スタジオ「大黒天」の外観はかなり特徴的で、前衛アートのような建築と一階部分が割と昔ながらの「黒の湯」というお風呂屋さんで構成されている。一度見たら、なかなか忘れられないような建物だ。この物件の持ち主は一階で銭湯を営む夫妻の物なのだけれど、多分利益が出ないだろう値段で、銭湯を営業しているから、どうも立地や建築構造含め、趣味でやっているんじゃないかと思う。実際、ウチのスタジオそのものは二階から上のかなりの広さを使っているのに、本当にこの値段で良いのか? と疑問に思うような値段で借りられている。まあ、この物件を借りているのは墨字さんだから、やはり「監督」黒山墨字の名前のお陰なのかとも思うとやはり凄い。
ちなみに、何故ここを選んだかという事を昔、聞いたことがあるのだが、仕事場の徒歩一分圏内に銭湯があるのが、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を飛躍的に上昇させるとかなんだか言っていた。つまるところ、自分が銭湯好きなだけらしい。やっぱりさっきの考えは、無しだ。まったく凄くない。
ある日、けいちゃんが学校帰りに、双子のレイちゃんとルイくんを連れてやってきた。なんだか深刻そうな顔をして、相談があるという。それなら、墨字さんが銭湯で聞いてやるとかなんとか言い出して、結局一階の「黒の湯」にみんなで行くことになった。まあ、当然混浴ではないから、話を聞くのは私だった。
驚くことに、相談内容はCMでの「お金」についてだった。まあ、そこは事後承諾になったから聞きづらいのかと思っていたら、受け取れないという物だった。余りに高額すぎるし、あの時に、演じたのは「父親」を思ってシチューを作る芝居ではなく「弟妹」を思っての演技だったからという理由だった。
本当に、この子は妙に達観していたり、プライドが高かったり、物事を全く知らなかったり、本当に変な子だ。それに、CMでのギャラは正当に仕事した証だし、高額といっても6桁に届くような額じゃない。流石に、そんな非常識な対応は絶対に出来ない。此方も仕事として行った以上、正当なお金は納めてもらわないと、そこに「責任」が発生しない。そもそも来月にはネット配信が決まっているのに、いまさら此方から取り消しなんて契約上できない。ということを言った。
そんな、現状を見かねたのか、レイちゃんが至極もっともな事を言い出した。
「ゆきちゃんの言う通りだよ、お金貰っときなよ、お姉ちゃんは真面目すぎるんだよ、最近だってカフェのバイトクビになって、今は新聞配達の仕事だけなんでしょう!」
それに、けいちゃんは元気なく、返事するが、追撃するように「最近、お姉ちゃんだけ、ご飯のおかず一品少ないでしょ!」と昔のドラマのような貧乏話を繰り広げて、けいちゃんは明らかな嘘で「そ、そんなことないわ」と返すが、どうしてこうも分かりやすい「演技」は出来ないのかと思ってしまった。
隣の男湯から、墨字さんの馬鹿でかい声が届く。
「夜凪!!! あれを『商品』として、満足して買った、奴らつまり会社がいるんだぞ! お前はそいつらに『価値のないものを売ったから金はいらねえ』って言ってるのか! ケジメと責任の付け方、間違えてんじゃねえよ、夜凪!」先ほどの会話はどうやら丸聞こえだったようだ。にしても本当に声がでかいし、うるさい!
その後も壁越しの大声は続いた。墨字さんは「お前だけが、演技が上手くできなかったから辛いのか? 悔しいのか? お前に、あの時あんな芝居しか、演じさせられなかったのは監督の俺だぞ、コラ! 俺たちは、そういう汚くて、納得できない金で、生きていかないといけねぇんだよ! その納得できない金は、歯食いしばって、使えよ! それが『プロ』ってもんだ、わかったかな? 『素人』さん!!」と言っている事は割と真っ当なのだけれど、その言い回しや煽るような態度が、物凄く鼻についた。
それに、流石にけいちゃんは怒ったのか「ちょっとアイツ、沈めてくるわ……」と言って、その恐ろしき運動神経を使って、男湯と女湯の間の壁を本気で乗り越えようとしている。いや、四メートル以上はある壁の天辺に指がかかって、身を乗り出す事に成功したようだ。その卓越した運動神経もそうだが、裸を見られることにあまり抵抗がなさそうなのは、頭に血が上っているからだと信じたい。
けいちゃんは「分かったよ、次からちゃんと演るから早く、仕事させてよ!」と言うが、それに笑いながら「そろそろ、自分の仕事は自分で持ってこい!」と大声で墨字さんが答えた。
すると、さすがに、このお風呂屋の店主が乗り込んで来たようだ。「うるさいんだよ! 黒山! 家賃上げるよ!」とコレまた大きな声で聞こえてくる。それに墨字さんが「ごめんなさい、もうしません」と謝っているのも聞こえてきた。流石のあの人も大家さんには逆らえないようだ。本当に、いいざまだ。
