。鋼の削れる音がその爪先から鳴り響く。銀色の巨体の左前足を踏みつけ、動きを封じていた。やがて角竜の右足を中心に、荒野に放射状の亀裂が入る。
もがく銀色の巨体。四肢の内三本はどうにか振り上げ、地面に打ち付けること位ならできる。しかし左の前足だけは釘でも打ち付けられたかの如く持ち上げることすら叶わない。絶叫に錯乱が覆い被さる。
遥か遠くの岩陰では、橙色の蜂達が腹ばいのまま密やかにしている。黒尽くめの搭乗者達はその足元にしゃがみ込んでいた。……マノニアと配下の機械人形達は打ち震えていた。彼方の戦場から時折飛んでくる岩石や鉄片は高みの見物程度では済まされなかったのだ。
マノニアは例の板状端末をじっと睨む。が、やがて握り締めた両腕が病的な痙攣に襲われた。彼らの交わす会話など拾うことはできないが、戦況は彼程度でも十分に理解できる程の非勢である。
「何なんじゃ、これは……」
惑星Ziの至るところに野良状態で隠れ潜むゾイドがいること位、彼も知っている。その殆どが、弾薬など持たず常に飢餓状態にあり、本来の力を発揮できないことまでわかっていた。あそこで戦っている泥まみれの角竜も、形状だけ見ればヘリック共和国が持ち込んだ決戦ゾイド・マッドサンダーだとひと目でわかったが、全身の汚れぶりから長らく未整備状態だと把握できた。これは楽勝ではないかと高をくくっていたが、蓋を開けてみたらどうだ。
マノニアが目の当たりにする戦いはゾイド同士のそれとしては余りにもレベルが高すぎ、そして異質なものだった。……だがそれでも、今までなら結局はあの虹色の魔人ビスマと彼の分身ケンタウロス・ワイルドが勝利を手にしていたのだ。それが今や、法則が崩壊しつつある。
もし仮にケンタウロス・ワイルドが敗れた場合「地上最強のゾイド」という称号を手にするのは一体。
「本人の意志など知らんわ。じゃが、彼奴を止めれば確実にそう、呼ばれるじゃろう」
呟いたマノニアは、ぐるり周囲を見渡した。
悪辣なこの小太り中年男性にも忠誠を誓う者達がいた。黒尽くめの機械人形達は一斉に跪く。下僕の反応は素早く、それが彼に不敵な笑みを浮かべさせる。
「今しばらくの辛抱じゃ」
だがその直後、彼方で轟いた絶叫そして轟音に、マノニアと配下の機械人形達はひれ伏すこととなる。
絶叫は止まらない。
両腕を高々と振り上げる銀色の巨体。薪を叩き割る程の勢いで、自らの下半身を貫いた泥まみれの角竜の錣(しころ)目掛けて振り下ろす。轟音、又轟音。しかし並のゾイドならたちまち首がへし折れるだろうこの一撃にも、角竜はびくともしない。
ならば。銀色の巨体は両腕を振り上げ、弧を描く。幾条もの稲妻が集結し、完成した光の槍「ケンタウロス・アロー」。両腕で握り締めて力強く振り下ろす。
二度、三度と繰り返される渾身の一撃。だが何度目かが命中したその時、弾け飛んだ光の槍。破片は溶ける氷のように消失した。
角竜の錣(しころ)を駆け巡る放電は人の血脈のごとく無限に分かれて角竜の頭部を覆い尽くし、光の槍をも通さない。
二本角の回転数は既に最高潮に達していた。鼻先から伸びる一本角を加えて計三本による莫大なエネルギーの注入。傷口から噴出する電流や油も止まる様子はない。
事ここに至った虹色の魔人ビスマ。銀色の巨体の橙色した頭部キャノピー内で辺りを見渡す。もともと怪しげにうねりながら発色発光する全身は既に脈動する勢いで変化を繰り返している。この場から離脱もままならず、自己修復も追いつかない状況が、まるで鼓動が高鳴るような現象を引き起こしているのである。
人の面なら何とも言えぬ仏頂面を見せただろうこの虹色の魔人がふと、溜息を漏らしたかに見えた。
奇妙な行動に出た。座席から尻を浮かすと両足を組んで座り直す。両掌を腿の上に重ねた形は紛れもない「法界定印」。地球では古来より伝わる瞑想の構えである。
