TIGHTROPE~Good luck with this worst encounter. 作:信濃 一路
Episode 1 接触~とある戦場から、それは始まる
□□□鷹月市・旧市街地
朝靄の中、初夏の陽光が東の空を照らし始めた。
朽ち果てたビルが卒塔婆のように立ち並ぶ。
ここは旧い街。都市新生計画によって裡捨てられた旧世紀の
鳩はおろか鴉の一羽も見かける事のない空虚な遺構。
そんな廃墟の片隅に幾つかの人影が蹲っている。持ち上げる事すら至難と思われる重火器を軽々と構え、要所を装甲で補強された鈍く光るボディスーツ状の戦闘服ーー
――微かな着信音。
端末を睨んでいた髭面の兵士が顔をあげ、親指を立ててみせる。
それに頷いた、隊長らしき人物の手が上がる。一団は訓練された者特有の隙のない動きでそれぞれ隠蔽箇所に散ってゆく。
少し前から、まばらな銃声が遠くから響いていた。
「ったく……無駄な事を。タゲられるだけだぞ」
隊長と共にその場に残った髭面の兵士が毒づいた。まばらな銃声は幾つかの爆発音とともに唐突に止まる。微かに聴こえる悲鳴に隊長の口許が悔し気に歪んだ。
「仕方ないさ。大多数が碌に訓練も受けてない
感情を殺した声。ポーチに煙草を探るが、手に触れたのは皴になった空箱だ。
「まあ……そう、なんですがね――」
髭面の兵士――曹長の階級章を付けた副官らしい男は一旦言葉を切ってから、
「その……やはり間違ってますよ。様々な特典が得られるとはいえ遊びたい盛りの子供たちを戦わせる。それも政治屋共の尻拭いの為にです。まったく、自分には遣り切れませんな。例えそれがこの国を守る為と言えども、人の親としては」
「そういや、お前さんの娘も十五になるんだったな?」
「はっ、春に高校に
「そうか」
頭に手をやって恐縮しつつ、申し訳なさげに語る副官。それを見た隊長の口許が微かに緩んだ。
──ズシン
街の入り口の方から腹に響く重い音が近付いて来る。
規則正しく交互に繰り返される、威圧的な重低音。路地を遮る廃棄ビルが微かに揺れ、パラりと細かな破片が落下する。放置された年月が蓄えた埃が舞い落ちる。
──ズシン、ズシン
地面を揺らし、微かに機械的な軋みを響かせながら近づくそれは、何者かの足音だった。端末を操作してあらかじめ設置してある監視ドローンからの映像を表示。大通りを進む四つの人影──いやそれは人と呼ぶには大きすぎる──が大写しとなった。
「来たようだな。支度に時間のかかる奴らだ」
ビルの三階に届く程の全高を持つ、巨大な威容。人そのものの四肢を持つその姿は神話の巨人を想起させる。だがその全身を鎧う無粋な装甲、そして各所に記された物々しいマーキングが、これらが軍用の兵器である事を物語っていた。
鋼の巨人……
「
背後から端末を覗き込んだ副官が釈然としない表情でが尋ねる。
「まさか。TDの部隊なんて、
「そうですよね。それにしてもあの作戦は……当時我が国はいち早くTDの実用化を果たし、反撃の切っ掛けを得た所でした。各国と連携し、十全な戦力を持って攻勢に転じたならあんな犠牲は出さず、勝利することができた筈です。それなのにあの戦いで敵の橋頭保を堕とせなかった事によって、今再び国内に侵攻を許す結果となってしまっている。戦後の他国への影響力……政治的思惑があの作戦を強行させたのかと思うと、自分は――」
日頃の憤懣もあってか捲し立てる副官に対して、隊長は口にチャックをする仕草をしてみせる。軍人は国民の為に戦うのが仕事であって政治談議をするのが本分ではない。
「申し訳ありません。では、あの部隊は一体……」
訝し気に画面を見詰める副官に、隊長は皮肉を張りつかせた口の端で、
「文部省推薦の、お嬢ちゃんたちの
「は? 戦後世代がTDに?」
