文章は後で手直しする可能性があります。
私がこの旅を始める際に最初に決めたことは、出発点はシドニーにしようということだった。
世界中の人間が承知の事実だが、世界的大都市であったシドニーは既に無い。かつて何千万の人間が暮らしていたであろうそこには、巨大な湾が広がっているだけであった。
コロニー落とし……ジオン公国が始めて地球に刻んだ傷跡であり、人類史上最悪の戦傷である。
丸くくぼんだその海を見た時、私の心に去来したのは何とも言えぬ感情であった。
それは未だこの海の下に幾多もの人間が沈んでいる悲哀であり、こうなることを半ば承知でやってみせたジオンへの怒りであり、そして人間は一度箍が外れればこうまで無慈悲になれるということへの恐怖であった。
人工の約半数が失われた『一年戦争』の終結から今年で十四年。
U.C.0094となった今でも戦争の傷は癒えていない。
若輩のカメラマンである私、ネイサン・アーチャーはしばしバインダー越しに世界を見て回ることにした。
私がこの旅を決意したのは、俗に言う『シャアの隕石落とし』が行なわれたからだ。
ラサに墜落したフィフス・ルナは最初のコロニー落とし、アイランド・イフィッシュ以来の災害を引き起こした。異常気象によって地球の気温は低下し、恐らく数世紀は元に戻るまい。
当時投棄モビルスーツの撮影の為にキャリフォルニアにいた私は、その報を聞いて憤った。
どうして人はこうも過ちを繰り返すのか。どうして戦争が止められないのか。
一年戦争。デラーズ紛争。グリプス戦役。第一次ネオ・ジオン戦争。そして隕石を落としたシャアによる第二次ネオ・ジオン戦争。
人類は幾度となく争いを続け、拡大した戦線は人類を滅亡の危機にすら晒している。罪の無い人々が何人も死んでいくのを私は何度も見た。許せることでは無い。
怒りに燃えた私だが、同時にこうも思った。
戦争の跡を辿れば、その理由が見えてくるのかもしれない。
無論、そのアイデア自体は過去何度も行なわれてきた行為だろう。普遍的であるとすら言える。その度に答えが出ないのだから、こうして人類は未だ戦い続けている。
だが私は、自分自身の答えを出したくなった。そしてそれを写真と文章に残してみたくなった。
それ故に私は友人の助けを借りて旅に出たのだ。一年の準備と、一機のカメラを持って。
最初の一枚は勿論、シドニー湾だった。
しかしまぁ、あまり特筆すべき出来では無い。
というのも、こんな写真は一年戦争が終結すると同時に世界中の写真家が押し寄せて同じようなものを撮っているからだ。戦場カメラマンも自然風景の専門家も、みんなこぞってこの地に集った。ネットを漁るだけでも数千枚が出てくるだろう。
無論、名誉欲からこの旅を始めた訳では無いが、それはそれとして人様にみせられないものであることは確かだ。無数にある同じ題材の写真と比べあまりに没個性。
しかし写真単体として見れば、胸に迫るものがある。
荒野を穿つように、水を湛えた真円が佇んでいる風景。
青い。どこまでも青い水面。この地はおびただしい血に汚れている筈なのに、海その物は凪いで静かだ。その光景は人類という存在が如何に地球から見てちっぽけか察するに余りうる。
ブリティッシュ作戦。
サイド2の8バンチコロニー、アイランド・イフィッシュの住民を毒ガスによって虐殺し、その大地であったコロニーを地球に落としたジオン最大の罪。
コロニー住民虐殺の時点で死者数は2000万人を超え、そして落着の時点で少なくとも十倍に膨れ上がった。
その後発生した津波や衝撃波によって、最終的な人的被害人数は23億人に及んだと言われている。まさに史上最大の大量破壊だ。
今もなお、その後遺症である異常気象は残り続け人類を苛んでいる。
一年戦争で思い知らされたことは多々あるが、その一つに『人類が滅びても、地球は残り続ける』というものがあると思う。
