ヒロアカ×Fate 作:トラッキング
暗闇は一瞬だった。それは距離が短いからか、それともそういう個性なのかまでは分からないが。とにかく一瞬だった。漆黒の空間では、方向も、重力もない。ただ体が浮かされる感覚に、軽く吐き気を覚えた。
闇が消えて、重力が再び体を捉える感触に、出久は再び吐き気を覚えた。宙に投げ出され、眼下が水場だと知った瞬間、彼は思いきり息を吸った。
(ああああああ!)
絶叫は、心の中でだけだった。口に出してしまえば、空気を消費する。ここで吐いてしまえば、ただ着水しただけで溺れかねない。
両手で頭を庇って、衝撃を受け止める。腕に衝撃が走った衝撃は、さほどではなかった。思ったほど高い位置から落とされた訳ではないらしい。それだけは安堵する。
が、それで難が去った訳ではなかった。
「獲物、一匹目ぇ!」
(待ち伏せ!)
水中の中でも響く声。異形型のヴィランが、大口を開けて突っ込んできた。
反射的に殴ろうとして、躊躇する。相手は見るからに水中行動に適した個性を持っている。個性を使って殴ったところで、水圧でダメージを与えられるか?
判断は明らかに遅かった。ヴィランを殴るのでも、水圧で自分を空へ打ち上げるのでも。どちらでも早くしなければならなかった。もう間に合わない――
詰めが甘いのは確実だった。が、今回に限って言えば、それが功を奏した。
ヴィランの横っ面が、唐突に蹴りつけられる。その影は高速で水中を泳ぎ回り、何かを体から伸ばして、出久の体に巻き付けた。勢いのまま、水面へと引っ張られる。
「緑谷ちゃん、大丈夫?」
「あっ、蛙吹さん!? あり、ありがとう!」
「梅雨ちゃんって呼んで」
体に巻き付けられている物は、舌だった。どれだけの力が入るのか、人一人を軽々と持ち上げる。そのまま、水難ゾーンの中央に浮かんでいるクルーザーに投げられた。
水難ゾーンにはもう一人転移させられたようで、次に峰田が打ち上げられていた。彼女はなぜだか怒っているようで、峰田を叩き付けていたが。
二人を救出し、蛙吹はぺたぺたと壁を這って上ってきた。ヴィランが追ってくるかと出久は構えたが、彼らは水中で観察しているだけだった。水に引きずり込めばいいのだから、わざわざ有利なフィールドから出ないという事か。なんであれ、余裕が感じられる行動ではあった。
「二人とも、体におかしなところはない?」
「うん、大丈夫、蛙吹さ……つ、ゆちゃんが助けてくれたから」
「ゆっくりでいいわよ」
出久は下を観察した。水面から顔を出すヴィランが、ぱっと見でも十人はいる。全員が全員強力な個性を持つということはないだろうが、この状況で、驚異がないとは間違っても言えない。
「くそっ、くそーっ、なんだよあいつら!」
だんだんとデッキを叩きながら叫んでいるのは、峰田だ。ヴィランの余裕は、この声が聞こえているというのもあるだろう。
「あいつら、オールマイトを殺すって言ってたよな。か、勝てる気で来てるんだよなぁ! オイラ達、大丈夫なのかよぉ!」
「意味のない仮定だよ」
出久は、可能な限り落ち着き払って答えた。
訓練しているとは言っても、所詮は学生。入学したてで、まだろくな訓練も受けていない。それでこの初陣だ。怯えがないはずがない。それでも出久は、可能な限り、声から抑揚を取り払った。
「雄英はオールマイトだけじゃない。最高峰の教育をするために、ヒーロー学科を受け持つ教師は全員現役ヒーローなんだ。これは日本の高校だと雄英と士傑だけなんだけど……つまり、学校には最低でも十数人のヒーローが所属してる。例えオールマイトに勝てる個性を持ったヴィランがいても、この人数を対処するのは現実的じゃない」
「そうね、緑谷ちゃんの言うとおりだわ。先生達はそんなに弱くない」
声の震えは、なんとか隠せたのだろう。もしくは、分かっていて無視してくれたか。
出久は、言葉の中の疑問を反芻した。
そう、意味がない。オールマイトにだけ対処するのでは。その証拠、というには少しばかり弱いが、無数のヴィランは教師一人に、いいようにあしらわれていた。あの程度のヴィランが相手なら、オールマイトを殺すなど夢のまた夢だ。
何か切り札があるのは違いない。が、その切り札がどの程度力を持つのだろうか。まさか雄英教師全員を相手して対処出来るわけでもあるまい。そんなヴィランが居たら、そもそも奇襲などする必要がない。雄英に正面から強襲すればいいのだ。それをしないという事は、やはり何かしら弱点なり欠点なりがあると考えた方が妥当だろう。
ならば、生徒を転移させたのも納得がいく。生徒全員の個性を把握している訳ではないのは、蛙吹がこの場にいる事から分かる。もしかしたら、生徒の個性は全く分かっていないのかも知れない。その中に、切り札に対抗できる個性がいるのを嫌ったのではないか。
