ヒロアカ×Fate   作:トラッキング

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10 intermission#2

 それは、いつも通りの朝、のはずだった。

 命に関わる襲撃を退け、登校の準備をし、朝食を食べ、ついでにリビングから出たところで再度の襲撃を貰い、服が乱れたので再度着付け直し。いざ出かけようとしたところだ。

 首の後ろから、まるで操り糸が伸びたような気がした。糸はひたすらに長く、強く、この世の果てまで――いや、この世の向こう側まで伸びている。見えないそれは、誰も触れることができない。少なくとも、この世の存在は。それはただの機能であり、誰かがどうにかできるものでもない。

 この感覚に、現輪は覚えがあった。何度も何度も、繰り返し感じてきた。

 いよいよ糸が緊張し、“何か”に接触したと感じた時。糸はとてつもない勢いで、“何か”をたぐり寄せた。糸につられて体まで緊張し、空に引っ張られる気すらしてくる。

 これが召喚だという事は、とても、とてもよく分かっていた。現輪は諦めの心境で、ただただそれがやってくるのを待つ。

 時間にしてほんの十数秒。個性が拡張する感覚が、嫌でも体を軋ませる。個性とはすなわち身体機能であり、それが強くなるとうい事は、当然体にも影響を与える。現輪の場合は、筋肉痛が一気に押し寄せるような感覚だった。

 魔方陣、などというものはないが。それに近い光が、地面に描かれる。円らな光の集積が、万華鏡のように折り重なった。

 やがて、糸の緊張がほどける。同時に筋肉痛のような痛みも。これが、現輪の個性から半ば独立したという証だ。孤立したそれは地面に照準を定めた。光円の中心あたりだろうか。空から、不可視の、しかし超膨大な情報が振ってくる。

 それが墜落して……

 現世に降臨した過去の英傑が、跪くようにして、そこに生誕していた。

 既に具現化しているのは、珍しい事ではない。どうも召喚された当初というのは、具現化の優先順位は召喚されたばかりの者が最上位になるらしい。

 現れたのは、小柄な少女らしかった。全身黄色だ。長い髪も着崩した着物らしき衣装も、全てが黄色い。

 少女は、すっと目と同時に意識までも開く。それが気配で分かった。ゆっくりと、突いた膝を持ち上げ、立ち上がる。背は低かった。サーヴァントの中でも最小クラスであるキルケーと同程度ではないだろうか。

 直立した少女は、ぴっと、なぜだかポーズを取った。なんだかよく分からないし意味もないが、とにかく格好いいポーズを取ってみた。そんな風ではある。

「クハハ! 吾、参上! 喜ぶが良いぞ人間! この茨木童子が来たからには、なんだ、その、とにかく安心だ!」

 うまい口上が思いつかなかったようで、最期は雑になっていたが。

 けたけたと笑いながら、なぜだか自信満々に、少女――もとい、茨木童子。

 また面倒な事になったな、などと思いながら、とりあえず現輪は茨木童子の頭を撫でた。

 怒られた。

 

 

 

 いつも通り、放課後は学校の修練所へ向かう。

 雄英高校の生徒は、当たり前に学習意欲が高い。とりわけヒーロー科は、上の学年に成る程、自習の重要性を確認していた。そのため、実は放課後の場所取りというのは競争率が高かった。といっても、大抵はトレーニングルームや体育館γといった、設備が充実し、大抵は先生の監督がある場所に人が集中する。なので、基本的に野っ原でしかない修練所は予約に苦労しなかった。

 修練所の光景は、だいたいどこも同じだ。どこまでが境目か分からない土地があり、少し離れた場所に林か、さもなくが丘がある。

 自主練は当然自主的な行動なので、必ず集まらなければいけないものではない。それでも、参加しない者は少なかった。来ない者は、学校の事情だったり家の都合だったり、大抵はそんなものである。むしろ来ない場合は、先に連絡を入れてすらいた。

 ともあれ、訓練だ。

 人の集まりは、まだ半ばほどだった。非参加の連絡はないので、それぞれ掃除当番や週番などで遅れているのだろう。

 現輪が到着すると、隣を歩いていた茨木童子が笑った。

「寺小屋は終わりか? 終わりだな! つまり吾の出番だ!」

 何か、お菓子だろうか。片手いっぱいに持って、それを口に詰め込んでいる。高笑いなどもしているせいで、手の中のお菓子がこぼれそうになり、それを慌てて抱え直していた。

「ええと、初めて見るよね。どなた?」

 緑谷が、体の保護用手袋をつけながら聞いてくる。飯田と砂藤はまだいなかった。

「こちら茨木童子。今朝召喚された」

「茨木童子……御伽草子ですわね。伝説上の人物、ではなく太古の個性持ちでしょうか」

 まだ教育者陣は来ない。彼らはオールマイトのリハビリを行っていることはあらかじめ知らされており、そちらの進行に手間を食ってるのだろう。

 時間を持て余していた八百万が話に参加してきた。

「違うわ!」

 かっと、茨木童子が目を見開いて叫んだ。その拍子に、お菓子がぼろぼろとこぼれ落ちる。彼女はそれをせっせと拾い集め、手で抱え直してから、続けた。

「吾は誇り高き鬼の血統だぞ! それを間違えるでない人間!」

 きしゃー、と牙をむきながら叫ぶ。

 背丈も外見もキルケーと同程度だが、キルケーが稚気がある大人であるのに対し、こちらは完全に子供のそれだった。怒っている様子も、恐ろしいというよりは、ただ駄々をこねているだけにしか見えなかった。

