双児の月は黙して語らず、じっと地上を照らすのみ。そこに如何なる惨劇が繰り広げられようとも。
夜更けの空を見上げる銀色の巨体ケンタウロス・ワイルド。ひとしきりの遠吠えも飽きたのか、視線を目前に下げ、長い両腕をだらりと降ろす。この巨体もやはり金属生命体ゾイドの一種、全身を包む鋼鉄の皮膚にはその行く末を物語るかのように地獄の業火が映り込んでいた。
視線の彼方には、その身の何倍もある大穴がぽっかり地表に空いている。そこはつい先程ラナイツの精鋭「獅侍の軍団」の操る鋼鉄の獅子達が尽く叩き落され、無残にも爆発炎上したのだ。その炎は未だ消える様子がない。
そして大穴の手前では、ラナイツの女領主ギネビアと、彼女が駆る金属生命体ゾイド……「アーサー」の通称を持つ白銀の獅子が果敢にも銀色の巨体と激闘を繰り広げ、そして敗れ去った。敗者は文字通り粉々になるまで粉砕され、棺桶に入ることも許されなかったのである。
やがて訪れた静寂は幾分疑わしいものであった。
不意に、聞こえた微かな羽音。……傍らから忍び寄ってきたのは橙色の蜂ブリッツホーネットの群れ。ふわりふわりと巨体の胸の辺りにまで近付く。中央の一匹の背中には黒づくめの機械人形が搭乗・操縦しており、主人はその後ろの座席だ。
その主人・マノニアは激しい口呼吸が止まらない。小悪党と言える彼ではあったが、目前で二十名を超える人間がものの数分で命を散らし、遺骸も残らないなどという無残を通り越して苦笑いしか浮かばない光景を目にしたのは流石に初めてだ。
「……お、おおっ、見事じゃ、見事じゃビスマよ!
よくぞ『第三騎』ギネビアとアーサーを葬ったな!」
騎乗のまま顔を見上げ、そう告げるのが精一杯だ。
するとおもむろに、銀色の巨体の頭部を覆うキャノピーが持ち上がった。すっくと立ち上がった虹色の魔人ビスマ。得体のしれぬ金属質の皮膚を持ったこの人物の表情は読み難い。だが今この場で彼から発せられた言葉を聞けば、多くの者が絶句し数秒も経ずして声高に反論するより他ない筈だ。
『[マノニア]ヨ、早速[ギルガメス]ヲ追撃スルゾ』
「はぁっ!? お主、何を言っておるのじゃ!」
素っ頓狂な声を上げるマノニア。魔人は一向に意に介することなく北の彼方に浮かぶ地平線を指差した。
『[ギルガメス]ハ北ノ境界ヲ越エタ。コノママ追イカケル』
「待て待て! 待て待て待て待て!」
慌てて両腕を高々と持ち上げ静止を促すマノニア。
「流石にちょっと待て! 急ぎ過ぎじゃ!
お前の能力なら今や境界付近に軍警察のゾイド部隊が多数集結しているのも承知しておるじゃろう? 全部倒してから通るつもりか?
それにお前は傷も癒えていないじゃろう。まず治せ。治して万全の状態で臨め。そして奴らの裏をかけ」
事実、マノニアが常備する板状端末により、ラナイツの境界付近に軍警察らしきゾイドコア反応が多数集結していることを把握できていた。……軍警察は妄りに自治区に立ち入らない。だが彼らの管轄に近付いたら大暴れするのは間違いあるまい。
魔人は数秒とは言え少考してから返事を告げた。絞り出すような声だ。
『……ワカッタ。迂回シテ自己修復デキル場所ヲ探ソウ』
ほっと胸を撫で下ろすマノニア。小太りで運動不足気味の彼にはやや心臓に堪えるものだ。
「とにかくじゃ、ギルガメスとジェノブレイカーに再戦するからにはより万全な状態で臨むぞ。そのための策も、ちゃんと用意しておる」