『時間ヲ、確保セネバ』
人ならば瞑想と言える。ゾイドにこの言葉が当てはまるのかは、わからない。だがこの魔人は既に座ることが自らを強くすると確信していた。数秒間で何億何兆もの演算を果たすのが狙いだ。巨大過ぎる全身に然るべき措置を施すにはこれ以外に方法があるまい。
銀色の巨体、不意に、沈黙。奇妙にも、橙色したキャノピー内部は沈黙が侵食していき完全無音の異様な空間が形成された。僅か数秒のことではあったが、明らかにこの空間内の時が止まったのだ。そして。
銀色の巨体の頭部を覆う橙色のキャノピーが光を迸らせる。その内側で消え入りそうだった赤い両眼が煮えたぎる溶岩のように輝きを取り戻した。
絶叫の音色が、野太くなった。単なる痛みに留まらない、強烈な意思の表現。
音色が変わって数秒も経たぬ内に。轟く爆音。激突する二匹を中心にたちまち広がる衝撃波が砂塵を吹き飛ばす。
はるか地下深くでも、衝撃波は十分に感じ取れた。揺れる、鋼鉄の天井。パラパラと、石か鉄片らしきものが落ちてくる。それとともに衝撃波の影響が、天井の映像を真っ白に覆い尽くした。
全方位スクリーン内部のギルガメスは刮目。斜めに傾けていた背もたれの上から飛び跳ね起きた小さな身体。……だがそれ以上に、不意打ちのように揺れるスクリーン内部に気が付いた。我が相棒が動揺している。百戦錬磨の深紅の竜が心乱される展開とは一体。
「ブレイカー、大丈夫だよ」
すぐに天井を見上げて声を掛ける。
呼応してこの薄暗い室内が軽くミシミシと揺れた。巨大な我が相棒が片手で胸部を握り締めているのだ。事あるごとに、深紅の竜はこの仕草をする。優しい主人に何らかの意志を伝えたい時だ。シンクロ中だと感触がモロに胸を揺さぶる。もう付き合いも長い少年にはシンクロしていなくとも、すぐに真意を理解した。
「大丈夫だよ、ブレイカー。大丈夫、大丈夫」
何度も、何度でも優しく声をかけてやる。……だがその裏腹で、他ならぬ自分自身が強烈な不安を隠せないことを思い知らされる。
我が相棒は恐れている。天井が映し出す真っ白な映像の彼方で起きた状況を、人を遥かに上回る視覚で瞬く間に把握できてしまったに違いない。一体、何が起きたというのか。
視界を真っ白に覆い尽くす衝撃も、泥まみれの角竜には然程問題にはならなかった。……少なくとも、この瞬間は。着々と、己が認知する映像が鮮明になっていく。
知恵者ぶった小賢しい敵を、死の淵に追いやった筈だ。そいつの下半身を自慢の三本角で突き刺した今、どんな状態に陥っただろうか。未だ逃れようともがいているか、それとも諦めてぐったりしているか。頭上に視線を投げかけ、灼けた瞳でギロリと睨みつける。
角竜の視界に入り込んだのは銀色の、長大な腕。左腕だ。……節々から火花が、電流が、白煙が激しく噴出しており、いつ爆発してもおかしくない。それが、角竜の錣(しころ)の真上に叩き込まれていた。そこで角竜はようやく気付いたのだ。錣(しころ)から発せられた鉄壁の放電が風にでも押し流されたかのように消えていたことを。
こいつは、自らの左腕を犠牲にEシールドを吹き飛ばしたのか。
《ダガ》
角竜は動揺には至らない。
《コイツノ腕モ死ンデイル!》
今一度、停止した二本角を回転させるのだ。三本角でエネルギーを注ぎ込むのだ。
自らを奮い立たせたその時、頭上でメキメキと何かを捻り潰すような音が聞こえた。
銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは半壊状態となった左腕の手首を、右手でガッチリと掴んでいた。その瞬間だ、音が鳴ったのは。……左腕の手首を力任せに引っ張る。鈍い音、弾けるような音、様々な音と共に、引っこ抜いた左腕。
馬鹿な。俺は、何を見ているのだ?
