ヒロアカ×Fate   作:トラッキング

6 / 12
06 intermission#1

 闇を帯びる。それ事態は希有なことではない。人間誰しも闇を帯びている。それは心の中にひっそりとであったり、もっと直接的に、身を闇に潜めるであったり。闇はどこにでもある。そして、決して捨てられる物ではなく、逃げられる物でもない。どこにもないように見えて、しかし死角には、かならずそれがあるのだ。

 殺意を帯びる。それもまた、希有と言えるほどではない。悪感情は誰にでもある。殺意とまでは言わずとも、害意、敵意、あるいはもう少し率爾に、虚栄心……。知りたくなければ、目は背ければいい。難しいことではない。自覚したところで。だが、それらを受け入れてしまえば、話は少し違ってくる。

 闇だけであればなんということはない。

 殺意だけであれば、これもまた、重要な事ではない。

 闇と殺意、両方を抱いてしまっても、まだ引き返す事はできるだろう。しかし、それを言葉にしてしまえば? 誰かが問うたのだ。自覚した闇と殺意、意思を示してしまえば? そこに()()()()ものは何なのか。知ることが出来るのは、実行した本人だけだ。

 闇はある。どこにでもある。心にも、物理的にも。そして、殺意はそれらに、極めて潜ませやすい。あるいは、そうした者をヴィランと呼ぶ事もある。

現在(いま)を壊そう」

 誰かが言った。闇の奥深くで、絞り出すように。

「平和を乱そう」

 誰かが言った。殺意を強く固めるように。

平和の象徴(オールマイト)を殺そう」

 誰かが言った。あるいは、誰もが言った……

 深まる闇の中で、殺意が目を覚ました。

 視線の先には、日本最大のヒーロー育成機関、雄英高校があった。

 

 

 

   ▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 雄英高校二日目。さすがに、まだ学校に慣れたという事はないが。二度目の通学ともなれば、道に惑う事はなくなった。

 オールマイト狙いのマスコミに、無難なコメントを残してかき分ける。ちょっとした苦労ではあったが、仕方のないこともである。オールマイトのネームバリューを考えれば、するなと言う方が難しいだろう。既にネット、マスコミ問わず、いろいろな推論が飛び交っている。中にはオールマイトが後継者を探しているという説まであった(そして恐らくこれは正しい)。

 ホームルームが始まってぴったりに、相澤が教壇についた。彼は絶対に遅れない。ただし、絶対に早くも来ない。本人はそれを合理性と言って憚らないが、少しばかり疑問が残る。

「諸君、おはよう。昨日の戦闘訓練で疲れてるだろうが、これが日常になる。早くなれろよ。で、爆豪」

 名指しされ、爆豪はふと顔を上げた。

「お前、個性把握テストの時といい、当たり前のように“個性”を人に向けるな。お前が成りたいのはヒーローか? それともヴィランか?」

「……ヒーローだよ」

「じゃあ二度とやるな。能力があればヒーローになれるわけじゃないんだ。ここでそれを学ぶ気がないならとっととやめろ。次、緑谷」

「ひゃい!」

 うわずった声で、緑谷がびくつく。

「お前はお前で個性をいつまで使えないつもりだ。早く制御できるようにならなきゃ、あっという間に出遅れて、仕舞いには落第、転科だ。それとも一発屋の相棒(サイドキック)にでもなるか?」

「いっ、いいえ! 僕はヒーローになりたいです!」

「じゃあ頑張れ。幸い、魂魄がいれば怪我はノーリスクで治してもらえるんだろ? 個性制御訓練ついでに体術も見てもらえ。それが合理的だ」

「はいっ!」

 緑谷の返事に、相澤は視線だけで了解した。

 次に視線が行ったのは現輪にだったが、相澤にしては珍しく言葉に詰まった。出席簿をぱたぱたと仰ぎ、少しばかり首を捻り、視線をさまよわせる。結局絞り出した声は、ありきたりな、よく聞く言葉だった。

「魂魄、お前の個性……こう、もうちょっとなんとかならんのか?」

「頑張ります」

「そういう定型文は公式の場でだけにしろ。はっきりと言ってみろ」

 なら、と現輪は続けた。

「正直なところ、難しいと言わざるを得ません。昨日のキルケー姉さんは、いいところを見せようとかなり乱暴に入ってきて、満足したため、しばらくはこんなことしないと思います。ただそれは、別のサーヴァントに変わるってだけの話でしかありません。正直言って、トップヒーロークラスの力の持ち主達に五分の権利がある時点で奇跡的なんです。可能性があるとすれば……多分数ヶ月もすれば暴れる奴ほど飽きてこなくなると思います」

「希望は時間だけ……か。せめて授業に入ってくるのはなんとかして欲しいんだがな」

「なら、サーヴァントに頼ること全般辞めた方がいいかと。下手に講師として招くから、「本当の歴史を教えてやる」なんて言う奴がどんどん出てくるんですよ」

 その本当の歴史とやらも大分偏ったものなので(なにしろ大体が自分をいいように脚色する)、当てにはならない。

「全てを合理性だけで済ませられる訳もなし、か」

 ふっと、相澤が息を吐いた。所に、唐突に信長が出てきて、いぇーいと挑発をした。キレた相澤が出席簿をぶん投げるも、その時には既に霊体化が終わっている。かつんと空しい音を立てて、出席簿は背面の壁に当たった。