「じゃ、じゃあどうする?」
「とりあえず私たちがすることは、ここから脱出して……」
出久が考え込んでいる間に、二人は話しを進めていた。と、
強烈な炸裂音と、振動が響く。ヴィランの一人が、クルーザーを真っ二つに割ったのだ。船はゆっくりと、しかし確実に沈んでいく。
がりがりやらごぼごぼやら、けたたましい音が鳴る中、蛙吹はぽつりと言った。
「今、脱出するしかなくなったわね」
「うわあああああああ、こええええええええよおおおおおお!」
出久もいっそ叫びたい気持ちではあったが。先にパニックを起こされると、そんなこともする気になれないらしい。なんにしろ、すっと冷静になって、出久は考えた。
「峰田くんって、拘束系の個性だったよね?」
毎日のように行っている自主訓練のおかげで、クラスメイトの個性は大抵把握していた。
聞く。と、その頃には、彼は平静に度持っていた。
「ああ。オイラの“もぎもぎ”はオイラ以外に触れると張り付いて離れないぞ」
「……聞いといてなんだけど、冷静になるの早いね」
「おっぱいの為に神話の槍使いに突っ込んだりしてるからな。こういうのは慣れてるんだ。一度わっと騒ぐと冷静になりやすいってもの経験だぜ」
「まあいいけど」
なんだか釈然としないものを感じたが、出久は切りだした。
「蛙吹さん、急な水圧があっても泳げる?」
「自在にとはいかないけど、進行方向を保つことくらいはできると思うわ。さすがに体が潰れるようなのだったら自信ないけど」
「なら作戦は簡単だ。材料は今ヴィランが作ってくれた」
出久は軽く、体から力を抜いた。
思い出すのは、先日全身にギリギリまでパワーが満たされか感覚。そして、それが必要時にのみ発揮される感覚。体を何度も暴発させながら、なんとか形にはなった。魔術による強化に比べれば、全身緊張しているようなもので、拙かったが。
「フルカウル、5%!」
ぎしりと、全身に紫電が走る。重苦しい悲鳴だ。
「超パワー! 制御できるようになったのか!?」
「完璧じゃないけど、少しならなんとかね」
息苦しい。峰田の賞賛に、言葉少なに答えた。
「蛙吹さん、水の中に飛び込むから準備しといて」
「分かったわ」
出久はクルーザーの破片を引っぺがして、それを峰田に掲げた。
「峰田くんはこれにもぎもぎ貼り付けて」
「おう!」
大きな破片の一部にもぎもぎが張り付く。出久はそれを、ヴィランに向かって投げつけた。
半端とは言え、増強系が投げた破片だ。速度も威力も並ではない。それはヴィランに命中し、そしてもぎもぎによって張り付く。
同じ事を何度も繰り返し、邪魔になりそうなヴィランの動きを片っ端から封じた。やがて警戒したヴィランが、包囲を広げた。
「今! 行くよ!」
叫ぶと、二人が出久に抱きついた。それを確認して、出久は大きく拳を振りかぶった。
「全身連動、ネイキッド8%!」
小さく跳ねる。体が宙に浮く。進行方向を合わせて、拳を打ち抜いた。
フルカウルの発展形、あるいは完成形。あちらが全身なら、こちらは身体連動型。難易度は遙かに高い。未だに実用レベルには達していなく、決められた動きを行うくらいしかできない。
が、逆に言えば、決められた動きしかする必要がないなら、未完成でも扱える、という事だ。
「
拳圧で、三人そろって包囲の外に飛んだ。それだけで陸地までは届かず、水の中に落ちる。蛙吹が抱える二人の体を構えて、方向を揃えたのを感じた。それを確認してから、追ってくるヴィランに向かって、もう片方の拳を解き放った。
(
ごっ、と、ジェット噴射のように加速する。水中タイプのヴィラン達を、その推力と、生み出した乱流で置き去りにした。乱れる水流は制御が難しいはずだが、それでも蛙吹は上手く水をかき分けて進んだ。
やっとの思いで陸地に着く。追ってくるヴィランの姿はもうなかった。彼らが水中の外に出てまで襲ってこないのは、分かっている。
「それで、これからどうするべきかしら」
水を振り払いながら、蛙吹。それに真っ先に答えたのは、峰田だ。
「すぐこっから出て助けを呼ぶべきだぜ!」
「でも、それには入り口前広間を通らなきゃいけない。ヴィランが最初に現れた場所だ。多分ここが一番防備が強いよ」
水難ゾーンから、広間はすぐだった。水から上がって、目と鼻の先に戦っているのが見える。
戦いは、二つに分かれていた。ヴィランたちと相澤。そして、その横に控えていた巨漢と魂魄だ。戦えるヴィランは半数くらいまで減じており、残りは戦闘不能だったり、戦意喪失していたりしている。
と、視界の端にヴィランが映った。何かに轢かれたのか、手足をめちゃくちゃな方向に投げ出して、血だまりに沈んでいる。
(う゛っ!)
