TIGHTROPE~Good luck with this worst encounter.   作:信濃 一路

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Episode 12 君が為に Vol.Ⅳ

 

 □□□父と娘と

 

 静まり返った部屋に頬を打つ乾いた音が響く。執務席に座す萩野は、娘である榊の激情に任せた平手打ちを避けようともせずに悠然とそれを受け止めていた。無論、微動だにとはいかない。サーキット保持者の身体能力は戦前世代のそれを大きく上回る。萩野の整った顔の片頬は赤く腫れ、口の端から通、と血が流れ落ちる。それでも萩野は値踏むような笑みを崩さずにジッと榊を見詰めていた。悔し気に俯く榊。

 

「なんで避けねえんだよ」

「お前はそうして欲しかったのかね?」

 

 薄く笑い、萩野は立ち上がる。そして先程とは打って変った温かな口調で榊に語り掛けると、項垂れる彼女の頭を優しく撫ぜた。感情を爆発させたからか先程まで張詰めていた榊の表情は和らいだように見える。萩野の挑発的な物言いは、榊の想いを引き出す為の物だったのかもしれない。眞喜志から聞いた話とは異なるが、気鋭の政治家だけあって確かに萩野は食わせ者(・・・・)だろう。

 

(拗れてはいるけど、やっぱり親子なのね……)そうエリアは思い、ホッと息を吐く。

 

「やめろって。ダチの前で恥ずかしいだろうが……もう餓鬼じゃねえんだから」

 

 お父様の馬鹿……と小声で呟き顔を赤らめる榊にエリアは思わず吹き出してしまった。

 

「如何にウィル(・・・)君の事とは言え、あれほど無様に取り乱していたではないか。最早この程度で恥ずる必要も無かろう? 士道不覚悟よな、祥子」

「士道ってなんだよ……つか、やっぱり知ってやがるじゃねぇか、このキツネ――」

 

 舌打ちをして肩を震わせる榊。それを見て、恐らくは顔見知りなのであろう陽ヶ崎の護衛官たちがクスリと笑い、慌てて咳払いをする。どうやら榊は萩野の門下生らから好かれているようだった。

 

(中々食えない御仁ね。私もサポートしてあげるから、頑張って見なさい。お友達の為にね)

 

 心の片隅から揶揄う様な声が聞こえる。(わかってる。頼むわね、レア――)

 

 

 身体が沈みこむ様な来賓用のソファに座りながら、榊は気不味げに正面に座る萩野の顔を睨んでいた。(しくじったな……)自分でも感情的な人間だとは自覚している。だというのに懇願する立場が頼み込む相手の顔を引っ叩いてしまうとは。幼いころから溜め込んできた父親に対する鬱屈した感情。要するに甘えだ。それをあんな安い挑発で引き出されてしまった。

 

「どうかしたのかね、祥子?」

「……何でもねぇよ」

 

 それを見透かしたように惚けた口調で尋ねる萩野に榊は苛立たし気に舌打ちする。

 

「……仲が宜しいんですね」躊躇いがちにクスっと笑うエリア。

 

「どこが――」

「いや、お恥ずかしい。娘は少し遅い反抗期の様でしてな。橘花に編入した後、一切の連絡が取れなくなっておりました。聞けば勘当されたと思い込んでいたという……」

「!? 違うのかよ」

「お前の編入の手配から学費、下宿の手配をしてやったのは誰だと思っているのだ。あの男(・・・)にそんな甲斐性がある筈が無かろう?」

「それじゃ……アタシは……」

 

(兄様の嘘つき。何が俺の家だよ……)榊は飄々とした兄の顔を思い浮かべて脱力した。

 

 何せ萩野の家を飛び出したつもりで、結局は父の掌の上で庇護されていたのだ。だが、勘当されていないのなら――

 

「なあ、濱松の道場にアイツは……ウィルの奴は居るのか?」

 

 テーブルに身を乗り出す様にして萩野に詰め寄る榊。萩野は黙って頷く。それさえ知れば十分だった。榊は勢いよく立ち上がると、

 

「ありがとな、エリア。この借りは必ず返すぜ――」

「え、ちょっと祥子さん――」

 

 呆気に取られたエリアを他所に駆け出す。アイツは春に来日した後、濱松の父の生家にホームステイしていた。もう気恥ずかしさとか、そういったのは無しだ。桂城に言われたようにアイツと直接会って――

 

「ウィル君に会って……それで如何するというのだね?」

 

 部屋から出ようとドアノブに手を掛けた時、冷水を浴びせるような落ち着いた声が榊の背を貫いた。愚問だろ……苛立たし気に振り返る。

 

「決まってるだろ。引き留めるんだよ。帰るんじゃねえってな」

「その資格(・・)が、お前にはあるのか?」

 

 無慈悲な問い。榊は唇を噛み締める。春の陽だまりの中で出会ったあの時(・・・)とは違う。立場的には留学生であるものの、彼は合衆国政府から戦術人形の戦技習得(・・・・・・・・・)という要請を受けている。今のハミルトンは父の友人の孫としてこの国に来た少年ではないのだ。いずれは、そう橘花の学生としての三年間を終える事無く帰国するという事は、榊にも初めから分かっていた。

 

「合衆国は日本の最大の、いや大戦後の世界においては唯一の同盟国だ。我が国はかつて単独でデザイアの侵攻を跳ね除けた。だが二十年続く戦争で疲弊した今、世界最大の国力を持つ合衆国の支援なしに戦い続ける事は難しい。あの時のような“神風”に期待する訳にはいかんのだ」

「アイツの送還は合衆国にゴマを擂るための交渉材料って訳かよ……!」 

 

 淡々と現状を語る萩野に榊は声を荒げ、詰め寄ろうとする。

 

「祥子さん、待って――」それを控えめな声が制した。

 

「――萩野議員は極東増派の見返りとして、合衆国に要求されていた鷹月の新型量産機である“雷神”のライセンスを提供されました。国家防衛の観点から見て危険と批判を浴びたこの譲歩があったにも関わらず、送還要請の撤回は叶わなかった……そういう事ですね?」

 

(エリア……?)いつもと変わらない自信なさげな物言い。しかし儚げな印象を与える彼女の灰青色の瞳が、今は蒼く輝く様に真直ぐに萩野を見据えていた。

 

「萩野さんはウィルさんの送還を止めようとしてくれていたの。取りあえず座って、祥子さん」

「どういう事なんだよ?」

 

