TIGHTROPE~Good luck with this worst encounter.   作:信濃 一路

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Episode 9 君が為に Vol.Ⅰ

 

 □□□Nightmare Memory

 

 深夜。

 暗い室内。

 乾いた大地には似付かわしくない緑あふれる庭園に囲まれた豪邸の、その主の寝室。

 

 そこで僕は息を潜めるでもなく、無造作に豪奢なベッドへと近付いていく。そこに二人の男女の気配があった。一人は年若い娘。もう一人は脂肪過剰な体躯の中年の男。親子ほどの年齢差の男女が一糸纏わぬ姿で四肢を絡ませて横たわっている。何かしらの行為の後なのか、二人の肌には珠のような汗が浮かび、息を荒げているのが肩の動きで判る。

 

『そいつが連合軍駐留の為の基地建設を推し進めている議員のリーダーか。神聖同盟の息がかかっているという噂もあるが国を憂う、いわゆる英雄的政治家って奴だ。ま、とんだ醜聞の現場を押さえたみたいだが、お前のやるべきことは至ってシンプルだ。……()()()、やれるな?』

 

 インカム越しに“飼い主”の声が聞こえる。無駄な事を聞く。そんな選択肢なんて僕には無いのだから。やれなければ死ぬだけだ。それもいいかな、と思いつつも無論そんなことは億尾にも出さない。さらに一歩近づく。流石にこちらに気付いたのか、気怠そうな濁った眼がこちらを凝視する。

 

(目標データ照合――)脳内のナノマシンが視界に映る人物が目標と一致する、と告げた。僕はホルスターから身の丈に合わない巨大な拳銃を引き抜くと、それを男へと向ける。

 

『――!? なんだ、君は――』こちらの意図を悟り、男の締り無く弛んだ顔が恐怖に引き攣った。その声に釣られて傍らの娘も身を起こし、目を見開いて硬直する。

 

 間髪入れずに僕はトリガーを引く。サイレンサーによる間の抜けた発射音が二発。ポンという音と共にベッドの上に赤い花が二つ咲く。そしてベッドに転がる頭の無い肉塊が二つ。

 

 ()()は終わりだ。頬に付着した血と脳漿を無造作に拭うと、僕はその部屋を後にする。

 それは教団の狗としての責務……それを果たす事だけがあの頃の僕の存在理由だった。

 

 

 ――そんな僕の記憶の原点は、唐突に始まっている。

 灼熱の砂とボロ雑巾のようになった身体。そして枯れた涙。

 

 それより前、自分が何処で何をしていたのか。それは靄がかかった様に朧で、夢のように現実感の乏しいものだった。記憶を何度も手繰ったけれど、その度に嘔吐して貴重な食べ物――家畜の餌同然のものだが――を無駄にしてしまう。だからそんなモノは無かったって思う事にしている。

 

 どうせ過去に今を変える力は無いのだから――

 

 あの日、僕は砂塵舞う砂漠の道路を移動していた。雲一つない高い空を見上げながら。周囲の大地は焼け付き、人はおろか小動物の一匹も見当たらない。

 

 僕の前には日本製の古ぼけたランドクルーザーが走っている。その荷台には銃を手に持った何人かの髭面の男達が乗っていた。しきりに後ろを見て嫌な笑いを浮かべている。

 そこに括り付けられたロープの先……そこに僕は居た。いや、正確に言うなら腕を括られて、仰向けに曳き摺られていた。最初はノロノロと走る車に合わせて懸命に走っていたけれど、子供の足でそんなに走り続ける事なんて出来やしない。

 

 もう何時間こうしているんだろう。悲しみに流す涙なんてとうに枯れ果てた。路面と擦れて消しゴムの様に削り取られた背中の激痛も、もう感じない。

 

 意識が跳ぶたびに目聡く“奴ら”は車を止めて僕に水をかける。砂漠では何より貴重な水を浪費してまで僕を叩き起こす。僕が何をしたっていうんだろう?

(もう、どうでもいいや……)そう思うとなんだか無性に可笑しくなって、口の端で微かに笑う。すると“奴ら”の一人が力任せに僕を殴った。何度も、何度も。気に食わねえ、と罵りながら。

 

 太陽が大地の果てに沈み始めた頃。“奴ら”はようやく僕という玩具に飽きたらしく、ロープを切ると何処かへと走り去っていった。

 残されたのは血と青痣に蔽われた、ヒトの残骸。僕は砂漠に一人裡捨てられた。

 

 夜が訪れると、砂漠は一気に冷えてゆく。痛みすら曖昧となった身体だというのに、突き刺すような冷気は妙にはっきりと感じられる。

 

