六年前。
ギルガメスの故郷アーミタのジュニアハイスクールは騒然としていた。程よく厚い雲の下、校庭には生徒・児童がひしめき合っていた。校舎の窓からも沢山の生徒が身を乗り出して注視している。それだけではない、子供達のさらに外周にはいい年をした大人達が集まり、二重三重の円と人垣を作っていた。彼らの多くもアーミタの住人だが、必ずしも生徒達の保護者ではない。近所の住人はじめ無関係な者もかなり含まれている。
授業そっちのけの喧騒を生み出した人物はすぐに現れた。校舎の玄関から警護役の兵士数名に囲まれつつ、パイロットスーツを着たスポーツ刈りの大男が両手を高々と掲げながら躍り出た。愛嬌たっぷりの大きな目玉の持ち主を目にした者達は一斉に歓声と拍手で出迎えたのだ。
ゾイドバトルのグランドマスター・アロンが片田舎と言って良いアーミタに来訪するなんて、この都市の住人は誰一人想像もしなかった。だがアロンは相当以前から、様々なメディアの場を借りて「現役中に六大大陸の全ての都市でワークショップを開く」と公言していた。……後進育成に邁進する彼の情熱は、若い時こそ「人気取り」と揶揄されたがグランドマスターの称号を得てからもその取り組みは継続しており、今や彼の信念は本物だと称賛されてやまない。アーミタへの来訪も予定通りであり、この後も近隣の他の都市へ来訪するつもりだ。
ジュニアハイスクールの教師陣が司会進行を務め、講演は手短に済ませつつ早速ワークショップが始まった。内容は「ゾイドに乗ってみよう」という、タイトルだけ見れば本当に簡単なものだ。
校庭には人よりは大きい程度のゾイドが数匹、用意された。いずれもジュニアハイスクールの生徒・児童が見たこともない種類のものだ。地球に生息する昆虫の姿に似たものもいれば、一般に普及している種類に近いものの、似て非なる形状が各所に見られるものもいる。こういった珍しいゾイドを見せられただけで、田舎町の少年少女は歓声を上げ、目をキラキラ輝かせている。
その反応を見ただけで喜びを隠せないのが他ならぬアロンであった。色々な種類のゾイドを数秒、穏やかに乗り進めるだけでも実際は大変だ。彼は沢山の子供達に早いうちからゾイドに慣れ親しんで欲しかったのだ。彼はワークショップをやり始めてから数年経つが、表情こそ出さぬものの未だにイベント開始直後は反応に不安を覚えていた。だからアーミタの少年少女達の反応には手応え十分だ。
さてそんな少年少女の中に、ギルガメスもいた。僅かに十歳。今以上に身体も小さく線も細い。他のZi人の少年少女に比べると小柄な体つきが目立つ。半袖のTシャツに膝下丈の半ズボンという出で立ちはこの頃から変わっていない。
彼にあてがわれたゾイドは「ディノチェイス」という灰色の二足竜だ。屋根瓦のような頭部を持ち、短い手は両胸に引き寄せて構え、尻尾を地面と水平に伸ばしている。大人がまたがれる程度の大きさだが、ギルガメスには大き過ぎるくらいだ。
ギルガメス自身は、ディノチェイスという二足竜は図書館のゾイド図鑑でしか知らなかった。だから今日は喜び半分、不安半分といったところ。既にこれくらいは大きなゾイドに乗っての簡単な試合は、何度もこなしている。そしてパイロット各個人とゾイドには相性があるということも……。それが不安の大きな理由だ。アロンはじめ今日のワークショップの関係者が「安全です、気性の穏やかなゾイドを揃えました」と声を張り上げようが、この場に揃えられたゾイドと自分自身の相性は未知数なのだ。
十数匹の「人よりは大きなゾイド」が土で固められた校庭に腹ばい、その左隣りに少年少女が寄り添って立つ。
司会進行の教師の合図で、一斉に子供達が飛び乗った。あるゾイドはすっくと立ち上がり、あるゾイドはふわりと浮かぶ。お約束の拍手が見学中の他の子供達や大人達から送られるが、それは数秒も経ずして悲鳴に変わった。
一匹のゾイドが高々と宙を飛び、いともたやすく見学者の人垣を越えた。灰色の二足竜、ディノチェイスだ。
「えっ、なんで! なんで!?」