 エリアに促され、気圧された様に榊はソファに座り直して父に問う。萩野はそれに沈黙を以って答えた。しかしその政治家の仮面に微かに漣が浮かぶ。

 

「合衆国は現在軍再建の最中です。国土がデザイアに蹂躙されていないかの国は、他国の戦いに介入してかつてのような火傷は負いたくないのでしょう。萩野議員が提示した“雷神”のライセンス提供は有益だった。増派に加えウィルさんの送還を撤回させるカードとして使えると萩野議員は判断されていた。しかし、それ以上に魅力的な案件をその後何者かが提示した(・・・・・・・・)のではないですか?」

「――驚きましたな」

 

 一瞬目を伏せ、萩野はエリアの正面からの視線を受け止める。それまでの年若い娘に対する諭す様な上からの態度とは違う柔和な、それでいて隙の無い雰囲気。それが萩野が本気(・・)になった証であることを娘である榊は分かっていた。かつて陽ヶ崎の宗家と対峙した時のような――

 

「親父も……アイツの事を何とかしてやろうとしていたのか?」

「勘違いするな、祥子。私は政治家だ。友人の孫、娘の大切な友人(・・・・・)とはいえ、一個人の為に私情で動く事は出来んよ。とはいえ私もお前たちの小隊の活躍は聞いている。故にその主要メンバーが引き抜かれるのを見過ごすのはこの国として得策でない、と判断したまでだ。だが彼等によって状況が変わってしまった――」

「神聖同盟って奴らか?」

 

 躊躇いがちに口を挟む榊。同盟について榊は、デザイアに関わる全てを排斥しようとする過激な思想集団、という世間程度の知識しか持ってはいなかったが、父が政治的に関わっているという事は知っていた。萩野はうむ、と頷くと苦り切った口調で答える。

 

「同盟は合衆国にとある技術(・・・・・)を無償提供したのだ。サーキットを持つ戦後世代が戦術人形を操るための技術をな」

「そんな馬鹿な――」

 

 思わず声を荒げる榊。それはあり得ない事だった。

 

「魅悠宇の親父が……鷲尾博士が開発した感覚変換(センスシフト)システムは、まだ小隊で試験している最中じゃないか。今の所カラーズ用に調整されているから汎用性も無いしな。サーキットを持たない連中を捜してパイロットにした方がマシなくらいだ。そんな未完成品を合衆国が欲しがるのかよ?」

「そうですね。リークではないとしたら独自開発の技術……神聖同盟は鷹月や政府とは別の、独自の研究機関を持っていると聞きましたが――」

「ああ。収容したリターナーや光教団(ルミナス)残党を用いた人体実験で悪名高き研究所(ラボ)――華那庵(カナン)がな。恐らく出所はそこだろう」

 

 ラボに対する隠しきれない嫌悪感が萩野の口調から滲んでいた。

 

「神聖同盟は合衆国を本拠とする結社だ。我が国より彼の国の意向を重視する。敵対する鷹月への牽制の意味もあるのだろうな」

 

(父様……)それを聞いて榊はホッと息を吐く。主戦派を率いる立場にある萩野は、その政治基盤として様々な勢力と繋がりがあった。清濁併せ呑むと言えば聞こえはいいが、その実反社会的な勢力の力も時として利用している。父の無私(・・)を知る榊としては噴飯モノなのだが、腹黒い姦雄(・・)というのが萩野利三という政治家に対する世間一般の評価だった。それをどこ吹く風としているのが榊の父に対する(わだかま)りであったのだが。

 

「それに加え信頼できる筋からの情報では、我が国の秘匿する人型戦術兵器(タクティカルドール)基幹技術のリークが何者かからあったという。それを受けて合衆国は今回の作戦に対する軍事的支援を保留とした。必要なカードを手にして欲が出たという訳だ。増派の条件として提示されたのが最新鋭TD“風神”の技術供与、もしくは――」

「――サーキット保持者かつTDでの実戦経験を持つウィルさんの送還、という訳ですか。戦技習得の命を受けての留学である以上、彼が拒否する事は難しい……」

 

 蒼い瞳に怜悧な光を湛えたエリアの問いに萩野は頷く。

 

「こんな時に裏取引かよ。これだから政治って奴は――」榊は吐き捨てるように呟く。要はハミルトンが政治交渉のカードに使われたという事だ。

 

 しかし、CR小隊でも試験中である“風神”は多大な予算を投入した戦術人形の最新鋭機である。同盟国とはいえ安易に譲渡できるものではない。一留学生と最新兵器。多くの議員が賛同するのはどちらかは明らかだった。苦汁の決断をしたであろう父の顔を見やり、榊は口を噤む。

 

金の鯱(・・・)作戦の成功には合衆国の支援が不可欠。理不尽であろうとこれが政治というモノだ。納得は出来なくとも理解するのだな、祥子」

「…………」

 

 何も言い返せなかった。何も出来ない――あの時のように――自分の不甲斐なさに榊は唇を噛み締める。(何か、打つ手は無いのか? 合衆国を動かしたのは情報(・・)だ。なら、それを覆す様なモノさえあれば或いは……) 

 

「あの……祥子さん。あなたにこの事を伝えた時、榊大尉は他に何か言っていませんでしたか?」

 

 眼を閉じ思案していたエリアが榊を見て躊躇いがちに尋ねた。

 

「他に、何か……?」

「榊大尉はあの来栖征史郎大佐の後継者として眞喜志指令と並び称された人物です。そんな方が、こう言っては何ですが、ウィルさんの件を伝える為だけに多忙な任地を離れたとは思えない――」

 

(――そういえば)榊は昨夜の兄との会話を思い出す。ハミルトンの事で頭が一杯になって家を飛び出した為にすっかり忘れていた。念のため身に着けたバックに入れてあるモノ。手渡された機密データ。眞喜志に渡してくれとの事だったが、誰かに奪われそうになったらサッサと渡せとも言っていた。自分の身を案じての事だとは思うが、公に出来ない機密データにしては扱いが雑だ――

 

(眞喜志以外でそれを託したい信頼できる相手が居るとしたら……兄様は絶対に認めないだろうけど、それはきっと父様だ。そもそも眞喜志相手なら信頼できる軍内部の伝だってある筈。それなのにこれをワタシに託したのは、こうなることを見越して? なら、この中のデータはアイツの送還を阻止するために使える代物かもしれない……)

