TIGHTROPE~Good luck with this worst encounter.   作:信濃 一路

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Episode 10 君が為に Vol.Ⅱ

 

 □□□朱い追憶

 

『お前は偉大なる騎士(ハミルトン)の血筋……他の子らとは違う。お前は刃持たぬ合衆国の民草を護る破邪の聖剣。悪魔共(デザイア)と戦うために生まれてきたのだよ』

 

 妄執そのものの響きが耳朶を打つ。落ち窪んだ眼窩の奥でぎろりと睨む瞳。僕の胸倉を掴み荒々しく揺さぶる木乃伊のような枯れた腕。痩せさらばえた老人にこれほどの力があるというのか。剣の道を語り、正義を為せと語る歯を失った口腔。僕はそこに恐怖しか感じなかった。

 

 まるで生ける亡者……幼き日の僕の網膜と耳にこびり付いた、在りし日の曾祖父の記憶。そしてそれが僕の原風景でもあった。

 

『家名に恥じぬ剣技を身に付けよ。古代騎士王の時代から受け継がれし由緒ある技を――』

 

 壁に架けられた始祖の肖像画に心を揺さぶられた幼き日。微睡みの中、優しく微笑む曾祖父の膝の上で聞く、古の騎士物語。ハミルトン家。合衆国の武門の名家。それが僕を縛る血の呪いとなったのは何時からだろう?

 

 近代に入り剣は武力としての存在意義を失った。火砲が支配する時代となって数世紀。剣の血脈であるハミルトンもそれには抗えない。これからは各々が新たな技術で時代に即した役割を担わねばならぬ……剣術を教えて欲しいとせがむ僕に、曾祖父は寂しげに語っていた。あの時までは――

 

『リチャード、何故だ、なぜお前が死なねばならんのだ……』

 

 僕の記憶に残る数少ない父の記憶は、遺影に納まった軍服姿の青年だった。それを持って歩く祖父の後をトボトボと歩く僕。泣き腫らした顔で僕の肩に手を置く母。そして父を溺愛していた曾祖父は憚ることなく号泣し、慟哭していた。

 

『リチャードさんは優秀な方でした。あの若さで大佐となられるほどに。そして勇敢な方でした。彼の撤退指揮が無ければ、我々は生きてここには居られなかったでしょう』

 

 父の部下だという男達は、幼い僕の前でそう言っては泣いた。

 

 人類側の先制核攻撃から始まったデザイアとの大戦。人類は世界各地で敗退を続けた。開戦から四年。合衆国の派遣軍はシベリアで歴史的な大敗を喫し、父の指揮していた大隊も奮戦虚しく壊滅した。機械の怪獣(デザイア)……ピラーより顕れた異形の自立型兵器群。その戦闘能力は、当時の人類が敵う相手では無かったのだ。

 

 父を失った後、曾祖父は奇行が目立つようになった。始祖が王より賜ったという埃をかぶった宝剣を振り回し、庭の木々に切りつけ、扱いきれずに転倒する。かつては儀礼化したとはいえ古流剣術の師として“最後の騎士”とまで呼ばれた曾祖父の、哀れとすら言える不毛な行い。それが狂気へと変わった切っ掛けは、祖父が見せた日本での記録映像だった。

 

 日本国が開発した人類の希望。機械の悪魔(デザイア)を駆逐する鋼の巨人――戦術人形(タクティカルドール)

 

 祖父がそれを見せたのは深い意味あっての事ではない。父の死という曾祖父の苦しみを、他国とはいえ人類が勝利する映像で和らげようとしただけだ。

 

 曾祖父の目に戦術人形は、現代によみがえった騎士そのものに映った。その手に持った銀に輝く剣を振るい、次々と現れる恐竜種(レックス)を切り伏せる漆黒の巨人。日本製だからかその剣は太刀であったものの、その雄々しき姿は中世の騎士の再来を、見るものに想起させた。

 

 果たして曾祖父は狂喜した。燻る心の燃えさしに怨嗟という油を注いで。

 今こそハミルトンの剣が蘇るのだ、と。

 

『お前は戦術人形のパイロットに成るのだよ、ウィルヘイム。ハミルトン家の新たな騎士として悪魔どもを駆逐し、必ずや父の敵を打たねばならぬ。わかっておるな?』

 

