廃城
宇宙の深淵を閉じ込めた重く青い夜空が広がる。透き通るように綺麗で、みていて不安になるほど重苦しい空。寒気を覚えるほど静謐さに満ちる空間は、ざわつく心を落ち着かせていく。吹き抜ける夜風が地面の栄養を吸って輝かしく咲いた花弁を散らし、視界の隅を横切っていく。
静寂に満ちた空間に影が落ちる。黒く濁った雲が白く光を発する星々を覆い隠し、渦巻いたと思えばバケツをひっくり返したように雨を降らせた。夏場の夕立を連想させる天気の変わりようであり、身体を打つ滝のような土砂降りだ。
鮮血のように透き通った赤い雨が視界を覆い尽くし、地面へと降り注いでいく。水たまりができたと思えば、瞬きのうちに池へと変化して、遂には大海を作り出し地面を水没させた。
衣服を濡らす煩わしい雨を払いながら急いで傘をさす。勢いよく開いて思わず手放しそうになるジャンプ傘をしっかり持ち、ブーツについた水滴を脚を振って飛ばす。水滴は彼方に見える水平線へ向かって弧を描き、白い着物にぶつかって綺麗な彼岸花の模様へと変化した。
黒い髪に褐色の肌、烏を思わせる少女はむせ返るほど赤い瞳を丸くしたあと、鮮やかに咲いた彼岸花をみて微笑む。嬉しそうに着物を翻して、少女は水面に波紋を残しながら踊るようにステップを踏む。
傘を叩く、今にも破れるんじゃないかってくらい強烈な豪雨の中、少女は傘も差さずに、その黒い肌を赤い水滴で濡らしながら立ち尽くすオレの脇を通り抜けていく。
四肢を欠損した獣の死体。
目玉をくり抜かれた人間の亡骸。
肉が風化して灰になった異形の骸骨。
大海の底に沈む古い都に打ち捨てられた骸たちは、天を睨みつけ喉を鳴らし、もがきながら水をかき分けて這い出る。水面より下に続く骸の群、それは鏡に映った、天と地を繋ぐ塔のように見えた。一人、また一人と塔を登る彼らは大海を侵食するように数を増やしていく。
あるものは少女と一緒に踊り、あるものは少女を崇拝するように跪き、あるものは少女を恐れて命乞いをしながら背を向ける。
逃げる獣をみて鬼ごっこだと勘違いしたのか、少女は目を見開き輝かせて後を追う。背後から追いかけてくる少女を目にした彼らは、悲鳴をあげながら四肢を振り回し、騒がしく水飛沫を散らしながら無様に逃げ惑う。その様子をみて少女は心底おかしいというように声を出して、腹を抱えて嗤う。それは遊戯を楽しむ童女の笑みであり、しかしその表情の根底にあるのは絶対的捕食者による余裕だ。手加減をして手のひらで踊る獲物の反応を見て、それを楽しむ。こちらはいつでも殺せるというのに、必死に逃げる姿がおかしくて仕方がない、そういう『狩り』の仕方だ。
立っているのも疲れてきたので、跪いたまま死んだように動かない屍の一つに腰掛けて、鬼ごっこを眺める。思っていた通りゴツゴツして座り心地はあまり良くないが、ちゃんとした椅子はないので我慢するしかないだろう。
首が無くなった、随分と年季の入った人形がガタガタと関節を軋ませながら不安になる動きで紅茶と菓子を配膳する。テーブルに置いて一礼すると、いつの間にか横にいた、安楽椅子を揺らしながら空を仰ぐ老人の後ろに下がった。ヨレヨレのシルクハットをかぶった老人は、テーブルに乗った紅茶を勧めてくる。その手には糸が絡んでおり、後ろの人形に繋がっていた。
勧められるがまま、ティーカップに手を伸ばす。白磁に綺麗な装飾がされたカップの中に注がれた、赤い液体で喉を潤す。
「大きなマリオネットだな、自作か?」
遊戯を背景に、老人へ問いかける。首の取れた人形を侍らせた、偏屈そうな老人はチラリと此方を一瞥して、そのシワが多く刻まれた顔に違わないしわがれた唇を開いた。
「いいや。古い友人に、作ってもらったんだ……。もうだいぶ、ガタがきているがね」
そう言ってティーカップを傾ける老人の目には、遠い思い出を懐かしむように郷愁の念が色濃く映っていた。きっと大切な友人だったのだろう。そうなのか、と納得してさらに盛り付けられた菓子を口に放る。柔らかい食感と、噛むと中からドロリと出てくる甘いゼリーみたいなものが癖になる。うん、割と好きな味だ。