 

 飄々とした態度で煙に巻きながら都合よく周囲の人間を動かす。互いに利を得られる形で。それが榊の兄、泰吾の流儀だった。缶ビールを片手にしたり顔をした兄を思い起こして榊は(なら言ってくれよ)と苛立ちを覚えるが、今はそれに縋るしかない。

 

「……何だね、それは?」

 

 片眉を上げて、萩野は榊がテーブルの上に置いた記憶デバイスを見やった。飾り気のない軍用の大容量メモリ。その表面には三本足の鳥らしきマークが刻印されている。

 

「これは八咫烏か。随分と大仰なことだな」

「とある作戦で回収されたモノらしい。兄様……"鉄屑"がそう言っていたよ」

 

 萩野の顔が途端に険しくなる。"鉄屑"とは泰吾が自らに付けた仇名だ。黄金を意味する仇名(ウルスラグナ)を持つ師、来栖征史郎。それには到底至らないという自戒を込めた蔑称。――尊敬する兄の自虐的なこの仇名を榊は嫌っていたが、兄を勘当している父の手前仕方がない。

 

「ほう、“鉄屑”がな」

 

 不機嫌極まりない声音で吐き捨てる萩野だが、それでも護衛官の一人に運ばせた端末へそれをセットして読み込ませる。ややあって投影ディスプレイに表示される文面を鋭い視線が追う。厳めしい表情の口許が微かに弛んだ。

 

(アタリ、か?)榊の胸が高鳴る。

 

「……成程、そういうことか。ふん、あの男(・・・)も偶には役に立つ」

 

 そう萩野が皮肉めいた笑みを浮かべた時、消魂しい警報が鳴り響いた。悲鳴と怒声。今夜の来客の迎え入れが始まったホテル全館は、忽ち騒然とした混沌に包まれていった――

 

 

 □□□狂騒曲の後で

 

「桂城志生君。例のテロリストに関しての情報は警察と憲兵隊へ連絡させてもらった」

「そうかい。ま、大事にならなくてよかったな。お互いの給料の為によ」 

「……うむ」

「にしても、コイツが鷹月のSSとはなぁ……」

「いいからお前は黙れ……時間を取らせたな。協力感謝する――」

 

 虚空に去っていく飼い主(・・・)との対峙から三時間後。事情聴取をようやく終えると、志生は足早に壮行会の行われたフロアへと向かった。宗平から与えられた本来の任務はエリアの身辺警護。リドミラをマークするためとはいえ、流石に彼女の傍を離れすぎだろう。敵は一人とは限らないのだ。

 

(あいつ、怒ってるかな)志生はエリアのむくれた顔を思い浮かべ苦笑する。最近の彼女は見違えるほど鷹月の姫に相応しい風格を身に付けつつあった。清楚可憐な大和撫子然とした容姿もそれを後押ししている。けれどその本質はかつての口癖の通りに普通(・・)であり、存外に感情的なのだ。その点は取り澄ました優等生を装う優奈と似ているな、と志生は思う。

 

 夜会は既に閉宴を迎え、ホテルのエントランスでは送りの車を待つ着飾った男女がそこかしこでグループを作り囁き合っていた。ホテル側と主催である萩野の手腕と言うべきか、壮行会は滞りなく行われたらしい。その内容は政界や経済、そして上流階級に流れる醜聞の類で、つい先ほどテロリストが侵入した場所にしては平穏そのものといえた。

 

(仮にいち政治家が死のうが、自分たちには関係ないって事か。呑気な……いや此処まで来れば逞しいというべきだな。いい国(・・・)だよ、日本て国は。敵はデザイアだけじゃねえんだがな)

 

 志生の口許に浮かぶ酷薄な笑み。この国の仮初の平穏とは裏腹に大陸では長きに渡り戦乱が続いている。デザイアとの泥沼の戦いもそうだが、より凄惨を極めたのはヒト同士によるものだった。

 "大戦"という未曽有の危機。デザイアという共通の敵に対し団結して戦った人類だが、奪還した支配域で始まったのは人類同士による勢力争いだった。旧政府軍と反政府組織の内乱、部族や宗教による諍い、果ては無法集団による略奪。そんな混沌の中人心を掌握し勢力を伸ばしたのが志生も所属していた光芒教団(ルミナス)だった。デザイアを浄化の軍勢として崇めるカルト宗教組織。少なくともデザイアは神のように分け隔てなく公平だった。人類に等しく死を与える絶対的存在として――

 

 

『志生、絶対にここから出ては駄目よ?』

『アヤ姉はどうするの……』

『自警団の人たちを呼んで来る。お父さんはお母さんに看て貰っているから』

 

 閉ざされた扉。地下室への入り口を隠す為に何かが被せられる。暗がりに身を潜め、息を殺して蹲る。だが奴ら(・・)は待っていてはくれなかった。ドアを蹴破る音。銃声と悲鳴。母の絶叫が父の死を告げていた。争う音が暫し続き、ドサッと床に倒れ込む音が聞こえた。訛りが強く聴き取れない現地の言葉。だがそれがとても嫌なモノ(・・・・・・・)だという事は子供の僕にもわかっていた。布を引き裂く音と母の悲鳴。そして獣の息使いが耳を覆っても僕の耳膜を揺さぶり続けた。

 

『止めて……娘は……』息も絶え絶えな母の声が、萎えた僕の心を覚醒させる。

 

(アヤ姉……?)ひと際下品な歓声が上がり、地下室の扉の近くに何かが投げ出された。その弾みで扉が微かに開く。差し込む光に誘われるように僕は背伸びをしてそこから外を覗き見た。

 

(――――!!)床に濡れ羽色の髪が広がっていた。あられもない姿で横たわる白い人形(・・)。力なく投げ出された四肢。時折その白い脚が跳ね上がり、何かを掴もうと掌がきつく握りしめられる。覆い被さって蠢く人の形をした肉塊(・・)が獣の息を吐く。周囲で幾つもの影が争うように白い肌に手を伸ばし、人の言葉によく似た耳障りな鳴き声を上げていた。

 

 鉄の悪魔(デザイア)とは違う、本物の悪魔たちの織りなす謝肉祭(カーニバル)

 

 迫る獣の息から顔を背けた白い顔がボンヤリと此方を見た。生気を失った灰青色の瞳に微かに光が宿っていた。切なく喘ぐ口許が微かに別の何かを紡いでいた。

 