自らを壊したのか。壊した腕で、こいつは。
恐ろしく鈍いが、十数キロ先まで轟いて必ず心臓を突き刺す音が鳴り響く。銀色の巨体は、半壊した左腕を引っこ抜き、あろうことか棍棒のような凶器として滅多矢鱈に殴りかかった。下半身に深々と突き刺さった三本角のすぐ後ろに強敵の頭部がある。殴りつけるのには絶好の位置ではないか。一発、もう一発。
凶悪な衝撃は角竜の錣(しころ)を乗り越え、胴体内部に埋め込まれたゾイドコアまで達した。人ならば脳天を何度も棒で殴られるのと同様の衝撃を食らっている。
踏ん張る角竜。悲鳴のような歯軋りを立て、四肢に力を入れる。中でも右足は一層の圧力でのしかかる。その爪先は銀色の巨体の左前肢を踏みつけたまま。そしてその下の地面には放射状の亀裂。
不意に亀裂が、陥没。
沈む、地面。たかだか大人二〜三人分程度ではある。だがゾイドの足回りほども大きな地盤沈下は角竜を前のめりにさせた。
その時だ、再び捻り潰すような音が聞こえたのは。
銀色の巨体が四肢をねじる。メキメキという音と共に左膝から始める火花。己が巨体を強引に二度、三度とひねり上げ、最後は思い切りよく全身で一歩下がった。
ちぎれた、左足。その勢いでスルリと、突き刺さった三本角が引き抜かれる。
そうはさせじと前に出る角竜。その頭上を閃光が覆い被さる。……目前には網目状の翼が空を覆うように広がっている。網目の部分にはあっという間に光の膜が覆い、巨大な翼二枚が完成した。
たった一度の羽ばたき。それだけで光の粒が辺りに降り注がれる。角竜の三本角や錣(しころ)にも触れて引き起こされる小爆発の連鎖。頭部を揺さぶって堪える角竜。硝煙が立ち籠める中、それでも灼けた瞳でその先に逃れた敵を懸命に追うが。
既に銀色の巨体は数百メートル後方、そして上空まで逃げ切っていた。……響き渡るは歓喜の声。
橙色の頭部キャノピー内部では魔人ビスマが口もないのに天を向いて笑うような仕草を見せる。その一方で左腕、左足は泥のように濁ったまま。窮余の秘策はこの魔人の身体にも影響を出したかに見えたが。
『凄イ! 凄イ! 凄イ!