 投げた出席簿を回収して、彼は深く深く、ため息をついた。

 本人は気づいていないかも知れないが。相澤消太は、一部サーヴァントにとっておもちゃであった。

「まあいい。それで、今日は学級委員長を決めて貰う」

 言った瞬間、教室中が湧いた。

 騒がしい教室内を落ち着かせ、牽引しようとして……まあそれには全く失敗していたが、とにかく飯田が舵を取って、学級委員長を決めようとした。

「なんでもいいが、授業に影響がないよう早めに決めろよ」

 言いながら、なぜだか彼はもそもそもと寝袋を被り始めた。合理性に抵触しなければ本当になんでもいいんだな、とは現輪だけの感想ではなかったが。

 皆が沸き立つ中、現輪は一人ぼんやりしていると、ふと隣の席の麗日に声を掛けられた。

「魂魄くんは立候補せんの?」

「俺はなあ。ヒーローやりたくて仕方ないってんで、ここに入学した訳じゃないからな」

「そんなもんかぁ」

 分かったような、分からないような。曖昧な様子で、麗日が返答する。

 学級委員長は、飯田の提案で投票制にするらしい。とりあえず現輪は声を掛けられたからと言う理由で、麗日に投票しておいた。後はまあ、なんでもいい。

 午前の授業が終わり、現輪は手早く食堂へと向かった。

 特に食事の必要ないサーヴァントだが、だからといって娯楽としてのそれが必要ないわけではない。ましてやプロ級の料理を堪能できるとあらば、希望するサーヴァントは多かった。

 幸いと言っていいのか、英雄が学校内で食事をするという噂は一日で広まっていた。席は自然と開けてくれているらしい。中にはその姿を遠巻きに見て、現れた英雄が一体誰かを予想する、などという事まで行っている。

 人の迷惑にならないよう手早く食事を終えて、食堂から出る。背後では、あの顔は動画で見ただどうだと盛り上がっていた。

 と、

 急に、サイレンが鳴った。全員が体をびくつかせる中、続いてアナウンスが入る。

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難してください』

 わっと、人の波が生まれた。いくら雄英生といえど、所詮はまだ高校生。ましてや殆どの生徒は、荒事と無関係な学科だ。あっという間に場はパニックになった。現輪はなんとか流されないよう隅に避難した。パニックに流されるよりは、いくらか落ち着くまでこうしていた方がいい。

(……ん?)

 急に、感覚に刺さるものがあった。鋭くはない。ほつれた糸が肌をなでるような、ささやかなものだ。が、確かにそれを感じた。今、確かに、気配が増えた。

 人でごった返す中、感覚を鋭利にするのは困難なことだった。現輪には、無数の気配を見分けるほどの技能はない。そもそもこれだって、奇襲に耐える為の技術である。離れた場所にある気配を正確に察知するというのは、対暗殺技能者以外の何かだ。

 人波をかき分けて、感覚が命じる方へ向かった。すぐに人の姿がなくなる。

 気配を感じたのは、どうやら職員室のようだったが……

 たどり着く頃には既に、気配はなくなっていた。

「なんだったんだ……?」

 独りぼやきながら、その場を後にする。グラウンドでは、既に生徒の整列が始まっていた。

 放課後、結局ホームルームまで響いた学級委員長決めは、飯田と八百万に決まった。気配については結局知れず、どこかもやもやしているうちに決まっていたのだ。

 現輪は答えの出ない疑問は忘れて、鞄を持って立ち上がった。

「緑谷、ちょっといい?」

「え? うん、なに?」

「先生が朝、俺が見てられるうちに個性の訓練しろっていってただろ。だから一緒に自主訓練どうかと思って」

 鞄の中から、一枚の用紙を取り出し、見せる。用紙には第三修練所使用許可書と書いてあり、相澤の署名もある。

「ありがとう! 実は僕も……」

「だったら俺にテメェをブッ殺させろや! 昨日のこと忘れてねえぞコラ!」

 話していると、前の席に座っていた爆豪が、いきなり話に飛び込んできた。現輪は驚きながらも頷いた。

「まあ相手するくらい構わんけど」

 ふん、と鼻息荒く、爆豪は鞄を持って出ていった。先に向かっているという事なのだろう。

「自主訓練か、いいな! ボ……俺も参加していいだろうか!」

「おう、よろしく」

 真面目な彼らしく、杓子定規に握手を交わす。と、その時、服の袖を引っ張られた。峰田だった。

「なあなあ、自主練ってあれだろ? 誰か来るんだろ?」

「師匠が来るが」

「よっしゃオイラも参加するぜ!」

 ヒャッホウ、と小さく飛び上がりながら、峰田も爆豪の後を追って、走って行った。

 半ば置き去りにされた三人で、第三修練所へと向かう。

 歩いていた時は普通の動きだったのだが、話し始めると、急に手をかくかくとさせて、飯田。

「しかし、魂魄くんは真面目だな。二日目にしてもう自主訓練を始めるなんて」

「まあ普段家でやってることの延長だよ。中学に居た頃は、いったん家に帰ってから山までいってたんだけどな。おれの家、雄英から遠いから、いったん帰ってからまた出かけると、大分時間をロスするからさ」

「僕も遠いから分かるなあ。通学大変だよね。近くにアパート借りたいって人の気持ちが分かる」

 わいわいと雑談しながら歩く。

 第三修練所は、雄英敷地内のやや奥まった場所にあった。もっとも、雄英の校舎自体が敷地の端にあるので、だいたいどこに行くのも奥まってはいるのだが。修練所は人工林の手前あたりにあり、そこそこ距離があった。

 途中の更衣室に寄ると、先に行った二人は、既に着替え終えた後だったらしい。三人して、UAという文字がでかでかと刻印してある、ハイセンスなんだかよく分からないジャージに着替えた。制服に比べてこれはどうなんだ、とは在校生が一度は思うことらしい。