直視してしまい、吐きそうになりながらも、出久はなんとか声を抑えた。もし他の二人が確認し、うめきでもしてしまえば。ここに潜んでいる意味がなくなる。
「魂魄ちゃん、凄いわ」
「うん、強いのは分かってたけど、これほどまでとは」
巨漢と魂魄の戦いは、実のところ、ほとんど見えなかった。単純に、両者の動きが速すぎる。目で追う事も難しい。
「あの手のやつもつええぞ」
峰田が物陰に隠れながら言った。
彼の言うとおりだった。個性を発動していない所を見るに、個性は封じられている様だが。それでも体術で、相澤と張り合っている。
「緑谷ちゃん、どうする? 見つからないように移動して、助けを呼びに行く?」
「……辞めた方がいい、と思う。見えないように入り口に移動するのは多分無理だよ。これ見よがしに移動したら、せっかく戦意喪失してるヴィランが復活して、かえって相澤先生の邪魔になると思うんだ」
「じゃあここで、機会をうかがうのね」
「それがいい! そうしよう! 危ないことはやめようぜ!」
ひたすらに消極的な峰田には、さすがに賛同できなかったが。
三人はその場で、息を潜めた。
弱い。
それが脳無とやらと戦う、現輪の素直な感想だった。
脳無が腕を振りかぶる。その動きは、早いが、遅い。どれだけ膂力に優れようとも、動きが予測できてしまうのでは意味がない。
見たところ、真っ当な存在ではないだろう。振りかぶった腕が顔の数センチ横を通過していくのを、あっさり見送って、現輪は考えた。
個性。現代の人類は、個性が生まれて五世だか六世代だかだったか。一世代が20年から30年で次世代を生むとしても、長くて150年ほど。それが長いと感じるかどうかは人によるだろうが。少なくとも、個性という人体を研究するには、そこそこ十分な時間であったと言える。
個性終末論、もしくは個性特異点だったか。そんな理論があったと現輪は思い出した。個性は世代を経るごとに混ざり合い、深化していき、やがて全ての要素を内包する個性が生まれる、という理論。サーヴァントの誰だったか、これを指して、神返りと呼んでいた。
逆に言えば、個性は最終的に神になるポテンシャルを持っている、という事だ。
それに比べれば、脳無の個性というのは細やかなものではあるのだろう。個性が混ざり合えば、これくらいは出来てもおかしくないと言える。だが、現輪には、どうにもちぐはぐに感じた。一つ一つが、合って
再生、ダメージ軽減、怪力。考えるに、全てが別の個性だ。これは、個性特異点理論の
(それが理由なのか?)