(隠れていて、志生。わたしは大丈夫だから(・・・・・・・・・・)――)

 

 射竦められたかのように僕は扉を閉ざすと再び地下室の隅に蹲った。襤褸切れに包まって息を殺し、耳を塞ぎ硬く目を瞑る。大切な物が壊されて、汚されて、ほんの少し前までささやかな晩餐を楽しんでいた日常は粉々に砕け散って。痛い程に目に焼き付いて離れないあの光景を洗い流そうと流す涙は枯れ果てて。やがて宴は唐突に終わる。銃声が二発。狂ったように僕は泣き叫ぶ。地下室の扉が見つかるのにはそう時間はかからなかった。

 

 そう。それが僕の――

 

 初めて撃った銃の反動で腕が痛む。

 荒野の街道脇に頭を撃ち抜かれた死体が折り重なって倒れていた。

 

『気分はどうだ、坊主?』

 

 葉巻に火を点けながらカイゼル髭の男が僕に訊いた。僕は分からないと答えた。

 ただ望んだ事をした。それだけだった。引き金を引いた時の怒りも高揚感も消え失せ、無論罪悪感も無かった。アヤ姉たちはもう帰って来ないのだから。

 男の傍らに立つ赤髪の、僕より少し年上の少女が馴れ馴れしく僕の手を取って囁いた。

 

『一緒においでよ、シオン。まだ遊び足りない(・・・・・・・・)んじゃないの?』 

 

 

 場を塞ぐように群れて談笑していた参加者たちが慌てて道を譲る。戦闘で薄汚れたスーツに身を包んだ巨躯。それが平和に慣れ親しんだ彼等にとって関わり合いたくない類の臭いを濃密に発散させているからだろう。嫌悪と怯えの混じる囁き声。まるで白昼に殺人者を見るような視線。

 

(久しぶりだな。この感覚は)志生は薄く笑う。まさかアレを思い出すとは(・・・・・・・・・)。飼い主やあの女との再会。それが引き金となったのか、あるいはエリアの宿す姉の面影の為なのか。

 

 会場フロアへ向かうエレベータの前でぼんやりと立ち尽くす。

 

 あの人(・・・)に救われ、この平和な御伽の国にやって来て六年。陽だまりの中で僕然と、何かを取り戻せたと思っていた。けれど何も変わってはいない。喪われたモノが返ってくる事などは無いのだから。増悪の焔が鎌首を擡げる。来栖家での温かな暮らしを経てなお、それは志生の心で燻り続けてきた。脳裏に焼き付いてしまった薄暗い隠れ家で汚される彩音の姿。だがその炎にいつも優しく灰を被せるのは綾音の青灰色の瞳だった。

 

 今でも思う。どうして綾音はあんな目で俺を見たのだろう――

 

「……ったく悪趣味だな」

 

 ふと背後に感じた気配。それと同時に首筋に仄かに光る緑色の刃が突き付けられていた。

 

「なんとなく斬れそうだったので。……こんな簡単にシオの背中が取れるとは驚きましたが」

 

 引っ込められる光輝の刃。振り返ると赤毛の少年が苦笑いを浮かべていた。背の高さは自分と同じくらいだが、華奢で繊細なイメージ。育ちのよさそうな柔和な笑みを浮かべる顔立ちは、日本人とは違う彫の深さを有している。

 

「そんな理由で態々能力(エフェクト)を使って斬りかかるんじゃねえよ、ハミルトン……」

 

 被りを振って志生は溜息を吐く。こいつが本気なら死んでいた。隊の仲間である三番機ノトスのパイロット、ウィルヘイム・ハミルトンはそんな志生の姿を見て朗らかに笑った。

 

地上(・・)に戻ってきてくれたようで何よりです、シオ。まるで煉獄の焔で世界を焼き尽くしてしまいそうな顔をしていましたからね」

「いったいそりゃ、どんな顔だよ……」

 

 ハミルトンの勘の良さに舌を巻きつつも、志生は努めて軽薄に笑う。ハミルトンの端正な顔に物問いたげな表情が一瞬浮かぶが、彼はそれ以上は何も言わなかった。相変わらず苦手な相手だ。全てを見透かしているようで、それでいて一定のラインは弁えている。

 

「ところで、今まで何をしてたんだ?」

「……色々と野暮用(・・・)がありまして」

「それにしたって遅刻もいい所だろ、ハミルトン。騎士(ナイト)姫様(・・)をほったらかしにしたら駄目じゃねぇか。榊の奴、泣き顔(・・・)だったぜ?」

 

 せめてもの意趣返し。多分に脚色はしているが間違った事は言っていない。果たしてハミルトンは判り易く押黙る。彼が状況を変えようと足掻いていたのは間違いない。そんな擦れていない初心な反応を好ましく思い、志生はハミルトンの肩を叩くと、到着したエレベータに乗り込んだ――

 

 

「先刻は賊から師父(マスター)を護っていただき感謝しますよ、シオ」

仕事(・・)のついでだ。改まって礼を言われる筋合いはねーよ。逃げられちまったしな」

 

 深く頭を下げるハミルトンを制止て志生は事も無げに笑った。(彼には敵わないな……)志生に続いてエレベータに乗り込み、ハミルトンは溜息を吐く。

 

 バトルドレスでの白兵戦、タクティカルドールの操縦技術。どれも志生は隊員の中では群を抜いていた。日本人から英雄と呼ばれる来栖征史郎の事は詳しく知らなくとも、スペックで劣る旧世代機で最新鋭の風神と互角に戦う彼の技量はハミルトンの心を魅了した。あのように強くなりたい。素直にそう思っていた。加えて作戦時の細やかな心配り。言葉は朴訥で粗暴でも、その一言一句は確実に隊の皆を勇気づけていた。

 

 だが、同時に志生には繊細なガラス細工のような壊れやすい部分が内在している事もハミルトンは察知していた。それは口にする事がない凄惨な過去に起因しているのだろう。隊長であり志生の義妹でもある来栖優奈は、彼のそんな所に不満を感じているようだが――

 

(そんな詮索をする資格なんて無いか。大切なモノも護れずに、今もこんな事をしている僕には)

 

 自嘲に漏れる吐息。それを見た志生は苦笑すると珍しく真剣な視線でハミルトンを見据えた。

 