 ともあれ、修練所に行く。

 着くと同時に、爆豪が飛びかかってくるとも思っていたのだが。予想に反して、彼は大人しかった。

 というか、地面に突っ伏していた。上から脚で押さえ込まれて。

「クソがぁっ! 離せや!」

「はっはっはっ、威勢だけはいい小僧だ」

 爆豪も必死に逃れようとしているのだが。上から押さえ込んでいる脚は、その抵抗を予想し、先回りしている。いくら動き回っても、拘束はぴくりともしなかった。

「師匠、なにやってんの?」

「なに、お前が来るまで暇だったからな。ちょいとこやつをからかって遊んでいたのだが、存外に歯ごたえがない」

「ざっけんな!」

 じたばたと藻掻き続ける爆豪だが、それは全くの無意味だった。その光景が信じられないというように、緑谷は呆然としていた。

「いいぞ爆豪ぉ! もっと暴れろぉ! そのたびにおっぱいがぷるぷぎゅる!」

 横で歓声を上げていた峰田が、槍の石突きでぶん殴られる。変な声を上げながら転がっていった。

「お姉さん、初めまして! 俺は飯田天哉と申します! ところで人を踏みつけるのはよくない、離していただけないでしょうか!」

 びっと、飯田が平常運転で言う。むしろ異常事態などないと言わんばかりの動揺のなさだった。

 言われて、彼女はうむと頷いた。脚をどかすと、爆豪が跳ねるように距離を置く。さすがにそのまま飛びかかっていく事はなかった。実力差を痛感しないわけがないので、当たり前だが。

「うむ、礼儀正しい。私をお姉さんと言ったのもポイントが高い。10点プラスしてやろう」

「ありがとうございます」

「なんだかわかんないのに礼を言うなよ」

 ぴっと敬礼した飯田に、とりあえず指摘する。

「あの、それで、どなたなんでしょうか……」

 おっかなびっくり聞いたのは、緑谷だった。

 こういった場合、彼女は自分から答える事はまずない。相手の反応を探って戯れているのだ。それが分かっているため、現輪は代わりに答えた。

「スカサハだよ。って言っても、分からないか」

 言うと、二人は考え込んだ。爆豪だけは別で、スカサハの隙をうかがおうと、周りでじりじり構えている。

「ごめん、分かんないや」

「緑谷くんに同じく」

「なんと、この私の名を知らんと? お前達はそろって10点マイナスだ」

「なんか減点された……」

 意味が分からない採点に、ひっそりぼやく緑谷。

 無意味と言えば無意味な採点であったが、それを理由に横暴な振る舞いをしてくることがあるため、無視もできない。かといって加点に何かメリットがあるわけでもない。ついでに言えば、十分な加点があっても場合によっては、時には気分次第で理不尽が降りかかってくる。結局その時その時で立ち回るしかない。

「師匠、初対面の相手にそういうのやめてよ」

 言って聞く相手でもないのだが。

 向き換えって、現輪は二人に説明を下。

「ケルト神話をちゃんと読み込んでないと分からない名だよ。そもそも日本じゃケルト神話自体がマイナーだしな。細かい事はともかく、世界的に有名な槍術の指導者って思っておけば、まあ間違いはない。俺の槍術も、師匠のそれがベースになってるし、実際めちゃくちゃ強いよ」

「テメェよりもか」

 言ったのは、爆豪だ。

 彼はいつの間にか構えを解いていた。隙をうかがうといっても、スカサハは常に隙だらけで、逆に隙がないと気がついたのだろう。いつでも攻め込めるようで、いざ実行しようと思うと、挙動を先んじて制される。現輪もほど10年前に、同じ思いを味わった。

 爆豪の鋭い視線を逸らすように肩をすくめて、現輪は言った。

「どこをどう比べての話かは分からないが……まあ、俺より強いよ。とりわけ宝具――個性みたいなもんだが、それを使われたら絶対に勝ち目がないってくらい」

 宝具を使われた時は死ぬときだが、とは言わない。そもそも宝具を使わない時だって、魔術で治療されなければ何千回死んでいるか分からないのだし。

 ぎらりと、ただでさえ鋭い爆豪の視線が輝いた。

「おい、テメェ、俺を強くしろ」

「無理だ」

 スカサハは即答した。

「私は見ての通り手弱女でな。素手での戦いにはとんと疎いのだよ」

「ハッ! 何が手弱女だ妖怪ババァッ」

 言葉は最後まで言えなかった。スカサハの振った槍が、彼の側頭部を思い切り叩いて中断させた。勢いのまま転がって、完全に伸びている峰田の横まで転がる。槍をたたき込まれたそこには、でかいたんこぶができていた。

「こういう人だから口には気をつけるように」

 緑谷と飯田は、同時に勢いよく首肯した。

「んじゃあ、修行始めましょうか」

 現輪は槍、というか杭を取り出す。

 現輪とサーヴァントの関係は、少々特殊だ。というのも、関係は基本的に人対人ではなく、人対地、もしくは物となっている。サーヴァントから武具などを受け取ること自体はできるが、それの所持者になることは出来ない。サーヴァントの感覚からすると、道具を貸し出す行為は、地面に置いているのと同じ感覚らしい。もっとも、そうじゃないからと言って、宝具をくれてやるような奴がいるわけもない……事もないのだが、まあ、渡されても困るというのが現輪の感想だ。忌避感なく持ってこれるのは、山のようにあっていくらでも使い捨てられる杭くらいだった。

「それについてなのだがな……」

 呟きながら、スカサハは練習用の、木製の棍を取り出した。槍型でない理由は、彼女の技量で振るえば、刃を丸めた槍でさえ簡単に刺さるからだった。ちなみに普段は鋼の槍を扱っているし、当然刃引きなどされていない。普通に刺されるし斬られるし、なんなら撲殺もされる。

「お前もいい加減技量はクー・フーリンを超えたが、如何せん体が貧弱だ」

「あの……」

 恐る恐ると言った様子で、緑谷が手を上げた。視線の先には、未だ伸びたままの爆豪と峰田がいる。

「発言を許可する」

「魂魄くんって強力な増強系くらいの身体能力があるんですけど」

「その程度では話にならん」

「あれでですか!?」

 飯田が絶叫するように言った。それにスカサハが、大きく頷く。

「当然だ。技量においてクー・フーリンを超えるはずなのに、いざ対戦すれば現輪の勝率は著しく低い。魔術で己を強化していてもだ。これは偏に身体能力の低さが原因だ。まるで話にならん。せめて同等の身体能力を得るか、地力の低さを補う技量を手に入れなければ」