もっとも狼狽えたのは乗り込んだ少年本人である。着席し、背もたれがあるからシートベルトも締めて、レバーを握り締めていざ、という瞬間、聞いたこともない鼻息を立てながらこの灰色の二足竜は跳躍し、猛然と駆け始めたのだ。
すっかり青ざめてしまった少年。脳裏まで真っ白になってしまったが、とにかく身を乗り出しシートベルトの許す限り前屈みになってレバーを傾けにかかる。無我夢中。
狼狽えたのは他の少年少女も、大人達も同じだ。……だがいち早く(殆ど数秒くらいで)冷静さを取り戻したのがほかならぬアロンだった。大暴れする二足竜の姿をひと目見てはっと息を呑んだ彼は、出番を控えていたゾイドをさっと見渡す。魚雷の先頭にトンカチがついたようなゾイド(※ヘルダイバーというシュモクザメによく似たゾイドだ)の背中に飛び乗ると、地面スレスレを飛んで一目散に追いかけていく。
魚雷はたちまち二足竜の左後方にまで近付いていく。
アロンはちらり、顔を見上げて自分よりはずっと高い位置にある二足竜のコクピットを凝視した。
そこでは一人の少年が涙目で狼狽えていた。だがそれでも、とアロンは観察を続ける。この不運な少年はレバーを揺さぶったりボタンを押したりしてはいるが、デタラメに叩いたりといった乱暴な様子がない。……持てる技量の限りで何とか解決しようというギリギリの一線を、この気の遠くなるほど長い数十秒間でもどうにか維持しているではないか。
「君ぃ!」
コントロールパネルを睨んでうつむいていた少年は、ドキッとして顔を持ち上げる。
左後方から追いすがる魚雷。騎乗の大男が声をかけていることにはすぐに気がついた。
「君ぃ、ゾイドにもっと、もっと話しかけるんだ!」
大男の言葉にはっと息を呑んだ少年。まるで天啓が下り、世界の理(ことわり)を悟ったかのような表情を浮かべた。
瞬間、彼はシートベルトを外し、かなぐり捨てた。二足竜の背中にしがみつくほどの前傾姿勢を取ると。
「どうしたの!? 嫌なことがあったの? 痛いところがあるの? 教えて!」
不思議なことが起こった。二足竜は少年の言葉に反応するかのように減速を始めたのである。それと呼応するように、少年の小さな胴体が被さったモニターはこの二足竜自身の状態を映し出す。……左膝の内側に異物の反応が見られる。ところがそれは、走ることによって奇妙に明滅している。反応が出たり消えたりしているのだ。
「もしかして、釘じゃない!? 膝を動かさないと、隠れちゃう?」
ここで初めて、この二足竜は軽くうなってみせた。
少年と二足竜のやり取りをすぐ後方で目にしていたアロンは事態を把握するや、懐から籠手のように分厚い手袋を取り出し、右手に被せる。手早く数回握っては広げ、中腰に構えると。
「君ぃ、少しだけ減速させてくれ! 俺が引き抜く!」
言われるが早いか、早速少年は二足竜に呼びかける。
「走るの、少しゆっくり! そう、もう少し! もう少し!」
軽くうなずくような仕草を示した二足竜。鋭角な上体が少しずつ持ち上がり、それに合わせて徐々に走る速度が落ちていく。
その有り様にアロンはニヤリとなった。それはこのアクシデントがもうあと数十秒で収束する確信、だけではない。
二足竜の減速に合わせて魚雷が後方から接近。膝が開く間にチョロチョロと見せる長い釘を、軽いパンチを繰り出すようにして鮮やかに引き抜いたアロン。
それで満足したのか、二足竜は徐々におとなしく、荒々しさを捨てた軽快なステップに切り替えていく。
「ゆっくりでいいよ、ゆっくりで!」
騎乗の少年はこのゾイドにひたすら、話し続ける。
様子をずっと見ていたアロンは……この心優しい大男は二足竜の真横につけると少年に話しかけたのである。
「君ぃ、ゾイドウォリアーになりな。試合場で、待ってるぞ」
はっと息を呑んだ少年。
この窮地を救ってくれた大男がグランドマスター・アロンであることを、ギルガメス少年は初めて認知した。
かくしてUターンした二匹のゾイドがワークショップの会場に戻っていく。二匹とも大人の駆け足程度の速さにまで減速していた。
