桂香の元カレ   作:サルガシラン

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 ハザード、オン!(デレーデデーデデー♪)



娘の彼氏と父親

 

 

 とある若い棋士の結婚式に参列した日のことを夢に見た。

 

 ――わぁ、キレーイ!

 

 純白のウエディングドレスを纏う花嫁の姿に、まだ幼かった桂香が目を輝かせる。

 

 ――おとーさん、わたしもアレきてみたい!

 

 花嫁を指差す娘の顔にキラキラした笑顔が無邪気に咲いていた。ウエディングドレスの意味もまだ解ってはいないだろう娘にわしは――――。

 

 ――お父さんに将棋で勝てる男でも連れてこない限り許さん!

 

 本気でキレた。すごい剣幕で怒鳴った父親に娘は当然泣き叫んだ。やらかしたと気づいたときには娘はもう、助けを呼びに駆け出した後だった。

 

 ――どれだけ先の話に怒ってるのよ。キレイなドレスを着たいって言っただけでしょう?

 

 反省するわしへと呆れ果てた女の声が突き刺さる。

 

 ――それに、それじゃ桂香はプロ棋士としか結婚できないじゃない。

 

 ぐずる娘をあやしながら 責するその様は、夫を相手にするというよりも手のかかる息子に道理を教えるようであった。

 

 ――桂香も好きな人の隣であのドレスを着て良いのよ。お母さんみたいにね。

 ――おかーさんもきたことあるの?

 ――ううん。お母さんのときは白無垢だった。

 ――しろ……?

 

 優し気な微笑みで膝の上の桂香を撫でる母の姿に、勝ち筋はないと察し娘に謝った。

 

 

 妻が遠い所へ旅立ってしまうより、ずっと前の夢だった。

 

 

 

 娘の彼氏が家へやってきた。

 

「いやーウチの弟子が世話かけたようで! 若いのにしっかりしとって感心するわ!」

 

 挨拶に来た、わけではなく。遅くまで出歩いてた二人の幼い弟子を送り届けてくれたマッチョな少年。最初はその認識だった。

 

「清滝鋼介九段です、よね……? プロ棋士の」

「お、わしのこともご存知とは光栄やな。そういう君がバンジョーくんやな?」

「な、なぜ俺のことを……?」

「八一から聞いたんや。将棋道場で高校生の兄ちゃんと仲良うなったってな」

「……あ、あぁ!! な、なるほどぉー」

 

 なぜか青い顔の少年が、手を洗いに行った弟子たちを追うように家の奥へと視線を送る。

 腕を磨くため将棋道場へ道場破りに行く八一たちは、晩飯でちょくちょくその日のことを話てくれる。主に八一が。そこで時折話に出るのが、会う度に強くなるバンジョーという高校生の話。

 

 それを聞いて、その兄ちゃんと時々でいいから指してもらえと指示したのは一年前のことだ。話を聞く限りその少年が在野の、それも遅咲きの天才だと予想できた。そういう棋士を相手取り、自分の後ろから天才が追ってくる感覚を二人に肌で味わってもらいたかったからだ。

 狙いは上手く行き、二人が得た物は多かったようである。彼には感謝せねばならない。

 

「じゃ、じゃあ俺はこの辺で……」

「え、万丈くん!?」

 

 話もそこそこに帰ろうと身を翻す少年を少女の声が引き留める。振り向くと娘の桂香が心底驚いたような、だが嬉しそうにも取れる顔でそこにいた。

 

「なんで家に? 今日約束してたっけ?」

「……八一と銀子ちゃん、送ってきた。表札、見て、俺、驚き」

「なんやお前ら。知り合いなんか?」

「知り合い……っていうか……」

 

 頬に手を当てて要領の得ない返答をする赤面した娘と顔中に汗をダラダラと流す筋肉少年。少年の頭にはさっきまではなかったはずの寝ぐせ染みた髪の跳ねが生えていた。

 