「神の血を受け継いでたり、神の寵愛を受けたりした奴と同等の身体能力を求められても困るんだけど……」

 と、そこまで言って、現輪はかぶりを振った。

「だからって勝てませんじゃ済まない。だろ?」

「うむ、それもまたその通りだ」

 飯田が大きく頷いた。親族にヒーローがいると、やはりそういう場面は思い浮かぶのだろう。

「ではお前達、全員一緒にかかってこい。確りと考えて戦えよ? 現輪は壁を越えて強くなれ」

「もう何度も超えたはずなんだけどな」

「何度超えたかなど知らん。何度でも超えろ。でなければ死ね」

 すげない言葉に、現輪はひっそりと嘆息し。全員で一斉に躍りかかった。

 戦う、と一口に言っても、そこには当然差が存在する。差は、挑んでいる者同士の能力差であったり、連携能力であったり、とにかく全てだ。初対面で戦法も技量もばらばらの三人、そんな者達が囲んだところで、たいした成果が得られるはずもない。それ以前に、現輪には連携能力が全くない。今まで誰かと共闘するという事を、考えさせられた事もなかったのだから当然だ。能力差だけでも致命的なのに、連携も知らない人間が三人。囲んだところで成果などないのは分かっていた。

 現代の警察や軍隊は、無闇な連携が無為であると分かっている。差というものが、連携とは致命的に相性が悪いとも。だから個性という差に普遍性を求めるのを辞め、道具と素地で画一した能力に揃え、連携することを選んだ。

 はっきり言ってスカサハは遊んでいた。普段であれば、つたない連携でふがいない戦いなどしていれば、心臓の一つも貫かれるのだが。今日は叩きのめされるだけで、それもすぐに回復される。本当にただの様子見なのだろう。

 十数分ほど経過し、全員が死ぬほどぶっ叩かれた頃だろうか。爆豪が起きて、これに参加した。が、これは致命的だった。

 ただでさえちぐはぐだった連携が、彼によってさらに乱される。それでもしばらくして、爆豪を中心にしてなんとか連携の形が取れてきたところで、峰田が起きた。スカサハが「もし槍をかいくぐって触れられたなら、胸でも何でも揉んでいい」などと言うものだから、また連携の組み直しに苦心させられた。

 五人同時に襲いかかるのは、互いが邪魔で無為だと悟るのに、そう時間はかからなかった。最大三人、スカサハの立ち回りも含めれば、それが限界の人数だった。

 今は現輪と一緒に、緑谷が休んでいた。槍でそれなりに防御できている現輪はともかく、緑谷は叩かれた場所がまだ痛むのか、しきりに体をさすっている。魔術で治癒自体はしているのだが、現輪の腕前はお世辞にも高いとは言えないし、そもそも完全に痛みまでなくせる訳ではない。

「ねえ、魂魄くん」

「あん?」

 水分補給しているところに話し掛けられて、変な声が出る。ボトルの中身を頭にかぶり、彼の方へ向いた。

「魂魄くんって強いよね。いろんな事ができるし」

 唐突に言われて、ふと考え込んだ。思い出すのは、日常のことだ。なんてことない日常――殴られて半殺しにされたり、剣で切られて半殺しにされたり、槍で突かれて半殺しにされたり、関節技でへし折られて半殺しにされたり、鈍器で潰されて半殺しにされたり、矢で射られて半殺しにされたり――そんな毎日。

 現輪は真顔になって、緑谷に答えた。

「俺の環境で強くならなかったら死ぬわ。強くなる環境ってだけで言うなら間違いなく世界一だぞ」

「そ、そう」

 あまりに真剣な言葉に、緑谷は言葉をつっかえていたが。

 なんにしろ、死ぬという言葉は比喩として捉えたようだ。全く冗談じゃないのに、と現輪はどこか釈然としないものを感じながら呻いた。

「その、図々しいお願いだっていうのは分かってるけど……僕に魔術を教えてくれないかな」

「教えるのは構わんけど」

 あっさり言われて、緑谷は面食らっていた。

 言いながら、空になったボトルを使用済みのかごに放り投げる。さすが天下の雄英と言うべきか、片付けは必要ない。施設利用の申請をした段階で、用務員の掃除まで予約されている。当然、あまり汚せば警告があるが。

「現代人は、突然変異型の個性持ちじゃないと使えないらしい。無個性でも普通の個性でも可能性が低いとか。絶対に無理って訳じゃないらしいが、正直ギャンブルにしてはかなり分が悪いそうだぞ。ああ、理由は俺に聞くなよ。アカデミックな内容はさっぱりなんだ。で、お前、突然変異型だったりする?」

「ううん……」

「じゃあその上で、ダメ元で魔術学んでみるか? 先に言っとくけど、お前が思ってるほど魔術は便利じゃないぞ。基本的に増強系の方が強化倍率は高いし、万能性だって体質だか素質だか……とにかく生まれ持ったもんに左右されすぎる」

 緑谷は、言葉を聞いてしばらく、じっと考え込んだ。何かをぶつぶと言っているが、聞き取れるほどの大きさではない。やがて決断したように顔を上げた。

「やめとくよ。僕はまだ、個性だってまともに扱えないんだ」

「俺もその方が無難だと思うよ。試すなら全てに行き詰まってからでも遅くない」

 座り込んだまま動けない緑谷に、ボトルを渡す。彼の息は整っていたが、水が上手く口に入らないのか、零していた。

(緑谷は……確か一般家庭の出だったか)