割れんばかりの歓声・拍手を受けつつも、他ならぬギルガメスはこの瞬間、かつて経験したことのない動悸、高揚感とともに強い決意が湧き上がったことを確信したのである。
VIP用観客席は静まり返っていた。
シニヨンの美少女ギネビアは席を蹴って、防弾ガラスの向こうに広がる阿鼻叫喚の地獄絵図をまじまじと見つめた。琥珀色の瞳を何度も、まばたき。だが目前に広がる光景が幻ではないことを悟るに連れ、項垂れ、肩を震わせ始めた。そして、こらえきれぬ嗚咽は頑なに声を潜めるものであった。
ここまで彼女を助け続けた運営側の面々も項垂れたり天井を仰いだりしている。……この試合場が抱える最強の戦士が敗れ去った以上、次の行動を選び、指示しなければいけない筈だが、突きつけられた事実は現実に立ち返るきっかけを困難なものとしていた。
それを可能にしたのは、この室内に続けざまに鳴り響いたアラームだった。
はっと我に返ったギネビア。だが耳を傾けこそすれども、今更、手元の端末に確認はしない。防弾ガラスの向こうで今まさに動き出した次の戦いを知らせるものでしかないことはわかりきっていた。今一度、彼女は防弾ガラスの向こうに広がる光景を、食い入るように見渡す。
すり鉢状の広大な試合場に、赭色の角竜レッドホーンが倒れ込んだ。鋼の巨体は兜から尻尾までが、まばゆい槍とも鉾ともつかぬ長尺の得物で貫かれている。辺りを包み込む静寂。鉄の塊に成り果てた巨体の各部位から、時折火花がこぼれ落ちる。
風切る音が静寂を切り裂いた。この広大な試合場を、軽快に滑走してきた深紅の竜ブレイカー。だが、角竜の亡骸の足元に辿り着き、立ち止まればその足取りは鉛のように重い。
深紅の竜は恐る恐る首を伸ばし、亡骸の状態を確認する。すると奇妙なことが起こった。……この歴戦の勇者を串刺しにした長尺の得物が突如、まばゆく輝いたのだ。
映像に何らの処理を施す時間の余裕がなかったため、深紅の竜はすかさず頭部に右腕をかざした。眩しい閃光がパイロットの視力に悪影響を及ぼすことは、この優しき竜もよく理解している。
遅れて全方位スクリーンの輝度が下がる。搭乗するギルガメスも右手をかざして閃光を防いでいたが、映像の処理を察知したところでかざしていた右手をレバーに戻し、前のめりになってスクリーンの彼方をじっと見つめる。
鋼の亡骸を串刺していた長尺の得物が、眩しく輝いている。と、そこに気がついた時、すぐさまこの得物は無数の光の粒となって弾け飛んでしまった。
深紅の竜はその有り様をじっと見つめている。……その胸部コクピット内に着席する若き主人ギルガメスもまた、全方位スクリーンの彼方で起きた出来事に対し、まばたき一つしない。
すると彼方から、やけに落ち着いた、無機質な笑い声。
「サスガハ『導火線の七騎』。[ラヴァナー]サンモ素晴ラシイ腕前ダッタガ[アロン]サンモ勝ルトモ劣ラナイ」
深紅の竜は声の聞こえてきた左方に首を、ゆっくりと傾ける。
胸部コクピット内では竜の主人が自らの額に指を当てた。たちまち青白い刻印が浮かび上がりまばゆく輝く。少年と深紅の竜がシンクロを果たした証だ。……彼は円らな瞳だけを動かし、未成年らしからぬふてぶてしい表情で同じ方角を凝視する。
彼方から舞い上がり、立ち込める土煙。その中から浮かび上がったのは銀色に輝く巨体。少年も深紅の竜も眼光鋭く睨み返す。
四本脚で一歩一歩にじり寄る。だが本来首がある筈の部分には、暴君竜ゴジュラスの上半身が埋め込まれたまさしく異形。その背中には、己が巨体よりも遥かに大きな骨組みだけの翼が一対、そして無数の背びれが連なっている。銀色の巨体は所謂金属生命体ゾイド特有の常識的な姿からは完全にかけ離れた代物。
辺りに圧倒的な殺気が充満していく。だがそんなことなどお構いなしに、続く声。
「アナタノ腕前ハ? 『導火線の七騎』ガ一人……」
声が途切れるよりも前に、地面が爆ぜ、衝撃が地面を震わせる。