(寒いよ……)身体も心も冷え切っていた。もう“奴ら”は居ないのだから、このまま眠ってしまえば楽になれるかも。そう思うのに、腫れ上がった瞼は下りる事は無い。悲しくて、寂しくて、悔しくて。大切なものが一瞬で奪われ、壊され、汚されていく。回顧を拒絶する記憶の断片。それらは瞼の奥で黒々と焼き付いて、ジリジリと痛い。

 

 この期に及んで、僕は死ぬのが怖かった。けれど一人で取り残された事が寂しかった。

 だから“奴ら”が去った方向から車のサーチライトが向かってくるのが判った時、歓喜を覚えたんだと思う。

 

 “奴ら”に()()()()()が残っているのなら、僕を殺してくれるだろうから。

 

 僕の期待に反して、車から降りてきた人物は“奴ら”の仲間では無かった。漫画のようなカイゼル髭を蓄えた軍人風の男。胸には見慣れないシンボルが刺繍されている。男は僕を厳つい手で助け起こすと、こう尋ねた。

 

『坊主……生き延びたものが、死んじまった者に出来る手向けは何か判るか?』

 

 意図が判らず、僕は呆けた様にその偉そうな髭の男を見やる。すると男は僕にズシリと重い物を手渡した。

 

『……!?』

 

 それは黒光りする“拳銃”だった。僕の知る、暴力の象徴。男が何事かを、部下らしき男達に此処の言葉で命じる。すると彼等の乗ってきた大型のバンから後ろ手に縛られた男達が、数珠つなぎになって引き出された。それは変わり果てた姿ではあったが、まぎれもなく“奴ら”だった。

 

『自分のやりたいことをやる事だ。死んじまった奴らには、もう出来ない事だからな……』

 

 僕の目の前に跪かされた“奴ら”が惨めたらしく命乞いをしている。

 

『坊主は今、何がしたい?』

 

 巌のような視線で“奴ら”を射すくめながら、カイゼル髭の男は僕に尋ねた。

 

( ワタシハ ダイジョウブ ダカラ )  

 

 誰かの声が聞こえた。

 その声が誰なのか判った瞬間、僕は激しく嘔吐した。胃には既に何も入っていなかったから苦い胃液を吐き、次いで血を吐いた。そしてそれが収まった時、僕は重い銃を持って、ふら付く脚で立ち上がった。

 

 照準を合わせ、トリガーを引く。

 砂漠の満天を覆う星空の元、乾いた音が立て続けに響く。

 

 あの日、僕の()()()は、思いのほか()()に終わった――

 

 

 

 □□□面影

 

(……夢、か。この最悪な気分も随分と久しぶりだな)生活感の無い殺風景な自室で少年は独り言ち、薄く眼を開けた。部屋の外に息を潜めた気配が二つ。人と、人間大の何か。それで覚醒したのだろう。スルリとベットから降りると音も無く玄関へと向かう。

 

 少年の名は桂城(かつらぎ)志生(しお)。橘花学園に通う学徒兵の一人だ。長身で筋肉質な、巨漢と言ってよい体躯だが、身のこなしはしなやかな豹を思わせた。

 

 熟睡していた為、着衣はトランクス一枚という情けない格好。以前の自分ならこんな無防備な姿で寝る事など無かったろう。日本に来て既に六年。警戒心が緩んでいるのは確かだった。

 

(一体誰だ? 俺なんぞ狙う奴がいるとは思えないが――)志生は怪訝に思いつつドアの陰に身を潜め、覗き穴から外を窺おうとする。とその時、無遠慮にガチャと鍵を開ける音がした。

 

(ちっ――)後手に回るのは趣味じゃない。志生は扉を自ら開け放つと、部屋に侵入しようとしていた人物の背後に素早く回り込み羽交い絞めにする。驚愕し、逃れようと身を捩る侵入者。逃がすまいと志生は手に力を籠める。

 

 ――むに

 

(……ん?)掌に伝わる、場違いに柔らかな感触があった。仄かに漂う柑橘系のシャンプーの香り。「な、な、な……」捕らえた()()()はぷるぷると身を震わせて何事かを言おうとしている。

 

「って、アンタは――」

 

 見下ろせば艶やかな濡れ羽色の髪が揺れていた。華奢で柔らかな、明らかに女性の身体。志生が手にしていたのはその豊かな双丘だった。慌てて束縛を解くと、侵入者――いや黒髪の少女は脱力してその場へとへたり込んでしまう。俯き、黒髪がシャワーのように顔を覆っている為表情はうかがえないが、小刻みに震える肩が彼女の心情を如実に表していた。

 

