雨が降っている。
バケツをひっくり返したような激しい雨というほどではないが、傘がなければ雨宿りをするほどには激しい雨だ。
そんな中馴鹿瞬(となかいしゅん)は傘もささずに幅の狭い石畳の小道をゆっくり歩いていた。
もとは整備されていたはずだが、今はまだ復旧が終わっていないため地面にひびが入っていたり、石畳がえぐれたりしている。
ゆっくり歩くのは周りの景色を目に焼き付けるためだ。
もうこの道を通るのも今日で最後だから。
そのおかげで全身ずぶぬれで、張り付いた洋服が気持ち悪いが、今日はいいのだ。
歩いている道の先に、別の道との合流地点が見えてきた。
こちらはついこの間復旧が終わった道であるためとてもきれいだ。
その合流地点で二人の男女が話しているのが見えた。
見覚えのある顔だった。
その二人も傘を差していないおかげでずぶぬれになっている。
「あ、馴鹿君。卒業おめでとう」
二人ともこちらに気づいたようで、女性の方がこちらに声をかけてきた。
「ああ、おめでとう。お互いに。雷(いかずち)、犀藤(さいとう)」
「もう何回目か分からないけど、おめでとう、瞬」
「黒龍(こくりゅう)君とはさっきそこで会ったの」
「馴鹿とまでここで会うとは思わなかったがな」
「俺もびっくりしたよ」
この二人が一緒にいるとか、かなり珍しい光景なのではないだろうか。いや、違うな。黒龍が誰かと絡んでいる光景にいまだに慣れないだけか。三回出会うと願いが叶うと言われるほど学校に来なかったし。
「ねぇ、せっかく今日偶然ここで会ったんだしどこかお店行かない?せっかくの卒業式だしさ。濡れたままお店に行くと迷惑かもしれないけど、今日ぐらいは許してくれるでしょう。ちょっと時期的に肩身が狭いから寛容に受け入れてくれるところになるけど。それに卒業生のお約束とはいっても、このままずっと雨に濡れていたんじゃ風邪ひきそう。」
「「いいよ」」
「あれ、いいんだ。誘っといてなんだけど、いい返事がもらえるとは思わなかった。特に黒龍君」
「それは分かる。特に雷」
「それなりに自覚はある」
「誘っといてから言うのも卑怯かもしれないけど、黒龍君、彼女さんはほっといていいの?この後会う予定とかあるんじゃない?特に今日は卒業式なんだし」
「約束までにはまだ結構時間があるから大丈夫だ」
一応会う約束はあるんだ。
にしても本当にこいつは変わったと馴鹿は思う。
これがきっと成長したということなんだろう。
いろいろな壁を経験して少し大人になったのではないだろうか。
「どこのお店行くんだ?俺は店の名前なんて知らないから、任せるぞ」
「うん、黒龍君が知らないだろうってことは分かってた。お金を払ってくれるだけでいいよ」
「ご馳走様、雷」
「お前は自分で払え」
「犀藤の分は払うのか」
「どうせ瞬も店なんて知らないだろう。なら情報提供者は犀藤しかいない。本来なら犀藤の分は二人で割り勘だが大丈夫だ。俺はそこまで細かいこと言わないから」
「その心の微妙な大きさに涙が出そうだ」
「少しの差が大事なんだ」
「それは嫌というほど実感したな、この三年間」
「あの、期待されているところとてもいいにくいんだけど、私も今行って素直に受け入れてくれそうな店はほとんど知らない。いや受け入れてはくれると思うんだけど、たぶん他のお客様からの視線が痛いと思う」
「犀藤ならそんな都合のいい店をたくさん知っているかもと思ったが、流石に厳しいか」
「携帯電話しかないんじゃないか、もう」
馴鹿が唯一知っている休めそうなところの名前を挙げる。
喫茶店携帯電話。
あの店の山ぶどうが馴鹿のお気に入りだ。
あそこなら大丈夫だろう。
「無難だが妥当な判断だな」
「そうね」
二人も賛成したので商店街にある喫茶店携帯電話に行くことになった。
「今日卒業式だったけど、三年間あっという間だったね。この前入学したばかりな気がするのに」
今日は馴鹿たちの通っている魔法学校の卒業式であった。
いま左手に持っているとても軽い筒の中に卒業証書がある。
しかし卒業したんだという実感はいまだにわかない。
ほかの人もそうだと思う。
「復旧、間に合わなかったね」
「もともと間に合う計画じゃなかっただろう。卒業式の会場となった講堂の修繕が終わっただけでも立派なもんだ。それに追加でいくつかの道もきれいになっている。予定よりも前倒しだ」
寂しそうな犀藤に黒龍はずいぶんと前向きな見方を示す。
黒龍の言葉を聞いた犀藤がそうだねと表情を柔らかくした。
「魔法使いの総力戦ね。他人事として聞くと面白そうな話題だが、実際に経験してみるともうこりごりだな」
「馴鹿君頑張ってたもんね」
「いやいや、二人には本当にお世話になりました」
心の底からそう思う。
今回は本当にいろいろな人に助けてもらった。
そう考えると今回の喫茶店代、俺が全員分奢ってもバチは当たらないのではないだろうか。むしろ、そうするべきか。
仕方ない、お会計の時に、ここは私が、と格好をつけるか。
馴鹿は密かに決心をした。
「なんか回りがこっち見てないか?」
今歩いていた道よりも少し大きな道に入ったとたん馴鹿がそう言った。
今までは細い道だったため、周りにそこまで人はいなかった。
なので感じる視線も少しだったが、大きな道に合流し、人が増えるとその分視線の数も増えるわけで。
馴鹿たちと同じくずぶ濡れの人だったり、みんな同じ傘をさしている在校生だったり、全く違う傘をさしている保護者だったり、いろいろな人たちの視線を感じる。
