オメガモンがリリスモンのいる部屋にたどり着いたころにはもう手遅れだった。アスナはリリスモンに抱かれ、ぐったりしている。
SAOの仕様上、HPが無くなるとポリゴンとなって消えるようになっている。幸いなことにアスナがポリゴンになっていないことから、死んでいない。しかし、虚ろな瞳を見て、オメガモンはアスナが生きてもいないと悟った。
「リリスモン! アスナに何をした」
「イグドラシルの犬か、生きておったか。安心せい、アスナは死んでおらん。少し、彼女の未来を案じただけじゃよ」
もちろん、リリスモンはアスナの未来を考えたわけではない。リリスモンの目的はSAOという世界を破壊し、創り替えることだ。
リリスモンは人間をデータで、デジモンはMODという形で表現したこの、≪偽物の世界≫を嫌った。≪偽物の世界≫を破壊するという大義名分の元、破壊活動を行った。しかし、その世界で本当に生きていると言った人間たちがいた。彼らの名はアスナとキリト。
リリスモンがどれだけ偽物の世界だと言い張ろうが、二人がいる限りリリスモンの理屈は通らない。本物であると言う二人を論破し、「この世界は偽物です」。と言わせられれば他のプレイヤーも言うことを聞きやすくなるだろう。
そして、アスナの心に勝負を仕掛けたのだ。結果はリリスモンの勝ち。アスナは堕ちて、目的を失った。アスナは……死んだのだ。
「のう、オメガモン。人間と関わったうぬに聞きたい。お主の目から見て、この世界は美しかったかえ?」
ふと、リリスモンから言葉が漏れる。善のロイヤルナイツと悪の七大魔王。デジタルワールドで出会えば戦いが起こる関係だが、ここはSAO。特殊な環境によるものか、リリスモンが揺らいでいるのか、会話が生まれた。
「もちろん。みんなと一緒に飲んだコーヒーは美味しかったし、当てもなく歩いた夜の街は面白かった。なにより、アスナを見た時、私の心に綺麗という感情があった」
「さようか」
オメガモンのこの言葉はリリスモンに向けられたものではないだろう。
リリスモンは飲み込むと、アスナを愛おしく撫でながら、オメガモンに向き合う。
「キリトに伝えよ、アスナはわらわが預かった。あの森で待っている。ポリゴンに囲まれた、偽りの森で」
「待て!」
リリスモンはそれだけ言うと、アスナを抱きかかえたまま洞窟の奥へと消えていく。
インフェルモンの群に囲まれていたから、洞窟の奥へと進むアスナを引き留めることができなかった。しかし、カバーできなかったのも事実。オメガモンはリリスモンが森へ移動した事実を、メッセージとしてキリトに飛ばす。
おそらく、あの森で決戦が行われるだろう。
オメガモンからメッセージを受けたキリトは、アルファモンと森へ向かっていた。途中のザコ敵を軽くいなし、暗い森の中を進んでいく。緑だった木の中に、青いポリゴンが混ざりつつある。それがリリスモンのいる場所に繋がっていると確信できた。
今まで動き続けていたキリトの足が、森のある場所で止まった。彼の視線の先には二人の女性がいる。一人はアスナ、キリトのパートナーだ。もう一人は。
「リリスモン、アスナに何をした」
「その前に、黒いデカ物が邪魔じゃの。ほれ、デイアボロモン」
リリスモンの背後からヌッと触手のような腕が飛び出しかと思うと、リリスモンを上回る巨大な群青色の塊が三つ現れた。
その中心の塊が一ヶ所だけ緑色に光ると、その上から頭のようなものが生えてくる。顔全体は金属のような甲殻に覆われ、ギョロギョロした目玉をカメレオンのように動かした。壊れた機械のようにカクカクと頭を傾けると、アルファモンに向かって両手両足を使い、カエルのようにジャンプする。
アルファモンはとっさに避けるが、デイアロボモンは追撃を開始。二体のデジモンはキリトとリリスモンから遠ざかっていく。