「お前は深く考え過ぎなんだよ、ハミルトン。真剣なのは悪い事じゃない。けどその結果何もしないんじゃ意味はねぇぞ?」

 

(そうだ。それがかつてショーコを傷つけてしまった。無謀な彼女を強く止めもせず、独りで行かせてしまった。結局僕は決断から逃げただけだ。だから今度は――)

 

 志生の視線を真正面から見返すハミルトン。すると志生の精悍な顔が二ッと笑う。

 

「ま、俺も人の事をとやかく言える立派な奴じゃねえがな。お前が此処に来たって事は吹っ切れたって事なんだろ? なら後は行動あるのみ、だぜ」

「分かってますよ、シオ。それに母国の同胞に、あんなモノを使わせるわけにはいかない」

 

 あの後、祖父が苦し気に明かした合衆国の軍備再編計画。不穏なものを感じ、今の今まで伝手を辿りその内容を探っていたのだ。

 

「神聖同盟が開発した、サーキット保有者が戦術人形とのリンクを可能とする新技術(・・・)って奴か」

「流石に知っていましたか。祖父はクルセイダー計画と言っていました。聖地より悪魔を駆逐する神の兵団という訳です。合衆国(ステイツ)の国内世論はこれ以上鷲尾博士のSSSの完成を待てなかった。僕が送還されるのはその為でしょう。けれど――」

「ああ。何だかんだ言って、鷲尾のオッサンは天才(・・)だ。他人が簡単に模倣(パク)れる代物じゃないぜ、お前らの使っているSSSって奴はな」

 

 サーキットとナノマシンの働きの類似性。それに着目したのが研究者としての鷲尾博士の独創性だった。そしてデザイア由来のフェリオンは素粒子レベルのナノマシンであるという仮説の元で開発されたのがSSSなのだ。デザイア由来なら技術すら排斥しようとする神聖同盟が思想的にこの発想に至る事はないだろう。彼らも純粋な軍事技術としてのSSSには期待してはいるものの、先行して開発に成功したという情報はない。

 

「同感です。故に神聖同盟が我が国に提供した制御システムは旧来のナノマシン技術を応用したモノでしょう。つまりは……」

 

「俺のご同輩(・・・)って事だな」志生の顔に似合わぬ陰鬱な影が差した。

 

 教団のアプサラスと呼ばれる少年強化兵(ブーステッド)は優れた身体能力を持つサーキット持ちの子供たちに身体強化と戦術人形とのインターフェイスを兼ねるナノマシンを注入する事で創り出されたと聞く。それは本来なら禁忌とされる行為だ。何故ならサーキットを構築するフェリオン粒子とナノマシンは干渉しあい、被験者に耐えがたい苦痛をもたらすからだ。殆どの場合は死に至るという狂気の所業……当事者であり数少ない生存者である志生は誰よりもそれを知っている筈だ。

 

「仮に当時よりマシになったとしても国際的に禁止されている技術には変わりありません。通常者へのナノマシン施術すら一定のリスクがあるというのに。SSSが完成すればそんな危険を冒す必要は無いんです」

「そうだな……今ではサーキットを持たない新生児なんて珍しい時代だ。カラーズが奇異の目で見られない程にな。ナノマシン施術できる戦前生まれのパイロットで一番若い眞喜志らの世代もナノマシン剥離が始まっている。今後デザイアと戦うためにもSSSは必要になるだろうさ……」

 

 エレベータが停止しドアが開く。志生は先に降りつつ、

 

「だがSSSは確実に新しい軋轢を生み出すことになるだろうな」と続けた。

 

「新しい軋轢?」後を追いながらハミルトンは尋ねる。良い事では無いと言うのか。

 

「サーキット保有者とそれを持たない通常者の身体能力の差は決定的だ。剣を得物にするお前なら分かるだろ? 達人に剣術を齧っただけの子供が勝ててしまう理不尽さを。それを現実にしてしまうのがフェリオンサーキットやカラーズの持つエフェクトなんだ――」

「――確かに戦前世代は僕達に多かれ少なかれ恐れと険悪感を持っているでしょうね。そんなコンプレックスをある意味押さえていたのがナノマシン処置……自分たちは戦術人形を駆れるという事でした。異物を受け入れてまで人類を護ってきたという自負。サーキットさえあれば何の処置もなくTDドライバーになれるSSSはそんな彼らの矜持を傷つける事となる」

 

 思案するハミルトンを見て志生は黙って頷いた。

 

「それに人類の誰もがサーキット保有者になる訳じゃない。俺達の世代でもナノマシン処置を受けて戦術人形で戦っている通常者が居るし、希少とはいえ今でもサーキットを持たない子供は生まれてくるんだ」

 

(そういう事か……)SSSはサーキットを持たない者には扱えない。マイノリティとなる彼らは能力だけでなくTD操縦士の立場もサーキット保有者に奪われてしまうだろう。そしてこの技術は今後確実に軍事以外にも応用されていく。その流れを止める事は誰にも出来ない。

 

「計画を進めている鷲尾博士や、眞喜志指令はどう考えているのでしょうか?」

「さあな……そういうのは当事者に任せるしかない。俺達も、物事には色々な見方があるって事は知っておくべきだけどな。……すまん、余計な事を言っちまった。兎も角、お前はやるべき事をやりゃあいいんだ。急ごうぜ、榊が待ってる」

「――わかっています」

 

 国家組織の思惑が絡む中、それでも自分がすべきことは決まっている。帰国しないという意志を伝える事だ。三年前と同じことを繰り返さないためにも。

 

「……そういえば、シオも罪作りですね」

「いきなり何だよ?」

「貴方にはユナという伴侶が居るというのに、このような場でエリアのエスコートをされているとはね。彼女の可憐さは認めますが、感心しませんよ」

「はぁ!? 何でアイツが出てくる? それにこれは御隠居からの依頼……仕事だ、仕事!」

「ふふ、ではそういう事(・・・・・)にしておきます」

「テメェ、勝手に納得してんじゃねぇよ!!」

 

 意を決すると蟠りは霧消し、自然と何時ものような軽口が零れた。

 

ごめんなさい(My bad)、シオ……でも感謝を(Thanks)

 

 真顔で揶揄われ、憤懣やるかたないといった体で立ち尽くす志生。それを他所に、ハミルトンは会場フロアへ続く廊下を何時になく軽い足取りで進んだ――

 

 