 ならば大変だろうな、と現輪はひっそり同情した。

 現代社会において、一般家庭の人間が雄英に入るのは極めて難しい。ヒーローの家系でも、資産家の元に生まれた訳でもないというのは、それだけ大きなデメリットだ。

 現輪は一度、強くなるために、自分で鍛え方を調べたことがある。結果は無残なものだった。

 理由はいくつかある。最大の理由は、スポーツ科学の発展が停滞した事だろう。

 およそ一世紀前、個性が発見されたばかりの頃だ。個性という存在により、人間の構造そのものが一部代わってしまった。そのせいで、生物学関係の学者全員が、個性という身体機能を中心に再出発したのだ。その煽りを最も強く受けた学問の一つが、スポーツ科学だった。言い方を変えれば、優先順位が低かったとも言える。なんにしろスポーツ科学は、本来順調に発展した場合に比べて、およそ半世紀分近くも遅れを取っている。

 もう一つに、単純に武術の規制があった。こちらの事情はスポーツ科学のそれよりもっと単純で、一般市民に無用な力をつけさせない為である。

 過去にこんな話があった。中東のあたりで、武術を収めた増強系が、ライフルで武装したテロリスト18名を一方的に抹殺した、と。これは極端な例であるが、個性の脅威を端的に示した事件でもあった。つまり、武術を収めた戦闘系個性持ちは、現代兵器で武装した戦闘部隊よりも強い。

 武術と個性を組み合わせた危険性は、各国に周知された。そのため、今では道場を開く場合、所定の資格と、警察によるかなり厳重な審査が必要になる。はっきり言ってそこまでして道場を開く物好きは少なく、当然通える者も限られている。世間一般で強者と言えば、それは強い個性を持つ者の事である。そうでない場合も、単純にセンスがある者の事を指し、格闘技能持ちがそう呼ばれることは、強い個性を持つより希だ。

 一般家庭出身で、取り立てて運動神経がいい訳でもない緑谷出久。そんな彼に、増強系の個性が割り振られた。いくら個性が強いと言っても、雄英に入るのは並ならぬ事であっただろう。ましてやもらい物の個性で、使いこなせていないのならなおさら。

 魔術に浮気したくなる気持ちも、現輪には十分に分かった。まあ、十年早いとは思ったが。

 現輪と緑谷、二人が息を整え終えたところで、ちょうど峰田が弾き飛ばされた所だった。息が上がっていた飯田も、足が止まりかけている。

「そろそろ行くか」

「うん」

 準備を整え終えた二人が、入れ替わるようにして突撃していった。爆豪の咆吼と挟み込むようにして、スカサハに躍りかかる。

 今日の訓練は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 鋭く、手が迫る。手のひらこそ開いて、攻撃的な形ではない。が、指先を固め、増強系の膂力が乗れば、それは槍とさして変わらない。

 生半に受ければ、現輪とてただでは済まない。叩いて体制ごとたたき落とし、目の前から迫る体ごとまたぐように、その向こう側に逃げる。素直に横や後ろに逃げなかったのは、背後からも気配が迫っていたからだ。首筋の後ろ側に、強烈な風圧が通り過ぎる。蹴りだ、と直感した。風の塊が当たるほどの風圧を生み出すのは、やはりこれも常人に成せるものではない。

 移動経路を絞られたことは自覚していた。逃げた先、タイミングを合わせて飛び込むように、影が迫る。

(甘い)

 間、角度、動き。全てが申し分ない。ただ、前者の二つに比べれば、明らかに動きが遅かった。それは致命的な差だった。

 身長差と、リーチの違いを生かして、その影の頭を押さえ込んだ。まっすぐ下に落とす。

 影はつんのめるが、なんとか姿勢を支えようとした。が、無意味だ。いくら連携が上手くいったとしても、基本的な体術が向上するわけではない。ただ体術のつたなさを数と死角の少なさで誤魔化しているだけだ。影は転びながらも手を伸ばしてくるが、当然そんなものに触れさせてやるわけがない。

 現輪はついでとばかりに影の襟を掴んで、側方に投げ飛ばした。一人目が追撃をかけようと追ってきた方向に。影と一人目は激突し、一緒になって地面に倒れ伏す。

 最後に、破れかぶれになった二人目が蹴りを放ってくるが、これは余裕を持って躱す。ついでとばかりに服の端を掴んで捻り上げ、山と積まれた二人の上に投げ飛ばしてやった。

「ごっ」

「うぐっ」

「ぐうぇっ」

 三人のうめきが連なる。現輪はしばらく体勢を維持したが、やがて次の手がないと知ると、体から緊張を抜いた。

「お前らなあ。もうちょっと気張れよ」

「痛てて……」

「そう言われてもなぁ」

「うむ。魂魄くんのキレは良すぎる。あまり比較したくないが、近距離では兄より鋭いぞ」

 下から順に、緑谷、砂藤、飯田が呻いた。

 現輪が屈むと、彼らはそれぞれ座り直した。もう何度も繰り返した事だ。この追いかけっこをしては、失敗するたびに休憩、もとい反省会を取るというのは。

 最初の放課後トレーニングから数日、今ではクラス全員が参加するようになっていた。それに伴い、教育者陣も本気を出し始めた。ひよっこ以下揃いとはいえ、なんだかんだ世代代表クラスの才能の持ち主達だ。面白い教育材料ではあるのだろう。とりわけスカサハ、ケイローン、李書文は毎回参加している。彼らはつまり、現輪の主立った師匠でもあるのだが。

 李書文が爆豪と切島を連れ去り、八極拳を教えている。

 スカサハは轟、八百万を奪い、彼らにまず絶対に折れない槍を作れと無茶ぶりをしていた。

 その他は、素手格闘の基礎能力向上として、ケイローンが一括して教えている。三人の中ではましな方ではあるが、彼も中々頭のおかしな教師だ。教えられている人間は、血反吐を吐いている。

