そうして舞台にある青年が現れた。彼はあの女の子の家庭教師のようだ。ただその素振りは舞台の上で、誰が見ても彼だけは星アキラだけは、正に「普通」の演技をしていた。そこに銀河鉄道の車内があるようには見えない。
あの溢れんばかりの今までの情感などなく、ただ単に台詞を喋っているだけの演技。気迫というものがない。いや、これが「普通」なのだろう。このような異様な芝居を求める方が無理なことだ。
「私たちは天へと行くのです、ごらんなさい、あのしるしは天上のあかしです。もう何も怖いことはありません、私達は天に召されるのです」ああ、なんて嘘くさい言い回しだろうう。感情は確かにこもってる。下手なわけじゃない。ただ、真実に聞こえない。
それから彼が独白を始める。彼らがどのようなことになったのか、大きな大きな船が氷山にぶつかったこと、それで脱出用のボートに乗れなかったこと。 自分たちが、誰かを押し倒して押しのけてまで生きようとしなかったこと。それが良いことだとは思わなかったこと、これで正しいと信じること……
正直、星アキラくんはただそう台詞を喋って、その場を一気に駆け抜けようとしたようにさえ感じた。
ただ、カムパネルラがそうさせなかった「具合が良くない様ですけど、大丈夫ですか?」と問いかけた所から「? ……どうぞ、かけてください」と言い出し、ジョバンニも「本当だ、かけて休んでください」と言い、女の子も「大丈夫? ほら座って」と座るように促している。
それに答えるように青年は「で、では失礼します……」と言って着席する。
そうしてカムパネルラは「きっと……体が冷えたんですね……船が海に沈んだって」と言ってそれに答えるように、弁明するように青年は「はい……しかし救命ボートの数は限られていて、この子を助けるためにはみんなを押しのける必要がありました。みんなを押しのけて、この子だけを救うよりもみんなと一緒に天上へ向かうほうがこの子の本当の幸せだと思いました。だから私たちはこうしてこの汽車に……」と言ったところで、カムパネルラが割り込んできた。
「今はどういう気持ちですか? もしその時、みんなを押しのけていればあなた達は今ここにいずに済んだかもしれません。残された家族も悲しい思いをしないで、済んだかもしれません。それでもそれでも自分が正しかったと思いますか?」と、ある意味とんでもなく無茶苦茶な事を言い出した。そしてこう言い放った。
「教えてください『僕達』は本当に正しかったんですか?」
きっとずっと正しい答えを探していた、ザネリの為に死ぬことになったカムパネルラは、そんな答えが、この世に存在しないから苦しんでいる。故に捲し立てるように何が正しい答えか? どうすべきか? を必死になって聞き出そうとしていた。
青年は「ぼ、僕は……僕は」と言い淀み、そう言って数歩歩いて、観客に背を向けた。
そうして一呼吸おいて「僕は、僕は、何も分からないんだ、何が正しいのか? 何が間違っているのか? そういうことが本当は何もわからない。救命ボートの数は限られていて……この子を助けるためにはみんなを押しのける必要がありました……」
そうして、彼が台詞を吐き出すたびに、観客はそれを聞くカムパネルラたちへと視線が集まっていく。先ほどまでの芝居と待ったく違う。まるで、主役を際立だせる為の影の芝居。彼が喋るたびに、主演の二人の表情に目が行ってしまう。
「ただ僕は信じたい……本当の幸いに至るためにいろいろな喜びも悲しみもきっと、みんな神様の思し召しだと……」そう言い切った、彼はどこか伸びやかで、軽やかな演技を見せてくれた。途中から明らかに素晴らしい演技に変わっていった。
そうして、場面は進み南十字星の駅についた時「では、僕たちはここで下ります、さようなら」と青年は言った。その場の全員が「さようなら」と別れの挨拶を交わした。
さらにカムパネルラは青年に「ありがとう」と謝辞を述べると「……こちらこそ」と青年は返して、ここで幕が降りる。暗転し、観客席は拍手が広がる。15分間の休憩が入った。
私はようやく、この舞台の感情の荒波から少し解き放たれて、ちょっと冷静になり子供たちの様子を伺った。
「ルイくん、ルイくん、おトイレ行かなくて大丈夫? って、どうしたの? さっきから」とそこには涙ぐむルイくんの姿があった。
「も~ルイ! もう始まるよ、何で泣いちゃうのよ」とレイちゃんが言うが、ルイくんは「ゆきちゃん、ジョバンニはまだカムパネラが死んじゃってることに、気づいてないんでしょう? なのに、これからお別れしなくちゃいけないんでしょ、あんなに仲良しなのに……かわいそう」と あまりにも本質的な事を言い出した。
……そう特に、子供が共感を覚えるのはきっとけいちゃんよりもカンパネルラよりも、阿良也くんジョバンニだ。物語の性質上、それは当たり前のように見えるけど、本当は当たり前じゃない。
純粋な少年を演じきれる「明神阿良也」の高い演技力のおかげで成立している。詐欺師に騙された人間が、相手の真の姿に気づけるはずがないように、人は本当に上手い芝居を目にした時に「上手い」ということすら認識・意識できない。