 □□□目覚め、始まる

 

 壮行会のフロアは既に人気も疎らに閑散としていた。会場近くの休憩スペースの椅子にエリアは腰を下ろし、ふう、と溜息を吐く。

 何度参加してもこういう場は苦手だ。鷹月の末姫という立場に群がる様々な人々。華やかさの影にある混沌とした欲望。以前薬を盛られた件を思い出し、エリアの背に怖気が走る。尤も今回は主催の萩野議員の主賓として扱われた事と、場慣れしている榊が巧く裁いてくれたおかげで、以前ほどの気疲れはしなかったのだが――

 

「これでよかったのよね、レア?」エリアは人知れず呟く。

 

(上出来よ。あのデータを見たハギノの様子から分かるでしょ。これで良い方向に事態は動く。うまくお友達を誘導してくれて助かったわ)

 

 いつもより上機嫌な”声”が脳裏に響く。珍しく自分に太鼓判を押す内在する少女、エレアノーラにエリアはホッと息を吐き、祝宴の間、緊張を強いていた身体を弛緩させる。大物政治家との対談に加えて、榊の懇願の手助け。それは鷹月としてまだ未熟な自分にとって荷が勝ちすぎていた。

 

(まぁ、この私の縁者としては、その位は出来てくれないと困るんだけどね)

 

 ……加えて自称異世界のお姫様の縁者にされている。御伽噺(ファンタシー)にしても設定過剰だろう。この二カ月余り彼女に振り回され、数奇な出来事で慣れてしまっているとはいえ、エリアは乾いた笑いしか出てこない。

 

「簡単に言わないでよ……」愚痴めいた呟き。

 

(もっと自信を持ちなさい、エリア。示唆はしたけれど実際に言葉を紡ぎ、ハギノと話したのは貴女なのよ? 貴女は貴女が思っているよりずっと人を動かす力を持っているんだから)

 

「でもわたしは――」

 

 思わず零れそうな言葉にエリアは口を噤んだ。わたしは普通だから――それはあの日、己の出自を知った時にもう口にしないと誓った逃げ出す為の言い訳。誰もが逃れる事の出来ない何かを持っている。優奈さんにウィルさん、祥子さん。内匠くんや魅悠宇ちゃん、そして志生さんだって。

 

(そういう事。私が保証するわ。……そうだ、今度交渉術の一環として殿方を篭絡する手管(ハニートラップ)を教えてあげようか? 色々(・・)役に立つわよ♡)

「……いらないから。そもそもレアってそういうのには疎そう(・・・・・・・・・・)だし」

 

 わたしと同じなら、と心の中で付け加える。どうやら図星だったらしくレアは沈黙した。

 

(……中々喰えなくなって来たわね。出会った頃はあんなに初々しかったのに――)

「人聞きの悪いことを言わないで。そんな事よりこの子、大丈夫かな……」

 

 ――苦し気な呼吸音。

 幼い少女がエリアの太腿に頭を預け、昏々と眠っていた。給仕服を纏い、青ざめた顔を歪ませている。この少女には見覚えがある。確か萩野議員の元を訪れる際に志生にぶつかってしまった少女だ。久し振りに親娘水入らずで話をする(榊曰く説教)という萩野父子と分かれ、志生との待ち合わせの場所に向った矢先、彼女が倒れていたのだ。どうやら帰途に就く萩野議員の見送りに何人かの仲間と随伴する筈が、彼女だけ急に具合が悪くなってしまったらしい。

 

(命には別条なさそうだけどね)

「何とかできないの? わたしを助けてくれたみたいに」

(無茶言わないで。私は生モノ(・・・)は専門外なの。死にかけていた貴女は特別なんだから)

 

 自分を救う為にレアは自らの身体を失った。天使の如き力を持つ彼女でも、あの力は濫りに行使できない類のモノなのだろう。生憎、周囲に人の気配は無い。近くの端末で警備室に連絡を入れるが、来客の送迎に加えて先刻のテロ騒ぎによる混乱が尾を引いている為に直ぐには来られないとの事だった。担いで運ぶ事も出来なくはないが、それはレアが止めた。彼女の症状がよく分からない以上、不用意に動かすのは危険だからだ。

 

(サーキット持ちの力で鷹月の姫の嫋やかな(・・・・)イメージを態々壊す事は無いわ)

 

(もう、そういう事言ってる場合じゃないでしょ?)レアの場違いな言動にそう言いかけた時、何やら言い争う声と共にこちらに駆けてくる足音が聞こえた。たった数時間離れていただけなのに懐かしい、ぶっきら棒なあの人(・・・)の声。それに加えて大人びた沈着な“彼”の声音。

 

(ほら、ね?)得意げに鼻を鳴らすレア。それと同時に彼女の気配はエリアの脳裏から霧散して行くのだった――

 

 

「あ、志生さん。こっちです」

 

 志生たちが壮行会の行われたホールまで来た時、近くの休憩スペースの椅子に腰を下ろした少女が手を振っていた。フォーマルなドレスに映える濡れ羽色の艶やかな髪。護衛対象にしてクラスメイトの鷹月エリア。そしてその傍らには給仕服を着た幼い少女が横たわっている。

 

「何かあったのでしょうか?」怪訝な表情でハミルトンが尋ねた。

 

「さあな。どうやら榊たちは先に帰っちまったようだが――」

「どうやら親子の話はうまくいったようですね。それなら師父とショーコは今夜は生家に戻ったのでしょう。行先は分かっていますから、お構いなく」

 

 安堵するハミルトンと共に心細げに手を振るエリアに歩み寄る。

 

「どうしたんだ、鷹月。その子は――」

 

 エリアから事情を聴く。フェイススキャンするまでも無くあの時の少女だ。彼女とぶつかったのがリドミラと接触する切っ掛けとなったのだが……

 

「大陸からの移民ですか……日本に来てもこんな子が働かねばならないのですね」

 

 ハミルトンが沈痛な面持ちで呟く。大陸の戦況より国益を優先する母国。その事を生真面目なハミルトンは自分の責任のように感じているのかもしれない。志生は彼の肩を軽く叩くと、しゃがみ込んで少女の容態を調べてみた。

 

「志生さん、わかるんですか?」

「前に言ったろ? こういうのは慣れてる(・・・・)って。素人の生兵法は避けたい所だが、この程度なら構わないだろ」

 

