事務所に帰って来てから、けいちゃんは「百城千世子」が出ている映像を片っ端から、見まくっている。そして興奮したように、子供たちに「見て見て、千世子ちゃん、綺麗だね!」と同意を求めるように、何度も何度も繰り返している。それに「わかったってば、お姉ちゃん、もう少し静かに」と注意さえされている。
それでもけいちゃんは「お姉ちゃん、千世子ちゃんと一緒に芝居を……」という事を何度となく、子供たちに本当に楽しそうに繰り返している。よっぽど、撮影が楽しかったのだろう。見ているこっちとしても喜ばしい、ああ、かわいい。
ただ墨字さんは「……帰ってきてから、ずっとあの調子だぞあいつ、ちゃんと成長してきたんだろうな」と訝しんでいる。その言葉が聞こえたのか、けいちゃんは「黒山さん、なめてもらっては困るわ、私こう見えてカメラに隠れて、嘔吐したんだから!」と自信満々に言ってきた。
その言葉に、少し黙り込んで「柊、解説を頼む」と墨字さんが言うが、当然私には意味が分らない。結局、嘔吐についてというか、撮影全般が、どうだったかという話になった。
けいちゃんは、ある意味、自信満々に、撮影の日々について語りだした。
まず初めに喋り出した内容は、何といっても自在に演技してのける「百城千代子」の圧倒的な演技力についてだった。自在に涙を流すのはお手の物で、それでいて、何処から自分が映っているのか、カメラがどう自分を映しているのか? ほぼ、完全にカメラ位置、画面サイズ、アングルを把握しているから出来る芸当だったという。
千世子ちゃんには見えていたんだ、自分がどこからどう見られているのかいうのが、本当にカメラに視点があるように、これが「俯瞰」という技術なのか……とけいちゃんは感じ、現場で見て見れば、一朝一夕で身に付くような簡単な技術ではないことは明らかだったそうだ。
他にもスターズ役者は素晴らしかったらしい。例として挙げるとウルトラ仮面のアキラくんはスタントマンを使用せずに、一気に急斜面を3メートルは駆け登った。その方が、より良く撮れるからという理由からだ。とにかくスターズの役者人が入ると、撮影が本当にスムーズに進んで行くのが実感でき、これがプロというものだと、いうのを見せつけられるオーディション組という構図だったみたいだ。
それでもけいちゃんはできるだけ稽古に「俯瞰」する視点というのを持って、なんとか努力してみることにしたという。相手からどう見られているか? というのを一緒に受かった、武光くんという人に頼んで、スマホを用いて、自分を撮影して、それがスマホの画面でどう映っているかを何度となく、確認して、視点を意識するようにした。
理由はけいちゃんがその次の日、あるシーンで台詞があるからだ。目の前で、初めて同級生が殺されるシーン。その場面を見た時にけいちゃんは「皆、逃げて!」と叫ぶ。それを何度か、一人で、その芝居を反復してみたのだけど、結論として「多分」本番で嘔吐することになるからと平然とけいちゃんは語った。
目の前で、同級生があんな殺され方をしたのだったら、どうしても吐いちゃうと何度想像しても、そうなってしまうみたいで、いくら我慢しても駄目だったらしい。だから何とかしたかった。そのために「俯瞰」の技術が必要だったし、利用できると考えた、との事だ。
その本番のシーンで、使われる3台のカメラ、同級生を殺しているのを映すカメラ以外には、全体を映すカメラと私達を映すカメラ、その2つのカメラの位置、画面サイズ、アングル、ソレらに集中して望んだ。演じる自分を「俯瞰」して、視点を増やせ!!!!
