「八方くん、自分でお弁当用意してるの?」
「おう、弁当に筋肉に効くおかず入れてくれって頼んだら、なら自分で作れって怒られた」
「そりゃそうでしょ。急に筋肉に効くものって注文されても困るもの」
年を越して三学期。くり返し対局している内に八方くんとはかなり仲良くなっていた。
個人的な事情で父にも八一くんたちにも頼れない以上、研究するとなると学校の将棋部に協力してもらうしかない。そうなると相手になるのが部内で段違いに強い八方くんだけなのだ。
実力の方は私と互角ぐらいでも感覚のみで指しているのか、彼と将棋の話をすると同じものの話をしているのか不安になるほど噛み合わない。
「おかげで鶏肉料理は自信あんだわ。これとか自信作。おひとついかが」
「じゃあ貰おっかな。代わりに私の玉子焼きあげるね」
「清滝さんの玉子焼き……家宝にします……!」
「今食べて傷むから。はむ……あ、これ美味しい」
「あぐっ…………ふっわぁ、天使が迎えに来たような美味み!!」
「ようなじゃなくて迎えが来てる!? 玉子焼きに猛毒仕込んだ覚えないよ!?」
「バッチリミエター……この玉子焼きに比べれば、俺が作った料理はブタの餌ぁぁ……」
「ブタの餌を美味しいって言った私の立場。じゃなくて戻ってきて!」
ウサギの耳のように突然はねた癖っ毛の先から出かかる魂を、その頬をパンパンはたいて体に押しこむ。その目がバッチリ開いてこっちをミタころには、彼の顔は腫れて私は肩で息をしていた。
「清滝さん、胃袋を掴まれました。好きです」
「……一口で幽体離脱する人にごはん作るのは嫌……!」
相変わらず八方くんは私に告白してくる。何度断っても諦める気配がなかった。
――――万丈? いい奴だよね。桂香の前だとウザイし気持ち悪いけど。
同級生を捕まえて彼のことをたずねると全員がそう答える。八方くんはそんな人だった。
「八方ぁ~またお前か~!」
「やっべ、大杉先生だ!!」
「この教師大杉から逃げられると思うな~!」
「ミスターオオスギ、ハエーイ!? オヤカァタァ!」
「ここは俺が引き付ける。このタコを頼んだ! キバっT、鷹山、逃ゲルロォ!!」
「八方ァ!」
ある日の昼休み。タコ一匹を片手に教育指導の先生と追いかけっこする八方くんを見た。
八方くんはいつも中心にいる。人の輪の中ではなく、騒ぎの中心にだ。
気難しいクラスメートと険悪になったかと思えば翌日にはゆで卵とハンバーガーを食べながら仲良くしていたり、誰とも話したがらない女子に話しかけて土日を跨ぐと急に明るくイメチェンした彼女と肩を組み「みーたん、みーたん!!」とアイドルの話で騒いでいる姿があったりと、その内学校中の人間と友達になりそうなくらい人と仲良くなるのが上手だった。
「あ、清滝さん好っきでっすぅ……!」
「先生にコブラツイストかけられながら条件反射で告ってくる人は嫌」
ただし、私に対してはその限りじゃなかった。
「くっそぉ、てめぇこの堀戸ォ!」
「フーッハッハッハー万丈また騙されてやがんの!」
「どこまでも反省しやがらねぇなぁ……仕方ねぇ、やっちまうぞ鷹山!!」
「食らえ狩ってきた生ダコ!」
「うひぃっタコ、ダゴォ!? アタシ、タコ嫌いなんだよー!!」
「お前が持ってこさせたんだろうが!?」
そうして仲良くなった相手と一緒に千絵と起こす騒動でバカ騒ぎをするのだ。千絵の運が良いのか実は計算してるのか、大事になるギリギリのところで丸く収まってしまう。
でも、千絵に関しては本当に反省してほしい。八方くんに変なことを吹き込んだおかげで、なぜか私がマッチョ好きって周囲に思われてしまっているのだ。あの日は帰りにパフェを奢らせた。
「今日こそは一点とってやるぜサッカー部!」
「……まず真っ直ぐ蹴れるようになってから来なよオヤカタ」
「おらぁ!」
「ぅらぴすっ!?」
「赤羽ぁ!?」
「なんでそのモーションで斜め後ろに飛ぶのさ!?」
「白銀ニューステージの向こうで、婆ちゃんが俺を……」
「しっかりしろ赤羽!? お前の婆ちゃん今朝もみんなと太極拳してたぞ!!」
体育の授業中、八方くんのシュートが同じチームの赤羽くんの顔面へ突き刺さった。仕留められた被害者を加害者が慌てて保健室へ運んで行く。
八方くんは得意不得意が非常に極端だった。
運動神経はあるのに球技の類はすべてノーコン。英語なら外国人の先生と変なTシャツの話で盛り上がるくらい得意だけど、音楽や美術だと周りが正気を失いかねないおぞましさがあった。
なんというか才能が少しでもあるなら百点、ないならマイナス百点、みたいな人。将棋もある方の中の一つなんだろう。ない方は軒並みヒドイままだ。
「この球技大会こそはゴールを決めてやるぜ青葉ぁ……!」
「オヤカタいつになく真剣だ……一体何が」
「俺がゴールを決めたらな……清滝さんの買い物の荷物持ちができるんだよ! 実質デート!!」
「それ自分でもデートじゃないって気づいてるよね?」
「くらえ万丈ヘッドクラッシャー!!」
「ヘディング……ウソだろ真っ直ぐ飛んだ!?」
「足がダメなら人間の一番の武器を使うだけだ!」
ただし、私が関わるとその限りじゃない。約束をした日から球技大会まで朝と放課後に一生懸命シュート練習をしていたのを知っている。とりあえず買い物は千絵たちと一緒に八方くんが悲鳴をあげるまで買いこんだ。