コクリと魔人は頷くのみだ。只ひたすら指定された標的と戦うことにのみ使命と喜びを感じる魔人ビスマにとって、マノニアの申し出は今の時点では理解の対象外に過ぎなかった。
いともあっさり見開かれた、ギルガメスの瞼。90度回転した薄暗い部屋が視界に広がる。厚いカーテンの隙間からぼんやり漏れる星屑の淡い輝きに戸惑いを隠せない。まだ夜も明け切っていなかった。
どうしようか、身を起こそうかと迷い身体をひねろうとしたところで、少年は背中から引っ張る力を感じてはっと息を呑んだ。恐る恐る左手を背後に回す。……手探りで、Tシャツの後ろの裾に引っかかった滑らかな手触りに辿り着くと、彼は溜め息をついた。
愛する女性が、すがるように裾を掴んで寝息を立てていた。……二人して右向きで、少年はいつの間にか遠くを気に掛け、彼女は言いしれぬ不安を露わにしていた。彼女の方がずっと大人で、背も高く、手足も長くしなやかなのに。
少年は小さな体躯をそっとひねって起き上がった。彼女の長い指が裾から外れても、寝息はそのままだ。
星明かりを頼りにベッドを見下ろせば、ジャージ姿の彼女が胎児のように横たわり、右腕だけを伸ばしているのがわかる。そんなに寝相が悪くはない筈だが、今晩はタオルケットが脇に押しやられていた。……少年は手を伸ばしかけたものの一瞬は躊躇。だがそれも数秒、すぐに意を決して彼女の右手を撫で掴み、そっと自らの右頬に当てる。
「エステル先生、そんなに心配しないで下さい。僕は、前よりは、ずっと……。
でも、それでも……他にもっと良い方法、あったんじゃあないかと思うんです」
そう囁くと、微かに寝息を立てる彼女の身体に改めてタオルケットを掛けてやるのだった。
薄暗い格納庫内。深紅の竜は退屈そうにうずくまっていた。真夜中は狩りの時間。彼らの心を掻き立てる。しかし今しばらくは、偽りの闇に包まれたこの場で待機するしかない。Zi人の考える難しいことはわからないが、我が優しき師弟が疲れ気味なのはよく理解していた。古来より獰猛、凶暴と語り伝えられた深紅の竜は、そうであるからこそ信頼する主人をよく気遣う。主人の調子が良くなければ自らも全力を発揮できないからだ。
そんなことだから、向こうから聞き慣れた足音が聞こえたところでこのゾイドは尻尾が垂直に立ち上がった。分厚い水晶に覆われた両眼をまばゆく点滅させる。
姿を現した少年はいつも通りのTシャツに膝下丈の半ズボン。それに灰色のパーカーを引っ掛けている。彼は遠くからでもよくわかるように右の人差し指を口の前に立てて「シーッ」と声を立てた。
行儀良く腹ばいでかしこまる深紅の竜。その真正面に少年が辿り着くと、両手を目一杯広げてやるのが「よし」の合図。竜は待ってましたとばかりに自分の鼻先を少年の小さな頬に擦り付けた。
「おはよう、ブレイカー。少し運動したいんだ」
主人がどうしたいのか、深紅の竜はすぐに理解した。走ることが出来ないからそれ以外の運動を……例えば腹筋とか背筋とか、例えばキャッチボールとかを粛々と進めたいのだ。きっと夜明けとともにここを出立するに違いない。……いいとも、お安い御用だ。では何から始めよう? 深紅の竜は鼻先を少年から離すと少し小首を傾げてみせた。
エステルはようやく重い瞼をこじ開けた。くすぶりつつある朝焼けがカーテンの隙間から漏れてきたところで彼女は息を呑んだ。ひどい寝坊!
咄嗟に身を起こし、辺りを見渡す。自分が見慣れぬホテルの一室で就寝していたことを把握。……愛弟子は、何処?