顔全体で疑問符を表すかのように呆ける副官。
「高価な玩具が無駄にならないといいが、な。……時間か」
――作戦開始のアラート。
隊長は口許を引き締めつつも、殊更砕けた口調で既に散開を終えた隊員たちに号令をかけた。
□
『……総員、よく聞け。今回の任務は敵の橋頭堡たる旧駅前広場の小型ピラーまで進軍、後続する工兵隊のピラー突入を支援することだ。なぁに、心配するな。訓練通り戦えば大丈夫だ。ちなみに前を行く厳ついレディ達は、あの
――通信機から聞こえる友軍の号令。それに続くやや下品な歓声。
(もう、勝手な事言ってくれちゃって……)
自分たちをダシにしたそれを聞いて、少女は溜息と同時に肩を竦めた。美人と言われて悪い気はしないが、せめて戦力として期待して欲しい。これも
『ウインドⅣ、狙撃ポイントに到達しましたぁ』
戦場には場違いな、少し幼く響く少女の声。次の指示を求めている。
電子機器の明滅が仄かに煌めく、指揮官機用の複座方式のコックピット。少女がちらと後部座席を見ると、オペレーターの少年は青褪めた顔を俯かせて小刻みに震えている。
(仕方ないわね……)前部座席の
「OK、ウインドⅣはそのまま待機、こちらが接敵後は適当に狙撃支援をお願い」
『はぁい、了解です。ってタク、しっかりしてよ。作戦指示はオペレーターの仕事でしょ?』
親密さを感じさせる私語に近い苦言。
別行動を取るウインドⅣの少女は
「う、うるさいな。ミユこそ特定されるんじゃないぞ? 小まめにポイントは移動してよね」
鷲尾の言にムッとしたのか後部座席から、水無瀬の少年にしてはやや高い声が響く。だが、その声音からは心なしか強張りが消えている。優奈の口許に微かな笑みが浮かんだ。
『フーンだ。そんなのわかってるもん。タクは只でさえユナ先輩の足を引っ張ってるんだから、デレデレしてないで自分の仕事くらいこなしなさいよね。』
「い、言われなくたって……って何がデレデレだよ!」
ほとんど私信の応酬。二人ともそれぞれのスキルは高いのだが、学徒兵としての自覚に乏しいのが珠にキズだ。
『ったく……鷲尾も水無瀬も、こんな時に痴話喧嘩してんじゃねぇよ。なあ、来栖。そろそろアタシたちも進軍していいんじゃねえか? ギガース級のデザイアがピラー周囲に展開を開始してる。アレは歩兵だけじゃ荷が重いぜ――』
別の機体……前方のビルの陰に待機するウインドⅡからの通信が入った。やや荒っぽい口調の少女の声……状況に相当焦れているようだ。
戦術スクリーンを見るまでも無く、敵が使用する転移ゲートの輝きが直接モニターから見て取れる。敵がこちらに反応して拠点周囲に戦力を集結させている証だった。
『こちらウインドⅢ。敵の動きは想定通りですよ、ショーコ。キャプテン・マキシの指示を忘れちゃ駄目です。今回の任務は、敵地に取り残された学徒兵の撤退支援。すなわち“彼”のサポート。僕たちはここで囮になって敵の注意を引き付けないと――』
やや辿辿しいものの爽やかな声音の少年がウインドⅡのパイロット、
「ウィル君、ありがとう」
優奈はハミルトンに礼を言うと、
「
『……そうだな。悪かった、来栖――』榊の感情を押し殺した声が聴こえた。
機体の収音システムから遠方の戦闘音が聞こえる。それがぱたりと止まる度に、何人もの兵士が命を散らせているのかもしれない。自分たちが攻勢に加われば敵の撃破は格段に容易になる。けれど一時の感情で作戦を乱せば、より多くの犠牲を払いかねないのだ。
「優奈せんぱ……もとい来栖隊長。桂城先輩は無事、地下街への潜入に成功しました。それにしても
水無瀬が戦術スクリーンに表示される光点を追いながら報告する。
「ラビットⅠよ、水無瀬君。デザイア相手にコードで呼び合う意味はないかもだけど、一応ね?」