 東京ピラー攻略での活躍により戦術人形(TD)は対デザイア戦の切り札として合衆国でも認知され、わずか半年で鷹月重工製のTD・荒神のライセンス生産が始まった。祖父は合衆国軍再編の為、戦術人形による打撃部隊編成の指揮を執る事となった。

 

 曽祖父はその部隊へ僕を入隊させようとして、僕を鍛え始めた。明けても暮れても続けられる剣術の修練。そんな曾祖父を母は嫌悪し、僕を連れて家を出ようとした。けれど僕はハミルトン家に残った。僕の存在だけが曾祖父を現世に止めている……そんな気がしたから。家を出た母は故郷で再婚したらしい。尤もあれから一度も会っていないから、詳しい事はわからないけれど――

 

 戦術人形の戦いが、基本銃火器によるものだという事は、幼い僕ですらわかっていた。結局、今にして思えば曾祖父のした事は時代錯誤な扱きでしかなかった。けれど僕は黙ってそれに従った。剣術は嫌いでなかったし、何よりも剣を教えている間だけは曾祖父の貌から狂気が和らいでいてくれたから。

 

 それから五年の歳月が流れ、僕は少年の身ながら、一端の剣士となっていた。曾祖父の門下生には負ける事は無かったし、祖父相手でも五本に一本は取れる腕前になっていた。尤もそれは戦後世代の持つ光輝回路(フェリオンサーキット)のお陰なのだけれど。

 

 一方、曾祖父はその頃にはもはや立ち上がる事すら出来ない身となっていた。

 病に伏せたベッドの中で狂気の夢に鋼の騎士を駆る僕の活躍を想い描き、歓喜に咽び泣く――そんな曾祖父が亡くなったのは僕が十二才となり、幼年学校入学を前にナノマシン処置の為の検査を受けに行った日の事だった。

 

 けれど曾祖父は幸せだったろう。

 

『ウィル君。残念だけど君に処置を施す事は出来ないんだ。最近分かった事なんだが――』

 

 父のかつての部下だった軍医は淡々と事実(無慈悲な現実)を僕に告げた。サーキットを持つ者にナノマシン処置を施すのは不可能である……という事を。それはカラーズである僕が戦術人形の操縦士には決してなれないという事を暗に意味していた。

 

『ウィルヘイム。父さんには悪いが、これで良かったのだよ。これで――』

 

 祖父は僕が曾祖父の妄執から解放された事を喜んだ。軍とは関係のない平穏な人生を過ごして欲しい。そう涙ながらに願う祖父の傍らで、僕の心はただひたすらに寒かった。戦術人形という現代の騎士を駆り、父の敵を討つという鋳型(ゆめ)に流し込まれた僕には、他の目的など思う由も無かった。

 

(そうなのかな。でも、それならボクはどうしたらいいの?)

 

 その日。目標と曾祖父の狂気という熱を喪って、僕は無明の闇の中で凍えていた――

 

 

 幼年学校への推薦枠を辞退し、ミドルスクールの入学を控えた夏の日。突然祖父は日本への旅行を僕に勧めた。なんでも祖父の年下の友人が、僕に会ってみたいと言っているというのだ。その友人は日本の有力な政治家であり、曾祖父とも親交があった剣術家でもあるという。

 

 あの日以来抜け殻のようになった僕に、祖父は気分転換をさせたかったのだろう。

 

 けれど正直、僕は気乗りしなかった。共通の敵(デザイア)を前にしても人類を結束させることの出来ない政治というモノには興味は薄かったし、夢の残骸と曾祖父の狂気を思い起こさせる剣術には、もう関わり合いたく無いと思っていたから。

 

 それでも僕が日本へ行こうと思ったのは、単純に単独でデザイアを撃退し反撃の口火を切った日本という国への興味と、あるいは未だ燻る剣への想いの残滓だったのかもしれない。

 

 祖父の友人……萩野(はぎの)利三(りぞう)