 何故か顔を赤らめるエリアと怪訝にそれを見るハミルトン。

 

「発汗と熱はあるようだが、そこまで酷いわけじゃない。脈拍、呼吸の乱れは神経からだな……病気というよりこれは――」

 

 この症状には覚えがあった。かつての日常の中で幾度となく。スキャンモードを起動。本来は戦闘用のモノで人間への使用には法的に令状が必要となるのだが、もしそうなら(・・・・)四の五の言ってはいられない。透過度を調整。神経系を重点的にチェックする。果たして――

 

「クソが……」歯軋りする志生。

 

「どうかしたのですか、シオ?」

「この子に何か……?」

 

 少女の神経系に沿って仄かに緑に輝くフェリオン反応がある。戦後世代の特徴であるフェリオンサーキット。神経に定着したフェリオン粒子は細胞と一体化し、宿主の身体能力を飛躍的に高めてくれる。実際、フェリオン自体に人体への害は無いのだ。

 しかしそれを包み込むように微細な金属反応が広がっていた。

 

「ナノマシン施術がされてやがる。これは拒絶反応だ……まだ軽度な方だがな」

 

 志生は少女の給仕服の胸元に手をかけると一気に引き裂く。忽ち蕾にも至らない微かな膨らみが露わとなった。

 

「ちょ、志生さん! 何をするんですか――」

 

 蛮行ともいえる志生の行為にエリアが非難の声をあげる。

 しかしそれは少女の鳩尾辺りに存在する小さな装置(・・・・・)を目にした事で当惑と沈黙へと変わった。中央に武骨な外部との接続コネクタを備えたそれは少女のあどけなさに比してあまりにも異質で、残酷なまでに彼女の人としての尊厳を否定していた。

 

「それは制御コネクタですね。何という事を……」

 

 嫌悪感に眉をしかめるハミルトン。体内に投与されたナノマシンを外部から調整するための制御コネクタ。戦術人形の操作の際は神経接続のコネクタを兼ねるそれは通常手首に設置される。ナノマシンによる肉体強化を受けた者による犯罪を防ぐため、外部から視認しやすい位置であることが求められているからだ。身体に異物を埋め込まれているという嫌悪感を与え辛い位置だから、という事もある。だがこの少女のそれはそんな意図からかけ離れた代物だった。まるで家畜の焼き印の如く、彼女が何者かの所有物であるかのように。

 

「……う、うう……」苦悶に顔をしかめる少女。

 

 志生は携帯しているケースから小型の端末を取り出すと、少女のコネクタに押し当る。

 

「それは……?」

「障害を起こしているナノマシンを一時的に無力化させるナノマシンドラッグ(・・・・・・・・・)さ。コイツは神経系には干渉しないから、これでしばらくは大丈夫な筈だ」

 

 ピクンと反応し、弛緩する少女。心なしかその表情は和らいだように見える。安堵するエリアとハミルトン。だが志生の心には焦燥が拡がっていく。

 

「この子の仲間(・・)は萩野の見送りに行ったんだな?」

「はい。萩野議員と祥子さん達は先に専用エレベーターで地下駐車場へ向かったので、その後を追う形になりましたけど――」

 

(そういう事か……)志生は拳を床に叩きつける。この子は失敗作(・・・)という訳だ。分かり切っていた事を、どうして予測できなかったのか。今にして思えばあの流れは偶然にしては出来過ぎだった。あの女に示唆されていたと考えるのが妥当だ。

 

「志生さん?」普段は見せる事のない激情に、エリアが怪訝に尋ねる。

 

「先程のテロリストは陽動だった? 給仕の子供達が全てこの子と同じナノマシン処置を受けていたとしたら――」

 

 少女に上着をかけてやりながらハミルトンが呟く。

 

「そんな……戦後世代へのナノマシン処置は出来ない筈では? ……もしかしてこの子……あの子達は志生さんと同じ教団(・・)の?」

「もしくは祖父の言っていた神聖同盟が開発した新技術によるものかもしれません」

 

 あの女(・・・)は『後は頼むわね』と言っていた。明らかに俺に何かを止めさせようとしていた。加えて飼い主(・・・)の存在。奴は教団の強化少年兵(アプサラス)を指揮する子供使いだった。奴らを雇ったのがあの(・・)鷹月重役の蒲生(がもう)浩司(こうじ)。外道のくせに妙な美学を持っている飼い主(・・・)の事だ。下衆な依頼主が気に喰わなかったという事か? だがあの女(・・・)は違う。

 

「――ショーコ、師父!!」

 

 同じ結論に至ったハミルトンが駆けだした。リドミラの仕掛けは子供たちが本命(・・)だったのだ。ドロイド対策は完璧でも、ナノマシン処置を施した子供の暗殺者という代物は、日本という国では盲点だろう。難民対策を主導する萩野は国内での印象とは裏腹に難民からの支持は厚かった。お礼の為に子供たちが萩野の見送りに行くのは別段不自然ではない。それも利用された――

 

「待て、ハミルトン。通常のエレベーターじゃ間に合わない。エリア(・・・)、お前の認証カードを貸せ。それからお前はこの場で待機。その子を看ていてくれ」

「――は、はい! 祥子さん達を頼みます」

 

 青褪めながらもエリアはカードを志生に渡す。大きな青灰色の瞳が真直ぐにこちらを見詰めていた。(こいつ、意外と肝が据わってるよな……)心の中でエリアへの認識を改めつつ、カードを差し込み専用エレベーターを呼ぶ。

 

「行くぞ、ハミルトン」

「……はい。頼りにさせてもらいますよ、シオ」

 

 ハミルトンの周囲に仄かな緑の燐光が渦巻く。彼のサーキットが緊張で活性化しているのだ。子供とはいえ相手がアプサラスなら油断は出来ない。志生もナノマシンの戦闘モードを起動する。

 萩野を護る陽ヶ崎の護衛が如何に手練れでもブーステッドとでは身体能力が違う。一刻の猶予もなかった。エレベーターを待つ時間が引き延ばされたように長く感じる。焦燥が胸を焦がす。

 

 ――だがエレベーターの位置を示す光点は途中で停止し、同時に周囲を闇夜の帳が包み込む。

 

畜生(Shit)!! こんな時に……」らしからぬ悪態を吐くハミルトン。

 

「そんな……停電ですか?」呆然とするエリアの声が聞こえた。

 

