桂香の元カレ   作:サルガシラン

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長くなったので前後編に。



桂香と元カレ・前

 

「桂香は最近どうなの~?」

「うん、いい感じかな」

 

 空々しい嘘が口からこぼれて、来たことをまた後悔した。

 

 今日は高校の同窓会。

同級生の二人が働く小さなお店を貸し切ったそれは、最初の乾杯を除いて誰もが近くのテーブルで思い思いに飲んでいた。私も同じくグラス片手に久しぶりの友達と旧交を温め合っている。

 

 大学の課題がすごく面倒くさいとかバイト先で彼氏ができたとか、教授の弱みをあらかた握ったとか。かつての同級生たちの近況が耳に刺さる。それぞれ中身に違いはあるけれど、みんな充実しているのは間違いなかった。

 

 話を振って相づちを打ち私振られたら不自然じゃない程度にはぐらかして、お喋りが好きな子に手番を渡す。彼女の話が続くよう質問をして言葉を引き出す。

 

「……あ」

 

 そんなことをくり返してグラスを傾けると、喉に欲しかった水分が流れてこない。いつの間にか飲み干してしまったようだ。他の子のグラスはまだ十分なカサがあった。

 

「空になっちゃった。新しいお酒とってくるね」

「いってら~」

 

 テーブルにも空瓶しかなかったので友達の輪から離れ、酒瓶が集められて山脈みたいになってるカウンターへ向かった。

 

 

 卒業から数年。私は未だ女流棋士になれていなかった。

 

 あれからも師匠の指導を受け、八一くんや銀子ちゃんを始めとした何人もの棋士と寝る間も惜しんで何度も対局を重ねた。いくつもの棋譜を並べ新しい定跡が生まれればキチンと学んだ。

怠けてなどいない。自分にできることを精一杯やっている、つもりだ。なのに女流棋士どころかそこへ指の一本もかけられていない状態だった。

 

 先を歩く兄弟子姉弟子との差は開くばかり。同期のほとんどはとっくに私を置いていった。同い年が最近女流棋士になった。

 

 ナニカが欠けて足りない。そんな感覚が私の中に越えられそうで越えられない小さな壁を、いくつもそびえ立たせていた。

 

 壁の前でもたつく内に周りの棋士が進んで行く。それを少しだけ忘れたくて、心を落ちつけたくて参加した同窓会。

 それは見事な悪手だった。進んで行くのは棋士だけじゃないなんて当たり前の話で、私が足踏みして焦る間に私以外の全部がどんどん変わって行くのを突き付けられただけだった。

 

 酒瓶の山脈の前で手を伸ばすでもなく立ち止まる。

 私なんで参加しちゃったんだっけ。そもそもなんでこんなに飲みたくなってるんだろう。飲み過ぎたときの凄惨さは父の奇行で十分に理解しているのに、まだ飲みたい。

 

 体が重い。頭も重い。お酒が入ってるのも相俟って思考が安定してくれない。心が底なし沼に踏み入ったように重く後ろ向きで嫌な感情へと沈んでいく。

 

 

 

 

「じ~にあ~す!!」

 

 

 

 

 バカみたいな明るい大声。とても頭の悪そうなそれが、暗い底から私を強制的に釣り上げた。

 

「とことん付き合うっつったけど、オヤカタ流石に飲みすぎじゃないか!?」

「うるへ~! 俺は今、完全無欠のボトルヤローなんだよ~!!」

「ラッパ飲みでちゃんぽんはヤベーって! キバっTそっちおさえて!」

「……狩るかぁ……!」

「オォウ、止マーレだタカヤマ!!」

 

 発生源のテーブルに目を向けると凄惨な地獄絵図が形成されていた。

赤羽くんに青葉くんにキバくん。彼と特に仲の良かった三人がお酒のボトルを二本掲げる彼と、その大騒ぎにキレた幹事の鷹山くんの両方を相手に奮闘していた。あの二面打ちは大変だろうな。

 

「すべては実験のための祭りで迸るー!」

「……ぷ、ふふ」

 

 支離滅裂に叫ぶ彼の酷い有り様に、つい笑い声が漏れてしまった。

嘲笑じゃない、思い出し笑いだ。千年の恋も醒める酔っ払いの醜態なのに、その光景がどうしても高校時代を思い出させて懐かしくなるからだ。

 

「あっはっはっは! やれやれ万丈~!」

「またやってんの!? 成長しないな~がんばんなさい三馬鹿どもー!」

「おい見てないで手伝ってくれよ!?」

 

 他の同窓も同じだったらしく、やいのやいのとグラス片手に彼らへ野次を飛ばす。赤羽くんが抗議するけど当時の担任までケラケラ笑ってるのだから増援は見込めないだろう。

 

 彼が中心になって騒いであの三人とかが巻き込まれて、何人かが怒って他はみんな笑ってる。

 おまけに、多分その原因は――――。

 

「……まったく。見てらんないわ」

「千絵?」

 

