こんなはずじゃ……
死んだ目で歩いている。自分でも死んでるって分かる。すれ違う人たち全員がそっと俺たちから顔を逸らして、早足になっては過ぎ去っていった。
手を繋いだフロストリーフが上機嫌に言う。
「アルク、今日は非番だろう? ずっと一緒にいるぞ」
「……ああ──あのさ。手……冷たいな」
「大丈夫だ、手が冷たい人は心があったかいらしいぞ。アルクの手はあったかいけどな」
「……お前の手が、冷たすぎるだけだ。なんで──こんな冷たいんだ……?」
「? 決まってるだろう。アルクが逃げ出さないように、冷やしているんだ」
「なんで……?」
それしか言えなかった。
「大丈夫だ、すぐさま凍りつかせることも出来る。アルクを守れる」
「……何、から? 何から、俺を守れる……」
「決まっているだろう? あの女たちからだ」
「……ひっ」
フロストリーフは笑顔だった。理論が破綻していることに気がついていない。
「あ、あのさ……。昨日の話なんだけどな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「ベロチューってマジ?」
「! 〜っ。アルク、からかうな!」
「いや……からかってない。全然からかってない。ほら見て俺の目、死んでるよ?」
「わ、私だって恥ずかしかったんだ! でも……。我慢、できなくて……」
「我慢……? 何を、我慢……? なんで……?」
「だって、他の人に取られたくなかった……」
「──ああ」
もうダメなんだな、って思った。分かった。
そうか、
恥ずかしそうに、しかしガッチリ手を繋ぐフロストリーフは、そのまま俺を部屋に連れて行った。
「ほら、座れ」
「……何をする気だ?」
「寒いんだろう? 私が、その……あっためてやるから」
俺はベッドに座らされた。
フロストリーフはそのまま俺を押し倒した。獲物に絡みつく蛇のように俺に抱きついて、顔をうずめて来る。
俺は呆然としながらその光景を眺めていた。
何もかも、終わったと思った。
「〜〜! いいな、これは……いい」
「……。寒い……」
「じゃあ……その、もっとくっついてやる。そしたらあったかい」
「あのさ、言いづらいんだけど……。アーツ……止めてくれないか? 寒いんだ……」
「? アーツ……? なんの話だ?」
「え──?」
戦慄した。震えが止まらなかった。
話が通じないのか?
「あ、あのさ……。怒らないで聞いてほしいんだが」
「私がアルクに怒るわけがないだろう? なんだ、なんでも言え」
「その、アーツ……。今、お前さ……。アーツ……氷結のアーツ放ってるんだ……。気づいて、ないのか……?」
「えーっと……。ん、言われてみればそうだったな……。なんだか切り忘れていたみたいだ、すまない」
「いやいいよ? いいんだけどね? いいんだけどさ、……止めてくれない?」
「んー……おかしいな、うまく制御できない……。私としたことが、さっきからなんだか……胸があったかくて、おかしいんだ。すまない」
「そうなの? 俺は全身が寒いよ? 死ぬよ?」
「ん……。なんだか眠くなってきたな……」
「話が聞こえてない……」
口が裂けても”お前それ低体温症だぞ、雪山で遭難したときのヤツだぞ”なんて言えなかった。もし言ったらどうなるか想像がつかなかった。火薬の山にマッチを投げる奴はいないだろう。そういうことだ、俺にも怖いものがあった。
フロストリーフは一層俺を強く抱きしめた。柔らかい感触が全身に広がる。
俺にはそれが、まるでどうあっても獲物を逃がそうとしない動きにしか思えず、ただただこの恐怖をどうやって乗り越えようかと全力で焦っていた。
フロストリーフが眠ったことで、氷結のアーツが止んだ。
……希望が見えてきた。
起こさないように、そーっと引き剥がしてベッドに寝かす。
「んぅ、行くな……」
「ひっ……なんだ寝言か……。ビビらせやがって……」
そーっと。そーっと……。
もし起こしてしまえばおしまいだ。きっと俺は凍らせられてそのまま死ぬ。それだけは嫌だった。死にたくなかった。
そーっと、忍び足で部屋を出ていく。気づかれてない、気づかれてない。
ドアまでちょっと。ドアまであとちょっとなんだ。
もう少し──。
「アルク……どこへ行こうとしている?」
「ああああああああああッ!!」
速攻でドアを開けた──間に合わない。すぐにドアが凍って動かなくなった。必死に動かそうとする──。
「クソこの、動けッ、動けよぉッ! なんでッ!」