「私からも、一つ質問をしていいかな?」
「どうぞ?」
肩を竦めて先を促す。老人はシルクハットから年老いた、しかし未だ微かに強い光を宿らせた瞳を覗かせる。とても今にも老衰で死にそうなご老体には見えない。安楽椅子に揺られ、右足につけられた義足が軋んだ。
「なぜ、あのマシュという少女を助けようとしたのかね?」
「………おかしなことを聞くんだな、彼女には借りを返そうとしただけで───」
「見え透いた嘘はやめたまえ、骨まで透けて見えるようだよ」
鋭い眼光がオレを貫く。老人の眼には有無を言わせない強さがあった。はて、何かおかしなことを言っただろうか。
「君が彼女を助けたのは恩があったから、その言葉に間違いはないだろう。しかしそれだけでは不十分だ。恩を返すのが目的であり、助けるというのはただの手段に過ぎなかった。そして、彼女に助けられたという事実がなければ、わざわざ助けにはいかなかった。………違うかね?」
口を噤む。老人の言葉に訂正するべき箇所はなかったからだ。事実、マシュに助けられなかったら、また他の方法で目的を果たせたならば、わざわざあんな危険な場所になど赴かなかった。当然だ。別にオレは聖人君子じゃない、会って半日にも満たない人間に命を賭けるなど正気の沙汰ではない。
黙りこくるオレをみて老人は薄く笑う。それは微笑みではなく、嘲りや哀れみを含んだものだ。
「何故そこまで人にこだわる?」
「………オレが人だからだ」
問いかけにそう答えると、老人は耐えきれないとばかり歯を見せて、腹を捩り、声を出して嗤う。嘲笑が水面に響き波紋を残す。
「フハッ、フハハハハハッ!! 君が『人』? バカも休み休みに言いたまえ。人は、そう簡単に命を割り切れないさ。どれだけ薄い繋がりだろうと、面識のある人物が死にそうだと聞かされたのならば、少しぐらい心が揺れ動く。目覚めが悪いと、助けにいくべきではないかと気にかける」
老人は饒舌に言葉を並べる、確かな嘲りと罵倒を含めて。その眼に浮かぶのは嫌悪、なのだろうか? それだけではない気もするが、様々な感情が入り混じっていてよくわからない。
「哀れだよ、実に哀れだ。『人』の皮を被り、どれだけ演技をしたところで君は人になれない。何故ならば────ッ!?」
血飛沫が視界を舞う。老人の言葉は水面から飛び出た刃によって中断された。ゴポリと口端から泡の混じった血が流れ、胸元を貫いた刃こぼれの酷い武器は赤く濡れて光を反射する。
視線を中央に戻す。そこには鬼ごっこに興じていたはずの少女が先ほどの表情とはうって変わり、不愉快そうに眉を寄せていた。見れば、共に踊っていた者も、跪いていた者も、追いかけられていた者も、皆平等に老人と同じように胸元から刃を生やしていた。
苦しみながら彼らは少女を睨む。何故、どうして、と。
だが、そもそも子どもに理由を問うことが無意味だ。恐らく、気分を害したから、遊びに飽きたから、そんな理由にもならない理由に違いない。気紛れと好奇心で、どんなことでも平気で行動できる。それが童心というものであり、故になんの躊躇いもなく他者を害する。
刃に貫かれた者たちは、その身体を溶かし、まるで最初から存在しなかったように海へ帰っていく。それは、老人とて例外ではなかった。ドロリとその身を液体に変えながら震える指で俺を指差し、尚も確かな憎悪を持って口を開く。
「君に救いなど訪れない、君に誰かを救えなどしない。祈りも、希望もなく、惨たらしく死んでいくがいい。この────」
─────『バケモノ』め。
呪いの言葉を残し、老人が消え去る。静寂を取り戻した海に立つのは、オレと少女だけだ。機嫌は治ったのか、少女はニコリと微笑む。雨は緩やかに収まり、今では小雨と言って差し支えない程度にまで落ち着いていた。
髪に張り付いた水滴を払いながら、少女は老人の後に残った安楽椅子に座って茶菓子を摘まみ、ゆっくりと口へ運ぶ。その仕草はあどけない姿とは対照的に、妖艶かつ蠱惑的だった。菓子の味を気に入ったのだろう、少女はウットリと目を細めて唇からチロリと覗く真っ赤な舌で指先についた粉を舐めとった。