 目を細めていたら千絵が呆れ顔で寄ってきた。

 堀戸千絵。自分で立ち上げた部活の女部長で在籍時は部を大会三連覇に導いた功労者。彼女のおかげで私と彼は出会ってしまった、恩人のような元凶のような親友だ。

 

「千絵はあっちに行かないの?」

「アタシが? なんで?」

 

 心底不思議そうな顔でパンツスーツを着こなす千絵が首を傾げる。きっと記憶喪失なのだろう。

そうでなきゃ、自分がしでかした所業の再現を前にこんな太々しい顔はできない。

 

「前なら千絵もあっちで騒いでたじゃない」

 

 大抵は千絵が彼をおちょくるための嘘が原因でああなって、最後に彼女が彼を嘲笑って反撃されれば昔の完全再現になる。

 

「あんな変わらないバカと違って、アタシはもっと上のフェイズに上がってんの」

「大学教授の弱みを握ったり?」

「人聞きが悪いなぁ。ちょっと交渉材料を集めてるだけ」

「恨み買って刺されたりしないでよ?」

「葬式にマスコミが来たらこう答えといて『品が良くてイカした女でした』って」

「『いつかこうなるだろうなと思ってました』って答えとくね?」

 

 おどけた顔で笑えないジョークを吐く質の悪さは、変わらないどころか進化を遂げたらしい。そんなの嫌だから本当にやめてよ?

 

 私の小言なんて暖簾に腕押しとばかりに受け流して、千絵は彼の方を見て鼻で笑った。

 

「よくもまあそんな同じ相手に執着できるもんだわ」

「うん……そう、かもね」

 

 鷹山くんと取っ組み合う彼がああやって騒いでいるのはきっと私のせいだ。

集合時間に余裕をもって会場へ来た私は、お店の前でバッタリ彼に遭遇してしまった。

 

 そして私は、なにも言わずそのまま踵を返した。

 

 会う度に告白してきたあの頃と変わらない、嬉しそうな顔を向けられて逃げたのだ。

 そんな彼を見て思い出したくなくて。今の不甲斐ない自分を見られたくなくて。

 

 そのまま電車で帰ろうとしたら駅で千絵たちに捕まり、時間通り会場入りしてしまった。思い直してさっきの態度を謝りたかったけれど、様子を伺ったときにはもう彼らと飲み始めていて近づくに近づけなかった。

 

「とっとと他のに目を向ければ終わる話でしょ」

「うん……」

 

 頷くフリをして、彼があの顔を誰かに向けているのを考えるとチクリと胸が痛んだ。とやかく言う資格はないのに。

 

 

「誰が来ても袖にして……吹っ切れた~って顔してんのにうじうじ未練がましいったらない」

「そっか……」

 

 そういえば千絵は彼と同じ大学に行ったんだっけ。彼があの始業式の日の言葉通りであることにホッとした。ホッとした自分に驚く。彼にとって良いことじゃないのに。

 

「まだわかってないようね」

 

 そんな私を千絵が嫌なものを見た、みたいな渋い顔で見据えてくる。

 

「さっきからアンタの話してるんだけど」

「え」

 

 予想だにしていなかった言葉に身体が硬直する。

 

「さっきも今も、うわの空であの世紀末チラッチラッ見てれば誰でも気づくわ」

「そんなことして……」

 

 ない、と言い切れなかった。確かに彼の様子を盗み見ていたのは一度や二度じゃないけれど、ジト目で吐き捨てられるほどジロジロ見ていたつもりは全くなかった。

 

「自覚なし?」

「うっ」

「あのザマ見てそんな顔してる時点で重症だけど。そこまでか」

 

 うろたえる私へ千絵はこれ見よがしに嘆息する。

向こうの戦いは佳境らしく、三人は健闘虚しく蹴散らされ最後に残った彼もアームロックをかけられてギブアップしていた。

 

「あの銀河無敵のバカは見た通り、どんな女が言い寄ろうがな~んも変わりゃしない。どうせこれからも」

「……」

「……ホント、バカな話だわ」

 

 クイッとお酒を飲みながら、どこか遠い目で鷹山くんにお説教される彼を眺める千絵。彼女から見ても彼の調子は昔と同じらしい。

 

「アレが、アンタらが桂香次第なのはアンタもわかってるはずよ」

「それは……」

「だから何かを期待してここに来たんでしょ。時間より早く来たりして」

 

 フッたアンタがなにもしないのは勝手だけどね、と自分のグラスを押しつけて来た。

 

「これお願い。適当にしといていいから」

「良いけど……どうしたの?」

「お花摘みに行くの」

 

 あとよろしく~と手を振って千絵は化粧室の方へ歩き出した。

 言いたい放題に発破をかけて私を置いていってしまった。本当に昔からやりたい放題して他人任せにするんだから。

 

 千絵は勘違いしている。そんなつもりで同窓会に来たわけじゃない。

 