「ク、クラスメート! なん、すよ!! ねぇ桂香さん!」

「……そーだねー。ただのクラスメートダヨネー」

 

 弁解するような筋肉坊主の証言に、むくれる様に斜を向き棒読みで同意する娘。ほうほう。

 

「ほぉ、クラスメートか」

「そりゃもう、オレ、ケイカサン、タダノトモダチ……」

「下の名前で呼び合うただの男友達か」

「……け、結構そういう奴いる、すよ……?」

 

 その通りだが、釣りあげられそうな魚のように激しく泳ぐ目では説得力ないぞこの野郎。

髪の跳ねがもう一房増えて狩られるウサギのようだ。ポーカーフェイスもできないらしい。

 

 娘が隠れて棋譜を並べているのも、男の影が見え隠れしているのも気づいてはいた。着信やメールにはにかんだ反応をしているのを時折見かけるし、そこへ話しかけて慌てて取り繕われたこともある。先週からにやける頻度が大幅に上がり、スキップしそうなほど機嫌が良かった。

 

 将棋を嫌いになっていた桂香が隠れながらも再び将棋に向き合い始めたことに、男の存在が絡んでいるという不愉快な確信がずっと渦を巻いていた。

 

「バンジョー」

「はぃ……」

 

 間違いない。元凶はコレや。

 

「弟子を送ってくれた礼もまだやし、上がって行き」

「いや、お気持ちだけで……!」

「万丈」

 

 声を裏返らせて震える小僧の肩を握りつぶすつもりで掴む。逃がしはしない。

 

「そこそこ指せるらしいし……ちょっとわしとも指そうやないかぃ……!!」

 

 

 

 そして始まった娘の彼氏な筋肉坊主との、二人の交際を認める認めないを賭けた対局。

 

「粘るやないか」

「桂香さんとのお付き合いを認めてもらうまで、折れないっすよお義父さん……!」

「誰がお義父さんやおとといきやがれゴリマッチョが」

 

 娘に集る不埒な虫かと思えば、二度も全駒されても諦めない中々根性のある野獣だった。

 

 これでもう四局目になる。

初めは八一と銀子も含めての平手三面打ちだったが、窮鼠猫を嚙むというべきかこの筋肉は二度の惨敗を経てわし以外の二人から勝利をもぎ取った。

 二人は負けた悔しさから泣き出したので別室で桂香に慰めてもらっている。今日はもう夜遅いのでそのまま寝支度をしている頃だろう。鍛え直すのは明日からだ。

 

 小僧の実力は把握できた。向こうもわしとの実力差を流石に理解できているだろう。

しかし勝利を狙う気勢は削がれることなく、むしろ徐々に増していくようだった。

 証拠に対局するわしの指し筋を学び、微かではあるが一局指すごとに強くなっている。試すように隙を見せれば、想定以上の手で応じてくる様は棋士の血を沸き立たせてくる。

 

「……!」

「甘い」

 

 素人にしては面白い。だがそれで勝利を譲ってやるなど棋士のやることではない。男が駒に噛みつかんばかりに盤を睨み抜いて出した一手を容赦なく潰す。

 

 惜しい。この男がもっと早く、小学生いやせめて中学生の始めごろから将棋に向き合っていれば

一角のプロ棋士になれていたやも知れないその才能が惜しかった。

 

 所詮はたらればの話。独学ゆえに悪癖を正す者がいなかったのだろう、その棋風はもはや矯正ができないほど捻じ曲がっている。

 もし通常の棋士を武装した兵士と例えるなら、この万丈という男の指し筋は野生の獣である。

人を兵士にすることはできても、獣を人にすることはできない。そういう話だ。まだ未熟な八一たちや桂香ではその野性に惑わされるのも止む無しだが、逆に言えばうちの弟子たちの良い練習台が関の山ということ。

 

 ともあれ。その根性を認め、あと五局程度で勘弁してやろうと決めた。

 

 次の瞬間。

 