一直線に空間を切り裂いたのは、蒼い炎。六本の鶏冠を目一杯広げ、先端より噴き出す炎の勢いとともに地面を駆けた深紅の竜。怒りの速力は確実に200メートルは超えている筈の銀色の巨体との距離を、数歩も踏み込まず一気に詰めた。そして鼻先には桜花の翼二枚を盾の如くかざし、速く、鋭く、そして飛び切り重い体当たりを叩き込む。
だが二枚の翼の向こうでは、とっくに静寂が漂っている。銀色の巨体は、長い両腕をがっちり十字に構え、受け止めていた。
瞬間、両者の時間は硬直したかに見える。だが数秒も立たぬうちに青天霹靂の雄叫びが鳴り響いた。……他ならぬ深紅の竜の、胸部からだ。
薄暗い胸部コクピット内部ではハーネスで全身固定された少年ギルガメスが、その有り様とは裏腹に円らな瞳を血走らせつつ、弓を引き絞るような姿勢でレバーを交互に繰り返し押し込んだ。精密正確なレバー操作とはまるっきり正反対の理性をかなぐり捨てた怒りの表情は人と獣の境界線をさまようかにも見える。
盾代わりの桜花の翼を再び広げたと同時に繰り出される両腕。左、右と続けざまの袈裟懸け斬り。たちまち辺りに澄み切った金属音が鳴り響く。
並みのゾイドならば×の字に切り裂かれていただろう、この二連撃。銀色の巨体の長い腕は小刻みに、機械そのものと言える動きで確実に受け止め、払っていく。
だがそれしきで神速の攻撃は止まない、続けざま、爪先蹴りを叩き込む深紅の竜。左足、右足と鞭のようにしなる回し蹴りが放たれるたび、岩盤をえぐり出すような金属音が反響。
そして金属音の裏では既に六本の鶏冠が逆立っていた。吹き出す蒼い炎。全身をひねる深紅の竜。反時計回りの空中回転は尻尾撃ちの予備動作。
銀色の巨体は見過ごさず、左腕を目一杯突き伸ばし、宙に浮く深紅の竜を吹き飛ばした。
深紅の竜が、200メートル以上先にそびえる外壁にまで弾き返される。だが圧力に囚われた最中でも、深紅の竜は巧みに体をひねり、体勢を整え、外壁の目前で両足を蹴り込み。まるで球技の壁打ちがごとく、深紅の竜は一目散に反撃に転じたかに見えた。
再び響く、雄叫び。それは深紅の竜の胸部コクピットから。ギルガメスの理性なき怒りはますます留まるところを知らない。もう一撃、二撃か。あるいはもう十秒か、二十秒か。少しの切っ掛けさえあれば獣そのものへと変わってしまうかも知れない。
ところがこの狂乱に没頭していた少年は、不意にはっと円らな瞳を見開いた。……胸が痛い、苦しい。
奇妙なことが起きた。ずっと畳んでいた桜花の翼をふわり、真横に広げた深紅の竜。あくまで水平には伸ばさず、意味ありげな角度をつける。両足は大股に広げ、ピンと膝を伸ばす。逆立てていた六本の鶏冠はもはや垂直・水平にまで角度を広げた。
あれほど加速し弾丸の勢いを得た深紅の竜が、急減速を開始した。両足の踵で滑り込むように着地するとすぐさま中腰になり、そのまま静かに地面を滑走していく。その速度も、人が全力で走り込んだ速度よりは速い程度にまで減速している。
その頃、胸部コクピット内ではギルガメスが小刻みな呼吸で息を整えていた。レバーを振り絞っていた右手は離し、シャツの上から胸をさすっている。
深紅の竜は、この若き主人を厳しく諌めたのだ。己の胸部を掴んでみせる行為がオーガノイドシステムのシンクロ機能によって主人に伝わり、彼は真意をすぐさま察した。……冷静に戦ってくれ、この痛みがちゃんとあなたに伝わっているのなら。怒りに任せて暴れたら確実に、死ぬ。
「ブレイカー、ごめん、ごめん……」
ささやきながら少年はひとしきり胸をさする。
この激戦の最中、深紅の竜はこの僅かなやり取りの中でも、甲高い鳴き声で歌うように応えてみせた。だがそれも数秒のこと。じっと己が胸元を見つめていた深紅の竜。おもむろに首を持ち上げると眼光鋭く、彼方に仁王立ちする銀色の巨体を睨みつけた。……それは胸部コクピット内に鎮座する少年も同じこと。しかしながら全方位スクリーンに映り込む宿敵を凝視する彼の円らな瞳は、血走るほどの苛烈さが失せている。