当たり前と言えば当たり前だが、しかし実感に乏しい話だった筈だ。コロニー落としが起きるより前ならば。だが、今はどうだ。
地球はこれほどの傷を受けても立ち直りつつある。無論異常気象は未だ冷めやらぬが、それすらも自然の一部だ。現に動植物は既に適応しつつある。一年ほど前に落とされたフィフス・ルナによる若干の寒冷化も、地球にとっては何度も起きた環境変化の一つに過ぎない。
しかし人間は、まだ立ち直れていない。一年戦争の残り火は未だに燻り続け、そして時折大火となる。戦争という災害に適応できず、また繰り返す。
ジオン。
かつて人類に滅びの一歩手前の災禍をもたらした国家は、姿を変えつつも戦乱を続けている。
デラーズ・フリート。アクシズ。ネオ・ジオン。
一年戦争以降の人類史に現われ出でては世界を混迷に突き落とし、野望を遂げようとする者たち。……このシドニー湾を知っている筈なのに、またコロニーを落とした者たち。
許せないという義憤はある。だが同時に、どうしてまた繰り返したのかという純然たる疑問もある。
この旅を終える頃には、それも分かるようになっているだろうか。
人間が愚かだから、という結論はつけたくないが。
二枚目は、トリントンからアリス・スプリングスに移動途中に見つけたとある物だ。
運転手である友人に頼んで寄ってもらった荒野の一角には、うち捨てられた巨人が地に伏していた。
MS-09 ドム。
かつてこの地球連邦に恐怖を与えた地上の名機である。ホバーエンジンによる機動力と重装甲によって出来たての連邦モビルスーツを圧倒した存在。ジャイアント・バズの火力とヒートサーベルの格闘能力もあり当時のジムでは太刀打ちが出来なかったと言われている。
惜しむらくは、本格的に配備が行き渡るよりも早く地上戦線が後退したことだろう。配備に間に合ったのはごく一部のエリート部隊だけであり、おかげで余った大多数の機体は簡易的な換装だけで宇宙に放り出されることになった。彼もまた戦争によって命運を変えられた被害者と言えよう。もし地上ジオン軍がもう少し持ちこたえていたら、戦争の行方は変わったのかもしれない。
……ということを隣の友人にまくし立てたら、「お前は連邦側なのかジオン側なのかハッキリしろよ」と言われてしまった。
仕方ないだろう。心情的には連邦側だが、モビルスーツはどちらの陣営の物も好きなのだから。
例え敵の物でも好きな物は好きだ。善と悪、好きと嫌いは別物なのだから。
しかしコロニーが落とされた地であっても、戦争があったのだとしみじみ思う。およそ16%が消滅し緑が絶えた大地においても熾烈な争いがあったというのは、一年戦争という戦線の広さを改めて思い知る。
ここを取っても旨みは無いと思うのだが、やはりジオンは地上全土を征服するつもりだったのだろうか。無理な話と分かりそうなものだが。
だが、ふと疑問に思う。
オーストラリアは先に言ったとおり荒れて旨みの少ない土地だ。
戦争自体は行なわれたがどちらの軍勢も二線三線級の部隊しか存在しなかったと言われている。
連邦であればごく一部以外にはモビルスーツが配備されていなかったというし、ジオン側も主要モビルスーツはザクとグフであったという。
そう、オーストラリアにドムはいない筈なのだ。
……何か妖怪の尻尾を掴んだ気がしたが、それはすぐスルリと抜けてどこかへ消えてしまった。
友人と車を走らせながら会話を交わした。
……「コロニーが落ちたとき、お前はどう思った」と聞かれた。
当然、許せないと思ったし、ジオンを憎んだと言った。何かが違えば、カメラでは無く銃を握っていたかもしれないと。
友はその返答だけでも苦かっただろうが、更に自分を戒めるようにこう呟いた。
「それがまた、戦争を産んでしまうのかもな」
私は何も言えず、ただ車窓の風景を眺めていた。
マッチモニードはアスタロス関連で一般向けに情報は公開されてない扱いです。
でもデラーズ紛争はティターンズの反省の意味も込めて公開されてるかなって。