「そ、そうですか。それは申し訳ありませんでしたわ」

 素直に謝る八百万を見て、茨木童子は満足したようだが。

 それからも茨木童子がぎゃいぎゃいと言い、それに八百万が答えている。彼女も茨木童子は、子供を子供らしく扱わないという典型的な方法が有効だとすぐに気がついたのだろう。それから少女は機嫌良く八百万と話している。

 そんな二人の合間を縫うようにして、緑谷が話しかけてきた。

「ねえ、魂魄くん。茨木童子、さん? 彼女って今までいなかった、よね? いたら初日にでも混ざってきそうだし」

「そうだな、今朝召喚された」

「そんな事ってあるの?」

 緑谷は驚き、現輪と茨木童子を視線で交互にしている。

 気持ちは分からなくもない、と現輪は思った。個性は鍛えていけば、増強、拡張を起こす。これは珍しいことではない。増強は元より、拡張も、いわば個性そのものの応用みたいなものだ。しかし、新設というのはまずあり得ない。個性が増えているようなものだからだ。

 この辺も、魂魄具現化という個性に理解がないと、まま勘違いする事ではあった。

「割とあるんだよ。どうもこれって、おれの個性的には増強に当たるらしい。たまーに召喚されるし、呼び出されるたびに行動半径も広がる」

 言いながら、現輪は過去を思い出した。

 現輪が個性に目覚めて当初は、確か、サーヴァントはたったの四騎だったと記憶している。さすがに四騎同時に出てきたのは、後にも先にもそれっきりだったが。もっとも、当時は3歳の頃だったから、当てにならない記憶と言ってしまえばそれだけである。

 最初期は、サーヴァントが離れられる範囲も、せいぜいが十キロ前後だったと記憶している。それから、あれやこれやと連続してサーヴァントが呼ばれ、気づけば半径百キロ以上まで広がった。そのせいで、家の拡張も続いているわけだが。

 なんにしろ、分かったことは、サーヴァントの召喚と維持は、常に現輪の個性に負荷を掛けている状態という訳だ。個性が一定以上強くなると、次のサーヴァントの召喚準備に入り、上限いっぱいになる。そしてまた、個性が余裕ができれば召喚が行われる、というサイクルを繰り返していた。

「ちなみに、サーヴァントが召喚される時は、大抵連続して何騎か呼ばれる。同時に呼ばれる事はあんまりないが、何年も呼ばれないと思ったら、数日から数ヶ月の間にぽんぽん出てくるんだよ」

「大変だねえ」

「そーなんだよな。具現化の同時人数が7騎って決まってるのが救いだ」

 眼前では、八百万が完全に茨木童子を手懐けている様子だった。どうも、手持ちにお菓子か何かがあったらしい。少女は完全に餌付けされて、嬉しそうに八百万のまわりではしゃいでいる。

「ちなみに茨木童子のクラスはバーサーカーらしい。同クラスで自発的に出てくるのは他に一人しかいないから、これから割と様子を見せると思う」

「バーサーカー……」

 緑谷は何かを思い出すように呟いた。

「それって個性把握テストの時に見た、あの巨人の人とか、黒い霧を纏った全身甲冑の人とかと同じ? なんかずいぶん様子が違うけど」

「基本的にバーサーカーって言ったら、緑谷の印象の方が正しいよ。クラス条件が狂ってることらしいし。まあ、話ができても概ね話は通じないしな」

「本当に大変だねぇ」

 しみじみと、緑谷。

 と、彼はふと何かに気がついたように言った。

「っていうか、今、クラスが何か分かってないような言い方した気がするんだけど……」

「分からないんだよなあ」

 困ったように、現輪は答えた。

「俺が分かるのって、今何のクラスが具現化しているのかと、あと本人のステータス――大雑把な能力程度なんだよな。本当に不親切な能力だよ」

 保有技能である、スキルも見て分からないのは、実際困る事ではあった。ステータスがなんてことないと思えば、スキルが凶悪だった、という事はわりかしある。宝具やその性能まで分かるわけではないので、危険である事には変わりない。

 まあ、そもそもクラスですら当てになるかと問われたらそうでもないのだが。サーヴァントは適正クラス内であるから、好きにクラスを変えて出現できるのだし。その適正クラスにしたって、スカサハなり、霊基をいじれる者がいれば、どうとでもなってしまう。クラスがまともに機能してるのは、正気がない故にクラスの変更を地力でできないバーサーカーくらいか。