「キリト! すまない。ディアボロモンは分裂する可能性がある。増殖したディアボロモンとリリスモンを同時に相手にするのは危険だ。ディアボロモンは私に任せて、君はリリスモンを頼む」
このデイアロボモンはインフェルモンが進化した姿。アルファモンと同じ究極体だ。デジタルワールドでアルファモンとデイアロボモンが戦ったら、アルファモンの圧勝になる。
「アルファモン! 本当に大丈夫か」
この世界はSAOだ。ステータス的にはアルファモンとデイアロボモンは同じくらい。それでもアルファモンが負けるとは思えないが、時間はかかるだろう。
「任せてくれ、これくらい何とかしてみせるさ。君はまずアスナ君を助けてあげて欲しい。お姫様を助けるのはナイトの役目だろう」
聖剣グレイダルファーを召喚し、ディアボロモンを後退させる。最後にキリトへ振り向くと。
「君ならできると信じているさ」
雄叫びと共にディアボロモンへと切りかかった。二体のデジモンはもつれこんで森の奥へと消えていく。
キリトはアルファモンを見送ると、リリスモンを睨みつけた。魔王は一連の流れをただ見ているだけで何もしてこない。何か考え事をしてるのか、ボーっとキリトを見つめるだけだった。
「……キリト君」
リリスモンに代わって、アスナがキリトに歩み寄る。消えそうな声で、確かにハッキリとキリトの名前を呼ぶ。だらりと垂れ下がった手の先からレイピアを引きずっていて、軌跡が細い線となって地面に描かれている。
「アスナ」
「もうやめようよ」
キリトは自分の耳を疑った。かつて、アスナは攻略を優先するがあまり、NPCを犠牲にするという作戦を立てた過去がある。昔はそれだけ帰りたかったのだろうが、今はその真逆だ。
光りを失った目でキリトをぼんやりと見つめ、艶やか唇が小さく動いた。
「攻略なんてもう辞めようよ。クリアしたところで意味がないもん。現実世界に帰っても、私たちは引き離される。一緒になれないんだよ」
「どうしたんだ! リアルでも一緒になるって言ったじゃないか」
「お母さんがキリト君を認めない。認めないんだよ……。現実世界に戻らなくてもいい。リアルに戻っても私たちは一緒になれない。なら、だったら、この世界で一緒に暮らそう。ね、ユイちゃんも、アルファモンも、オメガモンだって一緒だよ」
後半、アスナは訴えかけるようにまくし立てた。無理やり笑い、ぎこちない笑顔を作る。
だが、キリトはきっぱりと否定する。
「嫌だ」
アスナはビクリと肩を震わせて、俯いてしまう。
「俺は現実世界でアスナと会うって約束した。だから、どんなことがあってもアスナを迎えに行くし、離れ離れになったとしても最後には一緒になる。約束する」
「無理だよ、お母さんには逆らえない。私も、お父さんだって……」
手で顔を覆ってしまった。泣いているのか分からない。
キリトはアスナに歩み寄って、震える彼女の肩を優しく抱きしめた。
「アスナ、俺も今まで散々ネットの世界に逃げてきたけど、やっと分かったよ。どんなに現実から逃げても、いずれ向き合わなくちゃいけない。距離をとってきた家族や、置いてきた妹にも」
「でも……」
「戦えない人間なんていない。戦うか、戦わないか。その選択があるだけだ!」
アスナは目を見開くと、左を胸に当ててうつむいた。しばらくして、リリスモンとキリトを交互に見つけると、白銀の細剣≪ランベントライト≫を握りしめる。
「……分かった」
アスナは顔を上げて、キリトを真っ直ぐと見つめた。宝石のような瞳には決意の光が宿っている。霧や闇の中でもハッキリと光りを放つ輝きだった。
アスナはキリトの隣に立つと、優しく微笑んだ。そして、黒の剣士と閃光がリリスモンに剣を向ける。
「リリスモン! お前の計画はこれまでだ」
「笑わせる。ディアボロモンは増殖すると言ったはずじゃ、コピーはすでにとっておる!」
