まず初めに墨字さんは「あ~阿良也、この後どうすりゃいいんだっけ? 演劇の稽古って飲みにでも行くのか?」と冗談か本気なのか分らないことを言って、それに「その前に読み合わせだろ?」と阿良也くんが返した。
「俺とあんたの絡みだ、百城千世子」と何故かフルネームで呼んで「うん、よろしくね」と千世子ちゃんが答えた。流石にこの日には台本が仕上がっていた。
「羅刹女」 夫・牛魔王の女遊び、息子・紅孩児の悲報、日々の怒りを募らせる天の風の神・羅刹女、そんなある日、天竺への旅を歩く孫悟空が現れ、彼女の芭蕉扇を貸せという。羅刹女は夫や息子への思いをぶつけるかのように孫悟空と大立ち回りを演じることになる。というのが演目だ。
基本的には『西遊記』の鉄扇公主(日本名・羅刹女)のとの有名な戦いの模様を演劇として、きっちり落とし込んだ物で、この力強くもの悲しい女性の心の模様をどう表現するかが、鍵になるような作品だ。
読み合わせをすることが決まったら、墨字さんの指令で、部屋を真っ暗にし、明かりはロウソク一本。それに火を灯しながら、私は「フフフ、修学旅行みたいでワクワクしますね」と感想を言うと「百物語じゃなくて?」と言う風に阿良也くんから返ってきた。確かに今からやる事にはそっちの方が近いかもしれない。
「あの……これは?」と沙悟浄役の子、確かスターズの和歌月さんから墨字さんに何をしているのか尋ねた。墨字さんは「あ? ムード作りだ、読み合わせだって言うから」と素っ気なく答えた。和歌月さんは分かったような、そうじゃないような何とも言えない顔をしていると、阿良也くんが「……ああ『火焔山』か」とそう答えた。このロウソクだけの明かりだけでの本読みは、劇中の舞台である火山の中の風景をイメージしてもらうためだ。どの程度効果があるかどうかはわからないが、雰囲気は確かにある。
それに一応異を唱える形で「でもこれじゃあ、台本が読めないんじゃ……」と和歌月さんが言うと「お前マジメちゃんだろ、もうセリフくらい入ってんだろう」と墨字さんがからかいながら言った。
そう言われた和歌月さんは「まぁ一応……マジメちゃん……」と言って了承したが、少し引っかかる所があったようだ。これに関しては、墨字さんの性格上慣れてもらうしか方法がない。後で、謝っておこう。
墨字さんは「まあ百戦錬磨の集まりだ、問題ないだろ、ざっと通しで行って見せてくれ」というと早速、千世子ちゃんが立ち上がって、演技を始めた。そういえば阿良也くんの芝居は私たちはある程度は見てるし、知っている。私も墨字さんも「百城千世子」の演技は生で見たことはない。テレビの中の彼女とけいちゃんから聞いた話だけだ。スターズの天使の演技はどういうものなんだろうか? 読み合わせが始まった。
始まってすぐに、天使のようだという例えが嘘のような怒りに満ち満ちた女性がそこにはいた。確かに役柄上そうするのが正しいのかもしれないけれど、今までのイメージと違い過ぎる。
「ああ! この声は私の中から腹から聞こえる、この猿め! 私の中に入ってるのね!」その台詞は異様なまでに泥臭く、それでいて実際に今まさに怒り狂い、冷静さのかけらもない、可憐とはお世辞にも言えないその光景。
「ああそうさ、そのうちわを貸せ! そうすれば出て行ってやる!」そう言って、阿良也くんは孫悟空の荒々しい野生児らしさ、傲慢さ、不遜さを流石の演技力で表現していた。
そうこうしてると千世子ちゃんが呻き声を「うっ」と荒げ「ぐっ」と腹の中で暴れている存在を意識させ「かはっ」と吐き出そうとして「あ……がは……」と辛そうに身もだえている。慌てて和歌月さんが「千世子さん大丈夫ですか……!?」と近寄ろうとするが「おい、止めんな芝居だ」と墨字さんが止めに入る。
本当にこの光景が芝居だとは見えない。場面的には確かにそういうシーンだが、だがこれじゃあ、まるで経験から芝居を作る方法「百城千世子」がメソッド演技を行っている。
周囲はこの芝居にただただ唖然とするしかなく、賞賛さえ遅れて言うしかなかった。
阿良也くんが「……ふふふ、可能性が見えてきたな」というと「変身はあなた達の専売特許だと思っていた?」と千世子ちゃんはまだ息を荒げながら応えた。本当にメソッド演技を体得しようとしている。この技術は別に天賦の才努がなければ、会得できないものではない努力次第では誰もが体得しうる物だけれど、諸刃の剣ある事はけいちゃんを見ていれば分る事だ。
墨字さんはそんな光景を目にして「百城、俺は役者の演技方針に口出しするつもりはない」と言い「はい」と千世子ちゃんは応えた。再度確認するように「本当にいいんだな」と墨字さんが言い、周囲は不気味な沈黙で支配されたが「うん、勝てるなら」と彼女は言ってのけた。
この時、私は少しだけ、何でこんな問答をしているのか、メソッド演技を修得したいならそれでいいんじゃないかと軽く考えていた。これは実に浅はかな考えだった。この後の訓練を思えば、この決断が彼女の今後を決定的に決めた瞬間だったからだ。
後日、流石にこの事はけいちゃんにも伝わっているから事務所にて皆でご飯を食べている最中に、話し合いというか口喧嘩が始まった。
「だから、俺がどこでなにを演出してようと勝手だろうが!」と墨字さんが言うと「だから別に、そこに不満はないって言ってるでしょ!」とけいちゃんが言い返し「天知と王賀美のバカが、バカやってるのも俺には関係ねえ」と言い返すと「分かってる! ただ私は王賀美さんのお芝居の話を」と言っている。ああ、ほんとに口喧嘩だなぁと思っていると急に本気の声質で「夜凪、俺は千代子とあれを勝たせるつもりでいるぞ、お前じゃなくてな」と墨字さんが言った。
けいちゃんも先ほどまでの勢いはどこへやら「……分かってる」と一応いうが「わかってねえよ、お前は要するに相談しに来たんだろう、敵である俺に、少し甘いんじゃねえのか」と墨字さんが問い詰めるように言った。
私は流石に「まあまあ、いいじゃないですか、お話くらい結構複雑な事情になっちゃったんだし、少しくらいさ」となんとかこの場の雰囲気を和ませようとしたが墨字さんは「お前らにはお前らの演出家がいるだろう?」と至極真っ当な事を言った。
けいちゃんはバツの悪そうな顔で、頷くしかなく「頼るのはそっちだろうが」と墨字さんに言われれるままだった。
「そうだな少しくらい、ハンデもやろうか、なんだかんだお前はオレを頼ってきたわけだしな今日までよ」とまたいつもの煽るような口調でいうと「なっ………… そうね……大丈夫一人で、何とかするわ」とけいちゃんはなんとか落ち着きを持って、冷静に判断した。
私は少しこの言動に驚いた。「私のお芝居楽しみにしてて」 とけいちゃんは言った。
私は墨字さんの真意が知りたくて「今のけいちゃん、孤立無縁なのに大丈夫ですか? あんな厳しくして」というと「いいんだよアイツは、もう1人前の役者だ」と応えた。ただ、この状況で、ずっと不機嫌そうなのも事実だ……千代子ちゃんのあのメソッド演技の芝居から……。