「清滝さ……あー……」
「……なに?」
「なんでもねぇや」
友達とケンカしたりして、私が疲れてるときや不機嫌なとき八方くんは告白してこない。
いつもふざけてるようで、相手が本当に嫌がる一線はよっぽどじゃないと踏み越えてこないのだ。
「食うか? ひとやすミルク」
「…………うん」
「ほれ」
それは私相手でも変わらない。渡されたキャンディを舐めると口の中にミルク味の優しい風味が広がった。
一度決めたら一生懸命で行動力があって、人の心をこじ開けて引っ張り出してくる。けど無神経じゃない。
でもそれが私の前で発揮されるのは稀。好きだと言いつつ本当は私のことが嫌いなんじゃないだろうかこの男。
「そもそもなんでそんなに私にこだわるの?」
疑わしかったので直接聞いてみた。
「清滝さんが好きだから」
「じゃなくて。なんでそんなに、その、好きなのかって聞いてるの」
「……引くなよ?」
「引くような理由なの?」
「そうじゃねぇけど……堀戸にも聞かれて答えたら『本人には言わない方がいい』って止められてよ」
「……引くかどうかは聞いてから考えるね」
「怖ぇな」
聞いたのを後悔しそうになりながら答えを促す。一度指した手に待ったをかけては棋士としての沽券に関わるから。それじゃあ、と八方くんが口を開いて。
「まず優しくて気配り上手なとこがいい。野球部の夏の応援でカネサソリちゃんが熱中症で倒れそうになってたとき真っ先に自分のタオルと水筒差し出したりさ。友達と話してるときも前に出るんじゃなくてちょっと後ろに引いて周りを上手く回すのは棋士ぽくってグッとくる。若干見通しが甘いとこも隙が有って良いし、それでいて負けず嫌いなのがたまんねぇ球技大会のときのラスト三秒とかな。それから頬に手を当てて笑ってるときの仕草が」
「待った、十分わかったから。もういいから」
消防車の放水を浴びせかけられるような言葉の激流にストップを呼びかける。
「え、まだまだ全然言いたりてねぇ……」
「いいから……!」
千絵の判断は正しかった。これは引く。なんでそんなところまで見てるのと引く。こんなの聞いてたら引きすぎて体温が上がってしまう。既にもう顔があつい。
「清滝さん、アイクレイジーフォーユー……」
「動きと言い方が気持ち悪いからごめんなさい」
「想像以上の全否定が返ってきた……」
「もう私なんか放っておいてこの間の女の子と仲良くしてれば?」
「この間の女?」
「日曜日に楽しそうに歩いてたじゃない。たまたま見かけたの」
「日曜……女…………ああ。あいつ男だぞ」
「いやそれは苦しいでしょ。フリフリの可愛い服着てたじゃないあの娘」
「……」
「……」
「…………」
「…………マジ?」
「マジ。あいつ色々あって引きこもってたんだけど、ようやく外を出歩けるようになったんだわ。本当にしたいこと親と話して解ってもらえたんだと」
「そう、なんだ……」
「それに俺は誓って清滝さん一筋だって」
「……それは別に聞いてないかなっ」
今日も彼はへこたれない。胸を撫で下ろしてしまったのは不覚だった。
「清滝さん、お慕いしております!」
「もうちょっとシチュエーション考えてから出直してー」
「待て、渡り廊下のなにが悪いんだよ。こいつだって好きで渡り廊下じゃないんだぞ」
「渡り廊下のために怒る人初めて見た。でもなんか見下してない?」
「そりゃ下に見るだろ。いつも足で踏んでんだから」
いつまでも彼は諦めない。こんなくだらない話すら楽しいのはきっと気のせいだ。
「はぁ……」
自室のベッドに寝転ぶ。考えるのは八方くんのことだ。
そろそろ一年近くこんなことを続けているのに止めるような気配はない。何度も何度も好きだと言えば、押し切れる女だとでも思われているのだろうか。あいにく私はそんな簡単な女では――。
「………………また断っちゃった」
――あった。
自分でもビックリだった。顔も筋肉も別に好みではないし、対局して告白されてをくり返していたぐらいで何か大きなきっかけが有った、とかそんなことはない。
冬のある日。家でその日の棋譜をノートにまとめる途中で用を足しに行ってチャックを閉めていたら、ふと八方くんを好きになっていると気づいたから始末が悪い。
色んな意味で頭を抱え、部屋に戻る途中ですれ違った八一くんにすごく心配された。
切羽詰まって千絵に相談した。他人を思い通りに操りたいという理由で心理学に詳しい彼女によると単純接触効果というものらしい。ついでに愛の告白というのは相手を肯定する行為だから、誰でもちょっとは持ってる褒められたい欲を刺激されちゃって好意を持ちやすくなるんだとか。
ある種洗脳みたいなものだから気にしない方がいいそんな効果狙う男どの道ロクな奴じゃない相手はあの万丈、と説き伏せられた。
が、もう色々手遅れだった。
一度自覚してしまってからずっと彼の顔が頭から離れない。好きだと言われるのを喜んでいる自分がいる。何度も何度も攻められる内に私の囲いは削りとられてしまっていたのだ。攻めてくる彼のことを無視できなくて、もう気になって気になってしょうがない。
なら断らずに告白を受けいれればいい。わかっているのにそれができない。だって……。
「いまさら引っ込みがつかない……!」
告白され続けて早九ヶ月。いまさらどんな顔をして受け入れればいいの……!