 ちなみに、と付け加えて、現輪。

「バーサーカーは大抵が基礎能力がめちゃくちゃ高い。茨木童子は耐久力がクソ高いな。多分俺じゃろくにダメージを与えられないと思うよ」

「魂魄くんでも!?」

 緑谷が驚いて、叫んだ。それに軽く頷く。

「多分今まで見た中じゃ一番高いんじゃないか? 全員のステータスを覚えてる訳じゃないから確実じゃないけど、単純な耐久性ならサーヴァント随一だと思う」

「へえ、小さいのに凄いねえ」

「今吾を小さいと言ったか!?」

 楽しげに離している姿から一転、ぐりんと首を動かして、食ってかかる茨木童子。

 緑谷はびくりを肩をすくめていた。見た目があれなのと、どうにも鬼としての威厳もないので、恐ろしいものでもないのだが。

「ご、ごめん!」

「……許す。次はないと思え」

 ぷりぷりと、頬を膨らませながら(お菓子が詰まってるのかもしれない)、八百万に向き返る。彼女は苦笑していたが。

 話していると、スカサハ、ケイローン、書文が集まって来た。今日は彼らに加えて、茨木童子だけらしい。

 生徒はまだ集まっていないが、教育者陣が集まった時点で始めるのが、いつもの習わしだ。思い思いに雑談なり、柔軟体操なりをしていた生徒達が集まるのだが。

 その中で、耳郎、八百万、上鳴だけが前に進み出ていた。どこか肩を落として、各々教師の前に進み出る。皆が空気を読んで何も言わなかった。茨木童子も、何も言わずに背中を見ていた。

 教師を代表して、かどうかは分からないが、ケイローンが彼らに応えた。

「あなた方が何故進み出たのか、それは分かっています。事情はアタランテから聞いていますからね」

「はい……すみませんっした」

「あれだけ言われたのに、油断してヴィランに人質取られました。本当に、すみません……」

「スカサハ先生に顔向けできないのは、重々承知しております……」

「受け取りましょう」

 三人の下げた頭に、ケイローンがゆっくりと頷いた。

 当時、まだ召喚されていなかった茨木童子だけが事情を理解できていない。何の話かと、周囲を見回していた。

「同時に、我々も是正しなければいけない事があります」

 言って、彼の目が細まった。その変化が好ましくないとは、誰もが気づいていた。ひえっと、だれかが小さく悲鳴を上げる。

「我々は()()()()。どうやら私もあなた方も片手間にならざるを得ないと思い、気の抜けた授業をしすぎたようです。これからは……分かりますね?」

 言葉は問いかけているようなものではあったが、語調は有無を言わさないものだった。生徒達が顔を青くする。

 現輪としては、まあ、なるべくしてなったとしか言い様がない。彼らがつける普段の鍛錬に比べれば、文字通りお遊戯のようなものだったのだから。今回、自分の生徒が無様を晒したことで、プライドが傷ついたのだろう。指導がお遊戯から教育レベルまで上がるのは、想像に難くない。

 緑谷はその様子を見て、明らかにほっとしていた。が、すぐにかぶりを振って、自分の感情を否定する。

「いやいや、ここで安心してちゃいけないんだ。まだ向こうに混ざれないことを恥じないと」

 そこでちょうど、更衣室から爆豪らがやってきた。

 彼らは周囲を見回し、なぜだか項垂れていることに首をかしげ、次に新顔を見た。結局話に入っていけず、輪の外に出ながらもりもりとお菓子を食べている茨木童子に。

「あンだ、このガキ」

 というか、爆豪は口にも出していた。

 茨木童子はかちんと来たようで、声を張り上げた。

「初めの人間よ!」

「……おれか?」

「汝以外に誰がいる! 早くくるのだ!」

 だんだんと地団駄を踏んでいる。現輪が近寄っていくと、大量のお菓子を押しつけられた。

「持っているのだ! けして落とすなよ!」

「おい、このチビお前の知り合いか?」

「二度も言ったな汝ぇぇぇ!」

 ぎゃんぎゃんと甲高い声で叫びながら、茨木童子は服の裾を上げた。

「殺すなよ」

「それくらい分かっておるわ!」

 叫ぶが早い、彼女は爆豪の方へとすっ飛んでいった。

 彼女の敏捷はさほど高くないとはいえ、そこはやはりサーヴァント。常人であれば、目が追いつかないほどの速さで疾駆する。出だしの一歩で地を割っているあたり、技術というよりは完全に脚力の賜だろう。

 爆豪からは、殆どコマ落としにしか見えないはずだが。そこはやはり、彼も才能を見込まれた人間である。持ち前のセンスで、殆ど反射的に構えていた。そして、吹き飛ぶ。

 爆豪が動くより早く、茨木童子は拳を振り抜いていた。だが、殴った後に、自分の拳を見下ろして、疑問符を浮かべている。

 派手に吹き飛び、次いで転がりながら、しかし爆豪は意識を保っていた。あの威力を無防備に受ければ、意識を保っていられる訳がない。というか、そもそも人体を吹き飛ばすほどの威力は込められていない。寸前で自分から飛んだのだろう。