「いや、タイミングが最悪すぎる。“奴”の仕込みだ。あの時、屋上で派手にぶっ放したのは補助電源の電力供給システムを予め潰しておく為だったのか」

 

 それが分かった処で何の解決にもならなかった。高層にあるこのフロアから地下駐車場まで階段ではサーキット持ちでも十分以上掛かってしまう。加えてこの暗闇だ。

 

 養父を政略的に死に追いやった萩野という男は好きではなかったが、榊祥子という少女のハッキリとした物言いは嫌いではなかった。焦燥に駆られ壁に拳を打ち付けるハミルトン。厭味な程に冷静で、紳士然とした態度を崩すことのないハミルトンのこんな姿を見るのは初めてだった。

 

 ――御伽の国で得た、初めての仲間。

 

(俺一人なら間に合うかもしれない)暗視モードをオンにして志生は駆け出す。

 

 と、その時――

 

 

畜生(Shit)!! こんな時に……」

「そんな……停電ですか?」

「タイミングが最悪すぎる。これは“奴”の仕込みだ。あの時、屋上で派手にぶっ放したのは補助電源の電力供給システムを予め潰しておく為だったのか」

 

 突然の停電。直通エレベーターは停止し、館内の照明の全てが消えていた。暗闇の中、志生の怒りとハミルトンの絶望が伝わって来る。それはエレアノーラと融合した際に発顕(・・)した、エリアのエフェクト……“共鳴”(アンサンブル)によるものだった。

 

 暗闇が行く手を阻む。本来なら直ぐに置き換わる筈の補助電源は先に破壊され、復旧の見通しは立っていない。抜け目ない志生ですら予測できていなかった事態。少女達、いやアプサラスは既に萩野議員一行と接触している筈だ。個々の力は志生ほどで無いとしても、集団となればその戦闘力は一気に跳ね上がる。榊に“障壁”(イージス)のエフェクトがあるとはいえ長くは持たないだろう。

 

 心を研ぎ澄ませれば榊の千々に乱れた感情が伝わって来る。懸命に誰かを護ろうとする気丈さの中に時折弾けるハミルトンへの想い。エリアはその無事を祈る事しかできない。

 

(祥子さん……)わたしが橘花に来て最初に親しくしてくれた人。彼女の素直じゃない優しさ。出会って間もないわたしの事を友達(ダチ)と呼んでくれて。萩野氏と和解できた時のはにかむ様な笑顔。そしてウィルさんへの不器用な想い。二人の掛け合い(・・・・)は小隊のお約束だった。

 

 郁乃ちゃん、羽澄ちゃん。今はもう居ないわたしの友達。何も出来なかった無力なわたし。

 

(今だってわたし(・・・)にはどうする事も出来ない。だけど、やれる事はあるんだから……)

 

 エリアは意識を心の奥底へと沈降させる。そこにある己の根源(イデア)。そしてそこに刻み付けられた力の印。彼女(・・)を畏れたが故に触れ得なかった“力”。だけど今はそれしか縋れるものは無かった。

 

(そういえば、わたしから会いに行くのは初めてよね)何時も勝手に顕れては消えていく。彼女(・・)はそういう存在だ。

 

 意識の最奥に揺蕩う蜂蜜色の髪の少女の姿が見えた。眠っている。接触してくる時の煩わしさなど微塵も感じさせない、儚げな、触れたら壊れてしまいそうな、一人の少女の姿。古代王国の末裔にして機械仕掛けの騎士を統べる女王の娘。その者の名はエレアノーラ・フィル・クレネリア。真偽の程は分からない。けれど彼女が信じがたい“力”を持っているのは確かだった。

 

(お願いレア、力を貸して頂戴――)祈る様に呼びかける。

 

 それに応える様にゆっくりと少女の瞼が開く。蒼玉(サファイア)の瞳が揺れていた。

 

『来てしまったのね……エリア』どことなく哀し気に微笑むエレアノーラ。

 

(うん。翔子さん(友達)を助けて欲しいの。それが出来るのは、きっとあなたしかいないから)

 

 何時もとは違うレアの印象に戸惑いつつも、エリアは懇願する。

 

『願いを叶えるという事は、私と契約(・・)するという事よ。あの日、生きたいという願いの代価に、貴女は根源に私を受け入れる事となった。今度は何を私に捧げるというの?』

 

 諭す様に、押しとどめる様にレアは問う。

 初めから彼女との関係は契約だった。それは決まっていた事だった。ずっと昔から(・・・・・・)

 

(わたしをあなたに)そして自らの唇が信じられない言葉を紡いでいた。

 

『――何を言っているのか、分かっているの?』

(レアは初めからわたし(・・・)が目的だったのでしょう? あなたの目的(・・)の為に。あのピラーの襲撃はそれが原因で起きた)

 

あんな事(・・・・)、私は望んでなかったわ……』果たしてレアの言葉が震えた。

 

(でしょうね。でもその結果あなたはわたしを手に入れることが出来た。それなのに契約と称しつつも、わたしを自由にさせていた。それはあなたが優しい子だから。でも――)

『知った風な口を利くのはやめて。……ねえ、エリアはどうなの?』

 

 わたしの言葉を遮って、レアはわたしに尋ねた。

 

『私と契約……するの?』

(わたしは……)

 

 呆然とするわたしの眼前で志生さんが駆けだすのが見えた。けれどもう彼にだって祥子さん達を助ける事は叶わない。そして志生さんもきっと……わたしには分かっていた(・・・・・・)

 

(……するよ。わたしはレアと契約する)

『契約には何らかの代価が必要になる。その事を理解しているのね?』

(それでも構わない。必要ならわたしをどう使ってもいいから――!!)

 

 心からの叫び。そんなエリアにレアは諦めた様に微笑むと、優しく告げる。

 

『なら、もう何も言わないわ。でも覚えておいてね、エリア。“力”は貴女の中にある私の因子(・・)を目覚めさせる。それは彼の者達(・・・・)に感知される危険があるという事を。そして一つの根源に宿る二つの心とはフラスコの中の液体のようなモノだという事を』

 

 歩み寄るレア。

 蜂蜜色の髪を靡かせ、手にするは白銀の剣。

 跪き首を垂れるエリア。

 

 あなたに“力”を、そしてヒトに“希望”を(قدرت به تو، امید به دیگران)

 古代王国の姫君・エレアノーラの“祝福”が今、エリアを満たしてゆく――――

 

 

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