目一杯水平に広げられた桜花の翼。すると両翼の裏側から二本の長剣が展開、ハサミのように組み合わさって一本の大剣と化す。六本の鶏冠は閉じかけた扇子程度まで角度を狭め、依然中腰のままホバリングを続けてゆっくり近付き間合いを詰めていく。砂煙は微か。あれほど金属音がかき鳴らされたこのすり鉢状の試合場は、数秒も経ずして限りない静寂に包まれた。
かたや獲物の進行方向に仁王立ちする銀色の巨体ケンタウロス・ワイルド。
頭部コクピット内に乗り込む虹色の魔人ビスマは近付いてきた深紅の竜をひとしきり、凝視。そのうち徐々に、首を傾げてきた。……深紅の竜はあの苛烈な戦い方をあっさり捨てた。代わりにどんな攻撃を繰り出すのかわからないが、驚くべきことがある。あの竜の動きはつい先程までと比べて驚くほどゆったりだ。なのに、着々と迫るこの圧倒的な殺気は先程までとは比較にならぬ。これから何が起こるというのか。
不意に、風切る音。
地を這う横薙ぎは、左の大剣から。破裂するような乾いた音は、銀色の巨体が自慢の爪を真横に払い、弾き返した証拠。次は、次は如何に。すかさずビスマはキャノピーの向こうに見える強敵を睨む。
深紅の竜は左の大剣を引っ込めつつ、さっと潮が引くように間合いを広げた。
ビスマは首をひねったまま、それでも接近を図る。応える銀色の巨体はらしからぬ、中途半端な踏み込み。
左足が接地を完了するまでに、再び例の、破裂するような乾いた音が鳴り響いた。深紅の竜が繰り出したのは右の大剣。やはり地を這う横薙ぎが、巨体の左膝に襲いかかる。寸前でどうにか払い除けた時には、深紅の竜は先程と同じように間合いを広げている。
何度も首をひねるビスマ。深紅の竜も我が分身も、一撃必殺の攻撃を多数、備えているのが明らかだ。ならば躊躇うことはあるまい。あいつも己も、僅かな隙をこじ開け、叩き込めば良いではないか。あいつは何故、攻めないのか。そして……。
そして、己は。
どうしたいのか、己は。
踏み込むべきか、離れるべきか。
撃つべきか、殴るべきか。
掴むべきか、払うべきか。
あいつも己も、何をするつもりかわからない。
(ドウシタコトダ!?)
虹色の魔人ビスマはかつてない心理状態に愕然となった。
(コレガ「ぱにっく」トイウコトナノカ……!?)
そんな心の隙をさらに突くかのように、さっと流れる一陣の風。
気がつけば銀色の巨体は、数歩も下がっていた。
風とともに、急速に間合いを詰めたのは深紅の竜。桜花の翼を目一杯広げて躍り出るが、しかし、斬りも突きもしない。
二、三秒に過ぎぬ間が異様に長く感じられたまま、すぐさま深紅の竜も数歩後退した。
下がる深紅の竜を目の当たりにしたビスマは何らの表情も浮かべず硬直したかに見える。……適切な表情が、わからないのだ。何しろ我が分身たる銀色の巨体は、単に間合いを詰めてきただけの相手に対し、無意味なまでの後退に甘んじていた。
対する深紅の竜は眼光鋭く強敵を睨みつけるのを止めぬ一方、己が胸元に一瞥するほどの余裕を取り戻したかに見える。
胸部コクピット内でギルガメスはしきりに息を整えながら、左右のレバーを捌く。力みは大分、失せた。
「そうだね、これで良い。これで十分だよね」
少年が話しかければ、相棒たる深紅の竜も己が胸をさすって応えてみせる。
ギルガメスはブレイカーの諌めを受けて、一撃一撃を確実に命中させていく方針に切り替えたのだ。神速の百撃、千撃も中々命中しないのが最初の攻防で明らかだ。このまま怒りに任せていては、遠からず隙を突かれて敗れるのが目に見えている。それよりは一撃を正確に、隙なく決めていくのだ。
(僕達が死なずに勝つのが最高の敵討ちだ。そのために怒りの心が邪魔なら、さっさと捨ててしまえ)
そう自分に言い聞かせながら少年は一撃、一撃を繰り出していく。……たったそれだけの心の切り替えで、風切る音と、破裂するような金属音が続けざまに繰り返されていく。しまいには、数歩接近しただけで目前の宿敵は怯んで退くまでになってしまったではないか。
対する虹色の魔人は未だこんな局面で浮かべるべき表情がわからないまま。たまりかねて、襲いかかる左の大剣目掛けて前のめり。払うだけじゃあない、あわよくば、掴む。掴んで手繰り寄せる!