オレもあと一つくらい貰っておくかと手を伸ばすが、皿ごと横から伸びてきた手に奪い取られる。何するんだと睨み付けるが、下手人は意にも返さず得意げな顔をしたかと思えば、小さな手で菓子を一つ手にとって此方へ向けた。意図を察して、餌を待つ雛鳥のように口を開けると中に丸い菓子が放り込まれる。しっかりと甘味を味わいながら咀嚼していると、いつの間にか少女が接するほど近くに寄ってきていた。
「───────?」
首を傾げる。少女が何かを喋っているように見えるが、ノイズに邪魔をされるように耳には届かない。
「……聞こえない。お前は、何を話しているんだ?」
少女へ問いかける。あの義足の老人の声は聞こえて、何故少女の声は聞こえないのか、それが少し気にかかった。
どうやら此方の言葉は聞こえるらしく、それを聞いた少女は悲しそうに表情を歪ませて顔を伏せて立ち上がり、先ほどの快活さが嘘だったようにフラフラとコマ送りのように、瞬きの間に遠ざかっていく。
その向かう先には光が射し込んでいる。雨を降らせる曇天の切れ間、そこには雲に覆われる前に空に広がっていた、覚めるような青い夜空が覗いている。だがそれだけではない。あの隙間から射す、あの緋色の光はなんなのだろうか。
淡く、儚く、すぐにも消えてしまいそうな光に照らされながら少女は華麗にターンして向き直り、誘うように、導くように手を差し伸べた。
降り注ぐ光に目が眩み、意識が遠のいていく中で視界にノイズが走り、あり得ないものを幻視した。
地から天の切れ間に向かって伸びる塔。骸が積み重なってできた巨大な建造物は、空を、その先の大気圏も超えて宇宙を貫かんとばかりにその身を肥大化させていく。水底から水面へと伸びる塔が反転したような建造物、それを作りだす屍たちは我先にと醜く蠢きながら天を目指す。まるで、何かを求めているかのように。
空を見上げる。雲は引いて夜空が広がるその場所に、光の正体が浮かんでいた。
それは月光。青い夜空とは対極のように思えて、しかしそれがあるべき場所であるかのように空に穿たれた緋色の穴。そこから降り注ぐ光は、祝福のように少女を照らし出す。
「お前は、いったい───?」
彼岸花の着物を揺らしながら、少女は天へと伸びる塔をゆっくりと登っていく。
耳鳴りがひどい。月光が強くなると共に激しい頭痛がオレを襲い、目が霞むように意識が遠のいていく。それでも、痛みを堪えながら何か求めるように月光へ手を伸ばした。
● ● ●
頭を鈍器で殴り付けられたような痛みと、ジメッとした不快感を覚える暑さで目を覚ます。何やらいつもより頭がボーッとして指一本動かすのも億劫だが、それをなんとか我慢して上体を起こす。
「………庭園?」
視界にはカルデアの中央管制室とは程遠い景色が広がっていた。大きく崩れた煉瓦の壁に側面から水が漏れ出す噴水。そこを庭園だと判断したのは、何かに吹き飛ばされた跡がある花壇に無残にもちぎれ飛んだ草花がまだ生えていたからだ。まずは現状把握に努めるべきかと、痛みが酷くなる頭を抑えながら立ち上がる。
眠る前と後で景色が変わっているのはよくあることだが、だとすればここは『夢』の中なのかと問われるとそれは違う気がする。ならば現実なのかと聞かれるとそれもまた違うと答えたくなるわけだが、さて一体オレの身に何が起きたというのだろうか。
状況を整理しよう。中央管制室でカルデアスが赤く染まった後、急激に体調が変化してそのまま気絶したまでは記憶している。最初は『夢』にいるのかと思いもしたが、どうにもいつもより感覚が異なる。言語化するのは困難だが、まるで現実と『夢』の中間にいるような気分だ。
だがそれにしても奇妙な光景だ。空を見上げると、いつもとそう大差のない普通の夜空。だが明らかに一つ、奇妙なものが空に浮かんでいた。