 途中受け身を取って、身を起こす。しかし、立ち上がれない。息は荒く、そして不規則だ。右手で殴られた左脇腹を抱えながら、そうさせた張本人を強く睨んでいる。

「テメッ……」

 そこまで言って、息をつっかえさせた。上手く口が動かないのか、それから呼吸を何度かして、やっと口を動かす。

「サーヴァント、とかいうやつか……」

「ほう、吾の一撃を食らってしゃべる元気があるのか! 驚いたぞ」

 にんまりと、茨木童子が笑った。それは、いいおもちゃを見つけたとでも言いたげな笑みだった。

「初めの人間よ、こやつの名は?」

「初めの人間じゃなくて現輪な。魂魄現輪。それと今お前が殴ったのは爆豪勝己」

「そうか勝己か。では勝己よ、汝を現世での子分一号に任命してやろう」

 どやっと胸を張る少女。その姿に、爆豪はやっと立ち上がり、そして怒声をあげた。

「ザけんなボケッ! 誰がお前の子分になんかなるかよ!」

 殆どキレながら、空高く飛ぶ。個性を使って、爆風で宙を舞い、凶悪な形相を浮かべる。

「個性の一部ならよぉ、個性を使って攻撃しても問題ないよなぁ!?」

 言いながら、両手を地面へと向けると、強烈な爆発が発生した。

 指向性を持った高熱と衝撃波が、ただ棒立ちになっている茨木童子へとまっすぐに突き刺さる。強烈な爆破の一撃は、たやすく人影を飲み込み、そのまま地面をえぐり取った。熱気を吸い取った熱い空気が、砂利を乗せて、周囲の人間へと吹きすさぶ。

 この時点で、爆豪は勝利を確信していたようだ。苛立ちの表情が、いびつな笑みへと変わっている。が、それはすぐに、驚愕へと変わった。

 爆発に飲まれた空気の、砂埃が落ち着いた中、茨木童子は何事もなかったかのように立っていた。攻撃を何らかの防御手段で受けたわけではないのは、彼女の足下までえぐれている事から分かる。

 少女は、落ちてくる爆豪にタイミングを合わせて足を上げた。蹴ったわけではない。蹴ってしまえば、彼の体は真っ二つになっていただろう。だから、本当に合間を図って足を持ち上げただけだった。そこに、落ちてきた爆豪の腹が刺さる。

 勢いに、爆豪は息と唾液とを吐き出した。二度三度と体が痙攣すると、やがて脱力する。眼球が動いているので気絶はしていないようだが、もう動けなくはあるらしい。

 茨木童子が足を下ろすと、同時に爆豪の体もごろんと転がる。体に全く力は入っていないが、闘志だけは萎えないのか、険しい視線はずっと少女を捉えていた。

「おお、頑丈頑丈。よいぞ、吾を幼子扱いした非礼は許してやろう。吾は子分に寛大なのだ!」

「誰が……子分になんぞ……なるか……!」

「クハハ! 吾が決めたのだから汝は子分なのだ。つまらぬ抵抗するな」

 言うと、彼女は仰向けの爆豪を蹴って転がした。うつ伏せになると、体の上をまたいで乗り、顎を掴んで引っ張り上げ始めた。

「でっ、でででででぇ!」

「ほれほれー、子分にさせてくださいと言うのだ」

 けたけた笑う茨木童子と、それに切れまくっている爆豪。

「あわわ、かっちゃんが……」

「仲いいなあ」

「いいの!?」

 現輪の呟きに、緑谷は信じられないと言った様子だが。

「ようはあれ、ガキ大将同士の縄張り争いみたいなもんだろ。それで済んでるうちは、仲がいいって言っておかしかなかろ」

「そういうもんかなあ……」

 緑谷は釈然としない様子だった。

 茨木童子に好きにさせていると修行が始まらないので、書文が追い払っていた(彼女はとてつもなく不服そうだった)。爆豪の治療は現輪がした。

 現輪達も開始はしたが、まだ砂藤も飯田も来ていないのだ。いくら緑谷が個性の使い方を覚えてきたと言っても、まだまだぎこちない。素人が車の運転方法をいちいち確認しながら動かしているようなものなので、仕方ないが。一対一では、危なげある(ように見える)状況にすらならず、少々退屈していた。

「現輪!」

 ちょうど緑谷をひっくり返した辺りで、書文に呼ばれた。最初は飽きてきたのを見抜かれたのかとも思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい。

 書文は腕を組んだまま佇んでいる。その横に、どこか不安げな切島。正面にはすっかりダメージが回復し、気力もまあ十分なんだろう爆豪。歯ぎしりをして、口の端から煙でも吹くような勢いで吐息している。なぜだか現輪に向けて、構えを取っていた。八極拳のそれに近いが、所々アレンジが入っている様子ではある。

 半ば呼び出された予想はついていたが、ちらりと書文の方を見た。

 李書文。中国で最も有名な拳法家の一人……かどうかまでは知らないが、まあ強さは折り紙付きだった。素手ではケイローンに匹敵し、槍を持たばスカサハと互する。基本的に年代が古い方が強いサーヴァントの中にあって、近代出身、それこそ個性が既にある時代で勇名を轟かせていた。見た目は二十代か三十代ほどで、大抵の雄英教師より若く見える。本人は老成した技に全盛期の肉体だと言っているが、正にその通りだろう。精神まで若いのか、その眼光はいつも溌剌としている。