 彼は何処となく禁欲的な雰囲気を持った壮年の男性だった。物腰は柔らかく、サムライムービーに登場するような剣豪とは懸離れた紳士的な印象。しかし出迎えてくれた時、僕に注がれた眼光の鋭さは流石に古流である陽ヶ崎(ひがさき)流剣術皆伝者のモノであり、日本国与党の若手議員を率いる首相候補の一人であることを納得させるモノだった。

 

『ほう、君は呑み込みが早いな。流石はヘンリー郷の曽孫だ。筋がいい――』

 

 萩野家の屋敷に併設された道場。案内されたそこで突然木刀を渡され、始められた稽古。躊躇う僕に容赦なく繰り出される斬撃。剣とは勝手の違う刀の技。サーキットを持たない戦前世代とは思えない神速のそれを辛うじて受け流した時、萩野さんは微かに笑った。

 

『ウィルヘイム君。君の事はお爺さん(アレックス)から聞いているよ。君の剣は、確かにヘンリー郷から押し付けられたモノなのかもしれない。けれど今、私の太刀を防いだ技は、まごう事無き、君自身のモノだ。……違うかね?』

 

『……わかりません』萩野さんの問いかけに、僕は押し黙った。

 

 ハミルトンだから、父の敵を討たねばならないから。(そう。結局、僕は――)

 

 曽祖父の妄執(ねがい)を注ぎ込まれた人形。主体性の無い、空虚な器。剣を学んだのも大した理由じゃない。優しかった曾祖父に笑って貰いたかったからに過ぎない。……護るべきモノも無い騎士など、全くお笑い草だろう。

 

『……成程。そういう事か……』俯く僕をじっと見て、萩野さんは一人得心した様に呟くと、

 

『お爺さんから頼まれているのでね。休暇の間うちでゆっくりして行くと良い』

 

 そう言ってチラと庭の方を見やると溜息を吐き、道場から歩み去っていった。

 

(なんだろう?)怪訝に思い僕も庭に視線を向ける。すると――

 

『おい、お前凄いな! アレを防ぐなんて。流石、ハミルトンは伊達じゃねえんだな――』

 

 植木の狭間から好奇心を露にした顔がひょっこりと突き出ていた。

 群青色をした艶やかな長い髪――そこに枯葉や枝をくっ付けている。物言いは少年のようだが、繊細な顔立ちは明らかに自分と同じ年頃の少女のものだ。道着を身に着けているという事は此処の門下生なのだろうか? そのやや吊り目がちの大きな瞳が素直な憧憬に輝いている。

 

『初めまして。僕はウィルヘイム=ハミルトン。――君は、誰?』

 

 面はゆさに赤面しつつ、僕は覚えたての日本語で自己紹介をすると、少女に尋ねた。

 

『おっと、悪ぃな。アタシは――』少女は一瞬口籠ると、

 

『……アタシはショーコ。サカキ・ショーコだ。よろしくな、ウィルヘイム』

 

 そう言って白い歯を見せて二カッと笑う少女。その無邪気な屈託の無さ。それは僕の瞳に、まるで春の日の陽だまりのように映った――

 

 

 □□□藍色の焦燥

 

『ほい、チェックメイトだよ、祥子先輩』

 

 視界一杯に映る戦術人形が上段から高周波ブレードを振り下ろす。被弾アラート、次いで被撃墜判定。どこか挑発するような敗北アナウンスが耳孔に響く。

 

「畜生、なんで勝てねえんだよ――」

 

 多分にゲーム的にアレンジされた爆散演出。ヘッドセットを外し固定端末のモニターに視線を移す。そこに映る麻色の髪の少年に、髪を掻き毟りながら(さかき)祥子(しょうこ)は忌々し気に毒づいた。

 

『あはは、タク相手じゃ仕方ないですよ。これしか取り柄が無いんですから。でも機体機動は悪くないですし、攻撃もポイントを押さえいて的確です。流石はショーコ先輩』

 

 別ウィンドウが表示され、そこに表示された萌黄色の髪の少女が頬を掻きながらフォローする。

 

『コレしかって何だよ、ミユ。こんなのはボクの数多い特技の一つに過ぎないっての!』

『まーた志生(しお)先輩の真似してる……タクの特技って戦術人形(ロボット)絡み以外にあったっけ? 運動全般が壊滅的なのは()()の問題だから仕方ないけど、座学の成績でもわたしに勝てたことないし……』