 そして、残りが現輪を教師に据えた、緑谷、砂藤、飯田チームなのだが。ここの教育は、順調とも言えたし、難航しているとも言えた。

「しかし、こんなことをしていていいのだろうか……」

 ぽつりと、立てた膝に顔を埋めるようにして、飯田が言った。

 彼に、現輪は問いかけた。

「こんなって?」

「この魂魄くんに触れたら勝ちというゲームだ。他のクラスメイトは、端から見ても強くなっているのが分かる。それに比べ俺達は……」

 飯田が、口の中を渋くしながら呻いた。

 彼の感想は、他の二人も感じていたのだろう。似たような表情で焦っていた。

「指示したのは先生だったよな」

「先生?」

 聞き返してきた砂藤に、現輪は頷いた。

「ケイローン先生。スカサハ師匠、ケイローン先生、書文師父、なんて俺は呼んでる。まあこれはどうでもいいが」

 本当にどうでもいいので、脇に置く。手に払う動作をしながら。

「強さには三本の柱がある。これは何だと思う、緑谷。難しい話じゃないぞ。基本的な事だ」

「基本的……パワーとスピード、後は分からないや」

「防御力じゃないか? シールドヒーロー・クラストとかそっち特化だし。違うか?」

 緑谷に捕捉するようにして、砂藤が答えた。現輪はそれに首肯した。

「こっからは俺の持論が入るけど、普遍的な強さを手に入れるって考えた場合、その三本柱のうち、二つが必要だと思っている。耐久力と攻撃力があれば、無理矢理ごり押しが可能。パワーとスピードがあれば、わかりやすく先手必勝。早さと防御力なら、タンクみたいな役割だとか。例えばオールマイトなら、パワーとスピードを持っている。さらに、ここに一定の体術がいる。素手でも武器でもなんでもいい、自分が持つ柱を生かせる技術だ」

 指折り数えながら、現輪は続けた。

「で、だ。師父は攻撃センスと、それを生かす破壊力を持てる奴を取った。師匠はもっと簡単で、槍をその場で生み出せる奴だな。ここにいるのはシンプルに、自分の肉体で高い機動力を生み出せる奴が集められた」

 ケイローンに聞いたわけではないが、これくらいは分かる。十年も弟子をしていれば、分からない方が問題だろう。

 はっとして、緑谷は顔を上げた。

「僕と砂藤くんは増強系、飯田くんはエンジンの個性、みんな早くなれない訳がないんだ!」

「その通り、三本柱のうち一本、速さを絶対手に入れられる奴がここに集められた。俺も方向としては速さ特化だから、基礎能力を教えるのに俺が選ばれたんだろうな」

 一息おいて、現輪は続けた。

「まず飯田。スピードは十分だよ。ただ緩急付けられると途端に処理落ちするのがお前の欠点だな。お前が緩急をつける必要がある、とまでは言わない。だけど、速度に緩急をつけられる相手に追いつけなきゃ話にならん」

「うむ、俺の昔からの課題だ。全力で対処しよう」

「頑張ってくれ。次に砂藤だが……」

 彼は一人、まだしょんぼりしていた。様子からすると、どうも自分の能力に疑いを持っているようだった。もっと端的に、心が折れかかってると言ってもいい。なんにしろ、この訓練で一番伸び悩んでいるのは彼だった。

「体術とかより、まず個性の使い方だな。はっきり言って全くなっちゃいない。ちょっと聞きたいんだけど、お前の個性ってオンオフしかできないの?」

「いや、微調整はできるんだが……できるはずなんだが……」

「ええと……」

 言葉の選び方に、現輪は悩んだ。こういうのは、自分の柄ではないのだが。そもそも彼自身、まだまだ修行中の身だ。基本的に戦闘型のサーヴァントに劣るし、そうでなくとも、宝具を使われれば勝負は分からなくなる程度の力しかない。

「そうじゃなくて、全身にくまなく使うことしかできないのか? 筋肉の動きに合わせて個性を使えば、もっと爆発力があるはずなんだが」

「試したことがない……いや、あるのか? ずっと昔、難しくてやめたような気がする」

「お前、個性把握テストで何位だった?」

 不意に問われて、砂藤は考え込んだ。テストがあったのはほんの数日前の事だが、順位など、あまり記憶深いものでもない。最下位になったら除籍というプレッシャーがあればなおさら。

「確か12位、いや13位だった」

「増強系の接待みたいな試験でその程度っていうのがそもそもおかしいんだよ。今のお前の個性は、全身力みながら動いてるようなもんだ。筋肉が上手く動いてないし、力んだ筋肉が動きの邪魔までしてる、っていうイメージが近いか。とにかく、個性と筋肉を連動できるようにしろ。そうすれば、次に個性把握テストなんてあったらクラス上位に入れるはずだ」

「おう!」

 彼は力強く頷いた。無くなりかけたプライドがもどりかけたのだろうか。

「で、緑谷なんだが……一番難しいんだよなあ」

「だよね……」

 本人も自覚はあるのか、肩を落として答える。

 現輪はうーんと悩みながら、問題を列挙していった。

「技術面じゃ問題ないんだよな。センスがあるわけじゃないが、考える力が飛び抜けてる。一個一個丁寧に、順調に成長してる。ただ如何せん、背が低い、骨が細いっていう典型的フィジカル弱者だからな。手に入れた技術を生かせるスペックがない」

 何より、と現輪は、さらに深く悩んだ。

「個性をマジにオンオフでしか使えてねえ。一回スイッチ入れたら局所がぶっ壊れる力しか出せないって、どんだけピーキーなんだよ。いや、体をぶっ壊さなきゃいけないのに躊躇なく使えるってのは評価するけど。おかげでキルケー姉さんがいないと迂闊に個性も使わせられない」