 今もまた、目には若狭所以の輝きがある。それで現輪をまっすぐ射貫きながら、口を開いた。

「此奴はどうも、自分の程度というものを分かっていない。身の程というものを教えてやれ」

「また藪から棒に……」

 やれと言われればやるのだが。

 爆豪は獣のような形相でこちらを睨んでくる。今すぐ飛びかかってこないのは、気を抑えているからではないのは分かった。顔を見れば、自制心を失っているのは分かる。恐らく、相手が同じ条件でなければとか、相手が全力でなければならないとか考えているのだろう。

 愚かしい考えだ。そう現輪は切って捨てた。彼の李書文に師事させて貰え、既に一月は過ぎている。それでなお、まだ常在戦場を理解していない。彼はやってみろと言われた時点で、追いかけっこの最中だろうが背後からだろうが、とにかく襲いかかってくればよかった。

(負け癖でもついたのかな?)

 様子見しながら、思ったのはそんなことだった。

 彼の格下以外との戦績は、恐ろしく悪い。相手が教師だったりサーヴァントだったりするので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。が、逆に相手が上すぎて、敗北の屈辱と意味を理解できなくなってしまったのか。

 顔は爆豪に向けたまま、視線だけを書文に向けた。その表情には、可能な限り手を抜けと書いてあった。

 予想が合っているかどうかまでは分からないが、とにかく、同格(な訳がないのだが、まあ本人からすればそう感じられるだろう)の相手からの敗北を経験させたいらしい。その上で、自分がどれだけ不出来かを教え込む、あたりだろうか。

 仕方なしに、現輪は薄く息を吐きながら、右足を半歩だけ退いた。手はだらんと落としたまま。視線だけで、準備が出来たことを告げる。

「ナメてんのかテメェ! さっさと構えろやクソが!」

「お前相手に八極拳を使う? それはぞっとしないな」

 本当に、ぞっとしない。

 その気になっていたら、彼は自分が死んだことにも気づかずに死んでいる。それが李書文に教育された八極拳士の技を修めた先だ。

 と、ふと思い出した。

(緑谷はどうしてる?)

 これは視線を向けずに、気配だけを探った。目を向けなかったのは、まあ、今更確認するのも間抜けだからだ。

 彼は倒れ伏した場所から動いていなかった。さすがにまだ寝転んではいないようだったが、どうも気配の位置が低い。座り込んで、観戦をしているようだ。

 こっちもこっちで、話している間にかかってくればいいのに。考えて、ふと気がついた。武道家たる者、いついかなる時も備えてなければならい。それが寝込みだろうが何だろうが。それをまだ教えていなかった。道理で、お行儀がいいはずだ、と現輪は自分を減点した。やはり、教育には向いていない。基礎にすら手落ちがあるのだから。

「お前にはこれで十分だよ」

「――死ねェ!」

 憤慨に、構えすら維持できなくなり。爆豪は飛ぶように踏み込んだ。

 現輪も同時に踏み込む。ただし、こちらは散歩をするような気軽さで。あまりに不用意だったため、爆豪は反応に失敗したようだが。

 技が形を成すより前に、震脚を払ってやる。浮いた足は空を切り、勢いのまま転がる。八極拳は数ある武術の中でも特殊な、攻撃力に特化したものである。当然、その勢いもトップクラスだと言える。つまりは、無造作に転がされれば、他の武術より痛い。

 どしん、と、震脚の勢いをそのまま全身で作り、地面に叩き付けられる。爆豪はカエルが潰れたような声を吐き出した。

「まだ大丈夫だろ」

 現輪は棒立ちのまま、すぐさま起き上がった爆豪に声を掛けた。

 彼が無事なのは分かっている。本当に駄目な時は、声すら漏らすことができない。これも体験談だが。そうではなくとも、爆豪の体が頑丈なのは分かっていた。

 爆豪勝己。生まれの勝者と敗者を分けるならば、彼は明らかに勝者だった。これは、個性が強いというだけの話ではない。強力な爆発を支える太い骨、衝撃を受け流す、柔軟で量も十分ある筋肉。空中で跳ね回りながらも、上下と方向を認識できる強固な三半規管。個性を扱うのに十分な身体能力を得た、文句なしの“勝者”だ。

 個性社会、この手の人間はままいた。近くで言えば、相澤などもそうだ。ドライアイこそ減点だが、それを除けば、広い視野と動体視力を持ち、対応させる人並み外れた反射神経もある。

 個性に誂えて体も進化した状態で生まれる。これも個性特異点に記された内容だ。個性の膨張と共に、身体機能までもが限界を超えて進歩する。

「使えよ、個性。全力を相手してやるって言ってんだ」

「こ……ンの……! とことんナメやがってェ……!」

 再び飛び跳ねてくる。今度は先ほどより幾分冷静なのか、技は型にははまっていた。川掌の様には見えるが、一つ、左手は背後に伸ばしている。爆発で推力を稼ぎ、掌を当てた瞬間に爆発させて、二重に威力を生み出すつもりなのだろう。それを即興できる能力も、天稟としか言い様がない。