リリスモンが指を鳴らすと、二人の周りに三体のディアボロモンが出現。うち一体が跳躍し、触手のような腕を伸ばした。赤い爪が、アスナの喉元目掛けて飛んでいく。
盾を持たない二人に防ぐ手段はない。だが、キリトもアスナも怯えることなく、ディアボロモンの爪を見据えていた。パリィをしても、他二体から総攻撃を食らえばそれで終わりだ。
だが、キリトとアスナはウインドウを開き、不敵に笑っている。あの爪が届くことはないと確信して。
―――ガルルキャノン―――
一瞬にしてディアボロモンが凍てついた。赤い爪はアスナに届くことなく地面に突き刺さり、群青色の巨体が墜落する。魔法攻撃のような一撃に他のデイアボロモンがうろたえた。
戦場の空気を一変させた、アイツの名をアスナが叫ぶ。
「来てくれたんだね! オメガモン」
「遅くなってすみません。これでも全速力で来たんだが」
「いいって、オメガモン。アルファモンは先にディアボロモンの親玉と戦ってるけど」
ロイヤルナイツ最後の騎士オメガモン、到着。凍てついたディアボロモンをグレイソードで両断すると、残り二体のタゲをとる。
「キリト、アスナさん。リリスモンは……」
「俺たちに任せて」
「オメガモンはディアボロモンをお願い」
「そう言うと思っていたよ」
オメガモンはそのままディアボロモンたちを引き付けて、リリスモンから離れていく。森には最初に出会った時のように、二人と一体が残される。
仕切り直しとなった戦場はデジモン達の戦闘の影響で、かつてキリトとヒースクリフが戦ったボス部屋のように広くなっていた。待ち構えるのは色欲の七大魔王、対するはSAOの最強タッグ。
「分からぬ。オメガモンも、アルファモンも、うぬら二人も。この世界で生きていると言いながら、クリアを目指す行為が。この世界で生きた証を失ってまで、現実世界に戻るという信念も。そして、この全てが仮で出来た世界を本物と呼べるその考えも。
ゆえに、この世界が本物だと言うのなら、愛があると叫ぶのなら、示してみせよ。キリト、アスナ!」
リリスモンの目つきが変わった。不安や戸惑いが混ざったものから、二人を敵と定め、戦いを望むものへ。大きな翼を広げて距離をとり、両手を伸ばして魔法を放つ。
燃え盛る炎、槍のような氷、巨大な岩石、刃のような木の葉。風や闇などSAOに存在しない攻撃のオンパレード。一つ一つは単純な動きだが、それらが折り重なって複雑な軌道を描き、キリト達に襲い掛かる。
「聞いてはいたが、ここまでとは」
キリトとアスナは二手に分かれて、魔法攻撃の集中砲火を食らわないように避ける。反射神経や、今までの勘、経験をフル動員して、やり過ごした。
その間に≪投擲スキル≫を使って、石ころを投げてリリスモンを怯ませようとしたが、魔王に通用しない。キリトがタゲをとっている間に、アスナが接近し、レイピアを振るった。しかし、リリスモンは羽を使って距離をとり、魔法で弾幕を張ってやり過ごす。
相方ばかりに攻撃させないと、キリトが突っ込んだ。だが、黒の刀身は魔王の衣を引き裂くことはなく、代わりに黄金の爪に鷲掴みにされた。
「くだらん」
どこか憤怒に満ちたリリスモンは、怒り任せにキリトをアスナのところに吹っ飛ばす。さらにぶつかった二人が体勢を崩したのを機に魔法陣を展開した。
「ファントムペイン!」
必殺技、魔法攻撃、防御貫通。リリスモンが誇る最強の一撃、ファントムペイン。ロイヤルナイツのオメガモンを戦闘不能にさせるほどの大技がキリト達に迫る。
二人は座ったままだが何とか上体を逸らし、直撃を避けることに成功。キリトは爆風に背中を押され、よろめきながらも立ち上がる。HPを確認すると、ものすごい勢いで三分の一ほど減っていた。不安を覚え、キリトがアスナの無事を確かめる。振り返ると、アスナも生きていて、立ち上がる途中だった。