「――――っぁ!!」

 

 万丈の目の色が変わる。その将棋すら変身した。

 

 獣は、それに気づかぬ愚か者に容赦なく食らいついた。

二手三手。そこでようやく獣の変貌に気づいた人間は負けじと獣狩りの態勢を取る。だがその数手の差が命取りだった。

 

 一手指す。威嚇とともに噛みつかれる。

 攻め手を指す。武器を腕ごと食いちぎられる。

 逃げの一手を打たざる追えない。回りこまれ頼みの防御も剥ぎとられる。

 

 まるで開けてはならない猛獣の檻を壊してしまったような、バケモノを縛る鎖を解いたような、そんな取り返しのつかない愚行をしでかした気分だった。

 じわじわと、しかし確実に肉を骨を、いや首を狙う獣を仕留めるのはもはや手遅れ。振り上げられる獣の爪が首へと伸び、己の最期を幻視し――――。

 

 

「ぐべぇっ……!」

 

 獣が目の前で顔面からスッ転んだ。

 

 

「……はぁ?」

 

 現実に引きずり戻される。実際には万丈が七寸盤にドグシャと倒れ、盤面を崩したのだ。

数秒なにが起こったのかわからず滝のように流れる汗もそのままに、握りしめた膝の上に散らばる桂や香をぼんやりと眺めていた。

 

 最初に対局が台無しになったと気づき、次いで目の前の不心得者への怒りに飲まれかけ、最後にプロ棋士でも弟子でもない少年が対局中に倒れたとようやく理解して血の気が引いた。

 

「け、桂香! 水、水持って来い!!」

 

 慌てて娘を呼びつけながら、目を回して倒れた少年を介抱する。

 

 早い話が電池切れだ。若手の棋士によくある話で、慣れない長丁場にペース配分を間違え、限界になり座っていることもままならなくなる。ここまで派手に崩れ落ちる輩は棋界にいないが、彼はただの素人だ。気をつけろと注意する師もいない。

 慌てて水を持って来た桂香に介抱を手伝わせながら、水をかけられたように冷めた頭で少年の置かれた状況を分析した。

 

「……待ぁ……ぇ……っ」

「万丈くん……?」

 

 助け起こされた万丈が朦朧としたまま桂香を制し、その手を借りて七寸盤の前に座り直した。

 意図を察して対面に座し、満身創痍の棋士を見据える。

 

「ま……け、まし…………た」

 

 深く頭を下げ投了を絞り出すと、糸が切れた人形のように桂香の膝へ倒れこんだ。

呆気にとられるわしを置いてきぼりに、ちゃっかりと膝枕を堪能するかのような男の寝顔。そのあまりのだらしなさに腹を立てる気も失せた。深いため息を吐き出す。

 

「桂――――」

 

 視線を上げると、娘の穏やかな笑顔があった。

 

 眠る少年の頭を、娘は労わるように撫でながら微笑んでいるのだ。

その微笑みに、かつて愛し未だ冷めない人の面影を見て、静かに目をつぶる。

まぶたの裏で在りし日の家内が呆れた顔で微笑んでいる。

 

 ただの少年が、勝ち目のない相手に限界へと踏み込んだ。それもたかが高校生の男女交際を認めないとごねる、彼女の父親に認められるためだけに。

 

 懐かしさと、喜びと、寂しさと。複雑ではあったが悪い気分ではない。

育てた者を送り出すのも、己から負けを認めるのも棋士としてあるべき姿だと身を正した。

 

 

 翌朝、娘との交際を認めた。彼氏の方にはとりあえずプロレス技をかけ、下手な真似はしないよう堅く誓わせた。

 

 その後、大手を振って家に出入りするようになった万丈と五局ほど指した。あの夜から少々の底上げがなされたようだが、最後に見せたあの実力を発揮することは一度もなかった。あれはただの火事場の馬鹿力だったようだ。

 

 





前回の悪ふざけを反省ししばらく真面目になります。

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