プロローグ1-1
「すべて、長い夜の夢だったよ……」
また、飽きもせずに夢を見る。
病と血、死の匂いに満ちた古い西洋の都で、明けない夜の中で、ただひたすらに獣を狩り続ける。赤子の頃から毎日続く悪夢だ。今はもう何も感じない。慣れたのだろうか、最初は随分と怖かった気がする。もう、ずっと昔の話だけれど。
頬に飛んだ血を拭い、遺志となって消えていく老人から視線を切って空を見上げた。秘匿は既になく、宇宙の深淵を宿したような青い夜空には血の色をした赤い月が浮かんでいた。不気味な月だがもう見慣れてしまった、この後の展開も同じように。
突然体が硬直し、後ろから得体の知れない触手が這い寄り四肢を絡めとっていく。
触手の主の姿は見れない。後ろを向けないのだから当然だ。毎夜のこととはいえ、これだけどうにも気持ちが悪い。
触手を通して自分の中から何かが吸われていくのがはっきりとわかる。腹立たしいことだ、腕さえ動けば臓物を引っこ抜いて天日干ししてやるのに。
段々と意識が薄れていき、まぶたが重くなっていく。逆らっても、脳が拒否するように目が霞んで意識が遠のく。溶けて消えるようにすべてが虚になり、そして夜が明ける。
今回もまた、狩りの成就には程遠い。
『塩基配列 ヒトゲノムと確認。
霊器属性 中庸・中立と確認。
ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
ここは人理継続保障機関カルデア。
指紋認証、声帯認証、遺伝子認証、クリア。
魔術回路の測定、確認。
登録名と一致します。
貴方を霊長類の一員と認めます。
はじめまして、貴方は本日最後の来館者です。
どうぞ、善き時間をお過ごしください』
「フォウ、フォーウ。フー、フー、フォーウッ!」
頬を何かに舐められるような感触で目を覚ます。頭の下には硬い感触がして、上には何かモフッとした物体が顔面を舐めながら蹂躙しているように感じた。
犬か何かに遊ばれているらしい。起きようとするが、うまく目が開かない。蛍光灯の光が目蓋の隙間をぬって目に刺さる。急に生じた眩しさに半分までこじ開けた目を再度閉じてしまう。
「……………あの、朝でも夜でもありませんから、起きてください、先輩」
控えめな声とともに優しく身体が揺らされる。自然と耳に入る、鈴がなるような、清涼な声だ。少しばかり湧いて出た気力を絞って身体を起こすと、大人しそうな眼鏡をかけた女の子が膝をついてこちらを覗き込んでいた。
「………えーと、アンタは?」
「………いきなり難しい質問です。すみません、少し考える時間をください」
「はあ?」
予想外の答えに思わず力が抜けて元の体制に戻りそうになる。気軽に名前を聞いただけなんだが、それのどこが難しい質問だというのだろうか? それとも初対面の怪しい奴に名乗るのを躊躇っている? まあそれならわかる、全身黒装束の男なんて普通にどこへ行っても不審者だ。真夜中に住宅街を歩いていたら一発で職質だし、善良な市民ならば即座に通報するだろう。オレだってする。
せめて帽子とマスクくらい取るか、と身体を動かす。妙に重い帽子へ手をかけたところで、少女が言い訳をするように慌てた。
「いえ、違うんです。ちゃんと名前はあります。でも、あまり口にする機会もなかったので、印象的な自己紹介ができないというか……勿論、こう言った事態を想定はしていたのですが、いざとなると言葉が出ないというか……」
その言葉にますます首を傾げる。印象的な自己紹介とは? もしかすると会話の切り口を間違えたかもしれない。誰だではなく、ここはどこだにしておくべきだったか。
両者ともに沈黙。少し気まずい空気が流れる中、それを打ち払ったのはオレでも目の前の少女でもなく、聞き覚えのない動物の鳴き声だった。
「フー、フォウ! キュー!」
まるで自分を無視するな、と主張するように感高い鳴き声が真っ白い廊下に響く、何故か自分の頭の上から。頭の上で暴れられるのも困るので、帽子の上に手を伸ばすと柔らかい毛布のような感触が手を通して伝わる。手袋のせいで手触りまではわからないが、それは羊を連想させるものだ。毛を引っ張っては痛いだろうと僅かばかりの配慮して、猫を移動させるように首元を掴んで頭上から引き剥がす。