思考が明後日の方を向いてしまうのをなんとか制しながら、現輪は槍を振るった。狙ったのは膝の裏。これも相変わらず、刺さるというほど深くはないが、腱を断つには十分だ。
痛みを感じている様子はない。動きは機械的であり獣的だ。どちらかなのではない。どちらも混ざって、かえって鈍くなっているような動き。
苦痛というのは、重要な情報だ。時には無視しなければならない事もある。だが、多くの場合は、痛みを感じている箇所が使用不能だと知らせているのだ。動かない箇所を折り込みもせず、万全のように動けばどうなるか。答えは簡単だ、すっころぶ。
(まるで出来損ないのバーサーカーだな)
ふっと息を吐いた。思考が鈍る、とうか、もう飽きてきている。
先ほどからずっとこの繰り返しなのだ。四肢の一つを壊す。相手はでたらめな動きになる。そうすれば、攻撃など勝手に通り過ぎていく。後は壊れた腱が治る前に、四肢のどこかを壊しておけばいい。その繰り返しだ。
「こういうのは、ヘラクレスくらいの防御力か膂力がなきゃ意味ないよなあ……」
ぼんやりと、いい加減脳無のことを忘れてしまいそうな頭で考える。これをバーサーカー・ヘラクレスと比べれば……控えめに言っても、全ての能力で三段は劣っていた。普段あれに追いかけ回され、時には内臓破裂レベルの打撃を食らってる身からすれば、これに危機感を覚える方が難しい。
「ずいぶん余裕じゃないか」
いらいらした様子で言ったのは、掌の男だった。先ほど見た時は、相澤と格闘戦などしていたのだが。今はいったん退け、仲間のヴィランに任せている。
「ああ、この程度ならな」
あくびでも出そうな様子で、現輪。
もう脳無の再生能力は把握している。今も、すれ違いざまにアキレス腱を切ってやった。脳無は膨大な運動エネルギーを斜めに違え、地面を削りながら滑っていく。
「チッ! 対オールマイト用に改造したって言うから期待したのに、たかだか生徒一人にいいようにやられてるじゃないか。使えない奴だな」
「ああ、やっぱり真っ当な存在じゃないんだ」
ふむ、と現輪は考える。
言ってやる義理もないのだが、如何せん彼も飽きてきた。
脳無を足止めすることは訳ない。だが、行動不能にするには、再生能力と防御力が邪魔だった。それでも止めようとするなら殺すしかないが、恐らく許可はされないだろう。
「思うに、こいつはオールマイトに特化させすぎだね。だからオールマイトより弱いおれに、簡単にやり込められる」
「はぁ?」
訳が分からない、という風に、掌の男が声を上げる。
「こいつの運用は、真正面からの殴り合いを想定したものなんだろう? 速さで撹乱して手足を削げるようなタイプとは相性そのものがよかないんだよ。というかこいつは、正面から殴り合う以外の事をさせると途端に不器用になる。お付き合いさえしなきゃ怖い相手じゃない」
「くそっ、オールマイト用にしすぎたから、生徒風情に負けるのかよ」
「まあ、オールマイトとやらせようと思ったら、特化させてメタ張る必要があるだろうから、どのみちって気はするがな」
言いながらも。
脳無が拳を振りかぶる。その動作でがら空きになった肩の根元に槍を突き刺せば、腕がだらんと落ちた。そんな状態のまま体を捻る物だから、勢いに振り回されてまた転がった。完全に頭の悪くて弱いバーサーカーだ。
悪態をつく掌の男の近くに、黒い霧が生み出される。中心に目らしき輝きが薄ぼんやりと現れた。
「死柄木」
「なんだ、黒霧。13号は始末したか?」
「それなのですが、生徒を一人逃してしまいました。申し訳ありません」
「ハァ?」
掌の男、もとい死柄木は、いらだちを隠そうともせず、顔をガリガリとひっかいた。
「なんだよこれは。お前は生徒を逃がすし、脳無はガキ一人にやり込められる役立たずだし」
「お前達の負けだ。大人しく降参しろ」
いつの間にか木っ端ヴィランを壊滅させていた相澤が、包帯を構えながら言った。視線は油断なく死柄木と黒霧を捉えている。そのまま、声だけで現輪に問うてきた。
「魂魄、そのデカ物はいつまで抑えられる?」
「今の調子なら一日でも」
正直なところ、怖いのは脳無に負けるという事より、単純作業に飽きて集中力が途切れる事だったが。