……の馬鹿……の馬鹿……の馬鹿……」少女の形の良い唇から呪詛のように微かな呟きが聞こえる。

 

(鷹月……エリア? どうして俺の部屋に? あ、そういえば――)志生は記憶の奥底から、彼女と約束をしていた事を思い出す。すっかり忘れてたな……と、謝罪しようとしたその時――

 

「個体名、桂城志生の不埒な行為を確認。お嬢様の安全確保の為、これを排除します――」背後から抑揚のない少女の声が聞こえた。

 

「待てよ、この鉄屑人形(ポンコツ)。状況をよく見ろ――」常人離れした速度で振り返った志生の網膜に、フリル過剰のスカートが翻るのが映る。

 

「問答無用です」真珠色の髪をした()()()()()()()が、容赦のない鋭い廻し蹴りを放った。

 

(ま、この恰好じゃな……)愚痴めいた思考が霧散する。咄嗟にガードしたものの人外の膂力で蹴り飛ばされ、志生の巨体は強かに廊下の壁に叩き付けられた。衝撃に脳が激しく揺さぶられる。「やめて、ターナ! 志生さん、大丈夫? しっかりして――!!」我に返った黒髪の少女が叫んでいる。それを微かに聞きながら、志生の意識は白濁していった。

 

(何でこうなるんだよ?)そんなボヤキと共に――

 

 

 乾ききった路地。

 虚ろに僕達を眺める難民の群れ。

 此処は何処だろう? 

 

 ……思い出せない。けれど心の中で何かが蓋をしているような、そんなもどかしい感覚。

 

 埃っぽい道を僕は歩いていた。急ぎ足で。前を歩く人に置いて行かれまいと懸命に。

 

 僕の視線の先で揺れる黒く長い髪。被り物の端から覗くそれがどんどん遠ざかっていくのを見た時、僕は形容しがたい感情に支配され、その人の名を叫んでいた。

 

 あまりに必死な僕の叫び。通りを行きかう人々が一斉にこちらをを凝視する。その人――艶やかな黒髪の女性はヤレヤレと肩を竦めると、

 

『もう疲れちゃったの、志生? だらしないなあ』

『だって()()()の歩くの、速いんだもん』

 

 口を尖らせてそう言うと、僕はそっぽを向く。けど、本当はそれが全部じゃない。

 

 自慢になるけれど、僕の姉さんの綾音(アヤネ)は美人だった。綺麗な黒いロングヘア。スッキリとした顔立ち。そして気立ての良い、優しい性格。此処では僕たちはよそ者だったけれど、アヤ姉は近隣の皆に愛されていた。今日もお母さんに頼まれたお使いで、街の人たちと親し気に会話をしていた。

 

 けれど――

 

 僕はそれが気に喰わなかった。単に親し気なら嬉しい事だけど、中にはあからさまな視線でアヤ姉を見る連中もいたから。だから僕はわざとゆっくり歩いた。多分、アヤ姉を困らせて気を引きたかったのだろう。そんな事はお見通しだったのかアヤ姉はどんどん先を歩き、慌てた僕は逆に泣きつく羽目になった訳だ。

 

『しょうがないなぁ……』苦笑交じりで笑うアヤ姉は、腰を落とすと此方に背を向ける。その意図することを悟ってボクの頬が紅潮した。駄々をこねておんぶして貰うなんて餓鬼もいい所だ。

 

『やだよ、皆に見られたら恥ずかしいし……』

『此処でわんわん泣いてる方が恥ずかしいってば。ほら早く。置いてっちゃうぞ?』

 

 有無を言わせないアヤ姉の言葉。僕は慌ててその背中にしがみ付いた。

 

『それじゃ、帰ろっか』

『うん――』

 

 そんな様子を見た人々の微笑まし気な笑い声。周囲の視線から逃れる様に、僕は豊かな黒髪に顔を埋める。僕の知らない日本の歌を口遊むアヤ姉の髪は、ほんのりと柑橘系の香りがした――

 

 

「志生さん、志生さん!」

 

 頭上から聞き覚えのある少女の声が聞こえた。自分は誰だ? 此処は何処だ? 何をしていた? ……混濁する記憶を振り払い、兵士としての感覚が素早く状況を把握してゆく。硬い床。そこに横たわる自分。身動ぎをすると身体の節々が痛む。後頭部は柔らかな感触。仄かな温もり。(膝枕ってやつか。まあ、この位の役得は――)

 

「時間の無駄です。さっさと電気ショック(AED)を加えましょう」

 

 今度は少し冷たく響く少女の声が聞こえる。空気を読まない物騒なその提案に、志生はわざとらしく咳ばらいをする。

 

