彼女が死んでも、物語は続いていく   作:HAL2001

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正と負の芝居の攻防

 遂にサイド「甲」の上演時刻になっった、しかし幕が上がらない。初回からトラブルが起こったのかと思うが、ある足音が聞こえてくる。数十台あるカメラのいくつかは舞台後方へと向ける。その足音と風格は異様だった、この舞台を見ている全員が後ろを気にしてしまうような、突如背後から現れた「それ」にまず私が思ったのはお願いだからこちらを振り返ってこないでくれということ。

 

 画面越し私さえ、無意識に息を殺してしまう様な振る舞い、呼吸を一つ、瞬き一つが「それ」の機嫌を損なわせないようにすること「それ」は観客が役者から目を背けるという異常事態、神に命を握られる感覚。

 

 

「ああ、腹が立つ、腹が立つ、あの人は毎年毎年妾のところへ、ああ、この怒りどうしてくれよう」そう本当に怒りに身を任せた演技で、あれがあの優しいけいちゃんと同一人物に見えない程、恐ろしかった。

 

 

 ただ、舞台の空気は画面越しでも伝わってくる、コレはあまりに一触即発のギリギリの芝居だ、演技自体もそうだが、何より会場全体が強張っている。

 

 さらにその時、会場のある女の子が、ほんの少しだけぐすっと鼻をかんだ。その瞬間「確かに」羅刹女は、そちらの方をくいっと眺め、黙らせた。今、まさに客席に介入してみせたた……! 恐ろしい制圧力で、まるで神だと言わんばかりの芝居、このままではこの恐怖で客席を支配してしまう。

 

 

 そこに幕が上がり、山野上さんの見事な「炎」の背景美術が広がった。そこで少し黙りこくって立ち止まって、怒りを堪えに堪えて「我が子、紅孩児もあの猿のために出家させられたという……愛する子をも奪われ……それでも夫は帰って来ぬ……ああ、腹が立つ、腹が立つ」唇を噛み締めながら、羅刹女は舞台に上がった。

 

 ただけいちゃんのこの芝居の影響で、客席は極度の緊張状態にある、掴みとしては凄いけれど、舞台を楽しんでもらえている状態とは言えない。誰かが審査員として勝敗を決める訳ではない人気勝負それがこの舞台「羅刹女」なのにけいちゃんにはお客さんを楽しませる演技ではない「凄い」と「面白い」は違う。このままでは配信投票では票が取れない。

 

 そう思った時に、突如として現れる、よく知った顔、観客はだれもが思うだろう、やっとあの「王賀美陸」が来てくれた。

 

 

「おい、俺だ、孫悟空だ、扉を開けてくれ」そこには絶対的な存在がいた。

 

 

 これは計算なのだろうか? 先ほどまで、禍々しい目をした女が、目の前は闊歩し、自分に恐怖と不安を与えてくる、なぜこんな思いをしなきゃいけないんだろう、自分はただ舞台を観に来た筈なのに、当然そんな理不尽に観客は動揺する。そこに見慣れたスターの登場し、ようやく胸をなでおろす。ああ、これを私たちのヒーローがあの恐ろしい女をやっつけてくれる物語なんだと、そう自然に感じさせる見事なストーリーテリングをその立ち振る舞いと仕草、表情、声の張りで見事にやってのけた。

 

「斉天大聖孫悟空……何の用です」まるで、怒りを隠そうとしない抑揚に孫悟空は「姉御! 久しぶりだな! 牛魔王のオジキはいねえのか! あんたの旦那さんはよお!」そう明るく返答する。

 

 短い沈黙の後「帰りなさい、私は今、虫の居所が悪いのです」そう冷たく返答すると「そうはいかねえよ、俺はあんたの芭蕉扇に用があるんだ!」と強引に要求を通そうと悟空はしている。この時の王賀美さんが出てきてくれたことで、舞台の空気はホっとしている、羅刹女は凍らせた空気を一変させた。

 

「少し前にヘタこいてよう、俺は今ある坊さんと手下を連れて旅してんだよ、笑えるだろう

、その道中にある、あの火達磨の山……そう火焔山! あれとてもじゃないが渡れねぇって、頭抱えてた所よ、聞いたぜぇあんたの芭蕉扇、あのうちわなら火焔山の炎を吹き飛ばせるってな!」完全に手前勝手な理屈を通そうとしているが、見ていて安心できる。

 

「……帰れと言ったはずです」その声は冷たいが、確かに怒りの炎で燃えていて、観客を怯えさせるが「くれねえってんなら腕づくでいくぜ、牛魔王のオジキがいねえってのは好都合だ!」即座に如意棒を取り出すアクションを起こす孫悟空に視線が行く。

 

「あんな男いなくとも」と刀をスッと抜く仕草にまた、恐ろしい恐怖を覚えるが、即座に「オジキの女だからって、容赦しないぜ、姉御!」そうして大地を蹴った! まるで歌舞伎の見得の芝居。観客の集中を取り戻すためのテクニックを使って演じている。