すぐさま寝室の扉を開けば、客間中央の座卓で顔を伏せたまま眠っている少年の姿がすぐに目に入り、ようやく彼女は我に返った。ただ、愛弟子は既に着替えていたし、ボサボサの黒髪が濡れている。きっと寂しがり屋の相棒を慰めたついでに軽く運動し、シャワーを浴び直したのだろう。
彼女はと言えば今日は寝坊してしまおうと決めた筈なのに、実際に起きてみると中々の慌て振りだ。苦笑いするしかない。
只、寝坊を決め込んだのは決して穏やかな理由ではなかった。夜間外出禁止令が出ていたのだ。……昨晩、近所で死闘が繰り広げられた。その一方はラナイツの女領主ギネビアと彼女が率いるゾイド部隊「獅侍の軍団」。もう一方はビスマと名乗る怪人物が操るケンタウロス・ワイルドなる正体不明のゾイド。昨晩中にほぼ決着はついただろうが、それを外部の人間が正確に把握するためには夜が明け切る必要があった。
さて愛弟子はひどく落ち込んでいた。ギネビアという多少なりとも縁のできた人物に危機が迫っている。手助けもせず指を加えてみているつもりなのか? 如何に当事者が納得していることとは言え……。
(貴方は大事なところで優しいものね)
初対面のゾイドが辛さを訴えたからと言って損傷の苦痛を全て被ってしまうような、そんな愚直さが中々抜け切らない。それは他ならぬ師匠であり、これからも続く長い旅路の同行者である彼女にとって常に心配ではある。だがそれは、今まで敵を屠り生き延びることに徹する余りところどころ壊れてしまった彼女の心を白日の下に晒すことでもある。
彼女は寝間着姿のまま客間に入ると、顔を伏せて寝入る少年の真正面に立った。しばらくは無言でその姿を見つめていたが、ふと首を左右に振って、座卓に乗せておいたノート大の端末を開く。電源は入ったままだ。
知りたい情報を把握した彼女。眉一つ動かさずそっと端末を閉じると、着替えるために今一度寝室に戻った。
既に日差しはそこそこ高い。清々しいように見えて、時折のそよ風が焦げ臭い匂いを運んでいた。
深紅の竜は舗装された道の上で腹ばいになったままじっとしていた。両腕でビークルを抱えている。時折青空を見上げたり周囲の町並みを見渡したりしては溜め息をついている。
「ブレイカー、もう少しだからね」
胸部コクピット内から我が優しき主人の声が聞こえてきた。竜は気乗りしないトーンの下がった鳴き声を返しながらも、ひとまずは真正面を向き直して静粛にする。
ギルガメス一行は開門を待つべく大通りにやってきた。しかし先着は多い。昨晩一行も輸送したグスタフの定期便を始め、流通業者の操縦する様々なゾイドが既に大通りに集結していた。やむを得ず開門までは整列して待つことになったのである。
深紅の竜の左右でゴーレム数匹が小走りに駆け抜けていく。右手には大人の身体ほどもある誘導棒が握られている。少年はレバーを握り直した。
案の定、サイレンが鳴り響く。
『お待たせしました、外出禁止令が解除されました。
只今より開門します。誘導員の指示に従いゆっくりお進み下さい』
深紅の竜は文字通り、飛び跳ねるように立ち上がる。それでも着地は丁寧で、民家二軒分ほどある巨体がふわりと爪先から着地する様は見事というより他ないが、そんなところに自身の秘めたる抜群の運動能力を敢えて駆使する辺り、抑えきれない感情がありありと伺えた。
さていざ開門・誘導が始まってみても、少しずつの前進は牛歩と言っても差し支えない。何しろ左右でちょこまか動くゴーレムの方が速いのだ。流石に胸部コクピット内にも相棒の溜め息が聞こえてきた。
「ブレイカー、我慢、我慢。今だけ辛抱だよ」
不満にかこつけて甘えるように深紅の竜がひと鳴き返す。
すると全方位スクリーン左方にウインドウが開き、抱え持つビークルのパイロットが語りかけてきた。映像を見れば、普段は開放しているビークルの座席後方から、今まさに鋼鉄の屋根とキャノピーが競り上がり、天井を覆いつつあるところ。漆黒のパイロットスーツに身を固めたエステルは着席したまま腕組みし、右手で頬杖している。何やら浮かない顔。
「ギル、ブレイカー、こんなの今のうちだからね。
門を抜けたらちょっと大変と思うから、そのつもりでね?」
彼女の言葉に応えるように、深紅の竜は気忙しそうに首を左右に傾け始めた。……竜は、地響きを気にしている。
城門をくぐり抜ける少し前から、地響きは鋼鉄のコクピット内部にまで伝わってきた。心臓を微かに震わす異様な重低音が全く止まない。