 まあ、それだけでは駄目なのだが。

 現輪は今度、真正面から迎え撃った。走ってくる右肩に手を、踏み込む足に膝を当てる。両方を進行方向とは別々に押してしまえば、簡単に体勢は崩れた。その状態で爆破するものだから、彼の体は空に舞い、ぐるぐると回転した。

 個性の強者。才能の勝者。確かに素晴らしいものだ。得がたいものでもある。しかし、所詮伸びしろの話でしかない。長年の研鑽には敵わない……

 空から墜落して、爆豪は唸った。めちゃくちゃに投げ出されたせいで、受け身も取れない。今度こそ、即座に飛びかかるほどの余裕はないようだった。

「分かってるか?」

 そんな状態でも、彼の眼光は鋭いままだった。いついかなる時でも闘志が萎えないのは、利点ではあるのだろうが。能力が追いついていないのでは意味がない。

「おれは今、お前より動きが遅かったんだ」

「ナメ、プ、宣言……か……? あァ……!」

 飲み込みが悪い、あるいは察しが悪い事にひっそり嘆息する。才能豊かが故の弊害だろうか。

「じゃなくて、今の差は、全部技術の差だって言ってんの。身体能力だとか才能だとかそういうもん以前の」

 一瞬、何を言われたか分からないと言った様子だったが。

 息も絶え絶えになんとか手を突いて上体だけは持ち上げ、書文の方を見ている。書文は、腕を組んだまま、うっすら笑みを貼り付けたままだ。

「お主はどうも小手先だけの技術で手っ取り早く強くなれると思い違いしているようなのでな。わかりやすく現輪に、根本の違いを見せつけさせた、という訳だ。これで分かったであろう? 儂が強いのはサーヴァントだからではない。八極拳を極めてたからだ」

「師父は八極拳抜くとたいしたことないもんなあ」

「ははは、ぶっ飛ばすぞお主」

 言いながらも、怒っている様子はなかったが。

「まずは外側のみでも修めろ。次に内を満たし、やがて気を操り、最期には天地合一の境地へ向かえ。勝己、お主はまだ入り口に立ったにすぎんのだよ」

「気はなあ……圏境とか最初聞いたとき意味不明だったもんなあ……」

呵々(かか)、あの小僧も今では一瞬とはいえ、圏境を実用的な力量で扱えるようになった。時間の流れとは早いものよ」

 十年もの月日を一瞬と言っていいものか、とは思ったが。いざ経ってから思い返せば、そう言うより他ないのかもしれない。

 爆豪は座り込んで、もう怒りはない様子だった。ただ、神妙という訳でもない。相変わらず目つきは険しい。

 どのような感情をも飲み込んで、半ば独り言のように呟いた。

「おい……俺もこいつくらい使えるようになるのかよ」

 いっそ不遜とも言える態度だったが、書文は気にしなかった。

「儂の見たところ、お主と現輪に才の差はさほどない。それはつまり、費やした時の差がそのまま決定的とも言える。十年分もの修行を詰め込む自信はあるか?」

「ナメんな! この野郎ぶっ殺すためならなんだってやってやるわ!」

「くはははははは! よろしい! 貴様に我が技を余すところなくたたき込んでくれよう!」

 爆豪は飛びかからんばかりの勢いで跳ね起きた。そして書文に突っかかっていく。彼はそれを楽しそうにいなしていた。

 殆ど置物と化していた現輪は、どうするかと書文を見るが。彼はちょいちょいと手で払う仕草をしてみせた。もう用事はないらしい。

 訓練に戻ろうとしたのだが。

「げーんりぃー」

 すぐに呼び止められる。声を掛けてきたのは、スカサハだった。

 振り返ると、彼女はにこにこと笑っていた。まあ、彼女は何くれにつけて楽しそうなのだが。どうやら影の国とやらはよほど退屈な場所のようで、現世で何が起きても楽しいらしい。

 タイミングが良かったのか、書文の用事が終わるのを待っていたのか。そこまでは分からない。分別がない訳ではないのだが、彼女がその気になったときは、こちらが何をしていようとも呼び出すくらいの図太さはあった。

 呼び出しに応じて行くと、彼女は新しい弟子の一人、轟の肩をぽんと叩いて言った。

「次はこやつと戦え。槍を持ってな」

 指名された轟は、仏頂面だった。爆豪ほどあからさまではないが、敵意は感じる。敵意にあけすけというのも変だが、そうだった爆豪に比較して、彼のそれは昏く深いものを感じた。もっとも、彼から感じるそれは、昨日今日のものでもないが。

