ある日、けいちゃんが珍しく事務所でご飯を食べたいと言ってきた。勿論、ウェルカムだ。皆で食べるご飯は美味しい物だから。そうして少し甘口のカレーを皆で、食べているときにテレビでこんなニュースが流れてきた「演劇界の巨匠・巌裕次郎さんが手掛ける舞台『銀河鉄道の夜』がいよいよ今月末初日を迎えます。岩尾作品はおなじみの明神 阿良也さんに加え、追加キャストに星アキラさんの参加も決まり、先日の熱愛報道の影響もあってか、チケットはすでにソールドアウトが決まっています」と話題になっている。
それで私は「楽しみだね、けいちゃんの初舞台! 稽古の方は最近どう? けいちゃん? …… ? おーいけいちゃん、おーいあれ?」呼び掛けても反応がない。子供たちが「お姉ちゃん?」と問いかけてようやくけいちゃんは「え、あ、何?」と驚いたように飛び上がった。
私は「何かあったの? 今日は珍しく、事務所でご飯食べたいとか言うし……」と言うとけいちゃんは「……私、ううん、なんでもない」と力なく答えた。
その光景を見ていた墨字さんが「夜凪家、今日は泊まっていけ!」と言った。子供たちは喜んで、事務所のプロジェクターで、好きなジブリ映画を見ようとしている。微笑ましいが、けいちゃんは大丈夫だろうか? その日は私は先に眠ってしまい、後日墨字さんに様子を聞いたら「まあアイツなりに悩む所があるんだとさ。そっとしといてやれ」と言われた。後で考えると、この時にはこの二人は知っていたのだろう。
そうして、あっという間に月日は流れて行って「舞台銀河鉄道の夜」公開初日になった。
流石に見逃す事は出来ないから、私と子供たち二人と墨字さんの分、合計して四枚分のチケットを用意はしてあるが、墨字さんは用事があるから先に行けと言ってきた。せっかくのけいちゃんの初舞台なのに、そんな大事な用事とは何か、この時は分からなかった。
ちなみに正面のポスターを見て、星アキラくんが載っていたから、ウルトラ仮面が出ていることに驚くルイくんがいた、純粋だなぁと思ってしまう。
ただ劇場に入って、沢山の客席を見て、此処でやるんだと思うと急に身体がソワソワして来て「けいちゃん大丈夫かなぁ、心配だなぁ……」と呟いたしまった。
それをどうも聞こえたらしいレイちゃんが「ゆきちゃん、最近おかーさんみたい」となんだか胸に来る一言を言ってきた。
「えっ……だよね……私が、今が一番いい時なのにやばいよね……」と何と返して良いのか分らない事を口走った。最近、仕事は完全にサポートになってるし、恋人とかなにそれ、美味しいの? って状態だ。私生活に全くハリがない……。
ただ待ち時間に、少しスマートフォンを立ち上げてた時、Yahooのトップニュースで「演出家、巌裕次郎氏緊急入院か?」という物が飛び込んできた。驚きと同時に周囲のざわめきが大きくなっていっている。どうやら本当のようだ。
その周囲の様子に「ゆきちゃん、どうかしたの?」とレイちゃんに喋りかけられ「えっあっ、何でもないよ」と解答したが、悪い考えばかりが頭に過る。このことはけいちゃん達はもう知ってるの? 墨字さんの用事って、もしかしてこの事? ていうかこんな状態で開演できるの、いやたとえ開演したとしても……すでに客席全体が混乱している……皆、お芝居に集中できる状態じゃない。
救急搬送、緊急入院、意識不明、そんな言葉が周囲からどんどん飛び込んでくる、この状態なら公演を中心にするしかないのではとすら考え始めた時。
そんな中、予定通り照明が落ちて、開幕と同時に「明神阿良也」が現れた。この時の彼の独白が、周囲を一気に舞台へと集中させた。圧倒的情感の発声と語り口で、物語へ引き込んで行く。弱々しい少年で、どこか物悲しい雰囲気を纏った彼の言葉は「ずっと一緒にいられると思っていた」という始まり。嫌でも今のこの状況をリンクさせながら、芝居をしている。
観客席が巌裕次郎の急報に混乱する中、彼らだって不安のはずだが、それでも巌さんの不在の不安を感じさせない要に、メタ要素さえ取り込んで、一瞬で会場を支配した。