脳無の傷が修復される。再度体のどこか、どこでも同じだが、とにかく狙いやすい場所を壊そうとした。しかし、横合いから巨大な氷の塊が現れ、脳無の半身を飲み込んだ。
「おい、大丈夫か!? 襲われてたみたいだが」
「わりかし余裕だったよ。でもありがとう」
緊張した面持ちで脳無を観察しながら現れたのは、轟だった。遠方から戦いは見ていたのだろう。脳無の身体能力に、脅威を感じている風だ。確かに轟の身体能力と反応速度では、近づかれるのは致命的だと言える。
「でも、これで封じた」
「そうでもないのが厄介なんだよなぁ……」
「どういう意味だ?」
轟の疑わしげな声。氷が割れる音が響いたのは直後だった。
脳無は、体の芯まで凍った自分の体までをも割りながら、氷の中から這い出てきた。さすがに半身を再生させるのは、切創ほど簡単にはいかないのだろう。それでも十数秒で全身再構成するあたり、驚異的な再生能力と言うほかない。
「おいマジかよ……なんだありゃ」
戦慄する轟に、現輪は軽い口調で問いかけた。
「なあ轟。地面に半径5メートルくらい、触れたら10センチほど凍り付くようなフィールドって作れるか? 作れたとして、どれくらい維持できる」
「そんなもんなら半日でも作り続けられるが……」
「じゃあそれを脳無――あのデカブツの名前らしいんだが、そいつの下に作ってくれ」
疑わしげな様子だったが、轟は言われた通りに作ってくれた。
脳無の足下に、霜が降る。巨漢が再生途中のままそこに着陸し、体が少しだけ凍り付く。それでもいつも通りに動こうと体を持ち上げれば、当然凍った場所が割れる。そのせいで倒れ込んで、また起き上がり、倒れ込んで……これで詰みだ。
その様子を、轟は口を開けて呆然と見ていた。
「なんだありゃ……」
「お前はカタログスペックに惑わされすぎだな。要点抑えれば、あの程度、お前の敵じゃない」
「そうみたいだな……本当に」
轟はがっくり項垂れる。自分の不甲斐なさに気落ちしているようだ。
脳無。どんな故があって、そんなヴィランネームにしたかは知らないが。そいつは言葉そのまま“脳無”だった。押し通せる力はあっても考える能力がないのでは、せっかくのスペックも宝の持ち腐れだ。あれほどの力、一般人が持つだけでも上手く立ち回れば一個軍を崩壊できるほどだろうに。
「次々集まってきやがって、頼りないなあヴィラン。仕方ない、今回はゲームオーバーだ。次はオールマイトだけ誘い出せるような状況にするぞ。黒霧、脳無を回収しろ」
「させると思っているのか?」
「させていただこうとなんて思ってない。
霧が舞う。“消去”は発動しており、それ自体に転移能力はないはずだ。が、代わりにそれが十分に広がれば、内側の存在は個性を使える。
霧のカーテンの中から、無数のひび割れが地面を伝った。その範囲は、軽く見積もっても、大能力のそれだ。出力は轟と同等かそれ以上にすら見える。
伝達したひび割れは、間を置かずに塵になっていく。コンクリートの地面が、砂漠になってゆく。
現輪はそれを、念のため轟を抱えて跳ねて避けた。能力が物体をまたがって伝達しないと思うのは希望的観測だろう。脳無のことは考える必要はない。どうせ粉になった地面に足を取られて、何をせずとも勝手に転ぶ。
少しばかり距離を置いた状態でいると、霧がこちらに迫ってきた。
相澤に視線を飛ばす。発動限界に達したのか、それとも何かの制約か、消去は発動していない。
止めるか、と目だけで確認する。答えは、危険な事はするな、だった。
と。
USJ中に、激震が走った。
入り口の大きな門がはじけ飛ぶ。防備まで纏めて薙ぎ払ったのか、黒煙が待っていた。その煙を割るようにして出てくるのは、巨大な体躯。
「もう大丈夫!」
声が響く。力強い声。日本一の声。
「私が来た!」
「コンティニューだ」
死柄木が、現れたオールマイトと正反対の笑みを浮かべた。
▲▽▲▽▲▽
ヴィランに囲まれている。こちらはたったの三人。相手は無数――少なくとも、目に見える範囲に5人はいる。これに左右背後まで含めることを考慮すれば、ざっと計算しても20人はいるか。既に打ち倒した敵を含めれば、さらに多い。まさしく多勢に無勢だった。
しかし、耳郎響香は全く脅威を感じていなかった。