「壊れた物は叩けば治る的なアナログ発想はやめろっての……この暴力メイド」

「やはり起きていましたか。流石に頑丈ですね、志生様」

 

 眼を開けると白髪のメイド服の少女――ターナが澄まし顔でこちらを見ていた。視線をさらに上に向けると泣きそうな顔でこちらを見詰める黒髪の少女――鷹月エリアの顔があった。彼女は私服というよりはフォーマルなドレスで身を包んでいる。志生はターナの皮肉をさらりと流すと、

 

「確か政治屋さんのパーティーへの付き添いだったか。悪い、鷹月。すっかり忘れてた」

「ごめんなさい。やっぱり迷惑ですよね。別にいいんです。わたし自身、乗り気じゃないから」

 

 明らかに気落ちした風に、エリアは微笑んだ。相続権を持たない身であっても、総帥の孫娘、鷹月の末姫という肩書は普通であることを許さない。その煌びやかな世界は知らぬものにとっては魅力的に映る。だが彼女がそういった場が苦手であることを護衛をしている志生は良く知っていた。

 

(肩書は神聖同盟から守るため、か。確かに命あっての物種とは言うが――)志生はエリアの姿を仰ぎ見る。エリアがどんなに厭おうと、鷹月の末姫に相応しい秀麗な容姿は、鷹月という血族組織にとって利用価値がある。そしてその容姿故に被る()()()もある。そういった諸々からエリアを護るのも志生の()()だった。身辺警護だけなら宗平翁がエリアの従者に付けたターナで十分だ。しかし模倣義体であるターナが要人のパーティーに参加するのは、露見した場合の問題が大きすぎた。

 

「今夜のは主戦派の萩野(はぎの)議員主催の壮行会だよな。……ってことは同盟(奴ら)も少なからず出席するだろう。アンタと違って一介の帰還者(リターナー)である俺としては君子危うきにって奴なんだが――」

「志生様! マスターの依頼を無視するのですか?」

 

 面倒臭げに肩を竦める志生に、食って掛かるターナ。それに応えず志生は身を起こすと、ひらひらと手を振って部屋へ歩み去ろうとする。背中の古傷が微かに痛んだ。

 

「……!?」背後で息を呑む気配。

 

「……どうかしたか?」

「いえ……無理を言ってごめんなさい、志生さん」背後でエリアの寂しげな声が聞こえた。

 

「でも、わたしは行きますね。これ以上()()()の立場を悪くすることはできませんから」

 

 エリアはきっぱりとそう言うと、ペコリと頭を下げる。今の生活を続けたいというエリアの立場を護るために宗平は鷹月内部でかなりの無理を通していた。それは彼の政敵には奇貨であり、鷹月内部での立場を危うくするほどのモノであった。

 

(無理しやがって……)しかし志生は内心で舌打ちをする。前回の鷹月幹部の集うパーティーの最中、エリアはとある男に睡眠薬を飲まされていたからだ。警備員に扮してその場に居た志生によってその時は事なきを得たが、男の意図は明らかだった。そんな目に遭ってなお責務を果たそうとする所がエリアの生真面目さと優しさなのだろう。突然突き付けられた真実だというのに。

 

「しょうがねぇな――」志生は自らに言い聞かせるように呟くと、

 

「御堅い席とはいえリッチなタダ飯が食える機会はそうそうないからな。案山子役でいいなら付き合ってやるよ」そう言って精悍に笑った。

 

「……! ありがとうございます、志生さん」

 

 気丈に振舞っても余程不安だったのだろう。安堵の吐息と共に志生の手を取って喜びを露にするエリア。距離が近い。夜会用のドレスの大きく開けられた胸元。志生はさり気無く視線を逸らす。

 

「エリア様……時間が押しております。志生様もその()()で出席されるつもりですか? とっとと着替えて下さい。ちゃんとドレスコードを守ったお召し物に――」

 

 そんな二人の間に入って不愛想にターナが指摘する。言われなくともトランクス一枚のガサツな大男がドレス姿の清楚な少女と見つめ合う姿はかなりシュールだ。ようやく志生の格好に気付いたのか、エリアは慌てて飛び退くと顔を赤らめる。

 

「其れ位わかってるって。御隠居から貰った礼服があるから、あれでいいだろ? こういう時、男は楽でいいよな~」

「……最低限ですが、まあ合格としましょう。お嬢様のエスコート役には全然足りませんが。志生様も身嗜みにもっと気を配るべきかと……性格は兎も角、素材は良いのですから――」

 

(どの口が言うんだよ……)クドクドと小言を続けるターナに憮然としつつ、志生はエリアたちを残して部屋に戻った。部屋の奥、飾り気のないクローゼットから以前の任務で支給されたスーツを取り出しながら、志生は呟く。