視線の先には平坦とした街並みから少し離れた場所にある山、その上空には絵具で塗りつぶしたように黒々とした大穴が異様な威圧感を出している。真っ赤な炎に縁取られた穴からは地上と繋がるように絶え間なく『ナニカ』が流れ出していて、それが眼下に広がる街の尽くを焼き尽くしていた。街並みを舐めるように広がる炎は隙間なく大地を赤く染め上げ、無事な箇所はおおよそ見受けられない。
もう少し高い場所から見下ろしてみるかと、比較的原型を保っている塀の上に飛び乗ろうとするが、
「……ん?」
感じた違和感に首を傾げる。いつもより身体が重い、まるで水中にいるかのように全身が動かしづらく、四肢に重りでもぶら下げているのかと勘違いするほどだ。まだ体調が万全ではないのかもしれない。
上から見たところ、どうやらここは城の中のようだ。カインハーストの城をどことなく連想させる似た作りをしている。各部分に破壊の跡が見られるので、もう誰も住んではいないのだろう。しかし酷い破損の仕方だ、重機を使ったとてこうはなるまいと、壁に触れると簡単に崩れて塵となる。ダイナマイトを束にして爆破したのかと思いたくなるほどの崩れ方は、呆れを通り越して感動すら覚えるほどだ。
塀の上を伝いながらさらに思考を回す。『夢』の中でもなく、さりとてカルデアでもないとするならば、次に可能性が高いのはレイシフトだ。意識を失う寸前、まだレイシフトのプログラムは動いていた。ならばファーストミッションが行われる予定だった時間軸へ飛ばされたと考えるべきだろう。ふとレイシフトとはなんだ、と聞いたときのロマンの顔を思い出す。
『ああ……一般候補生だから、パンフレットにもそういう詳しい技術分野のことは書いてなかったっけな。……うん、そうだね。レイシフトっていうのはわかりやすく説明するとタイムスリップだ。ドラ○もんって読んだことあるかな、それに出てくるタイムマシンと同じようなものさ。コフィンで人間の肉体を擬似霊子に変換し、カルデアスとシバで観測した時間軸へ投射する。まあ未来にはいけないから、ドラ○もんほど大層なものでもないんだけど』
その後に続いた詳しい理論の説明などは難しすぎて耳を素通りしていたのだが、その言葉が正しいのならば、今現在オレがいる場所は過去ということになる。しかしそうなると元の時間に戻るにはどうすればいいのだろうか? 本来コフィンなしでの運用など考えてはいなかったはずだ。正規の手段を踏んでいないとすると用意されている帰還手段は使えるかどうか怪しい。仮に使用できるとしてもカルデア側の機械が無事であり、なおかつそれを操作できる職員がいる可能性か。………考えるだけで気分が落ち込んでくるな。あれほどの爆発で、職員のほとんどは管制室に集まっていたんだ。無事な職員はごく僅かだろう、そして彼らもすでに避難しているはずだ。
「はあ、面倒くさいことになったな………」
状況が状況、ため息の一つも出るというものだ。まったく、どうせ爆破するならば手抜きせずちゃんとプログラムも破壊していけというのだ。やはり中途半端は何事においてもダメだな。
だがここで腐っていても仕方ない、と思考を切り替える。とりあえずはあの空にあいた大穴に向かってみるとするか。あそこから流れてる泥のような『ナニカ』には見覚えがある、恐らくは……いや、早合点はよくないか。
だが塀の上からそのまま城外に降りようとした瞬間、ゾワリと背筋に悪寒が走った。振り向くと同時に、城内側の壁が爆発して庭園に轟音が響く。
「ああなるほど、やっぱりか」
砂塵を突き破って投げつけられた壁の残骸を、咄嗟に装備したルドウイークの聖剣で弾く。両断されるように破壊された壁の亀裂から現れたのは影だ。全身に黒い瘴気を纏い、裂傷が目立つ巨大な身体を引き摺りながらそれでもなお右手に己の武器であろう剣斧を握りしめ、殺意を滾らせた巨人は、狂気に満たされた瞳で眼前の敵を睨みつける。
「GAaaaaaaaaaaaaッッッ!!!!!」
思わず耳を塞ぎたくなる、鼓膜が破れそうになるほどの咆哮が主人のいない廃城に響き渡った。