「私を放って……。また──あの女のところへ行くのか?」
「モスティマのとこなんか行くわけねえだろ!? 俺は──俺はそうだ、俺は行かない、俺は──誰もいないところへ行くんだ! そこは平和な場所なんだッ、やめろ、来るな、来るなァ──ッ!」
「ダメだ……。私と、ずっと一緒に──」
「ひっ、やめろ、やめろッ、やめてくれッ! 俺は死にたくない、殺さないでくれ、頼む、相棒だろうッ! 違ったのかッ!?」
「なら……。どうして、私と一緒に居てくれないんだ……? アルク……また、私を一人にするつもりなのか……?」
「違うそんなつもりじゃないッ! お前が俺を殺そうとしなければ、そうだ、そうだよッ! 俺を凍らせようとしなければいいんだよッ! それなら、それなら何も問題なんかねえはずなんだッ! なんだって俺を殺さなけりゃならないッ! 答えろフロストリーフッ!」
「私がアルクを殺そうとするはずがないだろう……? 変なアルクだ。でも仕方ないんだ、だって……」
ドアを何度も叩く。
ガン、ガン、ガン、ガン……。
虚しく音だけが響く。誰か、頼む誰か気付いてくれ。
「誰か、誰でもいい──ッ! 俺はここにいる、俺を助けろォ──ッ!!」
「凍らせでもしなければ、アルクは私と一緒に居てくれないだろう……?」
フロストリーフが手をかざした──やめろ、死にたくない、殺されたくない……ッ! こんな死に様アリかよ、嫌だやめろやめてくれ──!
ガン、ガンガンガンガン──。扉を殴る、冷たい扉を殴って、誰かが気付いてくれることを願う。
「助けてくれッ! 誰か、誰でもいいッ! 誰かッ!! 誰か居ないのかッ!? 頼むよ神様ッ!」
「これからは、ずっと一緒だ。アルク」
冷たいアーツが迫って、逃げ場がなくて、嫌だ、嫌だ──。
ドデカい衝撃音が響いて、ドアが粉々に砕けた。破片が顔に当たった。俺はすぐさま目の前に飛び込んだ。
誰かが手を引いた瞬間、時間の流れが遅くなったかのように──え?
「危ないところだったね、アルク。こっちさ」
「あ、ああああ、あああ……も、モスティマさん…………」
またか、またなのか。
「待てアルク、私を置いていくな──ッ! 嫌だぁッ、連れていくな──!」
「その言い草は……いやでも、アルクも悪いし、少しは同情するけど──ごめんね。アルクは──私のものなんだ」
手を引かれながら、俺は流されるまま走った。
モスティマの言葉には聞こえないフリをした。時間を操っているからかフロストリーフからはあっという間に逃げ切ることができた。息を切らす。
「はぁ、はぁ……、っ、モスティマ……助かった」
「うん、構わないよ。君の窮地に駆けつけるのは当然じゃないか。ちょっとギリギリだったけど、間に合ってよかった。うん、本当に──よかった」
「……」
俺は無言で逃げ出した。全力で逃げた。
後ろでモスティマが何か言う。
「ダメだなぁ、アルク。……逃さないし、逃げられない。君は私と共にあらなきゃいけないんだ。
走れ、はしれ、はし、れ──……。にげ、ろ────…………。
……。
───────────────────────────────。
*
逃げろ、逃げろ──と。
俺は思いはしたものの、体がどうにも動いてくれない。
なんでだ? って思った。
景色が全部変わっていた。
俺の両足に錠が付いていて、ベッドに括り付けられていた。両腕は手錠で繋がっていて──。
「気がついた?」
モスティマが隣に座って、微笑んだ。
ゾッとした。
「時間を──止めた……のか、お前……」
「私にかかれば、些細なこと──とは言い切れないけどね。やっぱり負担が大きいし、一ヶ月に一回が限界かなぁ」
「嘘だ……。嘘だ……、そんなこと、出来る訳が──」
「ふふ。……二人っきりだね」
「どこだよここ、俺は今……どこにいるんだよ!?」
「私の部屋さ」
「……この枷さえなけりゃ、確かに納得だ。ははは……トランスポーターの自由を奪えるとでも思ってんのか?」
「うん? ああ……。誤解しないでほしいな、そんなこと考えてないよ。ただ……。一つだけ。君に私を刻みつけるまでは、ここから出ることはできない」
「……俺は──どこで間違えたんだろうな?」
モスティマは俺の頬を撫でてニッコリと満足そうに笑った。
「何も間違えてなんかないさ。最後には、アルクは私といることになる」
「……」
「ね」
「頼む、殺さないでくれ……」
懇願した。