 

 私が観ていて思うのは、この芝居は綱渡りだ。羅刹女の存在感が孫悟空に優れた時に観客が感じるのは「恐怖」サイド「甲」の「羅刹女」は得体の知れない女の狂気の芝居になる。逆に孫悟空の存在感が羅刹女に勝る時に観客が覚える感情は「高揚」この舞台は待ちに待ったメジャー俳優の大活劇になる。

 

 これは「夜凪景」と「王賀美陸」の客の奪い合い、そして必ず「夜凪景」が負けなくちゃいけない芝居……

 

 もはや活劇として、大立ち回りを繰り返し、主演が客席に背中を向けるシーンやぶつかり合うシーン、大胆な構成での立ち回りが大迫力で、見せ付けられる。

 

「ふぅ……ちと分が悪いだろ、姉御、牛魔王のオジキがいねぇとよ」孫悟空はまだそう言って羅刹女のことを煽ってみせる。

 

 

「その名を口にするな」怒気を孕んだその一言に、また一気に空気が変わる。

 

 

「まあ聞けよ、姉御、これはよ、俺の都合だけじゃねえんだぜ、村の連中はよみんな窮してんだ、火焔山のせいで畑も育たねぇと泣いている」この時、確かに「王賀美陸」は観客に一人一人に話しかけるようにしゃべりだした。まるで目が合ったそう錯覚させるような演技、それは観客を味方につけて戦う。そして、最後にはカメラ目線、本当に抜け目ない。

 

 

 

 

「悪いな姉御、約束しちまったんだよ、お前らみんなをこの俺が助けてやるってな!」静かで冷たい芝居で観客を凍り付かせると思えば、派手で迫力のある芝居で観客を鼓舞する、羅刹女が刀を振るえば観客は慄き、孫悟空が如意棒を振るえば観客は安堵する、そんなことの繰り返しの芝居、本当に休む間もない「正」の芝居と「負」の芝居の攻防。

 

 手に汗にぎるってのはこの事だ。サイド「乙」の楽屋でも「日本を捨てたスター」の活躍と「夜凪景」ののずば抜け芝居を目の当たりにして、かなり厳しい雰囲気が漂っていた。

 

 ただ、舞台の様子は本当に際どい戦いの連続で、此処までの殺陣をよく練習で身に着けたと思うが、正直これが練習のたまものというような感じはまるでなく、荒々しいまでの「夜凪景」の芝居に「王賀美陸」が無理やり食らいついているように見える。

 

 そうして遂に、羅刹女が孫悟空に膝をつかせた、それは「王賀美陸」が膝をついたという絶望感が一気にやってくる場面。

 

「やるなぁ姉御…… それが芭蕉扇か」とまだ悔しまぎれに言っているが「ええ……冥土の土産に拝ませてあげたのよ」と本当に冷たい演技は続いている。

 

「ふっ……優しいなあ」そこで、ニヤっと表情を変えて「変化の術」孫悟空がそう言った瞬間に、 スモークが焚かれた。

 

「消えた! どこに隠れた卑怯者め!」そうして舞台の上でまた、怒りに任せて、怒声を発している。

 

 見事な芝居だった、これだけシンプルな舞台で、それをまるで感じさせないのはあの二人の拮抗した圧倒的な存在感からくるものだったから、この考えはサイド「乙」で一致していたが、ただ、阿良也くんだけ少し違った。

 

「問題はこの続き、小虫に変化した悟空は羅刹女の腹の中から脅し、芭蕉扇を奪い取る、しかし渡された、芭蕉扇は偽物だ。それに気付いた悟空は次に、牛魔王に変化し、羅刹女を口説き落とそうとする」この阿良也くんのこの説明だけでは何が問題なのか分からなかったが、続けて「王賀美は演じ分けをしない、なぜならそういう役者だから」そう定義付けた。

 

 

 その言葉に続けるように墨字さんが「ああ、何を演じても『王賀美陸』これが通用してきたのは奴が映画俳優だからだ、映画にはカメラワークがある、引きがあり、アップがあり、カメラが役者の芝居を手伝う。それが常に役者に新鮮な印象を残すだが、ここは舞台、生身の人間が眼前で演じ続ける。それじゃあ、観客は王賀美の存在に慣れ始める」その説明を聞いて、ようやく理解できた。此処まで印象強く、強引な孫悟空から、役割としては真逆な優しく、労わるようで、誘惑する牛魔王という存在を確かに演じ分けるのは確かに困難だ。

 

 舞台では、変身した小虫が羅刹女を苦しめ、どうにか芭蕉扇を手に入れるシーンまで、進んでいたが、ココまでは確かにこの演技トーンで良いが、この後は果たしてどうなるんだろう。

 

「悪いな姉御、 ありがたく借りていくぜ、あばよ」そう捨て台詞を吐いて、舞台は一旦、幕を閉じるが、この後がまるで予想できない。どう演じ分けるつもりなんだろうか?

 

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