いつしか少年は、自らの胸を擦っていた。
(大丈夫、ブレイカー、大丈夫だよ)
そう相棒に向けて囁いているつもりだが、実際に不安なのは何より自分の方だと自覚した。……相棒も若き主人の心情を察知した様子で、右手で胸部コクピットを覆う鋼鉄のハッチを軽く押さえる。
果たして城門の前に広がる荒野は砂塵が吹き荒れ、土煙が立ち込めていた。外周を広く見渡せば、快晴の青空と土や砂の黄色の二層で構成された異様な空間が待ち構えている。そして、至るところに見える誘導棒の赤い輝き。劣悪な視界の中、ゴーレム達が門外でも誘導を行なっていた。……そして肝心の、視界不良の原因となる連中は塵や煙の向こうでうごめいている。左から右へ突っ走っていく黒い影が延々と続き、ところどころサーチライトらしきもので黄土色の闇をかき分けているのが窺える。
深紅の竜は姿勢低く警戒しながら、誘導に従い一歩又一歩と前進を始めた。後続がいるから、とにかく前に進まざるを得ない。
この視界不良、沢山のゾイドが走り始めたのが原因である。物流を担うゾイド(それも10トン〜100トンを超えるようなものばかりだ)が一斉に動き出した結果だ。
「夜間外出禁止令が解けて色々な都市が一斉に開門したわ。あちこちで停泊中のゾイドが動き出した筈だから、しばらくはこんな感じでしょうね」
ああやはり、とは少年も思った。実のところ夜間外出禁止令のたぐいは故郷アーミタでもたまにあった。だが田舎だったこともあり、天気を弄っているかの如き有り様にお目にかかることは滅多に無い。
だが言いしれぬ不安は、依然止まぬ地響きもあって決して落ち着くことがない。ともかくも少年は左右のレバーを握り締める。
深紅の竜の目前に、二匹のゴーレムが誘導棒を真横に伸ばして停止を促す。竜は大人しく従った。
左方から、大小三十匹程のゾイドの集団が駆け抜けていく。竜もいれば獅子や狼、芋虫などもいて様々だ。貨物を引いているものも多く、うち何匹かは速度を落として深紅の竜達が並ぶ行列の左側面を通過していく。目的地は少年らが宿泊したあの街だ。
集団が駆け抜けきったところでようやくゴーレム達の誘導棒が上がり、ゆらゆらと揺さぶられる。
レバーを傾ける少年。応えて深紅の竜も軽やかな調子で駆け始めた。先程真正面を横断した集団の後方を追いかける形だ。深紅の竜以下数匹が続くものの、次の集団はあっという間に砂塵を巻き上げ押し寄せてくる。……徐々に歩行の速度を上げていく深紅の竜。その遥か後方で、二匹のゴーレムは再び誘導棒を真横に降ろした。
さて深紅の竜は軽快に歩行を続けている。……あくまで、このゾイド基準では「歩いている」程度に過ぎない。
一方、前後を進むゾイドの多くは貨物を積んでいることもあってか、懸命に駆けても速度が上がらない。こちらは両手で抱えられる程度のビークルを乗せているのみ。少しその気になっただけでも千切れそうだ。
にわかに相棒の調子が良くなってきたことを少年も感じ取った。やはり、このゾイドは走るのが大好きなのだ。
「エステル先生、頃合いを見計らって突っ走りたいです」
全方位スクリーンのウインドウ越しに少年が提案する。
「オーケー、ギル。タイミングは任せるわ……おや」
依然、腕組み・頬杖したままのエステルは両腕を解いた。手早くコントロールパネルをいじるとモニターに別のウインドウが開かれた。
その様子が全方位スクリーン側でも確認できた。少年も眼を見張る。
進行方向から別の土煙が立ち込めている。……やはりゾイドの一団だ。連中も三十匹かそこらくらいはいる様子。……その様子をモニター越しに観察するエステル。
向こうからの一団は、深紅の竜達の左側面をすれ違いざま駆け抜けていくようだ。……ゾイドは一概に巨大で重量もあり、高速で接触した時の損傷は計り知れないため、進行方向から別のゾイドが走ってきたら普通は割と大袈裟に距離を取るものだ。だがこの日は夜間外出禁止令を開けて混雑していたこともあり、土煙などによる視界不良が甚だしい。かなりギリギリの距離で両集団は回避を図ったが、それは思いのほか無難に達成されるかに見えた。
数にして六十匹を超える鋼鉄の獣達が、唸りを上げてすれ違っていく。爆発と見紛う程の土煙が絡み合い、足元を濁流の如き砂塵が駆け抜け、精々数分程度の邂逅は呆気なく終わりを告げるかに見えた。
女教師の蒼き瞳が切り裂くような眼光を解き放ったのはその時だ。
「跳ねて!」