今、正に殴りかかってくるヴィランと。その背後で、遠距離攻撃だかなんだかを準備しているヴィラン。
(馬鹿みたい)
ふっと、鼻で笑った。表情を隠すこともしない。
マスター・ケイローン。太古の武神。人類史最高の武術指導者。あるいは、世界最高のパンクラチオン・マスターの一人。
その薫陶を受けて、まだ一月程度だろうか。一日数時間程度の教育だと考えれば、さらに短い。誰だって、武術を収めるには細やかな時間だと言うだろう。実際に指導を受けた者以外は。
耳郎は恐れもなく、ほんの半歩だけ踏み込んだ。これだけでいい。先を制して、たったこれだけ行うだけで、攻撃は修正を余儀なくされる。援護射撃を狙っているヴィランは……そもそも考慮する必要がない。これだけの密度で囲んでいれば、どこを狙っても必ず仲間が射線に入る。無視して撃ったところで、どうせこちら側の人間には当たらない。そういう教育を受けた。
相手の懐に踏み込んで、肩に当て身をした。もう片手で肘を掴み、下に落とす。たったこれだけで、ヴィランはねじ回されながら、地面に墜落した。ついでに肩関節も外されて。
地に伏せたヴィランから、汚い悲鳴が上がる。それを無視して、響香はヴィランを蹴飛ばした。こいつらと戦って唯一恐れる点は、敵が足場の邪魔になる事だけだ。
響香はふっと一息ついて、刹那の間だけ仲間を確認する。
上鳴は響香と同じくパンクラチオンで敵を叩きのめしている。八百万は棍を持って、響香と上鳴の隙を補うよう立ち回っていた。
「おいおいおい! 俺らつええな! 負ける気ぜんっぜんしねえ!」
「上鳴さん! 油断はされないように!」
八百万の言うことはもっともだったが、しかし響香の気持ちは、上鳴と同じだった。負ける気がしない。
通常、強いと言ったら、それは個性の種類と、出力によって量られる。尾白猿夫みたいに、入学前から武術に精通している方が希だ。これは、現実を端的にあらわあしているとも言える。つまり、ただの人間が格闘技など習うより、個性を伸ばした方が遙かに簡単に、手っ取り早く強くなれるのだ。
それは概ね正しかった。
教える人間がケイローンやスカサハ、のような、人類史に燦然と輝く指導者でなければの話しだが。
響香も上鳴も、まだ個性は使っていない。八百万だって、最初に棍を出したきりだ。それでヴィランの群れを不利な状況で圧倒している。興奮するなと言うのが無理な話だ。
「クソッ! どうなってんだよ、雄英のガキなんて所詮個性任せのはずだろ!?」
「なんで俺らが接近戦で勝てねえんだ! おい、囲め! 一斉に叩きのめすんだよ!」
「それができないから、こうなってるんで、しょっ!」
左右から襲おうとしてくるヴィラン。右側の敵に身を寄せて、足首を踏み抜く。悲鳴が上がるより先に服を掴んで、もう一人に投げた。その後ろから波状攻撃をしようとしていたヴィランの面食らった顔が見える。表情が変わるより早く、顔に拳をたたき込んだ。ひるんだ隙に、膝の横を蹴飛ばしながら、襟を引っ張る。変則的な、そして基本的な当て身投げ技。
「耳郎さん!」
「りょーかい!」
呼び止められて、即座に背後へ飛びやる。八百万が分厚いシートを背中から放出していた。その中に潜り込む。上鳴を置き去りにして。
山岳ゾーンに置き去りにして、真っ先に決めた戦略だった。上鳴の“帯電”で無差別攻撃を行う。全員個性は温存し、白兵戦でしのぐ。これも放課後の自主練で互いを知る機会があったからこその連携だった。
「上鳴、やって!」
「おっしゃ! 無差別放電、フルパワー!」
かっと、周囲に雷光が走る。その光量は、分厚い絶縁シートの上からでも感じられたものだった。
個性の発動は一瞬だった。まあ、雷鳴と発光から察するパワーを長時間当ててしまえば、死人が出ただろうが。
絶縁シートの下から這い出て、響香は上鳴に声を掛けた。
「上鳴、あんたチャラいしナヨいと思ってたけど、やるじゃん」
「うェ~イ」
「……なに、どうしたの?」
上鳴がただでさえアホな顔を、さらに締まりのないマヌケ面していた。
「
「まあこういう、頭がヤられるタイプって多いって聞くけど。実際に見せられるとなんかやるせないものを感じるよねえ」
とりあえずどうするか、と響香は考える。