そこから始まる芝居は、見事だった。この空気に負けないように、各キャラクターがシッカリと立った演出で登場し、見事に演じている。ザネリの道化っぷりなんか、この状況での最善手だとしかいえない。本当に素晴らしい。それでいて、場面ごとの引き込み方が美しい。そして川へのシーンからの暗転「どうして暗くなったの、続きは続き」とルイ君がそう聞きながら、レイちゃんが人差し指を口に当てている。私は「場面転換してるの、また始まるよ」とそういった。
そうして、また舞台がライトアップされた時に、不思議な少年がスモークと共に現れた。本舞台の主演ともいえる「カムパネルラ」といえる存在そう、けいちゃんだ。
「カムパネルラ」は確かにそこにいて、あまりに繊細で異常な没入感を見せる演技、気品さと子供らしさと妙な達観を兼ね備えた、不可思議な魅力を持つ少年、蠱惑的にさえ見える異次元の存在。そんなこの世成らざる者がそこにいた。
スモークとカムパネルラの存在にとらわれて気づかなかったけれど、本当に何て簡素な舞台だ。ただ四脚の椅子しか置いてない。こんなセットで、大丈夫なのか? と頭に過ったその時、音が聞こえた気がする。車窓を開く音が……
演技として「カムパネルラ」が車窓を開けたのはわかる。けれど、それがあまりに綺麗で、その描写で何もないはずのソコには、実際の風景が広がるようだった。まさしく誰も見たことがない車窓が見えた気がする。
それからの少年二人の会話は凄まじかった、何も見えない何もない空間に指をさして、情景を見事に描写している。それがあまりに説得力があるものだから、銀の空のすすきが風に揺れているのが、誰かが隠して置いた金剛石をいきなり引っ繰り返したような天の川の銀河の煌めきが、三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、天の野原いっぱい光っているのが見えようだ。
そしてこの汽車の煙突から煙が出てないのを見て、石炭を焚いていないからきっとアルコールか電気で走っていると楽し気に会話している。ああ、本当に不可思議な死への旅路を行っているのが感覚的に感じとれてしまう。演技があまりに自然だから、この異常な空間がおかしな説得力を作り出している。
舞台は本当に銀河上での鉄道の一室のように見える。実際に存在していない銀河鉄道は此処にだけは確かにあった。
そこから物語は着実に進んでいって、銀河の海で地層を掘り返している人の話、お菓子のような鳥を捕る人の話、本当の天上にさえ行けてしまう切符の話、どんどんと話は進んでいって、そうしてある人物が舞台へあがってきた。
「あらここはどこかしら? ……綺麗」そうして窓の外を見るようにしてある女の子が舞台に上がってきた。なんだか、濡れているようだ。
「この汽車は銀河を走っているんです」そうジョバンニが答えると「素敵ね、ここに座っても」と感想を言いジョバンニ達の向かい席に座ろうとしている。「どうぞ」とカムパネルラが優しく返す。
「うん、あれ、髪が濡れている……どうしたの?」とジョバンニが聞くと「ああこれ、私達の乗っていた船が沈んでしまったの」とただ自分に起こった災難を無機質に答えた。
「……船? そ……それってどういう意」っとジョバンニが言いかけた時に、女の子は「先生も一緒なの、ねぇ先生早く」と言って、誰かを招き寄せた。
ここまでの舞台を私は、一種の恐ろしささえ感じながら、鑑賞していた。ただ、この後の展開も何処までが演出なのか? 分からない物になっていった。
有名な宮沢賢治の詩の一節「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
現代語訳すると「霙(みぞれ)を取ってきて」になるのでしょうか?
岩手県花巻の言葉なので、読むのが大変で、何とも理解できた気がしないのですが、彼の精神性は美しいものが有りますね。