「おいおい、なんだこの面白生き物は」
「フー、フォーウ……」
とんでもないものを釣ってしまった。つぶらな瞳にウサギのような耳、全身をモフモフと抱き心地の良さそうな毛皮で身を包んだ、見たこともないような生き物が離してくれ、と言いたげな眼差しで宙ぶらりんになりながらこちらをじっと見つめていた。
「犬、猫………いやリス?」
「ああ、すみません。あなたの事を忘れていました。こちらのリスっぽい方はフォウ。カルデアを自由に散歩する特権生物です。わたしはフォウさんにここまで誘導されて、ここで熟睡していた先輩を発見したんです」
「フォ、ンキュ、フォーウ!」
フォウと紹介された未確認生命体はオレの手を振り解き、尻尾を揺らしながら廊下の陰に消えていった。小さい体躯からは想像もできないほどすばしっこい動物だ、どこかでトレーニングでも積んでいるのかもしれない。
しかし熟睡ときたか、普通倒れているとか表現しないだろうか? 寝てたのは事実なので否定しないが。
「わたし以外の人に懐くのは珍しいのですが、先輩には懐いたようですね。おめでとうございます、フォウさんのお世話係二人目ですね」
「あんま嬉しくない係だなそりゃ………」
「そうですか? フォウさんは滅多に人前へ姿を現さない珍獣ですから、カルデアでは見つけただけでご利益があると噂されてーーー」
「ああ、こんなところにいたのか、マシュ。ダメだろう? 断りもなく出歩いては………ッ」
マシュの言葉を遮る声。靴音を鳴らしながらフォウと入れ違いになるように現れた声の主の姿を見た時、オレは我が目を疑った。そいつがファッションセンスがイカれているとしか思えない、全身モスグリーンのスーツに身を包んだシルクハットの男だったからだ。
あまりの服装に然しものオレも気後れしてしまう。全身黒装束というオレがいうのもなんではあるが、そのファッションはかなり度胸がいるだろう、常人であればできない服装だ。しかもシルクハットすらも同じ色、だがネクタイは紫。色の組み合わせとしてはそこそこなのだが、やはり強烈なスーツにかき消されてしまう。勿体無いやつだ、顔はにこやかで温厚そうなイケメンなのに。顔面偏差値の代わりに服のセンスを失ってしまったらしい、カラーコーディネートの勉強を強く勧めたいくらいだ。
「すみません、レフ教授………レフ教授?」
顔見知りなのか、マシュと呼ばれた少女は緑スーツの男を見るなり申し訳なさそうな顔をする。だがおかしなことに、緑スーツの男はマシュに目もくれず、廊下で座り込むオレを見つけるなり一直線にこちらへ歩いて来た。もしかすると思っていたことをつい口に出してしまっていたのだろうか、いくらオレでもそこまで口は軽くないはずだが。
「君は………そうか、今日から配属された新人かな。私はレフ・ライノール、ここで働かせてもらっている技師の一人だ。君は?」
レフ・ライノールと名乗った男はオレを気遣ってのことか手を差し伸べてくる。なんて紳士なんだ……ファッションセンスゼロとかいってすみませんでした。
ありがたく手を借りて立ち上がる。だが、レフ教授の視線に違和感を感じた。よくみると温厚そうに細められた瞳の中に、こちらを値踏みするような光が混ざっている。それに訝しみながらもとりあえず自己紹介をする。
「クロウ、仕事ではこの名前で通してる、よろしく」
名乗ったあと握手くらいはしておこうと手を伸ばすが、こちらを探るような視線はより強まった。しかし、それも一瞬であり、すぐ友好的な雰囲気へと変化した。少し疑問を感じはしたが、そういった視線には悲しいことながら慣れていたのでいつものことだと解釈する。
「クロウ……そうか君が………」
「どうかしたか?」
「……いや、なんでもない。召集された48人の適性者のうち、最後の一人というわけか。歓迎しよう、ようこそカルデアへ」
にこやかに微笑みながらこちらの手を握り返される。その表情には先程の様子は見られない。
「そういえば先程はマシュとなにを話していたんだい? 珍しいじゃないか、君が話し込むなんて」
「いえ、廊下で熟睡していらしたので、つい……」