「あ、すみません……でも桂城先輩って、どう考えても兎って柄じゃないですよねえ」
“彼”の身長一九〇を超える筋肉質の体躯を思い浮かべて二人は苦笑する。確かにあれは大型の肉食獣のイメージだろう。戦士として理想的な巨躯に、どことなく愛嬌のある顔立ち。
「まあ、桂城くんなら心配いらないわ。それより各機への指示と全周囲への索敵、厳にしてね」
「了解です。……ウインドⅣ、進軍する友軍への支援射撃を。大物狙いで――」
作戦の要である任務を遂行中の仲間……
(
□□□前史
人類の歴史において、この惑星は地球と呼ばれている。
今から二十年前。
世界最大の大陸であるユーラシアの南西、人類の文明発祥の地とされるチグリス・ユーフラテス川流域に、突如として巨大な“柱”が出現した。全高八〇km、最大幅二〇km。極めて強固な結晶体で構成された円錐状の人工物体。それは虚空より突然現れ、数多の天変地異を引き起こしながら“杭”となって大地に突き立てられた。
後に“バベル・ピラー”と呼ばれる事となるそれは、人類に大いなる衝撃と混乱を与えた。明らかな異種文明との遭遇。出現して後、“柱”は沈黙を守っていた。まるで地球人類がどう対処するのかを見極めんとするかのように。……もしこの時、この問題に対して地球人類が一丸となれていたのなら、後の歴史は代わっていたかもしれない。だが人類は国家の柵の中で疑念に駆られ、互いをけん制し、悪戯に時を浪費するのみだった。
一年後――
ようやく国際組織による調査団が現地に派遣されることとなる。
だが、全ては遅かった。
状況に焦れた強硬派の国々が、“柱”に対し核による攻撃を強行してしまったのだ。焦土と化した現地で調査団が見たモノは、核を持ってしても傷一つつくことのない“柱”の威容と、周囲に出現した無数の機械群だった。
『人類ハ外敵ト遭遇セリ』
参加していた日本国調査員の最後の通信が、“大戦”の始まりを告げた。調査団とその護衛を蹂躙した機械群は、瞬く間に世界各地へと侵攻を開始した。
“大戦”――D接触戦争と呼称されるそれは、人類が初めて遭遇した異種文明とその戦闘兵器群との激しく凄惨な戦いとなった。
本拠地であるバベル・ピラーの子機を橋頭保として世界各地に打ち込み、それを受信機として戦力を転送・展開する……この完全な奇襲を可能とし、兵站線を必要としないデザイア側の戦術によって人類は大いに苦しめられる事となる。
それから二十年。外敵との地球規模の戦いは、各国が死力を尽くし、反撃に転じたものの、それでも幾つかの国家を消滅させ、膠着状態となりつつ今なお続いていた。
そして人類は、デザイアの正体も真の目的も、未だ知らないまま戦い続けている――
□□□深淵にて
暗闇の中、覚束無い足取りで少女は彷徨っていた。
周囲の闇よりも深い濡れ羽色の黒髪。まだ未成年と思われるあどけない顔立ち。彼女が纏う、所々が破損した
――学徒兵。
それは対デザイア戦の主戦場であるユーラシアへ国防軍の過半を進駐させる関係上、不足する本土防衛戦力を補充するために日本国政府が募集した、一五才から一九才までの未成年の志願兵の事である。学生にして兵士。それがこの国に於ける彼女の身分だった。
忍ぶように背後から迫る微かな機械音。少女は知っている。先刻、嫌と言う程思い知らされた。それが彼女に死をもたらすモノである事を。微かな空気の流れに混じる生臭い異臭。彼処に転がる、先刻まで共に戦っていた仲間たちのなれの果て。
(郁乃ちゃん、羽澄ちゃん……みんな。どうしてこんな事になったんだろう……)
本来は遺棄された旧市街を利用した簡単な行軍訓練の筈だった。教官たちがレクリエーションと称したそれは、“
無数の機械の化け物……
「誰か、誰か助けて……」
必至に叫ぼうとする声は絶望に摩耗し、僅かに吐き出される空気となって消えた。