 

 おっとりとした口調だが容赦のない少女の言葉に麻色の髪の少年――水無瀬(みなせ)内匠(たくみ)は憤然と食って掛かるが、萌黄色の髪の少女――鷲尾(わしお)魅悠宇(みゆう)の次の言葉に止めを刺されたかのように押し黙った。

 

(鷲尾相手じゃ、流石に水無瀬も分が悪いってか?)モニター内で睨み合う二人を見て榊は苦笑する。水無瀬も自分より一つ年下ながら大学卒の資格を持つ秀才だが、鷲尾は戦術人形の生みの親ともいえる鷲尾博士の娘であり、フェリオン工学の論文を幾つか出しているほどの才媛なのだ。

 

『……それで、結論を言うけど――』ややあってメンタルを持ち直したのか何時もの人を小馬鹿にしたような口調に戻った水無瀬が口を開いた。先日DDOで遭遇した()()()()()()()()に三十秒も持たず鎧袖一触にされた榊は、上位ランカーである二人に頼んで特訓を付けて貰っていたのだ。

 

『全然ダメ。そもそも機体に積載限界の武装をして突貫なんて自殺行為だよ。二流相手には通じてもアイツには通じない。小隊(うち)二番機(ボレアス)と違ってDDOにはエフェクトの仕様は無いんだからさ』

『負けて悔しいのはわかりますけど、わたしたちも“彼女”には連敗中なんです。でも……どうしてショーコ先輩は格闘戦タイプを使わないんですか? DDOもプレイヤーの身体能力が反映されますし、砲戦型より向いてるんじゃ……たしか陽ヶ崎流の有段者ですよね、ショーコ先輩は』

 

 鷲尾が小首を傾げて尋ねる。(それもそうなんだけどな……)と榊は苦笑した。CR小隊では編制のバランス上、砲戦型は自分がやるしかない。

 

 元教団の少年兵(ブーステッド)で既にして古残兵の技量を持った桂城(かつらぎ)志生(しお)

 いけ好かない優等生だが堅実で優秀な指揮官である()()()()来栖(くるす)優奈(ゆな)

 見た目に反して狙撃兵として天性の才能と能力(エフェクト)を併せ持つ鷲尾魅悠宇。

 そして、合衆国きっての武門の名家の出で、欧州剣術の達人であるウィルヘイム=ハミルトン。

 

 彼等に比べ操縦手として技量未熟であることは榊にもわかっていた。

 幸い榊の持つ障壁のエフェクト(イージス)は空いている砲戦型と相性が良く、二番機を任せられることとなった訳だが――

 

『また今度、格闘タイプの使い方を教えてくれよ。今日はありがとな――』

 

 幾つかのセッションを共にプレイした後、二人に礼を言って榊はDDOからログアウトした。時間を見ればそろそろ午前零時。大きな作戦が迫っているこの時期に、流石にゲームで夜更かしは不味いだろう。シャワーでも浴びて寝るか……そう思いつつ、ふと榊は自分の腕を見る。華奢な、柔らかく女性らしくなった腕。

 

(餓鬼の頃は、これでも散々鍛えられたんだけどな)

 

 陽ヶ崎流の有段者――鷲尾はそう言ったが、今の自分にそんな資格は無い。然したる覚悟も無しに()()()()()、然したる覚悟も無しに()()()()()自分には。

 

 机の上に立ててあるポートレート。そこに映る道着姿の幼い自分と朱い髪の少年。それを手に取って、榊はポツリと独り言ちる。

 

「どうしてお前は構うんだよ。こんな情けないアタシなんかをさ……」

 

 

 手足を縛られ、転がされたコンクリートの感触。薄暗い、黴臭さに満ちた狭い廃ビルの一室。明らかに真っ当な人間とは思われない、下卑た笑いを浮かべた男達。不躾な、這う様な視線がアタシを見下ろしていた。ありったけの怒りを視線に乗せてみても、それは奴らの嗜虐心を高揚させるだけだ。不快感に噴き出した嫌な汗が、この春袖を通したばかりの真新しい制服に吸われてゆく。

 