 

「しょうがないなぁ……か。アヤ姉……」

 

 志生の脳裏にリフレインする今はもう居ない大切な人の台詞。あの時の姉もそんな気持ちだったのだろうか。鷹月エリアの縋るような眼差し。アレを見たら断れっこないじゃないか。彼女の纏う姉の面影に絆されたというのか。教団の戦闘機械だった自分が、随分甘くなったことだ――

 

(結局、()()()()()()が、俺を人間に戻してくれていたって事か)

 

 命の恩人と、そして最も長い間一緒に過ごした同世代の少女。世話になった宗平の依頼であるこの任務に乗り気では無いのは、何処となく気まずさを感じているからだ。この一カ月の間、アイツ――来栖(くるす)優奈(ゆな)と接する時間は激減していた。やっと優奈が蟠りを振り切ってくれたというのに。

 

 ――ふと脳裏にあの機械の“戦士”の言葉が過ぎる。

 

『貴様も分かっているのだろう、桂城志生。あの娘(優奈)“英雄“(ウルスラグナ)には成れない――』

 

 エリアを護るよう自分に依頼した、エリアの別存在である金髪の少女(エレアノーラ)に仕える、自分たちとは明らかに異質な存在。そんな“彼”が何故、優奈の事を知っていたのだろう。そして自分の事も。水無瀬や鷲尾は“彼”を機械仕掛けの騎士(Machinery Knights)の登場人物、シオン=スレイマンに見立てていた。仮想訓練の暴走時、小隊機に残されたログにもそれらしきものが残されているが……

 

()()()、か……ふん、馬鹿々々しい)そんなものは所詮ゲームの設定に過ぎない。大した意味も無く付けられた、ありふれた名前。志生はかぶりを振ると不毛な妄想を脳裏から振り払う。

 

 兎も角、あの地下街での一件から、自分たちの周囲で何かが変わり始めている。エレアノーラにシオン=スレイマン。物語世界から顕れたかのような異質な者たちとの遭遇。デザイアとは敵対しているように思える彼らの目的は何なのか。そして何より、朧気だった筈の姉の面影を想起させるエリアという少女の存在。

 

 正直、込み入った状況というのは苦手だ。志生は薄く笑い、かつての“飼い主”の言葉を思い出す。複雑な状況下では迷うな。決断はシンプルに、プライオリティの高いものを優先しろ。

 

「一介の兵士に出来る事なんざ、ハナッから限られてるからな。今俺がやるべき事は――」

 

 決まっている。戦場で優奈を、小隊の皆を護ることだ。戦争が、次の作戦がどうなろうと。それに訳の解らない状況をどうにかするのは、俺には荷が勝ちすぎているしな……矢張り作戦はシンプルな方が良い。

 

「志生様、まだですか? まさかネクタイの締め方が分からないとか言いませんよね?」

 

 インターホンから催促するターナの声が聞こえた。手首の端子(コネクタ)を隠すために愛用している軍用時計で時間を確認。まだ五分と経っていない。機械の癖に性急なターナに苦笑しつつ、志生は慣れぬ所作でスーツを身に着けてゆく。

 

『わたしは大丈夫だから……』薄闇の床に拡がる黒い髪。追憶の中の姉の微笑み。

 

(二回目は御免だからな――)心の中でそう呟いた時、志生は背後にひりつく様な重圧感(プレッシャー)を感じた。眼前の鏡には何も映ってはいない。しかし志生にはそれが何者なのかが分かった。

 

「護れるのか? 貴様に全てを――」

「……安心しな。ついでにアンタの()()()も護ってやるからよ」

 

 唐突な来訪者に軽口を叩きつつも、志生は身動き一つ取れない。静寂。冷たい汗が額を流れる。来訪者はそれ以上語ることはなく、時間だけが刻々と過ぎてゆく。

 

「志生様、いい加減にしてください――」入り口のドアが開く音が聞こえた。焦れたターナがエリアを伴って此方へ向かってくる。

 

「馬鹿、来るんじゃねぇ!!」思わず志生は叫び、その勢いのまま後ろを振り返った。しかし――

 

「あの……どうかしたんですか?」

「いったい何を騒いでいるのですか、志生様は」

 

 そこにあるのはキョトンとこちらを見詰めるエリアと不機嫌そうにジト目で睨むターナの二人の姿だけだった。狐に抓まれたかのように振り返った姿勢のまま硬直する志生。そんな志生に呆れつつ、値踏みするかのように身嗜みをチェックするターナ。

 

「ふむ、流石に準備は整っているようですね。それでは行きますよ、志生様」

「……ああ」

 