至る所で崩れた構造物が行く手を阻む。
遺棄された地下街はさながら地下迷宮のような漆黒の闇と不気味さで、泣きじゃくる少女の焦燥を否応なく掻き立てていた。どこに逃げたら良いのか、どうすればいいのか……わからない。わかる訳がない。
何度も躓きながら闇を進む少女。その前方に微かな光が見えた。
喜悦。懸命に駆ける。あの光を目指せば……それは地獄に垂らされた蜘蛛の糸。しかし――
「そん……な」
少女の足が止まる。血と埃で薄汚れた彼女の貌を、絶望が覆い尽くしてゆく。目の前の、閉ざされた隔壁。外側から閉ざされたそれは、冷徹に少女の運命を分かつ。少数を切り捨て他を救う。先行した仲間たちは落伍した彼女を待っていてはくれなかったのだ。
「……そうだよね。誰だって
こんな事なら……少女の胸に去来する悔恨。
(戦争なんて、遠い世界の事と思っていた。志願した皆が毎日どこかで死んでいるというのに)
――国を護りたいとか、そんな崇高な事なんて考えてはいなかった。けれどそれほど裕福ではない家庭に育った少女にとって、学費全額補助の上支給金も出るという学徒兵の特典の数々は魅力的に映った。都会の学校に通いたいという細やかな夢もあった。だから中学を卒業した時、迷わず志願した。デザイアとの戦争は大陸中心で小康状態だったし、なにより日本は二年前のクリスマスに起きた
きっと、大丈夫……それは、わたしの見たかった現実。そして自分はこの運命を選択した――
(ごめんね、お父さん、お母さん……)涙を流して反対してくれた両親はもういない。
ひと月前、突如として始まったデザイアの大攻勢によって、故郷の街は蹂躙された。巨大な機械の化け物が建物という建物を破壊し尽くし、逃げ惑う人々を殺戮の為の機械が狩り尽くした。
生存者ゼロ――
宿舎で見たニュースに映し出された故郷……冗談のように完全な
「死にたくない? 本当に? お父さんも、お母さんも、友達も、皆死んじゃったのに……」
埃の積もる通路にへたり込み、激しく嗚咽する。少女の細い肩が震えた。
「わたし、それでも……」
カシャカシャと耳障りな金属音が近付いて来る。通路の奥の闇に現われる無数の赤い光点。まるで目のように見えるそれは、球体状のボディから展開した六本の足を忙しなく動かして歩行する、巨大な機械の蟲のセンサーの輝きだった。それが一斉に動く機械音。
――小型デザイアの一種、
本体の大きさは直径三十センチほど。ハンドガンで容易に破壊できるほどの脆弱な装甲しか持たない、一般的には最弱種のデザイアとされる。しかしながら無数とも言ってよい個体数を誇り、前腕部に装備された主兵装の二門のレーザーガンはバトルドレスの装甲を貫通可能な威力を持っている。大量投入による作物を食い荒らす蝗の如き物量戦術は、武器を持たない市民だけでなく完全装備の歩兵部隊ですら時として蹂躙してきた。
(それでも、死にたくないよ……)
ビートルの前腕部が無慈悲に少女に向けられる。虚ろな瞳に映る銃口の瞬き。レーザーに貫かれて跳ねるように痙攣する四肢。全身に走る焼け付くような痛みを感じた瞬間、少女は
空間の揺らぎから顕れた、美しい少女と機械の戦士。
蜂蜜色の髪を靡かせた少女が耳慣れない単語……何処かの国の言葉だろうか……で命じると、機械の戦士が手にした巨大な銃をビートルの群れに向ける。閃光と轟音。砕け散る
(天使と機械仕掛けの騎士? でもそれって……)
何処かで見たことがある……そんな想いを最後に、少女の意識は消滅していった。
□
「逃げ遅れた連中が居るってのは、この先が最後か――」
ガコン、と重い音を立てて地下街を分断していた隔壁が解放されてゆく。通路の奥から噴き出す猛烈な熱風に、中を覗き込んだ長身の少年……
(なんだ、これは?)