「キリト君前!」
アスナの悲鳴を受けて、キリトが前を向くと、火球が群れを成して飛んできた。剣を使って叩き落しつつ、立ち上がる。むろん、全て防ぎきることなど不可能だ。二人はさらにHPバーを減らしながらリリスモンから距離をとることにした。
二人はひとまず、フィールドから外れて森の中に身を隠す。リリスモンの放つ魔法は破壊の限りを尽くし、木々を蹂躙した。爆発のエフェクトが巻き起こり、土埃や木片が宙を舞う。
キリトとアスナは爆撃を避けて、なんとか茂みの中に身を隠せた。葉と葉の間から四つの目がリリスモンの姿を捕らえている。少女が囁いた。
「キリト君、やっぱりリリスモンは強い。私たちは魔法攻撃に慣れてないし、MP? みたいなものも無さそう。このままだと、リリスモンは魔法を撃ち放題で、近づくことは難しいかも……」
MP無限の魔法攻撃、こちらの剣技を防ぐデモンズネイル、掠っただけで体力の三分の一を持ってかれるファントムペイン。
機動力はアスナ達よりも低いようだが、翼を羽ばたかせれば容易に距離をとってくる。デジモンという種族の特徴は、倒されるために創られたSAOのボスとは全く異なっていた。
これがゲームのボスだとしたら、誰もが無理ゲーだとコントローラーを投げるだろう。勝算が薄いと感じたのか、アスナは悔しそうに唇をかんだ。
「……アスナ待って。確かに俺やアスナは魔法攻撃に慣れてないけど、それはリリスモンにも当てはまるみたいだぞ」
キリトがリリスモンを注視する。先程の氷魔法と炎魔法によって水蒸気が立ち込めていたり、風で待った埃や草魔法の草が視界を悪くなったりしている。
キリトとアスナは≪索敵スキル≫を使ったため、リリスモンの動きを把握できた。しかし、リリスモンは≪索敵スキル≫が無いためか、キリトとアスナを見失ったらしく、辺りを見渡している。
「マップのウインドウを開けば俺やアスナの居場所はマーカーやアイコンで表示されていると思うんだが……」
「リリスモンはアルファモンと同じようにSAO初心者ってこと?」
あれほどの魔法を使えても、リリスモンはSAOのシステムを理解していない。いや、あれ程の威力がある魔法を操れるからシステムに頼らなくても良かったのだろう。
思えば、リリスモンの移動はデジモンとしての飛行能力や、洞窟の奥へと消えるなど。ワープできるアイテム、≪転移結晶≫を使っていない。
だからこそ。
「俺たちに勝ち目があるとしたら、そこだ」
「SAOのシステムって事ね」
キリトがラプタードラモン戦で見せた≪パリィ≫やアスナと一緒に繰り出した≪スイッチ≫。≪索敵スキル≫、≪回復ポーション≫やマップ機能など、SAOがゲームであるが故のシステム。キリトとアスナが2年間に及び蓄えた知識こそが、リリスモンを倒す最大の武器だ。
キリトは広範囲の味方の体力を回復できる≪回復結晶≫を二つ、握りしめると一つが青い光を放った。
「アスナ、作戦がある」
キリトがアスナの耳元で策を伝えた。アスナは一瞬驚くが、キリトの≪回復結晶≫を受け取ると、笑って。
「全く、無茶ばかりするんだから。って、今回は私も無茶するもんね。おそろいだよ」
二人が立ち上がる。視界がだんだんと晴れていく。キリトとアスナはウインドウを表示して、二人で顔を見合わせた。
「俺がアスナを守るから」
「私がキリト君を守るから」
―――大丈夫。信じてる―――
リリスモンが二人を見つけた。両腕を広げて嗜虐的な笑みを浮かべる。魔王の周りには、炎や氷などの結晶が浮遊し、獲物を待ち構えていた。キリトとアスナは恐れることなく、リリスモンに向かって走り出した。
リリスモン編は終わりまで書けました。
続きを読みたいかどうかを教えていただけると嬉しいです。