 どうしてこんな事になったのだろうか。馬鹿なアタシでもその答えはわかっていた。つまらない嫉妬。立場を弁えない思慮の浅さ。要するに自分の甘さに対する罰なのだ。

 

 アタシは()()()()なんだ。こんな連中、何とでもなる。そんな自惚れた想いは粉々に打ち砕かれて、無様に横たわるアタシ。今まで学んだことを何一つ生かせずに、脚は萎え、あろうことかアタシは震えていた。唾棄していた同世代の少女たちのように。

 

 一際品の無い歓声が上がり、一人の男が近付いて来た。舌舐め擦りする歪んだ顔がくっと近付き、得物を追い詰めた猫のように嗤う。

 

 止めろ、やめろ、ヤメテ……イヤ……

 

 必死に叫ぼうとするが、声帯から漏れるのは悲鳴にもならないか細い息の音だけ。

 荒れた男の手が伸びて胸を弄る。膨らみ始めたばかりのそれを乱暴にされて、アタシは身をよじって泣き叫び、助けを求めた。父に、兄に、そしてアイツに――

 

 必死に閉ざした脚を抉じ開けられ、歪な影が重なって来る。首筋に吹きかかる生臭い息から逃れようと、懸命に顔を背けた時。

 

『汚い手でショーコに触らないでくれますか、おじさん(ケダモノ)

 

 澱んだ空気が凍り付く。抑揚のない慇懃な声が、部屋の入り口から聞こえた。

 

 どうして? それは最も望み、そして最も望まなかった声。

 

 涙で霞む視界に映る、ほっそりとした朱い髪の少年の姿。金縛りにあったように動けない男達の間を縫って歩く、彼の右手に纏わりつく緑色の光輝が閃いた瞬間――朱い舞踏と濃密な血の香りの中で、アタシは意識を失っていった……

 

 

(あれから三年か――)冷たいシャワーに打たれながら、榊は苦々し気に呟く。

 

 近隣で起きた年端も行かない少女の連続誘拐事件。中学校の帰り道、その犯行現場を偶然目撃した榊とハミルトンは、その対処を巡って口論となった。まず警察に通報をしよう、と主張するハミルトンに対し、榊は陽ヶ崎流の使い手として見過ごせない……追うべきだと言い張ったのだ。

 

 サーキットを持つ自分たちの世代は大人たち旧世代と身体能力が違う。加えて武術を学んでいるという自信。それが榊の心に慢心を生んだ。けれどそれだけではない。榊を意固地にさせたのは、心配げに自分を見詰めるハミルトンに対する仄暗い感情だった。榊が武術を学んだのは父に認められたかったからだ。それなのに来日して半年余りで既に陽ヶ崎流剣術を会得しつつあるハミルトンは、幼き日より剣を学んでいた素養があったにせよ、榊には天才としか思えなかった。いつしか憧れは羨望に、そして嫉妬に変わっていった。

 

 一人でも行くからな……そう言って榊はハミルトンの手を振り払い、犯人の潜伏場所に乗り込んだ。大の大人たちを薙ぎ倒し、攫わかされた少女を救い出す。まるで英雄(ヒーロー)だ。榊は高揚する気分に身をまかせ、廃ビルの奥へ、奥へと駆ける。行ける……そう思った次の瞬間、榊の身体は壁に叩きつけられた。衝撃で朦朧とする視界に、自分より少し年上の少年がニヤリと笑うのが映る。草色の髪……恐らくはカラーズ。浅墓だった。自分だけが特別な存在である訳がない。どうしてそんな事すら気付けなかったのだろう。倒した筈の男達が次々と起き上がって、増悪を宿した瞳でこちらに躙り寄って来る。そして――

 

 ()()()。病院のベッドで目を覚ました時、榊の傍でハミルトンは泣いていた。そして榊の無事を確認すると、監視役の憲兵にお辞儀をして大人しく連行されていった。『すみません。でもショーコが無事で、本当によかった……』そう囁く様に言いながら。

 

 ……共に中学へ通う筈だったハミルトンが合衆国へ送還されたのはその翌日の事だった。

 

(謝るなよ。お前は何も悪くねぇんだ――)

 