今の状況なら、他のクラスメイトも攻撃を受けているだろう。助けに行くべきではあるのだろうが、さすがにこの状態の上鳴を連れてはいけない。これの手を引いて移動するのもなんとなく嫌だという理由は、まあ、秘密だ。
「とりあえずヴィランは拘束して、次にこちらの無事を信号弾で知らせましょう。後は上鳴さんが治るまで休むしかありませんわね」
「まあ、それもそうか。ヴィランを縛ったからと言って、放置していい訳でもないし」
相談が終わるか否かというタイミングで。
急に、上鳴の近くにある地面が盛り上がった。
瞬間的に響香と八百万が構えたが、しかし致命的に遅い。隠れていたヴィランは、既に背後から上鳴の首を掴んでいる。爪から電気のナイフを出す個性だろうか、宙で形を崩さす維持された電気が、上鳴の首元に当てられていた。
「全く、予想外に強くて驚いたよ。まさか保険の俺が出てくる羽目になるなんてな」
ふっと、男は息を吐いて。
「手を上げろ。そして、何もするな。疑わしいまねをすれば、こいつは殺す」
「ヴェ、えぇ~~ィ……」
状況が分かってるんだかないんだか、上鳴が情けない声を上げた。
やってしまった……。二人は歯がみしながら、手を上げた。ケイローンに真っ先に言われた言葉、常に周囲に気を配れ。絶対に油断と楽観はするな。注意されていたはずなのに!
響香はこっそり、従順なふりをして、体に隠れるようにしてイヤホンジャックを動かした。足にはサポートアイテムのアンプがある。気が進まないが、これで上鳴ごと吹き飛ばす。誰かが殺されるよりはマシな選択のはずだ。
「おい」
男は声を低く、脅すようにして言った。そして、上鳴の左腕を切り裂く。見た限り傷は深くなさそうだが、範囲が広い。大量の血が流れて、指先からだらだらと血がこぼれた。
「お前達の強さはよく知ってるよ。もう油断しない。今からそっちへ行く。抵抗するなよ。お前達が死ねば、こいつは生きる。お前達が抵抗すれば、こいつが死ぬ。どっちかよく選ぶんだな」
「あんたがそいつ生かす保障なんてないんじゃない?」
手は上げたまま、響香は毒づいた。
それを聞いたヴィランは……心底楽しそうに、そして馬鹿馬鹿しそうに、せせら笑った。
「じゃあ試してみるか? こいつが死ぬ姿を見たければ試せばいい」
精一杯の虚勢は、あっさりと見抜かれた。ぐっと息を詰まらせる。
こんなところで死ぬのか? あるいは、クラスメイトが殺されるのをただ見てるのか? 悔しい。泣きたくすらなる。しかし、何も出来ない。これが敗北するという事だと、痛切に感じずにはいられなかった。
もう駄目だ。心が折れかけた瞬間、
「あああああ!」
ヴィランが悲鳴を上げた。それを確認するより前に、響香と八百万は動いてきた。
響香が上鳴を確保し、八百万の棍の一撃が、ヴィランの側頭部をしたたかに打ち据える。ヴィランは悲鳴を上げることもできず、昏倒した。
「なんだったの……?」
手の中で、未だうぇいうぇい言っている上鳴を抱えながら。訳が分からないと言った様子で、響香は呟いた。
「矢ですわ。誰かが、私たちを援護してくださったようです」
言われて確認すると、ヴィランの足には細い棒が刺さっていた。響香の位置からでは、それが矢かどうかまでは判別が着かない。
(くっ)
呻いて、拳を強く握った。
結果だけ見れば、ヴィランの殲滅成功。被害軽微。完勝と言って良かった。しかし、そんな気分になれないのは、その場に居る誰もが同じだった。
▲▽▲▽▲▽
ふっと息を吐いて、アタランテは弦から手を離した。
このアトラクションだか何だかよく分からない会場の、最も高い場所、ウォータースライダーの頂点で、会場全体を油断なく見回していた。
今し方、危機に陥っていた子供を助けたところだ。ケイローンの手ほどきを受けているだけあって、きっかけの一つもあれば、自分たちでなんとかできる。
そもそも力に溺れず戦うべきだ、とはなってしまうのだが。現代では大人と定義される年齢が高い。肉体、頭脳の習熟に重きを置いて、精神的な成長を後回しにしている節がある。平均年齢が高くなった故の必然だ。おかげで、15にもなるのに、アタランテは目が離せないでいた。