モスティマはおかしそうに笑った。怖くて仕方がない。
「エクシアに手を出したね?」
「出してないですッ!」
「じゃあなんで……エクシアはあんな表情してたんだろうね」
「な、なんだよ……ッ? あんな表情って一体なんなんだよ!?」
「ずっと上機嫌で、嬉しそうなんだけど……時々、思い出したかのように恥ずかしがるんだ。……何をしたの」
「何もしてないって言ってるだろッ!? 俺は何も知らない、俺は何もわからない、俺は何も覚えてねえんだから、何をしたかなんてわかる訳が無いッ! 違うのかよォッ!」
「昨日、私から逃げたね」
「ち、違う! いや、そもそも俺は覚えてないんだよ、本当なんだってッ! そうだ、そうだよ話し合おうぜ、昨日俺が何したか教えてくれよッ、そしたら分かり合える、俺を殺さなくて済むッ」
「んー……。まあいいか。あのね、君がフロストリーフとベロチューした後の話なんだけどね」
「怖いんで威圧感出さないでもらえますか……?」
「ん? ……ああごめん、つい……ね。嫌いになったかい?」
「一言一言生きるか死ぬかの選択迫るのやめてくれないか? ストレスがマッハなんだが」
「あはは、ごめんごめん、楽しくなっちゃってさ。そんなこと言わないよ。……ああでも、もし君が本当に私のことを嫌いになったら、私どうなっちゃうか分からないし──何するかもわからないかなぁ」
「怖いからやめてくれる?」
「ごめんって。意地悪だったかな」
正気と狂気の見分けがだんだんつかなくなってきている。正直今のだって綱渡りだった。生存ルートを引き当てたのだ。だがなんとか生き延びた。
「で、なんでエクシアと寝てたの?」
終わった。最初から生存ルートなんてなかったってのか?
「……あのさ、事実関係を整理したい。ベロチューの後の話を教えてくれ……」
「ああ、そうだったね。そうだね、アルクが相当酔っ払っていたから、一応部屋までは運んで行こうと思ってさ。部屋のベッドまでアルクを運んで行ったのさ」
「ああ……悪かったな、そりゃ……」
「でもアルクは逃げ出しちゃってさ。フラフラで」
「……あのさ。一つ聞くが……誰の部屋に俺を運んで行った?」
「あれま、バレちゃった。私の部屋……ここだよ」
「そりゃ逃げるだろ……何する気だった」
「何って……恥ずかしいから、言わせないでほしいな」
よくやった昨日の俺、よく逃げ出した……。チェックメイトかけられてたんだな……。
「で……その後、どうしたって?」
「まあ逃げられちゃったし、今度はちゃんとアルクの部屋に運んで行ったよ」
「……その後、お前はどうした」
「んー? まだ私が何かしようとしたって疑ってるのかな。何もしてない、本当だよ」
「……。まあいい。そんで、どうしたら俺を解放してくれるって?」
「しないよ?」
「え?」
「だからしないって」
ついに鼓膜が腐ったと思った。まともに聞き取れなくなったのかと。
でも違った。まともじゃなくなったのはモスティマだった。また目が死んでいく。
「なんで?」
「なんでって、だってアルク……最近ずっと私から逃げるじゃないか。傷ついた私の心が癒えるまではそのままだよ?」
「なんで俺の命を狙うんだ?」
「……? どうしたのいきなり、酷い顔だね」
「この前お前がスキル3撃ってきたことについて説明してくれないか……?」
「ああ……あれ? まあ、私もちょっとやりすぎかなとは思ったんだけどさ。でもいつの間にかエクシアに手を出してたって分かったら、ちょっとどうにもならなくてさ。ごめんね」
「出してない……。出してないよ……」
「この前、エクシアが珍しく真剣に言ってきたんだ。ごめん、アルク貰っちゃっていい? って。その時の私の気持ちも考えてほしいかな。流石に呆然としたよ」
「知らない……なんでだよ……なんでそうなるんだよ……おかしいよ……」
「あれ、限界来ちゃったかな……? 一回休んだ方がいいよ、ほら。横になりなよ」
俺はされるがままモスティマのベッドに横たわった。
もう限界だった。理性が尽きてまともな思考ができなくなっていた。デカすぎる精神への負担が、ゴリゴリ精神をすり減らした。
ぼんやりとして天井を眺めていた。
ベッドの柔らかい感触が心地よかった。手錠が冷たかった。
モスティマは横になった俺に体を預けるようにして、穏やかな顔で笑った。
「そのまま昼寝でもしたらどうだい? 私も少し休もうかな。疲れちゃった」
「……、……」
俺は何か言おうとして言えなかった。なんでだろう?