視界一面に破壊されたビートルの残骸が転がっている。溶解しているものが殆どで、原形をとどめているものは僅かだ。内部で大規模な銃撃戦が行われた形跡はない。これらは高火力の重火器で纏めて薙ぎ払われたのだろう。恐らくはTDの光学兵器並みの高出力……だがそんな携帯兵器を志生は知らない。少なくとも学徒兵に支給される武装ではない。
カラン――
高温で劣化した瓦礫が崩れる音がした。そして何者かの気配。
「そこに居るのは誰だ?」
志生は隔壁の陰から慎重に声をかける。この破壊をもたらした相手がまだ近くに居ることは明らかだ。志生の兵士としての勘が警鐘を鳴らす。相手の保有する絶対的な火力……デザイアとは敵対しているようだが、こちらも敵と認識しているのなら不意を打たれたら終わりだ。
――返事は無い。静寂が闇に満ちる。
(とはいえ、隠れん坊したままじゃ埒が明かないな!)
意を決して志生は隔壁内へ駈け込んだ。
いや、コイツは――
相手の頭部の発光部位が明滅する。バイザーの奥にカメラアイの存在が見て取れた。
「デザイアの
迷っている余裕はない。相手の武器を封じた距離で志生は携帯したサブマシンガンを斉射する。
「……!?」
躱せない筈のその攻撃を、相手は易々と回避する。その洗練された動きは滑らか且つ生物的で、志生の知るデザイアのドロイドとは明らかに一線を画していた。武骨な外観とは裏腹に、ゆったりとした優雅とさえ言える所作で前に歩み出る。
「攻撃ハ中止シロ。我ニ交戦ノ意思ハ無イ――」
抑揚のない
(こいつは何者なんだ……?)
先に攻撃してきたのはどっちだよ……そんな文句を志生は喉に封じ込める。
デザイアがこちらと
それが今、目の前にいる機械の兵士によって覆された。地球の言葉……しかも公用語とは言い難い日本語を操り、停戦の意思を伝えてきている。
(もっとも、コイツがデザイアかどうかすら、俺には分からない訳だが――)
こういう厄介事は
志生の戦意が無くなったことを認識すると、機械の兵士は通路の奥へと引き返していく。
「おい、何処へ行くんだよ」慌てて後を追う志生。
「ツイテ来ルガイイ――」
隔壁からそう遠くない位置に、朽ちかけた商店の入り口があった。兵士に続いて中に入る。比較的良好な状態を保っている店内。その床の上にボンヤリと白く見えるものがある。
「……な……」
志生は目を瞠った。艶やかな濡れ羽色の黒髪。白磁のように白い肌。流麗な肢体からスラリと延びた四肢。呼吸の度に上下する豊かな双丘。あまりにも場違いな、一糸纏わぬ少女の裸身がそこに横たわっていた。年は自分たちと同じくらいだろうか。あどけなく、何処か儚げな顔立ち。
(美人だな……って、それ所じゃないだろ)
一瞬見惚れていた志生だったが、かぶりを振ると思考を巡らせる。
ここに居るのは訓練中の学徒兵だけのはずだ。この少女は負傷・落伍し、ここで治療を受けていたのだろうか? それを証明するかのように、少女の傍らにはボロ雑巾のように破損したバトルドレスが裡捨てられている。機能の死んだドレスは皮膚呼吸の阻害など身体に多大な負担がかかってしまう。故に治療時には脱がすのが常識ではあるのだが。
(ドレスの損傷に比べて本人に目立った怪我が一つも無いのは、どうにも不自然だけどな……)
幾つかの疑念……だが事情を知るのは
(押し付けかよ……まいったな)
年頃の少女のあられもない姿を前に、志生は困惑する。指令官である
「無理、か……」それは志生にとって見慣れた光景ではあった。
戦闘というよりも虐殺の跡。折り重なるように倒れるバトルドレス。レーザーによって焼かれた肉の臭い。機械の兵士によって保護されていたあの少女は幸運だったのだ。
