彼女が死んでも、物語は続いていく   作:HAL2001

3 / 46
契約書は悪魔的

 今日は、スタジオ「大黒天」で初めて俳優が所属する様になった日だ。いくらウチがズボラな経営をしていると言っても、契約の書面はちゃんと交わさないといけない。コレはウチのスタジオの利益を守る為でもあるけど、「俳優」夜凪景を守るものでもある。ただ、当然の様に墨字さんが「広告出演契約書」や「映像作品出演契約書」や「芸能事務所所属契約書」なんかの事務的な書類を書いて、用意してくれる訳がない。ああそうだ、もちろん全部、私がしないといけない。私以外に人員がいないんだからしょうがない。

 

 いや、アレでこういう事務的な能力がないから出来ないのなら、まだ我慢できる。本人の適性の問題だから、ある意味仕方ない。でも大まかな書き方のレクチャーも、ダメだしや、追記事項の記載も片手間で指示してくる。そう、出来ないからやらないんじゃなくて、面倒臭いからやらないんだ。ああ、本当にいきなり溜まってる有給申請を急に出して、困らせてやろうか!!! 

 

 しかも、墨字さんのせいで「広告出演契約書」に関しては事後契約になってしまうから、心苦しい。ちょっと、真面目にトラブルになったらどうしようか? まあただ、けいちゃんがくる時間までにはなんとか、契約書の束を用意出来た。唯一気になる点は、墨字さんに追記で色々記載するように言われた「芸能事務所所属契約書」についてだ。

 

 スタジオ「大黒天」で、撮影した映像に関する契約上の取り扱いだ。お堅い文章で、書いたけど、要約すると夜凪景の映像はスタジオ「大黒天」が映像の所有権と編集権を有するというものだ。もちろんそれに対する拒否権の行使も記載してあるが、かなりこちらに有利な記載の仕方だ。ただ、コレをわざわざ記載してあるのは、墨字さんが夜凪景の映像をなんらかの形で撮るという意味だ。私はその事実に少しわくわくした。

 

 その後、あらかじめ約束していた時間にけいちゃんは制服で歩いてやってきた。正装として、学生服を着ているのか、ただ単に学校の帰りなのか分からないが、とにかく来てくれてホッとした。最悪、墨字さんのあの言動を後になって思い返して、全て無かったことにされても文句が言えないからだ。ともかく、私は少し緊張して、契約手続きについての解説を始めた。契約上での主な注意事項と事務所所属になる事での制約、それと最も大事な「広告出演契約書」の事後契約についてのお詫びだ。

 

 初めのうちは、けいちゃんも書面を見ながら、相槌やいくつかの簡単な質問をして、割と順調に話は進んでいたが「広告出演契約書」の話が出た瞬間、目の色が変わった。

 

 

「あの時、撮った映像って完成したの?」

 

 

 墨字さんが完成した旨を伝えると、けいちゃんは用意していた契約書にザっと目を通して、全てにサインをして、朱肉を私に用意させて、契約書全てに拇印を推した。「これで、契約の話は終わったでしょ。あの時の完成映像を見せて」と墨字さんに、詰め寄った。

 

 そんなに、今すぐに見たいのかと私は驚いたが、墨字さんは気だるげにスタジオのPCを立ち上げて、あの時の完成映像データを見れるようにセッティングした。即座に、そのPCの前を陣取ったけいちゃんは、食い入るようにあのCMを見始めた。すると、墨字さんは私に「とりあえず、今の夜凪の奴を撮影しとけ」と変な指示を言って、何かの雑誌を読み始めた。

 

 一時間半後、けいちゃんはあのCMをずっと見ている。一度も目を離さず、PC用の椅子で体育座りをして、永遠とリピートしている。正直、怖い。墨字さんはこうなることが分っていたのだろうか? ともかく、微動だにしない被写体を撮り続ける私の右腕は一時間半の撮影で、ちょっと腕がミシミシ言っている。どうしよう。墨字さんに撮影の続きをお願いしようと思ったら、横から何かを運んでくる音が聞こえた。墨字さんが、三脚を持ってヘラヘラ笑いながら近寄ってきた。そうして「代わってやろうか」と厭味ったらしく言ってきた。

 

 

 三脚での撮影から一時間半後、計三時間のリピート再生をし続けている。微動だにせずにだ。これは流石に、声をかけることにした。しかし何度も呼びかけても、返事はない。イヤホンをしている訳でもない。というか、さっきまで、私が勝手に撮影していたのにも絶対気づいていない。これは集中力が凄いというか、ただただおかしい。本当に貞子よりも怖い。