 エフェクトの乱用、それも殺傷能力のあるモノの行使は、未成年であっても重罪だった。幸い死者は出なかったものの、あの一件でハミルトンの処分がそれだけで済んだのは、恐らく日本と合衆国間の()()()()()という力が働いたからなのだろう。だが、自分を護った故にハミルトンが処罰された事が、榊は納得がいかなかった。

 

 蛇口を締め、架けておいたタオルで髪を拭く。橘花に入る時に榊は腰まで伸ばした髪を切っていた。手入れが楽でいい……なんて話したら、久し振りに通信を送って来た兄貴の奴、画面の中で死んだような顔をしてたっけ。似合うぜ、くらい気の利いた事を言えないから三十路前にもなって未だに独り身なんだよ。……榊は、そんな愚にも付かない事を思って苦笑した。

 

 バスタオルを巻き付け、キッチンの冷蔵庫からパックの牛乳を取り出して飲み干す。

 

 年の離れた兄の(さかき)泰吾(たいご)はCR小隊指令である眞喜志(まきし)一之(かずゆき)の同期で、共に英雄の後継者と評された防衛軍きってのエースパイロットである。榊同様に幼い頃より陽ヶ崎流を修め、剣道の全国大会で優勝するほどの腕前の剣士であったが、榊がまだ幼い頃、街を救った来栖征史郎の活躍に憧れて軍人を志し、父から勘当同然の扱いで家を出奔していた。

 実の所、榊が武術を始めたのは居なくなった兄の存在を埋める為、というのが大きい。そして入学当初から抱く来栖優奈に対する蟠りは、尊敬する兄が未だ過去のエースである征史郎の後塵を喫していることに対する苛立ちからだった。なにせ榊は――

 

「小さい頃はお兄様、お兄様っていつも俺の後をついて歩いてたお兄ちゃん子だもんなぁ」

「…………え?」

 

 突然の声に居間を見やると、ソファにだらしなく腰を下ろした青年が、缶ビールを片手にヒラヒラと手を振っていた。ボサボサの黒髪に無精髭。日本国防衛陸軍の制服を着崩して纏っている。それでいて不潔な印象を与えないのは整った目鼻立ちの、所謂イケメン顔だからなのだが、前述のだらしない部分がそれを相殺していた。

 青年――実兄の榊泰吾。その猛禽を思わせる精悍な顔がニヤリと笑う。

 

「なんだ、祥子。鳩が豆鉄砲くらったような顔をして。……そうか。十年ぶりの再会だものなぁ」

 

 しみじみとそう言って、泰吾はお道化た仕草で両手を広げると、

 

「兄妹の再会を祝してハグしてやろう。さあ、照れずに兄さんの胸に飛び込んでおいで――」

 

 ワザとらしい、軽薄そのものな物言い。居間に白っとした空気が満ちる。

 

「…………」ずり落ちそうになったバスタオルを押さえると、とりあえず榊は手にした空の牛乳パックを泰吾の頭に投げつけることにした――

 

 

「……今更、何しに帰って来たんだ。親父に詫びでも入れに来たのか?」

 

 混沌とした感情を抑え込みながら、榊は苛立ちを隠せない顔で泰吾を睨む。()()という言葉に、飄々とした泰吾の顔に険が走るのを見て、榊は密かにほくそ笑んだ。だが泰吾は肩を竦めると、

 

「ここは()()()だからな。何時だって好きな時に帰って来るさ……違うか、居候(家出娘)?」

 

 そう切り返されて榊はムッとして黙り込む。この、榊が暮している鷹月市内のアパートは泰吾の名義で借りているものだった。泰吾が戦傷を切っ掛けに地方の学校へ教官として赴任した際、そのまま借りていた此処に橘花に進学した榊が転がり込んだのだ。家賃その他諸々は泰吾が支払っている。榊もアルバイト等はやっているもののそれで賄えるほどの安物件ではなかった。

 

「まあ、それは置いておくとして……答えはノーだ。誰があんな二枚舌に頭を下げるか。口では勇ましい主戦論を語りながら、実の息子が志願するのは許さないなんてな。陽ヶ崎の老師も草葉の陰で泣いてるってもんだ――」

 

 捲し立てるように父を罵る泰吾。その言葉の裏に隠れた父に対する感情。榊は苦笑する。

 