微かな機械音が近付いて来る。一旦は駆逐されたビートルが、人間の生体反応を感知して近付いてきているのだ。最早猶予は無かった。背嚢から取り出したタオルで裸身を包む。そして志生は少女の身体を軽々と担ぎ上げると、脱兎のごとくその場から撤退するのだった――
□□□勝利と犠牲と
アスファルトを砕きながら全高十メートルの巨体が迫る。
長い両椀を持つ類人猿のようなフォルム。
『他所見してんじゃないよ!』
右腕を失い足を止めたギガースの背面に、ウインドⅡが両椀に保持するアサルトライフルの機関砲弾を叩き込む。動力部を撃ち抜かれたギガースは地響きを立てて地面に倒れ、爆散する。
『ショーコ、後ろから来ますよ』
別の一体を袈裟懸けに両断したウインドⅢからの涼やかな声。
戦術スクリーンに多数の光点。識別。コードネームは
『フン、しゃらくさい。数で来るなら――』
機体を旋回させるとウインドⅡは機体をかがめ、砲撃姿勢を取る。機体の背面パックに直結された二門の
『砕け散れ!』
ウインドⅡの二門の砲身から打ち出されたグレネード弾が炸裂する。脆弱な装甲を貫かれ一体が爆発すると、損傷した周囲の機体の内臓ミサイルが次々と誘爆を引き起こす。大爆発が起こり、リザートの群れは一掃された。その間ウインドⅢは二体のギガースを同時に相手にすると、これを刀舞のような動きで各個撃破する。
だが、一息つく間もなく前方の空間が揺らぐ。増援を呼び込む転移ゲート出現の前兆だ。
『流石に、際限なしの相手というのはキツイですね……』
『こいつらを止めるには大元のピラーを叩かなきゃな……桂城の奴は何やってやがるんだ?』
『こちらウインドⅣ、対装甲狙撃銃の残弾ゼロ。レーザーライフルに換装します』
作戦開始から既に二時間が経過していた。
「来栖隊長、古郡中隊から攻勢支援の要請が……桂城先輩が最後のブロックに向ってからもう一時間以上経過しています。このままでは友軍の損害が――」
剛毅で知られる古郡大尉から支援要請……それだけピラーを護るデザイア側の戦力が強大という事なのだろう。対デザイア戦はピラーを堕とさない限り終わらない。この戦線を放棄し、国防軍と共闘するのが最善手なのかもしれない。けれど――
優奈は指揮官機であるウインドⅠの傍にある地下街への入り口を見やる。その周辺には未だに撤退の終わっていない学徒兵たちが心配げに自分たちの戦いを見ていた。停車している救急車両には生と死の狭間で苦しむ負傷兵が乗っている。そして志生は戻ってきていない。
眼を閉じ、大きく深呼吸をする。答えは初めから決まっていた。
「レインボウ小隊各員へ通達。ウインドⅡ以下は一旦補給ポイントまで撤退。古郡大尉の指揮下に入り、ピラー攻略の支援をお願い。そして水無瀬君……貴方は直ちに降機して、救出した学徒兵の皆と一緒に撤退して頂戴」
通信越しに、そして背後で息をのむ声が聴こえた。優奈の命令、それは自分が囮となって殿を務めるという事だ。軍事作戦で最も難易度の高い任務。
『馬鹿野郎、隊長がする役目じゃないだろ、それは!』
ウインドⅡパイロット、榊祥子が叫んだ。乱暴な口調の奥に潜む、彼女なりの優しさ。それを感じて優奈はクスッと微笑む。
「大丈夫よ。今まで戦闘指揮に徹していたから、損傷はないし弾薬も十分。今の貴方達よりは余程働けると思うわ。それに最新鋭TD・
普段なら榊に「お高くとまってやがる」と言われる澄ました口調。だが優奈の決意を感じ取ったのか、榊は『了解……』と短く答えるのみだった。
「優奈先輩、ちょっと待ってよ。指揮官仕様ならオペレーターの支援は必須でしょ。どうしてボクが降りなきゃいけないのさ!?」
後部座席の水無瀬内匠が憤然と食って掛かる。
憤りからか口調が普段のものになっている。国防軍なら厳罰モノだ。