その時、魔人の耳元に吹き荒んだ風切る音は、そんな彼の思惑を容易に切り裂いた。
バネ仕掛けの玩具のように、左腕を挙げる銀色の巨体。
深紅の竜が繰り出す右の大剣を、巨体の左腕はガッチリと受け止めたかに見える。正確無比の反応、攻勢に転じるチャンスだ。
ところが銀色の巨体は、石にでもなったかのように動かない。
竜の大剣も、受け止められた左腕に切っ先が密着したまま、動かない。
それが、二秒、三秒。
おもむろに大剣を引き、桜花の翼を翻しつつ深紅の竜は下がる。
銀色の巨体が間合いを図るべく動き出したのはもう数秒後。……動けなかったのだ。何故、風切る音がよりにもよって耳元に届いたのか。
そこには、僅かな好機を狙って不用意なまでに前のめりになった銀色の巨体の姿があった。防御が間に合わなければ、橙色のキャノピーは粉々に砕かれていただろう。魔人は仏頂面してレバーを引き寄せるしかない。
虹色の魔人の金属質の皮膚に発汗機能があるなら、今頃汗びっしょりである。
(マズイ、マズイゾ……)
虹色の魔人ビスマは秒単位で決着しかねない攻防の最中、可能な限り思考を巡らせる。
(コノ赤イ奴……[ジェノブレイカー]ノ剣技、威力ハ低イガ[ホボ絶対ニ]防ゲナイ。コンナ技ガ、アルトイウノカ……)
言うまでもなく魔装竜の異名を誇る深紅の竜が放つ一撃、弱いわけがない。銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドを一撃で切り捨てるほどではないだけで、並みのゾイドならば一刀のもと切り捨てるだろう。そういう技がひたすら命中し続けているのだ。勿論、深紅の竜は自慢の再生能力を発揮する余裕も与えず、淡々と、だが一撃を絶やすことがない。
すぐさま数歩後退、前のめりの姿勢を戻しつつ、この数秒でビスマはひたすら思案を繰り返す。
一方、十数歩先で水平に翼を、二本の大剣を広げる深紅の竜は余裕綽々。
それは胸部コクピット内部の少年も同じこと。既に怒りや悲しみといった感情は伺えない。あるのは次の一撃を必ず命中させるという素朴で強烈な一心に過ぎない。そして。
(多分こいつは、一足一刀の間合いも知らない。僕達が負けるわけにはいかないよ、ねぇ?)
天井を見上げて喋りながら、汗びっしょりの少年は両肩で汗を拭う。
深紅の竜は己が胸部を一瞥し、もはや心配など無用と確信した。あとはこの優しい主人の操縦にひたすら応えるだけ。重心を下げ、桜花の翼をふわり広げ、次の一撃を狙うのみ。
凡そ戦いというものに、予想のつかない事態などというものは殆どないと言えるかも知れない。偶然の勝利と思われるような場面でも、僅かな手がかりを辿ってみると実は確かな要因が明らかになることが多々ある。さてこれから起きようとしている出来事はどうなのだろう。偶然か、必然か。
とっくに静寂と、僅かゾイド数歩程度の地響きだけが繰り返されるこのラナイツの試合場。その外部に広がる荒野の彼方から「それ」は確認できた。場内の惨事からどうにか逃げおおせた多くの観客は、それを確かに感じ取ったという。だが、彼らの誰もが、つい先程まで目前に迫っていた異形のゾイドの襲来を恐れる余り「それ」に気を配ることなど到底できる状態になかった。
唯一、確かに「それ」を認知できた者は地下にいた。エステルである。彼女が愛用するビークルは、地下格納庫のとある区画に停めたままだから、観戦客が避難するどさくさに紛れて降りてきたのだ。エレベーターは停止してしまっているため、螺旋状のスロープを駆け足で降りてきた。途中、警備に当たる兵士の目をかいくぐっての駆け足は精神的にも疲れるものであったが、彼らよりも彼女の方が練度で圧倒的に勝っていた。
スロープを駆け下りながら腕時計型の端末から信号を送れば、程なくしてスロープの下方からビークルが耳鳴りにも似たマグネッサーエンジンの起動音を鳴らしつつ、床すれすれをふわり浮かんで彼女の前に現れた。エステルはもはや地下には客の避難誘導を行なう一部の兵士しかいないと確信し、信号が届くと考えられる距離までは何とかして駆け下りたのである。これで相当時間を稼ぐことができた。