だが、仕方ない。
商店街に行くにはこの道を通って学校を出るのが最短距離なのだ。
「確かに」
黒龍はそう言いつつも、全く気にしていないようだ。
「今年度序列一桁の見納めだからね。そりゃみんなの目を引くでしょう。それにただでさえあなたたち二人の決勝戦は今までで一番盛り上がったし」
もうこれ以上盛り上がる大会はないんじゃないかって言われてたよね、と犀藤は俺たちを見る。
そんな同意を求めるように言われても、正直戦っているこっちからすれば、盛り上がるとか、盛り上がらないとかそんなことを考えている余裕はないというのが本音だったりする。
「あんな争いがあったおかげで序列戦したのが遠い昔に思える。ほんとあの頃こんなことが起こるなんて考えてなかったなあ。学園祭なんて今考えるとすごい楽勝じゃん」
「いや、それでも私はもうやりたくないよ?」
比べる相手が間違ってるよ、と犀藤が言う。
「そんなに大変なのか?」
「大変なんてもんじゃない」
一番大変な時期をサボった雷はわからないだろうけどね。
それはそうと。
「犀藤だって序列一桁じゃん」
君も視線を集めている原因の一端を担っているんだから、そんな人のせいみたいに言うのはやめなさい。
「私なんてお二人に比べたら、でもありがとう」
犀藤を見ると謙遜しながらも笑った。
第三位なんだからもっと誇っていいだろうに。
犀藤に視線をむけた際、馴鹿の視界に大きな木が入った。
この近くの神社にある御神木だ。
近くにあると言っても、それなりに距離のあるこの地点からも見ることができるほど、本当に一際大きくてずば抜けて高い木である。
神社も争いに巻き込まれたが、あの木は全くの無傷で残ったのは、さすが御神木という一言に尽きる。
馴鹿は立ち止った。
馴鹿には特別思い入れのある木だからだ。
すべてはあそこから始まったのだ。
「瞬、どうした?」
三歩先から声がかかる。
二人とも急に止まった馴鹿を気にかけている。
「いや、別に何でもないんだ」
そう言って顔を犀藤たちの方に向け一歩踏み出そうとする途中、御神木の天辺ちょっと上に一人の顔見知りが浮かんでいるのが見えた。
もう一度御神木の方角を見る。
やはり見えた。
あいつ、俺に何かしているな。
この距離からあそこの人を見るとか、だいぶ視力落ちたけど3.5とか真面目な顔で言っちゃうような人の所業だし。
俺にそんな視力はない。
しかし、視力を引きあげられた馴鹿はあいつが笑っているのがはっきりと分かる。
本当にうれしそうに笑っている。
ああいうのを莞爾として笑うというのだろう。
「無事卒業おめでとうございます。この世界に来れてよかったですか?」
「ああ、最高に楽しかった。心の底からありがとう」
馴鹿も最高の笑顔でそういった。
あんなに遠くにいるのに、耳元で囁かれるようにはっきりと聞こえる。
聴覚までなんかしているようだ。
「なんか言ったか?瞬」
「一人でぼそぼそしゃべってなんかおかしいよ?雨に濡れたせいでもう風邪ひいちゃった?」
二人が近づいてきた。
結構本当に心配されているようだ。
犀藤の手が馴鹿のおでこを触る
「熱はなさそうなんだけど」
「大丈夫だって」
「そうならいいけど」
二人にはあいつの姿は見えていないし聞こえないせいで馴鹿が一人でしゃべっているように見えたんだろう。
そりゃそうか。
こんな遠い距離くっきり見えている馴鹿の方がおかしい。
二人はまだ怪しいまなざしで馴鹿を見ている。
「本当に大丈夫だって、さあいこう」
また後で会いに来るからと二人には聞こえないほど小さい声で言った。
あいつには聞こえているはずだ。
ほら、待っていますから楽しんできてくださいとあいつの声が帰ってくる。
今度こそ一歩を踏み出す。
卒業祝いはしっかり受け取りたい。
三年も待ったんだ。
二人とも一歩を踏み出した馴鹿についてきた。
「さあ行こうって、誰のせいで待ったと思っているんだ」
まったく気にしていないけれど少し言ってみましたといった様子で黒龍がやれやれとため息をつく。
そこから少し歩くと校門が見えてきた。
校門の前で立ち止まる。
今度は三人で。
あと一歩踏み出せば学校の外へ出る。
「ここを出れば、学校ともおさらばだな」
「なんだ雷、寂しくなったのか?まじめに学校来ないからだ」
「少しな。だがまじめに学校へ行かなかったことに対して悔いはない」
「私はまだ学校に来る用事があるけど、二人はもう来ることはないもんね」
「卒業したのにまだ用事があるのかよ」
「そうなんだよ、馴鹿君。私は寮の部屋を明け渡す準備がまだ終わってないの。寮もだいぶん被害が出たせいで修繕に力を入れてたら、自分の卒業準備が終わらなかった」
「結構壊れてたもんな、あの寮」
半分立て直しみたいな作業を延々と頑張ってくれたのだろう。
本当にお疲れ様です。
人に向かって寂しくなったのかと茶化したが、馴鹿も少し寂しくなってきた。
首を強く振ってその寂しさを追い払う。
「さあ、卒業しようか。この学校から」
馴鹿の掛け声に習い三人で一緒に一歩を踏み出す。
本当にいろいろあったが、正真正銘これで卒業だ。
もうこの学校に生徒として足を踏み入れることはない。
その瞬間馴鹿の脳でいろいろな思い出が走馬灯のように駆け巡る。
そして馴鹿はあの日のことを思い出していた。
すべてが始まったあの日のことを。
また来週お会いしましょう