『ユナ先輩が本気出すなら、むしろタクは邪魔だってば。
ウインドⅣの鷲尾魅悠宇が指摘すると、水無瀬は悔し気に俯いた。
「水無瀬君、ごめんね……それじゃウィル君、皆を頼むわね」
『了解しました。けれどユナ、無理をしてはいけませんよ?』
優奈は水無瀬を機体から降ろすと、機体制御をパイロット側に収束する。
システム起動。虫の羽のような機械音と、全身に走る蠢くような疼き。微かな眩暈。それが収まった時、優奈の感覚は機械の巨人と一体化していた。
武装ラックから高周波ブレードとアサルトライフルを選択。自分好みのオーソドックスな兵装。それぞれを左右の手に保持する。戦闘準備完了……優奈は機体を前進させる。
それを確認すると、ギリギリまで撤退支援を継続していたウインドⅡとⅢの両機はようやく後退を開始した。ウインドⅣも狙撃を中断して補給ポイントへの移動を開始している。
「先輩、どうかご無事で!」兵員輸送車の窓から顔を出した水無瀬が手を振っていた。
□
□
――二十分後。ウインドⅠがアサルトライフルを掃射すると、前方から迫る三体のリザートが爆散する。新たにゲートから出現する敵影無し。敵戦力の掃討された旧市街の朽ちた路地に沈黙が訪れた。
幸いな事にゲートから顕れた増援は優奈一人で対処できる程度の小規模なものだった。ハミルトンたちが加わった事で開始された、古郡中隊のピラーへの攻勢が効果を発揮したのかもしれない。一方、学徒兵の撤退支援の任務はほぼ完了していた。彼らを乗せた軍用車両群が遠方に走り去るのを確認して、肩の荷が下りた優奈はホッと息を吐く。
(後は志生が戻ってくれば……)そう思った瞬間、後方の
『――来栖君、その場に異常重力波を確認した。気を付けろ!』
司令官の眞喜志からの通信。冷徹な声音の中に緊張が滲んでいた。
空間の揺らぎが一気に肥大化してゆく。転移ゲートの青白い境界面から何者かが出てくる。
「あれは……」
体長十五メートルの巨体がウインドⅠの前方に出現した。二本の強靭な脚にしなやかな可動範囲を持つ尾。体躯に比して巨大な頭部。それは太古に地上に君臨したというティラノサウルスに極似した姿から
「どうしてレックスが此処に!?」
実体化するなり襲い掛かって来たレックスの噛みつきを辛うじて躱しながら優奈は叫んだ。デザイアの橋頭保であるピラーには様々なサイズが存在しており、その大きさに応じて転移ゲートで呼び寄せる事が可能な機甲体のランクも決まっている。中型最強と言われるレックス種を、最下級の小型ピラーが転移させるなど、常識的にはあり得ないのだ。
旋回能力には乏しいものの、TDを上回る走行速度で再びウインドⅠに襲いかかるレックス。巨大な顎には見た目通りの力があり、歯に相当する部位のチェーンソーで噛みついた相手をバラバラにする。単純だが、TDすら容易に破壊する強力な攻撃だ。加えてTDの基本兵装を殆ど跳ね返す強固な装甲。実際、回避際に放ったアサルトライフルの弾丸は虚しい金属音を立てるのみだった。
(
レックスの右側から背後へと回り込む。振り下ろされる鞭のようにしなる尾。ステップワークを駆使して回避。優奈はアサルトライフルを投げ捨てると、高周波ブレードを両手持ちにして、レックスの伸び切った尾を狙った。レックスのテイルパーツは強力な格闘兵装であると同時に、巨体のバランスを保つ重要な役割を担っている。破壊できないまでも不調にすることが出来れば、その機動力を削ぐことが出来る筈だ。
一太刀、二太刀。大木に鉞を振るうように一点に斬撃を加え続ける。優奈の思惑にAIが気付いたのか、レックスは背後を取られまいと旋回を繰り返し、嵐のように尾を振り回す。
「けど、行ける!」