ビークルは急減速しつつキャノピーをせり上げる。目前に止まったのとほぼ同時に飛び乗るエステル。……早速操縦しようとハーネスを自らの身体に下ろしたその時、通常でも尋常ならざる五感を持つこの美女の研ぎ澄まされた感覚が、奇妙な重低音と絶え間なく続く振動を感じ取った。彼女がすぐさま額に長い指を当てれば、たちまち刻印の青白い輝きが浮かび上がる。
かつて、それと同じものを感じ取った記憶は、相当幼い頃。数十秒後に起きた自然現象を、勝ち気な美少女はひどく恐れたものだ。彼女が直面した沢山の戦闘以上にトラウマになりかねないものかも知れない。
「……地鳴り!?」
重心を下げ、ジリジリと間合いを詰め始めた深紅の竜。気合いがみなぎるその有り様に突如もたらされた異変は、見た目には僅かな仕草に過ぎなかった。
深紅の竜は、顎を僅かながら右に、左に傾けた。耳を澄ますようにも見える仕草は、この緊迫を通り越して死命を決しかねない局面で見せる仕草とは到底思えないが……。
相棒が感知したものは、胸部コクピット内に着席する若き主人の耳元にも伝わってきた。
「ブレイカー、何これ? こんなの初めて聞いたよ」
同じような仕草を、相対する銀色の巨体も見せたのを、少年は見逃さない。……ただならぬ嫌な予感が脳裏をよぎったまま、彼はすぐさま全方位スクリーン左側に広げられた真っ暗なウインドウに何が表示されるのか横目で確認しようとした、その矢先。
地面を千人単位で踏みつけるような激しい音とともに、胸部コクピットが垂直に数メートルも跳ね上がったように感じた。慌てて少年は、左右のレバーを頼りに小さな身体を踏ん張ってみせる。
すかさず、深紅の竜は地面にへばりついた。もともとは丁寧に整地されていた筈のここ、ラナイツの試合場の地面は今や上下左右に形容し難い動きで揺れている。深紅の竜自身も両手両足の爪を地面に突き立ててこの揺れに対抗してみるものの、100トンを超える巨体の持ち主であるにも関わらず、安定には程遠い。
ギルガメス自身はこれほどの振動、かつて体験したことがない。行く手を阻む強敵の攻撃を食らった時、しばしばコクピット内部が大きく揺れることがあったが、こんなにいつまでも揺れが継続するようなことはなかった。
「もしかしてこれが、地震……!?」
既にこの試合場を構成する各所で大混乱が始まっていた。非常階段などから地上への脱出を果たした観客達は、頭上から降り注ぐガラス片やコンクリート片の雨に晒される事態となった。一方、VIP用観客席で指揮を執るギネビアらは直ちに手近の机の下に潜り込んで凌いだものの、完全に空白の時間帯が発生してしまった。焦る一同だが、地震の揺れは天井や内装をいとも簡単に剥がしぶちまけてしまい、彼らが今一度指揮に戻る勇気を確実に削いだ。
一方、銀色の巨体もまた腹ばいで地面にへばりついていた。……だが注意して欲しい。腹ばいになったのはあくまでも雷鳴竜ウルトラザウルスの四肢で構成された部分のみ。暴君竜ゴジュラスの上半身が埋め込まれた部分は垂直に立ち上がったまま。傍目にはこのゾイドが尻餅をついたかのようにも見える。
5秒、10秒……。
しばらくの間、銀色の巨体は長い両腕を八の字に広げてバランスを取っていた。四本の足は懸命に踏ん張り、長い尻尾も極力地面に設置。周囲に亀裂が走っていることもあり、上半身と下半身の雰囲気がまるで違う。
やがて轟く、高笑い。
「千載一遇!」
虹色の魔人ビスマの叫びは、勝利を確信する以外の要素が滲み出ていた。分身たる銀色の巨体も彼に追随し、空を見上げて吠え立てるが、そこには明確な温度差が見て取れる。
両腕を空に向けて突き出す銀色の巨体。……防弾ガラスを張り巡らされた高い壁の上から覗く青空に、まるで祈りを捧げるかのように。
たちまち両掌がまばゆく輝き始めた。左右三本の爪を目一杯広げるや、手のひらを中心に発光、明滅。引き寄せられる土や砂利、暴れ回る無数の雷蛇。
爪に集まる光は、やがて長い槍の形状にまとまっていく。遂には眩しく輝く金色の投擲武器が完成しようとしていた。その長さたるや、手にする銀色の巨体自身の倍近くはある。
その様子をまじまじと見つめる深紅の竜。うつ伏せのまま低くうなる。