答えはすぐに出た。
──疲れたのか。俺……。そうか。休まないと……いけないよな……。
当たり前のことだった。
ゆっくりと目を閉じて──。
──。
──────────―。
──────────────―。
日差しが顔に当たって、眩しくなったから俺は目を覚ました。
目蓋だけを開けると、視界にはモスティマが見えた。
……。一緒に寝ていたらしい。
ジャラ、と。微かに鎖の音が聞こえた。
……鳴らすな。絶対に鳴らすな、モスティマを起こすな──……。
手錠……。足枷……。そうだ、俺は今……監禁……だよな。監禁されてるんだよな……。
ドアまでの距離が近いようで遠い……。足枷がベッドに繋がれているせいでドアまでいけないし、その先に行けたとしても俺は移動の際、常にベッドを持ち歩く羽目になる。
モスティマが俺に寄りかかって寝ている。
……。
実際、考えることはある。モスティマが可愛くないか、なんて聞かれれば──可愛いに決まってるんです。だが……ロドスに入ってから、モスティマは──。
いや……別にロドスに入る前からこんな感じだったな……。
体に、成熟した柔らかい感触を感じる。
いやそりゃ……意識しない訳がない。当たり前だ、俺は男だ。だが……。
性欲か、死か、なんて二択で性欲を選べやしないだろう? 少なくとも俺はそうだ。死にたくない。特に女に殺されて死ぬなんて一番嫌な死に方だ。もうちょいなんかあるだろ、強敵との戦いに敗れて死ぬとかさ……。
モスティマが身動ぎした。
……普段からは想像できないほど無防備な寝顔だ。
どうやってここを脱出するか考える。
今はチャンスだ……。今、モスティマは寝ている。起こさないように動けるか……。
「ん……。ぅん、──」
日差しがモスティマに当たった。眩しさに微かな呻き声を上げて目を覚ます。目が合った。
……終わった。
「ん……おはよ、アルク」
終了した。俺の脱獄計画は始まる前から終わった。
「ああ……。いや……朝っつー時間でもねえよ、今……何時だ……?」
「えっと──三時か。ん、いい時間だね……」
午後三時。
今日が終わるまで、後何時間だ……。
モスティマは絶望している俺の顔を見て、嬉しそうに笑顔を作った。
「ん……悪くないね……。目が覚めたら、アルクがいるって……」
「……そうだな。俺もそう思うよ。この手錠がなけりゃな」
「んー……。まあ今日中はしててもらおっかなー……。よいしょっと」
「くっつきすぎだ……。なんだよ……」
「減るものじゃないだろう? せっかくだし、たまには甘えさせてくれよ」
珍しいこともある。正気なら目を疑っていたが、生憎今は正気じゃないから平気だった。何も問題じゃない。
上機嫌に甘えてくるモスティマはまあ、ヤンデレになっていなければとっくに付き合っていたと思う。でもこいつヤンデレだ。心の根本的な部分で歪みを抱えている。主に俺を殺すか捕まえるかしか頭にないのかもしれない。それ以外のとこだとただの完璧天使だってのに、不思議なものだ。
俺はだんだんとこの状況に慣れ始めていた。
今日一日エクシアから逃げ切ればなんとかなる。そう思い込むことで、心の平穏を保とうとしていたし、大部分において、それは成功していた。
「んー……。ちょっとこっち向いてくれない? ……うん、そうそう、横向きになる感じで」
モスティマは胸に顔をうずめる。なんだ、それ絶対やらなきゃいけないのか……?
「うん、悪くない──。このままもう一眠りしようよ、アルク」
「好きにしろよ、もう……」
命を狙われてない。それがなんというか……安心だった。殺そうとしてこないならもうなんでも良かった。明らかに判断基準が狂っていたのは分かっていたが……。どうしようもない。
もぞもぞと、俺の体の中に潜るようにして、モスティマとの距離がゼロ通り越してマイナスになる。ここで肝心なのは、俺は手錠をされていて、モスティマはそのつながった腕の中にまで入り込んできて、身を乗り上げたこと。これで固定された。
モスティマはゼロ距離で俺を見上げて、悪戯げに笑った。
「これでもう、逃げられないね?」
破滅へのカウントダウンが迫っていることを、俺はこの時ようやく理解したのだ。もっとも、無意味な理解だったが。
今日が終わるまで、残り九時間。
・フロストリーフさん
本領を発揮始めた。これもうわかんねえな……
・モスティマさん
第一話の時点で大体こうなることはわかっていたのかもしれない。
時間を止めるのはやりすぎかな、とは思いましたが普通にできそうだったので……。
詠唱は私の趣味です
かわいい……のか……?
・アルク
後日談でようやく死ぬことが判明した。今更か?