私ニココマデサセタノハ貴方ガ初メテダ!』
濁り切っていた左腕、左足が眩しき輝き虹色のうねりを描き出した。
呼応するように、銀色の巨体に引き寄せられていく光の粒。本来持っていた左腕、左足の形をたちまち作り上げていく。まるで溶けた氷細工が逆再生で元の形に戻るようだ。
二重、三重のフィルターに掛かった状態での現状認識ではある。……鋼鉄の天井に描かれる映像を、相棒たる深紅の竜の視覚を経て、その胸部コクピット内部の全方位スクリーンを通じてようやく目にしている状態だ。だがそれでも、映像の光景はずっと凝視していたギルガメスに対し、奇妙なうめき声を挙げさせるに至った。
(何だよ、これ)
声にもならない声を上げたことに気付いた少年は、すぐにも自らの口を両手で抑えた。相棒に、今の正直な気持ちを伝えたくはなかったからだ。
だが少年が恐れるよりも前に、全方位スクリーンの裏側でミシミシと音が聞こえた。……我が相棒が、恐れている。若き主人にすがるように、己が胸部を握り締めている。
その有様を横目でチラリ見ていたエステル。
返す刀で、岩盤に埋め込まれた黒鉄の竜の様子を伺う。
かつて大悪竜デスザウラーとして恐れられた黒鉄の竜「名無し」の口が、右腕がかすかに震えている。
美貌の、そして孤高の女教師は無言で傍らの時代がかったビークルに向けて手をかざす。競り上がるキャノピー。
大地に落ちた鋼鉄の左腕、そして左足。それらを鋼鉄の四脚が踏みつけると、粉々に崩れ去った。
すぐさま駆ける角竜。ほんの数秒前まで、掛け替えのない勝利と幾許かの安らぎの時を手中に収めかけた筈だった。それが、一瞬でふいになった。だが、まだ「ふいになった」だけではないか。再び引き寄せれば良い。今までずっとそうしてきたから生き延びることができたのだ。走れ、もっと走れ。
光の翼は風に流されるように離れていく。ゆらゆらと漂うさまは地上の角竜を嘲笑うかのようだ。それもほんの数秒のこと。
角竜が全力で疾走しても一分程度は確実にかかる距離まで、光の翼は逃げおおせた。そして、悠然と着地。震える荒野。跳ね上がる土砂。砂一粒一粒に至るまでまでやたらに弾け、共鳴している。
仁王立ちした銀色の巨体。網目状の翼から光が弾け飛び、折り畳まれる。
橙色のキャノピーが虹色に包まれ光り輝くさまは妖しく眩しい。
内部で瞑想に耽っていた魔人は妖しい輝きのまま「法界定印」の構えを解き、レバーを握り直す。
『ヤハリ[導火線の七騎]ト戦エテ良カッタ!
私ハサラニ進化スル!』
両腕を埃まみれの空に向けてグイと突き出す銀色の巨体。両掌がたちまちまばゆく輝き始める。左右三本の爪を目一杯広げるや、手のひらを中心に発光、明滅。引き寄せられる砂埃、暴れ回る無数の雷蛇。
その有様は金色の投擲武器「ケンタウロス・アロー」を作り出すかに見えた。だが巨体の両腕は扇を開くように左右に開いてみせる。これは弓の形だ。
知るか、そんなこと。角竜はひたすら駆ける。大丈夫だ、あと三十秒も経ずして奴の懐に飛び込める。
その時、何か弾ける音。
全力疾走の角竜が感じ取った強烈な振動。この土壇場で感じ取った強烈に嫌な予感は、百戦錬磨の角竜をして四肢を踏ん張っての急停止という安全策に切り替えざるを得なかった。目前で岩が、土が弾けて壁と化す。
そこで初めて角竜は気付いたのだ。左手をチラリと見遣る。……己の肩が見える。それはあり得ないし、あってはならないことだ。
銀色の巨体から泥まみれの角竜の左肩にかけて、レーザーメスで切り取ったかのような一本線がいつの間にか刻まれていた。
目前の宿敵は、あの長い両腕でまさに強弓を解き放ったかの如き堂々たる「残身」或いは「残心」の姿勢。
何だこれは、何を見せられているのか。百戦錬磨の角竜がその生涯で滅多に味わうことのなかった動揺を今まさに感じている。金属生命体ゾイドが、人が扱うような武器を使っている。それも誰かに与えられたのではない。自らの手で作り出したのだ。そしてその武器は、およそ非常識な速度で我が鎧を弾き飛ばした。
『我ガ進化ノ証。[ケンタウロス・ゴーガン]』
死闘の決着を促すかのように、一陣の風が砂埃を押し流した。
(つづく)