 反対する理由もない。現輪は槍、もとい杭を取り出して、軽く両手で構えた。

「あー、いいか?」

「……おう」

 轟は答えながら、氷の槍を作った。一見すると氷柱のようにも見えるが、一応槍の造形はしている。穂先にはちゃんと、刃があった。

「まずは本気でやれ。初め」

 声と同時に、轟は滑った。足下に氷の膜を作り、後ろの足で蹴るようにして、出足は上げずに。

 なるほど、と現輪は思った。滑る足下、それを自在に操れるならば、この動き方は悪いものではない。踏ん張ることもできないならば欠陥移動法だが、瞬間的に踏み込めるならば、これは立派な利点だ。足を上げない、つまり上げた足を狙われない。

 だが。

(本気でやっていいんだよな)

 少しだけ悩んで、しかし現輪は昔から言われている通りのことを実行した。

 轟が槍を走らせるのと同時に、現輪も同じ事をした。違いは、轟が体を狙ってきたのに対し、現輪は槍を狙ったことだった。穂先を、氷の槍の柄に当てる。力を入れる必要も、振りかぶる必要もない。構造的に欠点があるのならば、それだけを狙えばいい。

 氷の槍は、現輪の思い通りに、中央辺りで真っ二つになった。

 短い竹槍のような形になった槍に、轟は驚愕する。当然立て直す余裕など与えてやるはずもなく、切っ先をそのまま首筋に当てた。これで終わりだ。

 何秒かたって、轟がやっと状況を理解したところで、現輪は槍を退いた。

 現輪にとっては当たり前すぎる結果になったが。さすがに困惑してスカサハを見る。とりあえず、彼女は結果に満足している様だった。

「だから言ったであろう? 壊れぬ槍を作れ。出来ぬのならば、槍が壊れるのを即座に認識し、作り直す速さを手に入れろと」

「そんなの思考加速系個性でもなけりゃまずできないと思うんだけど」

「黙れ。貴様はできるだろう。というかできるようにしただろう」

「まあそうだけど……」

「ならできるのだ。私がやれと言ったらやれ。できなくともやれ」

 相変わらず無茶なことを平気で言う人だった。現輪だって、年単位の積み重ねで少しずつ反応速度を上げた結果なのだが。

 轟はひたすら悔しそうにしていた。なぜだろうか、その情動の中には怨念すら感じる。後ろ向き、というのとも違うが、彼はどうも、爆豪とは別の意味で余裕がない。

「次だ。今度は手加減してやれ。そして焦凍よ、貴様は本気でやれ。同じ舞台で勝てると驕り高ぶるな」

「……うっす」

 底冷えのするような感情のまま、轟は短く答えた。

 彼は、今度は初めの声がするより早く動いた。この辺りは、爆豪よりは徹底してできているらしい。

 先ほどのように滑って動くことはしない。後ろに飛ぶ。

 距離を空けるのは正解だった。轟の個性は、中・遠距離で最大の力を発揮する。対して現輪には、近距離以外の戦闘方はない。個性だけを見ればだが。

 踏み込んでも槍が届かない場所まで移動した轟が、作り直した槍で地面を薙いだ。冷気が一筋の刃となって、現輪に直進してくる。許容量の多い個性で、大量の氷を作って相手を拘束する。轟の十八番だった。

 食らってしまえば、現輪でも戦闘中に抵抗する手立てはない。まともに食らえば。

 現輪は槍を一閃し、地面を切る。というか、裂いてめくり上げた。伝達する冷気が、捲られた地面にそって走り、途切れたところで暴発した。

「脳無との戦いの時に言ったはずだぞ」

 視界の左半分を埋める氷塊を、避けるながら前に進む。まだ距離はあるからか、轟は再度退きはしなかった。

「尖った強さなんて、ネタが割れればどうとでもできるって」

 轟は再度、個性を放った。今度は所定の位置で爆発させるタイプではなく、眼前から、巨大な氷で埋め尽くすように。

 現輪は今度、まっすぐ縦に槍を振り放った。地面から、空気も、そして個性までもが縦に割れる。

 自分自身が縛られらなかったといっても、氷柱の牢獄に閉じ込められた形だが。所詮たいした強度のない氷でしかない。現輪はあっさりと氷を切り落とし、中から抜け出た。

「直接当てられないなら、脆い大質量なんてさしたるもんじゃない、とは師匠に言われてると思うが」

 必殺の技をあっさり切り抜けた現輪を見て、彼は戦慄している様子だった。未だ槍は構えているし、個性発動の準備もしている様子ではある。しかし、手詰まりなのも感じさせた。現輪が近づくのに、ただじりじりと距離を空けることしか出来ていない。