「――だが、お前まで飛び出すとはな。もしかして――」

 

 じっと榊の顔を見て沈痛な表情を浮かべる泰吾。その意図を悟り、榊は慌てて手を振ると、

 

「あんな昔の事は、()()()()()()くらいにしか覚えちゃいないよ。カラーズでもTD操縦士(ドライバー)になれるうちの小隊(Code Rainbow)の事を知って、応募したら喧嘩になって飛び出した。……兄貴と同じ、それだけさ」

 

 事も無げに言う。それを聞き泰吾はホッと息を吐いた。囁く様によかった、と呟きながら。

 

「……そうか。何というか……血は争えないというべきか? 親父殿も災難だったな」

「違いねぇ。そこだけはアタシも同情するぜ」

 

 二人で顔を合わせて笑う。兄妹で屈託なく笑ったのはいつ以来だろう。少なくとも通信越しでは事務的な連絡以外の事を話してはいなかった気がする。

 

「――兄貴の生徒達って、アイツ等なのか。ってもあの島に行ったのは十二年も前に疎開した時以来だから、顔も碌に覚えちゃいないけど。……そうか陽ヶ崎のおじ様たちが死んで、もう二年になるのか。……防衛軍は何をしていたんだ?」

「当時の島には地元の学徒兵と防衛軍の一個小隊のみしか駐屯していなかった。軍事的には何の価値もない島だったからな。そこに本格的なピラーが顕れた。……正に虐殺だったよ。咲良基地に赴任していた()()に率いられて俺は島に向かったが、ヒトを狩るデザイアの海の中、陽ヶ崎神社の奥の洞窟に隠れていたアイツらを助けるのが精一杯だった」

「皐月さんは――?」

「あの日、地元の学徒兵として()()されたらしい。帰省する前……咲良の高校に通ってる時には、東京の美大へ受かったって、(はしゃ)いでいたんだがな」

「そうじゃなくて――ちゃんと()()()やったのかよ?」

「…………相手は学生だ」

「そういう所、ヘタレなままだな。兄貴は……」

 

 黙って胸ポケットから取り出した煙草に火をつける泰吾。それを摘まみ上げて榊は、

 

「――で、兄貴。()()で青巒奪還の任に就いているってのに、態々鷹月まで来て思い出語りをするほど教官って仕事は暇なのか? そろそろ本題を言えよ?」

 

 榊は鋭く上段から切りつけるように尋ねた。家を出てから十年もの間、実の妹に直接会おうとしなかった程にケジメを大事にする兄が、大した意味も無くこうして目の前に居る訳がない――

 

「そういう勘の良さは親父殿譲りだな。まあ、用件は()()ある」

 

 そう言って泰吾は胸元のポケットから記憶メモリを取り出すとテーブルの上に置いた。

 

「何だよ?」

「前回の青巒島偵察任務で手に入れた記憶媒体の()()()だ。これをお前たちの上官の眞喜志(慇懃能面)か鷲尾博士に渡して欲しい」

 

 榊は呆けた様に兄の顔を見詰めた。偵察任務で得た記憶媒体の複製――どう考えても重大な背任行為だ。この中に、一体なにが記録されているというのだろう。

 

「穏やかじゃねーな。そんなにヤバい代物なのか?」

「だからお前に頼みたくはないんだが、国防軍派(中立)の俺が()()()の眞喜志らに直接接触するのは不味いからな。かといって今の状況では他に伝を得る術も無い……猫の手って奴だ。プロテクトは掛けてあるが、絶対に中は見るなよ。もしこれを奪おうとする奴が現れたなら、抵抗するな。俺から預かった事も伝えて、サッサと渡せ。いいな?」

「……酷い()()のされ方だな」

「そうでも言わなきゃ、お前は直ぐに()()をするだろ? お前が傷つくことで自分が傷つく奴もいるんだからな……それを忘れるな」

 

 榊の脳裏に朱い髪の少年の悲しげな横顔が浮かんだ。それは目の前の兄にも、家を飛び出して以来音信不通となっている厳格な父親にも、自らの過ちが与えてしまったモノなのだ――

 

「ま、それはいいとして――」

「いいのかよ……」

 