「ここに来た途端、急に頭がボーッとしてきたからここで仮眠してたんだ。寝心地は最悪だったから、改装する予定があるなら絨毯とか敷いといてくれないか」
「は、はい。改装の予定はありませんが、所長に進言しておきます」
「…………冗談だ、真面目に受け取らないでくれ」
冗談をいった側からして一番困るのは真面目に返されてしまうことだ、反応に困るからな。しかしマシュは何か世間慣れしてない雰囲気がする、どこか言動がズレているというか。
「マシュを揶揄うのも程々にしておいてくれ、その子はあまりそういうのに慣れていなくてね。………ふむ、きっと藤丸くんが倒れた原因はこれだろう」
そう言ってレフ教授は近くにある一際巨大なゲートを指さした。ガッチリと生体認証でロックされてあるゲートであり、オレの記憶が正しければカルデアに入館するときに通った場所だ。極寒の吹雪の中であの長い生体認証を受けたのは忘れてないからな、明らかに設計ミスだ。しかし、そのゲートとオレの眠気、なんの関係があるというのか。
「入館時のシミュレーションがあってね、霊子ダイブは慣れていないと頭にくる。きっとシミュレート後、意識の覚醒が不十分なままゲードが開いたから、そのまま入館したはよかったが、ここで倒れてしまったのだろう」
その言葉になるほど、とうなずく。少し聞き慣れない単語があったものの、大体は理解した。
「見たところ体調に問題はなさそうだが、万が一ということもある。大事をとって医務室に連れていくのがいいんだろうが……」
オレを気にかけながら腕時計を見て時間を確認している。どうやらスケジュールが詰まっているらしい。
「何か用事があるなら構わない。場所を教えてくれれば、オレ一人でも行ってくる」
「そういうわけにもいかないんだ。これから所長の説明会があってね、全職員、特にマスターは出席を厳命されているのさ。だから君も急いで出席しないと」
「来たばっかりなんだが……」
その言葉に少しうんざりしてため息を吐く。ここに来て僅か十分ばかりなので、少し休憩をさせて欲しかったのが本心ではある。組織というのは実に面倒くさいところだ。
「そこは申し訳ないと思うがね。だが些細なことで目をつけられるのも良くない、今後平穏無事な職場を望むなら急いだ方がいい。所長は怒らせると厄介だからね」
もうすでにオレのやる気は0%を下回りマイナス域に突入している。眠い、だるい、寒い、頭痛いの四拍子が襲ってきているというのに、ここからくだらない話を聞かされるなど冗談ではない。
しかしファーストコンタクトはとても重要だということも理解している。ここで説明会をサボタージュした場合と、素直に出席した場合のリスクリターンを天秤にかけると、誰がもう考えても後者に傾くだろう。最悪、給料が発生しなくなる可能性すらある、そうなれば何のためにここへ来たのかわかったものではない。どうせ毒にも薬にもならない話に決まっているのだから、右から左へ聞き流せばすぐ終わるだろう。
自分の感情を抑えて渋々首を縦に振る。仕方がない、これが社会で生きていくために必要なことなのだろう、甘んじて受けようではないか。
「説明会は五分後だ。君たち新人への、ちょっとしたパフォーマンス、見栄のようなものさ。きっとすぐ終わる」
「レフ教授、わたしも先輩に同行してもよろしいでしょうか? このままではまた廊下で熟睡されるかもしれません」
「うん? まあそれは構わないだろうが……君を1人にすると私が所長から怒られてしまう、結果的に全員仲良く説明会に出席ということになるのかな、これは」
言葉とは逆にその表情は非常に穏やかだ、どうやら本当にそこまで面倒ではないらしい。
「さて、行くとしようか。なに、少し気難しいが慣れてしまえば愛嬌のある人だよ、所長は」
「そうですね……確かに所長には少々気難しいところがあります。魔術師にしてはとても優しい人でもあると思いますが」
なんという言い様だ、これでは褒めているのか貶しているのかわからない。しかしそこまで言われる所長に少し興味が出てきた。まだ少し頭はボーッとするが、話を聞くだけならば小学生でも出来る、きっと大丈夫だろう。
その20分後、オレは見事説明会を熟睡し管制室から物凄い剣幕で叩き出された。ファーストコンタクト、失敗。