「う……本当に申し訳ないと思ってます」

 緑谷は、肩をすくめて、苦笑いをしながら答えた。

 笑い事ではないのだが、本当にどうしうようもない場合、人間はそうするしかないのかもしれない。彼の表情も、引きつった結果苦笑に見える、というだけなのだろうか。

「ちょっと聞きたいんだけど、緑谷はいつ個性が発現したの?」

 一瞬、いつ引き継いだのか、と問いそうになって、それはなんとか制する。オールマイトの秘密は、漏らしていいものではない。そして、知っていることを知られてもいけない。そういう類いの秘密だった。

「そうだデクてめぇ! 俺を騙してやがったなあ!」

「ヒィ!」

「なんなのお前。地獄耳なの?」

 いきなり、少し離れたところで套路を踏んでいた爆豪が絶叫した。聞き耳をたてていてもおいそれとは聞こえない距離のはずだが。

 直後に、書文に「よそ見をするな!」と怒鳴られながら、腹を殴られていた。悶絶しながら転がり、何メートルか吹き飛ぶ。腹を押さえ苦痛に食いしばりながら、それでも緑谷を睨んでいる姿は、見事と言うかなんというか。

「個性は……最近です」

「もうちょっと詳しく」

「えっと、今年に入ってから……一月末です」

「今年!? 一月末!?」

 声を上げたのは、飯田だが。それに砂藤が続けるように言った。

「そりゃ使えねえよ……俺が個性暴発させて、物ぶっ壊しまくってた時期と同じじゃねえか。お前、受験直前に発現して、よく雄英に合格したな」

「待てや、ゴラァ……!」

「ひえっ」

 地獄の底から響いてくるような声。爆豪が、腹を強く押さえながらも、芋虫のように這ってこちらに向かってきていた。

 餓鬼もかくやという表情に、皆が一歩引いた。現輪も表には出さなかったが、ドン引きである。

「嘘じゃ、ねえだろうな! 俺に、黙って、たんじゃ、ねえ……だろうなぁ!」

「ち、違うよ本当に! 個性が出た時はもう中学も自習ばっかりで、話す機会がなかったんだ! 本当だよ! かっちゃんも年明けてから僕と話した記憶ないでしょ!?」

「……チッ!」

 苦しいだろうに、わざわざ舌打ちまでして、爆豪。

 その後さらに、彼は書文に「いつまで転がってるつもりだ」と蹴っ飛ばされ、無理矢理引きずられていったが。なおその様子を見ていた切島は、マジかよこいつという表情をしていた。

 爆豪が消えて、しばし沈黙があたりを支配した。他のチームの訓練音だけが響く。誰も、何も話さなかった。静寂……というよりも、爆豪の乱入からなる謎の気まずさに、耳の奥が痛くなるほどだった。

 おほん、と咳払いし、空気を変えたのは現輪だ。そうしなければいけない、謎の義務感があった。

「とにかく、緑谷と砂藤は一時個性の使用を禁止。ちょっとこっち来て」

 やってきた二人の肩にそれぞれ触れて、現輪は目を閉じた。

 魔術。それを扱う感覚は人それぞれ違うらしい。こればかりは自分で獲得するしかないと、キルケーに、そしてスカサハにも言われた。現輪は目を閉じて、心の中に浮かべる。古びた器だ。大きな、広い、縁が見えないほどの杯――。それに、水を注ぎ込むイメージ。それがスイッチだった。

我が命において、力を与えよ(ウル)

 魔力は魔術回路を通って変じ、魔術という指向性を持って両者に流れた。体の()()()()湧き出す力に、二人がびくりとする。

「シンプルな強化の魔術だ。お前らの体が耐えられるギリギリまで強めたし、体の動きに合わせて力が流れる。今日はそれで訓練して、明日以降、個性をその感覚に寄せていってくれ」

 言いながら、現輪は魔術回路を閉じた。

 普段であれば、怪我を覚悟で個性を使わせてもいいのだが。今日はキルケーがおらず、そうもいかない。

 彼女は今、警察と会談中だった。

 

 

 

   ▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 塚内直正は、ぎりぎりと痛む胃を押さえていた。

 警視庁の広い会議室に、たった二人。一人は直正、もう一人は、見た目幼い少女だった。長いストロベリーブロンドの髪に、どこか人間離れした美貌。顔立ちも体つきもまだ幼いが、その体に纏う衣装はいっそ扇情的とも言える。ただし――その顔に張り付いたものは、外見にそぐう類いのものではなかった。笑顔ではある。ただし、張り付いたような。口元と目元だけをうっすらと歪めた、人形に設えたような微笑。魂魄現輪に言わせれば、それは魔女の顔というのだろうが。

 こんな部屋に、官能をそそる少女と二人だけで居れば、関係を疑う者もいるだろう。何のことはない、単純に、他の者が彼女との同席を拒絶しただけだ。あるいはもっと直接的に、この幼さ残る女性に恐れをなした、と言ってもいい。

「さあ、今日の話を進めようか。私もこんなところで長々と油を売っているほど暇じゃないんだ」

 にこりと笑いながら告げる。少女の声で、悪魔のような宣告を。

「ええ、そうですね。キルケー氏」

 直正の言葉ははっきりとしたものだったが、その中には、確かに恐れが存在した。

 彼だって、本当はこの恐ろしい女と話したくなどなかった。たまたま関係者で、階級が一番下だった。それだけの事で、こんな下手を掴まされた。

 キルケーはテーブルに肘を突き、組んだ手の甲に顎を乗せて、直正をまっすぐ見た。間違っても親愛のそれではない。もっと言えば、人間をみるそれでもない。のたうち回って今にも死にそうな獣を嬲る目か、体の端から壊れていく人形を弄ぶ目か。