「危なっかしい子供だ。英雄候補生、所詮は候補生でしかないという事か」
ぽつりと、そのつぶやきを聞く者はいない。
次の矢を取り出し、右手で弄ぶ。番えはしなかった。今のところ、他に危険を感じさせるような戦場はない。ヴィランが弱すぎるというのもあるが、英雄の指導を受けた者たちは、まあまあ上手くやっているように見えた。
注視するような相手は数えるほどしかいない。それがアタランテの素直な感想だった。黒い霧の男、掌を全身に貼り付けた男、そして脳漿を丸出しにしているような男。うち最後の男だけは、現輪が完封しているが。
「問題は、あの黒い霧の男か……」
彼が強いというのも、理由の一つではあるだろう。
だがそれ以上に、子供が及び腰になっている。本来の力を発揮すれば、勝てない相手ではないだろうに。頼りにする、宇宙服のようなものを来た教師が負けて、気が引けたのだろう。これもまた、所詮は候補生らしいと言えばらしい。
「しかし、雄英教師、存外不甲斐ないな……」
アタランテは、多少のいらだちと共に呟いた。迂闊に個性を使い、カウンターをもろに貰う。戦闘経験が他のヒーローより劣るのは見れば分かるが、それにしたって、情けない。
相澤という男にしたってそうだ。相性が悪い? ただ身体能力が高いだけの木偶風情に時間稼ぎも出来ない。つまらない事だ。
「良くも悪くも個性の時代、という事か。基本的な技巧を軽視しすぎている」
彼女の脳裏に、にっこりと深い笑みを作るケイローンとスカサハの姿が思い浮かんだ。けしていい笑いではない。恐らくこれからの修行は、よりきつい物になるだろう。
周囲を観察する視線の端に、ちらちらと現輪の戦いが映る。気にする必要がない、とは分かっている。彼は強い。だが、それが心配にならないのとは別の話だった。やはり気になる事は気になるのだ。
「見たところ、決定打がない様子だが……」
それは仕方がない、とアタランテは思った。現輪の教育は、基本的に相手の抹殺に特化している。それを手加減して、無理矢理ヒーロー向けに調整しているに過ぎない。
恐らくアタランテが同じ立場でも、似たような状況になっていただろう。動きを封じるのは他愛ない。ただし、倒すとなれば話しは変わってくる。生きたまま行動不能にするには、あの再生能力は厄介だった。殺すのであれば、現輪でもアタランテでも訳ないのだが。
「助けるか、いやしかしなあ、ううむ……」
ウォータースライダーの頂点で、彼女は一人しゃがみ込み、頭を抱えた。
過保護だというのは分かっている。今までも、散々指摘されてきた事であった。李書文などは、笑ってすらいた。
「いやしかし、過保護にもなるだろう!? 私はあの子がまだ歩くのもたどたどしい頃から知っているのだぞ!? その、まあ、し、慕ってくれてもいる。よく分かる。いくら実践の好機とはいえ、これを放置するのは良心が咎めるのだ」
うぐぐぐぐ……とさらに体を小さくしながら、アタランテ。
誰に言い訳しているのかも分からなかったが、幾重にも自己辯護の言葉を積み重ねた。
その時間は長く続かなかった。アタランテが決断するより早く、状況が変わったのだ。
生徒の一人が逃走に成功したのは見ていた。その彼が、この場に猛スピードでやってくるオールマイトに接触したのも。オールマイトは生徒といくらか立ち止まって話すと、やがてまた走り出し、入り口を吹き飛ばして内部に侵入した。
それを見て、アタランテは警戒の段階を一段下げた。
オールマイト。現代にあって、歴代の英雄と並び称すのに、唯一相応しい男。彼が来たならば、まあ問題はないと思うことはできる。どのみち、噴水場以外での戦いは終わりかけてもいた。
ふと気配に気づく。サーヴァントの気配だ。一つや二つではなく、無数の。
「遅かったな」
アタランテは虚空に向かって告げた。具現化こそしていないが、そこに誰かがいるのは分かった。誰かまでは分からないが。
まさか現輪の戦いを見に来た、という訳ではあるまい。彼の力ならば、常日頃から(知る気もない者まで)見ているのだから。目的は雄英教師、もっと言えばオールマイトだろう。
そういった意味では、ぎりぎり間に合ったとも言える。
今、無数のサーヴァントが見守る中、オールマイトの戦いが始まろうとしていた。