不意打ちの叫び。少年の背筋に電気が駆け巡る。だが躊躇することなく、少年は左右のレバーを目一杯に下げた。
土煙の中から躍り出た深紅の竜。日差しに飲み込まれる程高くまで跳ね上がる。その最中に両翼を、六本の鶏冠を羽ばたくように広げつつ、竜は地上の異変を睨みつけた。
土煙の外へ、弾き飛ばされ横転する獣が数匹。……一方、土煙の側には幾条もの鋼鉄の鎖が確認できる。先端には人の数倍もある銛(もり)らしき形状の武器が確認できた。恐らくゾイド猟用。
少年の円らな瞳は見開かれたまま、瞬きする余裕もない。
「何なんですか、これ……」
「銛ね。銃砲よりは安いもの」
地上ではたちまち鋼鉄同士の激突音が鳴り響く。殴られ、裂かれ、砕ける音が入り乱れる最悪の不協和音。それとともに、立ち込めていた土煙もたちまち風に流されていく。
慎重に、減速して着地した深紅の竜。……両腕に抱えたビークルはそのままだ。事態を把握しない限り各個で動くべきではない。竜は辺りを見渡す。映像が、全方位スクリーンにも反映される。
ギルガメスは惨劇の有り様に声を失ってしまった。目の前では鋼鉄の狼コマンドウルフ同士が喉笛を噛みつきながらと転がり回っている。向こうでは鉛玉の芋虫モルガ数匹が、一回り以上も大きい芋虫キャタルガに覆いかぶさり噛み付いている(※粗筋にも記載の通り、本稿ではワイルド系ゾイドは全てキットの実寸×72倍で登場します)。あちらでは角竜と猛牛が、こちらではダンゴムシと帆を持つトカゲが。いずれも勝手に組み付き合いもつれ合う泥臭い戦闘を演じている。
向こうから鋼鉄の破片が飛んできた。深紅の竜は首をひょいと動かして難なく躱す。だがその反対に余裕などとうに吹っ飛んでしまった様子で周囲を見渡すのを止めない。
それもその筈、竜の胸部コクピット内部で、少年は息を呑んだままだ。
「どれが、襲ってきた奴らなんだ……!?」
奴らの氏素性がそもそもよくわからない状態ではある。野党なのかテロリストなのか、それとも他の何かなのか。だがこの際そんなことはどうでも良かった。連中はギルガメスの前後にいたゾイド(大半は民間の輸送用)と個々に組み付き合ってしまった。今やこの場では、奴らと民間のゾイドが入り乱れてしまっており、区別の仕方がわからない。誰を倒し、誰を助ければ良いのか……!?
ゾイドの体色? そんなもの、持ち主が好き勝手に塗装している。
武装の有無? 危険が横行する惑星Ziだからこそ民間のゾイドにも相応の武装が許可されているのだ。
犯罪者なら顔を隠している? 一々ゾイドのキャノピーまで近付いて確認するつもりか。
「どうしよう、どうすればいいんだ!?」
一回、深呼吸する程度の時間ながら、少年の脳内では凄まじい時間が経過していた。猛烈な消耗、憔悴。……その果てに、少年は閃いた。
「開門を待っていた時、僕たちの前にいたゾイドは……!」
その最中、全方位スクリーン左上にウインドウが開いた。エステルが身を乗り出している。
「ギル、逃げるのよ!」
だが彼女の言葉は少年が同時に叫んだ言葉でかき消されてしまった。
「コマンドウルフ! 両肩に星のマーク!」
深紅の竜は躊躇せず、少年の発した少々不完全な言葉に素早く反応した。[まず、両肩に星のマークが付いたコマンドウルフを助けろ]そういうことだ。任せろとばかりに強く地面を蹴り込めば、たちまち土砂の柱が吹き飛ぶ。両腕に抱えたビークルはきゅっと握りしめたままだ。
「ギル、ギル、聞こえて!?」
エステルの二言目でようやく少年は我に返った。
「エステル先生!?」
「ギル、ブレイカーを止めなさい! さっさとここを……」
だが彼女が言い終わる前に、深紅の竜は少年が覚えていた「両肩に星のマークが付いたコマンドウルフ」を見つけてしまった。魔装竜ジェノブレイカーの仇名で呼ばれたこのゾイドにとって、周囲を見渡した程度で様々なゾイドの特徴を見抜くことなど造作もないこと。十数歩程も先で横転したまま動かないコマンドウルフの前に立ったのである。間違いない、両肩前方の装甲に星のマークがある。ところどころ銃創があるが、ゾイドコアは生きているだろうか? パイロットは? 一方、エステルの呼びかけも気になる。早く応えねば。……だが、とにかく。
「大丈夫ですか!」
マイク越しに大声を放つ。
銃撃、砲撃が鳴り止まぬこの辺りを包み込んだ、一瞬の静寂。
程なく、鋼鉄の狼の頭部を覆う橙色のキャノピーがぼんやり輝いた。
(ゾイドの方は、生きてる! パイロットは?)