 考えて、直正はかぶりを振った。勝手な想像は辞めよう。なんであったとしても、ろくなものではない。少なくとも、勝手な想像である内は。

「今日は、なんだったかな。君たちとの話しは、本当にどうでもよくて、実りがなくて、忘れてしまったよ」

「魔術回路とやらの……事情についてです」

 彼女の圧力に気圧され、絞り出すように答える。

 ――かつて、魂魄現輪が言っていた事を思い出す。キルケーは魔女である、と。

 神に連なる存在を信じてはいけない。逆らってもいけない。頼るなどもってのほか。必ず自分が思っている以上の借りを作ることになるから。そして、魔女はその借りを、必ず取り立てる。

 逃れようと考えてはいけない。必ず最悪を超えた結果を生み出すことになる。一番いいのは、魔女が魔女の顔になるまで付き合わないことだ。

 当時の自分を殴ってやりたい。直正はひっそり頭を抱えた。

 彼のその言葉を、直正は一笑に付していたのだ。思春期の少年少女によくある、身内を褒めることを避ける感情だろう。もしくはもっと単純に、好きな姉を取られる事を避けたのだろう。そんな風に思っていた。彼の本気の、渾身の警告を。

 結果がこれだ。彼も、そして警察も、もはや抜け出せぬ沼に浸かってしまった。

 直正の様子は、キルケーも分かっているだろう。分かっていないはずがない。しかし、彼女がそれを鑑みる事はない。彼女はあくまで、魂魄現輪の愛する姉であり大魔女なのだから。

「魔術回路……そうだね、平行世界、分かるかい? まあ一般的な認識程度でいいんだ、分かるね」

 彼女は問いかけたが、答えは全く期待していなかった。返事も待たず、どころか直正の様子も無視して続ける。

「私たちの本体は、この世界から一歩踏み出した英霊の座、という場所に保存される。だから、我々の記録は、平行世界までをもまたいで共通なんだ。記憶というほど確かなものじゃないのが難点なんだけどね。ただし、遠近の感覚はある。この世界から遠いほど、共通された記録は朧気になる訳だ。うちだとカルナなんかがそうだね。異世界の聖杯戦争の記憶はある、あるけど、本当に()()()という程度の事しか思い出せない」

 キルケーが片手をほどいて、指を振った。次の瞬間、空気が冷える。単に空調を冷やしたのか、それとも空気そのものを変質させたのか、どちからは判断できなかった。恐ろしいのは、どちらであっても息を吸うように実行できるという点だ。

「この世界は、魔術がある世界と比べると、だいたい5世紀ほどに物別れしたんだろうねえ。他の世界では裏側で脈々と続いていた神秘の秘密、魔術の技法が、そのあたりで完全に途絶している。たまーに、パラケルススやアヴィケブロンといった天才が魔術を再発掘する例外を除けば、失われた技術扱いだった。名実ともにね」

 冷気で冷えた肌をさする。

 キルケーは小さく笑った。何が面白いのかは分からない。ただ、童女のように、老女のように嘲笑う。

「もう分かるんじゃないかな。個性因子とは魔術回路――かつて魔術を扱うためのシステムだったものだよ。それが神代返りし、変質し、魂の代わりに肉体と結びついたのが個性なのさ。だから普通の個性持ちに魔術は使えない。魔術回路が完全に変質しているから。だから無個性に魔術は使えない。魔術回路そのものがないから。唯一、突然変異型個性の持ち主だけが魔術を扱えるんだ。彼らがなんで親から引き継がない個性を扱えると思う? それはね、個性が肉体ではなく魂由来だからだよ。先祖返りしていくらか個性因子が魔術回路に戻ったもの、それが突然変異型の正体だ」

 何か、今までとは違う表情で、とても愛おしそうに彼女が笑った。

 その先に何があるか、それだけは直正に分かった。魂魄現輪だ。彼女はなぜだか、あの少年にとても執着している。いっそ呪いのようだ、と直正は思っていた。ただし、嫌われることをもっとも恐れているため、彼が嫌うことだけはしない。

 そうでなければ、彼女は警察になど協力していなかっただろう。例え金銭で契約を結んでいても。キルケーが手段を選ばなければ、魔術という未知の技術で呪いの一つでもかければ簡単に終わっていた。必要とあらばそれを躊躇う女でもない。それくらいは分かっていた。いや、分からされたか。

「そんなわけで、魔術師は基本的に露出を嫌うけれど、この世界には魔術組織そのものがないから関係ないね。広まったところで無意味だし」

 とはいえ、と彼女は手を組み直し、続けた。

「私からしたら、この世界は本当に頭おかしいよ。個性っていうのはいわば、固有結界みたいなものだ。全人類が体内展開型の固有結界の持ち主に変わった世界、もしくは未来。なんともまあ、狂った世界としか言い様がないよ。そういった意味じゃ、全人類魔術師なんだから、やはり魔術を隠す必要はないね。ああ、ここら辺は君たちには分からないか。まあいいや、本当に、どうでもいい」

 クスクスと、魔女が嗤う。その姿にぞっとした。

 キルケーの視線は、そばに魂魄現輪がいない限り、原則的に恐ろしい。中でも一番恐ろしいのがこれだ。無知な犬を見る視線。自分で生きる術を持たぬ獣を観察する貌……

「今日はこれくらいでいいかな。次の機会は……まあ、君たちに任せるよ。その方がいいだろう?」

 くつくつ……くつくつ……笑い声が響く。彼女はそんなに笑っていないはずだ。それなのに、部屋の中、無数の笑い声が反響し、いつまでも響く。

 キルケーが立ち上がっても、直正は何も言わなかった。ただ申し訳程度に、視線だけで彼女を追った。

「ああ、忘れていた」

 扉に触れる直前、彼女は振り返って言った。その様子に、直正は必要以上に肩をふるわせる。

「きみたち、魔術の情報は()()()()()()管理するんだよ」

 どこか含みを持たせた、言い聞かせるような物言い。

 彼女はそれだけを残して、扉に手も触れず、すっと消えていった。それが魔術によるものか、霊体化とやらなのか、直正には判断がつかなかった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。