ただ、けいちゃんは「自分で、仕事を持って来いってどうするのよ……」と悩んでいるようだったが、レイちゃんはボソッと「お姉ちゃん、最近楽しそう」と呟いた。
お風呂から出た後、すぐ上にあるスタジオに移動した。いま、けいちゃんはそこで、私が「買ったのではない」猫の口元を模した可愛いらしい絵柄のマグカップで、お茶を飲みながら、私の説明を聞いている。ちなみに周囲では墨字さんが、子供達と遊んでいる。撮影機材を壊さないか心配だ。まあ壊すとするなら、墨字さんの方なのだろうけど。
さて、私が喋った内容は、ある意味役者なら、避けては通れない道「オーディション」についてだった。
流石のけいちゃんもそれが、どういうものか? くらいは知っていた。彼女曰く、スターズで、受けたことがあるらしく、自信満々だったけれど、なぜか落ちてしまったから、なんだか良く分からないモノで、難しいと捉えているらしい。流石に、難しいとは思ってるんだと少し安心した。
それを聞いて、私は解説を続ける。殆ど基本的な事柄の説明で、簡単に要約すると、「役者」という職業は基本的には「オーディション」によって、他の「役者」さん達と競い合って「役」を勝ち取って「仕事」を貰うという話だった。
けいちゃんは、前向きに「オーディションを受けたい! CM の時みたいにあの人のコネで、お仕事もらうのはムカつくし!」と素直に意気込んでくれた。
その前向きさに、優しく返事をした後、後ろを向いて呆れながら、仕事道具で遊ばないと「三人」を叱った。
墨字さんは完全に、遊び遊ばれている。いやまあ、あの厳つい顔で、子供受けが良いのはある意味凄い。たしか、どこかの評論家が子供に懐かれるのは良い監督の証拠だとか言っていた気がする。いや、この人の場合、単に精神年齢が低いだけか……
そんな、墨字さんが急に真面目な顔をして「ちょうどいい、テレビをつけてみろ夜凪」と言った。テレビでは、ちょうど映画「デスアイランド」制作発表記者会見が開かれていた。確か、原作が漫画で、なかなかの売れ行きのデスゲーム物だったと思う。
なんでもない制作発表記者会見、そこに、急に「彼女」は現れた。客席から、突然登場した「彼女」は、カメラの端々を飛び回って、幼く、無邪気で、いたずらで、それでいて可憐であった。それが、いかに、観客を魅了するか、理解しているからこそできる振る舞いだった。
自分自身の役割を、研鑽された技術を、スターズの戦略で作り上げられた、可愛らしさの象徴のような存在、天使のように、という言葉が陳腐にならない美しさが、そこには在った。
偶像の天使「百城千世子」
舞台に上がる僅かな戯れの時間で、その場にいる人々、全ての視線を釘付けにした。
そんな、驚くべき光景が、今まさに、テレビで放送されていた。それを食い入るように見ているけいちゃんに、墨字さんが煽るようにこう言い始めた「スターズ『女優』百城千代子、まあ今一番売れてる若手『女優』だな、お前達の世代の代表格だ、夜凪、コイツをどう思う?」そう尋ねた。
可愛らしい子供達は、それぞれに率直な感想を言っている。まあ夜凪と呼ぶのだったら、この子達も反応するだろう。ともかく、けいちゃんはこう言った。
「一瞬で私達を夢中にさせた、綺麗、とても綺麗……なのに顔が視えない」と相変わらず独特な言い回しで彼女について述べた。
私はハタと気が付いた。あ、墨字さん、この映画にけいちゃんを送り込む気だ。流石に私はいかにそれが困難か、いくら実力があっても、スターズから引き抜いてきたけいちゃんはオーディションに出しても、意味がないことを伝えようとしたら、その言葉を遮ってけいちゃん、いや夜凪景という『女優』が「私、この人に会ってみたい」と自らの意思を示した。その言葉に墨字さんが「ああ、俺が手伝ってやる」と真剣に答えた。
面倒な事になったけれど、夜凪景という『女優』が自らの意思を示したのなら、仕方ないかと妙な諦観を覚えた。
ちなみに、後日、CMによって入ってきたお金で、みんなでお洋服を買いに行った。女優さんなら、ファッションに気を使えないといけないという建前で行ったけれど、真の目的はけいちゃんという着せ替え「人形」で遊ぶことだ。この子は、絶妙にダサい服を着ても様に成るから面白い。ただその光景を見ていた、墨字さんが本気で、センスのいい服を見繕ってきたから、逆に引いた。あのヒゲで、センスがいいとかキモイ! それと、反則的にかわいい子供用の着ぐるみ姿のパジャマが目に入った。見つけた瞬間、猛烈プッシュして、買わせた。なんなら自分用のお揃いも買った。かわいい。
なんとか、一週間毎日連続投稿が出来ました。勿論、題材的にストックは当然ないです。ただ、思っていたより「感想」や「評価」ってモチベーションに繋がると実感しています。此処が、好きとか、嫌いとか、なんでもいいのでお便り待ってます。やる気に直結していますので……