そう「明神阿良也」の序盤にはあまりにも自然で「上手い」とすら思わせない、その屈託のない純粋な人柄は彼が成人してることすら忘れる完全な子供の顔。
時間通りに幕が上がったその時、さっきと別人のような「明神阿良也」が現れた。子供のあの溌剌とした笑顔などない、覇気のない弱弱しい姿。
ガチャとドアを捻るような仕草をした後「母さん今、帰ったよ具合はどう?」そうさみし気に聞いた。ああ、そうか、ジョバンニの家のシーン、回想に入ったんだ。
「角砂糖を買ってきたよ……うん牛乳に入れてあげようと思って……だめだよ、ちゃんと食べないと……わかった、じゃあ僕が先に食べるね」物悲しく、力なく、空元気を出して母親に向き合うジョバンニの姿があった。
本来、物語の序盤にあるジョバンニと病気の母親との会話、それを今になって一人芝居で演じ始めた。先ほどまでとの演技トーンとはまるで違う。悲しみの芝居だ。
「母さん……僕、お父さんはきっともうじき帰ってくると思う……うん、今朝の新聞で、北の方の漁は大変良かったと書いてあったから……きっと、うん……みんながそれを言うよ、父さんがラッコの上着を持って帰ってくるよって冷やかすよ、けれどカムパネルラだけは言わない……うん、カムパネルラだけは……」そう貧しさと僅かな希望と唯一信じたい友情を語ったほんの少しのシーン。ここで暗転。そして一気に回想が終わる。
場面は銀河鉄道に戻ってる。そこにいるのは純粋で、なんと幸せそうな顔になっているジョバンニがいた。カムパネルラのいる時とそうでない時とでは感情の振れ幅があまりに大きすぎる。危うさを覚えるほどに、虚無と幸福、相反する感情が、鋭敏に研ぎ澄まされている。
そうして銀河鉄道に乗る少年たちの会話が再び始まった「ねぇ、カムパネルラ」と楽し気に語りかけ「なに、ジョバンニ」と返し「僕たち、また二人っきりになったね」と何の気なしに言って「うん、そうだね」と答える。芝居事態は順調に進んでいると言うのに、なんなんだろうこの胸騒ぎは……
「ねぇ、カムパネルラ、僕たちずっと一緒にいようね……カムパネルラ? どうしたのさ、カムパネルラ、急に黙りこくって変だよ、ねぇカムパネルラ」とジョバンニが急に返事がなくなったカムパネルラを問い詰める。ああ、ついに終わりが来た。カムパネルラの死を知らないのはジョバンニだけだからこそ、無垢な少年のその表情や言葉が切なく際立つ、今まである意味では存在感を感じなかった少年が、最後のこの瞬間にきて圧倒的な存在感を持ち始めた。一人芝居その二つの顔を見せたことによって……
ジョバンニは必死で話しかけている「カムパネルラ……返事してよ、カムパネルラ!」とそう言うと「ジョバンニ……僕もう行かなくちゃ」とカムパネルラはそう言った。
「……え?」と完全に動揺した少年の姿がそこにはあった。
ジョバンニ、彼の芝居が涙を誘うのは銀河鉄道の旅を通して、乗客との出会いを通して、きっとカムパネルラの死に気づいているから、本当は気付いているのに、現実から目を背けるその醜い人間らしさに共感するから……
「カムパネルラ、い、行くって……一体、どこへ?」と本当に怯えたように聞き、そこから少しセリフが止まった。
「ジョバンニ、さようなら」カムパネルラがそう言った瞬間、ジョバンニがカムパネルラの腕を掴んだ。
「いやだ!」と大声で、拒否して、そのままジョバンニに抱きついて泣き崩れた。
これは芝居なのだろうか? あまりに迫真のその表情と動作に、作り物のように感じられない。実際に「誰か」がいなくなる事を拒んだ演技。そして、劇場の誰もが、その「誰か」が今、本当に死にかけているのを理解している。これも演出なのだろうか? そうして、もう微動だにしないで、30秒は経過した。どうしてもジョバンニは動かないんだ。そう思いかけた時、ジョバンニはようやく手を離した。
カムパネルラは心底安心したように顔を上げて「……ああ、よかった、僕は行くよ」そしてスモークが焚かれる。少しして、舞台にはたくさんの人たちと中心に「ジョバンニ」が一人だけで立っている。当然「カムパネルラ」はいない。
舞台の周囲の人々は口々にカムパネルラが川に落ちたんだ、まだ見つからない、もうずっと探してるんだけど、もうだめです。45分も立ちましたから……と悲しい現実を伝えている。
その光景を確かに見届けて、ジョバンニは「僕、もう帰らなくちゃ」と呟き、舞台から、離れて、幕が下りた。
銀河鉄道の夜は宮沢賢治が死んだ後に発表されたというのは、原作でも描かれていましたが、初稿から第三稿までは「ブルカニロ博士」というキャラクターが存在していました。ただ、最終稿には登場しないので、今出回っている本では知っている人は少ないかもしれません。
このキャラクターは簡単に言えば「デウス・エクス・マキナ」です。この物語を通して、ジョバンニが学んでほしい「答え」を言ってしまう存在です。
彼が登場しない理由はきっと「ほんとうの幸いの答え」は自分で見つけないと意味がないと考えたのだと思います。