 ターナに追い立てられるように自室から出て施錠する。階段を降り、一階にある“楽園”の店内から外へ出ようとすると下宿主でもある店長がエリアを見てホホ、と意味ありげに笑った。頬を赤らめるエリア。部屋の鍵を渡したのはアンタかよ……先程の騒動を思い出して志生は溜息を吐く。

 

 店の外に出ると鷹月のリムジンである大形の自動運転車が狭い路地に停車していた。微かな音を立ててカメラアイがエリアを視認すると自動的にドアが開く。後部座席にエリアに続いて収まると、ターナが静かにドアを閉める。

 

「行ってらっしゃいませ、お嬢様。それでは志生様、後は宜しくお願いします」

「ありがとう。お爺様をよろしくね」

「寄り道せずに帰るんだぜ?」

 

 一瞬、キッと志生を睨んだ後、エリアに優雅にお辞儀をするターナ。洗練された所作は、流石メイドとして設定されたAIだけのことはあった。

 それが合図であるかのように滑るようにリムジンは発進する。小柄なターナの姿は忽ち遠く小さくなってゆく。路地を抜けて大通りへ。窓の外の街灯が流れてゆく。

 

「あ、あの……やっぱりご迷惑でしたか?」

 

 シートに窮屈そうに収まった志生をチラチラと見ながらエリアが尋ねた。薄く眼を開ける。何もする事がない時は徹底して体を休める。叩き込まれた兵士の習性が、エリアには不機嫌そうに映ったらしい。志生は頭を掻くと、

 

「そんな事は無い。アンタと居ると退()()()()()()()()」そう言って再び目を閉ざす。

 

「え? それってどういう……」エリアの頼りなげな物言いは相変わらずだ。意固地に『わたしは普通だから』と言い張る事は無くなってはいるものの――

 

 当然だろう。

 鷹月の一族になろうが、仮に物語世界の姫(エレアノーラ)の人格を内包していたとしても、エリアという少女が別人になる訳ではない。ヒトには何があろうと変わらない本質(イデア)がある……かつて()()()はそんな事を言っていた。そしてどんなに酷似した容姿だとしても綾音とエリアは別の存在なのだ。

 

(なあ、()()。アヤ姉はもういないんだぜ?)何処かからそんな声が聞こえる。

 

 それは自らに言い聞かせた言葉なのか?

 それを知る由も無く、呆れるエリアの隣で既に志生は高らかな寝息を立てていた――

 

 

 

 □□□What is this feeling?

 

 エリアたちを乗せたリムジンは高速道路を軽やかに飛ばしていた。今夜のパーティーの会場は萩野議員のお膝元であるS県濱松市。そこのリゾートホテルを借り切って行われる大規模なモノで、間近に迫った名児耶ピラー攻略戦の壮行会……というのがその目的だ。

 

 濱松市は鷹月市からは最短で三十分ほどの距離にある。鷹月のお膝元ではあっても一地方都市に過ぎない鷹月市とは違い、濱松市は近隣に空港と国防軍の基地を有するS県の中核都市だった。大きな橋の向こうに見える街灯り。デザイアに抑えられた名児耶に代わって都市機能を移植された最新の街並み。地方出身者(田舎者)であるエリアにとって、それはかつて憧れた“都会”そのものだった。

 

 友達に誘われて何度も遊びに行き、羽を伸ばした思い出。それはたった二か月前の事だというのに、なんだかとても懐かしい気がする。今のエリアにはその頃の高揚感は無かった。学生、学徒兵としての生活に加え、鷹月の姫としての役割。自ら選んだ事ではあるものの、その重課は自分を確実に疲弊させている。それに――

 

(郁乃ちゃんも、羽澄ちゃんも……もう居ないんだもの)

 

 きっと、あの頃の様に街に出ても無邪気には楽しめないだろうから。車窓に頬を寄せ、ボンヤリと思う。わたしは変わった。自分の出自、本当の両親の事。そしてわたしの中に居る“彼女”の事。

 

 でも嫌な事ばかりじゃない。

 

 CR小隊(Code Rainbow)。わたしの新しい居場所。

 

 眞喜志(まきし)指令と鷲尾(わしお)博士。

 内匠(たくみ)君と魅悠宇(みゆう)ちゃん。

 ウィルさんと祥子(しょうこ)さん。

 そして志生さんと優奈さん――

 

 ()()()()()()()()()わたしを受け入れてくれた小隊の皆。彼等と共に過ごした橘花での、このひと月の学生生活は、わたしにとって今までにない充足感のあるものだった。友達の事を忘れたわけではない。けれど然るべき所に自然と納まった様な、不思議な安らぎをわたしは感じていた。

 

 ――それにしても。

 

 さっき見た志生さんの背中の傷。再生治療のある現在、一体どんな目に遭えばあんな酷い傷が残るのだろう。志生さんは軽く語る過去。けれど、きっと口にすら出来ない哀しい事があった筈だ。それなのにどうしてこんなに快活で居られるのだろう。

 

(志生さんの事、もっと知りたいな……)ぽつりと呟いた一言にエリアは狼狽え、慌てて志生の寝顔を確認する。よかった、大丈夫だ。ホッと胸をなでおろす。と、その時、

 

(幸せそうな顔しちゃって。然るべき所ねぇ……それは“彼”と一緒だからじゃないの?)

