「あづぅ……」
目を覚まして第一声がコレだった。むわっとした空気がワンルームの部屋に充満している。緩慢に天井近くのエアコンを見れば、電源ランプが消灯している。おかしい、自分はオフタイマーをかけたつもりはないのだが。寝ぼけて電源を切ったのならまだいいが、ご臨終されたのであればこの夏を生きて過ごせるのか、生命維持に重大なアラートが脳内で鳴り響く状況に、目を細める。
このままでは蒸し風呂にしかならないため、少しでも涼を得ようとけだるい身体を起こす。床に転がるチューハイの缶を蹴って転がしながら、ベランダの窓ガラスをスライドさせた。まだ午前の早い時間とあって、室内よりは涼しい空気を感じることができる。まあ、すぐにぬるくなるのだろうけど。
窓枠に手をかけて外の空気を吸い込んでいたが、ふと、左手の甲に模様があることに気づいた。
「なんだこれ」
それは、生物のようにも見える模様だった。牙のある口と角、胴体は蛇のように見えるが、魚かもしれない。昨日の宅飲みしていた時には見当たらなかったが、酔っ払って落書きでもしたのだろうか。擦ってみてもインクはすっかり乾いているようで、落ちる気配もない。一体何のペンで描いたのか。
後でメイク落としで対処するか、と冷蔵庫の中にある麦茶をコップに注ぎ、一気飲みした。
仮死状態だったエアコンを蘇生させ、ひんやりとした部屋で転がってテレビを見ていると、美味しそうなハンバーグの映像が、麻袋に目の場所だけ穴をあけた人物の映像に切り替わった。うわ、不審人物。
どこのチャンネルで放送されているのかと番組表が気になり、リモコンのボタンを押すが、一向に画面は変わらない。“自分ではチャンネル変更をしていない”ことを疑問にも思わず、画面そっちのけで電池切れ確認のため、カバーの開閉に四苦八苦していると、放置していたテレビから音声が流れてきた。
『やあ、テレビの前のみんな! こんにちは!』
「ミ〇キーかよ」
某夢の国の声音そのものが麻袋の人物と合わさると、うさん臭さが増大することを知った。変声機でも仕込んでいるのだろうか、よく似ているのがやたら苛立つ。
『番組を楽しんでいたのに、ごめんね。ちょっと僕から発表したいことがあって、ジャックさせてもらったよ!』
「いや、ジャックて。できんのかそんなの」
『下準備を頑張ればジャックはできるよ!』
「犯罪教唆しやがった」
こちらの突っ込みに反応しているように見えるが、おそらく事前に反応を予測して話しているのだろう。だが、こんな発言、教育番組を見ていたであろう、ちびっ子を持つご両親はきっと阿鼻叫喚だと思う。子供たちよ、今見聞きしたことはすぐに忘れるんだ。不審人物ごと存在を抹消しろ。
『本題に入るよ! 僕は見ての通り研究者でね、つい最近に研究の成果がやっと完成したのさ! パチパチパチ!』
「うわウザ」
『だから全国にバラまいてみたよ!』
「へぇ――は?」
軽快な声音に気を取られ、発言を流しそうになった。バラまいた? 研究成果を?
『被験者が摂取しやすいように、また幅広い対象範囲となるように、いろんな飲食物に混ぜ込んだのさ!』
「おい、これテロ発表か!?」
飲食物に混入するといえば、薬物に他ならない。過去の様々な薬物テロが頭によぎる。事例がないわけじゃない、けれど、こいつほど大規模なものは存在しない。なぜなら、こいつはテロ発表のために、わざわざ番組をジャックなんて不要なことをしているのだから。
『そして、すべての対象が摂取完了した。みんな素直で良い子だね! でも試供品を貰うときはよく気を付けたほうがいいよ!』
「試供品……?」
『疲れたあなたに、って看板立てておくだけで、みんなこぞって貰いにきてくれたからね!』
蒸し暑い日本の夏、都市部の様々な場所でスポーツドリンクや栄養ドリンクの試飲をしている。もちろん大手メーカーくらいしかやらないし、みんなも手に取ろうとしない。けれど、逆に言うと知っているからと安心して近寄ってしまう人も少なくない。新製品の試供です、ビンはこちらに捨ててくださいね、なんて、よく聞く言葉だ。
──なにせ、自分自身も昨日その言葉を聞いたのだから。
『そろそろ効果が出てくるころなんだよ! 左手に何か模様が浮かんでいないかな!』
「まさか」
『それは、君の種族を意味しているんだ! おめでとう! 君は新たな霊長の階段を登ったよ!』
テレビから流れるそれは聞きなれた声音だったが、苛立つ理由が本来ではありえない、ひどく侮蔑を感じ取れるものだったからだと理解した。
* * *
それからしばらく、マッドのテロリストによるジャックは続いた。なんでも説明しないと力の使い方がわからないだろうからね、とのことだった。くそったれ。
曰く、被験者は左手の模様の動物に変身できる。
曰く、変身には形態があり、人型・獣人型・獣型とある。
曰く、最初から獣型になると暴走する可能性があるから、数日は獣人型で体を慣らしたほうが良い。
─曰く、この体質を解除することは不可能である。
「悪魔の実かよ」
思わず吐き捨てたが、モチーフはそれであろう。わざわざ自分で任意に変身が可能にするほどこだわって制作している。最初から獣人型、または獣型のみにしておけば簡単であっただろうに。簡単とは何かと審議したくなったが。
現在、テレビやネットでは大混乱状態だ。うっかり街中で虎になった阿保がいた為だ。わざわざ変質者が「数日は獣型にならないほうがいい」と忠告しているにも関わらず、実行する奴が存在するとは思わなかった。おそらく、きっと夢だと思ったのだろうが。その気持ちはわからんでもない。
異様に存在感を発する左手には、メイク落としでこすっても、肌が痛むことを覚悟でクレンザーでこすっても、まったく落ちなかった模様がある。悲しいことに、我が身に起こった現象は現実であったらしい。くそったれ。
「しかしなー、何の動物なんだろこれ」
流石に、世界中の全ての動物を知っているわけではないが、心当たりがない。そのわりには、どこか見覚えがあるのがもどかしい。何処で見たのかと首をひねっているとき、スマホが通知を鳴らした。何気なく通知を確認していると。
「は? イビルジョー?」
SNSへの投稿だったそれは、リアルイビルジョーのタグが付いた動画だった。再生してみれば、見覚えのある街並みをのっしのっしと歩くイビルジョーと逃げ惑う人々、いやこれうちの近所じゃんと灼熱のベランダに出てみれば、住宅街の屋根からひょっこりと出ている暗緑色の頭……イビルジョーで間違いねぇ。
うっかり変身バカが増えた。自衛隊であれ止められるのか、とか。あのマッドどうやってモンハン再現したとか。色々思考は巡ったが。同時に嫌な思い付きをしてしまった。
無言でスマホの検索より、それぞれのキーワードを入力する。検索結果は残念ながら、自分の左手にある模様がヒットしてしまった。マッドの才能が恐ろしすぎる。どうやってコレを再現した。
検索窓に残った文字は「モンハン アイコン アマツマガツチ」。
どうやら私は、古龍になったらしい。はは、古龍もいけるとは心底驚いたわマッド。くそったれが。
お気に入りのモンハンSSが非公開になっていた悲しみのあまり投稿。
勢いだけのため続かないと思われる。