「それまで」

 状況が決まって、即座にスカサハが宣言した。これ以上見ても意味がない、そう判断したのだろう。

「これがお前の弱点だ。あらゆる状況に対応できるが、全ての状況で中途半端。ましてや一人の手練れには、無力に等しい。まずはお前自身が強くなれ」

「……っ、分かりました」

 悔しそうにほぞを噛みながら、轟。言葉は、絞り出すような苦しみに満ちたものだった。

「お前が“左”を使わんのは、正直どうでもいい。私には関係なし、興味もないしな。そっちは領分ではないし」

 左という言葉に、現輪は疑問符を浮かべたが。スカサハは関係ないとばかりに話を続けた。

「私が右だけで強くしてやると言っているのだ。いい加減子供らしい駄々はやめろ。現輪ほどは、今更追いつくのは難しいが、その次くらいに強くはしてやる」

「お願いします……」

 轟はぐっと飲み込んで――何を飲み込んだかまでは分からないが――頭を下げた。そういえば、彼のそんな様子というのは、珍しい気がする。

 それ以降も、何やら小言はあったようだが。現輪は既に話は聞かず、戻っていた。

 一戦一戦は短くとも、さすがに三戦もすればそれなりに長い。緑谷も暇していたろうな、と思っていたが。彼は困ったような笑みを浮かべていただけだった。

 隣には茨木童子がおり、ぐったりと転がっている。周囲にはお菓子の食べこぼしが散乱していた。ゴミがないあたり、捨てはしたのだろう。もしかしたら緑谷が代わりに捨ててやったのかも知れない。

 地面の上で溶けた茨木童子は、現輪を視線で確認した。しかし、動き少ない。恐ろしく緩慢な動きで、首から上だけを動かした。

「初めの人間……」

「現輪だって。どうした?」

「暇なのだ……。お菓子ももうない……そもそもお腹いっぱいだし」

 知らねえよ、としか言い様がなかった。

 緑谷の方を見ると、彼は苦笑していた。どこまでも人がいい。それは、悪い意味でも。

「あはは。さっきこっち来たと思ったら、ずっとこの調子で」

「ほっとけばいいって」

「なぜだー……。吾の相手をしろー……」

 言葉も、どこかぼんやりしている。

 現輪はため息交じりに告げた。

「あのな、暇くらいは自分で潰すんだよ。無理矢理現世に引っ張ってきたのは悪いと思うが、そんだって何でもかんでも相手してやる訳にはいかないんだから」

「やぁーだぁー。吾の相手をするのだぁー」

 うつらうつらと、駄々っ子のようにうつ伏せになった。どうも眠たくもあったのか、その姿勢のまま、規則正しい吐息になる。

 そういえば、召喚初日で飽きたと口走ったのは、彼女が最初のような気がする。どうでもいい事だが。

「んじゃあ再開しよか」

「あの子、茨木童子さんだっけ? ほっといていいの?」

「危険があるわけでもなし、そもそもあれを害せるレベルの何があるわけでもないからな。寝かせとけ」

「うーん……」

 言われたとおり、放っておくのは後ろ髪引かれるのか、緑谷はちらちらと茨木童子を確認していた。

 また追いかけっこをしようとしたところで、遅れてきた最後の集団がやってきた。その中に、砂藤と飯田の姿もある。

「ワリィ、遅れた」

「待たせてしまったか?」

「いや、ちょうどいいと言えばちょうどよかったよ」

 すぐ準備を始めようとした二人を、現輪は手で制した。

「ちょっと待った。今日からはレベルを一つ上げる」

「ム? 俺としてはありがたいが、しかしいいのか? 我々はまだ君に触れられていないのだが」

「今日のホームルームに相澤先生が体育祭があるって言ってたろ。そこに間に合わせられるよう鍛えようと思った。今ならもう殆ど触れたようなもんだし、いいかと思ってさ。もちろん、そっちが悪くなければだけど」

「おう……! 俺は望むところだぜ!」

「僕も頑張らないと!」

 とりあえず、闘争心はあるようだった。二人の力みに影響されるような形で、飯田もカクカクと手を動かす――なんで影響されたそんな変な動きになるのかは分からないが。

「無論、俺もだ! して、どんな訓練になるのだ?」

「今日からはあっちに行く」

 言って、指さしたのは人工林の方だった。

 後付けで作られただけあって、林は地面に障害物が少なかった。背の低い雑草が並んでおり、足下の邪魔になりそうなのは、木の根くらいか。ぱっと見では、石も落ちているようには見えない。木の間隔もほどよく、散歩する分には問題ない程度となっている。

 だが、走るとなれば話は変わってくる。芝は短くとも、敵の手出しを気にすれば、足を取られる事もある。足場に目隠しがあるせいで、その下に何があるかも分からない。木の位置は、記憶しているだけでは足りなくなる。予測し、上手く回避しなければならなくなる。ましてや人を追いかけるとなれば、気配のある物体、ない物体、両者を選り分けて脳に認識させなければならない。控えめに言っても、別次元の技能が必要になる。

「見れば分かるとおり、今までみたいに無作為に動いてたら木に激突するぞ。これからはおれの動きを把握しつつ、障害物にまで気を遣わなきゃいけなくなる。物の配置を覚えて、機転を聞かせて、やることが格段に増えるぞ。ここまでクリアできれば、戦闘機動にまず問題ないレベルだ」

 ただし、難易度は格段に上がる。

 それは分かったのだろう。三人の顔は、見るからに引き締まった。

「まあ、案ずるよりまずは慣れろだ。とっとと始めよう。失敗しても、打撲くらいなら直してやるから、遠慮せず挑戦したらいい」

 言って、現輪は先導して進んでいった。

 体育祭まで、もうどれほども猶予はない。

 

 

 

 

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