返事を求められた少年はその有り様を刮目して見つめていたが、やがて何事か口走った。
その一声を耳にした深紅の竜は己が胸元をちらり一瞥すると、決意を秘めて真正面を見直す。
対する銀色の巨体は四肢で地面にへばりついたまま、暴君竜を構成する上半身のみが大きくうねった。完成した投擲武器を大空に捧げるとそのまま左腕を前方に突き出し、右腕を後方に引き寄せる。
『受ケテミロ、[魔装竜ジェノブレイカー]。[ケンタウロス・アロー]!!』
銀色の巨体を中心に、扇状の土煙が舞い上がった。巨体を目一杯傾け、右腕で投げ放たれた投擲武器。風を、土煙を切り裂き、唸りを上げ、一条の光と化して解き放たれたるその先に、うつ伏せたまま大地震をこらえていた深紅の竜の姿が確かに見えた。
高々と舞い上がった土砂。地を蹴った深紅の竜。背中より伸びたる六本の鶏冠の先端より、たちまち吹き出す蒼い炎。桜花の翼は水平に保ち、地表すれすれを滑空するかのように突き進む。
折り重なった金と蒼。そのまま両者は弾けることなく正反対に駆け抜けていき……。
金色の投擲武器は、試合場を構成するすり鉢状の斜面に吸い込まれるように突き刺さった。斜面には無数の亀裂が走り、地震の揺れにも決して引けを取らぬ衝撃が、辺りをデタラメに揺らす。
一方、投擲武器の軌跡を反対方向に追いかけてみれば、そこには先程勢い良く滑空に転じた深紅の竜が、のたうち回っている。……背中の鶏冠をよく見てみれば、左側の最も長い一本が、先端を削り取られたかのような傷を追っている。自らの進行方向があらぬ方向に進まぬよう、地面にへばりついて急減速を果たしたものの……。
胸部コクピット内では、ギルガメスがハーネスを押しのけかねない勢いでエビ反り悶えている。純白のTシャツは背中が鮮血に染まっていた。オーガノイドシステムのシンクロ機能によって、深紅の竜が負ったダメージがパイロットにも再現されたのだ。
金色の投擲武器ケンタウロス・アローは確かに魔装竜ジェノブレイカーを捉えた。……だが銀色の巨体は微動だにしない。依然、収まらぬ大地震の揺れが原因ではなかった。銀色の巨体は万力で締め上げるような音を発している。歯軋りしているのだ。
「……[つがい]カ!」
口惜しそうに彼方を睨みつけると、そこには時代がかったビークルが一台浮かんでいた。天井部分は開放され、中から長尺の対ゾイドライフルを両手で構える背広にサングラスという出で立ちの美女の姿が確認できた。エステルだ。右足でコクピットの縁を踏みつける姿勢は空中では傍目には危険過ぎるものの、相手の動き次第ですぐの狙撃にも追走にも転じる余地があることを示すものだ。
銀色の巨体は己が右腕を掲げてみせる。鋼鉄の三本爪を備えた手首には、不自然な硝煙がブレスレットのように漂っているではないか。手首を、爪を、機械的に揺さぶってみせると澄んだ金属音が聞こえ、地面に吸い込まれた。対ゾイドライフルの銃弾は、この強敵の右腕を確実に捉え、定めた照準を狂わせてみせた。
頭部を覆うオレンジ色のキャノピーはひとしきりビークルの方を睨みつけるが、それさえも虚しさを感じたらしく、視線を数百メートルは先で悶える深紅の竜に向けた。
『アナタハ恐ロシイナ。[導火線の七騎]ノ中デ最モ強イカモシレナイ。ダガ、私モ約束シタ』
銀色の背中に搭載された網目状の翼が目一杯広がった。己が体格の倍以上はある巨大な代物。帯電しながら羽ばたきを始めれば、辺りには煙幕が張られるように砂埃が舞い始める。
『[ギルガメス]ソシテ[ジェノブレイカー]、必ズオ前タチヲ倒シテ約束ヲ果タス』
収まらぬ震動を力づくで抑えつけるかのように四本の足を踏みつける。
砂埃は地上の荒波と化し、放射状に広がった。うつ伏せになって受け止めるしかない深紅の竜。ビークルも真上に逃げるしかない。
あっという間にゾイド十数匹分にまで膨張した砂埃。その中から、解き放たれた銀色の巨体が飛び立っていった。飛来する流れ星を逆回しで見るかのように、閃光が青空の彼方へと突き抜けていく。
ギルガメスが……少年主従が、この正体不明の敵が逃走していく姿を見届けた時、遅れて発生した大地震の揺れも落ち着いたのをようやく感じ取ることができたのである。