同じことを繰り返してきたせいで、反射的にお断りする変な癖がついてしまっていた。
大体にして八方くんだって悪い。告白自体にありがたみがまるで無い。
普通、愛の告白ってここぞというときに意中の相手との関係を進める詰めろや必至の一手だろう。駒の価値で例えると飛車角だ。なのに彼は歩を進める感覚で告白をしてくる。需要に対する供給過多で価値の大暴落を起こしてるのだ。そろそろと金にも成らない歩になりそう。
こっちは花も恥じらう年頃の乙女。もっとこう、思わずオーケーしてしまうようなシチュエーションと言葉を高望んだって許されていいはずだ。いつも通りのやり取りで受けいれてしまったら負けのような気がしている。
そんなことを悩んでいる内に季節はもう春になっていた。
窓の向こうで立ち並んだ桜が咲き、気の早い桜木はいくつかの花弁を散らし出している。
心地良い風がそよぐ中で、私はいつも通りに八方くんと将棋をしていた。
とは言っても、この将棋は私が優勢のまま終盤も終盤。どこを打てば逆転負けしちゃうのかを考える方が難しい完全な必至。それを窓側の席に座る八方くんがそれをうんうん唸りながら往生際悪く睨んでいた。
「あ、そうだ」
ちらりと目だけが私へ向いて目が合ったと思えば、弾かれるように彼が顔をあげた。
「どうしたの? 逆転の手でも思いついた?」
「今思い出した。この間の話の続き」
「どの話の続き?」
「なんで俺が桂香さんのこと好きかってやつ。一番大事なのが言えてねぇ」
これだけは絶対言っておかないと、と前置きする彼を余所にふわりと吹いた風が私の髪を撫で、桜の香りが鼻をくすぐる。そういえば今は二人っきりだなー、と思案する私に彼は気づかない。
だから、そのまま窓の外の桜を背にして。
「将棋の話すると、すっげぇ楽しそうに笑ってるのがめちゃくちゃ好きなんだ」
――――そう彼はクシャっと笑った。
顔を盤上へ向け直す彼を余所に、私は動けなくなっていた。
あぁ、もう。
どうしよう。私の負けだ。投了だ。
もしこんな心地のまま告白された日にはきっと――――。
「清滝さーん、付き合ってくれー」
次の一手を考えてるうちにポロッとこぼれた、みたいな気軽さ。これで成功すると思ってないのが明確な、口をついて出たような告白だった。
……ふぅん。
カチンときた。投了するのはやっぱりなし。何度も断ってきたこちらにも非はあるけど、こんな気分にさせておいてそんな緩め手を指してくるならこっちにだって考えがある。
「いいよー」
いつも通りに断る声音で。
今までの中でも一番おざなりに伝えてきた告白に応じた。そっかー、なんて将棋盤を睨みながら頭を捻る彼を眺める。
あつい。このままきづかなかったらどうしよう。いまさらなにをっておこらない?
木製盤の横にある対局時計が、やけにゆっくりと時間を刻んでくる。いつもなら、追い詰められるとこんな風に遅くなってって願うのに。今だけはもっと早く進んでと胸の鼓動が催促している。
パチンと。彼が玉を逃して一秒。二秒。三秒。十九秒たってようやく、勝負相手が顔を上げる。
髪の毛が、ウサギになった。都合の良い幻聴を耳にしたような変な顔だった。
すかさず往生際の悪い玉の腹に成香を滑らせた。
勝ったなんて思わせてあげない。絶対に逃がしたりなんてしない。
「詰み、だよ?」
だってこれは私の完全勝利なんだから。
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