身を乗り出す少年。深紅の竜も一歩踏み込む。
鋼鉄の狼コマンドウルフはヨロヨロと胴体を起こし、うつ伏せになった。軽い、地響き。それをかき消すように、乾いた破裂音が静寂を引き裂いた。……コマンドウルフの、背中に積んだ大砲が解き放たれたのだ。
深紅の竜は両手でビークルを抱えたまま横っ飛び。
ギルガメスは真っ青だ。今の時点では『もしかしたら敵だったのか』などという考えにすら辿り着いていない。
「ま、待って下さい! 僕達は……」
深紅の竜が手を差し伸べようにも砲撃はかなり正確だ。一歩も近付けず、竜は反時計回りに一歩一歩距離を離さざるを得ない。その間にも、狼の頭部キャノピーが開放された。中から現れたパイロットスーツ姿の中年男性は対ゾイドライフルを両腕で握り締めながら怒鳴った。額が割れているのか流血が確認できる。そして、蒼白の表情。パニックに陥っているのか。
「失せろ、テロリスト!」
男性は滅多矢鱈にライフルを撃ちまくる。対ゾイドライフルはゾイドと言えども関節などの急所に命中すれば致命傷になり得る危険な武器だ。深紅の竜はすぐさま両翼を前面に翻して凌ぐより他ない。
「ギル、ギル、聞こえて!? 逃げるのよ!」
砲撃、銃撃の冷水を浴びせられた少年は、事ここに至ってようやく女教師のアドバイスをちゃんと聞き、理解した。
地面が爆ぜる。一歩、又一歩。深紅の竜が強く蹴り込み、一気に加速を付ける。……足元を、追いかける無数の銃弾、砲弾。たちまち地面が砕け抉れていく。しかしながら深紅の竜は表面上は何とも軽やかな動きで蹴り込みから滑走に転じると、入り乱れたこの辺りから一気に加速。程なく、離脱に成功した。
荒野を見渡せば、至るところで炎が、煙が上がっているのがわかる。恐らくは何らかの武装勢力が夜間外出禁止令明けで市外に出たゾイドの群れに対し、同じように接触して被害を追わせたに違いない。理由は……何だろうか。
だがそんなことより。少年は唇を強く噛み締めていた。円らな瞳に涙が浮かぶ。手を差し伸べてみたら噛みつかれるなどあの場では思いもよらなかったが、あんな事態に巻き込まれた一般人に、正確な判断などそもそもできるだろうか。
(何が「もっと良い方法」だ! ギルガメスの馬鹿野郎……)
すると再び全方位スクリーン左上にウインドウが開き、愛する女性が語りかけてきた。
「ギル、ギル、今度は聞こえているわね?」
少し疲れた様子のエステルは苦笑いを浮かべていた。
一方ギルガメスの声は消え入るようだ。「はい」の一言もかすれてしまい聞き取り辛い。
「ギネビアという有力者が亡くなったから、チャンスとばかりに反対勢力がテロを仕掛けた……そんなところかしらね。私達ではどうにもならないわ。そういう立場の人達にまとめてもらうしかないわね」
少年はコクリ、コクリと頷くことしか出来ない。
女教師は笑顔のまま溜め息をついた。
「……例え何十億だかのこの星の民があなたを殺しに来ても、私はあなたを守るわ。
あなたに嫌われても、絶対にね」
充血した円らな瞳でウインドウ越しに女教師を見つめる。
向こうの彼女は腕組みも頬杖もせず、座席にもたれかかったまま淡々と告げていた。切れ長の蒼き瞳も心持ち、充血していた。
駆ける、深紅の竜。六本の鶏冠を目一杯広げ、その先端からは蒼い炎を吹き出して、軽快な滑走。
彼方から、又別の土煙が見えてきた。……よく見るまでもない、土煙の中には無数の赤い閃光が見える。横長の、パトランプ。軍警察のゾイド部隊だ。奔走する一般ゾイドを襲撃する武装集団を鎮圧すべく、動き出したようだ。竜とビークル、それぞれのコクピット内でラジオの音声が響き始める。
次の行き先を目指し、深紅の竜はひたすら滑走。面倒事も一段落したからか、微かに鼻歌が聞こえてくる。だが朝日は昇ったばかりだ。