「皆、逃げて!」
本番でけいちゃんは上手く演ったという。理屈としては、どうしても我慢出来ないのが分っているなら、一度よろめき、カメラの外にフレームアウトして、そこで嘔吐すればいい。上手い具合に殺人のショックで、よろめいているように見せて、自然に立ち直したように見せれば大丈夫という理屈だった。これはどうかしてる。
嘔吐するという事実がどうしても変えられないのなら、映さなくていいようにフレームアウトすれば問題ない、これは上手く行えた。吐いてしまう自分がどうしても変えれないなら、不都合な事実は、芝居は、見せなければいいだけだ。そうかこれが「俯瞰」する芝居なんだとかなんか、凄まじいことを、狂人じみた事を言っている。
この後、役にのめりこみ過ぎて、本当に気分が悪くなってしまったのだけど、テイクとしてはOKが出たから良かったとサラッと語るのも怖い。その後、休んでいるときにお見舞いに、オーディションで泣かせてしまった関西弁の子、茜ちゃんとなんだかんだ仲直りができたので良かったと楽しそうに言っている。私の演技を素直にスゴイって言ってくれ、あの時、滅茶苦茶にしてしまったのに、本当に優しい子だという。本当に、優しい子だと言うのは事実なのだろうけど、おそらくそれは、けいちゃんの演技に当てられたのだと思う。
また別の場面、殺人犯役の子から逃げ出すシーンで、崖まで追いつめられるけど、下が川になっているから飛び降りるっていう展開。本来は、崖からは飛び降りないで、後から合成で作るのだけれど、カットがかからなかったから……飛び込んでしまった。
「俯瞰」の力をカメラにだけ意識していたら、役に成りきって、つい演ってしまった。これはどうやら、けいちゃんが演りすぎてしまったようで、この勢いのせいで、周囲の人も取り込みざるを得なくなったそうだ。 ああ、周りがけいちゃんに毒されている。
そんな暴走はそれで、周囲に多少影響を与えるのだけれど、やはりこの話の中心に入るのはいつも「千世子」ちゃんだった。だって、あんなにもただただ「綺麗」でいられるなんて本当に凄い。恐ろしいとさえ感じるほどだったみたいだ。
故に、けいちゃんは最後のシーンが演じられるのか、どうかが、心配だった。自分が演じるケイコという役は原作にはない、オリジナルキャラクターで、特に序盤は何も活躍はせず、場面に流されるだけの脇役的なキャラクターだ。ただ物語の終盤「千世子」ちゃんの身代わりになり、自ら死を選ぶという役だ。
だから、途中まで、ずっと悩んでいた。やっぱり自分は「千世子」ちゃんの身代わりに、死ぬという役を演じられないと思うから、だって自分は「千世子」ちゃんのことが好きじゃないから……と監督の手塚さんに打ち明けると、ある話をしてくれた。
この映画が、一体いくらの制作費で作られているかについて、日本映画にしては莫大な約6億円という大金で作られていること、そしてそれだけじゃない、この映画の興行的成功は主演である「百城千世子」に、キャストやスタッフの時間と労力、宣伝コスト回収と期待、それらを彼女は、たった一人で、すべて背負っているんだ。ああも強く、美しく、可愛い、創られた「天使」に……まあ、彼女が「天使」ならそうだなぁ、キミは「ブルドーザー」かなぁ……なんて冗談を言ったらしい。
「だから演じられないなんて、言わないであげてよ、僕はもう……見飽きたんだ、あの完璧な『仮面』をさ……ねえ、あの『仮面』ぶっ壊してよ、そのために君をキャスティングしたんだからさぁ」と『天使の仮面』を壊して欲しいと頼まれたそうだ。
これが流石に比喩だとは、理解できたようで、そのためにけいちゃんは、この演技のために千世子ゃんの友達になろうと行動に移した。できるだけ友達になろうと必死になったのだけど、けいちゃんのやり方では友達にはなれなかった。この時、どうやって仲良くなろうとしたか聞いたが、ああ、それでは無理だというような内容ばかりだった。ある意味、けいちゃんらしい……
しかしその時、 周囲の人から言われてようやく本当には彼女を「百城千世子」を見ていない事が分かった。「千世子」ちゃんはどういう「人間」なんだろう? と根本的疑問が湧いた。
けいちゃんは、彼女を「俯瞰」して見ることにした。あの「天使の仮面」は何なのかを?