 

 脳裏に響く自分ではない自分の声。同じ声の筈なのに全く違って聞こえる、凛とした人を動かす側の声。それは何処となく面白がっているようだった。

 

「レア……随分と久しぶりね」エリアは深く溜息を吐くと車窓に映る自分に話しかける。蜂蜜色の輝く金髪をした自分……()()古代王国の末裔であるエレアノーラ姫が悪戯っぽく笑う。

 

(鷹月邸以来かしらね。まあ、時々あなたが眠っている間に身体を貸してもらったりはしたけど)

「ちょ……変な事には使ってないよね」

(どうかしらね……そこで寝ている“彼”に迫ったりしておいた方がよかった? 下宿もお隣さんなんだし。()()()()プロポーションには自信あるのよね♡)

「~~~~!! やめて、お願いだから……」

 

 本当に姫君なのか怪しく思える姦しい会話。まるで女友達と話しているかのようだ。とはいえ実際に声に出している訳ではない。思考したことが相手に伝わり、相手の言葉も直接脳内で再生される。エレアノーラ姫――レアの扱いに、エリアはようやく慣れて来ていた。唯我独尊、こちらからの問いかけには一切答えない点は、やはり癪だったが。

 

「そもそも志生さんには優奈さんがいるでしょ?」心の声が上擦る。火照った頬と心臓の鼓動。

 

(ふーん? それって資料にあったヤマトナデシコ?……それともシノブコイって奴なのかしら。私にはよく分からない感覚ね。そういうモノなの?)

 

「そういうモノなの!!」納得いかなげに食い下がるレアにピシャリと言い放つエリア。

 

 一体何なのよ、この子は……エリアは憮然とレアを睨みつけた。確かにわたしは桂城志生というぶっきら棒な少年に好意を懐いている。好き、なのかもしれない。けれどどうしてレアはやたらとわたしの背を押して彼に突貫させようとするのだろう。大方は悪戯心なんだろうけど……でも――

 

「……ねえ、レアはシオンの事が好きだったの?」思わずそんな問いを唇が紡いでいた。

 

 何故そんな事を聞いたのか?わたしには分らなかった。けれど“機械仕掛けの騎士”――羽澄ちゃんが好きだったVRMMOにおける物語で、エレアノーラ姫は守護騎士シオン=スレイマンに想いを寄せていた。狩野のお父さんが開発者だった事すら今まで知らなかった、不熱心なプレイヤーであるわたしですらその事は知っている。

 

 ――滅びゆく古代王国クレネリアで行われた一つの儀式。それは大いなる母神の巫女であるエレアノーラ姫を依り代に転移門を顕現させ、機械の身体を得た英雄を使役する力を持つ異界人(プレイヤー)を召還する事だった。蛮族の侵攻からその儀式を護る為、守護騎士シオン=スレイマンは勇戦の果てにその命を散らす。そしてエレアノーラ姫自身も儀式によって、その魂は転移門に未来永劫囚われる事となる。異界人を導く水先案内人となる為に……

 

 ()()()()()()“機械仕掛けの騎士”の前日譚ではそう語られている。悲恋に終わった守護騎士シオンとエレアノーラ姫の恋――

 

「……どうなの?」

 

 レアをゲーム内の人物と同一だとする荒唐無稽な問いだ。けれどわたしには確信があった。彼女の語る情報の断片。不必要なまで符合する設定。偶然の一致とするには不自然すぎるのだから。

 

(……鷹月エリア。それを聞いて、どうするの?)冷静な口調に滲む生々しい感情の迸り。心の中の大切なモノを思慮なく覗かれたかのような――それはわたしの問いを彼女が肯定している証左といえた。それなら――

 

「馬鹿にするのはやめて――」強い憤りを感じ、わたしは心の中で叫んだ。果たして窓に映るレアの表情に戸惑いが浮かぶ。

 

「わたしと貴女は違う……そう言ってくれたのはレアよ? それなのにレアは、あなたのシオンへの想いをわたしと志生さんに重ねている。そんなのは嫌……嫌なの――」

 