 

 墨字さんに言っても「初めての映像作品だからな、嬉しいんじゃねーの」というが、いやいやとっくに嬉しそうって領域超えてますって……

 

「黒山さん」そう突然三時間ぶりに言葉を発して、こう問いかけた。

 

 

「この映像の中の私、どこか変じゃない?」

 

 

 私には質問の意図が分らなかった。CMの彼女は全然そんなことなかったし、クライアントさんの評判も良かったし、けいちゃん自身も綺麗って喜んでたのに何で?

 

 墨字さんはその質問がどうも嬉しかったようで、笑ながらどう変に見えたかをけいちゃんに聞いた。「それが、分からないから聞いたんですけど……」すこしムスッとしてそう言った。

 

 この後、すぐにバイトだからと言って帰って行った。あの子はやっぱり天才だからなのか、ちょっと本気で変だと思う旨を墨字さんに言うと、こんな言葉が帰ってきた。

 

 

「あいつは変どころか真っ当だよ、手前の芝居の未熟さに、無意識に気づいてんだ。ありゃすぐに化けるぞ」

 

 

 墨字さんはいつものとても怖い顔をして、ニタニタと笑っている。思わず通報したくなるような顔つきだ。ただ私は「監督」黒山墨字に向かってこう言った「最近、ずっと楽しそうですね、今、活躍してる役者では演じられない、ずっとずっと探し続けてやっと見つけた原石ですもんね。あの子ならいつか「あの役」を演じられる、そう信じてるんでしょ」

 

 照れくさそうに「そのために作ったスタジオだからな。あいつを速攻でそこまで成長させてやる。よし、鉄は熱いうちに打つか!」そう言った時の声は伸びやかで、つい嬉しくなって「はーい」と返事してしまった。

 

 ちなみにその成長の為に、適当に仕事入れといてくれと頼まれてしまった。また私任せですか、そうですかそうですかと対応した。まあ、このくらいは仕事の内だと割り切って、けいちゃんのスタジオ用の「夜凪景」のプロフィールを作成しようと、今日サインした契約書を参考にPCを使って作っていったが、ある当たり前の事にふと気が付いた。あれ、けいちゃんて「未成年」じゃん。

 

 至極当然の事として、芸能プロダクションが「芸能事務所所属契約書」を作る場合、その未成年者の保護者の同意が必要になってくる。たしか民法第五条だったかで、未成年者が保護者の同意を得ないで、行った契約行為は取り消すことが出来るはずだ。

 

 面倒だが、仕方ない。今日の契約は法的拘束力を持たないから、再度契約を交わさないといけない。その件を墨字さんに報告すると「だから?」と此方の方も見ずにそう言った。いや、流石に契約はちゃんとしないと駄目だろうと言うと、墨字さんが夜凪家の惨状を語ってくれた。まず、父親が蒸発していて連絡が取れず、母親とは死別していて、まだ小さい双子の兄妹がいること、親類には頼れなくて、だから今はバイト三昧だということ……

 

 故に、「芸能事務所所属契約書」をちゃんとした保護者を付けて、契約することそのものが、不可能だという事だった。ああ、だから墨字さんは真面目に取り組まなかったのか、もしかしたらけいちゃんも形式としてだけというのを理解しているから、あんまり真剣じゃなかったのかもしれない。

 

 

 そのあと、墨字さんは貞子よりも、もっともっと怖いことを言ってきた。「ちなみにあのウェブCMも契約がされていない条件で、やっているからこれが、外に漏れたら、再度撮り直しで、違約金はウチにくるだろうなぁ」

 

 

 とんでもない爆弾発言を放り込んできた。あのウェブCMのお金は自転車創業のウチには欠かせないものだし、それでいて、もうOKの出たCMをこちらのミスで、トラブルにでもなったら、このスタジオは潰れるのは確実だ。違約金を払える体力なんて当然ない。そうなれば当然給料も出ない。失業保険で暮らしている私が目に浮かぶようだ。

 

 ああ、ごめんけいちゃん。「社会人」として接する私をどうか許して。ただ、形式だけなのに、何であんな色々追記で、記載するような真似をしたんだろうか? そんな事を少し頭に過ったがこの問題は私の中で、考えないことに決めた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。