 俯く榊の肩を、泰吾は優しく叩く。ふと見上げた兄の顔は、今までとは違う真剣なモノとなっていた。怪訝に思いつつ、榊は兄の用件がもう一つある事を思い出す。

 

「お前にとってはこっちの方が重大だ――」

 

 そう前置きをして、泰吾は榊の緋色の瞳を見据え、静かに告げた。CR小隊三番機(ノトス)操縦士ウィルヘイム・ハミルトンに対し、合衆国政府から近日中の帰国要請が来ている筈だ、と――

 

 

 □□□僕は――

 

 通信端末から聞こえる懐かしい声にウィルヘイム=ハミルトンは、普段の彼には縁薄い苛立ちを隠せないでいた。彫の深い秀麗な顔が時折苦々し気に歪む。

 

『……二度言わせるな、ウィルヘイム。これは既に決まった事だ』

「しかし! 余りに急過ぎます。大規模作戦を前にした今、何故なのですか?」

『――今、だからだよ』

 

 激情を押え、問うハミルトン。それに対し通信の相手は冷然と答える。

 

『悪魔共との戦いに戦術人形は不可欠だ。しかしその操縦士は年々減り続けている。加齢と戦死によって。そして操縦士が増える事は無い。……今のままではな』

「その為に僕を日本へ留学させたのでしょう? 従来のナノマシンによる神経接続に変わる制御インターフェイス……SSS(Sense Shift System)。その習熟の為に――」

『そうだ。ドクター・ワシオの開発した()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今後の人類に必要不可欠な制御システム。合衆国は“機関”からその技術提供を受けることには成功した。だがその運用ノウハウを持っていない』

「……なればこそ、僕は此処で、CR小隊でまだ学ぶ必要がある。だというのに、この()()()()はいったい何なのですか!!」

 

 吐き捨てるように叫ぶハミルトン。その激情を受けて通信端末から深い溜息が聞こえた。

 

『合衆国に“騎士”は必要ない……ということだ』

「それは、どういう……」

 

 呆然と呟く。ややあって浮かぶ驚愕。

 

『……そういうことだ。合衆国の国力は日本の比ではない。現在の我が国の戦術人形保有数は、既に日本の三倍を数える。純国産機の開発が完了すればさらにこの差は開くだろう。いつの時代も戦いは物量で決まる。合衆国に必要なのは作戦を遂行するための兵であって、一騎当千の騎士ではない。個々の技量に頼った少数精鋭部隊(ファンタシー)など、今の合衆国には必要ないのだよ』

 

 ゆっくりと諭す様な声が端末から聞こえた。

 

『日本でのSSSの習熟はもう十分だろう。既に何度かの実戦も経験していると聞く。それを教官として合衆国に還元するのがお前の役目なのだ。戻って来るんだ、()()()

 

 ――そして通信は切れた。ウィル、と愛称で自分を呼ぶ意味。それをハミルトンは理解する。

 

 ブラッディツリー……二年前のクリスマスに起きた惨劇。それを齎した七本のピラーの内、残るは二本。それに対する日本国防軍の総攻撃の時が近付いていた。多くの将兵の犠牲を強いるであろう本土奪還の為の決戦。けれど同盟国であっても所詮は外国である合衆国にとって、それは対岸の火事に過ぎないのだろう。バベル・ピラー以後の世界において、未だ本格的ピラーの襲撃を受けた事のない母国にとっては。各国の支援に奮戦し、結果疲弊した自国の戦力を拡充させることが急務なのだ。長期的視野に立つのならば、彼らは全く正しい――

 

(逃げろというんですか、()()()。また、僕は……)沈黙した端末を握り締め、ハミルトンは天井を仰ぎ見た。橘花に来た理由。合衆国の思惑。合理的に考えるのなら答えは既に決まっていた。

 

 ふとハミルトンは机の上に立ててあるポートレートを見やる。祖国の家族の写真、CR小隊の皆で撮った写真。そして幼い自分と群青色の長い髪の少女の写真。それを手に取ってじっと眺める。

 

(あれから三年か……)

 

 ハミルトンは目を閉じると、しばしの間脳裏に去来する追憶に耽った――――

 

 

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