斬撃によってレックスのテイルパーツの装甲が拉げ、内部機構が露わになる。そこを抉るように高周波ブレードを突き立てる。生物のような痙攣。伝達系に損傷を与えられたのかテイルパーツがダラリと垂れ下がった。優奈は投棄していたアサルトライフルを拾うと、反撃を避けるために一旦距離を取る。刹那の差でウインドⅠの居た位置にレックスの頭部が突っ込んできた。
(……遅い)案の定、レックスの動きは格段に鈍っている。
普段なら恐怖の象徴である噛みつき攻撃。しかしそれは無様に頭部を地面に減り込ませる結果に終わる。バランスを崩したレックスの頭部を踏み台にしてその背に駆け登るウインドⅠ。そして馬乗りになると首筋にアサルトライフルを押し当てて零距離射撃。尾と同様に複雑な可動部位の装甲は薄い。忽ち貫通した機関砲弾によって、レックスの首筋から黒煙が上がる。
「やった……わ……」
レックスの巨体が横転し、激しい音を立てて地面に崩れ落ちた。機能停止……動かなくなる。
それとほぼ同時に水無瀬から、生き残った学徒兵の撤退が完了し、志生が最後の生存者を救出した、との通信が入る。そして古郡大尉からは『工兵隊がピラー破壊に成功した、我が隊の損害は軽微。貴隊の協力に感謝する』との感謝の意が伝えられた。
――優奈たちは勝利したのだ。
(よかった……
身に着けたバトルドレスの内部は、処理が追い付かない程に汗で濡れていた。ヘッドセットを外し、額を拭う。ほつれた髪が肌に張り付く不快感。かぶりを振るとヘッドセット装着の為に纏められていた髪が解け、桜色の髪がはらりと背中に流れた。
強い倦怠感が優奈の全身を捕らえる。……と、その時、
『優奈、油断するな!!』
弛緩した優奈の聴覚に精悍な声が響いた。同時に激しい衝撃が優奈を襲う。
それが倒した筈のレックスのテイルパーツによる攻撃だと判った瞬間、優奈の機体は廃棄ビルへと叩き付けられていた。崩れ落ちるビルの瓦礫で半ば埋没するウインドⅠ。
次の攻撃は避けられない……そう覚悟した優奈の翳む視界に、降下攻撃をレックスに仕掛ける漆黒の機体が映った。前のめりに突っ伏すレックス。
ウインドⅠを庇うかのように屹立する漆黒の機体……ウインドⅤ。桂城志生の乗機だ。着地と同時に緊急展開用のロケットブースターを切り離す。
AIが損傷したのか断末魔の足掻きのような攻撃を仕掛けるレックス。ウインドⅤはそれを跳躍して軽々と躱す。次いで金属が叩き付けられる打撃音。ウインドⅤは携帯する
「もう、遅いわよ……志生……」安堵の笑みを浮かべながら、優奈は呟く。頬を伝う涙。
『……悪い、
瓦礫に埋もれたウインドⅠを助け出そうとするウインドⅤからの通信。それがノイズの嵐の中、微かに聴こえる。野趣で強面な顔立ちにはそぐわない優しく落ち着いた声音。
(志生……少しは心配してくれてるのかな。いつもこっちばかりなんだから……)そんな取り留めの無い事を想いながら、優奈の意識は白濁していった――
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この日、鷹月市旧市街に出現した小型ピラーは国防軍・古郡中隊と学徒兵であるレインボウ小隊の活躍によって破壊された。遺棄された都市故に人的被害は少なく、日本国政府は大々的に勝利を謡った。だが、訓練中だった学徒兵五〇〇余人、教官二六名の大半がデザイアの奇襲によって無残な死を遂げる事となった事は極秘とされ、作戦に参加した人員には厳重な緘口令が敷かれた。
デザイアの行動原理は人類の殲滅と都市の破壊である……それが人類の常識であった。それならば何故、今回のピラーは価値の薄い、遺棄された都市に現れたのか。そして幾つか観測されたイレギュラーが何を意味するのか。それらの真相を知る者は、未だ居なかった――――