 わたしはわたしだ。あの日、自分が何者かを知った時から強く抱くようになった想い。ううん、違う。それはずっと幼いころから、記憶が朧げな頃からあったような気がする。時折見るわたしではないわたしの夢。彼女にわたしが塗り潰されてしまう様な畏れと共に。

 

(――確かに、そうね。ごめんなさい、エリア)

 

 予想に反して神妙に謝るレア。彼女には根本的に悪気は無い。そして彼女は命の恩人でもある。微かな罪悪感を覚え、エリアは質問を変える。

 

「分かってくれればいいの。でも、そろそろ教えてくれない? レアたちが何者で、何が目的なのかを。宿主であるわたしはあなたの()()()なんだから。ね?」

(……それは無理ね。わたしの口から伝えたら、真実は()()になってしまうから――)

 

 どういう事? それを尋ねる間もなく、何時ものように唐突にレアの気配はエリアの脳裏から去っていた。窓に映る自分の顔を見やりながらエリアは深く溜息を吐く。

 

(やっぱりレアは“機械仕掛けの騎士”のエレアノーラ姫よね。でもどうして架空の存在(ファンタシー)である彼女が現実に干渉できるのかしら。狩野のお父さんが開発したという“機械仕掛けの騎士”……あれは本当に只のゲームなの? もし違うのだとしたら何のために? お爺様は何か知っているの?)

 

 

 

 □□□会場にて

 

 壮行会の会場となるリゾートホテルは湖畔にある小高い丘の上にあった。駐車場の管理AIの指示に従い、自動運転車は整然と並ぶ高級車の車列に加わると、音も無くドアを開いた。

 

「流石鷹月のリムジン。座り心地が良過ぎだな……このまま寝てたい気分だぜ」

 

 車内からのっそりと姿を現した志生は、生欠伸を噛み殺しながら大きく伸びをする。そんな志生を呆れた様に見やってエリアは、

 

「よくあんな短時間で熟睡できますね。志生さんには狭くなかったですか?」

「いんや。戦術人形のコックピットに比べたら高級ホテルのベッド並みだ。よく眠れたよ」

 

 快活に笑う志生。優れた兵士の条件はどんな状況でも眠れる事、というのがあった気がする。そんな志生とは裏腹に、エリアは既に憔悴したような気分だった。

 レアの言葉で増殖した疑問。そして志生と二人きりでいる事。それらが組み合わさって、エリアには三十分ほどの道中が数時間にも感じられたのだ。

 

「それじゃ、行くか。()()()()()()、どうぞこちらへ……」

 

 そんなエリアの心情を慮る事無く、お道化た仕草でエリアの手を取る志生。それは身に着けたスーツのせいか意外な程に様になって見えた。早鐘を打つ様に高まる鼓動。

 

「あ、あの……一人で歩けますから」

「そうか。御隠居に教わったんだが……流石に餓鬼じゃあるまいし、手を引く必要はねぇよな」

「…………」

 

 こういう人だから。優奈さん、苦労してるんだろうな……そんな手前勝手な落胆を懐きつつ、エントランスを抜け、ホール直通のエレベーターに乗る。と、その時――

 

「お待ち下さいませ――」ドレスの裾も露わに駆けこんで来る少女が居た。

 

 彼女が乗ると同時にドアが閉まり、エレベーターは上昇して行く。息を整えながら、少女は汗ばんだドレスの胸元を摘まんでパタパタと仰ぐ。そんな様子をニヤニヤと見守る志生。それをジト目で睨むエリア。

 

(綺麗な人だな……)年の頃はわたしと同じくらいだろう。群青色の長い髪。恐らくはカラーズ。吊り目がちの、凛々しい顔立ち。女性としては長身で、スラリとした印象。無作法なようでいて、所作の節々に持って生まれた育ちの良さが窺える。けれど――

 

(でも、何処かで?)エリアは何故か強い既視感(デジャブ)を感じた。

 

「馬子にも衣装って奴だな」意地悪そうに笑う志生。

 

「……言ってろ」舌打ちをする少女。そのボーイッシュな荒っぽい口調には覚えがあった。

 

「もしかして――」どうして彼女が此処に?

 

 エリアの驚愕にニヤリと笑う少女。ウィッグを取ると癖のあるショートカットが露わとなる。

 

「桂城、それにエリア。ワタシに力を貸してくれないか? お前ら以外に頼める奴はいないんだ」

 

 余程切羽詰まっているのだろう。CR小隊、二番機パイロット(さかき)祥子(しょうこ)は懇願するようにそう言うと、二人に深く頭を下げるのだった――――

 

 

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