 彼のことはとっくに吹っ切れている。

確かに男性からそういう誘いをされたこともあるし千絵から男の人を紹介されたことだってあるけど、全部断っている。

 でもそれは今は手一杯だからだ。銀子ちゃんたちがいるおかげで特定の相手がいなくて寂しい、なんてことは考えたこともない。

 別れてからは時たま父が奇行を起こすくらいで、むしろ彼がいないから静かで落ち着いた生活ができている。物足りなさなんて感じてない。

 

 ナニカの期待が有って同窓会に来た、なんてことはまったくない。

 

 そのはずなのに、千絵のお酒はしかめ面の女性が私を見つめる姿を写していた。

 

「きゃ……」

「ぬお」

 

 突然、背中にトンと誰かがぶつかった。

 

「あ」

 

 振り返ると、彼。

 

 時が止まったように見つめ合う。

その赤ら顔を見れば酩酊寸前の泥酔状態だと誰が見てもわかる。きっと追加のお酒を取りに来たんだろう。離れた方がいいと直感が警告してるのに、そのうろんな眼の色に足が動かなかった。

 

「……ぁん……」

 

 彼がもごもごと呟いて、頭の中の警告がうるさくなった。

助けを求めたくてさっきまで地獄があった方をみたら、乱闘はとっくに終わって鷹山くんが倒れた赤羽くんたちを適当に座らせて静かに飲んでいた。救援は無理そう。

 

「桂香さぁ~ん!」

「や、ひゃぁ」

 

 酔っ払いに抱きしめられた。昔より硬く大きくなった胸板と腕が、力強く上半身を覆ってびくともしない。うわぁお酒臭い……。

 

「ちょっとなにす……!」

「だいじょぉぶ!」

 

 頭の上であやす声がする。なにが大丈夫なのか。お酒臭いしちょっと汗臭いし熱くて頭に血が昇るし困惑して心臓がうるさいしでこっちは全然大丈夫じゃな――――。

 

 

「桂香さんは負けっぱなしでいるような女じゃぁあぁりません!」

 

 

 ――――。

 

「ずぇったい諦めないし投ぁげ出さねぇ止まらねぇからよ」

 

 なにを、いってるんだこのおとこは。やさしくあたまをなでないで。

 

「もっと自信持ってぇ胸張れぇい」

 

 熱くって臭くって。目に沁みて視界が霞んできた。

 

「だからぁ、んな辛そうな顔しないでくれよぉ~……」

 

 涙まで出てくる。私って泣き上戸だったろうか。そうじゃないなら、なにも知らないはずなのに好き勝手のたまうこの酔っ払いのせいだ。

 

「っ!」

 

 言い返してやりたくてその厚い胸を押しのけて距離を取る。

 

「……」

「えっと……」

 

 さっきとは打って変わって静かにフラつく彼が、とろんとした眼で私を見つめている。

 

 言葉が喉から先へ出ていってくれない。

最近はどうしてるのセクハラよまた変な服装で出歩いてない今は彼女いるの? とりとめのない言葉が浮かんでは沈んでいく。なにより聞きたいことはあるけれど、口にしたくないし答えて欲しくなかった。

 

「……飲み直ぉし~ましょぉ~」

 

 自分が今なにをしたのか忘れたように、彼が背を向ける。

 

――桂香さんならなれるぜ、女流棋士。俺が保証する。

 

 予感があった。このまま行かせてしまったらもう二度と手の届かなくなる。そんな予感が。

 

――俺、やっぱり桂香さんが好きだ。

 

 あの日と重なるその背中をこのまま行かせてしまったら私は。

 

――桂香次第なのはアンタもわかってるはずよ。

 

「ぁ……」

「……?」

 

 指が、彼の袖をつかんでいた。引っ張られて彼の足が止まる。

 

――“  ”の話すると、すっげぇ楽しそうに笑ってるのがめちゃくちゃ好きなんだ。

 

 いま行かせてしまったら彼に。

 

――ありません。

 

 私は二度と万丈くんに勝てなくなる――――!

 

 

 

「賭け将棋、しない?」

 

 

 

 口が勝手に動き出した。

 

 あなたの本気は今どれぐらい強いの?

 私の本気はいまどれぐらいあなたと戦える?

 

 今日だけは将棋を忘れていたかったのに、確かめずにいられなくて彼の前では無理だった。他のどんな棋士よりも本気で指して本気で勝ちたい、その将棋指しの前でだけは。

 

 短い沈黙。そのあと、フルフルと震えて振り返った彼の顔は。

 

「……う、ふぐっ……う、うぅ~……」

 

 我慢できずに泣き出す寸前だった。あ、頓死級の悪手を指した気がする。

 

「げぇいがぁずぁーん!!」

「わ!?」

 

 お酒のニオイを垂れ流す巨大な筋肉にさっきより強く抱きしめられ復縁を懇願される。私を助けようと赤羽くんたちがこの酔いどれを引き剥がそうとするけど、結局は千絵が絞め落とすまで続いた。酒気も酷かったけれど正直涙と鼻水の方がキツかった。

 

 




 オリキャラを都合よく使いすぎか……?

 次回、酒の勢い。
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